涌井とは?
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涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、プロ野球・パシフィック・リーグの埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は16番。 準決勝までは成瀬のリリーフとして好投。決勝戦では先発登板したが、広陵の上位打線につかまり3-15と大敗した。 国体決勝で投げ合い勝利した日本ハムの同い年、ダルビッシュ有とはお互いに良いライバル関係であり、親友でもある。 夏の甲子園(報徳学園戦、相手投手は現東北楽天ゴールデンイーグルス所属の片山博視)でもホームランを打ったり、練習試合では4番打者として出場した経験もあるためバッティングも良いと言われている。 松坂を指導していた横浜高校のコーチは、「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。 ドラフト直前は最速148km/hとキレ味鋭いスライダーを評判に、西武・オリックスが指名を明言。オリックスが2位での指名を明言したことから、西武の単独1位指名となった。 開幕4戦目に先発したものの7失点で敗戦投手となり、次の登板も5失点で敗戦投手となると、二軍降格となった。 3月26日のオリックス・バファローズ戦で高卒ルーキーの炭谷銀仁朗捕手と「10代バッテリー」を組み、7回1失点の好投で勝利投手となった。10代バッテリーでの勝利は1989年、横浜大洋ホエールズの石井忠徳(現在内野手の石井琢朗)-谷繁元信以来17年ぶり。 その後開幕3連勝で、4月23日の楽天戦では同じく炭谷とのバッテリーで自身初の完投および完封勝利。10代バッテリーによる完封はドラフト制度導入後では史上初。 炭谷捕手とは相性が良く、炭谷が一軍に復帰し先制点を挙げるなど活躍した2006年6月6日のヤクルト戦でも先発を務めて勝利し、交流戦の最終試合(6月20日・広島戦)で自身10代最後の試合(翌日が20歳の誕生日)にも炭谷とのバッテリーで勝利を挙げた。 6月はリーグ1位の防御率を記録し、3勝1敗の好成績を残し自身初の月間MVPを受賞。期間中、登板した4試合を全て完投している。 この日始球式に出たPUFFYに先輩の松坂が『涌井のケータイの着メロは「愛のしるし」』とバラし、涌井がPUFFYからサイン入りCDをプレゼントされる一幕があった。 8月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、「西武ライオンズ発足以来パ・リーグ公式戦通算2000勝目」の勝利投手となる。 この「通算2000勝」は、当初西武球団広報や通信社の記者にも気付かれておらず、インターネットのBBSに投稿された一西武ファンの情報によって初めて明らかになったことが文化放送ライオンズナイターの中川充四郎公式サイトで公表された。 日米野球にも出場。ストレートとカーブを駆使し、ライアン・ハワードやジャーメイン・ダイなどを抑えた。ダイは「いずれメジャーで通用する素晴らしい投手だった」と賞賛している。 4月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦の5回表に、プロ野球史上12人目となる1イニング4奪三振を達成した。 高校の先輩・成瀬善久を1勝差で抑えて、17勝(10敗)で最多勝を獲得。これが初の個人タイトルである。 投球回数は213イニングで、両リーグ通じてトップの数字を残した。打たせて取る投球のため被安打も両リーグでトップとなる199本を喫してしまったが、ピンチを招いても要所を締める投球で失点を防ぎ、リーグ8位(自己最高)の防御率2.79を記録した。 打たせて取ることで球数を少なくする投球術を学んだのが功を奏し、完投数を増やした。完投数11はダルビッシュ有の12完投に次いでリーグ2位で、2ケタ完投を記録したのは両リーグ通じてこの2人だけである。 奪三振率は2005年9.27、2006年6.88、2007年5.96と年々減っている。これは無理に三振を狙いにいくのではなく、打たせて取る投球を心がけている表れとも言える。 投球フォームのバランスが良く、リリースポイントが非常に前である。肘が柔らかく、上原浩治が「非常にバランスの良いフォームだ」と褒めたこともある。 スライダー、カットボール、カーブ、フォーク、チェンジアップ、シンカー、パームボール、更に2006年キャンプで平松政次に伝授されたシュートと、多彩な変化球を操る。 ストレートの球速は過去にはMAX151km/hを計測したが、現在は制球・キレ重視のため球速は抑制傾向にある(2007年の最速は147km/h)。試合終盤に140km/h中盤を連発するなど、序盤は力を抑えながら回を追うごとにフル稼働するという、完投を意識した投球スタイルを取っている。 右打者には内角のシュートと外角のスライダーを使ったヨコの揺さぶり、左打者にはフォークとチェンジアップを多投するタテの揺さぶりを軸に組み立てる投球である。 左打者にはフォークという決め球があるため、被打率は左打者のほうが低く得意としている。2007年は右打者に対する被打率は.277、左打者には.233だった。にもかかわらず、涌井をカモとしているのは川崎宗則、柴原洋、福浦和也、大松尚逸などなぜか左打者ばかりである。 2005年シーズンオフ、チームメイトの赤田将吾選手のサイトに場を借りてファンへのメッセージを掲載したが、まるで女子高生のメールのような顔文字を多用した文章を披露、ファンの間で話題になる。チームメイトからも一風変わったキャラクターとして可愛がられているらしく、この辺の雰囲気は松坂よりも、ライオンズ二大エースを形成するもう一人・西口文也を彷彿とさせるものである。 ポーカーフェイスとしても知られ、中学時代からピンチやホームランを打たれても表情を崩さない。中・高校時代は「ユニフォームを着ると性格が変わる」と言われるほどポーカーフェイスとともに日常生活とのギャップが激しい(日常ではかなりの天然で、たまにヒーローインタビューでもその天然を出してしまうことがある)。しかし、高校3年の夏の甲子園報徳学園戦後の取材で、彼女からもらったペンダントを見ていたのを見られ、それについて聞かれたときは嬉しそうに表情を崩す一面も見られた。 同期入団のダルビッシュ有と親交があり、プライベートでも頻繁にメールを交わす仲である。ダルビッシュを中心に同年代の選手を集めた「ダルビッシュ軍団」の一員でもある。 自己評価が厳しく、少数失点に抑え勝ち星をあげても、ヒーローインタビューでは無表情で「納得してしない」とコメントすることがある。インタビュアーもそれをたびたびネタにし、明らかに良い投球内容なのに「今日もダメでしたね?」などと茶化すことがある。 西武ライオンズ発足後、背番号16は松沼雅之(1979年-1989年の11年間)、潮崎哲也(1990年-2004年の15年間)、涌井(2005年以降)と2007年時点でいずれも主力として活躍した右投手で、空き番になったシーズンもない。 2007年に高卒3年目で最多勝を獲得したが、奇しくも渡辺久信監督も同じく高卒3年目で200イニング以上投げて最多勝を獲った。しかし渡辺はこの多投がたたり、翌年のシーズン中に右肩を脱臼し戦線離脱したという苦い経験がある。そのため2007年オフは体のケアを重視して休養を取るよう言い渡されている。 81黒江透修(ヘッド)|80小野和義(投手)|86潮崎哲也(投手)|96大久保博元(打撃)|78熊澤とおる(打撃補佐)|82岡村隆則( 守備走塁)|85清家政和(守備走塁)|88相馬勝也(バッテリー)|98大迫幸一(トレーニング) 72片平晋作(監督)|77石井丈裕(投手兼トレーニング)|97石井貴(投手)|89森博幸(打撃)|76田辺徳雄(守備走塁)|70河田雄祐(守備走塁)|91大井久士(バッテリー)|92坂元忍( トレーニング) 11岸孝之|13西口文也|14小野寺力|15大沼幸二|16涌井秀章|17山崎敏|19長田秀一郎|20山本淳|23許銘傑|24松永浩典|25正津英志|26星野智樹|28岡本篤志|29三井浩二|35岩崎哲也|36山岸穣|38西川純司|41木村文和|47帆足和幸|50田沢由哉|54グラマン|57田中靖洋|59山本歩|62朱大衛|63藤原虹気|69東和政 3中島裕之|4高木浩之|6後藤武敏|7片岡易之|8平尾博嗣|32石井義人|33江藤智|40リーファー|42カブレラ|43原拓也|45水田圭介|56黒瀬春樹|60中村剛也|61星秀和 0大崎雄太朗|5和田一浩|9赤田将吾|10佐藤友亮|39貝塚政秀|44高山久|46G.G.佐藤|51大島裕行|52栗山巧|53福地寿樹|58松坂健太 1巡目:涌井秀章 / 3巡目:片岡易之 / 4巡目:山岸穣 / 5巡目:星秀和 / 6巡目:藤原虹気 カテゴリ: 日本の野球選手 | 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 | 千葉県出身のスポーツ選手 | 1986年生 | 最多勝利 (NPB) |
[ 137] 涌井秀章 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%8C%E4%BA%95%E7%A7%80%E7%AB%A0
