両面とは?

株式会社協和エクシオでは、有害物質である飛灰(集塵灰)の処理にも対応した"テルミット式※1両面灰溶融※2炉"を既に新潟県佐渡市の灰溶融施設「メルティングセンター佐渡」に納入しています。同施設は完成から現在に至るまでの4年間の単独炉による運転で、安定した処理能力を発揮し稼動していることから、当社ではこの運転結果に基づき、テルミット式両面灰溶融炉の本格的受注に向け積極的に展開を図ることになりました。
通常、高温で処理する灰溶融炉の運転は、炉材の消耗が激しく耐火材が長期間の連続使用に耐えないため、定期的な補修作業を実施してもシステムの不備等により炉が破損し、運転が停止するケースが多く報告されています。加えて、消石灰が含まれる飛灰の処理に関しては、現在も最終処分場で処理する傾向にあるほか、主灰(炉下灰)との混合溶融で対応する場合でも、主灰単独溶融に比べ消耗が激しいため、同じ施設内に炉を2機併設し交互に稼動させることで安全性を確保するなど、1機単独で安全に飛灰の安定処理を実現するシステムの稼動実例はほとんどありませんでした。
今回、当社が単独炉運転における飛灰の安定処理を確認した"テルミット式両面灰溶融炉"は、新潟県佐渡市の灰溶融施設「メルティングセンター佐渡」に建設した溶融炉で、2001年4月の試運転スタートから通算して約4年の稼動期間において、単独炉で飛灰処理に対応しながらも、トラブルのない安定した処理を行っています。また、佐渡市の「佐渡クリーンセンター(ストーカ炉)」と「両津クリーンセンター(流動床炉)」2箇所から出る飛灰を多く含んだ焼却灰を溶融しながら、日量14.5トンの焼却灰を24時間体制で処理し良質のスラグを生成しています。
既に同溶融炉では、処理能力に支障をきたさないメンテナンスのサイクルも確立しており、定期的に運転を停止し炉内の清掃を行うほか、年2回の定期補修工事を実施することで、高い安定性を確保しています。
まだ溶接技術のない頃、かつてのドイツで鉄道線路の溶接に使われた技術であり、アルミニウムと酸化鉄の粉体を混ぜて一定の温度で加熱すると、アルミと酸化鉄による酸化還元反応が起こる。テルミット式両面溶融炉はこの超高温域の反応熱を利用したもの。
溶融とは、有機、無機物など固体が加熱で溶けて液体になることをいい、溶融温度は超高温(一般に1,300℃〜1,500℃)になります。溶融システムとは、この高温を利用した物質の流動化、スラグ化、結晶体化を目的としています
今回、単独炉として高い安定性を実証した当社の「テルミット式両面灰溶融炉」は、都市ごみや工場の廃棄物焼却炉から排出する焼却灰や、飛灰(集塵灰)の処理用に開発したテルミット法を用いた溶融による灰の高度処理システムです。方式としては、廃棄物であるアルミドロスと酸化鉄をベースとしたテルミット剤と焼却灰を溶融炉に投入、酸化還元反応による1700℃もの超高温で溶融処理します。処理後の溶融スラグは安定した固体となり、路盤材、アスファルト骨材、ブロックなどに再利用できるため、当社の「テルミット式両面灰溶融炉」は、まさに廃棄物で廃棄物を制する画期的な資源回収装置です。
溶融熱源には、表面溶融ならびに廃棄アルミを使ったテルミット法の両技術の長所を採り入れ、高効率・低ランニングコスト・運転の簡素化・容易な操作性を実現しています。操作面の立上げ時間が他の方式と比べて短く、温度管理が容易なため、操作に熟練を必要しません。
従来の灰溶融炉に比べて、コンパクトでシンプルな構造のため、取扱いが容易です。定量供給システムの採用とキャスタブル耐火コーティングによる優れた耐久性・信頼性で、保守管理が容易で、安定した長時間連続運転が可能です。
焼却灰に含まれる重金属類やダイオキシン類などの有害物質をシステム内で高効率に分解・無害化。システム外にこれらの有害物質が漏れ出す心配もなく、環境にも人にも安心な構造です。ごみ焼却施設から排出された焼却灰が、このシステムで溶融することにより、焼却灰容積の1/3に大幅減容でき、最終処分場の延命化を図ることができます。
完全溶融で、臭気などのないクリーンなガラス状のスラグが排出されます。水冷によるきれいな粒状のため、飛散することもなく、また、再利用可能な新しい資源として注目されています。
他の燃料燃焼式溶融炉に比べ排ガス量が少なく、排ガス処理系がコンパクトになります。システム内で発生した排気ガスは、後段のバグフィルタで、ダスト粒子を除去し、無害できれいなガスを排出するため周辺環境に影響を与えません。また、冷却水はシステム内で循環する方式により、システム外への排水は一切ありません。

[ 31] "テルミット式両面灰溶融炉"を積極展開
[引用サイト]  http://www.exeo.co.jp/news/news170412.html

「飛騨国に宿儺という者がいた。体は一つだが顔が前後にあり、弓・剣・斧を巧みに操る4本の手、前後左右に駆けめぐる4本の足を持っている身の丈3m、50人力の超人」と記された超人の姿。
皇命に従わず、人民を苦しめることを楽しみにしていたため、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を派遣して討伐した、と書かれている。しかし、飛騨や美濃各地では「両面さま」「スクナさま」と敬い、英雄として存在したという。
信仰や農耕を指導し、丹生川村日面の鍾乳洞に住み、丹生川村袈裟山千光寺を開山したと伝わる。飛騨国を統治していた豪族として、飛騨びとにとっては馴染み深い人物である。
日本史家、郷土史研究家、小説家など、有名無名の多くの人たちが解明のために史蹟を探り史料を紐解いてきたが、諸説紛々、謎は謎のままだ。両面という言葉から双子の指導者であったとか、二人の兄弟が治めていたとか、二つの国を治めていたなどいろいろな説はある。しかし、日本書紀を読むかぎりでは反体制分子、つまり権力側にとって邪魔な人物であったことだけは確かなようだ。
『飛騨ぶり街道物語』では、宿儺は乗鞍岳を信仰の山とした。権現ヶ池に民を集めて、昇る太陽の光を水面に映して崇めたという。
丹生川村袈裟山千光寺に残る両面宿儺像には「飛騨王朝の末裔」と説明書きがある。「飛騨王朝」という言葉に、古代ロマンがくすぐられるのは飛騨びいきだろうか。
高山から約30分、丹生川村袈裟山千光寺へ向かう。あいにくの霙まじり、時を待たずして雪に変わりそうだ。急勾配の山道。夏には涼やかな風を運ぶ杉並木も、冬季はかたくなに黙りこんだまま、愛想もない。
しかし国指定天然記念物の五本杉は、その存在感を示していた。樹高52m、幹周11.4m、樹齢推定500年の合体巨木は、雲を突き刺すようにそびえ立っていた。
袈裟山は約1600年前、両面宿儺によって開創されたとある。伝説によれば、両面宿儺は山の中で石棺を見つけ、中に法華経と袈裟と千手観音像が入っていたことから、その観音を本尊とし、山号を袈裟山とした。
寺院は約1200年前に、弘法大師の10大弟子のひとり真如親王によって建立され、往時は19の院坊や伽藍が立ち並んでいたという。その後、武田軍の飛騨攻めで一山すべて炎上するが、真っ赤に焼けた鐘が武田軍に向かって転がり落ちたという伝説が残る。
現在は高野山真言宗。修禅観法の道場として山岳仏教を伝え、西国巡礼の代参になるという西国88ヶ所巡りの参道コ−スがある。
12万体の仏像を刻んだといわれる円空が、千光寺に留まったのは晩年である。境内の円空仏寺宝館には63体の円空仏が展示されているが、晩年の傑作といわれる両面宿儺像は、小品だがなかなかの見ごたえがある。
坐像88.0cm、雲形文様の舟形光背、像身とほぼ等しい高さの岩座に座している。鉈彫りに加え、平ノミ、丸ノミ、角ノミなど、10種類のノミが使われているそうだ。
前後にあったという顔を手前に並べ、微笑みと怒りの二つの表情を同時に見せる。手に持つ弓矢は斧に変わり、戦いのための武具ではなく、村人の生活のための道具へと変化させている。
千光寺に滞在した円空は、村人から両面宿儺の話を聞いた。日本書紀に記されるような怪物では決してなく、開拓の人として山民から崇拝された仏のような人物だったと。円仏は「スクナさま」と慕う村人のために、両面宿儺の像を刻んだ。
宿儺の二つの顔に慈悲と憤怒という二極を刻むことで、円空は独自の仏教世界、森羅万象を表したのである。
『近世畸人伝』に円空の絵がある。樹に梯子を掛けて顔を彫っている円空。これは千光寺でのひとコマである。千光寺境内の立枯木に一対の仁王像を彫った。現在、それは寺宝館内に納められている。この他に、金剛神(県重文)、2体を失って31体になっている三十三観音(県重文)、賓頭盧(びんずる)像、善財童子像などが面白い。
また本堂の天井には、狩野探雪の「血染天井龍絵」、十王堂には閻魔大王を中心とした十王の石仏、その壁全体に「地獄極楽図」が描かれている。

[ 32] 飛騨総合ポータルサイト 温故知新の旅 -丹生川村- 両面宿儺と千光寺
[引用サイト]  http://www.allhida.jp/onko/nyukawa/index.html



お気に入り



  • track feed
    • seo