それぞれとは?

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米国ロサンゼルスで開催中のゲーム関連の一大イベント「E3」に来ています。今年の目玉は何といっても2006年後半に登場するソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の「プレイステーション 3」(PS3)と,任天堂の「Wii」。2社のブースは会場の中でも際立って混みあっています。最盛期のCOMDEXでも,こんなに参加者がひしめき合うブースは見覚えがありません。
今後の家庭用ゲーム市場を支えていく製品として,業界が大きな期待をかける二つの製品ですが,それに応えるためにSCEと任天堂が採ったアプローチは,まったくと言っていいほど異なります。E3でそれぞれの試作機を目の当たりにして,改めてその意を強くしました。現行機種に比べて飛躍的に高い演算性能と描画能力によって,ゲーム機を家庭用の高性能コンピュータに進化させようとしているSCEに対して,従来とは一線を画すユーザー・インタフェースを提示することで,あくまでもゲーム機としての楽しさを追求する任天堂という構図です。
SCE 代表取締役社長兼グループCEOの久多良木健氏は,3.2GHz動作のマイクロプロセサ「Cell」を搭載したPS3を,「ゲーム機ではなくコンピュータ」と表現します。そのコンセプトは,発売当初から仕様の異なる2機種を用意する点に如実に現れています。コンピュータである以上,構成が異なる製品があって当然,というわけです。2機種の違いは,20Gバイトと60Gバイトというハード・ディスク装置の容量だけにとどまりません。60Gバイト品が備える「メモリースティック」や「SDメモリーカード」「CompactFlash」のスロット,IEEE802.11b/g準拠の無線LAN機能,HDMI出力端子が,20Gバイト品にはないのです。ちなみに,PS3のHDDは交換可能になっています。
製品の違いは外観からもはっきり分かるようになっています。60Gバイト品は平置きにした筐体の上面,一番目立つ部分にめっき処理を施した銀色のラインが入っています。20Gバイト品にはありません。「プレイステーション 2」でも,当初は搭載していたIEEE1394のポートを省いたり,外付けだったHDDを内蔵可能にしたり,といった仕様の変更はありました。ただし,大きく異なる機種を同時に販売することはなかったはずです。
E3の会場において,PS3の性能の高さを最も強く感じたのが,フルHD(1080p,1920×1080画素)に対応したレーシング・カー・ゲーム「GRAN TURISMO HD」の実演でした。久多良木氏も「すぐれたデモを見ることで,ゲーム・クリエーターがPS3の潜在性能の高さを感じ取ってくれるはず」と期待をかけるほどです。確かに実写と区別が付かないほど精細な画面が,プレーヤーの操作に応じて切り替わる様子を見ていると,ゲームと映画の融合が現実味を帯び始めたことを感じざるを得ませんでした。
性能の高さや画像の精細さにこだわるSCEの設計思想は,2次元グラフィックスから3次元グラフィックスへといった具合に,世代ごとに性能の引き上げを図ってきた家庭用ゲーム機のこれまでの進化の延長線上にあると言えるかもしれません。これに対して任天堂がWiiで採ったのは,数字上のスペックにこだわらず,より多くのユーザーに使ってもらえるゲーム機を開発する,という方針でした。「F1カーを作る自動車メーカーもあれば,ハイブリッド車を作る自動車メーカーもあっていいはず」(任天堂 取締役社長の岩田聡氏)。
そのために着目したのが,ユーザー・インタフェースの刷新でした。結果として,加速度センサを内蔵した棒状のコントローラが生まれました。要素技術の検討を含めると,コントローラの開発には3年をかけたといいます。コントローラをテニスのラケットやゴルフのクラブ,釣竿,鉄砲などに見立てたゲーム・コンテンツを作ることが可能になりました。E3の会場において,新型コントローラの威力は絶大でした。会場で見る限り,ゲーム・タイトルの画像はそれほど精細なわけではありません。それでも,Wiiの実演コーナーには,開場と共に参加者が殺到しました。「コントローラを振ったとたん,解像度のことは忘れてしまうはず」(岩田氏)。
次期ゲーム機に関するSCEと任天堂の設計思想が,これほど異なるものになった背景には,現行機種の売れ行きがあるような気がします。SCEは初代プレイステーションから大幅に処理性能を引き上げることで,PS2を1億台以上販売することに成功しました。PS3でもその方針を継続するのは当然といえます。対する任天堂の「ゲームキューブ」の販売台数は,2005年末の時点で約2000万台にとどまっていました。岩田氏自身も「据え置き型において我々はチャレンジャーだからこそ,Wiiが生まれた」と言います。
■そこまでインターフェースにこだわるなら,カメラも標準装備にして欲しかった。(2006/05/13)
■記事に出ていることへの追記になるかもしれませんが,ネーミングがその内容をよくあらわしていると感じます。SCEが「PS3」とし,任天堂が「Wii」にしたのは,SCEがPS2の発展系としてで,任天堂が革新性を訴えたかったように思えます。(2006/05/12)
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ソフトウエアにとって最も大切なものは何でしょうか。その答えが、しっかりとした設計・検証の方法論であることは論を待ちません。本書は、専門記者が最前線で取材・執筆した記事と、専門の技術者による講演内容をまとめ、組み込みソフトの開発方法論を中心に構成しました。
「自動車の排ガスに含まれるCO2を大気汚染物質と見なす」との歴史的判決が出たのは、2007年4月、早春の米国ワシントンにおいてであった。
思索は事件をキッカケに始まる。自分の書いたものを振り返ってみると、どうもそのようである。その事件とは、ミートホープに段ボール肉まん、白い恋人、比内地鶏…あれ、詐称事件ばかりではないか。
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[ 132] SCEと任天堂,それぞれが示す家庭用ゲーム機の未来 - 日経エレクトロニクス - Tech-On!
[引用サイト]  http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20060512/117008/

かつてコンピュータ業界では無敵だったマイクロソフトが、いま優秀な人材の流出に悩まされている。彼らは古巣で何を学び、なぜ辞めたのか──。元社員が巨大企業の内幕を語る。
1997年早々、31歳のマイクロソフト幹部デイビッド・リシャーは上司に、アマゾン・ドットコムという新興企業に移るので辞めたいと打ち明けてきた。ハーバード・ビジネスクール出のリシャーは、際立って有能な人材がひしめくマイクロソフトの職場環境に不満はなかった。驚くほどの権限が与えられ、予想以上の報酬も得ていた。だから上司のピート・ヒギンズにとっては、リシャーからちっぽけな新興企業に自分の能力を託したいと聞かされ、青天の霹靂の思いだった。ビル・ゲイツやスティーブ・バルマーも慰留に努めたが徒労に終わる。両トップは、リシャーの退職動機が「他所に魅力を感じた」という点にショックを隠し切れなかった。
リシャーが去った翌年ぐらいからぽつりぽつりと社員が辞めはじめ、インターネット企業に流れていった。
そして今や、その滴りは洪水となった。辞職組には同社のスタークラスも含まれる──リシャーの上司だった当のヒギンズや、マイクロソフトの独禁法違反訴訟で陣頭指揮に当たったトッド・ニールセン副社長など。
辞めていった社員にほぼ共通するのはリシャーのようなタイプだ。頭脳明晰で、「世界を変えたい」という野心溢れる20〜30代の中堅幹部で、ストックオプションにより莫大な富を得た人々である。
人材の流出について、マイクロソフト側では一応平静を装っている。同社の「自発的人員減率」は「業界平均の半分」らしい。現在、同社の社員数が約3万5000人だから、毎週約50人が退職している勘定になる。しかし、100〜150人が毎週辞めているはずだと言う者もいる。
とはいえ、退職した人々は皆、マイクロソフト在職時代に誇りを感じている。と同時に、辞めたことに後悔する者もいない。
元マイクロソフト社員のジョージ・スネリングらが1年前に創設したホストベース開発プラットホームのWestside.com は、従業員35人の小世帯だが、その社風はあくまでもマイクロソフト流である。社員の三分の一がマイクロソフト出身、顧問の多くも元マイクロソフト関係者だ。創業資金も在職中のストックオプション制度の恩恵を存分に受けている。
マイクロソフトへの高い評価は、最近の退職組の間で一致している。例えばWestside.com の創設者たちは、マイクロソフトが現在もコンピュータ科学の人材の宝庫であり、今後も影響力を持ち続けるものと信じている。同社の対ライバル企業戦略は天下一品、と賛辞を惜しまない。
それほど偉大で卓越した会社なら、どうして社内に留まって技術開発を続けないのか。
「社内ではそのメリットが見いだせなかった」とスネリングは明かす。マイクロソフトでは、ゲイツやバルマーに自分のアイデアが戦略上有益であることを実証するうえで膨大な手続きと難関が控えているのだ。マイクロソフトは数千人ものソフト開発者を動員するような巨大プロジェクトへの取り組みには非常に優れているが、インターネット市場にかかわる臨機応変なソフトウエア作りという点では機動性に欠ける。
「インターネットの世界では、むしろ我々のような小企業のほうが有利だ」とスネリングは考えている。結局、彼らはアイデアが実現するまでの時間を可能な限り短くしたいのだ。事実、そのギャップは小企業のほうがはるかに短い。
要するに、マイクロソフトはあまりにも巨大化し、官僚主義化してしまったということである。
マイクロソフトで最年少(当時31歳)の副社長だったサム・ジャダラーはこう語る。
「マイクロソフトがどんな大企業よりも長期にわたって起業家精神を維持してきたという事実は否定できない。だが、ある頃から、新たな海路を開くよりも、船を動かすこと自体のほうが重要になりはじめた。そしてリスクに立ち向かう社風が急速に失われて、それに伴って私の興奮も萎んでいった」
NASAの科学者という異色の経歴を持つ元マイクロソフト技術者ウサマ・ファヤドは、もっとリスクに挑戦したかった、と振り返る。たしかにマイクロソフトの「研究施設は世界最高だった」が、データマイニング(会社の顧客記録から有用情報のみを選別する技術)開発チームをつくって、この分野の将来性を社内で説いて回ったものの、反応は今ひとつだった。結局、彼は失意のうちに退職を決意し、当該技術を売るDigiMine社をマイクロソフトの元同僚二人と立ち上げたのだった。
マイクロソフトが抱える「規模」の問題は、どの成長企業もいつかは直面する問題である。しかしマイクロソフトを去った人たちには、もっと悲惨な現実が目に映る。
PC全盛時代は、コンピュータの何たるかを知りたければマイクロソフトこそ最適の職場だと社員の誰もが信じて疑わなかった。しかし現代のインターネット時代においては、マイクロソフトはもはや世界の中心ではないのだ。これは社員にとって容認しがたい事実である。
「自分たちがもはや革命の最前線にいないと感じたその瞬間、彼らは辞める潮時を考えるようになる」とファヤドは言う。
対して、インターネットの世界はスリル満点のチャンスに溢れている。ベンチャー事業家で、元マイクロソフト社員たちがつくった新興企業4社に投資しているチャド・ウェイトは、「そういう連中が外に自己実現のチャンスを求めはじめた」と分析する。
社員と雇用者の間で「忠義」という言葉が死語になりつつあるご時世だが、マイクロソフト脱出組は自分を育ててくれたこの会社に今でも非常に恩義を感じている。彼らは沈痛な思いでマイクロソフトを批判する一方、同社を「陰ながら」応援していることを隠そうとしない。また、マイクロソフトの苦境を尻目に去っていったということに、多くの人が罪の意識を感じているようだ。
退職の動機として、士気の低下も指摘される。マイクロソフトの技術担当幹部ネイサン・マイボルドは、去年の休暇入り前まではゲイツ側近の一人だった。だが休暇終了後、彼はマイクロソフトに戻らなかった。
13年間を同社で過ごしてきた彼は、自分の私的関心事への時間を増やしたかったのだ。しかし彼は、マイクロソフト時代の激務に耐えかねたのか、という問いにこう答える。「いや、マイクロソフトで感じた圧力のすべては自分自身が原因だね。私が自分にプレッシャーをかけ続けてきただけだ」。マイクロソフトが有能な若手幹部の大量流出に遭っているという見方にも、マイボルドは懐疑的である。「マイクロソフトは、私が直接知っているどんな会社よりも人員減率が低い。ビルとスティーブという二人の最重要人物がまだいるじゃないか」。
では、なぜ彼らはそれほどまでマイクロソフトに忠義深いのか。彼らには会社創成期からゲイツやバルマーらと時間・労苦を共にし、会社を自分たちで支えているという自負心があった。今の若手にはそれほど強い絆はないが、やはり同じように「共同体」意識が根強くある。
結局、ベテラン、若手を問わず、彼らにとってマイクロソフトは一種の大学キャンパスのようなもので、日常生活の大きな要素を占めていたといえる。あまつさえ、やる気を極限まで鼓舞する仕事が次々と控えていた。
そして、もう一つ重要な要素が考えられる。普通の企業の場合、中堅幹部は自分が十二分に会社に貢献したと考えて退職していくが、マイクロソフトを辞める人々は逆に、会社から信じがたいほどの見返りを得たと感じているのだ。ストックオプションによる巨額の報酬、多彩な人脈、そして他所では得られないさまざまな知識・技能(ビジネスや金融の知識はもとより、研究成果の商品化やソフトウエア開発チーム立ち上げのノウハウ)……。彼らは、これでCEOになる準備はできた、という確信を抱いてマイクロソフトを「卒業」する。ベンチャーキャピタル界もマイクロソフト卒業生への投資に非常に前向きだ。
「彼らは試練に耐え、実績を残しているからね」とウェイトは言う。「ただ運に恵まれているだけではない」。
だが、本当にマイクロソフトはCEO養成所なのか? そう判断するにはまだ早い。たしかに好調な企業もある。Drugstore.comがその一つだ。98年夏に設立された同社のCEOはピーター・ニューパートで、創業者ジョン・ドアー自身が招いたマイクロソフトの古株である。
ニューパートがマイクロソフトからの転身を決意した最大のポイントは、CEOの椅子だった(CEOの地位は、マイクロソフトにいたら絶対不可能なことだ)。ニューパートはマイクロソフトの厳しい企業風土を存分に取り入れながら、99年初頭にオンラインサイトを立ち上げ、7月には早くも株式公開を果たした。今日、Drugstore.com はオンライン薬局界の最大手である。
だが多くの消費者向けドット・コム企業の例に漏れず、Drugstore.com も最近は業績低迷に苦しんでいる。去年は1億1500万ドルの損失を計上した。株価も低迷(1株あたり8ドル前後)し、社員が去りはじめている。辞めた人たちは、この会社の社風の息苦しさに耐えかねたと口を揃える。ニューパートは社員のやる気を起こさせるリーダーというよりは、厳しい工事監督者だ。
創業時の副社長スーザン・デルビーン(元マイクロソフト社員)も株式公開直後に同社を辞めた。マイクロソフト時代、すでに彼女はその社風の厳しさが肌に合わなかった。ニューパートを露骨に批判してはいないが、Drugstore.comの社風にもついていけない部分が多かったと語る(それが彼女の辞職に関係していることは言うまでもない)。現在デルビーンは、Nimble Technology(データ統合ビジネス)のCEOだ。彼女はニューパートよりもうまくやれるだろうか? それは未知数だ。だが、彼女が標榜する社風は「働くことの楽しさ」に集約される。
AskMe.com(オンラインのアドバイス・サイト)CEOのラメシュ・パラメスワランは、マイクロソフト幹部を絵に描いたような人物である。現在30歳で、7年間マイクロソフトに在籍し、富も得た。むろん抜群に頭脳明晰だ。温厚で礼儀正しい印象を与える彼が、AskMe.com で取り入れたい点の一つを挙げる。それは、マイクロソフトに欠けていたと彼が考える「人間的な要素」だ。「我々は社員をとことん理解したい。求められる前に社員に報いていきたい。休憩や休暇も遠慮せずに取るよう彼らに奨励していく」。
そして彼は最後にこう締め括る。「我々が目指す企業像は、働く人間にもっと優しいマイクロソフト、だね」。

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[引用サイト]  http://www.president.co.jp/pre/20000904/04.html



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