諦めとは?

筋金入りの密教修行者がいると聞き、中国の東に飛んで行きました。
実演を依頼したところ、彼は「せっかく病気になったのに、わざわざ治すことはない」と言います。因果があって病気になったのを、第三者が治してはいけないと言うのです。
さらに頼むと、あくまでも自分自身のために行うものであると念を押した上で、実演してくれました。
無為を追求する道教に対して、密教は肉体の長寿を目指すより、死んでも死なない性を高めるのだそうです。
また、密教では空も物質であり、空の上に識(仏・自性)を置くものとしているといいます。
話が終わった後、彼は空を飛べることを口にして、私達は驚きました。しかし彼がパンツ一丁で座禅を組んでジャンプして見せた時、私は目が点になりました。
釘や皿を食べる密教修行者といい、彼らのパフォーマンスには一体何の意図があるのでしょうか・・・。
生まれ変わりの村という場所を訪れました。この地域では、同じエリア内で生まれ変わって前世の記憶を持っている人がとても多いのだといいます。
最初に会ったのは、前世が男の子だったという、42歳の女性でした。
彼女は前世の人生から、生まれ変わって前世の記憶を思い出すまでの経緯を詳しく話してくれたのですが、その最中に激しい頭痛に見舞われました。
前世の記憶を持った人は、その話をすると必ず後から病気になるというのです。この現象は、前世を思い出すことにブレーキをかける作用として働いているのかも知れません。
死んだ後、生前のパノラマを見たり反省させられるようなことは無かったといいます。また、生まれ変わる家や両親を選択した場面もなかったそうです。
カルマと呼ばれるものは、実際にはほとんど無いのではないかと思います。
今回初めて密教と出会ったことで、「悟りとは何か」という問題にぶつかりました。
道教にあるのは無為の概念です。今の瞬間に生きることを説きます。しかし意識を持って頭で考える私達は、なかなか無為に生きることが出来ません。
一方密教は、全ては同格という世界でした。密教の修行者達が見せた異様なパフォーマンスの数々は、難しい理論も無意味な実践も同格だということを言おうとしたのではないでしょうか。
道教は自ら選択をしないというスタンスですが、密教では、何を選択しても価値は同じであるとします。
悟りとは人格を高めることで得るものではないようだというのが、今回の中国紀行で私が得た気付きでした。
下の写真は今回私が中国に到着した都市です。北のはずれ・・ロシアとの国境付近です。
穴蔵住居が沢山見えます。しかし一見貧しそうに見えますが、違いました。
今日はこれから東の方向に飛びます。東ではどういう風景が待っているでしょうか・・・
東にわざわざ飛んできたのは、筋金入りの密教修行者がいると聞いたからです。
噂通り、彼は30年も密教の修行をしていました。早速ながらお手前拝見です。
トラさんの友達に対してエネルギーを送って下さいと依頼しました。すると、密教修行者は病気治療はやらないと言いました。
理由は、「せっかく病気になったのに、わざわざ治すことはない」と言うのです。
「苦しんでいる人が目の前にいてもあなたは治さないのですか」と訊くと、そうだと言います。
因果があって病気になったのを、第三者が治してはいけないと言います。
「トラさんの友達は単なる風邪で、喘息気味なだけです。因果を持ち出すこともないでしょう」と言うと、「では私自身のためにやりましょう。彼を治したエネルギーは宇宙を回って自分のところに返ってきますから・・・」と言い、やることになりました。
でも、やる前にもう一度、「これはあなたのためにやるのではないですから、誤解しないように・・」と念を押されました。
始まりました。私は非常に興味がありました。密教のエネルギーを初めて感じることが出来るからです。
私は彼がトラさんの友達に手かざしを始めることを想像していました。ところが彼はその場で瞑想を始めました。トラさんの友達はどうして良いか分からず、オロオロ・・。
一分ほどしたら瞑想から醒めました。するとトラさんの友達が言いました。「何だか、楽になった・・」
人々が紅衛兵と戦うのを見て、人間は何のために生きているのか、紅衛兵との戦いで死ぬのは何のために死ぬのかと考えたそうです。
するとお経の一節が頭に浮かびました。はんにゃ、はら、みつだ・・
はんにゃとは、知恵だそうです。はらとは、彼岸だそうです。みつだとは、方法だそうです。彼岸に行く方法・・。
その直後にチベット密教のお坊さんと出会い、修行が始まりました。修行の目的は本当の自分を見つけることと、宇宙と合体することだそうです。
道教のように無為を追求することはないと言いました。私は道教と密教の違いを教えて下さいと言いました。
すると、「道教は性と命の両方を高めている。性とは自我のことだ。命とは肉体のことだ。我々密教は、性のみを高める。肉体を高めることはしない。肉体における長寿には興味が無い。死んでも死なない性を高める方がずっと大切です」と言いました。
私は訊きました。「日本の仏教は空を追求しています。密教ではどうなのでしょうか?」
彼は答えました。「絶対の空などあり得ない・・。空とて物質だ。見えないが広い意味の物質として存在している。密教では空の上に識を置く。識とは意識だと考えると狭くなる。識は仏だ。自性とも言う。」
「先日密教寺を訪れましたが、そこには梵字がたくさん書いてありました。あれは何ですか?」
「密教ではエネルギーのことを梵と言う。病気の人は梵が少ないのだ。」
というわけで、よく解らないまま、話は終わりました。今のところ私には、消化不良の状態です。
しばしの沈黙が流れた後、彼は言いました。「昔はよく空を飛んだものだ・・・」
「いやいや、最近はあまり飛んでいないから・・」と言いつつも、彼は座禅を組むといきなり飛びました!!
でもね、10センチくらいしか飛んでいないのです。あのくらい私だって飛べますが・・。
以前も皿を食べる密教修行者がいました。彼は口から血を出していました(笑)。
彼らのパフォーマンスは、真面目なのでしょうか?それとも本当の力を隠すためでしょうか?それとも笑いを取るためでしょうか・・。私は最後の目的としか考えられません。
もともと中国には道教しかありませんでした。シェアは100%でした。
仏教が2000年前に輸入されたとき、それほどのシェアは伸ばせませんでした。
しかし中国は負けの歴史が多いのです。大国が支配する時が多かったのです。
そういうとき、ジリジリと仏教がシェアを伸ばしました。中国人が自分自身の宗教(道教)に自信を失ったのです。そして最後に現れたのが密教でした。
たった1000年で、道教が4000年かかって達成した信者の数を獲得してしまいました。今、密教は強いのです。その強さの原因は何でしょうか?
大乗と小乗という呼び名は、密教が作りました。前からあった浄土宗を小乗と言い、自分たちの密教を大乗と言ったのです。
小乗とは自分個人が救われるという意味です。道教もこれに近いと思います。
でも密教は、大乗だと言いました。これは一人が悟ると、それはグループ全体に広がるという意味です。どういう関係でそれが可能なのか、私には分かりませんが・・。
昨日書き込んだ悟り(仮説)に関するインスピレーションは、密教から来ていると思います。道教の視点からは、場というインスピレーションは出にくいのです。
道教の視点からアメリカ人の行動を見ても、「ああ、あれが無為だ、ワダチだ・・」とか言うしかありません。
個人=宇宙として考え、他人もその同じ宇宙を共有しているというのが密教です。つまり他人と自分は、同じ宇宙を通して密接に関係しているのです。
寺の看板には、南無阿弥陀仏と唱えれば、成仏できると書いてありました。
自分の生き方の上で、努力の必要はないのです。ただ念仏を唱えれば良いのです。
南無阿弥陀仏の意味ですが、南無・・インドの言葉で「属する」の意味、阿・・・無限、弥陀・・永遠の光・命、仏・・・仏、永遠の光で成仏できるという意味です。実にシンプルです。
浄土宗は日常の生き方はあるがままで良いと言っています。もしも悪い事をしても、南無阿弥陀仏と唱えれば、浄土に行けるのです。愛に生きようが欺瞞に生きようが、その価値は無いのです。
これって、今回の私の気付き「すべては同等である」に近いものがあります。
経験は南無阿弥陀仏と唱えれば、全てリセットクリアー出来るのです。
カルマを説く仏教ですが、ここには因果応報の考え方は極めて薄いのです。
人のために尽くして生きたとします。でも、人を殺し南無阿弥陀仏と唱えた人とは同等なのです。
さて、ここで仏陀が目を開けている像を見ることが出来ました。通常、仏像は半眼で目を開けていません。
下に二つの写真をアップしましが、何というか、とても可愛いと思いませんか?
仏陀とて日常を生きていたはずです。一体どんな目をしていたのか、とても気になりました。
しかし日本で目を開けた仏陀を見たことがありませんでした。それはとても書くのが難しいのでしょう。
想像で作ったとはいえ、私はこの可愛い仏陀を見てホッとしました。
これは地蔵仏です。左の柱には、「地獄がからになるまで成仏しない」と書いてあります。
地蔵本人は一度極楽に行ったのですが、もう一度地獄に戻り、地獄の人達と共にいるのです。
上のセリフは、日本では仏陀が言ったことだと言われてきました。しかし仏陀ではありません。地蔵菩薩なのです。
もしも実在の人物なら、いったい誰なのでしょう・・。まるでお陰様のような存在です。
その時、符を出したかったのだけれど、調子が悪くて出ませんでした。
で、もう一度中国に来たら、是非また来てくれと言われていました。そして今日、行きました。
オババの家に着くと、さっそく外で神を呼ぶ儀式がありました。火を燃やし、爆竹を焚くのです。
部屋の中では、符を出す儀式が始まりました。それが始まると、前回と同じく、村人達が手を合わせます。
マスターは12才くらいの子供だそうです。とても可愛いそうです。まるで妖精のように・・。
このマスターには名前が付いています。感謝さんと言うのです(笑)。
私はオババを通して感謝さんに訊きました。「人間は何のために生きているのでしょうか?」
感謝さんは答えました。「ボクが生きていた時は、肉体の感覚(楽しい、辛い、美味しい、悲しい)を味わうために生きていました。」
私は突っ込みました。「場(社会環境)を良くするために生きているのではないでしょうか?」
感謝さんは答えます。「人の事など知りませんが、ボクは国の大事などには興味ありません。」
私はそこで「いのちの世界」の図を取り出し、「この図に関するアドバイスを下さい」と言いました。
すると、「別の世界のことは、あなたが別の世界に実際に行って知れば良いでしょう。生きているあなた方に何の形であれ、精神的なアドバイスを送ることはやりません。」
ほうほう・・なかなか大したものです。私は感謝さんが好きになりました。
今度はオババに訊きました。「感謝さんは、メッセージをくれることはないのですか?」
「ありません。ただ薬を取り出すのと、符を取り出すのを手伝ってくれるだけです。」
今度は感謝さんに訊きました。「私は日本に住んでいます。今度遊びに来て下さい。」
感謝さんは答えました。「はい、瞑想でボクのことを思って下さい。そうすればあなたの家に飛んで行けます。」
さて、村人の祈りの中で、おババは黄色い紙で出来た短冊を用意しました。
するとどうでしょうか・・手の中に短冊があれよあれよと出現してくるのです。
その符は幸運を招くと言われ、病気の人は食べると治ると言われています。
この村は、人里離れています。村人がオババに手を合わせる気持ちは解ります。
二度目の来訪で成功した符出し・・。でも可笑しいのは、オババはお線香の代わりに煙草を使うのです。
法術とは、中国の道教系のドラマに出てくる妖術のような超能力のことです。
まず彼はコップに水を入れて床に置きました。その右に机がありますが・・
机をひっくり返し、そのコップの上に置きました。そして私に手を洗って来いと言いました。私とトラさんと案内人が手を洗わされました。
法術の彼が言いました。「みなさん、ひっくり返しになった机の脚に、指を乗せて下さい。力を入れては入れません。」
四人で、しかも法術の彼本人まで指を置いていれば、そりゃあ回転するでしょう。
私は一生懸命に阻止しようとしたのですが、それでも彼の回す力には勝てませんでした(笑)。
綺麗なお姉さんに「エイッ」とやるだけで、その女性が着ている服を全て脱ぎ捨ててしまうというのです(笑)。
私は「どうかそれを伝授して下さい」と頼んだのですが、「男から男への伝授には三年かかる。男から女への伝授はすぐだ・・」と言われました。
片道6時間・・・着いたのは夕方の4時。山岳部で、雨も降っていました。
ここは前回の時に行った、あの金魚オヤジの地方なのです。なんか、似たような感じだと思いませんか?
どこまでが真面目で、どこまでがふざけているのかわかりません(笑)。
もう一人は、話だけは凄いのです。白いタオルをウサギに変えることが出来るのです。
そのウサギを食べようとすると(笑)、タオルに変わってしまうらしいのです。
さらに赤い糸を赤い色の蛇に変えることが出来るらしいのです。黄色い糸を黄色い蛇に変えることが出来るらしいのです。
しかし彼のお父さんは、蛇をたくさん呼んだまま昼寝をしてしまいました(笑)。
私達は凄い法術が見られると期待しました(笑)。でも彼は言いました。
「私は道教秘伝の法術使いだ。法術は陰と陽のエネルギー使う。物質化させるには陽のエネルギーが必要だ。それには太陽が出ていなければならない。しかも陽のエネルギーが一番高い午前中でないと出来ない・・」
そう言われて、私たちはそこの近くの安ホテルに泊まりました。電話はありません。
お湯もぬるいのが出ました。私はぬるいお湯に浸かり、頭も洗いました。
(雨に当たり、すごく寒かったのと、ぬるいお湯が風邪の原因でしょう・・。)
翌日(今日)は、やはり曇りでした。私達は断念して山を降りました。でも下界は晴れているのです。
しかし、不思議調査はこうやって進むものだということは、分かっています。
布袋様は僧侶でした。布袋様は死ぬ時「私は弥勒菩薩の生まれ変わりだ」と言ったのが原因で、中国の弥勒菩薩は布袋様と同じ風体になってしまいました。
布袋様は生きている時も、常に笑顔でみんなに福を運んでいました。ですので死ぬ時も冗談で言ったのかも知れません。
もしくは「私は弥勒菩薩の化身だ・・・なんて話は信じないよね。もちろん冗談だもの・・」と言おうとしたのが、途中で息絶えたのかも知れません。
しかし中国の仏教寺に行くと、いきなり「ガハハ」と笑っている弥勒が中央にいるのです。静かで荘厳な気持ちで門をくぐったのに・・・(笑)。
この弥勒像は、中国のいたる所に見られます。下の写真は、デパートの入り口にあった像です。
この弥勒像は、このまま日本に持ってきてはまずかったのでしょうか・・・。
だって満面の笑みは、日本の格式高い寺には似合わなかったのでしょう。
でも価値は同等だという気付きに出会うと、日本の弥勒と中国の弥勒は、同等なのですが・・。
でも私はなぜ人間が入っているのか、聞くのを忘れました。まさか、女?
ここでは同じエリアで生まれ変わるという人がとても多いというのです。
今回会ったのは42歳の女性でした。彼女はまず前世での出来事を喋り始めました。
前世は男の子でした。紛らわしいですが、前世は男だったので彼と呼びます。
彼は8才の時、河原で牛に水を飲ませていました。すると狼が出てきて、彼に襲いかかりました。
彼の姉もいたのですが、姉も子供ですからどうしようもありません。泣き叫ぶと助けが来ましたが、もう遅かったのです。
彼は狼に首を噛みつかれ、死んでしまいました。でも肉体は死んでも、彼は生きていました。そう、魂になった彼は一部始終を見ていました。
彼のお父さんが来て「やっと男が生まれたと思ったのに、死んでしまいやがった・・」そう言って、悔しそうに彼の体を蹴飛ばしました。
お父さんはさらに言いました。「きっと縁があればまた会えるだろう・・」
その言葉を聞いた途端、彼の魂は壁のようなところを抜けたかと思うと、光の竜巻のようなものに吸い上げられて、上の世界に上がって行きました。
上の世界にはお寺のような建物があり、彼はその中でゆっくり休んだのでした。
鮮明な記憶が復活するのは、新しい彼の家のオンドル(暖炉)でした。
彼はそこに隠れていました。そして新しく生まれようとしている肉体に入ったのです。
精子と卵子が結合する瞬間ではなく、すでに胎児となった状態に入ったようです。
彼としての記憶はここまでです。そして、その家に女の子が誕生しました。
するとお母さんは言いました。「こんな暗い道を帰ると、狼に食べられるよ!!」
その言葉を聞いた時、彼女の体に電流が走り、全てを思い出したのでした。
前世の村の名前も両親の名前も、家の状況も詳しく話しました。しかし話している最中、激しい頭痛に見舞われました。
その後も誰かに前世のことを訊かれるたびに頭痛がして、必ずと言っていいほど後から病気になりました。
(この現象は面白いと思います。前世の事を思い出すということに対しては、ストップさせるエネルギーのようなものが働くのでしょうか?)
でも彼女は前世の家に行ってみたくてしようがありません。だって前世の両親の方が今の両親よりも、ずっと親切に思えたからです。
そのうちに、彼女の証言からどの家が前世の家だったか判明しました。それは今の家から15キロほど離れた所にありました。
でも前世の家に行きたいと言うと、今の両親からは反対されました。
彼女はその人を見た瞬間、姉だということが感覚で分かったそうです。
でもお姉さんの方はピンときません。だって弟が女の子になっているのですから・・・。
でも、昔どんなことをして遊んだかとか、自分たちの部屋には何があったかとかを話すので、これは弟の本当の生まれ変われだと信じたのだそうです。
さて私は42才になった彼女に会っているわけですが、彼女は15キロ離れた所にある前世の家に連れていってくれました。そこには既にお嫁に行ったお姉さんまでいました。
お姉さんは言いました。「弟が狼に食べられた時は、何も出来ませんでした。彼は三回立ち上がりました。でも最後に倒れると、もう二度と動きませんでした。その後、生まれ変わりの情報が入ったのは20年も経ってからでした。弟は9年も天国にいてから生まれ変わっています。その後情報が入るのに10年近くかかったのです。でも私は弟が生まれ変わっていて本当に嬉しいです。狼に食べられて地獄に落ちたかと思っていたからです。でも不思議です。だってあのときは弟だったのに、今は妹なのですから・・・」
現世の両親も理解してくれて、13才の再会した当時、彼女を前世の家に半年も外泊の許可を出したのです。
「死ぬとき、生まれてからそれまでの人生のパノラマは見ましたか?」
「そんなの見ていません。新しい展開がどんどん始まったからです。」
「何かにコントロールされていたような感じは、全くありません。しかし自分で考えて選択をした感じでもありません。」
私の感じだと、どうもワダチに乗ってきたという表現がピッタリだと思いました。
「生まれ変わることを体験したあなたは、もう次に死ぬのは怖くないですか?」
もちろんまだ口がよく回らないので幼児語に近いですが、口が回るようになった100日目くらいからは、完璧な大人の言葉で喋りました。
100日目の時、おばあちゃんが病気になり医者に行こうとしていました。
すると彼女は「おばあちゃん、医者に行く必要はないですよ。悪いのは××だから、一週間もすれば良くなります。」こんな風に話し、その通りになったといいます。
胎児の頃から、自分は何かに守られている・・もしくは何かと繋がっているという感覚があるそうです。
彼女は霊も見えます。病気が霊の憑依現象のときは、その霊とコンタクトを取り、上の世界に上がってもらうと、その病気は治ってしまうそうです。
小学生の頃、いじめられたことがありました。一生懸命に逃げるのですが、いじめっ子は執拗に追いかけます。そして追いつめられてしまいました。
その時です。彼女の隣に黒人の大男が出現したそうです。その黒人は闘鶏に変身するといじめっ子を追い払っていまいました。
病気の人をヒーリングしているしている時、パワーが足りないときは、もう一人彼女自身が実体化して現れるといいます。それも患者さんが目撃しています。
彼女がヒーリングする時は、手かざしなんてやらないと言います。ただ見つめるだけなのです。
私は「あなたのエネルギーを感じたいので、私にパワーを送って下さい」と言いました。
すると「森田さんにはあまり悪い所は感じません。悪い所があるときでないと、私はどうして良いか分からないのです。私だけがやるのではなく、私を守っている何かと同調してやるのですが、方法はその瞬間でないと出てこないのです。」
「昨日風邪を引いて、まだ完璧ではないと思いますので、これを治してくれませんか?」
「そんなことでは“何か”との同調は降りてきません」などと言われ、断られていまいました。
彼女は、「生まれたばかりの頃から世の中の大半のことは分かっていました。でも前世だけは思い出せません」と言います。
この現象は生まれ変わり現象ではないと言えます。霊現象とも言いにくいです。
彼女自身はエネルギーがとても高いのでしょう。そして、それを使って上の世界のデータバンク(アーカシックレコードのようなところ)にアクセスしているのでしょうか?
この地域は、黄色い大地に似ています。住居が洞穴で出来ているところが多いのです。
下の写真は、昨日書いた「狼に食べられた人」の生まれた実家です。
しかし黄色い大地は芸術を生み出しましたが、今回のような現象は産みません。
今回の地域全体が、何か上の世界と繋がりやすい地域なのでしょうか?
※「生まれ変わりの村1」と「生まれ変わりの村2」に書いた少女はそれぞれ別の女性ですので、ご注意下さい。
5月に一度脳象図を測りました。その後、孫さんの能力開発教室があり、私は毎日修練をしてきました。その結果が脳象図に反映されていないかを測ってもらいました。
電極を頭に付けるとなかなか状態に入れないのですが、一応瞑想状態に入ってみました。
その時の脳象図が下の二つです。脳象図は六個出るのですが、下の二つが顕著だったのです。
私は瞑想状態に入っていたのですが、この図がパソコンの画面に現れた時、「おお〜!!」という声が上がりました。
「森田さんのこの脳象図は、孫著琳の脳象図に似ています。孫著琳のは太陽と月でした。しかし森田さんのは太陽とレーダーです。やはりレーダーの様に上から情報を受信する必要があるからでしょう。レーダーは外に向かって広がっています。これは外に対して開放的だということです。トンネルのようになっているのは、外と内が繋がっていることを意味しています。」
「この図は素晴らしいです。ユングの書いた曼陀羅の図にそっくりです。この図は蓮華に似ています。これの意味は、「自性回帰」といって本当の自分に近付くと出てくるものです。線の密度の変化といい、対象性とバランスといい、先入観が取れてくるとこういう図に近付きます。今、密教に興味があるようですが、是非修行してからここに来て下さい。森田さんが真面目に修行したかどうかは、すぐに出ますから(笑)。」
(外国人なので、お世辞が入っていると思いますので、コメントは話半分に聞いて下さい。)
北京に行くと、私はほとんど書き込みが出来ません。一週間は空白があると思います。
●生まれ変わった女性は、オンドルを境にしてエデンの園に飛び込んだのですね。
●生まれたときから喋れた女性は、最初からエデンを抜けていたのですね。
●中国人が日本人を嫌いだと思う(TBSのアンケート)理由は、具体的個人についてではないですね。イメージとして嫌いなだけです。これって個人の関係にはプラスな時の方が多いです。
●布袋様の袋の中に入っている人間は、「世界全体」という意味だそうです(中国では)。
●生まれ変わりの村で生まれ変わりの女性を紹介してくれた人は「私とは何か、世界はどうなっているか」ということをとても考えている人でした。そういう人に会えた日は、とても嬉しいです。
ホテルのチェックアウトで30分も時間を食い、結局空港へのタクシーに乗ったのは7時半でした(昨日、第一段の帰国チームは6時半にホテルを出ました)。
どうしてチェックアウトに時間を食ったかと言えば、訳の分からない12人分の食事代が加算されていたのです。しかもその伝票を出してもらったらノーサインでした。
もちろん払う必要は無かったのですが、それで空港への到着が遅れました。
そして空港のカウンターには、ヨレヨレの高校生達(笑)でごった返していました。
私が最後列に並んでいると、ファーストクラス担当のお姉さんが「来い来い」をしているので、私はしっぽを振りながら行きました。
「今日は空いているからいいわよ」と言われ、私は今ファーストクラスに乗っています(笑)。
でも一つ困ったのは、後ろの席で煙草を吸っているのです。もちろんここは禁煙です。
スチュワーデスに言うと「彼は偉い人なのでOKです」という答が返ってきました。
さて、コルベ神父とヒットラーは同格だと書き、それに対するみなさんの意見も見ました。そうだという方も大変に多かったです。
理屈の上では「価値観は皆同じ」だと分かったりもします。しかしそれは感覚、あるいは感情の上でも分かりますか?
私には分かりません。分かる瞬間もあるのですが、分からないときの方が多いのです。
価値観が同等だという感覚は、よほど自由にならないと持てないのではないでしょうか?
私は今回の旅行で初めて密教と出会いました。仏陀が秘密に教えたとされる宗教です。
道教には悟りという言葉はありません。無為に生きればそれでOKなのです。無為の世界に目的はなく、その人は瞬間に生きます。
瞬間に生きる人にとっては、価値観の比較という問題は発生しにくいのです。比較するより、無意識が瞬間に結論を出してしまうからです。
でも私達には左脳があります。前頭葉があります。それを使って考え出したら、無為に生きることが出来ません。
常に私達は無為と有為の間をさまよっています。無為は時間系です。有為は空間系です。
『不思議の科学3』では時間系に生きることを提案しました。でも、空間系を捨てることが出来ないのは、明白です。
その空間系に対して切り込んだのが仏陀なのではないでしょうか・・。
出世間法を教えた人が、その話を終わった瞬間に皿を食ったのです(笑)。
極楽は自分の中にあると言った人が、パンツ一丁になってピョンピョン飛びました(笑)。
つまり難しい理論と無意味な実践は、同格なのです・・ということを言いたかったのかも知れません。
私の書く本にはHな下ネタが多いです。ノリノリの講演会では、逆にエッチな話が多くなります。
それは真面目なことだけを話すのが「やっていられない」のです。真面目な話とエッチな話は、同格なのです。
空間系では「選択」が出てきます。あれかこれかを選ばなければなりません。
道教では選びません。タオが自然に選択するから、我々はそのワダチに乗れば良いのです。しかし仏教にはその概念がありません。
でも全ての価値観が同一だとしたら、どうでしょうか?選ぶという行為は、全く無意味になるのです。何を選択しても同じだからです。
長所と欠点は同格なのです。愛と怒りは同格なのです。ヒットラーとコルベ神父は同格なのです。
しかし理屈では分かっても(実際には理屈でもよく分からないのですが・・)、感覚では分かりません。
これを感覚で分かることが悟りなのではないでしょうか?私はそんな気がするのです。
もしもこの境地に至ったとき、私はすべてを受け入れることが出来そうです。
輪廻は、価値観の差から起こるのだと思います。ああすれば良かった、こうすれば良かった・・。「ああすれば」も「こうすれば」も本当は同格なのです。
そして「来世はこういう人生を選択しよう。なぜなら前世のカルマを解消する必要があるから・・・」と計画します。
しかしどういう人生も同格であることを知ったとき、言い換えれば生きているこの瞬間に涅槃も地獄も内在していることを知ったとき、ひょっすると輪廻する必要が無くなるのではないでしょうか?
それはコルベ神父もヒットラーも私の中に内在していることを知ることです。
価値観にはキリがありません。人生の頂上はいくら登っても到達できません。
ある特定の価値観を良しとして追求する限り、幸せはその価値観と共に遠ざかるのではないでしょうか?
悟りとは人格が高くなることではなさそうだというのが、今回の私の旅行で得た事です。
折しも今回のリョウさん能力開発セミナーは、光の中に胎児の自分を見る訓練でした。
その胎児のことを「宇宙の主宰者」だと言っていました。宇宙の主催者とは、神そのもののことです。全ての価値観が同等になった世界が神の世界なのでしょうか?
もうすぐ日本に到着します。この感覚は日本という場で、どのように変化をするでしょうか・・。

[ 75] 「中国諦め紀行2000.10(4)」
[引用サイト]  http://www.moritaken.com/goroku/goroku04/90.html



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