生きとは?
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『生きがいについて』(神谷美恵子/みすず書房)を少しずつ読んでみることにします。その中からヒントをいただいて私が考えたことを書くことにします。 1 「生きがい」とは 2 感情としての生きがい感 3 生きがい感と幸福感 4 やりたいことと義務 5 生きがいを求める心 6 生きがいの特徴 7 生きがいのさまざま 8 生きがい喪失の苦悩 9 運命への反抗から受容へ 10 精神のよろこびを感じとる心 11 生きがいの大切さ 生きがいということばの使い方には、ふた通りある。この子は私の生きがいです、などという場合のように生きがいの源泉、または対象となるものを指すときと、生きがいを感じている精神状態を意味するときと、このふたつである。 私は、「幸せ」って何?と聞かれたら、「幸せの対象」と「幸福感」と答えるでしょう。ふつう「幸せ」と言っている場合、幸せの対象を指している場合と、幸せを感じることを指している場合があります。 幸せの対象は、夢、目標達成、生きがい、仕事、何かを手に入れる、愛、家族、誰か、人の役に立つ、社会に貢献する、いろいろな経験をする、生活を楽しむなどです。 ということで、私の「幸せ」についての基本的な考え方は、神谷美恵子さんのこの本での「生きがいは、生きがいの対象と生きがい感」というのを、そのまま「幸せ」に置き換えたものなのです。 ふーん、そうなのか。たぶん他の国の人たちは、みんな「ハッピー」(という意味の言葉)なのかもしれない、などと思いました。 生きがいを感じる心にはいろいろな要素がまざりあっている。これをもしざっと感情的なものと理性的なもののふたつに分けるならば、生きがい感の形成にはどちらが重要であろうか。 「あなたには生きがいがありますか?」と聞かれれば「ある」と答える人でも、「あなたは生きがいを感じて生活していますか?」と聞かれて「はい」と答えられない人もいると思います。 頭(理性的なもの)では生きがいだと考えられても、生きがいを感じられないのではあまり価値がないのではないでしょうか。 生きがいを探す時に重要なのは、自分がよろこびや生きがいのようなものを感じられるかどうかだと思います。 生きがいには、大きな生きがいもあれば、小さな生きがいもあります。大きな生きがいを見つけるのには時間がかかるかもしれません。小さな生きがいならすぐに見つかるでしょう。自分がすでに持っている小さな生きがいを探してみることをおすすめします。とりあえず小さな生きがいを持って大きな生きがいを時間をかけて探し続ける、というのが現実的な方法ではないでしょうか。 やりたいことが義務(学業/仕事/家事/育児など)と一致していることはすごく幸せなことだと思います。 そうするためには、やりたいことを仕事に選ぶか、自分の仕事にやりがいを見いだしてやりたいことにしていくかだと思います。 神谷美恵子さんは、人が生きがいを求める心として、生存実存感への欲求/変化への欲求/未来性への欲求/反響への欲求/自由への欲求/自己実現への欲求/意味と価値への欲求を挙げています。 人の心の中には、「生きがいが欲しい」「幸せになりたい」というような思いがきっとあるのだと思います。(「生きがいがあったらいいでしょう?」とか「幸せになれたらいいでしょう?」とか聞かれたら、みんな「はい」と答えるでしょう) だから、無意識にそういうことを強く思わないようにしているのかもしれません。単に何も考えていないのかもしれませんが。 生きがいが欲しい人は生きがいを探してみればいいし、幸せになりたい人はそうなれるように努力してみればいいでしょう。そうすれば得られる可能性はあります。あきらめなければ、きっと自分なりの生きがいや幸せを手に入れることができると思います。それには少し時間がかかるかもしれませんが、「生きがいがあったらいいな」「幸せになれたらいいな」くらいのちょっと軽い気もちになれれば努力も続くのではないでしょうか。そういう生き方をしている自分も好きになれるような気もします。 第二の特徴は、生きがいというものが、生活をいとなんで行く上の実利実益とは必ずしも関係がないということである。 私はこのHPにやりがいや生きがいを感じられます。(うれしいメールやゲストブックへの書き込みなどで、よく) 幸せも同じで、自分が幸福感を得られるのなら何でもいいし、いろんな幸せをそれぞれのバランス・価値体系で大切にすればいいのだと思います。 神谷美恵子さんは、人が生きがいを求める心(前々項)の7つの欲求に従い、生きがいのさまざまを挙げています。 生存実存感への欲求をみたすもの。審美的観照(自然、芸術その他)、あそび、スポーツ、趣味的活動、日常生活のささやかなよろこび。 反響への欲求をみたすもの。共感や友情や愛の交流。優越または支配によって他人から尊敬や名誉や服従をうけること。服従と奉仕によって他人から必要とされること。 自己実現への欲求をみたすもの。特殊な才能をもって文化の各方面に独特な貢献をする。ささやかな文芸活動や織物や料理など。「創造のよろこび」 自分が生きがいだと思えれば、思い込みでも何でもいいのです。自分の好きなものややりたいことを生きがいだと思っていいのです。日常的な生きがいでもいいのです。たとえば、一日の終わりにビールを飲んで「あー、最高。生きててよかった」とか、子どもの寝顔を見て「これが生きがい」とか思ってもいいわけです。 生きがいを感じやすいものとしては、「夢や目標」と「人の役に立てること」があります。また、その中で「自分を活かせること」や「充実感を感じられること」などがポイントになります。そして、続けていくためには「好きなこと」や「愉しめること」が重要です。 神谷美恵子さんは、生きがいをうばいさるものとして難病にかかること/愛する者に死なれること/人生への夢がこわれること/罪を犯したこと/死に直面することを挙げ、生きがいの喪失には苦しみや悲しみが伴うことを書かれています。その上で、苦悩の意味について次のように書いています。 苦悩がひとの心の上に及ぼす作用として一般にみとめられるのは、それが反省的思考をうながすという事実である。苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。そこにさまざまの感情や願望や思考の渦がうまれ、ひとはそれに眼をむけさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己にめざめるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。 それが自分の幸せにつながるのなら、長い目で見れば苦悩も悪いことではなく、むしろいいこと(経験/きっかけ)です。 生きがいをうしなったひとが、もし忍耐を持つことができれば、長い時間の経つうちには、次第に運命のもたらしたものをすなおに受け入れることができるようになるであろう。避けることのできないものは受け入れるほかはないという、いわばあたりまえのことを、理くつでなく、全存在でうけとめるようになるであろう。 どんなに不幸な出来事があっても、時がたてば受け入れることができるのだと思います。人間にはそういう能力があるのだと思います。 頭(理屈)では受け入れられなくても、いずれはその事を忘れて生活できるようになります。それは、現実としては受け入れたことになるのだと思います。 どうせいつかは受け入れるのなら、必要以上に運命に反抗して苦しまないほうがいいのではないでしょうか。 一時的につらいのはしかたがありません。悲しさや苦しさをそのまま受け入れ、いつかはふつうに暮らせる時がくることを信じて、今できることをして時を待てばいいのではないでしょうか。そのうちに「歩き出そう」というような気もちになれる時がきっとくると思います。 生きがいをうしなったひとが、精神の世界に新しい生きるよろこびをみいだすとしたら、どんなものがありうるだろうか。 神谷美恵子さんは精神のよろこびとして、認識と思索のよろこび/審美と創造のよろこび/愛のよろこび/宗教的なよろこびを挙げています。 私は、美しい自然や心地よい音楽や美味しいものや心が美しい人が好きです。心に伝わる文章や芸術や作品との出会いによろこびを感じます。 私は、文章を書くことが好きです。それが少しでも人の幸せの役に立てることに大きなよろこびを感じます。 ささかな生きるよろこびを感じられることは、私たちのまわりにたくさんあるのだと思います。それを感じとる心を自分がもてるかもてないかが問題なのでしょう。 神谷美恵子さんはハンセン病療養施設の長島愛生園に勤務した精神科医です。愛生園で療養するハンセン病(当時は、「らい」という病名)患者の中には、生きがいを失い生きることに絶望する人も多かったようです。でも、そんな中でも生きがいを見いだせた人たちもいたのです。 たとえば著者の調査でも、「病気になる前とくらべて私の気持は・・・」という刺激語に対して次のような反応を記したひとびとのなかにはその例があろう。 神谷さんご自身も、肺結核や子宮がんを乗り越えた経験を持ち、生きがいの大切を実感されていたのだと思います。 でも、それだけではもの足りないという人も多いでしょう。そういう人は「夢をもって生きること」または「愛をもって生きる(人を幸せにすることを自分の幸せとする)」ことをおすすめしたいと思います。 「生きがい」というのは継続するものです。だから自分の生きがいを一度持てば、長い期間に渡ってイキイキと生活することができるのです。 |
[ 104] 『生きがいについて』神谷美恵子
[引用サイト] http://www.din.or.jp/~honda/tokio14d.htm
