同僚とは?
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NBonlineプレミアムは、日経ビジネス予約購読者の方向け専用サービスです(トップページへ) チームで一緒に仕事をしている同僚のことで相談です。あるプロジェクトを進めているのですが、打ち合わせなどをしている時に、私が彼と異なる意見を言ったりすると、すぐにキレてしまいます。「女性はヒステリックになりやすい」という人がいますが、ヒステリックとは彼のことを言うのでは、と思うほどで、困っています。 私自身はどちらかというと感情をあらわにして話すのが苦手で、会議や打ち合わせをする時は、順序だてて論理的に説明する方です。ただ、私の友人にこの同僚のことを話したところ、「あなたが論理的に話すので、逆に腹が立つんじゃないの?」と言われました。 こういう時は、こちらも感情を込めて(?)話した方が効果的なのでしょうか。普段から、あまり声を荒げたりしたことがないので…。それとも今まで通り、自分のやり方で彼と接した方がいいのでしょうか。 (文具メーカー勤務、33歳、女性) ※Webメンターへのご質問を募集しています。オフィスでの仕事や人間関係に関するご相談をこちらまでお寄せください。性別、業種と年齢もお書き添えください。 仕事をしていると、苦手な人とチームになってしまうことは避けられません。災難ですが、優秀な人は、どんな相手とでも素晴らしいチームワークを発揮します。同僚と建設的な意見を交わしあい、プロジェクトを成功に導くためには、お互いが、仕事上では信頼し合い対話できる状態になることが重要です。 あなたは、相手との間が険悪になっていくのに気づいているのに、淡々と説明を続けていませんか?自分の提案やアイデアを認めてもらうには、相手の心をグッと惹きつけ、共感してもらえるような話し方をする必要があります。 どんな話し方で共感してもらえるかは、相手によって異なります。一律に論理的な説明をするだけでは、提案の趣旨は理解してもらえても、共感が得られないことがあります。まず相手の立場や動機を理解し、相手はどんな考えに基づいてどんな行動を取るのかを考えながら、提案をしたり、場合によっては妥協点を探りながら話しましょう。 私自身も、大声で自分の主張を通そうとしたり、頭ごなしに私の意見はダメだと決めてかかる人と一緒に仕事をしたことがあります。彼には、私の年齢や経験に関する先入観があったようで、話をまるで聞いてくれなかったのです。それまでの自分のやり方では通じないので、どうやって相手と会話できるようになるか必死に考えて対応しました。 いいアイデアでも、第一関門のプロジェクトチームの賛同を得られなければ日の目を見ることはありません。その点では、身近な人に意見を言う時ほど神経を使う必要があります。彼には普段から積極的に話しかけて、自分の考え方を知ってもらったり、逆に相手を知る努力をしました。 企画書なども自分ひとりで完璧に作ろうとせず、相手の意見を取り入れる工夫もしました。相手を良く知っていれば、出方を予測した上で、「ここは、あなたが先日言っていたアイデアを入れようとしたのだけれど、うまくまとめられなかったので、教えてもらえる?」などと言うこともできます。 面倒臭くなったこともありますが、めげずに根気よく対話を続けたところ、半年から1年ぐらいかかって、何とか相手から対等に話してもらえるようになりました。ちょっとクセ者の人だったので、上司からも「あの人に対してよくキレずに、プロに徹して仕事を完成させたね」と評価されました。 相手に合わせて会話をすることは、妥協や迎合とは違います。どうしたらうまく同僚と対話できるのか、頑張って糸口を探してください。誰と組ませてもパフォーマンスを出せる人は、必ず評価されます。決して負けにも損にもなりません。 大学卒業後、三井海上火災保険(現三井住友海上火災保険)、米国での美術館勤務を経て、1995年米シスコシステムズに入社。アドミニストレーター、ウェブマーケティングなどを担当。働きながらMBA(経営学修士)を取得し、インターネットビジネスソリューションズグループ・シニアコンサルタントとして活躍。社内の女性活躍委員長も務める。出産を機に高品質な育児サポートの必要性を感じ、2006年に独立、放課後保育サービス環優舎をスタート。http://www.kanyusha.com/ 次ページ以降は「NBonline会員」(無料)の方および「NBonlineプレミアム」(日経ビジネス読者限定サービス)の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。 上司と部下のコミュニケーション、職場での服装、仕事の進め方…。女性リーダーが抱える様々な悩みに、各界で活躍する女性管理職たちがウェブ上のメンター(助言者、相談相手)として回答する。 |
[ 73] キレやすい同僚と、どうつき合っていけばいいか? (職場の悩みにWebメンターが回答):NBonline(日経ビジネス オンライン)
[引用サイト] http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20061121/114156/
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同じ部内で働く人のメンタル面が悪化していないかを判断するには、どこを見ればいいのだろうか。それを見極めるチェックポイントをご紹介しよう。 きたむら・なおと●1954年、香川県生まれ。東京大学医学部保健学科卒業。同大学大学院医学系研究科修士課程修了後、三菱重工業に心理相談員として入社。 ほとんどの企業で一人ひとりの社員がこなす仕事の量が増え、以前に増して高い成果を上げなくてはならなくなっている。時間と成果に追われる忙しい環境の下で、不安をもたない社員はいないだろう。管理職は、その不安を増幅させるのではなくて、日頃から部下のメンタル面に気を配り、不安感を軽減させてやることが求められているといってもいい。そこで、メンタル面が悪化していないか、それによって意欲が減退していないかを見極めるチェックポイントとして、下の表を参考にしていただきたい。 外側から把握することのできる代表的な兆候としては、以下のようなものが挙げられる。 しかし、こうした表情や様子を見せている部下のすべてが危険な状態にあるわけではなくて、重要なのは「変化」である。部下や同僚が、その人らしからぬ変化を見せたときは、メンタルダウンを疑う必要がある、ということだ。 以前はよく笑っていた部下が急に笑わなくなったとか、健啖家の部下の食が急に細くなったというように、部下の様子に急激な変化が見られたら、メンタルダウンを疑うべきだろう。そして、「変化」と同じく重要なのが、その人らしからぬ変化が「継続」しているか否かである。 いうまでもなく、気分が落ち込むことは誰にでもある。しかし、たとえばうつ病の場合は、その人らしからぬ状態が継続するのが特徴だ。たまたま嫌なことがあって気が滅入っても、翌日には立ち直っていれば、うつ病ではない。 ということになるだろう。では、部下が明らかにこうした兆候を示したら、どのように対処すればよいだろうか。第一に、「彼(彼女)は病気かもしれない」という疑いをもって接すること。第二は、迷わず専門家の手に委ねることである。 仕事の負荷を増やしたわけでもないのに、部下が突然、「ボクはこの仕事をやりとげる自信がありません」などと気弱なことを言い出したら、あなたはどう思うだろうか。 「変だな。あいつの能力が急に低下することは考えられないから、何か異変が起きたか、背後に病気が隠れているのかもしれないな」と判断できるなら問題ない。しかし、多くの上司は「どうしたんだ、元気を出せ、ここで頑張らないでどうするんだ」などと励まして大きな過ちを犯してしまう。 うつ状態にある人を励ますと、元気になるどころか、最悪の場合、それがきっかけとなって自殺してしまうことさえある。それゆえ、部下に急激な変調が見えたときには、まず、「彼(彼女)は病気かもしれない」という疑いをもつことが大切である。そして、うつ状態の部下に対しては、叱責や激励といった常識的な人事管理の手法はタブーであることを認識する必要がある。 第二の、専門家の手に委ねるということについて言えば、これには、社内の体制が関係してくる。メンタルなケアを専門とするセクションの存在を前提としての話だが、まずは、社員全員がそうしたセクションの存在を知っていること、そして、メンタルな問題については、そのセクションが専門家として間違いのない判断を下しているという認識を社内に行き渡らせることが大切だ。 こうした共通認識ができていなければ、上司の素人判断が部下をいたずらに混乱させてしまう恐れがある。最悪なのは、「専門家がどう言っているか知らないが、あまり薬に頼るのはよくないぞ」とか、「そんなもの、根性でやれば何とかなるんだ」などと発言することだ。 病気の疑いがある社員は速やかにそのセクションに委ねるべきである。そうしなければ、上司であるあなた自身にも負荷がかかることになりかねない。 そのほかに、上司や同僚として留意すべきことに、酒を飲ませて叱咤激励しないということがある。アルコールは神経の刺激伝達に影響を与えるため、生理的にうつ症状を悪化させる恐れがある。一杯や二杯ならともかく、無理やり飲ませて「元気を出せよ」と言うのは危険だ。たとえ酒好きであっても、うつ状態の部下に無理やり飲ませるのはタブーである。 部下のメンタルヘルスにとってもっとも有効な上司のふるまいは、暇そうにしていることかもしれない。少なくとも、部下の相談にはいつでものるぞ、という姿勢が大切だ。 そもそも、メンタルダウンを起こしやすい人は、人に甘えるのが下手なのである。困っているのになかなか相談できないでいる。そこで、上司がいつも忙しそうにしていたのでは、ますます相談を切り出すことができなくなる。そんな部下に対しては、上司のほうから「どうだ、うまくいってるか」などと、かけてやるひと言が大事なのである。プレーイング・マネジャーであることを求められるいまの管理職には難しいことだろうが、できることなら、「課長は忙しそうだから、相談はまたにしよう」といった気遣いを部下にさせない上司であってほしいものである。 |
[ 74] 部下、同僚の「意欲減退度」判定シート
[引用サイト] http://www.president.co.jp/pre/20050321/001.html
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近年、教師たちは資質や見識だけでなく、子どもや親との関わりを問い直され、また、教育の専門家として問い直されている。複雑で複合的な問題が、日常的に展開される現場で働く教師には、問題解決能力が必要とされている。 教師は教育の専門家と言われ、また認識しているにもかかわらず、専門家としてふさわしい仕事を達成できているとは言えない。その理由の一つに専門家として育ちあう関係を職場に築けないことがあげられている。同僚と互いに成長し、高め合っていく関係を近年の教育学では「同僚性」と呼んでいる。この「同僚性」こそ、現代の教師に最も欠けている点と言われており、「同僚性」を育むことこそが教師を教育の専門家として自律させ、難解な問題に対処することができるとされている。 そこで本研究では、個人の専門性を尊重し、個人主義を基礎とする協働体制を中心とした集団といえる高校体育教師に着目し、現職高校体育教師の「同僚性」に関する実態と意識を調査するとともに、高校体育教師集団に「同僚性」の関係を育み、教師文化全体の中で捉える必要性を提示することを目的とする。 平成14年12月、M県にて現職高校保健体育教師を対象に「同僚性」に関するアンケート調査を実施した。 このアンケートを基に分析をおこない、現職高校保健体育教師の「同僚性」に関する意識と実態を明らかにしていく。 まず始めに、同僚間での相互の授業実践公開と検討に関する実態と意識を調査した。その結果、現職高校体育教師の約4割が反省的実践家としての専門家観を所持していた。反省的実践家とは、佐藤の提唱した専門家像の一つであり、根拠を科学的な知識や技術に求めるのではなく、実践過程における省察と熟考を通して実践的な見識を求める特徴を持つ。また、この教師像は、教職の基礎を公共的使命に求めているが、官僚的な教育行政に対抗して民主的な自律性を主張し、生徒や親や同僚や他の専門家との共同関係を築き上げて、科学的技術のみでは解決できない複雑で難解な問題の解決に立ち向かっている教師像である。この反省的実践家としての意識は、現実の職場には十分活かされておらず、意識と現実の間には大きなズレがあることがわかった。 次に、学習指導における自主的な活動と研修会から得た情報の活用方法について調査した。結果は、9割強の教師たちが学習指導における自主的なサークルに属していないことがわかった。また、研究会で得た情報の活用方法は、日々の授業実践での援用や他の教師たちとの意見交換に活用しているという結果が得られたものの、特別な場が用意されなければ、学習指導の向上を積極的に図ろうとする意識は低いように思われた。 次に、「教育の専門家」としての専門家観を佐藤の示した「公僕としての教師」「労働者としての教師」「技術的熟達者としての教師」「反省的実践家としての教師」という4つの専門家観に分類した。「同僚性」の関係まで至っていない現状があるにもかかわらず、「同僚性」 の関係が基本となる反省的実践家の意識を持つ教師が多いという結果がここでも読み取れ、理想と現実のズレが生じていることが再確認できた。また、教師の専門性を「得意とする運動種目」という意味で捉えている傾向もみられる。教師の専門性を「教育の専門家」としての「専門家観」で捉えていない背景には、教師相互に高め合う習慣が、日常的に行われていないことがあげられる他、得意とする運動種目を中心としたカリキュラム編成がなされていることにもあると言えよう。 こうした状況を打破するためには「異質な存在」や「異質な文化」に対し受け入れる姿勢が必要である。また、日常生活の中に隠されている様々な事象に対し、利用可能なものへと変換していく力を身に付けなければならないと言えよう。これらが高校体育教師の風習、文化となっていくことで、意識と現実の間に生じるズレを埋めていくことにつながるのではないだろうか。 これまでの結果から、現在の高校体育教師の同僚関係をより明確化するために二軸を用いて(図1参照)表すことにした。同僚性の関係は「教育の専門家」として位置づくことから、横軸を「専門家」の軸とし、脱専門職化から専門職化で表し、さらに、同僚性の関係が意見交換を中心とした「教師相互の関わり」を基盤とすることから、縦軸を脱連帯性から連帯性に設定した。 高校体育教師は、個人の運動の専門性を尊重しあう傾向が強いため、個人主義としての活動を互いに容認している。そして、専門家としての向上を授業実践の参観という形で求めるのではなく、同僚の教育観と自分の教育観とを照らし合わせることで、補充しあう形をとっている。このような関係性を「協働性」と定義し、主に公僕としての教師の性質に近いと言えるのではないだろうか。同僚としての協働性や個人主義は、高校体育教師の文化として確立されており、保健体育科集団としては機能している。しかし、「同僚性」のように互いの成長に対し、積極的に関っていこうとする実体はほとんどなく、理想論のみが先行し、実態を十分伴っているとは言えない。 今後は、個人主義や協働性から「同僚性」への移行を中心とした同僚との関係の形成を目指し、日本の教師文化の全体の中で考える必要がある。そして同僚性としての連携をもたらす教師相互のやりとりの質が問われなければならない。ある問題について相互に情報を提供しあうことから、具体的に支持援助しあったり、授業について考え方を共有しあったり、共に授業づくりを考え省察しあう関係まで、さまざまな関係性を築く必要があると言えよう。専門職としての教職が、他の職業と異なるのは、計画や省察での話し合いを重視する点であり、会社組織のように、異なる役職の視点から評価するのではなく、一人ひとりが対等に自立した専門職として計画し、省察する点にある。こうした授業づくりや授業検討の場で、教師相互が共有する問題は、知識や信念だけでなく、そこでの教師同士のやりとりを媒介する出来事や言葉などの道具が、教師文化の中で絶えず、当たり前のように行われる同僚性の形成こそ、これからの日本の教師文化に拡がることが望まれる。 |
[ 75] 高校体育教師の同僚性に関する一考察
[引用サイト] http://www.cc.mie-u.ac.jp/~ln20104/kouiti.htm
