土俵とは?
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江戸時代の土俵の直径は、13尺(3メートル94センチ)でしたが、昭和6年(1931)4月29日の天覧相撲から現在の15尺(4メートル55センチ)となりました。土俵を広げた理由は「相撲独特の瞬間的勝負の醍醐味(だいごみ)を少しでも長く見てもらうため」と相撲協会は発表しています。なお、昭和20年(1945)11月場所(旧両国国技館)の1場所のみ進駐軍(G・H・Q)の要請により16尺にしたことがありました。 本場所の土俵は、土俵の円周となる勝負俵(内俵)16、東西南北の徳俵4、周囲を囲む角俵28、四角の上げ俵(外俵)4、土俵に上がる上がり段(踏み俵)10、少し小さめの水桶俵4と、6種類の俵を66俵使用しています。 昔は1俵の米俵を3つに分けて細長い俵を作っていましたが、現在は米俵がなくなっているので、寸法を指定して業者に注文しています。 俵の中には土と砂と玉砂利を混ぜ、ツキ棒で突いて俵の隅々まで平均に入れ、荒縄できっちりと縛ります。そしてビールの空き瓶で俵を叩いて形を整えたり、縄目をしっかりと食い込むようにします。 東西南北(四方)の真ん中の俵を、土俵の円より俵1つ分だけ外側にずらして埋めます。その部分だけ土俵が広くなり、受け身に回った力士が得をすることから「徳俵」と呼ばれています。もともと、相撲が野外で行われていた時代、土俵にたまった雨水を掃き出すためにずらしていた名残です。 上がり段の俵は土俵の斜面を切り込んで、正面に1俵、向正面、東西に各3俵ずつ、角俵と平行に並べて埋めます。控え力士が土俵に上がるときの足場にします。力士の上がり下がりで崩れないように特に配慮が必要とされます。 土俵の円の外側に沿って、約25センチの幅に砂を敷きます。昭和6年までに使われていた二重土俵の名残で、土俵の円が二重になっているところから蛇の目の傘に描かれている「二重の円」にちなみ、この名が付けられました。その間に敷かれていた砂を蛇の目の砂といい、後に内側の円が取り除かれ、蛇の目の砂は円の外に移されました。 本場所の5、6日前から作り始めます。両国国技館の場合、表面の部分を切り崩し、新しい土を入れ替えて作り直します。 土台のない地方場所や巡業先では、寸法を測って四方に杭(くい)を立て、その中に土を盛り丸太で周囲を囲み、角のほうから形を作っていきます。 「千本搗き(せんぼんづき)」と言って、大きなタコで荒突きしたあと土端(どは)を叩いて固め、小さなタタキで細かく丁寧に何回も突いて表面を平らにし、適度の硬さに突き固めます。 土俵が柔らかいと、足の指が土の中にめり込んだりしてケガをしてしまいます。規定では「四股を踏んでも足跡がつかない堅さ」となっています。 土俵の中心線と対角線に縄を張り、その接点を求めて土俵の中心とします。中心を決めたら、五寸クギとひも(または縄)を使って直径が15尺(4.55メートル)の円を描き、鍬(くわ)を使って俵を埋め込む溝を掘ります。このとき、直径15尺は内径のことなので、俵の幅だけ外側を掘ります。 規定により土俵上の俵の高さは、俵の6分を土の中に、4分(5センチ)を土の上に出して、全部で66俵の俵をツキ棒を使ってそれぞれの場所に埋め、固定します。 最後に、2本の仕切り線を土俵上の中央に入れます。幅6センチ、長さ90センチの白線を70センチの間隔で、呼出がエナメルを何度も塗って描き上げ、初日を待つばかりの土俵ができあがります。仕切り線は、本場所も取組終了後に毎日塗って手入れをしています。 土俵の土は「荒木田」という壁土用の粘土質の土が最適とされていました。東京都荒川区荒木田原(現・町屋)の荒川沿岸にあった土で、きめが細かく粘土質が強いと言われています。 しかし、東京近郊の開発が進んだため、現在の両国国技館で使われる土俵の土は、千葉県我孫子市周辺のものが使用されています。 地方場所はもちろん、1日間の巡業も土俵を作るので、土俵に適した土探しが担当の親方の大仕事となります。 両国国技館の場合、土台ができています。その土台に使われている土は、10トントラック4台分。表面の部分は10トントラック1台分の土が使われています 。 |
[ 40] 土俵(相撲豆知識) - goo 大相撲
[引用サイト] http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/shiru/kiso_chishiki/mame/dohyo.html
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土俵(どひょう)とは、土を盛って作る相撲の競技場である。俵に土を詰めた袋(土俵)を使っているため特に土俵場(どひょうば)と呼んでいたが、これを縮めた呼称である。 現代の大相撲では、一辺が6.7mの正方形に土を盛り、その中央に直径4.55m(15尺)の円が勝負俵(計16俵)で作られていて、その円の東西南北4箇所に、徳俵(計4俵)と呼ばれる俵1つ分の出っ張りが設けられている。円の外側には正方形の形で角俵(計28俵:各一辺7俵の俵)を配置、その正方形の角には、あげ俵(計4俵:各角にそれぞれ1俵)が配置され、土俵に上がる段のための踏み俵(計10俵:土俵の周りに東・西・南部分に各3俵、北部分に1俵)、南西・南東には力水のための水桶をおく水桶俵(計4俵:各2俵)が配置され、合計して66俵を使用する。 俵は主に稲藁を細い俵状に編んだものが使用され、中には土が入れられている。地方自治体で設置された土俵では頑丈なシートで俵を作成する場合もある。 俗に「土俵には金が埋まっている」と言われるが、実際には縁起を担ぐ意味で勝栗や昆布・米・スルメ・塩などが神への供物として埋められている。 土俵の土は、若干粘土質が混じった物が使用される。これは土を盛ったとき型くずれしにくく、振動にも強い為でもある。また、勝負俵の内側には若干の砂質の土が撒かれている。力士の足首への負担を減らすなどの安全対策でもある。また、勝負俵の周囲にも円形に砂が撒かれている。これは勝負俵から力士の足が出たかどうか判別するに痕が残るため審判が下しやすい為でもある。これを蛇の目(じゃのめ)と呼ぶ。 土俵の上には、屋根が吊されており、切妻で千木と堅魚木を持つ神明造りであるということは土俵が神のいるところだということを示している。その屋根の四隅(東西南北、正しくは東北、東南、西南、西北)に4色の房が飾ってある。青い房は青龍 (四神)(東)、白い房は白虎(西)、赤い房は朱雀(南)、紫または黒の房は玄武(北)を表している(地域によって順序が異なっている事がある)。 屋根を柱で支えていた時代は房が無く、四本の柱にそれぞれの色の布を巻いていた。 相撲において古来相撲節会に土俵なるものはなかった。『相撲伝書』によると鎌倉時代に見物人が直径7〜9m(4〜5間)輪を作り、これを「人方屋」といったという。これが土俵の起源である。江戸時代に大相撲興行が始まり、「人方屋」では特定の力士のひいきが手を出して勝負を妨害するなど喧嘩が絶えないということで、まず寛文年間にリングのように4本の柱の下に紐などでかこったものになった。それを俵で囲んだものとなり四角い土俵になった。なお四角い土俵は各地の神社や南部相撲などに現存し使用されている。次に大相撲では延宝年間に東屋作りの屋根の下に四神をあらわす4色の布を巻いていた柱の方屋の下に五斗俵による3.94m(13尺)の丸い土俵が設けられた。享保年間に俵を2分の1にし地中に半分に埋めた一重土俵ができた。これに外円をつけて二重土俵(これは「蛇の目土俵」ともいう)となった。これは内円に16俵、外円に20俵いることから「36俵」と呼ばれた。1791年(寛政3年6月11日)征夷大将軍・徳川家斉の上覧相撲の際に吉田司家の吉田追風が前日に1夜で土俵を作り「はじめて「方屋開」を行なった。明治に方屋の屋根を神明造りにした。昭和3年(1928年)1月12日から日本放送協会のラジオ放送による大相撲中継がはじまった際、放送時間内に勝負を納めるため土俵に仕切り線を設けた。昭和5年(1930年)3月場所に観客の視界の妨げになること、力士の怪我の原因になることを理由に土俵上にすわっていた勝負検査役を土俵下におろし5人とし、方屋柱に塩桶をくくりつけた。 昭和6年(1931年)4月の天覧相撲の際、二重土俵の内円をなくし径4.55m(15尺)の一重土俵にし、方屋の柱をなくして神明造りの吊り屋根にした。 昭和20年9月、4.84m(16尺)にしたが、力士会の反対で11月の1場所かぎりで径4.55m(15尺)の現在の土俵となった。天上からの吊屋根にしたのは、蔵前国技館開館の昭和29年(1954年)のことである。 土俵は、力士が入場の際柏手をうつなど神がいる場所とされてきた。柏手については相撲の宗家吉田司家の許可に基づいている。 東京両国国技館の本場所前々日に野見宿弥神社(東京都墨田区)で日本相撲協会の幹部、審判部の幹部、相撲茶屋等関係者が集まり、出雲大社教神官の神事が執り行われる。 また、各場所の初日前日に土俵祭りが行なわれる。内容は土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを封じ、相撲の三神(タケミカヅチ他2神)と弊束を7体祭り、立行司が祭主で介添えの行司が清祓の祝詞を奏上し、祭主が神事を行い、方屋開口を軍配団扇を手にして言上する。この後、清めの太鼓として、呼び出し連が土俵を3周して終わる。これは1791年(寛政3年6月11日)征夷大将軍・徳川家斉の上覧相撲の際に吉田追風が前日に土俵を作った際「方屋開」として始めたものである。 このように土俵上は神聖な場所で女人禁制とされている。地方に於いては子供相撲など女子も参加しておりこれは崩れつつあるが、伝統を重んじる場合は論議をよんでいる。1989年には森山真弓官房長官が総理大臣賜杯授与を行いたいと明言したが相撲協会が拒否しこの際には女性差別問題を含め議論を呼んだ。また2004年には太田房江大阪府知事も知事杯授与を希望する旨表明したがやはり相撲協会が拒否をしている。 平成19年(2007年)、九月場所11日目の9月19日には、ビラのようなものを持った女が乱入し、錦戸親方や高見盛関らに取り押さえられるハプニングがあった。 この「土俵」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています。(PJ相撲) |
[ 41] 土俵 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BF%B5
