天才とは?

単に「天才」と言う場合は、主に知能についてであるが、「○○の天才」といったように様々な分野の人物を指しても使われる。
能力の多寡によって、天才とそれ以外を分類することは非常に困難である。素晴らしい能力を持ちながら天才と称されることが無い人物もたくさんいる。逆に自惚れが過ぎて自身を天才だと吹聴する者さえもいる。なお天才一般は、それらの才覚によって社会に利益をもたらす存在だといえる。
また、天才には夭折する人が多いといわれている。これはその才能が惜しまれながらも失われたことによる評価も含むのであろうが、後述するように奇人・変人の域にあり生活や健康を省みないで才能を発揮したことによる病死・自殺といった破滅型天才の存在という事情にも絡む。ただ、天才のいずれもが夭折というわけではなく、晩年になって才能が開花した天才もいるなど、様々である。
一般に天才というと、特定分野や一定範囲内でその才覚を発揮する存在とされ、芸術(音楽・美術・文学)やスポーツ、芸能・マスコミ、政治・科学・数学・哲学ほか、様々な分野に天才と称される人が見られる。
天才とは一般に、天性の素質に恵まれて才能を発揮する者とみなされる。しかし各々の天才と呼ばれる者の成り立ちを伝記などから紐解く限りでは、必ずしも彼らが幼少の頃から天才扱いされているとは限らない。また「神童(天才的な子供)も、大人になればただの人」などという警句にみられるように、幼い頃に天性の素質を見せていたからといって、それが大人になっても続くとは限らない。その生い立ちに少なからず他者の働き掛けが影響しているケースも多く、天才が天才たりえるメカニズムは依然不明である。
とはいえ、子供の頃から問題行動を含めて特異性の見られた人が、後年になって高く評価されるケースも多く、そのような特異性を持つ子供を幼い頃から専門的に養育する事で、天才とされる人を育てようと考える人は少なくない。幼児教育でも、親心や親の欲目から我が子を天才的な存在に育てたがる人は多い。
その一方、米国などではギフテッド(意訳すれば「授かりものの才能」)と呼ばれる、専門の教育で才能を開花する余地のある子供らが見出されている。アメリカ教育省は1993年に定義を発表、これに合致する児童に特別な教育(特別支援教育の一種)を与え、その才能を育てようという模索が続けられている。これらでは従来、所謂学習障害とみなされていた者も部分的に含まれるかもしれない。欠点に着目してそこをカバーするのか、長所を見出してそこを集中的に伸ばすかという問題も絡む。同様に扱われる存在として芸術性を発揮するタレンテッドがある。詳しくはギフテッドを参照されたし。
良く知られている「天才の奇行」の逸話には、アルキメデスが行水中にアルキメデスの原理を発見し、裸で街の中を走り回った伝説が有名である。サルバドール・ダリは1936年のロンドン講演にて演壇に潜水ヘルメットを被って登場するも呼吸できずに卒倒、居合わせた聴衆は彼の「息が出来ない!」とする仕草を含め、彼流の奇行だと勘違いしたという逸話が伝えられている。
こういった逸話が良く知られているため、天才は奇行を行うものと短絡し、敢えて奇行を行って自らを天才と吹聴する者もまま見られる。
クレッチマーは天才の定義を「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」とした。チェーザレ・ロンブローゾは「天才は狂気だ」といった。トーマス・エジソンは「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」と述べている。ただしこの言葉は現在一般で言われている意味とは別の意味があることは余り知られていない(後述)。
中には生前には狂人扱いされながらも、後年になってその功績が評価され、天才扱いされるに至った人すら見られる(→ゴッホ)。この辺りは、「ナントカと天才紙一重」という慣用句が如実に物語っている。なおこの「ナントカ」の部分は馬鹿(片仮名で「バカ」とも)ないし気違い(差別用語に注意)という語になる場合もある。
知能指数(IQ)で、ある程度の区分をもうける向きもあり、知能指数が150(平均は100である)ないし所定の値を上げ、これを超える辺りから知能面での天才という風潮もかつては見られたが、近年では知能指数の高低は必ずしも客観的に人の知力を数値化できないという見方も出ており、同指標による分類は行い難い傾向が見られる。これには同値が検査年齢や状況・出題傾向さらにはIQテストに対する慣れなどによっても大きく結果に差が出る問題も絡んでいる。
なお知能指数の高さは必ずしも天才性(創造性など)とは結びつかない。日本で有名な人物では山下清のように、知的障害があっても芸術面で高い評価を得ている人物も存在する。彼のように特異な一分野でのみ異常ともいえる才能を発揮する人たちも見られる。(→サヴァン症候群)
エジソンの言葉として知られている「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」だが、この霊感とも呼べる「ひらめき(閃き:inspiration)」が一般に軽視される傾向もままある。99%までもの弛まぬ努力も確かに必須なのではあるが、1%のひらめきを大切にし、これを生かす事が出来なければ天才ではなく、エジソンは自身を指して自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた[1]。
またエジソンはペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた事が知られており、またレオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインもメモ魔としてつとに有名であった。余禄としては、双方とも研究以上にジョークを作ることに没頭したことでも知られている。過去の偉人の例においても、メモ魔として「思い付き」をきちんと残していた者は少なくない。文豪で知られたヘミングウェイもメモ魔で、メモした事を端から忘れてしまうため、彼の鞄が1922年にメモごと盗難にあった際には、その時多くの長編・短編のプロットも同時に失われたという。
天才は古くより、人類の歴史において文明の発展に大きく寄与してきた。このため尊敬と羨望を集める存在としても扱われ、架空の作品中でもしばしば登場する。身近な例では漫画などの大衆娯楽にもしばしばストックキャラクターの類型として登場する。この辺りは日本の作品にあっても同様で「ストックキャラクター 日本的な男性キャラ」「ストックキャラクター 日本的な悪役キャラ」の中にも天才ないし自称天才、更には天才じみた才能を発揮する者もいる。
このデウス・エクス・マキナ的な舞台装置としての天才は、場合によってはマッドサイエンティストのように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない劣等感から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。
その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げたSF作品も多い。代表的なところとしては『アルジャーノンに花束を』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり孤独に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。
『天才の精神病理―科学的創造の秘密』飯田 真, 中井久夫 岩波現代文庫 ISBN 400600057X

[ 164] 天才 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D

『おそ松くん』でギャグ漫画の漫画家として不動の人気を得た赤塚不二夫が、続けて描いた作品。初出は、1967年4月9日発行の週刊少年マガジンである。「バカボン」の語源には諸説あり、「バカなボンボン」から由来する説[1]、「バガボンド=放浪者」からきたとする説、そして仏教語の「婆伽梵=釈迦」からきているという説もある。ちなみに1993年に赤塚本人がテレビ番組で「バガボンド説」を言っているが(元々「天才バカボンド」というタイトルの予定であったため)、「だからパパは無職でなくてはならない」とも言っており、バカボンではなくパパを基準にしているところが疑問でもある。バカボン一家の居住地の設定は、赤塚不二夫自身の事務所「フジオプロ」がある東京都新宿区下落合。アニメ版では確認できないが、コミック版ではこのことに幾度も触れており、実際に下落合界隈に存在する店舗名もしばしば登場する(赤塚自身も『下落合焼とりムービー』という映画を制作している)。
その後、週刊少年サンデー、週刊ぼくらマガジンと連載雑誌の断続的な切り替え等を行い、1976年12月5日発行の週刊少年マガジンで一応の完結を見るが、その後も登場人物の抜群のキャラクターぶりを発揮して、現在に至るまで単なるギャグ漫画の枠を越えた、単行本、テレビ、CM等各種メディアに多数出演しており、その全貌を把握することは困難である。また作品自体も、何度かにわたりコミックボンボン等で再執筆され、コミックボンボンでは2006年12月号まで傑作選が掲載されていた。傑作選は当時の再録だが、時代にそぐわないセリフや過激な下ネタ等が差し替えられていた。
そして欠かすことができないのが、この作品のアニメ化である。4回にわたりアニメ化され、世代を通じ子どもたちを中心に爆発的な人気を得るようになり、現在もその人気は不動のものであると言える。
元祖天才バカボン(日本テレビ・東京ムービー、1975年10月6日〜1977年9月26日、全103回)
平成天才バカボン(フジテレビ・スタジオぴえろ、1990年1月6日〜同年12月29日、全46回(*1))
(*1)放送期間は1年だが、プロ野球中継で番組が返上されたことが6回あったため、放送回数は全46回となっている。
特に、1988年〜1989年頃にかけて、テレビ東京が平日夕方に「元祖天才バカボン」を再放送したところ、視聴率が10〜20%近くに昇り、天才バカボン人気が復活した。「平成天才バカボン」はこのような経緯で制作されたが、内容は、ほぼ「元祖…」のリメイクであった。ちなみに「平成天才バカボン」は首都圏の独立UHF局で再放送されることがあったものの、反面「天才バカボン」と「元祖天才バカボン」は「平成天才バカボン」の本放送以降は地上波(キー局とその系列地方局)での再放送が皆無となっている(「元祖〜」と「平成」はアニマックスで、「レレレ」はキッズステーションで再放送がされている。第1作と「平成」も2007年2月にそれぞれカートゥーン ネットワーク、ファミリー劇場での再放送が決定)。一方、第1作のアイドル・フォーが歌う主題歌のイメージが今なお強いせいか、他3作の主題歌は影が薄くなっている。
なお、作品中には作品タイトルである「天才バカボン」と同名のキャラクター「バカボン」が登場するが、当作品において主に活躍するのは「バカボンのパパ」であり、バカボンのパパと彼を取り巻く様々な登場人物との絶妙な関係が今作品の原動力となっているといえる。実際、バカボンが登場しない話が数話ある。
2007年10月17日、連載開始40周年を記念して、連載を取り合った[2]ライバル出版社の講談社と小学館が協力し、ベスト集2冊を発売。内容は異なるが、題名や表紙のデザインを統一するという、異例の企画。題名は『天才バカボン THE BEST』。2冊ともB6判で352ページぎっしり詰まった内容。
中期までと後期とでは作風がかなり異なっている。中期まではバカボン一家を中心とした話題で展開されていたが、後期はパパさえ登場しないことも少なくない。刑事用語の解説が出てきたり、自らのアシスタントが不在という設定で描いていたり(わざと絵を下手にしている)、『赤塚不二夫』から『山田一郎』に改名しようとしたりするなど、バカボンとは全く関係無い話も見られる。こうした「実験的」ともいえる作風は、赤塚が訪米した際に目にした『MAD』において不条理とも言えるようなギャグが展開されていたことの影響もあったといわれている。一方で後期において、毒のあるギャグが多用されるようになったこともあって、作風の変化を「作者自身の才能の枯渇による質の低下」と見、それを嘆く者が少なくない。実際この時期に、作品に対して愛想を尽かしたファンも多かったようである。
『天才バカボン』(第1作)は、キャラクターのデザインや人物造形については原作をほぼ踏襲しているが、作品のテーマが大きく異なっている。原作はバカボンのパパ達がおかしな行動をとることで一般常識や漫画のお約束をゆさぶり、ナンセンスな世界を展開するのが狙いだったのに対し、アニメ第1作では、バカボンのパパ達はおかしな行動をとったりするが、それは無垢な心の表れであり、彼らの作意のない真心が結果的として幸せをまねくといった筋書きになっていた。これは児童向けの作品として制作された為と思われるが、後述する「バカボンのパパ職業問題」とも関連して、原作者や原作のファンを失望させることとなった。そのため、『元祖』を神聖視する狂信的ファンからはいわれのない攻撃を受けることが多い。しかし、実際には毒のあるギャグも多く、下町人情もの的要素を備えた完成度の高いギャグアニメであった。第2作以降は原作者と原作ファンの意向に沿ったアナーキーな演出が徹底され、純粋にギャグのみを追求した作品となっている。その観点においては第2作の完成度と評価が高く、全4作のなかで最も長い期間放送された。
主人公。モデルは作者である赤塚の実父といわれている。大学時代のあだ名はキャロル又はノールス(脳がいつも留守だから)。昭和元年(1926年)12月25日生まれ。血液型はBAKA型という特殊型で、なめると甘い味がする。連載開始が昭和41年(1966年)であったため、年齢は41歳とされており、アニメ第2作後期エンディングでもそのように歌われている。作中で自分が生まれたのは「昭和元年元日のクリスマスの夜」と一見おかしなことを言っているが、昭和という元号が始まったのが12月25日であり、なおかつこの日はクリスマスなので矛盾は無い。
もともとはハジメちゃんをも凌ぐ天才児で、生まれてすぐに『天上天下唯我独尊』と口にし、家庭教師をつとめたり自動車の修理を簡単にこなしたりしていたが、アクシデントによってバカになってしまう。なおバカになった経緯はアニメと原作マンガでは若干異なる。アニメ版では、ある日交通事故に遭った衝撃で、天才児だったバカボンのパパの口から脳味噌が飛び出して近くにいた馬が飲み込んでしまい、それと同時に馬の口から脳味噌が飛び出してバカボンのパパが飲み込んでしまう事で、交通事故の衝撃で人間の脳味噌と馬の脳味噌とが入れ替わってしまう珍現象が生じ、以降、現在のバカボンのパパのキャラとなった[3]。原作では、パパが道を歩いている時にクシャミをし、その勢いで頭の歯車を口から吐き出してしまい、「もう天才はやめるのだ」と言ってバカになった話がある。
赤塚不二夫は「パパは無職でないといけない」としているため、マンガでもアニメでも基本的には無職ということになっているが、TV版第1作ではテレビ局の要請で植木屋と設定(赤塚はこれに激怒した)。そのほか、クリーニング屋の従業員、化粧品のセールスマン、大工、サラリーマン、夜警、僧侶、洋食の料理人などいろいろやっているが、全て雇い主側から解雇されている。
熊本県菊池市の七城中学校(実在)・東京都のバカ田高校を経て[4]、バカ田大学を首席で卒業。学級委員も務めた。ハチマキと腹巻を身に付け、口元に髭を生やしている。鼻毛を伸ばしているように見えるが髭なのである[5]。レバニラ炒めが好物で、しばしばこの料理の名を口にする。おでんではタコの足が好みで、竹輪が嫌い。
バカ田大学の卒業式の日、「東洋工業に入社してマツダ・キャロルを作るのだ」などといったことがある(大学時代のあだ名「キャロル」による)。
バカボンのパパは赤塚が一番気に入っているキャラクターで、その理由は「どんなに酔っ払っていてもバカボンのパパの顔だけは、ちゃんと描けるから」とのこと。尚、トリビアの泉のなかで「11:3=Bを横向きにするとバカボンのパパみたいになる」というネタが紹介されたことがある。
口癖は「これでいいのだ!」「タリラリラ〜ン」「コニャニャチハ」「はんたいのさんせい」「さんせいのはんたい」
アニメ第3作の『家庭教師のパパなのだ』で我利野邸の家庭教師募集の広告を見て家庭教師をしたことがある。
天才バカボンのタイトルが示すとおり、そもそもの本作の主役。しかし主人公として機能していたのは連載初期のみで、「描いてるうちにパパのほうが面白くなっちゃった」(赤塚談)という理由でパパに主役の座を奪われた。当初はドタバタホームコメディ漫画における「頭は良くないがのんびりした心優しい性格の主人公」という役割を担っていたが、主役交代とそれに伴うナンセンスギャグ漫画へと作品傾向が次第にシフトしていくに従って、不条理なパパの言動をアシストする愚直で腹黒い面もあるキャラに変化していった。パパと一緒になって悪さをはたらくことが多いが、パパに振り回されひどい目に遭うことや、時にはパパをひどい目にあわしたこともあった。勉強は苦手だが、ママの誕生日プレゼントを用意する為に、靴磨きのアルバイトをするなど、優しい面も。パパが主人公で固定されてからは特にバカという描写もなく、普通の子供という位置づけになり、タイトルになっているのにどんどん影が薄くなるという赤塚作品の伝統的主人公でもある。アニメ版では概ね初期原作のイメージで登場している。アニメ第1作では、逆立ちで苦もなく歩き、ハジメをいじめたクラスメートを懲らしめるほどの身体力を持つ。ちなみに、通っている学校は、アニメ第1作では「坊毛茄子小学校」だったが、アニメ第4作の最終回では「バカ田小学校」に変更されていた。連載開始当初は着物の下にズボンを履いていたが、すぐにおなじみの着物+靴スタイルになる。パンツは履いていない。ちなみに、バカボン宅の表札は「バカボンのパパ」である(ただし、原作では表札が「バカボン」になっているのが見受けられる)。
バカボンの弟で生まれてしばらくしてすぐに言葉を話せるようになり、レコーダーを発明したり「ピタゴラスの定理」やケプラーの法則の解説などもできる天才児。元天才児だったパパの息子らしいといえばらしいのだが、「これはワシの息子でないのだ」とパパが言って網走へ飛ばそうとするほど、今は性格も顔も似ていない。2000年にNTT西日本の「ISDNはじめちゃん」のキャッチフレーズと共にフレッツISDNのCMに出演、この時の声優は貴家堂子である。
黒百合女子大学(白百合女子大学のパロディー)の出身。トラブルメーカーのパパと、いたずら好きのバカボンに振り回されながらも、一家を守る良妻賢母。パパとは女子大生の時に出会った。原作及びアニメ第1作・第3作で同級生の成金婦人と再会した際、ママのことを『あっちゃん』『あっこ』と呼ぶことがあったことから名前はこれに近いものと推測される。しかしアニメ第2作ではパパとの出会いのエピソードが描かれ、そこでの本名は『春菊』とされた[6]。年齢は32歳[7]。カエルが大の苦手[8]。
バカボン一家の中で唯一、シリーズを通して声優が変わっていない(作者の希望で、「ママの声だけはそのままにして欲しい」と依頼したからとも言われている)。
常に路上で掃除をしている。販売店かメーカーかは不明だが、「電気屋」の社長である。家族はすべて顔がよく似ている子供25人(五つ子が5組)で、全員独立している[9]。妻は既に他界。若いころの衣装は着物ではなくスーツだったが、柄は同じ。登場当初は「おでかけのおじさん」ともいい、顔が登場するたびに変わっていた。ニューヨークではほうきではなく掃除機を使用していた。1995年にアステル東京のイメージキャラクターとして双子の兄弟の「ルルルのおじさん」が選ばれ、2004年にはロート製薬「レスパ」のCMに出演。1989年の川崎市市長選挙時には、棄権防止を呼びかけるポスターに登場した。口癖は「おでかけですか?」「レレレのレ〜」。第3作では声優名が伏せられており、最終回の前の回で初めて明かされた(本官さんと二役であった)。「レレレのおじさん」のモデルは、作者がかつて愛読していた杉浦茂の漫画のキャラクターがヒントになっているという。顔つきや手の仕草(親指、人差し指、小指を立てる)など、共通点が多い。
目ン玉つながりのお巡りさん(本官さん、目玉のおまわりさん)(声優:第1作=田の中勇、第2作=肝付兼太、第3作・第4作=千葉繁)
「日本で一番ピストルの弾を使うおまわりさん」ともいう(なお二番目にピストルの弾を使うおまわりさんは、西部警察の大門圭介というのが定説になっている)。一時は「ピストルのおまわりさん」が公式名称だった。パパと幼馴染み。パパには原作では「おまわりさん」、アニメでは「本官さん」と呼ばれる。私設派出所(表札は第2作では「横丁交番」だったが、第3作では「こうばん」となっている)に常駐し、とにかくピストルを撃ちまくる。これが原因で警察をクビになったこともあったが、すぐに復職する。趣味は鉄道模型で、KC庁模型クラブで優勝したことがある。ちなみに優勝作品は「デゴイチ三重連」。連載開始当初は登場しておらず、その代わり?目玉がつながっていない普通の警察官が出てきていた(ただし、毎回顔が変わっていた)。なお、本名は白塚フチオ(第3作では『綱刈本官』とされた)、勇という子供がいたが、あまりの嘘つきのため夜中にお腹が痛いと訴えたのを無視した際死亡。勇が面白がってついたウソで死に追いやられた医者の隣の墓に葬られる。
アニメ版で使用しているピストルは、第3作までは実弾を使用していたが、第4作では音だけしか出ないモデルガンという設定になっている。これはテレビ東京の規制が厳しいことに加え、当時は国内で警察不祥事や海外で銃乱射事件が起こったりしていたのでそれらを配慮した物と思われる。
アニメ・漫画共に終盤に登場する、シーン転換時に登場するキャラ。リアルなタッチの背景をバックに、逆立ちしている。1995年にはルルルのおじさんと共にアステル東京のCMに出演 (東京タワーにしがみついている)。
鼻をたらし、クルクル周りながら写真をとる少年。篠山紀信本人とは関係ないと思われるが、1970年代に篠山が撮影を担当していた「週刊少年マガジン」の女性アイドルグラビアに赤塚作の同名のキャラクターが登場していた。
第4作では、バカボンのパパと遊んでいたり、助けを求めたりする。この後輩の話によると、バカボンのパパはいろんな研究会に入会していたらしい。
バカ田大学の学生、バカボンのパパとの関係は日米摩擦研究所の後輩で卒業後、現在の職業はオッサン自動車(日産自動車のパロディ)のセールスマンであり、特徴は鼻が馬のよう。
バカ田大学の学生、バカボンのパパとの関係はなんでも溺れる研究会の後輩で溺れることに関しては一番のテクニックとバカボンのパパから言われており、一に水溜りがあれば溺れ、夏の祭りに金魚を見れば溺れ、全世界溺れる人がワラをもつかむ選手権大会の優勝候補。海水浴場で天女の洋子を見た時から溺れられなくなったその後は海水浴場のトウモロコシ屋を営み、たまたま来ていたバカボンのパパに相談し、行動、結果その後は本当に溺れてがなおった。
アニメ元祖天才バカボンに登場したバカ田大学の先輩らしいがバカボンのパパをなんらかで助けたお礼に漬け込んで気の荒い息子を無理やり預けさせた。ちなみに本官さんも強盗殺人犯に追われているところをかくまった事もあるインチキな奴。
原作で一時期レギュラーだった馬。初登場の際、バカボンから盗んだカップヌードルをオシッコで作り、おまわりさんに食べさせたり、更には馬糞を食らわせたりと素行悪し。会社勤めをしていたが、競馬をあまりにも当てすぎるため、仕事を追われてノラウマになった、という過去も。正レギュラーの座を狙っていたが、ウナギイヌに二番煎じと罵られ激怒、以後の出演をボイコットすると言い出し、その話の後のコマも全て空白になった。なお、初登場の回だけ、特別にタイトルが「天才ウマボン」になっていた。マキバオーの同族と言う説もある。
なお混同されやすいが、ニャロメは、オリジナルは同じ赤塚作品の『もーれつア太郎』のキャラである。しかし、ニャロメの人気に押されて時々端役で登場することもある(それ以外の赤塚作のキャラも時折本来の作品以外で出演することがある)。
バカ田大学の都内に一戸建てを建てよう研究会に入っていたバカボンのパパの後輩で、バカボンのパパに家を建てたいと相談したがパパは将棋好きの大工さんに代わって家を建て始めたらへんてこな家になってしましい、最終的には将棋好きの大工さんに建ててもらったものの家がどうしても将棋の駒形になってしまっている。
玉子協会大物代議士でバカボンのパパに似ている。鼻毛の右側にホクロがある所以外は全てパパと同じ顔の形をしている。逃げるときは鶏になる。
バカボンのクラスメートで鉄カブトの事しか言わない変わった少年。原作とアニメ第3作(熊田くん)と4作(手塚くん)に登場。元は素直で賢い少年だった。第3作では製本所のミスにより、野口英世の本のカバーをした鉄カブトの本を読んだために。第4作では戦場に言っている父親の影響である。基本的に「たたえよ鉄カブト!」としかしゃべらず、長文は鉄カブトに関するウンチクを語る以外言葉を発しないが、周囲とはなぜかコミュニケーションが取れている。
なおイヤミ・チビ太など『おそ松くん』の登場人物も、アニメ(平成天才バカボンとレレレの天才バカボン)に登場したが、端役で出番は少ない
これまでに4回アニメ化されているが、バカボンのママだけは声優が一度も変わらず増山が演じている。これは、作者である赤塚の希望からとも言われている[10][11]。
作品中に登場する「KC庁」はもちろん警視庁のパロディだが、初期にはきちんと「警視庁」と表記されていた。ちなみに「KC」は単行本が出ていた「講談社コミックス」の略称ともかけてある。
元来は『おそ松くん』のキャラであるイヤミが最もゲスト出演回数が多いと言われる。タイトルの垣根を越え、赤塚漫画のスター・システム的存在としての起用と思われるが、当作品中でも勿論、常に嫌味な役柄である。また、他作品からのゲスト出演もいくつかある。コミックボンボン連載時には『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』からRX-78NT1 アレックスが登場した。
原作漫画では登場人物が死亡する描写が数多く見られたが、アニメ化に際しては大幅に書き換えられている。死亡のパターンは大きく分けて次のように分けられる。
「元祖」では 緒方賢一(「平成」、「レレレ」も)、八奈見乗児、北村弘一、小宮和枝が、「平成」では松本梨香が端役でしばしば登場していた。
初代パパ役の雨森雅司が亡くなって以降初の映像化であった、セガマークIII用ゲームソフト「天才バカボン」のTVコマーシャルでは、パパを演じていたのは「平成」のパパ役・富田耕生。ゲームでは声は出ない。
アニメ1作目では、スポットや次週予告の際、パパが「見ない奴は死刑なのだ!」というブラックジョークで締めるのがお決まりになっていたが、2作目では「見ないと逮捕なのだ!」に変わり、3作目以降は特にその様なジョークはなくなった。
アニメ2作目の後番組には『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』が続いたが、その新番組予告の際にはルパン三世(山田康雄)のナレーションで「パパしゃん、ご苦労様でしたナノダ」との挨拶が含まれていた。同作品はキャストやスタッフの多数が「天才バカボン」2作目からスライドして参加している。「花も嵐も泥棒レース」では、ゴールが破壊されるシーンで、逃げまとう観客達にバカボンのパパが混じっていた。
この後3作目のリメイクまで10年以上のブランクを見るが、1982年放映のTBS日立テレビシティ「ニャロメのおもしろ数学教室」が3週連続で放映され、司会石坂浩二やシュガーとともに赤塚漫画のキャラクターが合成出演。オリジナル声優のパパとバカボンも登場し、結果的にこれが晩年の雨森によるバカボンパパが見られる貴重な番組となった。3週目の放送では赤塚がバカボンパパの扮装で出演している。
アニメ3作目は前番組『おそ松くん』のスタッフがほぼスライドで参加しており、共通点が多く両作品のキャラクターが競演する特別編も製作されている。放送終了時の提供クレジットの後に出てくる「次回おたのしみに」の画面では、パパがことわざや慣用句に対するツッコミを入れている。
フジテレビ系『トリビアの泉』において、『「11:3=B」を縦にするとバカボンのパパっぽく見える』(No.856)と紹介された。このトリビアは番組評価96/100へぇ〜という高得点を記録した。
2006年8月19日から2007年2月24日まで放送されたTBSの健康番組『人間!これでいいのだ』では、番組の案内役としてバカボンのパパが出演しており、番組タイトルもパパのキメ台詞が使用されていた。パパの声は富田耕生が担当。
『天才バカボン』の派生作品としては、1969年から1971年まで漫画サンデーに掲載された『天才バカボンのおやじ』(連載途中から古谷三敏との合作)、1972年に赤塚が自主出版した漫画雑誌・まんがNO1に掲載された『天才バカボンのパパ』がある。なお『天才バカボンのおやじ』は成人向けに描かれた作品ではあるが、そのいくつかのエピソードは『元祖天才バカボン』でアニメ化されている。
ダウンタウンの松本人志は、幼い頃にアニメ第1作を第1話から毎週欠かさず見ていたらしく、当然最終回も楽しみにしていたのだが、その日に限って両親に半ば強引に兄と銭湯に行かされたために見れなかった、と『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』のフリートーク内で語っている。
彩花みんの漫画『赤ずきんチャチャ』の中で、太陽が昇ってくる方角を問われたチャチャが、「天才バカボン」のテーマソングを思い出して「西!」と答える場面がある。
赤塚不二夫は新入りの編集者をからかう為にバカボンのパパとママのセックスシーンの原稿を一枚余分に書いたことがある[12]。
1969年、それまでこの作品は「週刊少年マガジン」に掲載されていたのが、「週刊少年サンデー」に掲載誌が変更になる「事件」が起こった。事の発端は酒の席で小学館の武居俊樹記者が「『バカボン』を引き抜いちゃえ」とそそのかされた「冗談」であったとされる。武居はこの時は冗談だと軽く受け流したが、翌日から行動に移し遂に実現させてしまった。
「サンデー」に移った『バカボン』は、同時掲載の『もーれつア太郎』にニャロメが登場して人気が高まったこともあり、次第に精彩を欠くようになっていった。結局「サンデー」の『バカボン』は半年余りで打ち切られた。(「サンデー」掲載時の作品は当然ながら講談社コミックス版の単行本には未収録である。またこの時の作品はページ毎のコマの四隅の角が丸くなっているため、判別が容易である。)
その後、1971年にテレビアニメ化が決定した事を理由に「週刊ぼくらマガジン」で連載を再開。1か月後、「ぼくらマガジン」の休刊で「マガジン」本誌に返り咲き、以降1976年まで連載された。
脚本:吉田喜昭、大西洋三、織田健也、藤川桂介、七条門、吉田秀子、小森豪人、小森幸信、椋誠一、雪室俊一、辻真先
コンテ:高倉健一、小華和ためお、奥田誠治、岡崎稔、佐々木正広、小泉謙三、風間幸雄、出崎哲、羽根章悦、新田義方、北川一夫、高円寺太郎、壺中天、平田敏夫、山崎修二、斉藤博、吉川惣司、遠藤政治、石黒昇、阿佐みなみ(南阿佐)、高橋春男、ひこねのりお
脚本:金子裕、城山昇、吉田喜昭、山崎晴哉、松崎行雄、ぞぶみちを(蘇武路夫)、石倉俊文、御厨恭輔、さきまくら、高屋敷英夫、竹内啓雄、大和屋竺、紺屋行雄、富山裕弘、枝刈史郎
演出:竹内啓雄、さきまくら、御厨恭輔、吉田承次、永丘昭典、棚橋一徳、岡崎稔、今切洗、福富博、馬場和雄、高屋敷英夫
原画:近藤喜文、山田道代、大竹伸一、札木幾夫、槌田幸一、堀越新太郎、香西隆男、鈴木欽一郎、窪田正史、山崎猛、大宅幸男、アベ正己、横山広美、丸山晃一、児玉兼嗣、小田仁、高畑順三郎、他
動画:有原誠治、春貴健司、堀江孝男、須田裕美子、服部真、寺田和子、荒井和夫、佐々木直美、今沢恵子、西山里枝、今川よしみ、島田和義、安藤範雄、中島裕子、柴田島子、藤岡正宣、棚橋美智子、鈴木寿美、荒井政良志、児玉幸子、他
仕上:近藤浩子、八巻光子、野中幸子、熊沢洋子、村岡賀須子、柳沢ひろみ、長尾美代子、七野由利子、渡辺政子、前川康子、堀口ひろみ、久保雅子、小和田道子、林好美、植松淑子、他
背景:水谷利晴、清水一利、阿南孝夫、松平聡、青木勝俊、松岡聡、渡辺ひろみ、龍池昇、曽我元、橋本三郎、他
OP「タリラリランのコニャニャチワ」作詞:東京ムービー企画部 作曲:渡辺岳夫 歌:コロムビアゆりかご会、グリンピース
ED(前期)「パパはやっぱりすばらしい」作詞:東京ムービー企画部 作曲:渡辺岳夫 歌:水谷賢、コロムビアゆりかご会、こおろぎ'73
ED(後期)「元祖天才バカボンの春」作詞:赤塚不二夫 作曲:渡辺岳夫 歌:こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会
第3作。デザインが第1、2作に比べてバランスの良い、纏まったデザインになった。本シリーズ以降新作の都度パパを始め声優が大幅に入れ替わることとなる。全92話。
アニメ第4作にして最終作。シリーズを通して初めてデジタル製作(デジタルペイント)に移行したが、一部の回では従来のセル画を用いて製作された。全4作の中で最も少ない全48話。
^ 赤塚自身こう説明していた時期があり、少年マガジンの新連載告知でも同様の記述がみられる。なお「ボンボン」は関西弁で「坊ちゃん」の意。
^ 週刊少年サンデーでの赤塚担当であった武居俊樹が著書『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋社 ISBN 978-4163670805)において赤塚の引き抜き合戦が行われたことを記している。
^ またこの他のアニメでは何故か馬に逆恨みされて蹴飛ばされたショックで脳みそが壊れた為というのもある。
^ 毎朝この子供たちを学校の登校を促すために、ほうきで家から追い出した癖が抜けないという設定。=第2作および第4作にて
^ 4回目のアニメ化に際して、赤塚からの指示等は特に無かったが、唯一の希望が「ママの声だけは(増山から)変えないで欲しい」。
^ この話は諸説あり、当の被害者である講談社の五十嵐隆夫(2007年現在同社常務取締役)は「パパがママを誘って事を致すくだりが描かれており、『こんなものは載せられない』と猛抗議したら、赤塚氏や周囲が『このシーンがあるからこのギャグが生きるんだ』と必死に説明して説得(=芝居)した。延々と押し問答が続き、『お前の言いたい事はわかった。』と赤塚が問題の箇所を剥がすと下から本来の原稿が現れた。そんな時間があるなら早く原稿描けばいいのにと思った。」と回顧している。当時アシスタントで参加していた高井研一郎や古谷三敏は「パパがアソコを大きくしてママに迫る一コマをわざわざ余計に描いて五十嵐記者を驚かせていた。本当はそんな時間無かったはずのに。」とサンデー毎日の取材で語っていた。
この「天才バカボン」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。
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[ 165] 天才バカボン - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3



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