紳助とは?
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このページは半保護の方針に基づき、一部ユーザーによる編集から保護されています。 島田 紳助(しまだ しんすけ、本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)、1956年3月24日 - )は、漫才師出身のお笑いタレント、司会者。自称身長170cm、血液型AB型。京都府京都市南区出身・大谷高等学校卒業。京都学園大学中退。 吉本興業所属。 父は元国鉄マン。家族は妻と3女がいるが、一般人のため名前は公表されていない。弟子に島田まさしらがいる。また土建屋よしゆきは高校の同級生である。 18歳のとき、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。同期に明石家さんま、オール巨人、桂小枝などがいる。若い頃には緻密な研究ノートを書いていた。「島田洋七を倒すことに俺の青春を賭けよう」と誓ったが、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と当時を振り返っている。また直接の師匠ではないが、上岡龍太郎を心の師として尊敬している。 1975年9月に松本竜介(解散後松本竜助に改名)と漫才コンビ紳助・竜介結成。リーゼントにおそろいのつなぎを着るというヤンキー漫才を確立し、1980年に起きた漫才ブームに乗って一躍ブレイクした。 1985年に紳助・竜介は解散。その際、「このままでは太平サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言した。 石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープンしている。また、2005年11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、2007年9月には東京・西麻布にもオープンした。 元相方の松本竜助について、著書などに「彼が居たから8年もの間漫才が出来た」と感謝と畏敬の念を記している。2006年3月に竜助が倒れた際には東京での仕事をすべてキャンセルして大阪へ駆けつけた。同年4月1日に竜助は逝去。 2004年10月25日大阪・朝日放送社内にて『クイズ!紳助くん』収録前に吉本興業の女性マネージャーに対し激昂し(社長ら恩人の呼び方、呼び捨てにしたという説、アメリカ合衆国大統領選挙結果予想での見解違い説などがある)、その女性を別室に無理やり連れ込み、素手で殴る、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、傷害を負わせた。 女性が部屋を飛び出した後、紳助は「こいつおかしいねん。殴ってもないのに大声出しやがって」と周囲に説明した。それに対し女性は「あなたに殴られて左耳が聞こえないんですよ。一生聞こえなかったらどうしてくれるんですか!」と反論したが、紳助は「な? こんな口答えする女やから、殴られても当たり前やろ」と周囲に同調を求め、彼女が悪いという雰囲気を作り出しなんとか誤魔化そうとした(その後、首を殴って頸椎に捻挫を負わせていたことが明らかになる)。 すぐさま被害女性は大阪府警に被害届を提出し、紳助は10月28日付で傷害事件として正式告訴された。紳助は警察に訴えられたと知ると同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、犯行時とは態度を一変させ、TVカメラの前で「10対0で僕が悪いです」、「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」といって泣きじゃくって反省している様子をみせた。 これを受けて吉本興業では11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。ただし『行列のできる法律相談所』については法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送という訳にはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で番組レギュラーである東野幸治を司会に立てて放送した。 大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで大阪簡易裁判所へ書類送検し、紳助には略式起訴で30万円の罰金判決が下った。 前述の謝罪会見で紳助は「髪をつかんで座らせ、平手で一発」と述べていたが、その後の略式起訴の際には「右手やリュックサックで頭を殴ったほか、髪をつかんで壁に打ちつけ、唾を吐きかけるなどの暴行を加え、約2ヶ月の怪我を負わせた」という犯行事実を認めたことが分かっている。 なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の『キスだけじゃイヤッ!』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。被害者に「芸能界を辞めて」と言われていたが辞めずに、2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて、復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行い復帰した。当初は無期限とされた芸能活動自粛期間は、実際には2ヶ月に満たない。 これほど早期に復帰できたのは吉本興業および後輩の支援によるものと言える。ダウンタウンは紳助のレギュラー司会の代行を勤め、紳助の復帰まで繋いだ。また周辺の芸能人の中には、被害者女性を中傷し紳助の暴力を肯定する発言をするものもいた。当時、マスコミ各社は吉本興業の影響力を恐れ、「島田紳助司会者」「島田紳助所属タレント」などと苦肉の策でつけた肩書きをもって事件を報じた(→報道におけるタブーを参照のこと)。 被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、8月4日には被害女性が紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めている。 1981年ごろ、紳助がボーカルを務める「紳助バンド」(ギターを弾けない村上ショージ、ベース・Mr.オクレ)として活動。 しかし、2005年『うまッチ!』や『FNS25時間テレビ』で堂々とタバコを吸う。最近では開き直ったのか、『松紳』でも堂々と喫煙し、松本人志にたびたびツッコまれていた。ただ、『クイズ!ヘキサゴンII』2007年6月20日放送分で「前日から禁煙している、イライラすんねん」と発言していた。 カテゴリ: 編集半保護中の記事 | 吉本興業 | お笑い芸人 | 日本の俳優 | 1956年生 | 京都府出身の人物 | 島田紳助のバラエティ番組 |
[ 131] 島田紳助 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B4%B3%E5%8A%A9
