板野とは?
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高校3年のときにスタジオムサシでのテレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』の動画からアニメーターとしてのキャリアをスタート。幼少期に読んでいた漫画『鉄人28号』『サブマリン707』の影響でメカ好きになり、メカのカットばかりこなしているうちに、いつの間にかメカ専門になったという。同僚森山ゆうじとのフリー活動、スタジオコクピットを経て、ムサシの先輩だった浜津守の誘いでテレビアニメ『機動戦士ガンダム』に参加。同作で1979年に原画へ昇格を果たす。次いでスタジオビーボォーに籍を置き『伝説巨神イデオン』に参加。この両作品で安彦良和、湖川友謙(ビーボォー主宰)らベテランから作画技法を学ぶ。独自のアクション演出を磨き、イデオンの「全方位ミサイル発射シーン」や多数の重機動メカ、アディゴが乱舞する戦闘シーンなどで注目を集めた。 1982年、スタジオぬえの河森正治に誘われ、同僚の平野俊弘らとアートランドへ移籍し、『超時空要塞マクロス』に参加する。主役メカバルキリーの斬新なデザインに惚れこみ、メカニック作画監督として個性を存分に発揮。かつてないスピーディーでアクロバティックな戦闘シーンは板野サーカス(後述)と称され、メカ好きのアニメファンを喜ばせた。マクロスは板野の代表作となり、その後のマクロスシリーズでも河森とのコンビで”高水準”のメカアクションを発表している。 1985年のOVA『メガゾーン23』は演出を手掛けるきっかけとなった(声優としても1セリフだけ出演)。1986年の続編『メガゾーン23 PartII 秘密く・だ・さ・い』で監督デビュー(メカ作監兼)。以後、次第にアニメーターとして作画を行なうことは少なくなり、アニメ演出家としての仕事に比重を移した。同年12月にはアートランドから独立し、結城信輝、本谷利明、門上洋子、森川定美を擁してD.A.S.Tを結成。OVAを中心に『エンゼルコップ』シリーズなどのアクション作品を監督した。 1994年の『マクロスプラス』で久々に作画を手掛けた後は、セルアニメからCGの可能性に目を向け、ゲームや特撮作品のCGモーション監修にも活動を広げた。2002年のOVA『マクロス ゼロ』、2004年の『ULTRAMAN』、『ウルトラマンネクサス』以降のウルトラシリーズなどに参加し、新たなアクション演出を模索している。 板野一郎が演出する立体的超高速戦闘アクション、または、その特徴を踏襲したアクションシーンを指す。『伝説巨神イデオン』の演出がアニメ業界で話題を呼び、メカの軽快な動きをサーカスの空中曲芸に喩えてこう呼ぶようになった。 従来のロボットアニメの戦闘シーンは西部劇や時代劇のような銃や刀を使った「決闘」の様式をとり、ロボットの重厚感やポージング(決めポーズ)が演出の要点とされていた。これに対し、板野は敵味方が高速で縦横無尽に飛び回る「空中戦(宇宙空間戦)」を舞台に、目まぐるしいスピード感やアクロバティックな動きで新たな見せ場を作った。 その原点は少年期に観たハカイダーのオートバイからミサイルが発射されるシーンで、学生時代それを真似て愛車のフロントフォークにロケット花火を取り付け、海岸で走行中に一斉に打ち出すという遊びを行っていた。その花火と並走した体験をアニメ表現に当てはめたのが、三次元感覚の画面構成である[1]。また、撮影レンズやフレームの変化など、カメラワークの工夫でスピード感をより強調している。実体験の応用という点でアニメ業界人としては異色の肉体派であり、「バトルアニメーター」の異名をもち、数々の逸話(後述)を残している。 ロケット花火遊びから生まれた板野サーカスの代名詞。従来のロボットアニメではサブウェポン扱いだったミサイルに着目し、破壊力よりも「弾数の多さ」でけれん味を出している。 ミサイル群は絡み合うような複雑な軌道をとり、糸引く白煙で立体的かつ芸術的な航跡を描く。その模様から通称「納豆ミサイル」とも呼ばれる。同じミサイルでも標的へ一直線に飛ぶ「優等生タイプ」、標的の機動を予測して先回りする「秀才タイプ」、目立とうとジグザグに飛ぶ「劣等生タイプ」と個性を分けて演技させている。また、それらを緊急回避する標的機の機動も見所になっている。 撮影カメラが被写体の位置により、遠距離では望遠レンズ、中間では標準レンズ、手前では魚眼レンズに切り替わるように描き、画面の奥行きやスピード感を印象付ける(例えば、画面奥で発射されたミサイルが、望遠像から手前に近づくほどワイドな屈曲像に変化する)。板野はこれを「画角アニメーション」と呼んでいる。 スカイダイビングの空中撮影のように自在に移動するカメラワーク。主観的な視点で被写体を追いかけ、フレームイン・フレームアウトを交えて臨場感を味あわせる。マクロスシリーズの3Dシューティングゲームでは、プレイヤーの機体をカメラで撮影しているように見せる「バリアブルビュー」の監修を行っている。 破壊対象物の構造を考え、被弾による内部誘爆(代表例としてダイダロスアタックの敵艦破壊シーン)、衝撃波による崩壊などのプロセスを描き分ける。円形から三日月型に明滅する無数の爆発光も特徴。 原画マン時代からキャラクターの首が飛ぶ、頭が潰れるなどの過激なスプラッター描写が多い。テレビアニメではぼかされるが、映画やOVAではかなり残酷なシーンがあり、海外輸出版で全カットされるケースもあった。 1970年代末からアニメのアクションシーンを彩る特殊効果(エフェクト)が注目され始め、作画監督の個性的な技量が注目され始めた。金田伊功がダイナミックなパースや爆発を駆使する「金田アクション」で人気を博した後、板野がアクロバティックな板野サーカスを登場させ、これらの技法は当時普及し始めたビデオデッキのコマ送りで分析され、後進のアニメーターに影響を与えた。 板野曰く、板野サーカスを完全に会得しているアニメーターは庵野秀明、後藤雅巳、村木靖の3人だけらしい。[要出典]庵野はアニメ界の師匠として板野と宮崎駿を挙げ、「妥協しない創作姿勢を教えられた」と語っている[1]。後にミサイル乱射などのアクション演出は一般化し、『ほしのこえ』のような個人制作アニメでも再現がみられるが、河森は「美しく見せたりスピード感のあるミサイルを描けるアニメーターはいるが、板野のような"痛いミサイル"を描ける人は少ない」と語っている 。 なお、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のビデオで板野サーカスを観たハリウッド映画関係者が、映画『トップガン』の空撮シーンのヒントにしたという説がある[2]。英語版Wikipediaには'Itano Circus'(板野サーカス)以外に'Macross Missile Massacre'(直訳すればマクロス・ミサイル大虐殺)という項目も存在する。 アニメーターになったのは高校停学中たまたま募集広告を目にしたからで、就職することで親を安心させるという目的もあった。 動体視力を鍛えると称し、オートバイでトラックやバスの隙間をすり抜ける。「BSアニメ夜話」出演時には、自己紹介で「日本の子供たちの動体視力を上げたと思っています」と述べた。 『機動戦士ガンダム』ではエルメスのビットを速く動かすため、演出家に内緒でタイムシートを描き換えた。この仕上がりを見た富野由悠季監督からセンスを認められた。 『超時空要塞マクロス』では殺人的なスケジュールのため吐血や血尿で2度入院。医者に即入院と言われながら、カブに乗って8時間耐久レースに出場した。 『メガゾーン23』ではオートバイに撮影機材を取り付け、東京都内を走ってロケハンした。ちなみに当時の愛機は黒のホンダ・VT250F。ドクロマークをあしらい、マクロスのロイ・フォッカー機を模した仕様。 『マクロスプラス』制作時、河森とアメリカに渡り模擬空中戦を体験。パイロットの極限状態を体験するため教官に無断で操縦桿を引き、急上昇飛行でブラックアウトを味わった。 漫画『プラモ狂四郎』に登場するオリジナルガンダム、”パーフェクトガンダム”の本当の生みの親でもある。 2005年 ウルトラマンマックス (CGIモーションディレクター、怪獣デザイン(バグダラス、ケサム)) カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本のアニメーター | 横浜市出身の人物 | 1959年生 |
[ 153] 板野一郎 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E9%87%8E%E4%B8%80%E9%83%8E
