名曲とは?
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作曲者はどのような気持ちで曲を書いたのだろう、どんな環境で才能が育まれたのか・・。そんな想いから名曲アルバムの取材は始まります。ここでは、今月の「名曲アルバム」をダイジェストでご紹介します。放送をお楽しみに。 沖縄県八重山諸島の竹富島。沖縄本島から南西に400キロ、赤瓦の町並みが続く美しい小島である。ユンタとは共同作業で歌う労働歌、結歌(ゆいうた)のこと。安里屋ユンタは、権力者の求愛を拒んで島に生き、島に死んだ美女クヤマをたたえた歌である。民謡の宝庫、八重山では今なお多くの歌がいにしえの伝説を伝えている。 有田 正広(フラウト・トラヴェルソ)有田 千代子(チェンバロ)中野 哲也(ヴィオラ・ダ・ガンバ)パウル・エレラ(バロック・バイオリン)戸田 薫(バロック・ビオラ) 1747年、62歳のバッハはフリードリヒ2世の招きでポツダムの宮廷を訪れる。当時35歳の若き王から授けられた“王の主題”をもとに、バッハは大作「音楽のささげもの」を作曲し、フリードリヒ2世に献呈する。しかし、精緻な作曲技法を駆使して複雑に構成された曲は王の理解を超えていた。人生の集大成としてバッハが取り組んだ「音楽のささげもの」は、今もなお多くの謎を残している。 ウィーンの森の端に位置する緑豊かな町、バーデン。この町は温泉保養地として知られ、多くの湯治客が訪れる。モーツァルトの妻、コンスタンツェは病気がちで、湯治のため何度もバーデンに滞在した。愛妻に付き添い、しばしばこの地を訪れたモーツァルトは、慣れない土地で何かと世話になった地元の合唱指揮者にこの曲をささげた。 1791年12月5日、ウィーンでモーツァルトはこの世を去った。「レクィエム」は死の直前まで書き続けられた最後の作品である。すでに病床にあったモーツァルトは、この曲が自らの死を弔うミサ曲になることを覚悟していた。「ラクリモーザ(涙の日よ)」の8小節目を書いたところで、モーツァルトは息を引きとった。その葬儀はとても質素なものだったと伝えられている。 ザルツブルクの北にある町、オーベルンドルフ。1818年のクリスマス前夜、この場所で「きよしこの夜」は生まれた。教会の司祭モールは親友グルーバーと皆で歌えるクリスマス曲を考えていた。夜が更けグルーバーがギターを鳴らすとモールはそれに歌詞をつけて歌った。翌日完成した曲を子どもたちと歌い、「きよしこの夜」が誕生したのである。 北方ロシアの文化・経済の中心、サンクトペテルブルク。世界遺産に指定されるほどの美しい西欧建築が立ち並ぶ町。ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーの代表作、バレエ「クルミ割り人形」はサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演された。物語はクリスマスの夜に少女クララが不思議な世界を体験するおとぎ話。この曲はバレエの最高傑作のひとつとして親しまれている。 プッチーニの歌劇「ボエーム」はアンリ・ミュルジェの小説が原作。パリのカルティエ・ラタンに住む売れない芸術家たちの青春を描いた。「冷たい手を」は出会った瞬間に恋におちた若き詩人が自身の身の上を告白し、「あなたの冷たい手をあたためましょう」と思いを込めて歌い上げるアリアである。「ボエーム」が描く青春群像は今も私たちの心をとらえてやまない。 17世紀末に生まれた貴族令嬢アニー・ローリーの生家が、スコットランド南部マクスウェルトンの丘にある。スコットランドきっての美人だった彼女はダグラスという男性と将来を誓い合っていたが、父親の反対で仲を引き裂かれてしまう。アニーへの熱い思いを託したダグラスの詩に、後にスコット夫人が曲を付け、世界中で愛される名歌となった。 七つの丘の町と呼ばれるポルトガルの首都リスボン。紀元前1000年以上前から続く、歴史ある町である。この曲は、大航海時代に栄華を極めたこの都を、美しい姫君の姿になぞらえて懐かしむ歌である。史跡ではない、何げない街角でも豊かな歴史にふれることができる。歌に歌われた姫君の面影に今も出会える、古都である。 豊かな自然に囲まれたスイス。ブラームスが好んで訪れた場所である。アルプスにこだまする牧童のホルン。第4楽章の主題はそのアルペンホルンから採られた。22才で着手したこの第一交響曲は、43才の秋に完成し、ブラームスの名を不動のものにした。 『名曲アルバム』トップページ | 今月の放送曲目 | DVDやCDなど | お便りコーナー | FAQ(よくある質問) 番組表:[名曲アルバム] [名曲アルバム選] [名曲スケッチ] [名曲の小箱] [衛星ハイビジョン放送] |
[ 54] 『名曲アルバム』12月の放送曲目
[引用サイト] http://www.nhk.or.jp/meikyoku/program.html
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名曲喫茶(めいきょくきっさ)とは、普通の喫茶店、カフェとは異なりコーヒーや紅茶をはじめとする飲み物を供するだけではなくクラシック音楽を音響装置によってお客に聴かせる場所である。しかし、イージーリスニング的にクラシック音楽を喫茶店で流していればそれが名曲喫茶になるのか? と言われると難しいところがあるが、この喫茶店は自分が流して欲しいクラシック音楽の曲目、及び演奏者のリクエストに応じてくれる特色がある。また、店によっては生演奏をするところもある。これに近いものに、ジャズ喫茶、歌声喫茶等がある。 名曲喫茶の英訳はない。そもそも喫茶店でわざわざクラシック音楽を聴きに行く概念が欧米人にはないからである。クラシック音楽を聴くならばコンサートホールで生を聴く方が彼らにとっては安くて手軽なのだろう。 この喫茶店が登場・浸透し出したのは、クラシックのレコードが高くて個人では購入できなかった時代(1950年代〜1960年代頃まで)で、現在では滅多に見かけなくなってしまった。全盛期は1960年代で、そのきっかけは、海外の雑誌が新宿の名曲喫茶「風月堂」を「若き芸術家の卵達が集う日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介し、海外からのバックパッカーが東京の裏観光スポットの様にもてはやし大挙訪れる様になった(当時、まだ珍しかった外国人が多数店内に滞在する事で急激にイメージが好転した)事があげられる。他、元々、常連客層だった作家・芸術家・舞台俳優などへの憧れで、クラシック自体に特別の興味はなくともサブカルチャー感覚で来店する客が増え、更にカウンターカルチャー系の学識人・芸術家を通して学生運動家・右翼学生・ヒッピーが集い、果てはシンナー中毒に耽る不良が自分を高める(様に錯覚させてくれる)場所、或いは単なる流行の追っかけや異性とのデート先として変容していった。この有様を嘆いた同店経営者により閉店したちょうどその頃、誰もが簡単に安価な家庭用オーディオ機器・レコードで手軽に高音質のクラシック音楽を家に居ながらにして聴く事とが出来る様になり、更に各地の名曲喫茶減少に拍車をかけていく。しかし近年、独特の静かな雰囲気で集中できる場所として再評価され、そこで仕事をする人や読書をする人からの支持、はては昨今のクラシックブーム・癒しブーム・昭和レトロブーム・清貧ブーム・ロハスブームの影響により、見直されつつある。大概の名曲喫茶は店舗建造物も古く、ある程度は創業の歴史が長い事が伺い知れる(但し、例外もあり得る)ゆえ、珈琲好きの客が店の珈琲を淹れる技術の熟練度が高い事を期待して好んで来店するという傾向も時代の追い風になっている。 音響装置は店によってこだわっているところもあり、高価なオーディオ機器を置いている店も珍しくない。普通の喫茶店ではBGMとして音楽を流しているのだが名曲喫茶に於いては音質重視という店が多い故、おしゃべり禁止、書き物禁止といったルールを課している名曲喫茶も見られる。再生するメディアもコンパクトディスク(CD)が主流となっている現代に敢えてレコード(LP盤)を使用している店も見られる。 『名曲喫茶のクラシック〜懐かしのクラシック小品集』 発売元:コロムビアミュージックエンタテインメント(2003年10月発売) 『続・名曲喫茶のクラシック』 発売元:コロムビアミュージックエンタテインメント(2004年10月発売) |
[ 55] 名曲喫茶 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%9B%B2%E5%96%AB%E8%8C%B6
