ニューオーリンズとは?

ニューオーリンズ(英:New Orleans、仏:Nouvelle-Orleans)はアメリカ合衆国ルイジアナ州南部に位置する、州最大の都市。
メキシコ湾に通じる重要な港湾都市で、工業都市・観光都市としても発展した。長くフランス領ルイジアナの首府であり、今日まで独自の文化を伝えている。フランス語名ヌーヴェル・オルレアンは「新たなるオルレアン」の意味である。市内のフレンチ・クオーターと呼ばれる地区には今なおフランス植民地時代の雰囲気を残している。
ニューオーリンズはジャン=バティスト・ル・モワン・ド・ビエンヴィルの指導下、「ラ・ヌーヴェル=オルレアン」(La Nouvelle-Orleans)としてフランス人によって1718年に設立された。1722年にはフランス領ルイジアナの首府となった。1763年パリ条約によりルイジアナはスペイン領となるが、町はフランス系住民が多く宗主国スペインの影響はほとんど見られなかった。
1801年ナポレオン皇帝がルイジアナをフランスに返還させたが、財政上の必要から1803年アメリカ合衆国に売却した(詳しくはルイジアナ買収を参照)。この時の町の人口は約1万人であった。この頃、カリブ海のフランス領サン・ドマング(現・ハイチ)で黒人革命が起こり、さらに多くのフランス人やクレオール(フランス人と奴隷の混血の人々)が町に流入した。1812年に起こった米英戦争では英軍の侵攻を受け、1815年アンドリュー・ジャクソン将軍が英軍を撃破した(ニューオーリンズの戦い)。1849年に州都がバトンルージュに移ったが、依然として州の経済的・文化的中心の地位を保っている。
地域の大部分が湿地帯であったため、従来は都市の建設はミシシッピ川に面した高台の地域に限られていたが、1910年代に土木技師のボールドウィン・ウッドが排水ポンプを開発したことが広範囲の開発を可能とした。
1923年、ミシシッピ川とポンチャートレイン湖間の輸送ラインとなる工業水路が開通、また1965年には、そのメキシコ湾へ抜ける道となる、ミシシッピ川湾口水路が開通し、輸送ルートは大きく変わることとなった。
1964年、市の「近代化」の一環として、カナル・ストリートの路面電車が廃止され、バスに置き換えられた。しかしながら、その廃止を惜しむ声に後押しされる形で、この路面電車は2004年に復活している。
1965年9月、ハリケーン・ベッツィーがニューオーリンズを襲い、ロウワー・ナインス・ワードを始め、周辺のアラビ、シャルメットといった街に大きな被害を与えた。1995年5月にも、豪雨による洪水で浸水の被害が出ている。
1978年、ニューオーリンズ市議会議員のアーネスト・モリアルがアフリカ系アメリカ人初の市長に選出される。
1984年、ニューオーリンズ国際河川博覧会が開催されるものの、来場者は伸び悩んだ。1982年のノックスビル国際エネルギー博覧会から日が経っていなかったことなどが影響したと言われている。
2005年8月25日にフロリダ州の南部先端に上陸、通過したハリーケーン・カトリーナは北方に進路を変更し、勢力をカテゴリー5に拡大した。そして、8月29日にこの都市の近くのメキシコ湾沿岸に再上陸した。(上陸時の勢力はカテゴリー4)
ニューオーリンズ市は、陸上面積の8割が水没した。観光地として有名なフレンチ・クオーターやガーデン地区 (Garden District)などは水害を免れたものの、アフリカ系アメリカ人が多く住むロウワー・ナインス・ワード、ポンチャートレイン湖に面した高級住宅街レイクビュー地区 (Lakeview)を中心に壊滅的な被害を受けた。
ニューオーリンズは、北緯29度57分53秒、西経90度4分53秒にありメキシコ湾から約100マイルほどさかのぼったミシシッピ川の堆積上に位置し、市の北部はポンチャートレイン湖と接している。蛇行するミシシッピ川に沿う地形から「クレセント・シティ (三日月の街)」との愛称でも親しまれている。
ニューオーリンズは海抜-6.5から20フィート (-2 から 6 m) の都市地域を範囲としているという点で特異な都市であり、"スープ皿"の異名をとる。市の東側には広大な湿地帯が広がっている。創設以来、水害に悩まされており、1インチ(約2.5cm)以上の降水量で容易に水害が発生する。水害から市を守るためにニューオーリンズは堤防で囲まれているが、2005年当時の堤防はカトリーナ級のハリケーンを前提にして設計されていなかったため、堤防は決壊し、未曾有の水害を引き起こした。浸水を避けるため、墓地のほとんどが地下に土葬するのではなく、地上に埋葬室を設け、その中に葬っている。
ニューオーリンズの気候はケッペンによる厳格な気候区分では温暖湿潤気候に区分される。しかし実際には温帯〜熱帯の遷移部にあることから、冬はおだやかであり、夏は湿度が高く暑い亜熱帯気候である。
1月の早朝最低平均気温は華氏43度(摂氏6.1度)前後、日中最高気温は華氏62度(摂氏16.7度)前後である。7月の最低平均気温は華氏74度(摂氏23.3度)、最高平均気温は華氏91度(摂氏32.8度)である。
人種的な構成 : 白人28.05%、アフリカ系アメリカ人67.25%、先住民0.20%、アジア系2.26%、太平洋諸島系0.02%。その他の人種0.93%、及び混血1.28%である。人口の3.06%はヒスパニックまたはラテン系である。
しかし、2006年2月28日付の米紙「USAトゥデイ」が報じた調査結果によると、ニューオーリンズの人種構成が、2000年に実施された国勢調査の時のアフリカ系アメリカ人が多数の状態から、白人多数の状態に激変した可能性が高いことが分かった。調査というのは、同紙が電話を持つ市民を無作為に抽出するもので、その結果、回答した約52%が白人で、アフリカ系アメリカ人は約37%にとどまった。これは深刻な被害を受けた地域にアフリカ系アメリカ人が多数住んでいたためとみられている。
188,251世帯のうち、29.2%が18歳未満の子供と一緒に生活しており、30.8%は夫婦で生活している。24.5%は未婚の女性が世帯主であり、40.0%は結婚していない。33.2%は1人以上の独身の居住者が住んでおり、9.7%は65歳以上で独身である。1世帯の平均人数は2.48人であり、結婚している家庭の場合は、3.23人である。
この都市内の住民は26.7%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.4%、25歳以上44歳以下が29.3%、45歳以上64歳以下が20.9%、及び65歳以上が11.7%にわたっている。中央値年齢は33歳である。女性100人ごとに対して男性は88.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は83.3人である。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は27,133米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は32,338米ドルである。男性は30,862米ドルに対して女性は23,768米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 (per capita income) は17,258米ドルである。人口の27.9%及び家族の23.7% は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の40.3%及び65歳以上の19.3%は貧困線以下の生活を送っている。
ニューオーリンズ市と郊外のケナー市、メテリーをあわせた地域はグレーター・ニューオーリンズ大都市圏(ニューオーリンズ・メトロエリア or 大ニューオーリンズ)と称される。この地域の人口は、2000年の国勢調査で1,337,726人であった。
ジャズの発祥地として名高い。 クレオール料理、ケイジャン料理で有名な美食の町としても知られる。 毎年2月頃に行われるマルディグラ祭は、リオデジャネイロのカーニバルなどと並び、世界の主要カーニバルのひとつに数えられる。
ニューオーリンズは、全米でも有数の観光都市であり、多くの見どころ、観光名所が存在する。まず有名なのは、フランス、スペインの植民地時代の街並みを残すフレンチ・クオーターである。カナル・ストリート、エスプラネード・アベニュー、ランパート・ストリートの3つの通りとミシシッピ川で区切られたこの地域の中には、世界的に有名な名所が数多い。多くのバー、ライヴハウス、土産物屋が軒を連ねるバーボン・ストリート、アンティーク街として著名なロイヤル・ストリート、北米最古の大聖堂、セントルイス・カテドラルとその前に位置するジャクソン・スクウェア、伝統的なジャズのライヴ演奏が聴けるプリザベーション・ホール、カフェオレとベニエ・ドーナツが有名なカフェデュモンドなどは皆クオーターの中に位置している。
フレンチクオーターを出てアップタウン方面に行けば、洒落たショッピング街として知られるマガジン・ストリート、オーデュボン公園とオーデュボン動物園がある。またセントチャールズ・アベニューには、世界最古と言われる古風な路面電車が走り (公共輸送機関の項参照)、19世紀の豪邸が建ち並ぶ美しい街並みが広がる。
また、ニューオーリンズは特殊な形式の墓も有名であり、ラファイエット墓地、セントルイス墓地などは、国定史跡に指定されている。美術館としては、コンテンポラリー・アーツ・センター (CAC)、ニューオーリンズ・ミュージアム・オブ・アート (NOMA)などがある。広大なミシシッピ川には、蒸気船のナチェス号が浮かび、ミシシッピ川のクルーズが楽しめる。
ニューオーリンズはジャズの発祥地とされる音楽の都である。ジャズのほかにも、さまざまな音楽が息づいている。
また、以下はニューオーリンズ発祥ではないが、ルイジアナ州土着の音楽であり、ニューオーリンズでも盛んである。
セインツの所有者が所有する、アリーナ・フットボール・リーグ(AFL)のニューオーリンズ・ブードゥーも本拠地としている。
NBAのニューオーリンズ・ホーネッツ2002?は2003年のシーズンの開幕を機にノースカロライナ州シャーロットから移動した。
ニューオーリンズ・ゼファーズ(AAA マイナーリーグ・チーム)は隣接するメタリー(Metairie)で試合を行っている。
この他、ニューオーリンズを本拠地としたチームに野球のニューオーリンズ・ペリカンズ(New Orleans Pelicans、1887?1959年)、アメリカ合衆国フットボール・リーグ (USFL) のニューオーリンズ・ブレーカーズ(現ポートランド・ブレーカーズ)、AFLのニューオーリンズ・ナイト(New Orleans Night、1991?1992年)及びアイスホッケーのニューオーリンズ・ブラス(New Orleans Brass、1997?2003年)、バスケットボールのニューオーリンズ・バッカニアーズ(c. 1967?1970年)及びニューオーリンズ・ジャズ (1974?1980年、現ユタ・ジャズ) がある。
ニューオーリンズ地域周辺の公共交通機関はNew Orleans Regional Transit Authority ("RTA") によって運営されている。多くのバス路線に加え、直流電化された現役の路面電車路線が3路線ある。
2005年8月のハリケーン・カトリーナで被災したために、しばらく路面電車の運行がストップしていたが、2005年12月18日には、リバーフロント線とキャナル・ストリート線の全線で運行を再開した。これらの路線ではセント・チャールズ線の車両が使用されているが、これはリバーフロント線を運行していた車両7両とカナル・ストリート線を運行していた車両24両が浸水したためである(セント・チャールズ線の歴史的にも有名な緑の車両は浸水しなかった)。このため、従来車椅子を使用する乗客のために昇降機がなく、やや不便な状態になっている。
2006年12月19日には、セント・チャールズ線(アップタウンとダウンタウンを結ぶ路線)の一部(キャロンデレット・ストリートとカナル・ストリートの交差点から、セントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)を通過してリー・サークルまでの環状線)のみ運行を再開した。運行時間は、午前9時から午後6時までの毎日となっている。運賃はハリケーン前と同じく、どこの駅で乗り降りしても1.25ドルである。運転手はお釣りを持っていないため、乗車には現金又はRTAパスが必要である。なお、ストリートカーの運賃の支払機には、1セント硬貨を投下することが出来る。
2007年1月11日現在もなお、セント・チャールズ線には代替バスが運行している。FEMAの支援により無料運行をしていたが、2006年8月上旬から一人1.25ドルを課している。
地元報道によれば、セント・チャールズ線の架線の電気系統がハリケーンでひどく損傷しているため、この修理が終わるのは2007年後半以降になると予想されている。
大都市圏はアメリカ合衆国、カナダ、ラテンアメリカ、及びカリブ海地方行きの路線に毎日300便近い直行便を運行し数百万人の旅客に利用されている、ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港 (IATA空港コード:MSY、ICAO空港コード:KMSY) によってサービスされている。この空港はヨーロッパからのかなりの量のチャーター便も取り扱っている。MSYは同じように貨物だけの運用も毎日行っている特徴があり、フェデックス向けにメキシコへの直行便のゲートウェイ・サービスを行っている。アームストロング国際空港はニューオーリンズ市が所有しているが、ケナー市内に位置している。
また、ニューオーリンズ市内のポンチャートレイン湖沿岸には、レイクフロント空港があり、こちらは主に小型機、チャーター機などが利用している。
市内には、アムトラックのユニオン駅があり、ワシントンD.C.やニューヨーク、シカゴとの間を結ぶ長距離列車や、オーランド(フロリダ州)−ロサンゼルス間を結ぶ大陸横断列車などが発着する。
クレセント(Crescent) ニューオーリンズ−アトランタ−ワシントンD.C.−ボルチモア−フィラデルフィア−ニューヨーク
サンセット・リミテッド オーランド−ジャクソンビル−ニューオーリンズ−ヒューストン−サンアントニオ−エルパソ−ツーソン−ロサンゼルス(オーランドニューオーリンズ間は2005年8月のハリケーン被害によって無期運休中)
グレーター・ニューオーリンズ大都市圏には200前後の教区立学校がある。ニューオーリンズ市及びジェファーソン郡公共学校システムはそれぞれ100近い個人学校の拠点として共に地域で最大である。

[ 63] ニューオーリンズ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BA

大型ハリケーン「カトリーナ」の来襲から2年。米国南部ニューオーリンズは、地盤沈下や海面上昇、ハリケーンの大型化に悩まされている。さまざまな難題を抱えながら、復興に向けた街の模索が続く。
大型ハリケーン「カトリーナ」は2005年に米国南部を襲い、自然災害としてはこの国で過去最悪の被害をもたらした。被災直後の現地では、多くの人々が復興に向けて固い決意を見せていた。だが、専門家や技術者の間にはいま、悲観的なムードが広がりつつある。今回の嵐はほんの序の口で、同じような災害がいずれは必ず再発するとわかってきたからだ。被害を食い止めるには、国が手厚い支援を際限なく注ぎ込むしかないだろう。
ルイジアナ州ニューオーリンズは、米国でも低地の多い地域として知られ、今も年間で最大2.5センチのペースで地盤が沈み続けている。すでに海抜マイナス5メートルに達したところもある。
また、自然の緩衝地帯として都市を嵐や高潮から守っていた湿地が、次々に水没している。ミシシッピ川の氾濫防止と輸送の利便性向上のために上流にダムと堤防が建設された結果、下流のニューオーリンズに達する堆積物や栄養分が減ってしまったからだ。ルイジアナ州全体では、1930年代以降、沿岸部が5000平方キロ近く(東京都の面積の2倍強)も水没した。2005年のハリケーン「カトリーナ」と「リタ」だけでも、合わせて562平方キロの湿地を消滅させた。
そして何よりも脅威となっているのが、地球温暖化だ。近年の海面上昇は、約1万年前に氷河期が終わって以来、最も速いペースで進行している。次の世紀までに、海面は控え目に見積もっても1メートルほど上がるおそれがある。また、それより前に、海水温の上昇によってハリケーンが威力を増し、多発するようになるかもしれない。
堤防など、洪水から街を守る構造物がいまだに復旧していないのも問題だ。この地域の堤防の建設と保守を担当している米国陸軍工兵隊によると、すでに10億ドル(約1200億円)もの資金をつぎ込んだにもかかわらず、カテゴリー3(最大風速50〜58メートル)のカトリーナのような100年に1度のハリケーンに耐えるように堤防などを補強する工事は、2010年までかかるという。それ以上の巨大ハリケーンにも備えようとすると、さらに何十年もかかるだろう。それも、技術者が設計に同意し、議会が途方もない額の予算を受け入れたうえでの話だ。現状では、カトリーナよりも小さなハリケーンに襲われただけでも、ニューオーリンズは再び水びたしになるおそれがある。
工事の難しさは、ペンシルベニア大学の地質学者、ロバート・ガイゲンギャックが大洪水の数カ月後に発した言葉にも表れている。世界でトップクラスの経済力と技術をもつ米国でも、カトリーナのような天災は防げない、と彼は政治家に告げた。「はっきり言って、私たちにはニューオーリンズを守る力がないんです」
しかし、古き良きニューオーリンズでは、歴史と政治、そして郷土愛が大きな力をもっている。災害から学んだことを街の再建に生かし、街を別の場所に移すといった抜本策にはなじみがない。堤防を少し高くしてみたり、水害に見舞われた低地にまた同じような家を建て直したり、ハリケーンの進路がそれてくれることを願ったり――このような大災害の後にいつもやってきたことを、ただ繰り返すだけだ。
ニューオーリンズ市民の中には、あきらめてしまった人もいるようだ。カトリーナ以前の人口の約3分の1が、まだ戻ってきていない。帰ってきても、復興途上の閑散とした街には犯罪が横行し、保険料は高騰する一方だ。そして、役所の複雑な手続きに悩まされたあげく、また同じ場所に家を建て直すしかない。

[ 64] 特集:シリーズ「地球の悲鳴」ニューオーリンズ 未来を模索する街 2007年9月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP
[引用サイト]  http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0709/feature01/index.shtml



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