つもりとは?
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そして数ある怪談の中で最も人口に膾灸した怪談といえば『東海道四谷怪談』であろう。浪人の伊右衛門に騙されて毒薬を呑まされ、目は腫れ上がり髪は抜け落ち、ついに狂い死んだ後、怨霊となって伊右衛門らを呪い殺す亡霊・お岩。背筋も凍るその話は江戸以来日本人が最も好んだ怪談である。 『四谷怪談』はその初演時から、役者や裏方のスタッフに怪我人・病人が続出するという謎めいた伝説があった。 歌舞伎・演劇・映画・ドラマなどで『四谷怪談』を演じるときは役者もスタッフも一同打ち揃って、ある神社でお祓いを受けると言う恒例行事がある。その神社の名は田宮神社於岩稲荷。 財政が崩壊し、長引く不況に都会は何をする事も無い人々であふれ、残忍な殺人や猥雑な事件が横行し、進歩も発展も期待できない閉塞感が漂う時代。人々はさらなる刺激を求めていた。 現代のことではない、『東海道四谷怪談』が初演された文政8年(1825)、いわゆる化政時代のことである。 650兆円の国債を抱えた財政は逼迫し、長引く不況で失業者は増える一方、残忍な少年犯罪、ストーカー事件が横行し、人々はさらに刺激的なモノを求め、ホラー小説・ホラー映画がブームを呼ぶ現代。『四谷怪談』が生まれた文化・文政期の日本は、そんな現代とどこか似通っていた。 彼の眼に映った人の世とはどんなものだったのか?南北が時代の隙間から見つめ続けたものとは一体何だったのだろう? 型付け職人とは着物の模様を作り出す、今で言えば一種のデザイナーである。しかし当時は最下層の職人のやる仕事であり、世間から疎んじられる存在だった。 南北が家業を捨てて芝居の世界に飛び込むのに、時間はかからなかった。南北が狂言作家の道を志し当代きっての名作家・桜田治助に弟子入りしたのは21歳の時である。 しかし、貧しい生まれの南北は満足に読み書きもできず、学問もない。誤字脱字は日常茶飯事、歴史も知らないので現代劇(いわゆる世話物)しか書けない。 歴史を知らなくても、字が書けなくても、俺には芝居を見る客の心は判る。客が見たいモノ、客が喜ぶモノを書けばいいのではないか。そして南北は、自らの人生すら芝居に取り込もうとするようになる。長い下積みの中で貧乏は相変わらずだったが、南北は常に目学問・耳学問で世の中を、人の心を、鋭利な洞察力と豊かな感受性で捉え続けたのだ。 夏芝居の新作依頼が来たのである。これまでの苦労と努力を筆に込めて書き上げたその作品が『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』。 外国帰りの船頭が、日本からインドまでの海路と風物・事件を紹介するこの作品は未曾有の大当たり、南北はついに一人前の狂言作家として認められるのである。 南北、時に53歳。そんな南北が大作『東海道四谷怪談』を書き上げたのは文化8年(1825)、南北は70歳になっていた。 実際にあった事件を取り入れ、怨霊に関する言い伝えも取り入れ、実在の人物を取り入れ、さらに人気演目『仮名手本忠臣蔵』を取り入れ書き上げたこの作品を南北は、前代未聞のパフォーマンスで宣伝する。 振り袖をくわえた女の生首を描いた大凧を掲げるかと思えば、楽屋に幽霊が出て役者が病気になったと言って白装束の役者を厄払いのために神社までパレードさせる。 毒を盛られたお岩が髪をすくと毛がぼろぼろと抜け落ち、かがみ込んだお岩が瞬時に目が腫れ上がっている髪すきの場面。 一人の役者が戸板の裏表に打ち付けられたお岩と小仏小平の死体を早変わりで演じる穏亡堀・戸板返しの場面。 提灯が燃え上がりその中から亡霊のお岩が現れる提灯抜け。お岩が浪人を仏壇の中に引きずり込む仏壇返し。これらは観客の度肝を抜き、評判が評判を呼んだ。 『四谷怪談』初演から2年後の文政10年(1827)、四谷伝馬町の名主が一冊の文書を町奉行所に提出する。 『於岩稲荷来由書上(おいわいなりらいゆかきあげ)』と題されたこの文書は四谷左門町に住んでいた御家人田宮家に起きた事件の上申書である。 田宮家の入り婿である田宮伊右衛門は自分の立身出世のために上役の妾に近づく。妻の岩はそれを知り、狂い死にするが、その後伊右衛門を含む関係者18人が次々と変死を遂げ、田宮家は断絶するのである。 これは実話であるとされ、『四谷怪談』のお岩と相まって、祟りをなす亡霊お岩の話が動かしようのない事実として世間に浸透していくのである。 死後、200年を経て怨霊にされた岩は今なお、祟りをなす亡霊としてその名を人々の心に刻み込まれた。しかしその成功と引き替えに一人の女性をその死後まで貶めたことを南北はどう考えていたのであろうか。 南北の傑作の一つと言われる『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』で南北は、こう問いかけている…。 |
[ 104] 次回の知ってるつもり?!
[引用サイト] http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000806.html
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今から3カ月前,日経ITプロフェッショナル8月号の特集企画にJavaが持ち上がったときの,記者の嘘偽りない感想である。Javaの記事や解説書は世にあふれており,改めて解説するまでもない,語りつくされたトピックであると思ったからだ。記者の友人や同僚の何人かからも,「今さらJavaの何を書くの?」という声を聞いた。 ところが,取材を進めるにつれ,また特集の執筆を進めるにつれ,この考えは大きな間違いであることが分かった。まず,現場で日々Javaに触れているITエンジニアたちから,「Javaを根本から理解し,使いこなしているエンジニアは,本当に少ない」という声を多く聞いた。 代表的な意見は,次のようなものだ。「Javaのプログラムを書けるというJavaのエンジニアは,ここ数年でかなり増えた。しかし顧客の業務を理解して,それをオブジェクト指向でモデリングしたり,Javaの技術体系を理解した上で再利用しやすいプログラム部品を作成したりするスキルを持ったエンジニアは,驚くほど少ない。おそらく,ソフトウエア工学を一から学ぶ機会がなかったからだろう」。 これはJavaとEJBコンポーネントを使ったシステム開発一筋の中堅インテグレータ,東京カコムスの西原良一副社長の談である。同氏は続けて,こう語る。「これまではともかくコーディングさえできれば何とかなったかもしれないが,これからはそうはいかない」。同様な意見は,他にも多くのインテグレータで聞いた。 それも無理もないことかも知れない。1995年にJavaが登場したときすでに中堅であり,段階を追ってJavaを理解してきたベテランはともかく,「ここ数年の間にIT業界に入ったエンジニアは,新入社員教育でプログラミングをたたき込まれ,後はひたすら実践のみ」(新日鉄ソリューションズの高田寛システム研究開発センター先端アプリケーション研究部長)。 関連書籍は多いが,相当の基礎知識がないと読みこなせないものが大半を占める。基礎から勉強したいと思っても,時間も適切な資料もないのが実情だからだ。 もちろん,こうした状況に危機感を抱き,Javaを体系的に教育しているインテグレータもある。そんな1社である日立システムアンドサービスは,新入社員やCOBOL技術者に対して,Javaの文法,言語仕様はもちろんのこと,オブジェクト指向,EJBやJSPといったJava技術仕様,フレームワークといった知識を,徹底的に教え込む。座学だけでなく,Javaを使ったシステム開発の実習もある。 ただし,こうした体系的な教育を実施しているインテグレータは,多数派とは言えない。そんな余裕はないし,教育をしなくても十分に仕事をとれた。そして無意識のうちに,プログラムを書けるというだけでJavaを“知っている”つもりになっているITエンジニアは,多いのではないだろうか。それが先に紹介した,東京カコムスの西原副社長の発言につながっているのだろう。 記者が訴えたいことをまとめると2つある。1つは単にプログラムを書ける,というレベルの知識にとどまらない,もっと大局的なJavaの知識を身につけてもらいたい,ということだ。 取材したインテグレータには,Javaエンジニア不足を嘆くと同時に,もう1つ共通の意見があった。それは,「Javaは単なるプログラミング言語の域を超えて,“環境(プラットホーム)”とでも言うべき存在である」というものだ。 実際,Javaの中身は複雑になり続けている。最たるものが「J2EE」[用語解説] である。J2EEを正確に理解するのは簡単ではない。Javaのベテラン・エンジニアに聞いても,「情報システムを構築するためのAPIを集めたもの」,「企業情報システムの構築・実行環境」,「システム構築に欠かせない仕様も混じっている」・・・。人によって微妙に定義が異なるのだ。 さらにJXTA[用語解説] やJini[用語解説] など,Java関連技術が次から次へと登場している。もはや体系的な知識がなければ,Javaを活用したシステム開発は困難になっている。 もう1つは,ITエンジニアとしての「謙虚さ」である。記者自身も,今回の取材を通じて,いかにJavaを“知っているつもり”になっていたかを思い知らされた。「コンテナ」や「フレームワーク」を解説するのに,「ああでもない,こうでもない」と何日もかかってしまったのだ。 話は少し変わるが,今年初めに記者は米国のストレージ大手EMCでNAS(Network Attached Storage,[用語解説] )製品の開発に携わったパーシー・ツェルニック氏にインタビューする機会を得た。ツェルニック氏は同社のNAS製品「Celerra」シリーズの設計・開発を手掛けた。Celerraは出荷以来,年率100%を超える売り上げ伸び率を示し,今や同社の稼ぎ頭の1つとなった製品である。 インタビューの際,記者は「あなたが考える,優れたITエンジニアの条件とは何か」と質問した。ツェルニック氏は迷わず「常に自分の持つ知識を気にかけること」と答えた。 「良いエンジニアは常に自分の持つ知識を心配しているもの。いかに優れた技術を身につけ,良い製品や良いソリューションを顧客に提供したとしても,それらはすぐに陳腐化するし,もっと良いものがすぐに登場するからだ。自己満足に陥るとしっぺ返しをくらう」。 つまり,ITエンジニアは謙虚たれ,ということである。知っているつもりの技術でも,常に謙虚に自身の知識を見直す。そうでなければ進歩はない。NASとJavaとでは,必要な知識やスキルは全く違う。しかし,ITエンジニアとしての心構えは共通であるはずだ。 もちろん本欄の読者には「自分は常に勉強にはげんでいるし,Javaも十分理解している」という人が多いかもしれない。だが,そうでない場合,自身のスキルを見直すとっかかりとして,まずはJavaの体系的な全体像をながめてみることから始めてみてはいかがだろうか。 |
[ 105] Javaを“知っているつもり”になっていませんか?:ITpro
[引用サイト] http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20020801/1/
