まさかとは?

映画、テレビ、商業演劇、画家と幅広く活躍している米倉斉加年は、宇野重吉に師事し、劇団民藝のうの演出作品に数多く出演し、共演しました。「ゴドーを待ちながら」(宇野重吉一座)による木下順二民話劇の全国公演。北林谷栄脚本演出と共演。
「リア王」(シェークスピア) 「大司教の天井」(ミラー)。 「オットーと呼ばれる日本人」(木下順二)等を演出・出演。
東宝公演、森光子出演「放浪記」に白坂五郎役で連続出演しています。
1996年より【まさかね図案舎】製作の自作・演出・主演の「娘の結婚」で全国公演を続けています。
画家としての仕事も多く、絵本「多毛留」「人魚物語」「おとなになれなかった弟たちに…」等があり、画集を含め多数出版しています。
2003年7月、新作絵本「トトとタロー」を出版。その他、挿し絵、表紙絵、ポスター等も数多く手がけ、個展も毎年、各地で開催し好評を博しています。
絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は1987年より中学1年生国語教科書に採用され、現在も使用されている。
戦後の日本演劇を支えてきた「劇団民藝」の屋台骨・米倉斉加年が65歳にして大きな決断を下し住み慣れた劇団を退団した。退団理由については「ひとつの劇団で芝居を続けるのは楽だが演劇というものをもう一度考え直してみたくなった」と話し、原点に戻っての再スタートを誓っている。
今後はフリーの立場で活動し、「講演会のように身軽にどこででもできる芝居をやりたい」と全国巡業や絵画個展・演劇の演出・指導等を積極的に地域の皆様方の身近なところでお役にたちたいと…
私は役者としての米倉斉加年に脱帽する。知的にひねくれた人物像の創造については彼は本邦第一の能力を持っていると信ずるからである。だが、演出家としての彼にわたしは二度脱帽する。彼の問題意識の鋭さは常凡をはるかに超える。しかし、画家としての彼には三度脱帽しなければならない。細密巧緻な彼の絵が常に立ちのぼらせているこの妖しい雰囲気はわたしの魂を人界の外へ吹き飛ばしてしまう。そしていま新たに彼の文章に四度脱帽しなければならない。簡にして潔、読む者の胸を抉る。それにしても米倉斉加年氏よ、いったいきみはわたしたちに何回帽子を脱がせれば気がすむのだ。
米倉さんの絵を見ていて、ときどき目をつむってしまいたくなることがある。米倉さんがあまりに意地悪く人を見つめているから。だが目をつむると、画かれた女たち、男たちは、内に秘めた哀しみと優しさとで、彼等の顔はいつも痛々しいくらい裸だ。そのくせその表情は私たちを、どこかふるさとのようなところへといざなう。
米倉斉加年氏の絵が私はとてもすきであるし、実力ある俳優の「余技」をはるかに超えたその腕前には、おどろくばかりである。西欧の退廃と幻想の画風を、日本人の生理と日本の風土とを通
過させて甦らせることはきわめて困難な作業であるが、それが確かな形で達成できていることに、私は再びおどろく。
米倉氏の「マッチ売りの少女」は、ぼくの字をはるかに超えた独自の世界を構築している。いわゆる原作者としては、ねたましいような気持ちにならざるを得ず、しかも、原作が、このような才能に出会うことのできた、幸運を感謝せずにはいられない。
物語の原型は歌であり、小説のはじめの姿が絵巻物であるとするならば、野坂昭如氏の絶唱と米倉斉加年氏の見事な絵を合わせた「マッチ売りの少女」の1巻は、昭和の御世が後世に遺す最も貴重な作品であると言えるだろう。終生、焼跡闇市の詩をうたい続ける作家のルサンチマンを彩
るに、米倉氏のエンピツならぬ色怨筆ほどふさわしかろうものがあり得ようはずがない。どこからということなく、思いのままにページをめくれば、そこのはたちまち時空を超えた夢幻の世界が立ち現れ、メルヘンとは怖しき物語のこと也と嘆じた明治の詩人の嘆息が首筋にふりかかってくるような気配さえ覚える。座右において年に一度、こっそり開いてみたい絵本である。

[ 139] プロフィール/まさかね見世
[引用サイト]  http://www.masakane.jp/profile.html



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