輝きとは?
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でも、気に入らない人は約20分後に映画が始まりますので、どうぞご自由におトイレなど行ってきてきてください。 個人的な話からしますと、というかいきなり感性による鑑賞の話からすれば、僕は今日の映画で出てくるナタリー・ウッドが大好きです。解説をしていることなどを全て忘れて好きな女優なのです。特に後半のナタリー・ウッドが最高です。これは彼女が『ウェストサイド物語』に出ていることも大きいのですが、『ウェストサイド物語』が好きだというのも本当に恥ずかしいのですが、それは小さい頃に初恋の人に出会って、後でどうして?と聞かれるようなもので、映画と人生との関わりは、どういう世代にどういう映画を観たかでずいぶんと違ってくるものだと思っています。青春時代のことだって、どうしてあんなバカなことを、と言われても明確な答えを持っている人は少ないと思います。 それでナタリー・ウッドはこの『草原の輝き』の時がもっとも輝いていたと信じています。『理由なき反抗』に出ていたナタリー・ウッドはまだまだきれいではありませんが、『ウェストサイド物語』『草原の輝き』と本当にきれいになっていきます。 確か、ハーバード大学の学生だったと思いますが、彼女をワースト女優に選んだ時も大喜びで大学生たちと一緒にスクーターに乗ってはしゃいでいる写真が残っています。 普通は、世間体とか考えて、二度結婚するなんてことはないじゃないですか。それをやってのけたというだけで、きっと素晴らしい女性だと思います。会ったことがないのでわかりませんが…。 ギリシャ系の移民でアメリカにやってきた人で、これはカザンの自伝的映画『アメリカ・アメリカ』の中で描かれています。演劇青年あがりというか、演劇が好きで「アクターズ・スタジオ」Actors' Studioで演劇を学びます。「アクターズ・スタジオ」で学んだ役者としてはジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド、ポール・ニューマンが知られています。マリリン・モンローも自分を磨こうとして参加したことがあります。『バス停留所』が彼女の成果だと言われています。 「アクターズ・スタジオ」を簡単にいってしまえば、スタニスラフスキー・システムといって、人間の社会的分析、つまり、実生活や内面を重視しようというものです。 カザンも移民ですから、当然、差別と戦ってきた訳で、これはグレゴリー・ペックが出た『紳士協定』の中で描かれています。『紳士協定』というのは一人のジャーナリストが、アメリカの反ユダヤ主義を調査するため、自らユダヤ人と偽って取材をするお話です。ユダヤ人の立場になって初めてさまざまな差別が見えてきます。フィアンセも離れていってしまします。出版社自体にも存在する偏見と闘いながら、真実を追究していくお話です。 立派な映画なのですが、カザンというと触れなければならないことがあります。「赤狩り」の問題です。いわゆるマッカーシズムがアメリカの映画界を吹き荒れた時に、カザンは友人と売ってしまいます。これはハリウッド最大の汚点の一つだとされます。でも、人間ていうのはそんなに強くなれない、と秘かに思います。後から他人が断罪するのは簡単ですが、まっただ中にいる人は難しい決断を迫られます。ちょうど、自分だけの青春を誰からも責めてほしくない気持ちと同じだと思います。 『草原の輝き』の時代は1920年代です。1920年代というのは20世紀というものがどんな世紀になるか決定した年代です。ウィーンでもアメリカでも20年代というのは黄金の時代です。 この20年代のアメリカについてアレンという人が『オンリー・イエスタデー』という本にまとめています。日本では同じようなタイトルで山崎正和が『オンリー・イエスタデー60's』という本を書いています。ちなみに、日本の60年代というのは東京オリンピックがあって一挙にカラーテレビが普及した時代です。高度成長期が石油ショックまで続きます。アメリカの20年代はラジオの時代です。どちらもマスメディアが発達して、高度成長に沸いた時代です。 「アスピリン・エイジ」aspirin ageという人もいました。つまり、頭がクラクラするくらい浮かれていたために、鎮痛剤のアスピリンを飲んでいた時代だということです。 「ローリング・トゥエンティーズ」Rolling Twenties、つまり「揺れる20年代」という人もいます。作家で言うと『華麗なるギャツビー』を書いたスコット・フィッツジェラルドがいます。 1929年が大不況が始まった年ですから、それまではみんなラジオを聞いて、株を買って、大儲けしたと思っていた時代です。70年代の反省の時代を経て、今の日本も似たような時代だと思います。先日も就職担当の人が「馬鹿でもいいから学生ください」なんて話していました。 この映画に出てくるディーニーという女性、これはナタリー・ウッドですが、ディーニーは開拓以来の保守的な考え方をもった親に育てられています。一方、ウォーレン・ビーティ、ベイティというのが本当らしいですが、演じているバッドの親は成金で粗野で、女性を二分して考えて平気な俗物です。バッド自身もそういう親の考えで育っています。親の考え、恋人の考え、自分の考えが交錯して、悲劇が生まれます。 ウォーレン・ビーティは、ご存知だと思いますが、『アパートの鍵貸します』などで有名なシャーリー・マックレーンの弟ですね。 『俺たちに明日はない』で圧倒的な演技を見せました。今ではハリウッドの帝王になっています。ナタリー・ウッドと婚約していた時代もあります。 作家の村上春樹は川本三郎と一緒に書いた『映画をめぐる冒険』(講談社)の中で、『草原の輝き』について、「この映画のことを想うとき、いつも哀しい気持ちになる」「あるいは僕の涙腺が弱すぎるせいかもしれないが、観るたびに胸打たれる映画というのがある。『草原の輝き』もそのひとつである」と書かれています。ナタリー・ウッドについては「青春というものの発する理不尽な力に打ちのめされていく傷つきやすい少女の心の動きを彼女は実に見事に表現している」と言います。 うまいなぁ、文章が、と思いますが、考えてみると、『草原の輝き』と村上が昨年出した『ノルウェイの森』は似ていることに気づきます。ストーリーに触れるのでこれ以上はいいませんが、二つの作品は共鳴しあっているように見えます。『ノルウェイの森』を読んでいない人は是非、お読み下さい。最後のシーンのナタリー・ウッドのきれいさ、潔癖さというのは何度見てもいいものです。ただものではない美しさが漂っています。こちらはナタリー・ウッドで、あちらはノーウィージャン・ウッドだというのは冗談です。忘れてください。 この映画のタイトルともなっている詩はワーズワースの「幼年時代を追想して不死を知る頌」という詩です。僕が暗唱している唯一の詩ですから、ご紹介します。 インジはモンローの出た『バス停留所』とか、『ピクニック』が一番有名だと思いますし、これでピュリツァー賞を取りました。あのウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァックが出た映画ですね。 『ピクニック』でも問われたのは人間の心の奥にある欲望というものでした。日本映画で一番近いのは今井正監督の『婉という女』があります。大原富枝が土佐の野中兼山の娘を描いたものです。兼山の娘として、小さい頃から幽閉されて育つ女性の人生を描いたものですが、そうした女性に蠢く気持ちというのがよく描かれた作品です。 そして、この『草原の輝き』はインジの同じ系列にある映画で、インジはこの映画のためにオリジナルのシナリオを書いています。 小説で孤独と幻滅を描いた作品が多いのですが、インジ自身、成功したにもかかわらず、結局、自殺してしまいました。その意味でも、この映画は実に淋しい作品です。でも、青春の輝きの一瞬をとらえたすばらしい映画になっています。ナタリー・ウッドの輝きそのものが青春の輝きになって見えてきます。 もう忘れていたのだが、99年の10月に解説の時のメモが出てきて、そのまま復刻?する気になってしまった。 でも、自分自身には草原の輝きと呼べるような時期がなかったような気がして、こうして書いていても涙が出てくる。 こんにちは。「草原の輝き」はいい映画ですね。僕は大好きです。でも「ノルウェーの森」を書くときにこの作品を意識したかというと、とくには意識していません。映画と小説って、やっぱりリズムが違いますので。 僕はこの映画を見る前に、映画のシナリオを何度も何度も読んで、筋を覚えてしまっていました。それでそのあとで実物の映画を見たんだけれど、ぜんぜん違和感がなかった。イメージのまんまだった。不思議ですね。不思議じゃないのかな。 「ノルウェーの森」を映画にするつもりは、誰が監督をするとしても、いまのところありません。あれは活字だけでこそっと置いておきたいのです。 |
[ 36] 『草原の輝き』前説 〜青春と葛藤
[引用サイト] http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/cinema/splendor.html
