四つとは?
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大逆犯の処刑法。1241年に海賊行為で捕らえられた貴族の息子ウィリアム・モーリスが、イングランドで四つ裂きにされた最初の男とされている。(注1) 「神の屠殺(Godly Butchery)」と呼ばれたこの血なまぐさい刑の執行手順は次の通り。 まず、荷車で絞首台まで運ばれた罪人の首を吊り、半死の状態になったところで解体台に移す。そこで腹を割いて次々と内臓を引きずり出し、まだ息のある罪人自身にみせつけてから火の中に放り込む。最後に首を切り落としたあと、死体は四つに分断され、公道に面した場所に首とともに晒される。(拡大) なお、初期には、罪人をロープで馬につなぎ、地面を引きずって処刑台まで運んでいた。刑罰名に含まれる"drawn"の元来の意味がこれである。 荷車で移送するようになった理由は、受刑者に対する慈悲からともいわれるが、恐らく、地面を引きずるやり方では処刑台に着くまでに受刑者が死亡してしまうことがあり、確実に生きたまま死刑執行人に引き渡すために心ならずも荷車を採用したというのが真相であろう。 四つ裂きに処された有名な人物としては、メル・ギブソン監督・主演の映画 『ブレイブハート』の主人公、スコットランドの愛国者ウィリアム・ウォレス(1272?-1305)がいる。彼の場合は、ウェストミンスターからロンドン塔まで移送され、そこで映画でも描かれたように上記の作法にそって処刑された後、頭部はロンドン橋で、四肢はニューカッスル、ベリック、スターリング、パースの四か所で別々に晒された。(注2) 被告人よ、汝をここより元の場所へ送り返し、そこから改めて、荷車で刑場へ連行し、絞首刑に処し、生きたまま綱から切り落とし、・・・・・・汝の眼の前で、はらわたを掴み出しては火にくべ、首を胴から斬り離し、胴は四つ切りにして、首はロンドン橋に晒し、その余は四つの市門に別々に晒す。 四つ裂き刑は1814年に廃止された。ただし、国王はなお絞首後の斬首を命ずることができるとされ、その権限が最後に行使されたのは、1820年、カトー・ストリート陰謀事件に際してである。暴力革命を計画し、閣僚の暗殺を謀った社会主義者アーサー・シスルウッドら首謀者5人は、4月30日にニューゲイト監獄で絶命するまで絞首された後、棺桶の上に横たえられ、その手並みから外科医とも屠殺業者とも噂された覆面の助手によって一人ずつ順にナイフで首を切り落とされた。死刑執行人は、5つの首を一つずつ観衆に向かって高々と差し上げて叫んだ。「これが反逆者の首だ!」 (拡大) このお馴染みのセリフが死刑台の上から発せられた最後の瞬間であった。(注3) 四つ裂き刑を宣告されるのは、男だけである。女性のデリカシーを重んじるイギリスでは、女性の処刑は大逆犯であっても通常の火刑によると決まっていた。 究極の刑罰としての四つ裂きは、手順こそ違うものの、他のヨーロッパ諸国でも重宝されていた。たとえば、ルイ15世の暗殺を試みてかすり傷を負わせたロバート・ダミアンは、生きたまま両腕を焼かれ、ところかまわず肉をえぐり取った痕に沸騰した油やタールをかけられ、挙げ句に、いかにも苦痛を終わらせる恩寵を与えるといった恩着せがましい態度で手足を四頭の馬に結びつけられて、バラバラにされた。 |
[ 16] 四つ裂き
[引用サイト] http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/system/howto/quarter.htm
