伊良部とは?

伊良部 秀輝(いらぶ ひでき、1969年5月5日 - )は、元プロ野球選手(投手)。沖縄県平良市(現・宮古島市)生まれ、兵庫県尼崎市出身。
90年代の日本プロ野球界を代表する速球派投手。1993年の5月3日の西武戦で伊東と対戦した際の163km/hは日本人投手が日本国内の球場設置のスピードガンで計測したものとしては今なお最速のものである。スピードガンは国や球場ごとにバラつきが出る上、球速には公認記録や公式記録といった扱いがないので「プロ野球史上最速の投手は誰か」といった議論が起こるが、その際に必ずといってよいほど名を挙げられる投手である。(他に投球がバットにあたらずに球場、テレビ設置のスピードガンが160km/h以上を記録したのはNPBの選手ではマーク・クルーンが記録した161km/h、松坂大輔の記録した160km/hがある。ただし後者は日本国外の球場での計測)また、メジャーリーグでワールドシリーズを制したチームの選手に与えられるチャンピオンリングを初めて手にしたアジア人の選手である。
常光寺小、若草中学を卒業後香川県に引越し、尽誠学園高等学校に進学して1986年と1987年、夏の甲子園に出場した。
1993年日本ハムの大沢啓二監督(当時)がマスコミ相手に「幕張の浜で伊良部クラゲに刺された、イテテテ・・・」と言ったことから「伊良部クラゲ」の異名がつく。 またこの年5月3日、伊良部は西武清原和博との対戦時に158km/hをマークしたことはよく知られている(そのボールを清原はファウルし、次の157km/hのボールを右中間に二塁打される。以後清原和博との対決は「平成の名勝負」とうたわれることとなる。また、プロ野球史上最速とも噂される163km/hがでたのもこの日である)
そして1994年には最多勝のタイトルを獲得、パリーグを代表する投手となる。バレンタイン監督時代の1995年にも小宮山悟、エリック・ヒルマンとともに先発投手陣三本柱として、シーズン2位に貢献、自身も最優秀防御率のタイトルを獲得した。
1996年、2年連続で最優秀防御率、3年連続最多奪三振のタイトルを獲得し全盛期を迎えていた伊良部は、大リーグ入りを希望するようになった。近鉄を退団してドジャースに移籍した野茂英雄の活躍に触発されたことや、アメリカに居るであろうまだ見ぬ実父に会うため(伊良部の実父は在日米軍基地に来ていた米国軍人である)といわれている。そこでロッテにメジャーのヤンキースへの移籍を直訴するも、FAの権利を有していなかった伊良部に対して、球団側は保有権を盾に拒否した。伊良部は代理人団野村と共に、日本球界全体、メジャー球団をも巻き込んで、大騒動を巻き起こし、「ポスティングシステム」の確立に繋がることになる。
当初、球団側はパドレス球団にトレード、という形で決着を図ったが、伊良部側は拒否。あくまでもヤンキース移籍に拘る。最終的に、一度パドレスにトレード後、更にヤンキースにトレード、という三角トレードで解決を見た。結局この騒動が、「伊良部=ダーティ」なイメージを根付かせる結果となった。メジャー移籍1年目こそ期待通りの活躍をし、ジョージ・スタインブレナーオーナーから「和製ノーラン・ライアン」と称されたが、次第に成績が下降線になると、いつの間にか「太ったヒキガエル」、「IRABOO」(BOOとはブーイングの事)、めった打ちにされた試合でべンチにさがる時に、ファンに唾をかけたことから「ビッグ・チャイルド」と罵倒される始末であった。もっとも、スタインブレナーオーナーの口汚さは有名で、他の選手は非難されても聞き流すことが多いが、伊良部は真面目に受け取ったとも評されている。
ヤンキース時代には結局プレーオフで登板する機会は与えられなかった。結局、エクスポズ、レンジャーズへとトレードされるが、レンジャーズではクローザーとして活路を見出す。シーズン途中までは大車輪の活躍を見せるも、肺血栓を患いリタイア。オフにレンジャーズを解雇される。
2002年のオフ、「日本球界に復帰してもいい」という情報を掴んでいた阪神が獲得する。星野仙一監督(当時)はクローザーを任せたかったようだが、本人が先発を希望したため、先発要員となる。
翌2003年は13勝を挙げただけでなく、安藤優也ら若手投手を指導し飛躍させるなど、阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。オールスター第二戦では古巣ロッテの本拠地千葉マリンスタジアムで好投するなど活躍したが、後半戦は球のキレが落ち、野手陣の故障もあって9月15日の優勝決定日の試合を除けば勝ち星は伸びなかった(ただしこの試合も伊良部は好投したが、サヨナラ勝ちの試合に途中降板したため勝利投手にはなっていない)。日本シリーズでは第2戦、第6戦に登板するも、機動力抜群のダイエーの前に翻弄され、全く活躍できないまま終わってしまった。特に第6戦でも第2戦と全く同じようにやられてしまったことからファンに「日本一を逃した戦犯」扱いをされてしまった。実際は第2戦、第6戦ともに打線は杉内俊哉の前にほぼ完全に沈黙させられており、投打ともに振るわなかったのが敗因と言える。
だが、伊良部本人は妻子をアメリカに残しての単身赴任状態であり、本人のメジャー復帰希望の意思もあり、FAを宣言する。結局獲得球団が現れないまま、前所属の阪神とバイアウト(複数年契約だが2年目の契約については球団に選択権があり、球団側が契約を締結しない場合は違約金を支払って解雇できるシステム)による変則複数年契約を結び、阪神に残留する。ところが、2004年は沖縄キャンプ中に居酒屋でトラブルを起こし、また、開幕早々に日本シリーズで露呈した欠点を衝かれ、登板数は3試合のみ、防御率は13.11という不調もあって、2004年限りで解雇された。
その後の動向は長らく不明だったが、2005年3月上旬に、現役引退を表明した。この事が岡田彰布監督によって明らかにされたのは4月6日の事である。阪神は当初、2003年のリーグ優勝に貢献した実績から引退会見の場を用意していたという。ただ、一説によれば、持病の足の関節の痛みにより引退したということである。
現在は、アメリカのグリーンカード(外国人永久居住権)を取得し、実業家に転身。カリフォルニア州ロサンゼルスで、うどんのフランチャイズ・チェーン「SUPER UDON」を経営している。本人の談話でも、実業界に進出する意向を明らかにしていた(外部リンク参照)。
マスコミ嫌いであり、一匹狼な性格からファンに誤解を与えることが多いが、阪神在籍時には若手投手を積極的に指導するなど、親身になる人間のようである。井川慶を「野茂さん以来の天才」と評し、また下柳剛や広澤克実は「嫌な奴に見えるけど、こんなに面白くていい奴はなかなかいない」と話している。しかし、ヤンキース在籍時について、デレク・ジーターは「伊良部と打ち解けようとしたが、彼は打ち解けてくれなかった」と語っている。また、無骨に見えて理論派であり、その投球理論には球界を代表する技巧派投手・小宮山悟やコンディショニングの第一人者・立花龍司も舌を巻くほどであるとか。横浜の牛島和彦前監督も「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」と語っている。
打席ではゆったりと構えており、特に犠牲バントの際にはやる気のなさそうな様子で立っていたが非常に成功率が高く、在籍当時の阪神では同い年の久慈照嘉と共にその上手さが際立っていた。また、バッティングもここぞという場面では優れており、高校時代は代打本塁打をしばしば放っていたという。ちなみに好物はプリンで、上に胡麻をかけて食べるのが好きらしい(これは若手投手にも勧めたという話もある)。
歌唱力は高く、2003年の阪神優勝時に選手会がチーム首脳陣を代表して星野監督を招いて大阪市内で開かれた宴席の席上、カラオケでアニメソングを歌ったところ、選手はおろか星野監督にまで大絶賛された。尚、曲目は公開されていない。宴席を終えた星野監督が「それは言えない。言ったら殺されるぞ。」とコメントしていることから抱腹絶倒の選曲だったと思われる(後に広澤克実が「元祖天才バカボン」であることを公開。しかも広澤が選曲し、伊良部を指名したとしている)。
3年間で29勝を挙げたにも関わらず、2005年12月18日『ニューヨーク・タイムズ』に、「ヤンキースで活躍できなかった投手」としてトップに挙げられる。
ロッテを退団した理由は当時の広岡GMとの確執だと言われていたが、実際のところ2人は仲が悪いわけではなく、むしろ親しい関係であるくらいだった。伊良部の「(広岡の)オッサン」発言も、実は普段から広岡のことを「オッサン」と呼んでいただけにすぎないと言われている。
漫画家・山上たつひこの代表作「がきデカ」の主人公、こまわり君に酷似していることでも知られ、彼に関する説明の際にしばしば引合いに出されることもある。
日本では速球派の代表格とされ、「イラブーくん」などのネーミングが付けられている速球マシンを置くバッティングセンターが現在でも多数存在している。
ボキャブラ天国のネタにされ(尾崎豊の「I LOVE YOU」を「あ、伊良部〜」ともじったネタ)、映像出演した。
2007年9月13日(木)にTBSで放映された「「波瀾万丈ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」というドキュメンタリー番組で永住権をとって移住したアメリカでの悠々自適の生活が紹介された。過去の自分を振り返り反省し、読書に親しむ変貌ぶりやアメリカのブックオフで星野監督の著作を買う姿、そして久しぶりにキャッチボールをする姿など興味深い内容であった。
球歴・入団経緯:尽誠学園高−ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ(1988年 - 1996年)−ニューヨーク・ヤンキース(1997年 - 1999年)−モントリオール・エクスポズ(2000年 - 2001年)−テキサス・レンジャーズ(2002年)−阪神タイガース(2003年 - 2004年)
1位:伊良部秀輝 / 2位:里見祐輔 / 3位:堀幸一 / 4位:小林茂生 / 5位:山下徳人 / 6位:大村巌
カテゴリ: 日本の野球選手 | 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 | ニューヨーク・ヤンキースの選手 | ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 | テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手 | 阪神タイガース及びその前身球団の選手 | MLBの日本人選手 | 兵庫県出身のスポーツ選手 | 1969年生

[ 78] 伊良部秀輝 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%89%AF%E9%83%A8%E7%A7%80%E8%BC%9D



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