突然とは?
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何の前兆もなく働き盛りの人を襲う突然死。突然死とは、「予期していない突然の病死」のことで、急死ともいい、発症から死亡までの時間が24時間以内という医学的定義がされています。 突然死の原因には、急性心筋梗塞、狭心症、不整脈、心筋疾患、弁膜症、心不全など心臓病によるものが六割以上と多く、ほかに脳血管障害、消化器疾患などがあります。 突然死の中でも心臓病に原因するものを心臓突然死といい、急性症状が起こってから1時間以内と短時間で死亡するため、「瞬間死」ともいっています。心臓突然死は年間約5万人といわれ、その中で特に多いのが急性心筋梗塞です。 心臓突然死は先にあげた心臓病が原因となりますが、心臓が停止する直接の原因は、心室細動という不整脈が大部分です。心筋梗塞を例にあげれば、心臓に栄養と酸素を送る冠動脈に動脈硬化が進行して血管の内側(内腔)が狭くなり、さらに狭くなった部分に血栓が詰まると、そこから先の血流が途絶えて心筋が壊死してしまうのが心筋梗塞です。こうした事態が発生した後30分〜1時間で致死的な不整脈である心室細動が起こるのです。心室細動では、心室筋が協調した動きを失い、心臓はポンプとしての機能を失います。そのため脳に血液を送ることができなくなり死に至ります。 動脈硬化の危険因子である高血圧、高脂血症、肥満、糖尿病、運動不足、喫煙、ストレスは、二つ三つと重なると、それぞれは軽度であっても心筋梗塞を発症する割合が高くなることが知られています。 今のところ、健康な人でも定期的な健診を行い、こうした危険因子をチェックすることが大切です。 すでに危険因子をもっている人は医師の指示を受けて、症状が進まないようにコントロールしましょう。 狭心症の段階で見つかれば、狭くなった血管を広げる治療法で突然死を未然に防ぐことも可能です。しかし、痛みの前兆がないタイプを早期に発見することはなかなか困難です。こうした突然死にはストレスが大きくかかわっているといわれています。先の阪神淡路大震災や湾岸戦争、ロサンゼルス地震では、心臓突然死が急増したと伝えられています。精神的なストレスが急速に動脈硬化を促進すると考えられます。今日、問題となっている過労死も同様です。ストレス解消に心を向ける余裕が突然死をさけることにつながります。 突然死はどんなときに起こるのでしょうか。平成六年度の厚生省の突然死に関する研究では、就寝中がもっとも多く、次いで入浴中、休養・休憩中、排便中となっています。また、突然死の原因でもっとも多い心筋梗塞発作は朝方にピークがあることが知られています。 心筋梗塞の発作には通常、激しい胸の痛みがともないます。心筋梗塞の発症には、前兆として狭心症の発作を何回か繰り返す(不安定狭心症)タイプと、まったく前兆がなく心筋梗塞の発作を起こすタイプがあります。後者のタイプには、以前に心筋梗塞を起こしたり、糖尿病の進行により神経に障害があったりして狭心発作が起きていても痛みを感じない場合も含まれます。心筋梗塞の多くは、狭心症を起こさない程度の軽い動脈硬化がストレス等が引き金となって突然破裂したり裂けたりし、その傷ついた血管に血栓が詰まることで発症することが知られています。 心臓突然死は致死的な不整脈である心室細動が起こり、それが心停止の直接の原因になります。その心室細動を電気的に除去するのが除細動器です。救急医療の現場で心筋梗塞で担ぎ込まれた患者さんに除細動器を使って、直接心臓に一瞬電流を流す療法が行われていますが、この除細動器を小型化し、ペースメーカーのように胸の皮膚の下に埋め込めるようにしたものが植え込み型除細動器です。 |
[ 60] 突然死はなぜ起こる
[引用サイト] http://www.jhf.or.jp/heartnews/hn21.htm
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突然死(とつぜんし、sudden death)とは、症状が出現してから24時間以内に死亡に至ることである。虚血性心疾患、心室性不整脈、大動脈瘤破裂、脳血管障害、てんかん重積発作、喘息重積など死因が特定できるものと、解剖などによっても疾患の特定できない原因不明の突然死がある。死体検案書などに傷病名として記載するとなれば「原因不明の突然死」のみが狭義の突然死となるであろう。 WHOの疾患分類(ICD-10, 2003年度版)ではR95, R96が狭義の突然死に相当する(下表参照)。病理解剖または行政解剖によっても死因の特定されない場合にのみ適用すべきであろう。 急死(きゅうし)とは、直前まで健康そうに見えた人間が、突然死亡することを指す。事故や災害、容態の急変などが原因になることもある。日常用語では、「全く予測していなかった死」や程度のニュアンスであろうか。 突然死とは、似ているがニュアンスが異なる。突然死の原因は、恐らく内科系の疾患がほとんどであろう(例えば心臓の自然停止(心不全)や脳内出血など)。 俗語的に使われるポックリ病も突然死を意味する言葉であるが、青壮年急死症候群の俗称として用いられる場合と、お年寄りが長患いや後遺症を残さず短時間で死ぬことを希求する病態を意味する場合がある(ポックリ地蔵信仰)。後者の具体的な死因としては脳幹部脳出血、急性心筋梗塞、大動脈瘤破裂などが考えられる。家族や他人の手を煩わせずに往生したいという日本人の死生観を反映した言葉である。 心疾患 原因のわかる突然死の中では最も多い。原因疾患としては虚血性心疾患、急性冠症候群、間質性心筋炎、特発性心筋症、冠動脈起始異常などがあげられる。 まず、第一に、臨床経過が非常に短く、更に不明である点が多い。外傷を伴うことが多く異状死との鑑別が必要である。また死後変化(死体現象)があるため、死因の特定はたとえ解剖したとしても困難となる。また、安易に突然死と診断することは犯罪を見落とすことにつながり、社会的に許されない。 少しでも外因死の可能性があれば、積極的に異状死とするべきである。ただし、外傷に関しても取り扱いは極めて難しい。まず、人間といっても身体的素因は個々人異なるため、外傷による死亡とは様々な医療検査が行われている場合でないと言うことは難しい。身体的素因には外傷性変化の現れ方、異常反応の出現の有無などが挙げられる。また、健常人なら耐えられる外傷での死亡、外傷により死期が著しく早められるということも考えられ、判断は非常に難しい。こういったことは死因にならないような外傷による疾病の誘発や進行促進などと考えられているが、実験することができないので難しい問題である。 |
[ 61] 突然死 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E7%84%B6%E6%AD%BB
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突然変異(とつぜんへんい)は生物学の用語で、単に変異とも言う。DNAあるいはRNA上の塩基配列に物理的変化が生じることを遺伝子突然変異といい、染色体の数や構造に変化が生じることを染色体突然変異という。突然変異の結果遺伝情報にも変化が表れる。このような変異の生じた細胞または個体を突然変異体(ミュータント, mutant)と呼び、変異を起こす物理的・化学的な要因を変異原という。英語やドイツ語ではmutationと呼び、この語は「変化」を意味するラテン語に由来する。個体レベルでは発ガンや機能不全などの原因となり、長い目で見ると進化の原動力ともなっている。多細胞生物の場合は、生殖細胞に変異が起こらないと子孫に反映されない。当然進化には影響しない。 突然変異を発見し、命名したのはオランダの生物学者ユーゴー・ド・フリースである(1901年)。ここから進化が突然変異によって起こるという突然変異説を提唱した。 突然変異を人為的に誘発できることを実験的に証明したのはハーマン・J・マラーである。彼はショウジョウバエにX線を照射し、次世代の致死率を測ることにより、理論値から推測した。以降、生物学(遺伝学)では人為的に突然変異を誘導する変異導入により突然変異体を得て、その表現型を観察することで、遺伝子の機能を解析してきた。 遺伝子突然変異は、DNA複製の際のミスや化学物質によるDNAの損傷および複製ミス・放射線照射によるDNAあるいは染色体の損傷、トランスポゾンの転移による遺伝子の破壊などによって引き起こされる。突然変異には、1つのヌクレオチドが別の塩基に変わる点変異や、1つから複数のヌクレオチドが挿入または欠失するものもある。 点変異はコドンの1番目のコードに変異が起きる場合と2・3番目のコードに起きる場合がある。前者と後者の変異がコードの場所に関係なく、一律に起きるならば、2・3番目のコードに変異が起きて翻訳しても対応するアミノ酸が変化しないサイレント変異が1番目のコードの変異より多く子孫に引き継がれていく(第1コードに変異があり、アミノ酸が変化したタンパク質は変異前の機能を保持できないことが多く、このような変異体は生存に不利になることが多いと考えられるため。一方、このような変異が生存に有利となる場合もあり、そのような変異は進化の要因となりうる)。遺伝子をコードする領域以外(イントロン)の変異や、遺伝子内でもアミノ酸配列や転写量を変化させない場合はサイレント変異となる(中立進化説・分子時計を参照)。機能に影響がある点変異は、別のアミノ酸にコドンが変化する非同義変異、アミノ酸のコドンが終止コドンに変わるナンセンス変異、終止コドンがアミノ酸のコドンに変わる読み過ごし変異がある。3つのヌクレオチドで1つのアミノ酸をコードするため、挿入・欠失したヌクレオチドが3の倍数だとアミノ酸の挿入・欠失が起こり、そうでないときはコドンの読み枠がずれアミノ酸配列が大きく変わるフレームシフトなどが起こる。 Adaptive mutation ランダムに突然変異が起きるのではなく、周りの環境に適応していく突然変異。例えば、生物が飢餓状態におかれた場合、それまで利用できなかったものを栄養物として利用できるようになる。 Frameshift mutation 塩基の挿入、欠失によってオープンリーディングフレームがずれてしまう突然変異。 Missense mutation コドン内の塩基の変化または置換により、本来入るべきものとは別のアミノ酸が合成されたポリペプチド中に入り、異常タンパク質が作られる突然変異。 Neutral mutation 自然淘汰に有利でも不利でもなく,中立的な突然変異。(中立進化説・分子時計を参照) tRNAのアンチコドンを変化させナンセンスコドンを認識できるようになり、アミノ酸鎖合成終了されなくなってしまう変異。 欠失 染色体の一部が失われる。-例・・・白いカラス、オレンジ色のモグラ、黒→白になった犬(ラブラドールレトリバー種) ダウン症は21番染色体を1本余分に持つ異数性の例である。種無しスイカは、通常のスイカがゲノムの2倍の染色体を持つのに対し、3倍の染色体を持つ倍数性の例である。 体細胞の突然変異は腫瘍の発症につながることがある。詳しくは悪性腫瘍#がん発生の機序(メカニズム)、発癌性などを参照のこと。 また、細胞や、群れの中の個体が突然変異を起こしたとしても、それが、細胞なら分裂能力、個体なら繁殖能力を持たない場合も多く、変異したものがその個体のみで終わってしまう場合も少なくない。また個体の場合は、繁殖能力を持っていたとしても、必ずしも変異したDNA部分が遺伝されるわけではないので、やはり変異が遺伝されるとは限らない。 この項目「突然変異」は、生物学に関連した書きかけの項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めています。(P:生物学/PJ生命科学) この項目「突然変異」は、医学に関連した書きかけの項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めています(ポータル 医学と医療/ウィキプロジェクト 医学)。 |
[ 62] 突然変異 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E7%84%B6%E5%A4%89%E7%95%B0
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いろいろなことがあります。おひさしぶりです、ビューティーでございます。最近はネットの匿名性が問題視されていますが、匿名でないと言えないこともあるのです。顔の隠れた懺悔室で告白をします。私は、コンビニのレジ袋に、ウンコをしたことがあります。 薄暗い小窓の向こうから、人をバカにしたような笑い声がもれてきた気がしますが話を続けさせていただきます。ただし、どうしてそんなことになってしまったか、またそれがいつの出来事なのかといった細かい事情についてまで、くわしく申し述べる気はありません。人には知っていた方がいいことと、知らなくていいことがあります。ほとんどの人にとって読み書きそろばんを学ぶことは人生を豊かにする上で重要なことですが、全員が相対性理論について知識を深めてディスカッションをする必要はありません。この例えで言うと、ビニール袋にウンコをした経緯や時期の話はどちらかというと相対性理論に近いものです。 さてビニール袋にウンコをしたあの日、私はそれをぶらさげたまま考え込んでいました。処分についてです。想像していただきたいのですが、ウンコの入ったビニール袋をどこに捨てればよいか、というのは意外と難しい問題です。袋ごとどこかに放置するのはテロに近いレベルの迷惑行為ですし、かといってウンコだけをどこかのトイレに流すこともできません。ウサギのウンコのような状態のものであればそういう手段もとれるのでしょうが、その時はそうではありませんでした。どういうことかをくわしく申し述べる気はありません。人には知っていた方がいいことと知らなくていいことがあり、これは相対性理論に近い方のやつです。 ウンコの入ったビニール袋を持ってさまよううちに、仏の教えが脳裏をよぎります。「人間とは皆、糞袋である」 ―― 私という糞袋から生まれた、この手にある糞袋。まさしくこれは我が子でありました。ならば手元に置いておくべきであるとも考えられますが、事態は一刻を争う状況だったのです。最近得た情報によると、コンビニのレジ袋というのはコストダウンのため限界まで薄く作ってあるそうです。そんな豆知識を聞いた時、自分はそれを知っていた、と感じました。くわしくは言いません。相対性理論に近いやつです。 その後、私は自分なりにベストの処分方法を考え、とある場所に糞袋を捨てることにしました。どこなのかは言いません。相対性理論のやつです。捨てた場所をここでは仮に赤ちゃんポストとさせていただきます。赤ちゃんポストに我が子を置いた時、わき上がる罪悪感。責任を全うできない情けなさ。申し訳ない気持ち。それらが一気に私の胸をしめつけました。本当にこれで良かったのか。どうして自分はこんなことをしているのか。なぜこうなってしまったのか。 うつむく私の前方から、光が差し込みました。思わず顔を上げたその時、私は神を見たのです。こんな自分が許されるはずがありません。しかし、神は、ただ、言いました。 「いのりなさい」私の目からは涙がこぼれていました。「いのりなさい」その場から逃げ出したい思いで、私は一心不乱に駆けていました。「いのりなさい」その身体は速度をどんどん増してゆき、とうとう私は光の速さで走っていました。 光の速度で移動する私が見る神の後光。それがどんな形をしていたのか、くわしく申し述べる気はありません。それは相対性理論です。 ばら戦争に出てくる「ランカスター家」って、おいしそうな名前だなあとか思いながらボンヤリ授業を受けてた程度の俺は、世界史という教科自体については特に思うところがない。ちなみに、世界史に出てくる名前で一番おいしそうだと思ったのは「シモン・ド・モンフォール」。たぶん、ふわふわしている。 今回のような問題が起こった原因として、ゆとり教育のひずみ、ということが言われている。本質は、通信教育大手のZ会が何年か前に広告に出していた「ゆとり教育はある。ゆとり入試はない。」というキャッチコピーが端的に表していたと思う。大学全入時代とはいえ、いわゆる「いい大学」に行こうと思ったら、文科省の指示するカリキュラムでは入試に対応できなくなっている。大半の生徒がレベルの高い大学を目指す、進学校と呼ばれるような高校を中心に必修逃れの動きがあったのには、そういう背景があるようだ。 ゆとり教育について個人的に振り返ると、俺が高校生の時に、授業が削減され、毎月第2土曜日が休みになった。すごく嬉しかったので、その時のことははっきり覚えている。 もう、ずいぶんと昔のことです。いつもの通り青空教室に集まると、先生が「今から学習内容を削減する」とおっしゃいました。突然のことでしたのでたいへん驚きましたが、わたくし達は先生のおっしゃる通りに、教科書に墨を塗っていきました。はじめのうちは神聖なる教科書に墨を塗る行為が面白く、皆ではしゃいでおりましたが、先生が次のページも、次のページもと、あんまりすべてのページを塗りつぶすので、ついに級友のひとりが泣き出しそうな声で「先生、先生、これではまるで読むところが無いではありませんか」と言いました。先生は下を向いたまま、「今までの教育は間違っていたのだ」とおっしゃいました。まだ墨塗りは続きました。わたくしの大好きな肉弾三勇士のお話も、兵隊さんよありがとうの歌詞も、円周率の小数点以下も、すべて塗りつぶされました。級友たちは泣きながら畜生、畜生と言いました。先生は下を向いたまま黙っていました。それは夏の暑い日のことでした。抜けるような青空に、真っ黒な教科書が光りました。進駐軍がくれたチューインガムは、ゆとりの味がしました。 捏造された記憶をたどるのはこれくらいにして、とにかく第2土曜日が休みになった頃のことは覚えてる。詰め込み式の勉強ばかりじゃなく、自分の頭で考える力を育てようみたいな、そういう世の中の流れがたしかにあった。で、どこかの新聞が「休みになった第2土曜日をどう過ごしますか」ってアンケート取ったら、「塾へ行く」が一位で、大人がみんな「えー!?」ってなってた。当時、すでにそういう問題は認識されていた。まあ普通に考えて、進学する生徒は受験が控えているのだから、単純に休みを増やしたところで、じゃあ土曜日が休みだからちょっと河原にあつまって相撲でも取ろうか、とはならない。 最近、塾や予備校に通うことのできる生徒と、そうでない生徒の間に学力の差が生まれていて、これは階級の固定につながるのではないかと問題視されてるようだが、ゆとり教育の目指すものがテストの点数ではないのにテストの点数だけを競わせているからおかしいわけで、テストで得点する能力だけではなく他の要素をも育てたいと本気で考えるなら、文科省の言う「生きる力」とやらを伸ばしたいなら、土曜日に相撲を取らせたいなら、いろいろな角度から生徒を評価する基準と仕組みがなければならない。 ただ、そう簡単に評価とは言っても難しいもので、たとえば高校生活の三年間でボランティアを精力的にやっていた生徒を大学に入れてあげますということになった時に、やりたくもないボランティア活動をポイント稼ぎのように行う生徒がたくさん出てきたりすることは目に見えていて、そう考えると、入試科目偏重の教育実態が明らかになった今、文科省や大学側は、前もって告知しない評価基準の採用を検討してくるのではないだろうか。 だから、いま高校生以下で大学に進学しようという人達は、これから先どんな評価基準が採用されるかわからないので、注意しておいた方がいい。とりあえず、入試当日、校門前におじいさんが倒れていたら助けろ。大学の入学式で「あなたはあの時のおじいさん!」みたいなドラマが起こる可能性は、かつてないほど高まっている。 このあいだ、30歳になった。自分でびっくりした。子供の頃から何も変わってない自分が30歳になるなんて、まったく思ってなかった。これでわかったのは、変わっていようがいまいが、すべての人は30年経つと平等に30歳になるってことだ。この発見は、是非とも30歳未満のみなさまに伝えておきたいことです。人は、ほうっておくと30歳になります。 好きでサイトを始めて、毎日更新しようと思っていた時期もあったが、時が経つと気持ちも変わっていくものだ。現に、ページ左のリンクコーナーからリンクしているサイトも、この一年で3つも無くなっていった。 人は、変わっていく。更新を楽しみにしていたサイトは閉鎖し、好きだったバンドは解散し、29歳の中田はサッカー選手としての自分に区切りを付け、昨日ウインブルドン見たらシャラポワの乳首が全然透けてなかった。悲しいことだが、人は変わっていく。また、変わらなければならない。いつまでも同じではいられない。そういうことを思う。 今から15年前、武田鉄矢と浅野温子が主演した「101回目のプロポーズ」というドラマがあった。そのドラマに出てくる、「僕は死にません、あなたが好きだから」とか、「僕は誓う、50年後の君を、今と変わらず、愛している」なんていうセリフは当時の流行語にもなった。人は変わっていくものだからこそ、変わらないものに対する憧れがあるのかもしれない。いま考えると、流行語まで殺伐としている昨今と違って、いい時代だなと思う。 そうは言っても、だ。あなたが好きでも僕は死ぬし、50年後のシワシワの君に、情は移ってるだろうけど「今と変わらず」ってわけにはいかない。ていうか、たぶん今の浅野温子でもちょっとキツい。だいたい、好きで好きでたまらないなんていう時期は、俺に言わせれば、まあ2年だね。いろんな人の話を聞いてても、2年過ぎると、好きだとか、へったくれだとかいうことは二の次になってる。ほぼ例外なく、人の心は変わっていく。あと、余談になるが平成12年以降に101回プロポーズした人間はストーカー規制法によって告訴されている可能性がある。人も変わるが時代も変わる。 自分の命が縮まるのを知ってても、自分の成績を上げるため、自分の技術を上げるために、 限界に挑戦することが悪いことなんだろうか・・??? この問いには様々な答えがあるだろうけど、まず思うのは「OKにすると全員が使わざるを得なくなる」ってことだ。成果を競うスポーツの世界で薬物が容認されたら、「使わない」という選択はハンデになる。 今、北京オリンピックを控えた中国のスポーツ界では、選手の薬物使用が深刻な問題になっている。勝利至上主義が加熱し、コーチが薬物を渡すケースもあるとか。人権が保護されない国では、選手自身が選択を行うことすらできずに犠牲になる場合も出てくるわけだ。選手を守るためには、やはりドーピング規制が必要であると思う。 一年ぶりの更新なので平気で古い話をするけど、そういえば去年の今頃、世界陸上が行われ、400mハードルで為末が銅メダルを取った。力を使い果たし、倒れ込むようにゴールする姿は感動を呼んだ。 倒れてもいいと思っていれば、ちょっと早く胴体をゴールラインに持って行けるんです。足が折れてもいいと思っていました。足は折れても治りますから。 そこまでの気迫であったかと、また感動する。でも、他の選手もみんなそれやるようになったらどうなっちゃうんだろう。全員ゴール後に倒れ込む決勝戦。ゴールライン直後に広がる地獄絵図。オリンピックとか世界陸上ごとに骨折する人続出。そうなったら、これも選手保護のために規制する必要が出てくるかもしれない。 もう常識と言っていいと思う。シャンプーに含まれる界面活性剤は頭皮にダメージを与え、抜け毛・薄毛の原因になる。そんなことはみんな知ってるけど、じゃあシャンプーやめようよ、とはならない。 それはなぜか。もう、おわかりのことと思う。自由競争だからだ。人よりモテようというレースには、規制がない。他人がシャンプーしてるのに、自分だけ汗くさいのはハンデになる。モテたいと思う限り、髪の命が縮まるのを知りながら、身を削ってレースに参加し続けなければならない。このままでいいのか。規制がないことは、自由の代償として際限のない競争を作り出し、格差を生む。 そういう仕組みに気付いたので、もうシャンプーやめようと思う。もしかしたら、これから俺は人より汗くさくなり、全然モテなくなるかもしれない。生物の宿命ともいえるモテ競争を放棄するのは勇気がいることだ。それでもやはり、誰かが歯止めをかけるべきであると思う。 しかも。この格差は、最後に逆転するって話だ。界面活性剤のドーピングで身を削りながらレースを続け、満身創痍でゴールラインへ倒れ込んだ同世代の戦士達が、競技場をあとにして髪の抜けた姿で街をさまよう頃、髪フサフサの俺。 だから、世の女性達には、よく考えてみてほしい。レースは短いが人生は長い。恋をする時期が終わっても、残りが余生ってわけではない。人間は他の生物と違って、繁殖期を過ぎても、楽しいことは、たくさんある。長い目で見て、今ちょっといいにおいだけど競争が終わった途端にみるみる醜く変わっていく男と、今は汗くさいけどずっと変わらない俺の、どっちを選ぶべきなのか。しかも俺は誓う。50年後の君を、今と変わらず、愛している。 |
[ 63] ビューティフル突然
[引用サイト] http://beautiful.s33.xrea.com/
