自らとは?
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自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力 この「生きる力」を育成するために、自ら学ぶ意欲や主体的に学ぶ力を身につけるとともに、試行錯誤しながら自らの力で論理的に考え判断する力、自らの考えや思いを的確に表現する力、問題を発見し解決する能力を育成し、創造性の基礎を培い、社会の変化に主体的に対応し行動できるようにすることを重視した教育活動の展開が求められている。 算数科においては、ゆとりの中で基礎・基本の確実な定着を図ること、楽しさと充実感のある学習にすること、児童の主体的な活動の重視を基本的な考えとして挙げている。 これらの教育活動の充実のために、個別指導やグル−プ別指導、繰り返し指導、教師の協力的な指導など指導方法や指導体制の工夫が求められている。 本校では、「人間尊重の精神を基底におき、一人一人の個性を大切にし、心身ともにたくましく、自ら考え、正しく判断し、行動できる人間性豊かな子どもを育成する」ことを教育目標としており、求める子どもの姿のひとつに、「自分の考えを持ち、創意工夫する子ども」を挙げている。 これは、子どもが身の回りの事象に積極的に働きかけながら、自分で課題を見つけ、それに対して自らのものの見方や考え方に基づいて、自ら判断し、積極的に行動していくことを求めている。 本校では、平成3年度の開校当初より、算数教育のあり方を求めて研究を進めてきた。平成11年度からは、「一人一人が自ら見つめ・求め・生かす算数科学習」を研究主題とし、算数的活動の中で基礎・基本を大切にしながら、子ども主体の授業をめざしてきた。 生活体験を生かした学習材の開発、提示の工夫に努めたことで子どもの学習意欲を持続させることができ、子どものよさや可能性を引き出すことができた。 お互いの考えのよさを認めあうことにより、自信を持って協同解決に臨む姿や、自分の考えを更に高めていく姿が見られた。 「そのつど評価」により、主体的な活動、自信を持った活動が見られるようになった。また、自分の考えや思いを的確に表現できる子どもが増えてきた。 学習内容を振り返ることにより、内容を整理し深めることができた。そのことにより記憶にだけ頼らなくてもすむといった学びへのゆとりが生まれた。また、丁寧に順序よく考えていくことの大切さも意識できるようになった。 思考力や判断力を高めるためにも、 子どもたちが自ら問いを発生させることができるような学習材や提示の工夫が望まれる。 より意欲的で主体的な学習展開のために、多様な追求の場の設定や自分の考えを表現する場の設定が必要である。 子どもたち一人一人が学ぶこと考えることの楽しさを味わえるよう、基礎・基本をより大切にしていく必要がある。 お算数を通して「生きる力」を育てるために、基礎・基本の徹底を図り、楽しさと充実感のある授業づくりの工夫を図る必要がある。 子ども一人一人のよさや可能性をつぶさにとらえ、学ぶ楽しさを味わう算数的活動を通して、自ら問いを持ち、自分の考えを表現しながら追求する確かな学習の成立を図る必要がある。 子どもたち一人一人が自らの発想や経験に基づきながら、学習材に主体的にかかわる中で課題を見出していく姿。 子どもたち一人一人が自らの発想や、経験、知識、技能を駆使しながら課題を解決しようとし、その交流の中でそれぞれの考えやよさを認め合い高め合おうとする姿。 子どもたち一人一人が得た知識や技能を高めていこうとしたり、自らの発想や経験から生活に生かそうとしたり、生活の中に新たな課題を見出したり、更に発展的な問題にチャレンジしようとしたりする姿。 解説書(小学校学習指導要領算数編)には、算数的活動について次のような概括的な説明がなされている。 算数的活動とは、児童が目的意識を持って取り組む算数にかかわりのあるさまざまな活動を意味しており、作業的・体験的な活動など手や身体を使った外的な活動を主とするものがある。また、活動の意味を広くとらえれば、思考活動などの内的な活動を主とするものも含まれる。 これを受け本校では、算数的活動を主体的な学びや、楽しい学び、わかりやすい学び、実生活とのかかわりのある学びなどを実現させるための次のような活動ととらえた。 子どもが、自分の興味・関心から、目的意識を持ち、それを追求し続ける中で、その対象に向かうかかわり方の質がどんどん高まって、子どもにとってよりよいものとなる一連の体験。 算数のいろいろな知識、あるいは算数やさまざまな学習で得た知識などを総合的に用いる活動 以上の3点を工夫する過程においてさまざまな算数的活動に取り組むことで、学ぶ楽しさや充実感が実感でき、自ら見つめ・求め・生かす算数科学習が展開できるであろう。 算数では根拠を基に繰り返し思考することで力がついていく。本校ではその根拠となるものが基礎・基本と考え、次のように分けてとらえた。 技能・思考力・創造力・判断力・表現力(長年にわたって繰り返しながら身につけていく学び方) 小単元毎、単元毎、学期毎の学習の振り返りを 大切に。⇒自分の成長の足跡を。繰り返しの大切さを。よりよい考え方を。 単元を通して、目標に迫るための基礎・基本を明確にし、その獲得に必要な算数的活動に取り組めるようゆとりある単元構成の工夫が必要であると考えた。 子ども一人一人のよさを授業に生かし伸ばすために授業の中でタイムリ−に支援・評価を行う必要があると考える。授業中、プラス試行で適切に支援・評価されることで子どもたちは学ぶ楽しさを感じ、自ら考える力を育んでいくものと思われる。 このようなその子その場での支援・評価を、高階怜治氏(ベネッセ教育研究所)は「そのつど評価」と称している。 ポ−トフォリオは子どもたち一人一人が学びの過程で作り出す学習成果である。ポ−トフォリオによって自分の考え方や方法、表現力、よりよい考えや方法、表現など、自分の成長の変化が見え、次へ進む自分への励みとなる。 ポ−トフォリオは子どもが自己評価できるものであり、子ども同士の相互評価ができるものであり、同時に教師と共に評価できるものでもある。 |
[ 108] 一人一人が自ら見つめ・求め・生かす算数科学習
[引用サイト] http://www2.higo.ed.jp/es/hakusuik/sansu2.htm
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運搬については、関連企業を使っています。その場合、新規に物品の納入を行って、その戻りの車に下取り物品を積んで帰ってくると言うのは、下取り行為の「自ら」にはならないのですか? 持ち運びのトラック(自社の物ではない)の先導を社員が行えば「自ら」になるのでしょうか?教えてください。 下取りした時点から下取りした者が処理責任を負うということですから、関連企業は他人になり運搬業の許可が必要とされるのではないでしょうか。 トラックを借りただけでなく、運転も頼むのであれば他人の運搬になると思いますので運搬業の許可は必要でしょう。 早速の回答ありがとうこざいました。「自ら」とは、その様な理解になる訳ですね。納得しました。 廃掃法には下取り行為のことは明文化されていないと思いますが、「自ら」とは何にどのように書いてあったのですか?前後の文書を知りたいです。 法律は難しいさんのおっしゃるとおり、廃掃法には下取り行為のことは明文化されていないため、「いわゆる下取り行為を行う者は産業廃棄物収集運搬業の許可は必要か」との疑義照会がされて、「新しい製品を販売する際に商習慣として同種の製品で使用済みのものを無償で引き取り、収集又は運搬をする下取り行為については、収集運搬業の許可は不要である。」との回答がなされています。(産業廃棄物処理業及び特別管理産業廃棄物処理業の許可に係る廃棄物の処理及び清掃に関する法律適用上の疑義について(H5.3.31 衛産第36号問10)) 即ち、このような下取りを行ったときであって、下取りをした物の運搬を自ら行うことをせずに運送業者を使った場合は、運送業者は「販売する際に商習慣として引き取った者」には該当しないので、許可不要のケースに該当しないということになります。。 >即ち、このような下取りを行ったときであって、下取りをした物の運搬を自ら行うことをせずに運送業者を使った場合は、運送業者は「販売する際に商習慣として引き取った者」には該当しないので、許可不要のケースに該当しないということになります。。 「新しい製品を販売する際に商習慣として同種の製品で使用済みのものを無償で引き取り、収集又は運搬をする『下取り行為については』、収集運搬業の許可は不要である。」 以上を踏まえた上で、「商習慣として『同種の製品で使用済みのものを無償で引き取り、収集又は運搬をする下取り行為』については、収集運搬業の許可は不要である。」を読むとき、『 』を付けたように、「引き取って収集又は運搬を行う下取り行為」と続けて読むべきで、これが問に対する答えとしても妥当であって、「下取り行為に伴う収集運搬は許可が不要」と読むのは間違いだと思います。 私は下取りした物を再販売しようと考えておりまして、その場合、下取りした者(私)は有価物としての認識です。しかし、排出者は当然の事ながら廃棄物として、下取りを要求してきたわけです。さて、この場合も「自ら」引取る必要があるのでしょうか? 確かに、下取りを依頼されるのは「製品を販売した者」であり「運送業者」ではないと思います。 そこで、日頃からの疑問ですが、この場合「排出者」は「下取り品の所有者」?「製品を販売した者」?のどちらなのでしょうか? 下取りを行った後は、「製品を販売した者」の廃棄物として処理するのが適切であると思われる事から、今回の事例では「排出者」=「製品を販売した者」と考えられます。 その場合、「排出者」が引取りの委託を行う者=運送業者となり、運送業者=許可不要となるような気もします。(拡大解釈かも知れませんが・・・) 以前から疑問に思っていたことがあり、その事を書いた通知を探したのですが、この文章を書いている時点ではまだ見つかっていません。 その通知の概要は、「下取りした家電製品は、(通常は一般廃棄物であるが、)商習慣として下取りした場合、下取りをした販売業者の産業廃棄物である。」というもので、これはまさにハッスルさんの解釈のとおりです。 今回の議論を通じて、私なりに分かってきたことは、下取りしたものは「販売に伴う商習慣としての下取りという行為(事業活動)を通じて発生した廃棄物」であるから、「下取りという事業活動を行った販売業者の廃棄物」で、それは「下取りした時点」で販売業者の排出した産業廃棄物になるということです。 このように考えると、下取りしたものが廃棄物であっても、販売業者が納品場所から引き取る場合は自ら運搬になり、許可が不要であるという先のQ&Aにも矛盾しませんが、配送業者が回収を行うときは他人の廃棄物を運搬することになりますので、これまでも述べてきたように収集運搬業の許可が必要となるでしょう。 問の裏にあると言われる、「下取りした物を再販売しようと考えている。」ということは、下取品が廃棄物処理法でいう廃棄物か有価物かの判断基準とは別の次元の事です。 従って、これ以上踏み込んで、実際に許可が必要かどうかについては、許可権限を有する自治体に訊ねるよりほかはないのではないと思いますが、いかがでょうか? 自治体に問い合わせたところ、回答がまちまちで正直なところ戸惑っております。そもそも廃掃法が性悪説を前提に作成されている事を痛感しているところです。良心的?な事業者に対しては悪法としか思えないのが感じられます。廃掃法の原点である不法投棄をなくすと言う事が逆に不法投棄を増やすような法律になってしまっているのが現状ではないかと危惧するところです。と戯言はここまでにして、要するに所有権(責任の所在)を明らかにして、不法投棄はしていない!!と言うエビデンスがあれば、お縄になる事が無い事を信じて事業活動を行って行けばよいのかな?と神(お上)にお願いしたいところです。 下取りとは無償でかつ(出向いて)引き取ることなのだから、それは廃掃法2条の定義から言って廃棄物ではありません。 通達があろうとなかろうと販売に際して下取るものはその時点で廃棄物とは断定できないと思います。引き取った者が廃棄しようと決断した時点で廃棄物になると考えます。もちろん客観的に見て価値あるものと見えなければ不正な行為と考えられるでしょうが、そこに下取りと言う商慣習が意味を持つと思うのです。 私は逆に「下取り」と言う商慣習が本当にあるのかということを重大な論点と考えます。本来は車などで新車を売るときに値引きの意味で古いものを市場価格より高く買い取ることを下取りと言いました。そういった商習慣が確立していない品目に拡大解釈しては間違いだと思います。 実は行政にも問い合わせしたことがありますが、下取りと言う考えを拡大解釈をしてはいけないといった指導を受けております。 カーバッテリーの下取りの重なりによるリサイクルシステムなどは経産省の指導の元に行っているわけで、他のどんな品目でも下取りの考えを適用してはいけないと思います。 このQ&Aのスタートは、「運送業者に『戻り荷』として持って帰らせることは『自ら』に該当するか否か?」とたずねるところから始まっています。そしてこのことについては一応納得が得られたものと思いますが、環境担当者さんの提起している問題は「廃棄物となるのは下取りした者が廃棄しようとしたときではないのか?(≒戻り荷の時はまだ廃棄物ではない)」となっており、当初のQとは変わってきています。 と指摘されておられ、現実にもそのとおり下取りした時点では廃棄物か有価物かが明確でないだけでなく、値引きの対象となる残存価値を有するほどの、明らかな有価物であることも当然あります。 ただし、私は、問が許可の不要な有価物では検討の必要の無い「自ら」に該当するか否かを訊ねるものであった為、無償で引き取りするもの(即ち廃棄物と分かっているもの)を下取りすることに限定して一連の書き込みをしてきました。(解説にも、「使用済みのものを無償で引き取り収集運搬する行為が商習慣として行われている場合」に「許可不要」としています。) >下取りとは無償でかつ(出向いて)引き取ることなのだから、それは廃掃法2条の定義から言って廃棄物ではありません。 と否定されてしまった訳ですが、これについては、「下取りをすること (=行為)に取り引き上の価値がある」のであって、「下取りしたもの(=物)に価値がある」とばかりは言えない。と答えさせていただきます。 ※もしかすると、「無償で」とことわっているのは、環境担当者さんのおっしゃられるように、運搬費用を負担して引き取っているのだから「有価物の引き取りで許可がいらない」と言っているのかもしれません。 しかし、この場合は当然許可はいらないので、難しい言い回しをせず「下取りは、無償であっても運賃を負担して引き取っているのだから有価物であり、許可不要である」と答えた方がすっきりすると思います。 いずれにしても、商習慣として確立している場合に限定されるべきであって、無許可営業を助長するような無秩序な運用はするべきではないというのは、環境担当者さんのおっしゃられるとおりです。) |
[ 109] EICネット[環境Q&A - 「下取り行為の「自ら」の意味について」]
[引用サイト] http://www.eic.or.jp/qa/?act=view&serial=6988
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「塾」について、 前回の速報版にて「教育発見隊」アンケート結果(有効回答数:966人)をお伝えしました。 今回は、「どんな学習塾に通っているのか」、「家庭学習の時間はどのくらいか」などについて見ていきましょう。 前回の「教育発見隊」アンケートの結果から、塾に通っている子どもの割合は全体で34.5%でした。学年別に見て、小学校4年生から増え始め、高校受験を控えた中学3年生がもっとも多く、55%を超えます。 実際に塾にもいろいろ種類があります。高いレベルの私立中学受験などを目的とした、小学校段階からの「進学塾」もありますし、普段の学校での授業を補完する「補習塾」もあります。また、補習クラスから受験クラスまで、さまざまなレベルのクラスが用意されている「混合型」の塾もあります。 【図1】のグラフを見ると、中学・高校進学前になると、明らかに進学塾への通塾が増えていることがわかります。 小学校3年生までは学校の授業を補う補習塾、小学校4年生から6年生にかけては進学塾に通う数が伸び、私立中学受験への準備する様子がうかがえる結果となりました。また、補習と進学を目的とした「混合型」の塾は、中学生に多いようです。学校の授業補完もしながら、3年かけて高校受験への準備をし、高校のレベルに合わせて受験対策をするからだと思われます。 学校の授業レベルのフォローだけでなく、いけると思えば上級学年の問題をやってくれたり、理解度がもう少しと思える問題については、授業直後にフォローの時間を取ってくれる。また学期末にはきちんと保護者面談をしてくれ、必要があれば面談予定時間を超えてもきちんと最後まで話をしてくれる。 わからないというとすぐに対応してくれ、補講をしたり練習問題を渡してくれたりする。また、同じくらいの成績の子と上手に競わせてさらなるステップアップを促してくれている。 一般的に、子ども一人ひとりに合わせた個別指導に満足している方が多いようです。また、学校にはないサービスを塾に求める方もいるようです。 つまずいているところがあれば、立ち止まって、あるいは戻って教えてもらえるので、弱点を克服できる。テスト前はその学校のテスト範囲に応じて(いろんな学校の生徒が来ている)テスト対策をしてくれるので、定期テストでの成績がグンと上がった。 先生がとても熱心です。親の言葉、子どもの言葉を聞き流さず受けとめてくれているように思います。塾の日は、実際は週2日なのですが自習室は自由に使えるので毎日のように通っています。 初めての子どもですが、受験に対しての心がまえや、学校訪問会の案内、子どもの事について学校の先生ではなかなか回答のいただけないことをはっきりと教えていただける。また、子どもの性格も含めた学習指導が行われている。 そうでない方もいるとは思いますが、いまどきの学校の先生は子どもと親に嫌われないことが第一で本当に教育に熱心に取り組んでいる先生はあまりいません。小学校では熱意をもって、指導してくださる先生に幸いにもお会いできましたが、中学に入ってからは、事なかれ主義の先生にしかめぐりあっておらず、いまいち踏み込んでいけません。 子どもが言うには、英語も数学も学校の授業だけでは分からないらしい。授業の進度も遅く、1年で終わらず、2年に持ち越す事も。塾とは比べ物にもなりません。学校は、勉強以外のこと(運動会、音楽会、クラブ活動)を一生懸命する場になっています。 公立の中学に入学したので、学校の名にかけて受験を成功させるという意欲がまったく感じられません。進路に関しても学校の懇談で塾の先生はどう言われていますか?といった感じです。なので塾の名にかかっているという民間意識で真剣に取り組んでくださいます。 テンポが早すぎて子どもが理解して自分なりに飲み込む余裕が足りないと思う。クラス替えをよくするので、クラスが変わるたびに授業の重複ややらずに飛ばされる部分ができてしまい、むらができてしまう。 学習塾に行っても子どものやる気がないと成果は上がらない事が分かった。苦手な教科が今一つ理解できないようだ。 子どもをよく見て指導して欲しい。以前行っていた塾は満足していたのだが、だんだんと先生の手が足りなくなり問題集だけさせておくような状態になってしまった。塾でわからなかったことを学校で補習するような感じで、塾に通う意味がなくなってしまった。 学力低下や大都市部での公立学校への不安が言われる中、学校教育にすべてを任せるよりも、塾で習得したいレベルに合わせて個別的な丁寧な指導を期待しているご家庭が多いようです。進度の速い授業や、徹底した指導、難易度の高い問題、きめ細やかなクラス替え…。しかし、このような「対・学校」へのスタンスが行きすぎ、過度の塾依存、塾主導の学習に陥ってしまう危険性も考えたいものです。 進学塾ということで通わせ始めましたが、思ったほど授業も難しくなく、自宅での学習時間も以前より減ってしまい、結果として、子どもが塾に行っている事で満足してしまい、自主的な学習意欲は減退してしまったような感があります 「家ではちっとも勉強しないから、せめて塾に行っている間だけでも勉強してくれれば」と考える保護者の方もいるようですが、塾に通っていても、習ったことを家庭学習の中で復習する習慣がないと、本来の学力は身についていきません。 「2002年から本格的に導入されたゆとり教育ですが、実は学習内容の削減は80年代から徐々に進められ、20年前と比べると中学校では3割減っています。数学は2割5分、理科と社会は4割ですね。ですから、意識の高い保護者の方は、ご自分が学んできたことよりも子どもの学習量が減ってしまう、という不安感から塾へ通わせる方も多いようです。 文科省も学力低下に課題意識を持っていますし、その対策のひとつとして、2006年度には教科書改訂が施行され、一度削減された単元が教科書に戻ってきます。しかし、削除された単元は戻ってきても、学校の授業数がその分増えるわけではありません。つまり、学校では、削除された単元や発展的な領域を学ぶよりもまず、基礎的な勉強を学ぶことが中心になります」 「これからは家庭学習がカギになる、ということです。学校と家庭学習を上手に連携させることが重要、ということです。例えば、音楽の授業でリコーダーを習うとします。リコーダーの運指法や演奏法は学校で習いますが、たった1時間で習った曲を上手に吹くことは出来ません。授業以外で、自分で何度も練習することが必要になります。これは算数・数学でも同じ。特に数学は自分で繰り返し勉強しないと定着しませんからね」 「ゆとり教育」で学習内容が軽減されたことが災いして、子どもたちが勉強しなくなったということも指摘されるようになりました。文部科学省としては授業内容を易しくすることで、生徒の8〜9割は学習内容を理解できるようになるだろうという目論見だったのですが、実際、中学校で「授業が分かる」と答えた生徒はわずか4割に過ぎませんでした。この授業理解力の低下というのが、時間数が減ったためなのか、自分で勉強する時間が減ったからなのか、見極める必要があります。 【図2】の発見隊のアンケート結果によると、家で「ほとんど勉強しない」という中学生が10%前後いることがわかります。しかも高校受験を控えた中学3年生で家庭学習1時間未満が4割以上いることにも驚きです。 Benesse教育開発センターが文部科学省より委嘱され行った『義務教育に関する意識調査』の結果(図3)では、ほとんど勉強しない中学生が4割に達していました 家庭学習の目安は、学年×15分と言われています。小学1年生なら、15分、小学6年生なら90分が目安になるわけです。 発見隊アンケートの調査結果を見ると、小学校6年生で90分以上の学習時間の子どもたちは25%程度でした。 塾にもいろいろあります。どの塾に通っていても、基本原則は「自分ひとりで考え、やりぬく時間」が子どもの学力を伸ばしていくのです。 理解の早い子は、自分でどんどん学んでいけばよいし、学校で習わないことでも、自分で学ぶことによって興味関心が広がります。そもそも学習は個別に成立していくもの。どんなに進学率の良い塾に通っていても、個人のやる気や興味がなければ、本当の学力は伸びないのではないでしょうか。 子どもが行っていたところは、低学年の頃から、いかによい成績をとりよりよい中学に合格し、効率よく問題を解くかが主体だったように思います。確かにそれが前提なのかも知れませんが、確実に1つずつ自分のものにし次へと続く気持ちが少しずつ萎えてきたような気がします。解ける喜びよりなんとなく教えてもらったやり方を暗記し、解いて答えがあって、次へ進むといった感じでしたので、もっと、子どもに考えさせる、次へ進みたい、もっと知りたいといった気持ちを育てられるような授業内容、進行速度、宿題の量を考えて欲しいです。 教科書的な通りいっぺんの知識や、入試やテストで点数がとるための知識の伝授ではなく、学校の授業では触れられない、学問的な面白さや、深く追究していくと分かる楽しみのようなことを体験する場も作って欲しい。 できれば学校での授業の分からない所を掘り下げるとか、勉強することに興味をもたせてほしいものです。本来子どもは興味を持てば自分からすすんで勉強するものですから。 今回もたくさんのフリーアンサーをいただきました。その中で、前出のように学んでいく楽しさ、知識や理解が深まっていく面白さを塾での学びに求める声が多かったように感じます。 しかし、これら自ら学ぶ喜びや手ごたえは、本来自らの力で獲得し、体感することで、さらにその学習が深いものになっていくはずです。 「自ら学ぶ力」をすべて塾に任せ続けるのは、これからの社会に求められる課題発見能力や思考力を育む機会を失いがちになります。自分で寄り道しながら自分にあった勉強法を探していくことが、自ら学ぶ力になっていくはずです。 子どもは、学校・地域・家庭での共育(共に育てる)が大切であると言われます。塾任せになってはいないか、学校教育を否定していないか・・・を親としてしっかり考えたいものです。 人が学び続ける前提にあるのは「何のために勉強するのか」という問いに、小・中学校の段階であっても、自分なりの答えを持っていることが求められるのではないでしょうか。 高校受験を終えて、公立高校での1年生の春。塾通いの必要がなくなったある生徒が、今にも泣きそうな顔で担任の先生のところに来ました。 解法のテクニックや、言われるままにドリルを繰り返し、自らの課題を乗り越えるために、どんな学習スタイルが必要なのかを、小・中学校段階で徐々に身につけることができなかったツケは、いざ自分自身で学習に向かったときに、ほころびが出てきます。 この記事をご覧になった方からいただいたご意見ご感想を以下、掲載いたします(誤字修正や文意をそこねない程度の修正をしています)。 今大手メーカーの契約社員として働いています。私たちの上司は新人教育もしている方で、ぼやいていたことがあります。「教えたことに対してはとても理解力がある。でも、実践となると弱い。そして打たれ弱い。」と・・・。結局一流大学を目指し、自分で考える前に、塾で正解の導き方を教えてもらった。一生懸命方法を暗記した。その’つけ’が一流企業に入った今になって初めてでてきたのではないかと思う。 3年間塾に通って、私立中に合格し、今、まさに痛感していることでした。春休み前から、再び塾に通い始める人が多く、自らの学習スタイルをいつ確立するのかと疑問に思っていました。大学入試までまだ、余裕のあるこの時期に、我子には、試行錯誤しながら、自らの学習スタイル(課題の克服方法)をしっかりと見つけて欲しいと思っています。私の考え方が、間違えていなかったことに自信を持ちました。 コメント(9)|トラックバック(0)|友だちに紹介する| オンラインブックマークに登録する この記事にコメントを投稿するためにはログインが必要です。コメントは編集部がルールに基づき確認してから掲載します。※掲載されたコメントは、あくまでも個人の意見や考えを基にしており、内容については編集部では保証できません。 とても参考になりました。娘(小4)の担任は、計算はやらせない、新出漢字も書かせないで、本当に頭にきています。今、学力低下に関する本がいろいろと出版されています。1冊でも多く読んで、読み書き計算の大切さを認識して欲しい。娘も先生にあきれています。今年1年の我慢だから、お母さんが勉強を教えてあげるから頑張りなさいと言って、「チャレンジ4年生」で頑張って勉強させています。 自分のペースで、学んだことを身につけられる通信教育は学習習慣の確立という点でも優れていますよね。我が家もチャレンジで習慣を身につけ、長子は、中学受験専門の通信で受験勉強しています。周りの方にも、通信教育お勧めしているのですが、受験となるとなかなか踏み切れない方が多いようです。塾の時間に縛られないし、自分の苦手分野にたくさん時間をかけられるし、なにより費用が塾に通うよりずっと安いし…。良い事が沢山あってお奨めなんですけど。 一口に「塾」といっても、色々なタイプの塾があると思います。特に最近の中学入試問題の傾向から、低学年向けはテクニックや詰め込みよりも、まずは自分で考えさせる・試行錯誤させてみる・実生活での経験を重視してきていると感じます。親が認識していなかった子供の長所やそれに合う勉強のアドバイスも頂けます。漢字は間違った指導をしてしまうところを気付かせて頂きました。昔ながらのテクニックや詰め込みの塾もまだ多い事でしょう。塾でも通信でも、親として子供に何を身に付けて欲しいかで選択すべきと感じます。 娘の体が弱く、学校への通学にも一人ではいかせられないので、塾、習い事は、選択肢が狭いです。まず健康、元気ありきなので、文科系のアソビとして楽しめる市主催の習い事講座と絵画だけですが、それがかえって、勉強はチャレンジと学校という娘の集中力、やる気につながっているようです。習い事や塾は、低学年のこの時期、ドコまで楽しんで学ばせてくれるかに、ウェイトをおければいいでと思っています。 参観等に行くと 塾に行っている子との差を 痛感します 正直あせります 手の挙げ方 発言の仕方 そんな事まで 塾で習っているらしいです 親子での家庭学習も 最近 限界が見えてきたような気もします お互いに 親子である甘え等 日々格闘です 親としては ワンステップずつ しっかり理解して 進ませたい 子供は 分からないことを わかるまで させられ そんな 毎日です 塾に行けば 子供も私も 時間に 追われる毎日が待っているのは 確かです。 今住んでいる地区には、進学塾が一つもありません。中学のレベルや評判も悪く、かといって私学へはかなり遠い道のりです。その上、受験に対する関心も低いのが現状です。先日、一番近い大手塾の説明会に申し込もうとしたら、「すみません、3〜4年生は通塾バスが無いんですけど」とのこと。他の塾も親の送り迎えが必須という場所でした。塾のために引越しは考えられません。現在娘はチャレンジを受講しています。担任の先生には「このぐらい出来ていれば、長期休みの講習だけで大丈夫」と云われていますが、不安です。 家の学校では家庭学習毎日20分という学校での目標があるようで毎日漢字や計算の宿題が出ているのでとてもありがたいです。子供も親も宿題ではないとなかなか取り組みにくいところもあるので・・・。塾に頼ってしまう自分の子の出来ているところ出来ていないところが把握しきれないように思うので、チャレンジを一緒に取り組んでやっています。 興味深いデータを拝見しました。現在、低学年を担当しています。子どもは吸収力が早くどんな教え方をしてもすぐに覚えて使えるようになりますが、その学んだことを自分で判断し、使えるようになることが本当の勉強だと思います。ですから、「先生!これ習ってない!」といって諦めることだけは許していません。低学年の時は、勉強の楽しさ(問題が自分で解けたときの喜び)をたくさん経験(体感)させてあげたいと思います。チャレンジはそのような問題がたくさんありますね。子どもがわくわくするような気持ちがやはり一番大切だと思います。 一貫して大学受験まで進研ゼミを続けた長女と違い、次女は、しまじろうの頃から何度も、進研ゼミに入ったり出たり。きっとベネッセの方も呆れていらっしゃることでしょう。でも、今回は違うと信じています。なぜなら、3年近く通っていた塾に見切りをつけて、本当に子供がやりたい、と言っているからです。塾は小学校の頃は人数も少なく、よく見てもらえ、田舎に全員連れてってくれたり、アットホームで、とても楽しく通っていました。でも、評判を聞いて人数が増え、この頃はガラの悪い子らが中学同様、授業を真面目に聞いてなく、全く雰囲気が変わってしまいました。この辺りは塾が乱立しているので、選び放題で他の塾も考えていますが、本人が、進研ゼミを何たびかやりだして、今回ばかりは、「よくわかる」と喜んで本腰を入れているようです。夜早く眠れるようになったのもよかったです。塾は帰りが11時ごろでしたので。 もう登録しましたか?中学準備ができる「プロジェクト中学0年生」サイトはこちら。小学生の学習Q&A(11/28) メンバー登録 | このサイトについて | 会員規約 | サイトマップ| Q&A | お問い合わせ |
[ 110] 今こそ考えたい、塾の効果と自ら学ぶ力【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】
[引用サイト] http://benesse.jp/blog/20050928/p1.html
