モスクワとは?
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この項目では都市について記述しています。その他のモスクワについてはモスクワ (曖昧さ回避)をご覧ください。 モスクワ(ロシア語: Москва?, マスクヴァー、IPA: [mas?kva] 発音! ?、「モスコー」とも)はロシア連邦の首都。連邦市として市単独でロシア連邦を構成する89の連邦構成主体のひとつとなっている。漢字による当て字は莫斯科。 北緯55度45分、東経37度37分に位置する。市の中心をモスクワ川が流れる。面積は1,091 km2 1147年にキエフ大公国のユーリー・ドルゴルーキー(手長公)が会合を行った場所として言及されるのが最古の記録である。1156年に砦が築かれて以来、ロシア帝国の起源となったモスクワ大公国が興った。1712年にサンクトペテルブルクに首都の座を譲ったが、ソビエトによって1918年に首都に戻され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト社会主義共和国(現在のロシア連邦)の首都となった。かつては冷戦による対立関係があったアメリカのワシントンと共に、モスクワは世界の首都として二分した。ソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在人口1000万を超えるロシアの政治経済の中心である。 市内の主要な公共交通機関は地下鉄をはじめ、バス、トロリーバス、路面電車、タクシー、乗合タクシーなど。 レニングラード駅(レニングラードは1991年にサンクトペテルブルクに改名されているが、駅名はそのままである。) 地下鉄11路線に加えて、地下鉄路線の終点を起点とした高架線主体のライトメトロ(лёгкое метро)2路線(1路線は建設中)、およびモノレール1路線がある。 路線や駅にもよるが、きわめて深い場所に作られた豪華な装飾の駅と、地上と駅を結ぶ長い超高速エスカレーターはモスクワ地下鉄の特徴である。 市内および市郊外に4つの空港がある。国際線が発着するのはシェレメーチエヴォ国際空港(I,II)とドモジェドヴォ空港と、カフカス方面のヴヌーコヴォ国際空港の3つ。ほかにビコボ空港がある。 ソ連発足以来政治・経済・文化の中心であるはずのモスクワの出身者はなぜか最高指導者になれないと言うジンクスが存在する ベルゴロド州 | ブリャンスク州 | ヴラジーミル州 | ヴォロネジ州 | イヴァノヴォ州 | カルーガ州 | コストロマ州 | クルスク州 | リペツク州 | モスクワ州 | オリョール州 | リャザン州 | スモレンスク州 | タンボフ州 | トヴェリ州 | トゥーラ州 | ヤロスラヴリ州 | モスクワ市 カレリア共和国 | コミ共和国 | アルハンゲリスク州 | ヴォログダ州 | カリーニングラード州 | レニングラード州 | ムルマンスク州 | ノヴゴロド州 | プスコフ州 | サンクトペテルブルク市 | ネネツ自治管区 アディゲ共和国 | ダゲスタン共和国 | イングーシ共和国 | カバルダ・バルカル共和国 | カルムイク共和国 | カラチャイ・チェルケス共和国 | 北オセチア共和国 | チェチェン共和国 | クラスノダル地方 | スタヴロポリ地方 | アストラハン州 | ヴォルゴグラード州 | ロストフ州 バシコルトスタン共和国 | マリ・エル共和国 | モルドヴィア共和国 | タタールスタン共和国 | ウドムルト共和国 | チュヴァシ共和国 | ペルミ地方 | キーロフ州 | ニジニ・ノヴゴロド州 | オレンブルク州 | ペンザ州 | サマラ州 | サラトフ州 | ウリヤノフスク州 クルガン州 | スヴェルドロフスク州 | チュメニ州 | チェリャビンスク州 | ハンティ・マンシ自治管区 | ヤマロ・ネネツ自治管区 アルタイ共和国 | ブリヤート共和国 | トゥヴァ共和国 | ハカス共和国 | アルタイ地方 | クラスノヤルスク地方 | イルクーツク州 | ケメロヴォ州 | ノヴォシビルスク州 | オムスク州 | トムスク州 | チタ州 | アガ・ブリヤート自治管区 | ウスチオルダ・ブリヤート自治管区 サハ共和国 | カムチャツカ地方 | 沿海地方 | ハバロフスク地方 | アムール州 | マガダン州 | サハリン州 | ユダヤ自治州 | チュクチ自治管区 アレクサンドロフ | ボゴリュボヴォ | ゴロフォヴェツ | グス・フルスタルヌイ | イワノヴォ | キデクシャ | コストロマ | モスクワ | パレフ | ペレスラヴリ・ザレスキー | プリオス | ロストフ | セルギエフ・パサド | スーズダリ | ツターエフ | ウグリチ | ウラジーミル | ヤロスラヴリ | ユーリエフ・ポリスキー |
[ 148] モスクワ - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF
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ソビエトは1952年のヘルシンキオリンピックでオリンピックに初参加してから、常に国別のメダル争いで上位に立ち、ステートアマと呼ばれるトップ選手の金メダル獲得を国威発揚に活用していた。その集大成として、自国の首都・モスクワでのオリンピック開催を目指すようになった。 一方、オリンピック自体は巨大化の弊害が見え始め、1972年のミュンヘンオリンピックでのテロ事件などもあり、開催都市への負担が大きくなってきた。その中で、スポーツ大国のソビエトが運営を全面的に担うというモスクワ開催は支持を集め、1980年夏季大会の開催が決定された。 開催の決定を受けて、大会施設の建設が急ピッチで行われた他、旧態化していたモスクワの空の玄関であるシェレメーチエヴォ国際空港のターミナルの大幅改修なども行われた。 1980年1月 - アメリカのカーター大統領が大会ボイコットの方針をアメリカオリンピック委員会に伝え、他の西側諸国にも同調を求めた。 1980年2月 - 日本政府はアメリカに従い大会ボイコットの方針を固めた。一方、日本オリンピック委員会(JOC)は大会参加への道を模索した。 1980年4月 - 日本政府の最終方針としてボイコットがJOCに伝えられた。多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。 1980年6月11日 - JOC常任委員会、モスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)を承認し、同時に大会への不参加を確認する。 日本以外では西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていた中国を含む50カ国近くがボイコットを決めた。 一方で、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。ただし、例えばイギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。そのため、優勝時には国旗の掲揚と国歌の演奏が行われず、五輪旗と五輪賛歌が使用された。また開会式では、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。 この他、モントリオールオリンピックでは南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に絡んで大量のボイコット国を出したアフリカ諸国は多くがオリンピックに復帰した。 この大会に前後して、西ドイツのポップグループであるジンギスカンがモスクワをモデルにして作った曲『めざせモスクワ』が世界的にヒットした。西ドイツはモスクワオリンピックをボイコットしたにもかかわらず、これが縁でジンギスカンはモスクワオリンピックに招待された。 日本でもバオバブシンガーズ(声優たちのユニット)やダークダックスによってカヴァーされた。前者はオリンピックを意識した歌詞、後者は日本ボイコットの影響か、オリンピックとまったく関係ない歌詞だった。 日本では、テレビ朝日系列(製作は朝日放送)にて開催の前年からこのマスコットを主人公とした『こぐまのミーシャ』というアニメが放映されていた。主題歌にはロシア語の単語も使われていた。 日本ではそれまで夏季五輪についてはNHKと民放が共同で中継していたが、この大会では1977年にテレビ朝日系列(当時の正式社名は全国朝日放送)が独占放映権を獲得した。しかし、日本のボイコットが決まったため、中継体制は大幅に縮小され、深夜の録画放送のみとなった。 なお、この前にテレビ朝日の重役で「怪物」と呼ばれた三浦甲子二がソ連の高官と会っていたことから、チュメニ油田に絡む黒い噂を含む怪文書が流れたことがある。 西側諸国の多くがボイコットした事で、大会は東側諸国のメダルラッシュとなった。キューバを含めた東側諸国の経済協力機構であるコメコン加盟国全体では161個と、全204個の金メダルのうち79%を占めた。 特にソビエトは自国開催の強みを最大限に発揮し、元来の得意種目の重量挙げや射撃系に加え、アメリカが不参加の競泳や陸上、日本が不参加の男子体操やバレーボールで順調に金メダルを獲得した。金メダル80個はロサンゼルスオリンピックでのアメリカの83個に次いで、一つの大会での2番目の獲得記録となっている。 一方、東側諸国に押され気味の西側諸国の中ではイギリスが陸上男子のトラック競技で健闘し、100mのウェルズ、800mのオヴェット、1500mのコーと3つの金メダルを獲得した。 アレクサンドル・ディチャーチン - 男子体操団体総合、個人総合他。金3個、銀4個、銅1個を獲得し、アテネオリンピックのマイケル・フェルプスと並ぶ個人の一大会最多獲得メダル記録を持つ。ソビエト。 ウラジミール・サルニコフ - 男子競泳自由形1500m。人類史上初の「14分台スイマー」。ソビエト。 ビルギット・フィッシャー - 女子カヤック。この大会からアテネオリンピックまで金8個、合計12個のメダルを獲得。東ドイツ。 ワルデマール・チェルピンスキー - 男子マラソン。モントリオールオリンピックに続く2連覇。東ドイツ。 ジンバブエ女子ホッケー代表 - 西側諸国のボイコットにより急遽繰り上げ出場となり、オリンピック初実施の同種目で同国初の金メダルを獲得。 大会そのものは事件もなく平穏に終わったが、西側諸国の集団ボイコットによりその権威が失墜した事は疑いがなかった。閉会式のミーシャの涙に象徴されるように、ソビエトの失望と怒りは深く、次のロサンゼルスオリンピックでは東側諸国を巻き込んだ報復ボイコットにつながった。 大会後、IOCのキラニン会長は退任し、サマランチが新会長となった。これ以上の大量ボイコットを避ける為の政治的独立と、その裏付けになる経済的自立を志向し、結果的にテレビ放映権や大型スポンサー契約に依存する商業主義への傾斜を強め、プロ選手の出場解禁に道を付けた。 自国開催のソビエトの選手には金メダル獲得が義務付けられ、他の東側諸国でも似たような状況となった。その結果、組織的なドーピングが行われ、後に多くの選手が健康被害を受ける事になったと言われている。 不本意ながら政府のボイコット指示を受け入れざるを得なかったJOCはその基盤強化の必要性を痛感し、1989年に日本体育協会から独立した財団法人化が実現した。 種目によっては、世界トップレベルの大会への参加に8年間の空白が大きなマイナスに作用した。ローマオリンピックから続けた5連覇が自動的に途絶えた男子体操団体の金メダル奪回はアテネオリンピックまで待つ事になり、バレーボールは男女とも未だに金メダルの再獲得に至っていない。また、本大会から遠ざかった競技もあり、男子バスケットボールとホッケー、女子ハンドボールは30年以上出場できていない。 個人の競技者でも、4年間の目標が自分達の手の届かない理由で奪われた事への失望は大きかった。当時金メダル確実と言われた高田裕司は引退を決意し(後に復帰)、瀬古利彦や山下泰裕などは4年後を待つ事になった。この他、長崎宏子が史上最年少の11歳、夏季五輪では初めての小学生の五輪代表選手(冬季は稲田悦子がいる)となったが、出場はできなかった。シングルスカルの津田真男はほとんど一人の力で代表の座を勝ち取ったが、やはり出場はかなわなかった。後に、山際淳司の短編集「スローカーブを、もう一球」(「江夏の21球」が収録)で「たった一人のオリンピック」として紹介された。津田はその後、各地で開催されたレガッタの常連となった。 日本は1981年のIOC総会で1988年名古屋オリンピックの招致に失敗した。開催都市に選ばれたのが韓国のソウルなので、五輪ボイコットの影響を図る事は困難であるが、決選投票直前まで有利と言われていただけに、特に東側諸国の心証にマイナスに作用した事は想像される。 テレビ朝日は社名変更に続く大改革の柱だったオリンピック独占中継の価値が大暴落し、大きなダメージを負った。ただ、この中継に備えて大量に採用したアナウンサー達から、現在フリーとなった古舘伊知郎を始め、佐々木正洋、宮嶋泰子、吉澤一彦、渡辺宜嗣といった、現在でも現場で活躍するメンバーが多く輩出されるという副産物があった。 なお、開催が決定したロンドンの招致委員長が、この五輪で男子陸上1500m金メダリストのセバスチャン・コーである。 家族対抗オリンピッククイズ - テレビ朝日系で1979年8月 - 10月に月曜19:00 - 19:30(JST)に放映されたクイズ番組。タイトルはモスクワオリンピックにちなんだもの。司会は長門裕之。 この項目「モスクワオリンピック」はオリンピックに関する書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。(PJオリンピック/P:スポーツ) カテゴリ: モスクワオリンピック | テレビ朝日のスポーツ番組 | オリンピックに関するスタブ |
[ 149] モスクワオリンピック - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
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モスクワは言うまでも無くロシア連邦の首都であり、ロシア経済の中心でもある。89ある連邦構成主体の中でも最も重要な都市であり、サンクト・ペテルブルグと並んでロシアの代表都市である。 モスクワ市の面積は994,8平方km、東ヨーロッパ平原の中心に位置している。同市を流れる川として、モスクワ川があり、ボルガ川とオカ川の中間地帯となっている。 2002年1月のデータによると、モスクワの人口は853万9200人。(ロシア連邦内でトップ)一時的な移住者、旅行者を合わせると1億1500万人にも上る。 人口はほとんどがロシア人(90%)。その他にウクライナ人(3%)、タタール人(2%)、ユダヤ人(2%)、ベラルーシ人(1%)、アルメニア人(0,5%)など、およそ100の民族から構成されている。 ルシコフは92年6月、前市長ポポフの辞任後市長に当選した。96年99年の選挙でも圧倒的な数字で再選されている。 モスクワの創立者はスズダリの諸公であったユーリ・ドルゴルキー。1426年〜1712年までと1918年から現在まで、モスクワはロシア連邦の首都である。 モスクワ内には鉄鋼・非鉄金属、食料、自動車など大企業の工場が多く存在している。また軍需産業の中心でもありミサイル工場、宇宙産業、電子工学などが盛ん。 モスクワにはロシア全体の約50%の銀行が集中し、外国投資の80%を占めている。 また、同市は消費においてもトップ。消費額は、ロシアの国内総生産(GDP)の15%以上で、他地域の倍以上である。 モスクワは、乳製品、パン製品、菓子およびタバコの生産においてロシア一。モスクワには国の主要な輸送ユニットが多い。4つの空港、9つの鉄道駅(1日当たり200万人までの乗客)、3つの河港がある。モスクワ運河はロシアの主要な河川であるボルガ川、モスクワ川に通じている。 モスクワには、世界的に有名なボリショイ劇場、トレチャコフ美術館、プーシキン美術館などがある。 モスクワ最大の特徴は、ロシアの他地域と比べ生活水準が高いこと。同市民の所得水準は他地域と比べ3倍以上高い。 同時にモスクワは、最も貧富の格差が激しい地域でもある。ロシア全体でみると、富裕層10%の所得は貧困層10%比で25倍である。しかしモスクワではこの数字が45倍にも達している。 |
[ 150] Russigator
[引用サイト] http://www.russigator.ru/89/moscowcity.html
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※気象庁の世界の気象統計データや『理科年表』(国立天文台編、丸善刊)、他国の気象局などのデータをもとに作成。 冬場の寒さはとても厳しく、寒冷地専用の服装が必要。日本のゴールデンウィーク前後に出かける場合でも、基本的に日本の冬の旅支度で出かけることをおすすめする。一方、そんな地方だけに建物内の暖房はしっかりしているので、もし外を歩いていて体が芯まで冷えてしまったら、博物館やデパートなどの施設に入って暖をとるとよい。 (例) 日本の時刻欄から見た現地の時刻が9時→サマータイム期間中の現地の時刻は (9+1=) 10時 (例) 現地の時刻欄から見た日本の時刻が9時→現地がサマータイム期間中の対応する日本の時間は (9-1=) 8時 このなかで最もアクセスが良く、設備の使い勝手が良いのはドモジェドヴォ空港である。空港ターミナルと市内主要駅の一つであるパヴェレツキー駅との間は速達列車で直接結ばれており、その利便性もあって近年国際線が多く開設された。また、ソ連時代から国内線も充実しており、ハブ機能にも優れている。 日本からの航空路線はシェレメチェボ空港に発着している。シェレメチェボ空港は多くの国際線が発着する空港ではあるが、現時点で上記3空港のなかで最も市内とのアクセスが悪く、設備も貧弱である。近年はこれを嫌って国際線発着をドモジェドヴォ空港へ移す航空会社が現れ、また国際線新規開設もドモジェドヴォ空港発着が中心となってきており、もともと悪かったシェメレチェボ空港の利便性はますます低下している。空港設備はターミナル1(主に国内線)とターミナル2(国際線のみ)とに分かれており、それぞれは滑走路を挟んで反対側にあるため、ターミナル間は路線バスかタクシーでの移動となる。そもそも、ターミナル間の乗り継ぎは全く配慮されていない設計であり、実態はそれぞれ別の空港である。現在、国際線専用のターミナル3、および市内と直結する鉄道を建設中であり、それらが完成すれば利便性は改善される見通しである。 空港からは、ターミナル1、ターミナル2と地下鉄のレチノイ・バグザール駅(「河の駅」)を循環ルートで結ぶ路線バス(851番)が出ており、それを用いてレチノイ・バグザール駅まで行き、さらにそこから地下鉄で市の中心部に出るのがもっとも安くかつ一般的なルート(この方法なら空港から市の中心部まで20~30ルーブルほどで行ける)。なお、レチノイ・バグザール駅前から空港までは、私営のミニバスやリムジンなども頻発しており、こちらも安くて便利。 また、2004年11月20日より、モスクワ市内にあるロシア鉄道のサビョーロフ駅とシェレメチェボ空港との間で鉄道と連絡バスとによる新ルートが開設された。市内からは、地下鉄9号線でサビョーロフスカヤ駅に行き、それに隣接する郊外鉄道のサビョーロフ駅に行く。窓口にて空港まで通しの切符を購入し、専用のエクスプレス列車に乗車する。ノンストップでローブニャ駅に到着するのでそこで下車し、出口近くのバスストップより専用空港連絡バスに乗車する。切符は運転士に提示する。シェレメチェボ空港のターミナル1経由でターミナル2に到着する。なお、ターミナル2からは、バスストップがターミナルから向かって手前左側にあるので、そこから乗車する。市内→空港(7:00〜22:00,所要1時間15分,約1時間毎),空港→市内(6:15〜21:17,所要1時間10分,約1時間毎)。詳細は、シェレメチェボ空港ロシア語サイト [1] の Как добраться にて。このルートでは、路線バスで悪評の渋滞が少ないものと思われる。 モスクワ市内を移動するのに最も安くかつ便利な交通手段がこれ。環状線と郊外へ放射状に延びる線が組み合わさっており、うまく利用すれば見どころのほとんど全てにアクセスできる。駅名表示板などはキリル文字のみだが、ガイドブック片手にそれを解読しながら乗るのも楽しい。料金は固定制で1回17ルーブル(2007年9月現在)。1回券、2回券、一定期間通用するパスなどいろいろな種類の乗車券が売られているが、旅行者は乗る都度1回券ないし2回券(目的地までに乗り換えがある場合)を改札近くの窓口で買うのが最も手軽な方法である。なお2回券では割引はないが5回券を買うと10R割引になる。窓口のイカツイおばちゃんはロシア語しか話せないが、20ルーブルを出して指を1本立て、「アジン」と言えばちゃんと1回券と3ルーブルが返ってくる(2回券なら指2本で「ドヴァ」と言えばいい。もちろん34ルーブル必要)。なお、地下鉄を利用する際には、小銭を用意しておくこと。つり銭がそれほど用意されていないようで、高額紙幣だと乗車券販売を拒否されることがある。 渋滞がひどくまた道が入り組んでいるため、自分の運転による車での移動は旅行者には不向きである。運転する場合でも多少地理感覚を得てから運転したほうが良い。無免許で初心者の少年少女による運転にも注意が必要である。 モスクワのランドマーク的な場所。モスクワに来たなら話の種にやはり一度は訪れたいところである。テレビで「モスクワ」というと必ず映される風景がそのままに広がっており、「モスクワに来たな」とあらためて感慨にひたれること請け合いである。広場を歩き回っても楽しいし、近くにあるグム百貨店や歴史博物館などで時間をつぶすこともできる。 地下鉄クロポトキンスカヤ駅近くにある美術館。比較的小さな美術館だが、印象派以後のヨーロッパ絵画が画家ごとにコンパクトに集められているため(コレクションは比較的有名なものが多い)、ひとつひとつをじっくりと鑑賞できる。この美術館には彫刻などのコレクションも数多くあるが、こちらは大部分がレプリカ(もともとが教材用に展示されているものであるため)。ただそれと知っていて見る分には、世界の有名どころの彫刻が一堂に会しているので、見ていてけっこう楽しい。 11世紀から現代までのロシア美術ばかりを5万点あまり収蔵した美術館。非常に細かい部分まで描き込んだ油絵などは本当に見事で、見ていて思わずため息がもれる。ロシア正教のイコンなども数多く展示されている。 赤の広場脇にある百貨店。外観も吹き抜け状となっている内部も日本の百貨店とは大分異なる。内部にはブティックや化粧品店、オーディオショップ、日用雑貨などさまざまな専門店が多数店を構えているほか、コーヒーショップやファーストフード店などもある(ちなみに、ここの1階の屋台で売っているアイスクリームは値段も安く、味もいい)。赤の広場やクレムリンなどを歩き回って、冷え切った体を温めるためのシェルターとしても便利な場所である。 モスクワオリンピックの選手村をそのままホテルに転用したホテル。アルファ〜デルタの4棟があり、客室は全部で7,500室 (!) ある。ガンマ・デルタ棟は (おそらく) 外国人専用で30階建て、客室は1972室。モスクワ中心部から地下鉄で約30分、Partizanskaya駅下車徒歩10分 (駅の隣がホテルだが、敷地が広いので、ホテルに入ってからデルタ棟までこれくらいかかる)。値段はそこそこリーズナブルだが、隙間風が入ってくるのか、夜やや肌寒く感じた。 スターリン建築のひとつで有名なホテル。外見は威圧感さえ感じ廊下は重厚だが、部屋内部は簡素。屋上からの景色は良さそうだが、屋上へは出られない。スターリン時代を感じたいならお勧め。 この記事「モスクワ」は、この土地を旅したり、あるいは調べたりする際の参考になる可能性はあるものの、まだ書きかけです。加筆や訂正などをして下さるみなさんを求めています。 |
[ 151] モスクワ - Wikitravel
[引用サイト] http://wikitravel.org/ja/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF
