取り組むとは?
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固体では、礫・砂・泥などの粒子があり、天然ではそれらが集まって礫層・砂層・粘土層などの(自然)地層となります。また、廃棄物として埋め立て処分されたゴミや造成地など、人間が特定の目的を持って作り出した固体廃棄物層・埋土層などと呼ばれる人工地層もあります。 一方、それらの地層間隙には地下水・天然ガスかん水・原油などの天然の液体が存在します。また、使用済みの廃油や廃液など人為的な液体が浸入して貯留されることもあります。地層間隙が水で飽和すると水を透しやすい礫層や砂層などは透水層となり、反対に透しにくい粘土層などは難透水層となります。そして透水層の最上部には自由地下水面が現れます。 地下水面より上部の地層間隙には水と空気が共存して、ここを通気帯と呼んでいます。また、地質圏には鍾乳洞や坑道など天然や人工由来の空洞もあります。そして、通気帯や空洞には地下空気が存在しています。 さて、有害物質の地下浸透などによって、地層間隙や岩石の割れ目を循環する水が汚染される現象が地下水汚染です。この汚染が飲用地下水から確認されると法的な地下水汚染として扱われます。一方、汚染物質が地層間隙や割れ目に貯留されることや、汚染物質や汚染地下水が、地層中を移動する過程で地層構成物質と結合したり吸着したりするなどの現象が地層汚染です。 浸入した物質がトリクロロエチレンやガソリンなどのような揮発性の物質の場合、汚染物質・地層汚染物質・地下水汚染物質の三者から、通気帯や空洞へ気化して地下空気汚染となります。このような、地下水汚染・地層汚染・地下空気汚染の三者を地質汚染(楡井、1989)と呼んでいます。さらに、地質汚染現場では地下空気の発散で大気汚染を起こし、水循環で表流水の汚染に連動するなどの「クロスメディアの汚染」(鈴木ほか、1992)となります。 地質汚染を起こす有害物質の地質圏における特長から(1)重金属類、(2)有機塩素化合物、(3)農薬類、(4)その他に4分類され、その中でも最も典型的な汚染例はトリクロロエチレンなどの有機塩素化合物です。これらの物質は揮発性・難分解性・難水溶性・高密度・低粘性など特有の共通する性質を持つ液体で、機械金属の脱脂洗浄剤などに多用されてきました。地質環境へ浸入すると同時に地層汚染と地下空気汚染を起こし、やがて地下水に溶解・縣濁して地下水汚染となります。重力と地質構造からなる「場の条件」に支配され、より深層へ移動・拡散してゆきます。またその過程で地質環境に生息する微生物の関与する変態作用によって、さらにリスクの高いジクロロエチレン類へ変態して、地質汚染をより深刻なものにしています。 最近では、土壌汚染という言葉が市民権を得たようになってしまいましたが、実は土壌汚染は地質汚染の一部しか指していません。土壌というのは地質圏の最上部の草木の成長を支えている部分を指します。汚染は土壌部分だけでなく、それより下の様々な地層をも汚染するので、本来は「地質汚染」と呼ぶべきなのです。 地質汚染が企業にとって大きな経営リスクとなってきました。背景には平成15年2月から施行される「土壌汚染対策法」があります。工場の廃止や宅地転用などの際、土壌汚染調査を義務づけ、汚染が見つかればその内容を公表し、浄化させるなどの制度です。 地質汚染調査が必要な土地は、全国で93万箇所、その費用は13兆円との試算もありますが、企業の資金手当てのないのも現状です。不動産価格は従来の価格から地質汚染の調査・浄化費用を差し引いて、さらに汚染が発覚した場合のスティグマ(風評被害)コストを差し引くなどが予想され、不動産の担保価値が減少し、金融機関の不良債権処理に更なるインパクトを与えることが懸念されています。 企業の会計制度でも平成18念3月期に迫る減損会計の本格導入で、保有資産の評価に地質汚染を反映させなければならないのは必至とも言われています。環境マネジメントでもISO14015(サイトアセスメント)は、平成14年8月20日にJISQ14015が制定されました。 長野県公害課が土壌汚染施設の目安として、環境省に報告した県内の該当施設は924ヶ所です。 環境省によると、12年度に土壌の有害物質の量が環境基準を超えた「超過事例」は全国で134件。同年度までの累計は574件に上っています。10年度以降はそれ以前の3倍以上になっています。 カドミウム、全シアン、有機燐、鉛、六価クロム、砒素、総水銀、アルキル水銀、PCB、銅、ジクロロメタン、四塩化炭素、1,2-ジクロロエタン、1,1-ジクロロエチレン、シス-1,2-ジクロロエチレン、1,1,1-トリクロロエタン、1,1,2-トリクロロエタン、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、1,3-ジクロロプロペン、チラウム、シマジン、チオベンカルブ、ベンゼン、セレン、ふっ素、ほう素 |
[ 84] 工藤建設が取り組む土壌浄化事業
[引用サイト] http://www.kudo.co.jp/kensetsu/soil/07/index.html
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AppleのIntelプロセッサ採用の発表を受け、MicrosoftのMac事業部は、Mac版Officeなどの次期ハード対応版開発を始めているという。 Apple Computerが6月6日にIntelプロセッサへの移行を発表した際、真っ先に支持を表明した1人にロズ・ホー氏がいた。MicrosoftのMacintoshビジネスユニット(Mac BU)のジェネラルマネジャーだ。 Microsoftの広報によれば、Mac BUはこの支持姿勢を裏付ける製品の開発に既に着手している。主なプロジェクトに、Office for MacとVirtual PC for Macの次期バージョンなどがある。 Mac BUはプラットフォームの移行に対応可能なソフトを開発するため、Appleの技術者から協力を得て、開発ツールのXcodeで作業を進めている。Appleが将来発売するハードでもネイティブに実行できる、ユニバーサルバイナリ形式のOffice次期バージョンの開発だ。 現在バージョン2.0のXcodeは、リリース当時、開発者がMac OS X対応のアプリケーションを作成しApple技術の利点を生かせるようにと提供されたもの。Xcode 2.0は、Mac OSをUNIXや各種の開発技術と統合する。 これまで、Mac BUはXcodeの利用で知られてはいないが、今回のプラットフォーム移行により、Xcodeにもっと触れ、経験を積んでいくことになる。 Microsoft広報によれば、Mac BUは、現行版のアップデートの仕上げ作業にも忙しい。Exchangeユーザー用Entourageの改良、新しいTigerの機能、Mac用Messengerの新バージョンが数カ月以内にリリースされる予定。 Mac BUは開発作業の真っ最中だが、一部のアナリストは、Appleのプロセッサ移行の結果としてMac BUや同部門の製品に、驚くような大きな変更が生じることは恐らくないと予想している。 「開発上の大きな変化には、ある程度時間が必要だ」とIDCのアナリスト、ロジャー・ケイ氏。「だが、興味深い注目点は、この動きによってAppleのプラットフォームがMicrosoftの市場に進出し始めるかどうかだ。そうなったら、かつてのプラットフォーム対決のような構図がまた生まれる。そしてMac BUでも大きな変化が起きるだろう」 観測筋はそうした展開も視野に入れているが、もっと小さな変化が来年およびそれ以降に起きる可能性も高い。 Jupiter Researchのアナリスト、マイケル・ガーテンバーグ氏は、Virtual PC関連でそうした変化が起きる可能性を指摘している。Virtual PCは現在、Mac上でWindows環境をエミュレートするために使われている。 1つのプラットフォームで両方のシステムをサポートできるとしたら、Virtual PCはほとんど必要なくなるだろう。「本物のWindowsが使えるなら、なぜエミュレートする必要がある?」とガーテンバーグ氏。 全体としては、プラットフォームの移行はAppleとその顧客、そしてMac BUにプラスの変化をもたらすだろうとガーテンバーグ氏は言い添えた。 ニコ動の「ニコスクリプト」、26日に実装ニコニコ動画の投稿動画にさまざまな機能を付けられる「ニコスクリプト」が、11月26日に実装される。 「ケータイ小説をもっとメジャーに」――オリコンなどが投稿サイトオリジナル小説を投稿できる携帯サイトを、オリコンなどが開設する。コンテストを通じて新人作家を発掘するほか、作品の映像化も検討。人気ケータイ小説作家の作品も読める。 進研ゼミがWeb化 教科書準拠のDSソフトも「紙の教材だけでは多様化する学習ニーズに応えられない」――「進研ゼミ 中学講座」の教材をWebから利用できるサービスが始まる。教科書に合わせた学習や試験対策ができるDSソフトも開発した。 炎上ブックマーク「炎ジョイ」、開設から2日で休止炎上サイト情報を共有するソーシャルブックマーク「炎ジョイ」が、オープンから2日で休止した。運営元は「炎上が飛び火したサイトオーナーやユーザーには、不快な思いをさせてしまった」などと謝罪している。 jobtxt1 += '30代で派遣・フリーの仕事はなくなるのか?43歳エンジニアと派遣会社担当者に聞いた'; jobtxt2 += '匿名|最高25社から査定結果が届く。査定|プロが鑑定するあなたの市場価値'; |
[ 85] ITmediaニュース:Mac用次世代ソフトに取り組むMicrosoft
[引用サイト] http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/08/news070.html
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「ツシマヤマネコ保護に取り組む人たち」(後編)─ツシマヤマネコにせまる危機と保護活動の広がり─ 「ツシマヤマネコ保護に取り組む人たち」(前編)─ツシマヤマネコにせまる危機と保護活動の広がり─ 「世田谷発祥・巨大ハクサイ復活大作戦! 市民緑地でつながれ広がれ」〜地元農家の知恵と畑と種子の記憶を次世代に〜 日付も変わろうとする6月20日午後11時55分。「あちゃ〜、ヤマネコや。ひかれちょる...」。取材最終日の夜、野田一男さん(45)ご家族=対馬市上県町瀬田在住=にホタル観察に連れて行ってもらう途中のことだった。1992年以降、ツシマヤマネコの交通事故死体としては、26頭目。メスの成獣で、とても痩せている。しかも、この時期は出産・子育てシーズン。もし仔ネコがいたら、その仔ネコは一体...。 レッドデータブックにおいて絶滅危惧IA類とされ、日本で最も絶滅のおそれの高い哺乳類の一種であるツシマヤマネコ。そのヤマネコに一体何が起こっているのか。 本稿では、ツシマヤマネコにせまる危機と、懸命に保護に取り組む人たちの横顔を紹介しながら、「人とツシマヤマネコとの共生」について考えてみたい。 福岡、長崎から飛行機定期便で約30分、福岡からフェリーで4時間半、高速艇で約2時間。 佐渡、奄美大島についで3番目に大きな島で、上島・下島の2大島と約90の小島からなる。対馬には、厳原町、美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町の6町があったが今年の3月1日に対馬市になった。主産業は、農林水産業と土木建築業。 海食崖などの変化に富んだ地形と複雑に入り組んだリアス式海岸線が特徴的。対馬中央部の浅茅湾は、リアス式海岸の典型で、対馬を代表する自然風景地である。一帯は、壱岐対馬国定公園に指定されている。 対馬には、大陸または日本に生息・分布する動植物が混在している。また、ツシマヤマネコ、ツシマテン、ツシマサンショウウオ、ツシマスベトカゲなどの対馬に特有の種も多数生息し、他地域には見られない独特な自然環境が育まれている。 * 【ツシマヤマネコ】胴長短足に、太くて長い尾。耳の裏に虎耳状斑と呼ばれる白斑がある。体全体に斑点模様があり、「トラ毛のヤマネコ」という意味で、地元では「とらやま」とも呼ばれる。 約10万年前に当時陸続きだった大陸から渡ってきたと考えられ、東南アジアから朝鮮半島、シベリアまで広く分布するベンガルヤマネコの1亜種とされる。 1971年に国の天然記念物、1994年には沖縄県西表島に生息するイリオモテヤマネコとともに「種の保存法」に基づく国内希少野生動植物種に指定された。 ツシマヤマネコの現状について説明する大林圭司レンジャー(30)。その険しい表情からも、ヤマネコが置かれている厳しい現状が感じられる。 「今、ツシマヤマネコがおかれている現状とその保護策は、山場をむかえています」。環境省対馬野生生物保護センターの大林圭司レンジャー(30)【1】は、険しい表情で、そう話す。 「ツシマヤマネコの生息数は、1960年代は250〜300頭、1980年代は90〜125頭、1990年代は70〜90頭と推定されており、40年間で、およそ3分の1に減少してしまったことになります。1970年代頃までは対馬全島に生息していましたが、1983年に「下島の瀬」というところで交通事故死体が発見されてからは、下島ではヤマネコの姿ははっきりとは確認されていません。しばらくはヤマネコの糞などの痕跡が確認されておりましたが、1997年以降は痕跡すら見つかっておらず、生息の分布が上島北部に狭められていることが分かります(下図参照)」。大林レンジャーは、ツシマヤマネコの生息の変化について説明した後、生息を脅かしている要因として、(1)生息地の減少・改変・分断(広葉樹林の減少、荒廃植林地の増加、河川改修や道路整備等の開発による生息地の分断など)、(2)人為的事故(交通事故、イヌによる捕殺、狩猟用罠のトラバサミ)、(3)移入種(野生化したイヌやネコ、イノシシ等)による生息環境の撹乱、(4)イエネコからの病気感染、などをあげる。 【1】 レンジャー国立公園の管理や野生生物保護を担う環境省の現場担当者を「レンジャー」と呼ぶ。北は知床から南は西表まで、全国各地に約200人のレンジャーが駐在している。 対馬の約90%は山林で、その内の約90%が民有地。1955年頃から大規模な自然林伐採とスギ・ヒノキの植林が行われ、現在、山林の約35%が植林地となっている。 ツシマヤマネコのえさは、ネズミやモグラなどの小型哺乳類、とりわけ、ネズミ科が多い。一般的に、自然林に比べて植林地、特に荒廃した植林地は小動物が棲みにくい環境となり、ヤマネコにとってもえさをとるのに適した環境ではない。こういった生息地の減少・改変、そして、道路整備や河川改修などの開発による生息地の分断(下の写真)が、ヤマネコ減少の大きな要因だと大林レンジャーは説明する。 右:2002年1月、トラバサミ(狩猟用罠)に後肢を挟まれて肢を切断したツシマヤマネコ。その後、手当ての甲斐なく、死亡してしまったという。 冒頭で紹介した事故も含めると、1992年以降、交通事故だけで26頭もの死亡が報告されている【2】。1997年に環境庁(当時)が発表したツシマヤマネコの推定生息数が70〜90頭であることを考えると、身震いするような数だ。特に2000年には、1年間で6頭ものヤマネコが交通事故死している。ヤマネコの生息地を分断するように、道路が網の目のように張り巡らされている対馬では、ヤマネコは道路を横切らざるをえない。 それから、イエネコからの感染症。1996年に、FIV(ネコ免疫不全ウイルス)【3】に感染したヤマネコが発見されて以来、2000年に1頭、2002年に1頭、計3頭のFIV感染が確認されている。最初に確認されたウイルスのDNA調査の結果、イエネコ由来であることがわかった。 【2】 ヤマネコ死亡数イヌによる捕殺やトラバサミの事故、その他理由不明等、交通事故死以外の死因を含めると、1992以降、46頭のヤマネコの死亡が確認されている。つまり、死因の約6割(26頭)が交通事故ということになる。 【3】 FIV(ネコ免疫不全ウイルス)通称ネコエイズウイルス。おもにケンカなどの咬み傷から感染し、交尾では感染しないといわれている。有効なワクチンも治療法もないため、一度感染すると治ることはない。 FIVは、おもにケンカなどの咬み傷から感染するとされ、ヤマネコとイエネコとの接触があった可能性を意味している。FIV以外にも、さまざまなネコ科共通の病気【4】に感染するおそれがあり、イエネコ由来の感染症は、ツシマヤマネコの脅威となっている。 2002年に確認された3頭目は、ツシマヤマネコが高い密度で生息していると考えられる「田の浜」集落で捕獲されている。ツシマヤマネコの分布調査のために行っている自動撮影装置にもノネコ化したイエネコが写っており、ヤマネコの生息域と重なっていることもわかっている。また、イエネコの糞分析の結果、イエネコはヤマネコに非常に近い食性であることが指摘されており、イエネコはツシマヤマネコの生息を圧迫しているおそれがある。このような理由から、イエネコ対策は、緊急な課題の1つであると大林レンジャーはいう。 【4】 ネコ科共通の病気例えば、ネココロナウイルス(FCoV)、ネコ汎白血球減少症ウイルス(FPLV)、ネコウイルス性鼻気管炎ウイルス(FHV)、ネコカリシウイルス(FCV)など。 ←2000年12月に保護され、昨年12月から一般公開されている『つしまる』(愛称)。保護後の検査結果、FIVであることがわかったため、もう野生に帰ることはできない。一般公開は、ヤマネコの厳しい現状を広く知ってもらうため。地元島民でさえヤマネコを見た人は少なく、その効果は大きい。 大林レンジャーがいうように、ツシマヤマネコがおかれている現状は非常に厳しい。一方、現状を良くしようと、多くの人や団体が懸命に保護対策に取り組み、現在、その活動が活発化している。実際、どんな人が、どのように取り組んでいるのだろうか。その取り組みを追ってみた。 村山晶さん(30)。2004年6月16日、佐護小学校の1・2年生の生活科と3年生の総合学習にて。 「ここにはどんな生き物がおるとかな〜?」。「おった!おった!」。対馬市立佐護小学校(全児童36名)の1〜3年生の子どもたち15名は、目ざとく虫を見つけ、元気よく手のひらにのせてお姉さんに見せ付ける。お姉さんは「○○くんは、○○を見つけました〜!!」とみんなに知らせる。見つけた子どもたちの表情はちょっと誇らしげ。 そのお姉さん・村山晶さん(30)は、環境省対馬野生生物保護センターのアクティング・レンジャー(自然保護専門員)【5】。山形県生まれだが、対馬弁を巧みに操る。日本で獣医師の資格を取った後、アメリカの大学に3年間留学して「ワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理学)」を学び、2001年11月から同センターにアルバイトとして勤務。別に就職が決まっていたが、それを断ってアクティング・レンジャーとして対馬に残ることを決意。ツシマヤマネコの厳しい状況を見て、見過ごすことができなかったという。 一方で、野生動物の保護管理が当たり前のように仕事として成り立っているアメリカと日本との格差を痛感したともいう。村山さんは「ツシマヤマネコと地域が共存する姿を見届けたかったから」と本音を話す。 ツシマヤマネコの保護活動は、村山さんが働く対馬野生生物保護センターを中心として行われている。同センターでは、主に普及啓発や生息状況調査(痕跡調査や自動撮影など)、傷病ヤマネコの保護などに取り組んでいるが、近年、環境教育にも力を入れているという。2002年から、大人向けに「自然教室」を、また、子ども向けに「目指せ! ツシマヤマネコ博士」講座【6】を開催しているほか、昨年度から地元の小学校と協力しながら、学校教育の中で対馬の自然や、人と自然との関わりを学ぶ機会を取り入れている。昨年度は3校、本年度は2校で実施。先に紹介した佐護小学校はその内の1校である。村山さんは、そのコーディネート役を担っている。 【5】 アクティング・レンジャー(自然保護専門員)環境省が、2002年6月から、絶滅のおそれのある野生生物がいる全国5ヶ所(対馬、西表、奄美大島、やんばる野生生物保護センター、鳥海南麓猛禽類保護センター)に配置した職員。村山さんはその一人。 【6】 自然教室・ヤマネコ博士講座自然教室:島内外の専門家をむかえて、対馬の自然、野生生物保護、環境教育などをテーマに開催している。 ヤマネコ博士講座:「ツシマヤマネコ博士養成教室」、「ツシマヤマネコ痕跡探しハイキング」、「どこにいるのかな?(電波発信機体験教室)」と題した3つの講座を実施している。 自然教室とヤマネコ博士講座の様子は、環境省対馬野生生物保護センターHP(http://twcc.cool.ne.jp/ 以下参照)のコンテンツ「イベント情報いろいろ」にて紹介されている。 土づくりや人と自然とのかかわり、山・川・海のかかわりを子どもたちに説明する神宮正芳さん(59) 6月16日(水)は、地元の農家・神宮正芳さん(59)=対馬市上県町中山在住=を講師に、みんなで畑の土づくりについて学んだ【7】。 村山さんは、「堆肥には何が入っとる〜?」と一言。子どもたちは堆肥を触りながら「木くず!幼虫!ニワトリの卵の殻!米の殻!牛のウンチ!」と、すごい勢いで答える。 「どんな臭いがするとかな?」村山さんが問いかけると、子どもたちは、顔につきそうなぐらいに手を近づけて臭いを嗅ぎ、「レモンのにおいがする〜」と感じたことをはっきりと答える。 村山さんが「神宮さんの堆肥を使った畑を見せてもらいたい人?」と聞くと、元気よく「は〜い!」と答え、子どもたちは行き先も知らずに、はりきって走り出す。「神宮さんより先に行きよって、みんなどこに行くとね?」と先生が笑いながら注意する。とにかく島の子どもたちは元気がいい。 【7】 地元小学校への授業協力佐護小学校では、1・2年生の生活科の授業で、畑づくりを行い、野菜を収穫し、最後に学習発表会を行う。土づくり学習はその一環。3年からの総合的学習では、地元の自然や人と自然とのかかわりを学んでいる。 畑で土や堆肥を見学したあと、神宮さんは子どもたちをシイタケ農場に案内。「シイタケづくりは、森づくりに役立っています。シイタケは、どんぐりから育った木を利用してつくっています。山は川のともだち、川は海のともだち。だから、川でも海でもいろんなものが取れる。シイタケづくりをやめて、山を扱わなくなると、山と川と海のともだち関係が崩れてしまいます」。神宮さんは、自然のバランスや人とのかかわりについて、子どもたちに説明する。 佐護小学校1年生の担任で、対馬の生まれ育ちの畑島英史教諭(31)は、「自分が生まれ育った対馬のすばらしい自然を、子供たちにも誇りに思ってほしい」と語気を強めて話す。将来、このような環境教育の体験がきっかけとなり、この子どもたちが、対馬の自然を、ツシマヤマネコを誇りに思い、次世代を担ってくれるのだと信じて授業に取り組む姿が印象に残った。 対馬野生生物保護センターでは、2001年度から2003年度までの3年間、ヤマネコのための「生息環境づくり」にも取り組んだ。 「ヤマネコの生息環境づくりのためには、何ばやったらよかとですかね」同センターの職員が、地元の方々に尋ねて回ったところ、皆、「木庭作(こばさく)がよか」【8】と答えたとのこと。 約90%が山地で平地が少ない対馬では、木庭作と呼ばれる伝統的焼畑農業が一般的に行われていた。そこでは、いろんな穀物が作られ、ネズミなどの小動物も多く、ヤマネコのえさ場にもなっていた。そこにヒントを得て、「ヤマネコ保護の万能薬ではないかもしれないが、木庭作復活がヤマネコ保護を考える『きっかけ』になればと思い、ヤマネコのための環境づくりの一環として、木庭作を復活させた」と村山さんは説明する。 予想以上に、地元への反響は大きく、住民から「木庭作をしていた頃はヤマネコも多かった」と、昔を懐かしむ声を多数聞くことができたという。前出の神宮正芳さんは、木庭作復活に対する同センターの呼びかけに最初に応じてくれた方でもある。神宮さんは、「木庭作の復活は良い試み。畑のまわりにネズミの巣やヤマネコの糞も増えた」と話す。 島の人たちの生活や自然観に沿った自然保護政策を実践し、島の人たちを「共鳴」させた同センターの取り組みといえる。 【8】 木庭作かつて山間部で行われていた伝統的焼畑農法。山の斜面林を切り開き、枝葉を燃やし、ソバやムギ、アワなどの作物を栽培していた。木庭作は、地力を回復させる休閑期間と再度利用をくりかえす循環的農法でもある。対馬では、高度経済成長期以降、木庭作はほとんど途絶えてしまった。植林ブームもあいまって、畑の跡地にはスギ・ヒノキが植えられたという。ちなみに、九州ではコバ、中国ではキリハタ、富山や岐阜ではナギハタ、群馬や新潟ではカノなどと、焼畑にはいろんな呼び方がある。 そのほか、2004年の2月と3月に「ツシマヤマネコとともに生きる対馬の未来を語る」集落座談会を開催した。そこでは、島の人たちから、同センター職員も思いもしなかったような、いろんな意見や知恵・アイデアが挙がった。 「対馬には、100以上の集落があります。集落座談会を行ったことで、私たちが普段から地域に出て行くことの大切さを痛感しました。たくさんある集落の中には、対馬の自然を、そしてツシマヤマネコの保護を担うリーダーがたくさんいるはず。今までも多くのすばらしい人たちに出会うことができましたが、お会いできていない方々もまだ多くいらっしゃいます。私はそういう人たちに出会っていきたいんです」村山さんはそう話す。加えて、「座談会のような催しであれば、予算がなくても『人』がいればできます」と、とりわけ行動派で明るい村山さん。 ツシマヤマネコの保護は、島の人たちの理解や協力があってはじめて可能となる。特に、対馬は民有地が多く、地元の理解と協力は一層欠かせない。島の人たちと一緒に保護活動に取り組む村山さんは、まさにコーディネーター的存在といえる。 ツシマヤマネコが安心して暮らせる日がいつ来るかはわからないが、その日の到来に向けて、村山さんたち地域の取り組みは続く。 |
[ 86] EICネット[「ツシマヤマネコ保護に取り組む人たち」(前編)]
[引用サイト] http://www.eic.or.jp/library/pickup/pu040729.html
