大八木とは?
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元ラグビー日本代表。身長190センチの体で全力プレーする現役時代の大八木についたあだ名は「壊し屋」。神戸製鋼時代、盟友・平尾誠二とともに日本選手権7連覇の偉業を成し遂げた。現在は、ユニークなキャラクターからテレビ・ラジオなどでも活躍。一方、ラグビーの底辺拡大を 大八木の母・照子は昭和7年、京都の亀岡市に6人兄弟の長女として生まれた。母は洋裁学校卒業後、大工だった大八木茂と22歳の時に結婚。昭和36年、大八木淳史は次男として京都・ 嵯峨に生まれる。近所には釈迦堂、大覚寺などの寺社仏閣、そして桂川にかかる渡月橋。京都の風情に囲まれて大八木は育っていった。久しぶりに実家に帰った大八木は、母を誘って思い出深い釈迦堂に出かける。 中学時代、大八木はサッカー部で活躍。父の職業に憧れた大八木は、京都府下で唯一建築科のあった伏見工業高校への進学を目指した。入試当日、校門にいかつい顔をした男が一人立っていた。男は大八木を見るなり、受験票の番号をチェックして言った「ラグビー部入れよ」後に恩師となる山口良治との出会いだった。試験の休み時間の度に山口は大八木の前に現れ、熱烈に ラグビー部へ勧誘した。「アイツは日本を代表するラガーになる」山口は大八木を一目見て感じたという。ラグビー部へ入部した大八木を待っていたのは、365日ラグビー漬けの日々。母は毎日、弁当を2つこしらえて息子に持たせた。ラグビーとの運命的な出会い。母と子の二人三脚が レギュラーとして活躍。在籍5年で4度の学生日本一に輝いた。息子の試合のたびに母は応援に駆けつけた。息子同様、母もラグビーに熱中した。当時、大八木の実家はラグビー部員の溜まり場。部員たちの腹を満たすため、手料理を振舞う母は親しみを込めて“京都のお母さん”と呼ばれた。今回、大八木と母はある店を訪ねた。そこに集まったのは大八木の私設応援団。大八木の青春時代と同時に母にとっても懐かしい時代の思い出が甦る。 社会人日本一を目指した神戸製鋼ラグビー部2年目の夏、大八木は左膝の靭帯断裂の大怪我を負う。半年後、復帰を果たした大八木だったが、さらに不幸が待ちうけていた。父の突然の他界。その年、社会人日本一を賭けた決勝まで勝ち進んだ。スタンドには父の写真を胸に応援する母の姿。神戸製鋼は創部66年目にして念願の初優勝を掴んだ。7連覇を達成した直後の平成7年1月17日、阪神淡路大震災が発生。引退を考えていた大八木。しかし、被災した地元の人々の激励に後押しされ現役続行を決意。“one for all,all for one”神戸復興のために……大八木の心に通ったラグビー精神が体をつき動かせた。2年後、大八木は36歳で現役を引退。周囲の惜しむ声のなか、母の言葉は違った。「ホンマに良かった、もう怪我をする心配をせんで」 |
[ 47] グレートマザー物語
[引用サイト] http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/180/
