鶴光とは?

初代 笑福亭鶴光(生没年不詳)は、4代目笑福亭松鶴門下で、後に4代目笑福亭松竹を襲名。5代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」同人。本名は瀬尾伝治郎。享年不詳。
なお、「鶴光」の正式な読み方は「つるこう」ではなく「つるこ」である。笑福亭一門の由緒名である「光鶴」も、2代目の弟弟子である笑福亭鶴瓶も、それぞれ「こうかく」「つるべぇ(またはべぃ)」としばしば誤読されるが、正しくは「こかく」「つるべ」である)。これは大阪弁では「がっこ(学校)」「せんせ(先生)」など、母音の発音を省略する傾向があることによる。
しかし、2代目自ら「鶴光(つるこー)でおま!」をキャッチフレーズとしていた時期が長く、また、「光」をそのまま音読みで「コウ」と多くの人が読んでしまうため、現実には正式な読み方をする者は皆無に近い。この点は、フジテレビ系『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』の中でも指摘された。
2代目は上方落語協会と落語芸術協会に籍を置くが、上方落語協会の公式HPの会員プロフィールでは、読み方は正しく「しょうふくていつるこ」となっているのに対し、落語芸術協会の公式HPでは「しょうふくていつるこう」となっている。
2代目 笑福亭鶴光(本名: 小林 幸男(こばやし ゆきお)、1948年1月18日 - )は、大阪府大阪市東住吉区(現在は平野区)長吉川辺出身の落語家。 血液型はO型。大阪市立天王寺第二商業高等学校(定時制)卒業(演劇部の同級生に故・4代目林家小染がいる)、松竹芸能所属。ラジオスターとしてその地位を不動のものにしている。挨拶は「つるこーでおま!」である。愛称は「鶴光師匠」、「つるこー」、「師匠」であり、笑福亭鶴瓶や後輩落語家からは「鶴光兄さん」。
過去には元宇宙飛行士の秋山豊寛に顔が似てて間違えられたこともあった。桂三枝、桂春之輔と同期。弟子には笑福亭學光(しょうふくてい がっこ)らがいる。
6代目笑福亭松鶴に師事。笑福亭仁鶴に次ぐ2番弟子。入門の際、松鶴の許を直接訪問せずに、「入門を認めるなら○、認めないなら×」という様な内容を記した往復はがきを郵送したエピソードが知られる。
上方落語協会、関西演芸協会のほか、落語芸術協会にも客員真打として参加しており、通常は東京の寄席に出演している。これは鶴光が1987年から2003年の間、東京のニッポン放送で月-金の帯のレギュラー番組(後述)を持っていたというスケジュール上の事情が背景にあるが、これとは別に師匠である6代目松鶴が「鶴光が引き続き東京で活躍できるように」と計らい、落語芸術協会に働きかけたことによるものともいわれている。また、松鶴は、東京に上方の人間が常駐することによって、東京と上方の架け橋になればいいと、考えていたとも言われている。東京の寄席でトリをとれる上方落語家は鶴光のみ。春風亭小朝をはじめ、鶴光に上方ネタをつけてもらう東京の噺家は多いという。東京での地道な活動が徐々に認められつつあり、演芸評論家からの評価も高い。
松鶴に入門するや否や「まずは顔と名前を売らなアカン!」と考えた鶴光は「兄弟子の仁鶴、同期の三枝」をライバルとして、修業時代から関西ローカルのテレビやラジオに出演した。折りしも時代は演芸ブーム。アドリブと機転のきいたしゃべりはすぐに注目されることになり、ラジオのレギュラーだけで13本を抱える売れっ子になった(本人によると13本レギュラーを持っていてもギャラは1本一律千円で到底食える状態ではなかったらしい)。
人気深夜番組『MBSヤングタウン』のパーソナリティに抜擢。三枝とともに同番組の看板パーソナリティとなる。
そんな鶴光の活躍ぶりをラジオ大阪の関係者から聞きつけたニッポン放送の亀渕昭信(現・ニッポン放送相談役)が、全国ツアーで『オールナイトニッポン』を3ヶ月間休むことになっていたあのねのねのピンチヒッター要員としてオーディションを受けさせた。
亀渕は、最初のオーディションに間違って桂朝丸(現・2代目桂ざこば)を呼んでしまったという逸話があるが、見事オーディションに合格した鶴光は、『オールナイトニッポン』水曜日のパーソナリティを3ヶ月間担当することとなった。鶴光は、どうせ3ヶ月しかないのならと当時の全国ネットのラジオで殆ど聞くことのなかったコテコテの関西弁で下ネタを連発。一気にブレイクし、全国区への足がかりとなった。あのねのねがレギュラーに復帰すると土曜日に担当が変わり、最終的には11年9ヶ月に及ぶ当時の歴代最長パーソナリティとなった(現在の最長パーソナリティはナインティナイン)。鶴光の成功により、以降明石家さんまをはじめ多くの関西芸人が東京のラジオで活躍することになる。
『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』では「この歌はこんな風に聞こえる」「ミッドナイトストーリー」「驚き桃の木ピンク話」などH系のコーナーが満載で、悩める男子学生の股間を直撃した。AVがまだ存在しない時代で、悶々とした男たちにとってこの番組は福音でもあった。タモリとともに、「なんちゃっておじさん」ブームも巻き起こた。
エピソードも多く、生放送中に地震が発生し、怖じ気づいた鶴光は真夏の放送にも拘わらず「ストーブの火を消してください」とマニュアル通りにアナウンスした事や、放送直前にとある愉快犯より「爆弾を仕掛けた」旨通告を受け、厳戒態勢の中放送を行なった事などがある(鶴光はニッポン放送のポッドキャスト番組で地震関連の放送をした時に注意喚起のアナウンスの後で「あー怖わ!!」とコメントした他、リスナーから「こんなクソ暑い季節にストーブをつけてる家庭がどこにあるか!!アホ!!」と抗議されたということを後日談として披露した)。
長丁場の番組で疲れてしまい、途中スタジオを抜け出してニッポン放送本社の近くに出ていた屋台で飲んでいるところを亀渕昭信に見つかり、大目玉を食らったこともある。なおその間、オンエアでは「河内音頭」が30分流れ続けていた。
当時の女性アイドルもアシスタントとして出演しており(深夜4時台にアシスタント単独のコーナーもあった)、芦川よしみ、日高のり子、川島なお美、松本明子、坂上とし恵らも、アイドルとして売れなかった時代に鶴光のオールナイトのアシスタントを務めた。
1985年の『オールナイト』降板後は、東京と大阪を行き来しながら『鶴光の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン』、『かけこみワイド・鶴光のまかせなさい』を担当したが、1987年3月にABCラジオ『ポップ対歌謡曲』以外のすべての大阪のレギュラー番組を降板。
東京に単身赴任して『鶴光の噂のゴールデンアワー』のパーソナリティを16年間務めた。「乳頭の色は?」、「ダンナのアソコに小鳥は何羽止まりますか?」などの変わらぬトークぶりを展開し、主婦のアイドルとして不動の地位を築く。
しかしその後は『鶴光の笑う門には』、『鶴光のドキがムネムネ』、『鶴光のサウンドコレクション』そして、『笑福亭鶴光 デジラジキングダム』を担当したが単発に終わる。
亀淵に見いだされたとはいえ、東京でのレギュラー番組はいずれもニッポン放送の番組であり、半ばニッポン放送専属の感がなきにしもあらずである。2005年以降、ニッポン放送の冬季限定レギュラーパーソナリティとなっており、2006年度は『オールナイトニッポンアゲイン』や他の特番等にも出演している。これはかつて、タモリにも見られた(タモリもANNレギュラー後、冬季限定パーソナリティだった)。
現在は、CBCラジオの昼ワイド『ツー快!お昼ドキッ』、ABCラジオ『鶴光のDJ天国』を担当。また、聴取率調査の時にニッポン放送で特別番組が組まれることが多く、ラジオスターらしく東・名・阪をまたにかけて活躍中である。
なお鶴光の中では、落語とラジオは「別物」として厳密に分けられていて、「ラジオのファンが高座に足を運んでくれるということは期待していない」(趣旨)と発言している。こういった区別が2つの道を極める姿勢につながり、現在の定評を得る要因になっているとも言える。
数多くのレコードをリリースしたが、ヒットしたのは約20万枚を売り上げた『うぐいすだにミュージックホール』(作詞・作曲:山本正之)のみ。
映画にも数多く出演している。代表作はレギュラー出演した『トラック野郎シリーズ』で、ビニ本屋の店長役など持ち味のエロを存分に発揮した。五月みどり主演の『奥様はお固いのがお好き』などポルノ映画にも多数出演。また、Vシネマ『ミナミの帝王シリーズ』の3作品に友情出演している。
2005年にリクルートの「フロム・エー(FROM A)関東版/関西版」のテレビCMに出演し、様々なシチュエーションで「ええか〜、ええか〜」と言っているCMが人気を博していた。そのお陰か、再度このフレーズが流行当時を知らない若者を中心に大ブレイクし、このフレーズの着メロのダウンロードが急激に増加した。
ちなみに、このCMでの台詞は「フロム・エー」という誌名の「エー」の部分にひっかけており「ええか〜」のみを連呼していた。「エロ」イメージを極力引っ張らないため「ええのんか〜」というフレーズは使われていなかった。
現在は番組出演よりも本業の落語に軸足を置いた活動をしている。落語は師匠譲りの豪快な話芸で、「三十石夢の通い路」「相撲場風景」「三人旅」「阿弥陀池」「竹の水仙」などを得意にしている。特に「竹の水仙」は評価が高い。
高座は、もっぱら都内の定席や国立劇場演芸場、首都圏の市民ホールが中心である。地元大阪では、天満天神繁昌亭の定席が新たに始まり、ABCラジオでの持ち番組の収録日に合わせて、おおよそ2-3ヶ月に一回のペースで昼席に出演しており、大トリも勤める。一方、所属する松竹芸能のB1角座には出演しない。
現在のレギュラーはCBCラジオ『ツー快!お昼ドキッ』、ABCラジオ『鶴光のDJ天国』の2番組であるが、東京に単身赴任しているため、ニッポン放送のナイターオフ番組(2007年は『笑福亭鶴光のサンデー○○リクエスト』)と聴取率週間の特番によく出演する。
鶴光は上方落語界の重鎮として、後進の育成にも取り組んでいる。これまでに學光・笑光・扇光・真光・久光・新之介・光壱・里光・つぐみ・和光・典光・乃光・羽光が入門。現在も芸能活動を続けているのは、學光・里光・和光・乃光・羽光の5人。
一番弟子の學光は徳島県出身。大阪在住。一番弟子の強みからか早くからマスコミで売れ、ラジオ大阪の帯番組「笑福亭学光のおおさか午後4時」のパーソナリティーを長くつとめた。探偵ナイトスクープでもおなじみの奈良健康ランドのCMにも長年出演している(現在はほしのあきがメインキャラ)。現在は四国地方でテレビ1本、ラジオ3本のレギュラーを抱える。その一方で、中国の奥地に小学校を建てる運動にも熱心に取り組んでおり、内容については著書「學光学校」(浪速社)に詳しい。ちなみに芸名の名付け親は鶴光と親交が深い、漫画家のはらたいら。「東京らんでぶう」というレコードを出したことがある。
里光・和光・乃光・羽光は東京で取った弟子。上方落語協会には所属せず、落語芸術協会の正会員として、主に都内の寄席や地域寄席に出演している。師匠同様、松竹芸能に所属する里光は大阪のB1角座に出演するなど、東西をまたにかけた活動になりつつある。経済評論家でテレビやラジオで活躍している森永卓郎は、鶴光から「笑福亭呂光(えろこう)」の名を貰っている。
笑光は、師匠への報告も無く自分で(落語以外の)仕事を取っていた事や仕事観を巡って対立し破門となった。その後、嘉門達夫の芸名で歌手・タレントとして活躍。現在も嘉門は鶴光と共演する時や、偶然に同じ放送局で仕事になった際には必ず楽屋への挨拶をかかさない(ニッポン全国ラジベガス出演時のコメントより)。
また、鶴光は本業の落語とは別に「鶴光劇団」を旗揚げし、新宿のスタジオアルタや大阪の近鉄小劇場(現在閉鎖)で定期的に公演していたこともある。
『鶴光オールナイト』歴代アシスタントの中でも、特に松本明子はフジテレビ系『オールナイトフジ』と同時放送を行った際、鶴光と片岡鶴太郎にそそのかされて、いわゆる放送禁止用語を叫んで謹慎処分となるが、復帰後はバラドルとして、スターダムにのし上がっていった。また、日高のり子も後に声優としてブレイクしたが、その後のKBS京都『はいぱぁナイト』で「身ぃ削ってナンボ!」と自ら公言したほどの師匠譲りの暴走トークで大人気を集める事になる。
もっとも、松本明子の一件では、鶴光は「主犯格」と見なされ、ラジオスターとしての人気ゆえ干されこそしなかったが、『松本明子を地獄に追いやった上方落語家』というレッテルを貼られて、その後長い間、関東のテレビ局や番組制作会社、アイドルタレントを擁する多くの芸能事務所から、下ネタ系要注意タレントとして警戒され続けている。その為、松本の一件以降、知名度や人気、仕事量の割にテレビ生放送の仕事や女性アイドルとの共演が少ないという状態が長く続いた。
芸能界で活躍しているタレント達の中にも、かつての『鶴光のオールナイトニッポン』のリスナーであった者が多い。元極楽とんぼの山本圭壱は、番組で共演した際に鶴光の芸を「ピンク落語」と称し敬意を表す。福山雅治も鶴光の熱烈なファンで「しゃべりの師匠は鶴光師匠」と公言し、自分の番組にゲストとして呼んだほか、2005年の正月特番『鶴光のあけおめでおま!』(MBSラジオ)にゲスト出演した。このほかにも、名古屋で活躍をする矢野きよ実など、現在ラジオでレギュラー番組を持つパーソナリティーにも学生時代に鶴光のラジオを熱心に聴いていた者が多く存在し、彼らにとっては、パーソナリティー業における「師匠」のように崇められる存在となっている。
笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(ニッポン放送・NRN系全国ネット)−1974年1月〜1985年10月5日(1974年1月〜3月まではあのねのねの代理として担当)
鶴光の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン・花とおじさん(ニッポン放送)−1985年10月〜1986年3月
スーパーステーション 鶴光のドキがムネムネ(ニッポン放送)−2003年10月〜2005年3月(月1回放送)
笑福亭鶴光と松本ひでおの歌の紅白リクエスト合戦(2006年12月、スペシャルウィーク ニッポン放送)
笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエスト(2007年2月、スペシャルウィーク ニッポン放送)
新春イマジン寄席(笑福亭鶴光、春風亭昇太、立川しらら(※前説)、増山さやか、田代優美、山本まゆ子、増田みのり、新保友映)
大阪府吹田市千里丘の自宅には地下にラジオ用のスタジオブースがあるが、スタジオとして使用されることは無く、現在物置として使われている。
弟弟子である鶴瓶の実の姉と同級生であり、「絵がむっちゃ上手やったわぁ。」と毎日放送ラジオで語っていたことがある。
小田原ドラゴン - 漫画家。作品「チェリーナイツ」に登場する2人の童貞は鶴光のラジオのリスナー同士で交流が始まった、という設定。
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[ 130] 笑福亭鶴光 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E9%B6%B4%E5%85%89

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笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(しょうふくていつるこ - )はニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンの1つで、ラジオ番組。パーソナリティは笑福亭鶴光。1974年4月〜1985年10月5日に放送された。略称:鶴光のANN、サンスペ(「サンデースペシャル」の略)。
もともと正式に番組がスタートする以前の1974年1月からの3ヶ月間、当時の土曜日(日付上は日曜日)担当であったあのねのねが長期のコンサートツアーのために番組を空けることになり、そのピンチヒッターとして鶴光が抜擢されたことがこの番組の源流となっている(公式の通算パーソナリティー在任記録が「11年6ヶ月」ではなく「11年9ヶ月」とされているのはこのピンチヒッターとしての担当期間を含めてのものと解される)。このピンチヒッター時でのエロをふんだんに盛り込みながらも、落語家特有の絶妙な間合いや話術を駆使した番組進行ぶりがリスナーや局関係者に高く評価され、同年4月より水曜日担当として鶴光は正式の番組パーソナリティーに昇格。その後、同7月に再び土曜日に正式パーソナリティーとしてあのねのねに代わって土曜日担当となり、その際に「サンスペ」の別名が付されるようになった。「サンスペ」と呼ばれたのは放送時間帯が現在のように「土曜25時〜29時」ではなく、「日曜1時〜5時」と表記され、番組自体が「サンデー・スペシャル (Sunday Special) 」と位置づけられていたものの略称である。
現在は、ナインティナインがパーソナリティをつとめるナインティナインのオールナイトニッポン(木曜25:00−27:00)が歴代最長記録を更新中であるが、それまでは鶴光のオールナイトニッポンが最長(11年9ヵ月)であった。
但しナインティナインのオールナイトニッポンは、時間帯を木曜22時〜24時に変更した時期があり、同一時間帯としては、鶴光のオールナイトニッポン・サンスペ(土曜1部・2部担当)の11年6ヵ月(ピンチヒッターとしての担当期間<前述参照>を含む)がなお最長である。
鶴光がオールナイトニッポンを降板してから既に20年以上の歳月が流れているが、1950年代後半〜1970年代前半生の世代にとっては鶴光のオールナイトニッポンは、当時まだ性に関する情報媒体が少なかった時代にあっては一種のバイブル的存在であったため、この世代の人々にとっては「ANN=鶴光」というイメージが未だに根強い。1970年代のラジオ深夜放送黄金時代の頂点に登りつめた番組の一つであった。
(1時のオープニングは必ず)母と子の会話シリーズ「お母ちゃん何で僕には弟か妹がいないの?」「それはお前が早く寝ないからよ」みたいな小咄。
『〜なる(する・思うなどの動詞)のは、僕(私)だけでしょうか?こんな僕(私)でも〜はしません(以前の放送で鶴光やアシスタントが犯した失敗などをやり玉にあげる)』といった内容の投稿だった。それらを鶴光が『こいつら皆、アホだっせ…』とはき捨てる。その後ビタースイートサンバのテーマが始まり「○○の××が△な時、新しい時代のAが始まる。Aの代わりにBをBの代わりにCを。新しい時代のDをリードする笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」という(○やアルファベットの部分に毎週その時の時節柄のワードを入れ)鶴光の名調子が始まる。この名調子はオールナイトニッポンの放送開始当初、番組の冒頭に各DJが言ってたセリフ「君が踊り僕が歌うとき 新しい時代の夜が生まれる、 太陽の代わりに音楽を 青空の代わりに夢を フレッシュな夜をリードする オールナイトニッポン」をアレンジしたものと思われる。
「○のようで○でない。×のようで×でない。それは何かと尋ねたら、あー■」みたいなもの。合いの手のジングルを挟んで、鶴光が名調子を入れた。
放送末期に「アホの子大集合」に代わりオープニングコーナーとなる。芸能人の最近のニュースを報じ、それぞれ価値の上下をつける。いわば芸能証券のようなもの。
オープニング直後の曲を予想する葉書の当選者発表後に紹介される。こちらは当時流行していた曲のタイトルのパロディを紹介し、特に面白いネタには笑い袋が鳴らされ、そのネタ元になった曲のレコードが贈られた。
1982年頃からスタート。「一部が実際の歌詞とは違って聞こえる」歌を紹介する。大抵は放送禁止用語を含むような卑猥な言葉に聞こえる、というものであった(最も多かったのは「オーマイガッ」が女性器を表す四文字言葉に聞こえるケース。もちろん実際にはそのような歌詞ではないので自主規制の対象外であり、放送には全く問題ない)。「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」はこのコーナーをヒントに同じコンセプトで作られている。毎週5〜10通分の作品を紹介して、優秀作品には1,000〜5,000円がもらえた。
コーナータイトル曲はチャック・ベリー「Too Much Monkey Business」(後に他の人のカバー・ヴァージョンも同コーナーで紹介された)。
『男と女』のテーマ曲に乗せて、何となくおかしい一発ギャグを披露する。 「ワニの腕立て伏せ」「カメの背泳ぎ」「陽気な陰毛」「ガイコツのニタ笑い」「カメの腹筋」「スネ毛の生えた赤ん坊」などの一発ギャグを披露。アシスタントの小森みちこに、バツゲームとして、これらを聞かせ、笑うたびにアメ玉を頬張らせて口の中いっぱいにし、困らせたこともある。
小説など一般的に文学として通用するもの、映画のセリフや日常生活にある説明文などの動詞と名詞を『あれ』『なに』『それ』などに置き換えると文章自体がエロティックなものに変わるというもの。
投稿者の田舎っぷりを自慢し合う。このコーナーで使用される「田舎もん!」の合いの手は、ゲストコーナーの最後にゲストの出身地を質問したとき、一部地域以外を答えるとやはりコールされる。BGMには岩手県民謡の「南部牛追い歌」が使われた。
「ある出来事に関して三人の芸能人にインタビューをした結果、それぞれからこういう返答が来た」という状況を創作する。三人目が必ずオチとして使われるいわゆる「三段オチ」になっており、三人目には鶴光やアシスタントがあてがわれる事が多かった。
共通点のなさそうな二つの物(人や現象等も含む)の共通点を考える。言うなれば「なぞかけ」の変型。ゲストやアシスタントへのクイズ形式で読まれる事も多かった。
「悪の十字架」「恐怖のみそ汁」「血を咬んで吸う話」などの、怪談話に見立てたダジャレのコーナー。’メルヘン話’というおとぎ話、’ピンク話’という下ネタの話もあった
毎週出題されるテーマがある。「例:○○が△△を叱った。<この”叱った”の部分が動詞に変わる>その時それを見た□□は?という反応を歌の節で答える」というコーナー。 投稿者は、該当する言葉を含む楽曲のタイトルと歌手を書いて送り、該当歌詞の部分だけを抜き出して放送。使用された定番曲には、三波春夫の「おまんた囃子」や村木賢吉の「おやじの海」などがあり、サンスペ1時台の人気コーナーとして番組初期から長きにわたり続いた。なおサンスペ終了後、「鶴光の噂のゴールデンアワー」でも一時期類似したコーナーが存在した。時間帯から投稿者は主婦が多かった。なお、同時期に放送されていた「欽ドン!」にも同趣向の企画『レコード大作戦』(のちに「コサキン無理矢理100%⇒コサキンDEワァオ!」の『意味ねーCD大作戦』に受け継がれる)が存在した。
詳細は当該記事を参照のこと。 「こもりみちこ」で「こ」今夜も一人「も」もてない女が夜を待っている「り」律儀に今日も街に出て「み」道行く男に声をかけ「ち」小さなホテルで身を燃やす「こ」こんな女に誰がした。といったネタが紹介された。
『8時だョ!全員集合』のエンディングのパロディで、『いい湯だな』のテーマ曲に合わせて「○○しろよ!」と合いの手を入れる。
鶴光とゲストのアイドル歌手、アシスタントによるラジオドラマ。鶴光が演じる探偵「金玉二個助」(あくまでも姓がキンタマニ・名がコスケである)が、アイドルの周辺で起こった難事件を解決する。内容はギャグに終始する物からシリアスに展開する物まで様々で、時にはニッポン放送のアナウンサーや番組担当ディレクターまで役者として出演する事も。コーナー終了後、ドラマの内容に関するクイズが出題され(解答はハガキで募集)、正解者の中から抽選でノベルティグッズがプレゼントされた(翌週発表)。
鶴光の朗読によるミニラジオドラマ。途中までの流れは明らかに性行為を連想させるものの、「実は性行為とは全く関係のない行動をしていた」というオチが付くのがお決まりのパターン。午前2時の時報と同時に始まったコーナーで初期のサンスペにおける人気コーナーの代表格。鶴光ひとりのときもあったが、女性ゲストとともに朗読することが多く、当時ポルノ女優としても活動していた小森みちこがアシスタントを務めるようになってからは彼女が登場する週に必ずこのコーナーが放送された。島倉千代子、五月みどりといった大物女性ゲストが出演したこともある。番組終了後に鶴光が担当した「鶴光の噂のゴールデンアワー」でも一時期「トワイライト・ストーリー」というタイトルで同様のコーナーをやっていた。2006年10月16日〜10月20日の1週間、「鶴光とひでおの歌の日本シリーズ」で復活したのを皮切りに、以降聴取率調査週間時に「松本ひでおのショウアップナイターネクスト」枠の時間の恒例となっている。コーナーのBGMにはサム・テイラーの「ハーレム・ノクターン」が使用された。
いわゆる「イントロクイズ」。聴取者に電話をかけ、ヒット曲のイントロを聞かせて曲名を当てる事が出来たら、賞金(5,000円からスタートするが、正解者が出なかった場合は1,000円ずつ加算される。またその週の最後の回答者が賞金を選んだ場合は無条件で10,000円になる時期もあった)かノベルティグッズがもらえた(何をもらうかは出題前に解答者自身が選択。賞金よりグッズの方がイントロの流れる時間が長い)。出題前に、男性解答者であればアシスタントと、女性解答者であれば鶴光と性行為を連想させるやりとりをするのが「お約束」となっていた。一番有名なのが、女性が「ああ」と言った後、男性が「ええか?、ええのんか?、最高か?」と言うもので、このセリフを言う際は必ずエコー処理がされた。また出題のゴーサインとして男性には「でるー」、女性には「イクー」と言わせていた。このコーナーは27時以降の(第2部)に「走れヘッドライト」と銘打って行われていた(この名称は裏番組のTBS「歌うヘッドライト」と文化放送「走れ!歌謡曲」からの造語であろう)。
当時問題となった投資ジャーナル事件がコーナータイトルとなった聴取者参加型ゲーム。聴取者に電話をかけ、資本金として1,000円を与え、音楽をつないだルーレットを回してもらう。聴取者の「ストップ!」のかけ声でルーレットが止まり、そこで出て来た音楽がヒット曲であれば持ち金が2倍になるが、演歌が出てくれば持ち金が半額となる。これを計4回繰り返し、最終的に残った持ち金が賞金として聴取者にプレゼントされる。従って賞金の最高額は16,000円、最低額は125円である。但し、トリオ・ザ・ゴミの楽曲が出て来た場合はそこでゲームオーバーとなり、鶴光の「サイナラー!」の一言で電話が切られ賞金もない。コーナーのオープニングでは都はるみ・岡千秋の「浪花恋しぐれ」のカラオケに乗って、同曲の岡千秋のセリフを真似て「そりゃワイはアホや」と鶴光が名調子を披露した。
3時近くに始まる弟子の笑福亭学光が街で通行人に毎週ある一定の言葉を投げかけその反応をリポートしてくるコーナー。おばあちゃんに「私妊娠してるんです」というと「妊娠しているんやったら仁丹あげようか」のは当時流行った。その他に「内緒ですが実は私犬なんです」というと「猫であろうと犬であろうと私はあんたに用はない」と言われたり「もう(ものの)言い方ひとつで命ほかすときもあんねん」などたくさんギャグも生まれた。その他通行人に『乳吸わしてくれ」とか『ゴリラ」などと言いパトカーに追いかけられたり相手がやくだったりして、淀川に浮かぶのも近いといわれていたが、浮かぶことはなかった。その当時の中高生は翌日「昨日、ドッキリマイク聞いた?」から始まった。
前述の「学光のドッキリマイク只今参上」のリポートで録音された「猫であろうと犬であろうと私はあんたに用はない」や「もう(ものの)言い方ひとつで命ほかすときもあんねん」「あんた何聞いてんねん?」「知らん!」などのセリフや、鶴光やスタッフ、ゲスト、アシスタントなどが番組の中で言った「アホが夢見とりまんねん」「お姉ちゃんのうそつき!」などのセリフはジングル化され、アシスタントとの会話やゲストとの対談中に突然それらのジングルを流して聴取者の笑いを誘っていた。そこから生まれたのがこのコーナーで、前文のあとジングルを入れて文章を作るというもの。
1980年を中心に2時台にあったコーナー。毎週女性アイドル(たまに男性)が1人ゲスト登場し、鶴光の出題する10問のアナグラムのクイズに答える。(「例:せこいつまだ→まつだせいこ、の様に文字の並べ替えて人名にする)このコーナーの問題が本にもなった。(「あの子はだあれ」KKベストセラーズ社のワニの豆本より。また、このワニの豆本からよく鶴光のANNの本「新かやくごはん」も何巻か出版されていた。)このアナグラムはテレビでも「三角ゲームピタゴラス」「クイズ!!ひらめきパスワード」「マジカル頭脳パワー!!」などで採用され、現在では「パネルクイズアタック25」で出題されている。
2時ごろ放送されていたリスナー参加のコーナー。Aコース、Bコースという2本のテープにレースカーのエンジン音が録音されており、ところどころクラッシュ音が挿入されている。リスナーは「チェンジ!」のかけ声でコースを切り替えクラッシュに当たらないようにする。スタートしてから20秒2000円、30秒3000円、45秒5000円と、クラッシュするまでのタイムにより賞金が増え、最大1分間の完走で1万円が貰えた。
前述のピンチヒッター抜擢の際、鶴光は声のオーディションを受けることになっていたが、そのオーディションの際、スタッフが鶴光と間違って桂朝丸(現・桂ざこば)を連れて来てオーディションを受けさせてしまった。そのため、朝丸は自分が土曜日の番組を担当することになったと勘違いしてしまい、鶴光にそれを自慢して鶴光を「どないなってんや?(どうなってるんだ)」と困惑させてしまうことになった。このことは1992年に放送された一夜限りの復活放送の中で鶴光が語り、「あれはすべて亀ぶっつあん(オーディション当時の制作スタッフで、復活放送当時ニッポン放送の専務であった亀渕昭信)が悪いんです」と笑いつつ、「社長になったらお願いしますよ、鶴と亀ですからね」と冗談まじりに話した。
土曜日に移動して以降、当時デビュー間もない女性歌手やタレントをアシスタントに起用した。初代アシスタントは、俳優・南道郎の娘で宝塚歌劇団の女優から芸能界入りした美詩える。その後芦川よしみや榊みちこなど、1人がある期間継続してアシスタントを務めていたが、途中から3人組に移行。その最初が日高のり子、坂上とし恵、浜田朱里で、「がけっぷちトリオ」と命名された。彼女たちが卒業した翌週からは新たに柳沢純子、小森みちこ、松本明子がアシスタントとなった。当初は「やけっぱちトリオ」と命名されるも途中から「トリオ・ザ・ゴミ」に改名されてしまった。
よく谷村新司のおでこが上っている(はげている)ことから「たこ(蛸)」とののしったり、1981年に中学三年生で衝撃デビューをした伊藤つかさをロリータに見立て子供の形容を発言することが流行った。
新人の女性タレントがゲスト出演した際、デビュー曲の曲紹介をさせるときにも「お約束」があった。まず曲紹介をさせるのだが曲を出さなかったり、いきなりアウトロだけを流したりしてゲストを困惑させる。そこで鶴光が「もうちょっと色っぽく言うてん」などと言ってもう1度曲紹介させるが、今度はイントロとアウトロを組み合わせたもの(つまり歌の部分がカットされたもの)が流れて終わってしまう。更に困惑するゲストに鶴光が「もっと色っぽく言うてん」などと言ってもう1度曲紹介させるが、番組のジングルが流れCMになってしまう。その瞬間のゲストの反応(「あー!」とか「ちょっとー!」、「ひどーい!」などの声)が聴取者の笑いを誘っていた。ちなみにその楽曲はCM明けに再度鶴光がきちんと曲紹介させ、フルコーラスで放送していた。
担当ディレクターが遊ばれることが多かったのも、この番組の特徴であり、「田舎モン」「ボボたん」「トルコ宮本」「紫電改糸川」など、個性豊かな“ニックネーム”をつけられることも多かった。
CM前後の番組ジングルでは色んな歌手(田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ{後に芳恵}、三原順子といった80年デビュー組が軒並みジングルに登場していた。特に松田聖子の(電話口で)「わんばんこ鶴光でおま」「松田聖子でおま」「何着てんのや」「ピンクのネグリジェよ」「乳頭の色は」「ピンク」「イッイッイクーーッ」というのは流行った。
70年代後半〜80年代初めは2部(27:00〜)のアシスタントでは芦川よしみ(現在は女優)が登場しイントロ当てクイズをリスナーと電話口でやっていた。芦川のあだ名は「お100個姉ちゃん」(100を2乗した数字が放送で言えない代わりに・・・の意)
山梨放送では、一時期のみの放送だった(1981年頃に一旦打ち切りのため 放送していた当時でも27:00までのネットだった)。
時期は不明だが、朝4時になって、腹減ったということで30分だけ屋台のおでんを食いに行こうと言ったところ、みんなで行きましょうということで、ミキサー1人残して「河内音頭」30分かけて行ったことがある。それをちょうどゴルフに行こうとしていた亀渕昭信が聞いていて、彼に説教をされたことがあった。
ラジオ大阪では、日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲をネットしている関係上、27:00で飛び降りていた(そのためか、当時フルネットしていたKBS京都で聞いていたリスナーも多かった。事実、鶴光も「このあとはKBSで聴いて」と呼びかけていた時期があった)。
「イントロ当てクイズ」などのリスナー参加コーナーで電話を掛けても出なかったときは「寝さらせ!」と罵倒するのが「お約束」であった。
リスナー参加コーナーで、電話を掛けてもほとんど誰も出なかった事があり、そんな日は午前4時台に「おはようオールナイト」と称して早朝番組のような放送をした。
番組で放送される音楽はほとんど邦楽だったが、番組の末期ではわずかながら洋楽も増えた。なおそのほとんどがフルコーラスで放送された。
午前4時頃にはアシスタントが1人で進行するコーナーを設け、アシスタントへの手紙やはがきを紹介したり、新曲などのプロモーションをしたりして聴取者とのコミュニケーションの場を作っていた。ここでも突然鶴光がアシスタントにちょっかいを出すこともあった。またトリオ・ザ・ゴミの時期に、小森みちこが担当する際は「みちこの部屋」というタイトルが付けられていたが、3人の中で一番年上であった彼女は番組内でおばあちゃん扱いされていたため、このコーナーになるとザ・ビーチ・ボーイズの「バーバラ・アン」が(♪バーバーバー、バーバーババー?というコーラスが「ばばあ」という意で)流され、その後のコーナーでも彼女がおばあちゃん扱いされたネタが披露されると必ずこの曲が流された。
この「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」はラジオ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めて います(ポータル ラジオ/ウィキプロジェクト 放送番組)。

[ 131] 笑福亭鶴光のオールナイトニッポン - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E9%B6%B4%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3

皆さんは、いつぐらいのサンスペをお聞きでしたのでしょうか。聞き始めは何歳?現在オンエア―されているLF「鶴光の噂のゴールデンアワー」聞いてますか?鶴光師匠の落語聞いた事あります?
ここに集う方の中で何名かは、「鶴光命や」というコアなファンの方もいらっしゃるでしょうし、2、3年サンスペを聞いていて、ああ懐かしいなと思われてお越しになられた方もいらっしゃるでしょうし、様様かと思います。しかし、小学校高学年から中学、高校、大学はたまた、社会人。青春と言われるこの時期、青春の定義も又、ひとそれぞれなんでしょうが、「サンスペが青春の1ページでした」といわれる方は多くいらっしゃると思います。おもしろかったな、楽しかったなと言う人。サンスペが完全に生活の一部となっていた人。かなりの数にのぼるでしょう。いったいどこに魅力があったのでしょうか。その当時関東地区だけの数字でシェア90%以上を誇ったお化けラジオ番組「鶴光のオールナイトニッポン サンデースペシャル」
ここでは、サンスペが終った後に発売された、本、雑誌等で鶴光師匠のインタビュー、対談の一節を紹介し、その裏話的な話を通してサンスペの魅力に迫りたいと思っております。
私がサンスペを聞き始めたのは、中二の冬、1977年(昭和52年)のことでした。その頃の私のお笑いに対する興味の中心はドリフと吉本新喜劇であり、私はこの二つが最高のものだと信じていましたが、ある日、私の友人が
そして、聞いてみたサンスペ。それは衝撃的でした。機関銃のように発射される大阪弁。破天荒なギャグ。中学生には刺激が強いエロネタ。なにより番組から発散されるパワー。私は、1回でサンスペの虜となってしまったのです。
鶴光師匠はあくまで落語家であるというスタンスを崩そうとしていません。現在東京単身赴任中の師匠は落語芸術協会所属の客員真打として、高座にあがられています。
なぜ、鶴光師匠のオールナイトが支持されたか、オールナイトニッポンという番組を考えるともっとよりよく分るのではないかと思います。オールナイトニッポンは今日まで、数々のスター、流行、ヒット曲を生み出した若者の発信基地。そして、人生のある時期に必ず聴く番組で、不思議とある年齢に達すると聴かなくなるまるで通過儀礼のような番組。(参考オールナイトニッポン大百科)そして、サンスペはその一つの分野を確立したと言えます。
まったくその通りです。下ネタだろうがおもしろければ勝ち。でも、規制は必要かと思います。モロなんて芸でもネタでもないですし、規制があるからこそおもしろい。その狭間にあったのが、「驚き桃の木ピンク話」「ミッドナイトストーリー」「この歌はこんな風に聞こえる」だったと思います。
師匠の番組はハガキ紹介が中心でした。ご自分でも「ワテはハガキの伝道師や」と言われてましたが、なにかおもしろいことがあったらすぐハガキを呼び込み、その後、盛り上がるか企画倒れになるかは成り行きにまかせるという感じだったように思います。
例をあげると驚き桃の木ビックリ話はMBSヤングタウン木曜日からこれはおもしろいと鶴光師匠がサンスペに持ってきたもので、リスナーのハガキで盛り上がり本も二冊でました。そして驚き桃の木ピンク話はビックリ話に来た1リスナーの「あーいーもっと久美子」のネタから始まり、コーナーも出来てないのに同様のハガキが来るようになり、ついにはビックリ話と並列で出来たコーナーでした。(参考ラジオマガジン各号)
昭和52年の聴き始めから昭和54年の4月までは、私はサンスペを3時までしか聞いておりませんでした。従って榊みちこについては特別ファン感情は抱いていませんでした。でも、広島デオデオのサテライトスタジオにきた時は見に行ってサイン貰いましたけど。
ちょうど私は高校入学の時で(高校受験でもサンスペ聞いてましたが)、二三週間サンスペ休み、久しぶりにサンスペ聞いたら、聞き覚えの無いおなごの子の声がする、なんともかわいらしい声、雑誌で写真探すとこれまたかわいい。一遍でファンになってしまいました。これが、川島なお美との出会いでした。その後、七月で川島なお美が去り、大橋恵里子にアシスタントが替わりましたが、これまたこのエルのDJにころりとファンになってしもうて全然節操がありませんでしたなぁー。鶴光師匠はアシスタントについてこう語ってらっしゃいます。
でも、トリオザゴミはすごい突っ込まれようでしたなー。 小森みちこが田舎の道端でしゃがんでいます。(なーるほど)立ち上がるとお地蔵さんが出てきました。(わーかるか)ジングル作文、柳沢純子ちゃんはいつも部屋でなにをやってるんですか♪おめちゃん、おめ○〜、等々。 中期でいえば芦川よしみもすごかったですが・・・。
世間一般に名が知れて現在も活躍されているのは、師匠のインタビューにもあった通り松本明子、川島なお美ですが、なお美は鶴光の遺伝子を受け継いでないように感じます。もう一人知名度はイマイチですが、鶴光の遺伝子を受け継ぎアニメとラジオで活躍されている元アシスタントの方がいらっしゃいます。それは日高のり子さんです。
サンスペアシスタントについては、掲示板の中のアシスタント掲示板にいろいろカキコがありますので是非ご覧になって下さい。(私もカキコしています)そして、何か、思い出、情報がありましたら是非教えてください。
皆さんは、自分が聞いていた時代の常連(ハガキ職人)の方、覚えてらっしゃいますか。私が覚えている所では、1979年前後の元祖 細川ヒロキ 1980年から2〜3年くらいの武田ヒロアキ、ミスタークリリン、犬の大ちゃん、今野康人、三宅ノブユキ、平賀誠二、亀田万作、井上タツオ、(敬称略)ぐらいでしょうか。私にとっての常連さんとは、ハガキ採用の壁であり、うっとおしい存在であり、その作品を楽しみにしていた部分もあり、尊敬の対象であるというところでしょうか。実際、この常連さん達が番組を盛り上げたことは疑いの余地はありません。鶴光師匠も「全国に一万人以上の放送作家がいるようなもんやからね。」とおっしゃっています。私が常連の壁を乗り越え、初採用されたのは1980年の7月頃、ここまで30ぐらいのボツがあり特別会員になってようやくという感じでした。結局6勝75敗ぐらいでしたが、あの初採用の時の感動と興奮は今でも忘れることができません。
・番組の流れを把握する。(把握しとるかー) 以上を守るだけでハガキ採用の確率はアップするかと思います。地元の放送局では、たくさん採用されましたが、サンスペはとにかく難しかったです。
常連さんは後、構成作家になった方も有り、現在も活躍中の方もいらっしゃるそうです。有名人で現在も活躍中の方の中にもサンスペリスナー、ハガキ職人がいらっしゃるようです。
そういえば、2000年暮れにフジテレビでオンエアされた「オールナイトニッポン伝説」(東北中心に四局ネット)でも福山雅治氏が述懐されていました。サンスペリスナー、アシスタントが活躍されていることを聞くとうれしくなりますね。
これまでの4章は、私の想い、考え、体験も交えて書かせてもらいましたが、この章からは、鶴光師匠のロングインタビュー及び対談からの引用を中心にさせていただきたいと思います。改めて、出典を記させて頂きます。
有名な所では、所ジョージ、拓殖大学四年生の所ジョージをオーデションしてパーソナリティに起用したのが、オールナイトニッポン。事実上の芸能デビューがLFでした。あと無名のタモリを起用したのもANN。稲川淳二がブレークしたのも、ANNでした。後、新境地といった意味ではデーモン小暮。ユーミン、中島みゆきと言う所でしょうか。
この部分、「ゴールデンアワー」採用のポイントがあります。実体験のおもしろさ、ペーソスを感じる体験談。まだ、私は採用歴がないので大きいことは言えませんが。(でもお美和子様から返信メールもらったし、抽選で七福神ステッカーもらいました)
自著でも語ってらっしゃいますが、亀渕社長は鶴光師匠にとって本当に恩人です。2001年現在の、鶴光師匠の芸能活動としては、LF「鶴光の噂のゴールデンアワー」(平日午後3時30分〜5時半)テレビ大阪「ここ掘れわんわん」司会(土曜日午後3時 時々放送時間が変わります)落語芸術協会の寄席定席出演と、決して全国区の活動ではありませんが、これからも、鶴光師匠を応援していきたいと思っています。
いつになるやら、わかりませんが、末広亭ツアー等も考えております。鶴光ファンの皆さんとごいっしょできれば、これほどうれしいことはありません。それでは、又、別の企画でお目にかかりたいと思います。長らくお付き合いいただき有り難うございました。

[ 132] わんばんこ 鶴光でおま
[引用サイト]  http://www.interq.or.jp/world/imosan/tsurukou/hiromi.html



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