結構とは?
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某日、カメラが故障したので、購入した量販店へ出かけた。店内は広い。受付のお嬢さんに、「修理を頼みたいが」と窓口の場所を尋ねた。すると、たいへん丁寧な返事がかえってきた。「はい、お修理でございますね。それでしたら、お二階の・・・」。言われた途端、ギョッとした。こちらは「修理(しゅうり)」に来たのであって、「おしうり(押し売り)」に来たわけではないー。 尊敬や謙譲、丁寧を表わす「お」の字。なんにでも「お」をつければいい、というものでは勿論ない。「お野菜」とはいっても「お果物」とはいわない。「おナス」はよくても「おカボチャ」はないだろう。八百屋さんに敬称をつけて「お八百屋さん」では舌を噛みそうである。日本語は難しい。 他日、テレビの情報番組で、日本語の達者な外国人が、京都の古い町家を訪ねる場面があった。家の中まで案内されて開口一番、「結構いいお宅ですねー 「結構いい」では、(存外、思いのほかに)という含意があるから、お世辞にもならない。しかし、この間違いを、外国人の日本語だからーといって笑っているだけでは済まされない。 古語辞典によれば、「結構」という古典語は (〈家などの〉構えを作ること)、また(〈心の中で組み立てる〉計画、立派な準備 )が原義だ。(築き上げたもの、申し分のないこと)で、「結構を尽くす」とか「結構な御太刀」のように使っていた。それが、近世以降、(満足すべき状態)から 「それで結構です」は(それでいい、満足だ)の意、「もう結構です」は(もういい、必要ない)である。「高い」と言わずに 「結構な値段」 (いいお値段)というのは、風刺を利かせた表現。「結構よかった」の「結構」は、副詞的用法の(それなりに)である。日常会話での頻度は結構多い。 (愚かな)から(結構な)へー。上のラテン語が古フランス語の<nice>(愚かな、単純な)を経て 13世紀の中英語に入ったあと、(恥ずかしがり屋の〈15世紀〉⇒気難しい、細かい、贅沢な〈16世紀〉⇒上品な、親切な〈18世紀〉)、のような意味の変遷があって現在に至ったのである。このように、もとはマイナスの意味の言葉が変化してプラスの意味を獲得した例を、専門家は、言葉の”意味の向上”と呼んでいる。例えば<marshal>(司令官)は、語源が(馬+召使⇒馬丁)だった。これとは反対に、”意味の堕落”といわれる例もある。 >(祝福された、幸福な)から変化したものだ。意味の変化は、(幸せな⇒無邪気な⇒哀れな⇒愚かな)のような経過をたどる。<nice>が(愚かな)⇒(結構な)へ向上したのとは逆に、<silly>は(幸福な)⇒(馬鹿な)に転落した語だった。 「結構です」といって切る。しかし、「結構」は 上述のように 曖昧な言葉なので、これからは「間にあってます」と断わった方がいいかもしれない。「格安の墓地を・・・」、「間にあってます !」。「有利な資金運用で・・・」、「間にあってます !!」。「もしもし・・・」、「間にあってます !!!」。 ン? |
[ 104] 結構
[引用サイト] http://www.jttk.zaq.ne.jp/takasho/abc-041-nice.html
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一般に、この言葉が最もよく使われる場面というのは、セールスの働きかけを受けた時ではないかと思う。 私自身、頻繁に掛かってくる子どもの教育関係や、証券会社のセールス電話に辟易し、お互いの時間の無駄を回避すべく、早めにお断りの旨を伝えるようにしている。 この際に「うちは、結構です」と申し上げるのだが、近頃はこれでは引き下がらない方も多く、頭が痛い。 あちらにすれば、それが仕事である。あっさり引き下がっては労働意欲を疑われるのだろうし、好きでそういうセールストークをしているわけでもないのだろうと、時には同情を禁じ得ないこともある。 こちらにすれば、だからこそ、長く話しても商談成立の見込みのない我が家をサッサと切り上げて、関心のあるよそのお宅に、改めて電話するなりしていただく方が、双方のためだと思うのだが。 いずれにしても、できるなら相手の機嫌をなるべく害さずに断ろうとすると、「結構です」という言葉になる。 それが転じて、「十分である様」を表すようになり、「十分であるから、もう要りません」という断りの意を含むようになった。 ちなみに副詞としての用法は、最初に書いた「結構便利である」のように、「ある程度要求が充足されている」状態を示す。 この際、注意がいるのは、形容動詞の最初の用法が「難点の無い様」を示すほどに充足されているのに対し、副詞では十分満足では無いということだろう。 名詞としての用法には、どうも私には馴染みがなく、辞書に依る用例も、古文などに多いようだ。 思うに、名詞の意味であるところの、よく準備して為された成果が、形容動詞の「素晴らしく難点の無い様」に繋がり、ひいては「素晴らしく十分だ」という意味を持つに至ったと考えることができるだろう。 それが副詞になって「十分ではないが」という含みをも持つようになったのは、これまでも何度か述べたように、やはり言葉が使われているうちに次第に手あかにまみれ、本来持つ意味の効果を維持できなくなった結果なのかも知れない。 さて、お断りの意の「結構です」であるが、相手によっては言葉尻を捕らえて、わざと肯定の意味に理解したフリをする輩もいるようなので注意が要る。 こうして改めて再考していて想い出したが、かつては各家庭に御用聞きが訪れていた時代があった。 「結構です」というのと、意味的にはあまり変わらないが、肯定の意味を含みようが無い分、確実に「お断り」の意を伝えることができるのではないだろうか。 |
[ 105] 「結構」
[引用サイト] http://www.geocities.co.jp/Bookend/5607/kokugo/kekkou.htm
