場所とは?
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瀬戸内さんは極めて数多くの作品を書き続けてきた人だが、この数年間の仕事ぶりは“いよよ華やぐ”どころか異常ですらある。『源氏物語』の全巻をいただいたが、歌舞伎で舞台化されるとなると徹夜で脚本まで書き、四十数巻にも及びそうな作品を厳選して全二十巻にまとめた『瀬戸内寂聴全集』は、ゲラ読みだけでも大変な作業であるのに自身で解説を書き、源氏や全集の販売のため出版社に協力して各地の(外国まで)講演会やサイン会に出かけて行き、その間、文芸雑誌、週刊誌に小説やエッセイを連載し、テレビ出演や対談、座談会にも出席して、寂庵では説法をし、人々の悩みごとまで聴くという超人的なスケジュールをこなしている。 何かが憑いている、と言ったら、狸が三匹憑いているのよ、という返事で、寂庵で狸がお月見をしていたという話は聞いているが、私はこのあふれるばかりの才能と、想像を絶するエネルギーは、鬼神がついているとしか思えない。鬼神とは、死者の霊魂と天地の神霊。人の耳目では接し得ない超人的な能力を有する存在というから、さまざまな死、それも大切な人々の尋常ではない死に遭遇してきた瀬戸内さんに、先立った人々の霊魂が憑いていると思っても不思議はないような気もしてくる。それらの人々が、瀬戸内さんを愛していたことは並々ではなかったのだから。 今回、「新潮」に連載された『場所』は、全集の解説を書くために、自分の小説に書かれた場所を訪ねた時の情景や感慨をまとめたもので、私が瀬戸内さんを昔からよく知っているという理由から紹介文(書評などというものではない)を依頼されたのだが、それほどよく知っているわけではないものの、ある程度知っているために、この作品にのめり込んで客観的に読めなかった点、担当者が人選を誤ったと思われてならない。 私が瀬戸内さんを知ったのは、三谷晴美というペンネームで、丹羽文雄先生主宰の第一次「文学者」に作品を発表していた頃である。「文学者」が休刊になったあと、小田仁二郎氏を中心とした「Z」に仲間入りさせて貰い、作品を発表するかたわら瀬戸内さんと私は生活のために少女小説を書いていたのだった。 三谷晴美という字面も音も美しい名前は「場所」によるとペンネームではなく、父上が大伯母瀬戸内イトさんの養子にはいったため、三谷姓が瀬戸内姓になったのだと初めて知った。 「心の旅路」という映画は、記憶喪失したヒロインが、自分の過ごした思い出の地を訪ねてゆくうちに自分を取り戻すというストーリーだったと思うが、瀬戸内さんの「場所」は過去と現在を行きつもどりつしながら、まず出生をたずねてその由緒ある家系に思いがけぬ発見をしたり、かつて瀬戸内さんとかかわりのあった、あるいはそのゆかりの人と語り合ったり、あまりに変化した町を浦島太郎のような心もとなさで歩いていると、突然昔のままの面影を遺す建物や家並みを見出したり、何十年も前に作品化した当時の思い出に浸りながら、かつて自分が思い込んでいたことと現在の自分の思いとの間に差違があることに気づいたり……。瀬戸内さんの心の旅路に私まで踏み迷うのであった。 私も、過去を振り返り自分を見つめ直す旅をしてみたいという誘惑を覚えたが、平板な人生を歩いてきた身には、切実で波乱に富んだドラマが展開した場所などなくて、これほど魅力ある作品にはなる筈もない。一章一章が、思い出探しなどではなく、それぞれ完成した一編の小説になっているところが瀬戸内さんの瀬戸内さんたるところなのである。 私が知っている場所は各章に出てきて、三鷹の丹羽文雄邸、「文学者」の合評会が開かれた東中野の「モナミ」、「文学者」で知り合った妻子ある小田仁二郎氏が瀬戸内さんの許に通って来ていた西荻窪の屋敷の離れ。「Z」の合評会は毎回この部屋で開かれていたのだ。「Z」の表紙は彫刻家流政之氏のオブジェの写真で飾られたが、京都の出版社時代の上司だったという興味あるエピソードも書かれている。この時代は私たちが最も高揚していて、七人の同人たちがどれほど熱く小説について語り合ったことか。 その後瀬戸内さんは野方に転居し、私はその二階建の借家にも訪ねて行った。恋人と住むようになった練馬高松町には行かなかったが、著名な文人たちが住み、新たな恋もあった高級な目白台アパート、本郷壱岐坂の眺望のいいマンションにも招かれ、京都の寂庵も日本女流文学者会の仲間たちと訪ねた。かつて目白台アパートに住んだ谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内晴美が、源氏物語の現代語訳を完成しているのも不思議な因縁である。 夫君と幼い愛娘を捨てて家出する原因となった夫君の教え子と再会してからの四角関係(小田夫人を数えて)の危うさの中の不思議な均衡と、二人の男との鮮烈な愛のありようは、名作「夏の終り」やその関連の「みれん」「あふれるもの」「花冷え」などを私は同時進行のように読んだのだが、奔放に見えながらも主人公の純粋さ、真摯さ、激しさに圧倒され続けたものだった。 これらの作品は私小説の範疇にはいる。私小説は必ずしも事実ではなく、作者の創意が加えられているものであるが、『場所』は著者の生な呼吸が感じられる点で強い印象を残す。わけても「名古屋」の章は、唐突に恋人の存在を夫に打ち明ける切羽詰まった場面、夫に拉致されるように上京したあげく、夫と娘を捨てて京都の恋人の許に走る車中での心の葛藤が息苦しいまでに書かれていて胸をしめつけられる。 長い間、整理がつかないでいた瀬戸内さんの出家についても、『場所』を読了して私なりに納得出来たのだった。 免責事項 | プライバシーポリシー | Privacy Policy | リンクフリー | お問い合わせ | ショッピングガイド |
[ 6] 瀬戸内寂聴『場所』
[引用サイト] http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/311216-6.html
