オリジナリティとは?

このへんでオリジナリティについて。16才、高校一年。あのころもよくオリジナリティについて考えてました。ぼくにとってオリジナルとはなんなんだろう。どうすればオリジナルなものをつくりだせるのだろう。ひとまねでない、ひとのコピーでない、独創的なアイデア。独創的な表現方法。独創的な世界。
小学生のころからマンガを写すのが好きで、よく雑誌のうえに白紙を置いて写し描きしてました。高校一年、あのころは安彦良和さんの『アリオン』。まゆ、切れ長の眼、瞳のアップ、鼻の陰影、唇、くちもと、かおの輪郭、くびすじ、前髪、バランス。そのころ大きな悩みがありました。オリジナルな絵が描けないことです。どうやったらオリジナルな絵を描けるのか、どうやったら下絵なしで描けるのか。悩みながら模写しつづけました。けれどけっきょく、オリジナルな絵を描くことはできませんでした。
マンガの模写をしながら、もうひとつのオリジナリティについて考えてました。漫画のストーリーのほうです。物語性。物語のオリジナル。どうやったらオリジナルなおもしろいストーリーを考えることができるか。たとえば、だれかの漫画の世界と登場人物をかりてきて、ちょっと別のストーリー、アナザーストーリーを考える。これは比較的らくです。パクリと批判されるかもしれませんが、まずはじぶんの好きなものをマネする。どうして好きなのかトコトン考える。そしてちょっとずつ世界をひろげる。
桑田(佳祐)さんがラジオで語ってたことですが、新曲発表の前夜はすごく怖いと。メロディーが誰かの曲と瓜二つじゃないだろうかと、かなり神経をつかうと。気がつかないうちにそっくりな曲に仕上がってしまうことがミュージシャンにとってはすごく怖い。意図がなくても盗作のそしりをまぬがれない。意図があればなおさら悪い。悪夢にうなされて起きることもあると。ちなみに嘉門達男さんは替え歌をつくるとき、すべて関係ミュージシャンの承諾を得て作ってる。
たとえばルパン。モーリス・ルブラン原作のルパンもあるが、モンキーパンチのルパンもあり、大塚さんのルパンもあって、宮崎さんのルパンもあって、出崎さんのルパンもある。さらに言えば、翻訳者それぞれのルパンもあるし、山田ルパンと栗田ルパンもある。ルパンルパンルパン、だ。
そんなことを考えていてよく思ったのは「いかにじぶんは人間をしらないか」「いかにじぶんは世界をしらないか」「いかにじぶんは人と人の関係性(=社会)をしらないか」ということでした。たとえば登場人物どうしに会話をさせようとする。セリフを書きこむ。読み返してみる。自分の書いたセリフに悩む。リアリティが感じられない。ほんとにこんな会話するだろうかと悩む。いかにも作り物くさくてしらじらしい。とくに異性のセリフや年の離れた人物のセリフ、ある職業に設定した人物のセリフ。とたんにうそっぽく感じられてしまう。深みがない。セリフだけじゃない。登場人物の動作ひとつひとつが気になってしまう。そのうち、登場人物はぜんぶ似たような仮面で演じてる、あるいはぼくがその駒を動かしてる、そんなふうにしか思えなくなってくる。キャラクターの設定をすればするほど、なんだかむなしくなっていく。
哲学とか心理学にも興味はありましたが、あまりにはまりすぎそうなのがちょっとこわい。はまらずにはいられない性格なのを自覚してるところがあるので。なので、そっちにはあえてふみこまないでおこうと。文化人類学やら民俗学やら地域社会学やら比較文化やら社会心理学やら科学哲学やら認知科学やら。それからしばらくしてたどりついたというか、一回転してもどってきたというか、それは「オリジナリティとは、自分自身どこでいつなにをやってきたか」ということでした。
ぼくのオリジナリティ。それはつきつめると、ぼくがいつどこでなにをやって、なにをやらなくて、何を考えて何を考えなくて、という「履歴」だということに思い至ったわけでした。べつにどうということはない、ちんぷであたりまえのことなんですが。どこにどれくらい住んだことがあったか。そこでどんなことをしたか。どんな人と出会ったか。なにを食べたか。なにを聞いたか。なにをたのしんだか。なににおどろいたか。なにを悩んだか。なにを遊んだか。読書の履歴。失恋の履歴。仕事の履歴。学習の履歴。病気やけがの履歴。思考の履歴。情報の履歴。それから家族の履歴。
ぼくたちの世代はとくに、TVや映画・音楽・新聞・雑誌など、似かよった情報源から似かよった分量の、似かよった情報を、似かよった手段で得ています。そういう情報環境のなかでオリジナリティを深化するにはちょっとコツがいります。あえてふみこむ分野をしぼりこんで、それ以外の分野はほどほどにしておく。すべての有益な情報をとりこんで、それから判断できればいいだろうけれども、それはかなり困難なことであり絶望的。大好きなひとをひとり見つけるために、存在するすべての女性に出会ってつきあってみることは残念ながらできない。音楽にせよ、映画にせよ、本にせよ、人にせよ「出会い」があります。偶然みたいなものです。偶然とは頼りなげなものですが、頼りなげな出会い、それの積がオリジナリティ。
ぼくというオリジナルな存在を考えるうえで見逃せないのが、血の履歴、家族です。血の履歴などというと、農耕民族と狩猟民族とか、世襲制度とか、狐つきの家系とか、ナチスや帝国日本軍の優生遺伝研究とか。あまりいいイメージを持ってもらえないかもしれませんが。はたして血や遺伝子が、後天的な記憶をもひきついでるかどうかは興味深いですがともかく、ぼくたちは例外なく2つの血を受けついでおり、4つの血を受けついでおり、8つの血を受けついでおり、16の血を受けついでおり……
その血ひとつひとつにドラマがあってオリジナリティがあった。むしろぼくのこれまで経験してきたドラマよりも、深いドラマ、深いオリジナリティを血のひとつひとつが体験してきたかもしれない。ぼくのオリジナリティと彼や彼女たちのオリジナリティに優劣はないし、価値の優劣はない。たぶん。そこでぼくがやったのは直接の聞き取りです。祖父母は僕ぐらいのころ、どこでなにをしたのか。幼いころ誰にどんなふうに育てられたのか。祖父母の兄弟はそのころどんなんだったか。ぼくのまだ知らない祖父母のことをつぎつぎに聞き出しました。古ぼけた写真をひっぱりだして、それをも手がかりにしながら。それは「いま」しかやれないことだからです。
祖父母の世代で太平洋戦争の体験が語られ、その一世代さきで日露戦争や東京大震災、その一世代さきで明治維新や戊辰戦争の体験が語られました。知識としてすでに知っていたはずのことでさえ、しだいにちがった印象をおびはじめます。当事者ならではの描写。てがかり。よりリアルなイメージの喚起。教科書や新聞やたいていの歴史の本は、意図的であるにせよそうでないにせよ、東京や京都など「みやこ」中心にもの語られがちです。ところが血の語りはそうじゃない。あくまでも自己中心的《selfish》な語りです。それが血のものがたりの強みです。たとえば太平洋戦争でひんぱんに語られるのは真珠湾や広島・長崎・沖縄ですが、房総半島の九十九里浜にも太平洋戦争があったし、山形にももちろんあった。明治維新や戊辰戦争も京都や江戸や会津だけでなく、米沢にも出羽にも庄内にもあった……と、これで、一連の流れとつながってきたでしょうか。
べつに、血縁が大事ということをいいたいわけじゃなくて。ちいさいころは両親がいたので、貴種流離譚にあこがれていたものでした。どうしてぼくにはふたおやともいるんだろうと。損したような気分でしたから。あるものうとまし。それはともかく、じぶんのオリジナルな体験に深みを増すために、身近で相互に影響をあたえあたえられしてきた人たちから、リアルな情報をコピーしてもらうわけです。直接じぶんが経験したことじゃないから、もちろん限界もあるしバイアスもかかる。でもそもそもの目的が創作ですから。ノンフィクション、ドキュメンタリーが目的じゃない。リアリティのある手がかりを用意するのは、ウソをもっともらしくつくための手法で。気持ちよくだましてあげたいというのが出発点でしたから。
で、血縁と並行して意識してるのが地縁です。運命とか必然ということばを、ぼくはあまり好みません。むしろ、そんなもんクソくらえ、みたいなとこがあります。それでいながら。あるいは、だからこそ。たまたま出会った偶然性をてがかりにしてみたい。たまたま出くわした共時性《sinfonicity》。たまたま通りかけた場所。たまたまこの国のたまたまこの地にいま住んでる。そこをヒント・てがかりに。それがぼくのばあい、日本であり山形なわけで。やまがたという地域は変なところがあって、ひっこみじあんで内弁慶の代名詞のようなところでありながら、なんか変なひらきなおりというか、根拠のない信念というか、腹黒いつつましさというか。猫のかわをかぶった信楽焼きというか。うさんくさいのが少なくない。出羽三山の修験なんてもう、うさんくさいのの極みだし。うさんくさいものがつぎつぎポコポコわきでてくる源泉みたいな。黙して語らず。つまりは、むっつりスケベなエロおやじ。
彼女曰く、「アイルランドの人が、自分はイギリス人ではないというのを聞いて、こういうのをオリジナリティだと思いました。自分はそうやってはっきりいうことができない。周りに流されていると思う」
上の話を読んで、受験生の言うのはオリジナリティではなく、アイデンティティではないかという意見もあるかと思います。受験生の方は言葉の違いや重みを知っていたかどうかわかりませんが、もちろん面接官はどちらの言葉も了解し、区別もしていらしたはずです。だから指摘もできたはずです。しかしあえてオリジナリティに頷かれたというこの話に私は感動しました。
受験生と試験官とぼくの3人に共通していて、tenさんだけちがう特徴があります。頭をかちわってみるとtenさんだけ脳ミソの色がちがいます。フルーツパフェをぐちゃぐちゃにしたみたいなのがtenさんのです。奥の方からバナナとチェリーが出てきます。それがtenさんのアイデンティティです。まちがいない。
『ゲド戦記・影との戦い』のなかで、主人公ゲドがハイタカに変身したあと、あまり長く変身し続けていたために元の姿にもどる方法を忘れてしまい、さらには自分が人間だったことまで忘れてしまうというシーン、あれをふと思い出しました。『面とペルソナ』なんてのもありました。仮面をつけるとそれまでとちがった性格やふるまいや言動になるという。それから、村上陽一郎さんが書いてましたが「いったいどこまでが自分なんだろう」と。たべものは、口に入れたとたん自分になるんだろうか、とか、栄養が吸収されたところで自分になるんだろうかとか、ついさっきまで自分の体の一部だったのに、排泄したウンコはいつ自分のアイデンティティを失うのだろうか、とか。そこまで書いてませんでしたが。車に乗ったり楽器を演奏するときは、自分の身体が拡張したような気分にもなるとか。
ジイド(ジッドの場合有り。代表作「一粒の麦もし死なずば」だったと記憶)は、血縁図を作者紹介に載せるべきと書いていたと思います。彼は血縁者の異なる宗教の間で影響を受けたと。故に作品を理解するうえで必要なことだと。
しかし彼のその後を考えると彼の独自性が目立つと思います。・・・そんな事をとりとめなく考えていました。人間とは不思議なものだなぁ。。
ラーメンになっとうとか。パスタにカオリのふりかけとか。さしみにマヨネーズとか。豚肉炒めにきのことか。かけあわせの妙。カクテル効果。
エンドマークとはこれまた象徴的な。出羽三山、月山、死出の山、再生の山ですから。輪廻転生。生死や宗教をものがたるにはふさわしい幕開けかも。しんしんと雪が降る。日本中に、世界中に。よとぎばなしのはじまりはじまり。
過去を振り返る、そんな感じですかね?まだ18歳の私には沢山の履歴は無い。きっとこれからですよね?なんだか最近、ちょっと落ち込み気味だったのですが、PoorBookさんのこの文章よんで少し前向きになれた気がします。この春から美大生になるんですが、(高校も美術科のある学校に通っていましたが、自分の描いた絵に自信がもてなくなってきていました)これから学べる事はたくさんあって、いかに自分がそれを選択・吸収するか・・・
代々延々とスケベの血を濃縮されてぼくはこの世に生を受けた。……ということの再認識・自己確認作業です。
赤ん坊と、18才の深緑さんと、80才の年寄りと、それぞれに経験の差はあるだろうけれど、人生の価値やおもみにちがいはないと思うんですよ。代わりがきかない、代替ができないともいえる。同様に、かりに、人生の大半を寝てばかりいて暮らしているひとと、さまざまなことを体験し見聞し自分でもはたから見ても充実した人生をまっとうしたひとと、どちらの人生が正しくて、どちらの人生が価値があるのだろうかと考えるばあい、やはり、価値やおもみにちがいはないと思うわけです。共感できるかどうか、じぶんもそうしたいかどうかは別です。
人生の長さや質や重みによって、発言内容や記述内容や表現内容に価値の差があるのだろうかといえば、そうは思えないんです。年寄りの意見は尊重はするけれども、つねに正しいとはおもえない。思い違い、まとはずれとおもうときもある。経験の少ないはずのこどものほうが、ものごとの本質にせまるような質問をすることだってある。善人と罪人についてもよかれあしかれ同様。発言したこと、書きとめたこと、表現したことは、それを表現したひとがどんなひとなのか、ということを引きずらなければいけないなんてことはない。
10年後、20年後に深緑さんが描くものもそれなりに表現に深みを増したり技巧的に洗練されたりするはずですが、今だからこそできる表現は、やはり「いま」をおいてほかに表現できない。表現することに遅い早いはないだろうと。18のころ、やっぱり妥協ができなかった。手抜きができない。こまかいことがやたらと気になる。完璧主義。だから理想とするものとのギャップに幻滅する。自己嫌悪する。いまぼくがこうやって表現できるのは、ひらきなおりでしょうね。しまった! とおもうこと数知れず(^^)。価値観とかものの考え方とか好き嫌いの傾向とか、10代のころのまんま。Smell's like teen spirit.
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[ 155] aozora blog: オリジナリティについて
[引用サイト]  http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001841.html

1960年2月20日生まれ。スタジオぬえに入社し、数々の作品のメカデザインを手がける。代表作は「超時空要塞マクロス」の「バルキリー」。この変形は、その後の多くのロボット作品に大きな影響を与えた。「超時空要塞マクロス」で演出家としてデビュー。映画版「マクロス 愛・おぼえていますか」では監督をつとめた。最近は、ゲームの企画、デザインも手がけ、プレイステーションの「MACROSS
私を含めて、全7名。私のような大学生ぐらい、もしくは中学・高校生ぐらいの受講者ばかりかと思っていたが、映像関係の専門学校で講師をされている方や、広告代理店に勤めておられる方もいた。
私が参加したこの「総合オリジナリティーコース」は、一般から希望者を募り、受講希望者にアニメーションの企画書を書かせて応募させてそれを講師の河守氏がチェックする、という募集形式をとっていた。企画書には決まったフォーマットが設けられておらず、その段階から審査が始まっているといえる。幸いにも、応募した私の企画書が河森氏の目に留まりこのコースを受講することが出来た。
そしていよいよ、ワークショップは11月24日の午前9時から向かい合わせたテーブルを囲む形で始まった。
とても気さくな方で、私達受講者と同じ目線で話をして下さいました。
このコースは、名前にもあるように作品の「オリジナリティー」について受講者が応募した企画書を例に取り、全員で議論を交わし、あるいは先生からレクチャーを受ける、という形で行われた。
河森氏(以下、先生)は、まず始めに「オリジナリティーとはどういうことだと思いますか?」という質問を受講者に投げかけ、受講者それぞれが考える「オリジナリティー」像を浮き彫りにさせることから始められた。そして、「水滴」を例に挙げて、そこからどれだけのことを発想できるか、またその発想をどれだけ広げていくことが出来るか、という一種の連想ゲームのようなことを私達にさせることによって、ある物事を見たり感じたりしたときにどれだけ他人とは異なった感性で受け止めることが出来るか、そういったところから「オリジナリティー」が生まれてくるのだ、と教えて下さった。また、そういった感性はその人個人の「パーソナリティー」と密接な関係があり、そういった意味では「オリジナリティー」と「パーソナリティー」には深い繋がりがあるあるということを先生から教えていただいた。
そういった準備運動の後、いよいよメインとなる受講者の企画書を用いたブレインストームへと入っていった。
ブレインストームとはKJ法などと並ぶ発想法の一種であるが、その特徴として「人のアイデアを批判しない」、「人の発言を遮らない」というルールがある。先生は、
「概してオリジナリティーなんてものは、『そんなバカな話が』なんてところから産まれたりするものなんですよ」
とおっしゃられて、企画を考えたりするときのポイントは「ためらわないこと」だと受講者にアドバイスをされていた。
何人かの受講者の企画書を元にブレインストーミングを進める中で、その企画の優れた点や、問題点などが浮かび上がり、またその中で企画書を書くコツやポイントなどといったテクニックに関する話も出てきたりと、受講者にとっては大変ためになる話題が続出した。
なんて言いながら、アニメーション制作の裏側や、業界の裏話なども交え、受講者を飽きさせない内容のワークショップとなった。
「僕が劇場版の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の監督をしたのは21歳の時。まだ学生だった僕がいきなり監督をやれたのは、周りの環境が良かったというのもあるけど『僕がやります』と自分からかって出たから。何か出来るチャンスが回ってきて、ちょっとがんばれば自分でも出来ると思ったらとりあえず手を挙げてみることが大事。『僕出来ません』、なんて言っていると二度とチャンスが回ってこなくなる」
その後、先生と受講者全員で楽しく少し長めの昼食をとり、午後から引き続きブレインストーミングが行われた。結局、先生の特別な計らいで時間を延長してブレインストーミングやQ&Aが行われたが、午後6時頃、私達の長いようで短かったワークショップは終了した。私達にとっては、あまりに楽しい夢のような時間であった。
「そうですね。みなさんが今度は企画書ではなくてシナリオを書いてきたら、考えましょう」
受講の記念に、とサインをお願いしたところ、河森氏がデザインされた『ヴァルキリー』のイラストまで描いて下さいました。
本当にいい方で、ワークショップは終始一貫して和気あいあいとしたアットホームな雰囲気で行われました。

[ 156] 総合オリジナリティー
[引用サイト]  http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~hosoik/project/AAP/sougou.html



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