代目とは?
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この項目では3代目の「桂米朝」について記述しています。この他の「桂米朝」については桂米朝をご覧ください。 3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年11月6日 - )は、旧満州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の上方の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。俳号は「八十八(やそはち)」米という字を崩した名。現代の上方落語界を代表する落語家の一人である。1996年、落語界二人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。愛称は「ちゃーちゃん」。 語り口調は端正で上品。容姿も端麗で人気を博す。多くの弟子を育て、長男の3代目桂小米朝(2008年秋5代目桂米團治襲名)もその一人。夫人は元OSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちのOSK日本歌劇団、現在のNewOSK日本歌劇団)の「駒ひかる」である。なお、次男と三男は双子である。 持ちネタは多数あるが、代表的なところでは自ら掘り起こした「地獄八景亡者戯」や「百年目」、自作に「一文笛」がある。 幼少時代から落語や浪曲に親しみ、父や演芸好きの叔父に連れられて西花月亭や南地花月にもよく通っていた。 大東文化学院(現大東文化大学)在学中、作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容(蓉)(まさおか いるる)主催の珍しい落語会を見たことを機に正岡に入門。正岡を通じ5代目笑福亭松鶴や、大阪の映画館主の息子であった矢倉悦夫と知り合いとなる。 応召直後病に倒れ病院で終戦を迎える。この頃橘ノ圓都が慰問で病院に訪れ出会うことになる。同学院に復学せず、神戸市で会社員となり一介の落語愛好家として落語会や素人落語の上演会を主催するなど、上方落語復興に力を入れていたが、矢倉が3代目桂米之助となった事が縁で彼の師匠である4代目桂米團治に教えを請う機会が生じる。 やがて正岡の勧めもあって本格的に落語家を志すようになり、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門。3代目桂米朝を名乗る。一旦勤めを辞め内弟子となるものの親戚から叱責を受け、姫路市内の郵便局員として1年ほど勤務した。 2代目桂三木助の死後3代目の襲名を東西の関係者から推挙されたが、所属していた興行会社や劇場(寄席)支配人の兼ね合いで頓挫した。結局その後東京にいた2代目の弟子が3代目を継ぎ、三木助の名跡は東京落語に持って行かれた。3代目逝去後、再び三木助襲名の話が来るが、これも興行会社がからんで話がこじれてしまった。その後3代目の息子が4代目を継いだが、既に故人となっている。 三木助襲名の話が度々あったのは、上方の名跡を取り戻そうとした動きがあったのもあるが、米朝の芸風がまた2代目に似ていたからでもある。なお、4代目は襲名後米朝に稽古を付けて貰っていた事がある。因みに米朝の若い頃は3代目の若い頃に似ているといわれていた。 戎橋松竹でデビュー後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月に出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語を中心に活動するようになる。翌年千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。 1960年代頃からは、放送タレントとしても「ハイ!土曜日です」、「お笑いとんち袋」(関西テレビ)や「味の招待席」、「和朗亭」(朝日放送)など多数の番組に出演して大人気を博した。 一方で、落語研究家としても活動を行い、一度滅んだ噺を文献から発掘したり、落語界の古老から聴き取り調査をして多数復活させている。彼によって復活した演目としては「算段の平兵衛」「風の神送り」「矢橋船」「けんげしゃ茶屋」などがある。 入門当時には衰微を来たしていた上方落語の復興を願い、共に上方落語四天王と讃えられた6代目笑福亭松鶴、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治らと東奔西走して尽力した。現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。 上方落語協会の会長に四天王としては唯一就任していない。5代目文枝の自伝『あんけら荘夜話』によれば、1988年の選挙で一旦は会長に選出されたが、米朝は「会長になる気持ちはない」と辞退したため、「米朝会長」は幻に終わっている。 1987年4月29日、紫綬褒章授章。1996年、落語家では5代目柳家小さんに続き2人目、上方落語界では初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 TVコマーシャルの出演は一切拒否しているが、「ハイ!土曜日です」でアイバンクを紹介した事が縁で、1983年放送の公共広告機構のアイバンクのCMに出演している。このCMは、ラジオ部門のACCグランプリ、秀作賞、タレント賞を受賞した。 2007年は芸能生活60周年(※米團治に入門してから数えて)であり桂米朝を祝う会等も行われた、そこで退院以来のトリでの落語「将棋小噺」を披露した。GW中に天満天神繁昌亭にて中トリを勤めることが決定していたが、ネタを披露するのかよもやま噺になるのかは調整中としていた。しかし結局叶わなかった。 弟子 月亭可朝・桂枝雀(故人)・桂ざこば・桂吉朝(故人)・桂小米朝(米朝の長男。2008年に5代目桂米團治を襲名予定)・桂すずめ(女優:三林京子) など ビッグショー(NHK総合テレビで1974年 - 1979年)※NHK-BS2「蔵出しエンターテインメント」にて再放送中。 『友あり駄句あり三十年―恥多き男づきあい春重ね』 (単行本、東京やなぎ句会編、日本経済新聞社、1999年3月) 『桂米朝集成 上方落語』 (単行本、全4巻、豊田善敬・戸田学編、岩波書店、2004年11月 - 2005年2月) 『桂米朝座談』 (単行本、全2巻、豊田善敬・戸田学編、岩波書店、2005年12月 - 2006年1月) 『じごくのそうべえ―桂米朝・上方落語・地獄八景より』 (童心社、田島征彦作・絵、1978年1月、ISBN 4-494-01203-3) 『なにわ華がたり―中川絹子 桂米朝と一門をささえた半世記』 (単行本、廓正子著、淡交社、2004年7月、ISBN 4-473-03182-9) この「桂米朝 (3代目)」は、落語家に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:舞台芸術/PJ芸能人) カテゴリ: 落語家 | 人間国宝 | 兵庫県出身の人物 | 1925年生 | 落語家のスタブ項目 |
[ 45] 桂米朝 (3代目) - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E7%B1%B3%E6%9C%9D_(3%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
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蔵の中から、湯気がもうもうと立ち上がっている。杜氏たちが、昔ながらの木桶(きおけ)で黙々と米を蒸す。「木桶も代々修理しながら使っています」と宮元酒造場・十代目の宮元幸一社長。 蒸した米に種こうじを混ぜるのも手もみ。こうじ菌を繁殖させるのも昔の石室。そして、かめ仕込み。文化7年(1810)の創業以来、徹底して手造りを守り通し、「蔵人・伝承づくり」を掲げる。 主力商品は、五年間熟成させた減圧蒸留の米焼酎「九代目」と常圧蒸留の麦焼酎「茶屋」。さらりとしたのどごしながら、うまみがあるの独特の味わいが特徴だ。満を持して販売を始めたのが平成6年11月。当時、出荷できたのは熊本市内の小売店一軒だけ。それが今では26都道府県の約50軒にネットワークが広がった。 「ここまで育ててくれたのは、酒屋さんのおかげ」と宮元社長。それだけに今でも問屋は通さない。評判を聞いて、全国の酒屋から取引を求めるファックスが毎日届くが、全部断っている。「今の酒屋さんを大事にしたい」との思いからだ。「手造りですから量は増やせません。心を込めてうまい焼酎を造るだけです」。宮元社長の焼酎にかける信念は揺るがない。 九代目・宮元酒造場では、文化七年第三十二代 相良藩当主 相良頼徳公により、焼酎造りを拝受して、蔵人伝承づくりと称して下記の四つを伝承し続けています。 この「九代目・拾年かめ貯蔵」は、たった年一回、夏に予約分だけ出荷されるたいへん稀少な米焼酎なのです。 宮元酒造は、製造石数が650石(1石:1.8L瓶100本)と少量手造りに徹する蔵元です。その650石の内、500石が貯蔵に回されます。そして地中に埋められた大甕(おおかめ)で10年間、時を刻んだ焼酎だけが、「九代目・拾年かめ貯蔵」として出荷されるのです。 また、10年間のかめ貯蔵には限度があって、一年間の醸造限度が1000本です。そのため年一回だけの発売となっているのです。 その酒の色は、透明で艶があります。(樫樽貯蔵と異なり、かめ貯蔵の場合は色はつきません) そしてふくよかでほのかに甘い香りがします。含むと、円やかでとろりとした口当たり、次にやさしい米の甘みが、じわ〜とにじみ出てきます。 25度の焼酎とは思えない、芳醇で厚味のある味わいに時を感じます。最後にふところの深い余韻もお楽しみください。 まずはストレートで、この稀少な蔵元入魂の一滴をお召し上がり下さい。数に限りがございます。 この「九代目・常圧十年貯蔵」は、宮元酒造が平成6年に常圧蒸留で造った米焼酎を、10年の長きにわたり熟成させた米焼酎です。 当初は、5年熟成を目安に発売の予定でしたが、5年ではまだまだ目的の酒質に達していないと判断、さらに寝かせてようやく10年目の今年、満を持して発売となりました。 おだやかで落ち着きのある、ほんのり甘い香り。ツンとくるようなところはまったくない。含んだ瞬間にまず感じられるのはソフトな甘み。それから、まったりとした旨味が、じわじわっ〜とやわらかく広がる。 お飲みになられましたら、きっと「10年という月日が、米焼酎をこれほどまでに円やかで厚みのある深い味わいに育てるのか。」と驚かれることでしょう。この焼酎はちょっと感動ものです。 原料(国産米:ヒノヒカリ100%)にこだわり、伝承の技と、熟成の時により、美味しい焼酎が生まれる。そう信じる蔵元が造り上げた入魂の焼酎をまずはストレートで、お召し上がり下さい。ロックも最高です。 常圧蒸留とは、ふつう平地の大気圧は一気圧で、これを常圧と言いますが、この常圧下では、水は100度Cの温度で沸騰します。この常圧下でもろみを蒸留するのが常圧蒸留です。これに対し例えば、富士山の頂上では0・63気圧と気圧が低くなり、その低気圧では同じ水が87.4度温度で沸騰します。この原理を利用し、蒸留機内の空気を真空ポンプで抜いて減圧し、低温でもろみを蒸留するのが減圧蒸留です。 近年は、機械化による減圧蒸留が主流です。、減圧蒸留で造られた焼酎は軽快な味になります。ただ芳醇なコクや原料本来に由来する味わいに乏しく、熟成にも耐えられにくいと言われています。手間隙かけた常圧蒸留だからこそ熟成による深い味わいが楽しめるのです。 注ぐとほのかに甘い香りが立ち上る、含むとまろやかできめ細かい口当たりはさすが、かめ貯蔵5年ものです。味わいのどの部分にも角がなく静かにそして厚味を持ってやさしく口中に行き渡ります。まずはストレートで、また好みに応じてオンザロックでもお湯割りでもお楽しみ頂けます。 「特に銘柄にこだわらないし、原料(麦・芋等)にもこだわらないけど飲みやすくて美味しい焼酎はどれですか?」なんてお客様からご質問があれば、真っ先にご紹介するのは、決まってこの九代目です。そして実際にお飲みになられた方からのご感想も、「美味しかったよ」と声をかけて頂くことが多いです。 人気の米焼酎、九代目をさらに木樽にて10年貯蔵しました。木樽に肌添えさせることによる、やや琥珀を帯びた酒の色をしています。トップノート(最初に立ち上がる香り:ウイスキーやブランデーの香りを表現する際によく使用)は、正にウイスキーのような樽香がやさしく広がる。 含むとアルコール度数:35度を感じない深くまろやかな口当たりは、長期熟成ならでは。その後とろりと喉にすべり込み、豊かな余韻を楽しめます。まさに球磨地方の気候風土と時の流れを感じずにはいられません。 私は、オンザロックが最もおすすめですが、強い方はぜひストレートでもお試しください。この上ない、極上の味わいを堪能できる逸品としておすすめします。 球磨川の清水をベースに、手造りで麹を造り、木桶で蒸し手間隙のかかる常圧蒸留にて蒸留した焼酎をかめにて5年貯蔵。特に麹にも麦こうじを使用した、いわゆる「むぎむぎ焼酎」です。 まず麦のほのかに香ばしい香りがゆっくりと香り出す。口当たりはとてもまろやかで微かな甘味も感じられます。滑らかに通りすぎる喉ごしも秀逸。 一般の減圧蒸留で造られた大手メーカーのライトな麦焼酎とは、一線を画す。正にプレミアム焼酎と言われる由縁でしょうか。 ほのかに立ち上がる甘い香り。アルコールが高いので、鼻を近づけすぎると咳き込みますよ。(私がそうでした) 含むとチリチリと甘味が広がり、続いてググッとアルコールを感じます。瓶の肩に「濾過前焼酎」とありますが、つまりは濾過をせず蒸留したまま瓶詰めした焼酎という事です。 その強さを味わいにも感じます。こんな焼酎はストレートよりもオンザロックやむしろ水割りがいいですね。水割りしますと、やわらかい米の甘味とスムーズな口当たりに変身です。グラスにちょっと大きめの氷を1ヶ入れて、ちびちび飲むと美味しいですよ。 農薬や化学肥料に頼らず太陽の恵みと前川水源の水と土の力だけで栽培した米を使って仕込まれました。 |
[ 46] 九代目|茶屋|萬屋玄|宮元酒造場┃美酒のあべたや
[引用サイト] http://www.abetaya.com/hp/z-syotyu/kyudaime.html
