飛び入りとは?

2 :ふなや ◆j9VfFUNAYA :2007/11/29(木) 22:56:50 ID:Twl+tHLw0*** ル ー ル *** 投票する前にルールの再確認をお願いします。! 1人1日1票が大原則です ! ※ 2日間別々に投票した場合2票とも有効となります。 同日2票の投票は無効となりますのでご注意下さい。 <<ゴースト名>> の形式で、指定された投票スレに書き込みをして投票します。(半角の不等号二つずつ) なるべく使用している回線の形式(ダイヤルアップ、ISDN、ADSL、ケーブル、光回線など)を添えてください。 <<>>, << >>, ≪≫, 〈〈〉〉, 《》は集計プログラムの都合上、無効になります。 ゴースト名について、エントリーで使用されている以外の表記は無効になる場合があります。 (ただし、判別が容易なものはなるべく受け入れます。<<○○たん(さん)>> 程度ならまず有効です。) 誤字・誤植等も、判別できる範囲で有効になります。 ただし、再投票は行わないでください。訂正する場合は括弧無しでお願いします。 誤投稿は運営スレッドにレス番号を添えてご報告ください。 あからさまな多重投票、集団票は、原則として全て無効とします。 投票の際、できればゴーストへの想いを添えてお願いいたします。
17 :鈴風☆風鈴:2007/11/30(金) 00:31:09 ID:42qeGh4Q0【ゴースト名】<<島根の回し者>>【配布元URL】http://huuryuu.bake-neko.net/ukagaka.html【その他】田舎人の田舎人による田舎人や都会人のためのゴースト。軽くですが、方言で喋っています。苦手な方はこれを機に克服してみては?島根の事だけではなく聞けば他の県のことも独断と偏見とイメージのみで語ります。他、詳しくは配布元で説明しております。
42 :任意たん:2007/11/30(金) 07:28:33 ID:SwlI1k6c0とりあえず仕事行く前に一票。<<M.o.A>>思わず「このやろう」と小突きたくなります。憎めません。クーリングオフすんぞ と思ったら右クリックメニューで先手を打たれていて吹いた。
44 :任意たん:2007/11/30(金) 07:46:42 ID:S2TfRfpI0<<世界はうにゅうの夢でできている>>なんという壮大なスケール。この壮大にして衝撃なる真実を前に私は涙を禁じえない。……とか書こうと思ったら、こっちのが微妙にスケールでかかったw<<ウ宙やばい>>ちょうどパソコンの壁紙と同じで吹いたwADSLから。
58 :任意たん:2007/11/30(金) 18:22:11 ID:yvuQQV0I0<<島根の回し者>>…島根はホント良い所ですよw一度でも住んだ事のある人なら絶対オススメ。島根ネタ満載で非常に楽しませてもらいました。光なのです。
66 :任意たん:2007/11/30(金) 19:56:59 ID:U2cw1zwA0<<3-d>>優しくてせつない。一通り見終わってからしばらくスーと犬2匹の気持ちについて考えてばかりいました。モードが沢山わかれてるのにそれぞれトーク数が多いのもすごい。1〜2回起動しただけだと内容がわからないので、まだ見てない方は何度か「起動>トークを見る>終了」を繰り返してみるのをお勧めします。ADSLです。
71 :任意たん:2007/11/30(金) 21:46:50 ID:tNc7FiHE0<<ウ宙やばい>> ADSL何がなんだか判らないうちに去っていった…。起動中のソフト停止だの一時キャッシュ削除だのやってPCの動作を軽くして入れなおしてみた。壮絶に吹いた。こーいうの大好き!
87 :任意たん:2007/11/30(金) 23:13:01 ID:eLCExO7M0光です。<<M.o.A>>まだ投下されたゴーストをぜんぜん試せていないのですが今日の票はこの娘に投じさせていただきます。トークに勢いがあって良いですね。とにかく可愛い。
90 :任意たん:2007/11/30(金) 23:25:09 ID:IgNj9ZnU0<<ラベンダー畑へ>>言葉わからなくてドキドキした。雰囲気が気に入ったので一票あーばんくろう 逃げるのかわいいな世界はうにゅうの夢でできている うにゅうDいいようにゅうDスリランカメイド・あすか ずっと居てくれF U Y U M O I 隣で呟いてるのがいいよまおだん! 出てくる奴全員気に入ったいなアレ ニュッて生き物指先まで神経が行き届いてると美しくね!?忍法オウム返し 声付き楽しい
99 :すし〜 ◆rYTUGuNABU :2007/11/30(金) 23:47:59 ID:auwqFw7w0<<ウ宙やばい>>とんでもないインパクトゴースト!飛び入り賞のように短時間で多数のゴーストをインスト・拝見する際にその短時間でも充分に票を入れたくなる演出がウマイと思いました^^某秋田のホテルの無線LANよりー。# 何とか投票が間に合いましt

[ 92] 飛び入り賞投下・投票スレッド
[引用サイト]  http://nar.jpn.org/test/read.cgi/carnival/1196344593/

日本での飛び入学は、数学・物理分野に限ってたぐいまれな才能があると認められた学生について、高校3年を飛ばして大学に入学できるというものです。また、いくつかの大学で飛び級もはじまっており、学部と修士課程を5年間で一貫教育するコースも設けられるようになりました。ただし、まだはじまったばかりなので、アメリカやイギリスの飛び入学制度とくらべるときわめて限定的なもので、飛び入学が認められる学生も千葉大学で毎年3〜4人と限られています。文部科学省としては、様子を見ながら飛び入学を拡大していく方針を出しています。
こうした英才教育は、塾や予備校で行うぶんには人好きずきなので他人がとやかく言う問題ではありませんが、学校で行うとなると事情が違ってきます。学校教育は誰もが公平に自分にあった教育を受けることのできる場であるはずなので、特別に優秀な生徒や学生に特別コースを設けることはこの原則からはずれることになります。そこで、この回は学校という場で飛び入学が行われることの意味に焦点を当てて考えることにしました。
(個性や独創的な才能・アイデアは求められない。むしろ独創性やユニークな個性はじゃまになる。)
・集団生活や規律の重視 → 特別な才能をのばすことよりも集団のなかでうまくやっていけることを重視
・1980年代から欧米で特許権を重視する傾向が強まる、基礎技術やアイデアのモノマネはダメ
日本の大学で学ぶ留学生がしばしば口にする言葉=「日本の学生、勉強しないネ」
*反論* テニス教室やスイミングスクールでは、テニスや水泳がうまくなりたい人だけが通っている。また、レッスンを受けても上達せず、自分に向いてないと思ったらいつでもやめることもできる。しかし、現在の日本の学校はそうではない。高校がなかば義務教育化し、本人の希望に関わりなく否応なく学校に通わされる日本社会では、学校をスイミングスクールやテニス教室と同列に考えるのは無理がある。日本の若者たちはすでに高校受験で学力別に振り分けられており、学力の低い学校では生徒の多くが学ぶ意欲や自信を失ってしまっている。生徒が荒れていて授業ができない学校もある。学力別クラス編成や飛び入学の導入はこの傾向に拍車をかけることになる。いま以上の学力別振り分けは、効率良く技能を身につけられるというプラス面よりも、生徒のやる気を失わせるというマイナス面の方が大きいのではないか。
→ 大学教育の専門化が進んでいるアメリカでは、学生の社会常識の欠如がしばしば問題になっている
・社会常識の調査で約半数の学生が「第2次世界大戦でアメリカが戦った国」を「ソ連」と解答
→ 特別コースにお金をかけるよりも、30人学級や20人学級を実現して生徒全員にきめ細かい指導を
学校教育はすべての子供や若者に平等にあるべき。英才教育がやりたいなら塾や予備校でやればいい
【課題】 日本で飛び入学や飛び級を積極的に導入することの問題点を指摘した次の主張を読み、あなたの考えを述べなさい。
2000年からはじまったOECDの国際学力調査では、毎回フィンランドが1位になっている。そのため、フィンランドの学校には、日本をふくめた世界各国から大勢の査察団が訪れている。フィンランドの学校は、日本とはずいぶん様子が異なっており、受験競争はほとんどなく、クラスでは、生徒同士の競い合いよりも、助け合いのほうが重視されている。そのため、教室では、その科目の得意な生徒が他の生徒に教える場面がしばしば見られるという。また、生徒みずから調べて発表するスタイルの授業に力を入れており、その中で資料の活用の仕方や上手な表現方法を学べるように教師が個別にアドバイスしているとのことである。授業の時間数はむしろ日本よりも少ない。こうした学校教育の背景には、学ぶことは視野を広げ、心を豊かにするという北ヨーロッパ的な個人主義の価値観がある。学ぶ原動力が競争ではなく、自らの能力や意識を高めることにあるため、学力に問題があると教師から指摘された場合には、生徒みずから留年を希望するケースも少なくない。留年はペナルティではなく、学校教育を効果的に活用するための手段という考え方が定着しており、留年を選択をした生徒は「落ちこぼれ」とはみなされず、むしろ「意欲がある」と評価される。そのため、医師や弁護士のような専門職に就いている人々にも留年経験者は多い。こういう社会ならば、飛び入学や飛び級も自分を高めるひとつの選択肢として受けとめることができる。
しかし、日本では、学ぶことを学歴を得るための手段、競争に勝ち抜いて高い社会的地位や収入を得るための手段とみなす傾向が強い。「受験のため」「就職のため」「資格のため」といった「○○のため」に学校へ通っているという意識が強く、学んで何かに気づいたり考えたりすること自体を楽しいと感じている若者は少ない。近年、しばしば指摘されている「学力低下」についても、学ぶ楽しさを伝えることより、競争を活性化させることで学力低下の対策にしようという主張が多数派を占めつつある。こうした競争原理が学ぶ原動力になっている社会で、飛び入学や飛び級を積極的に導入した場合、それは「自分を高めるひとつの選択肢」とは認識されず、「人よりも先に進む手段」として、進学競争をあおることになるのではないだろうか。現在の日本の飛び入学制度は、「たぐいまれなユニークな才能」を対象とした研究者育成コースとして位置づけられているが、東大をはじめとしたエリート大学で積極的に導入され、学力上位者を対象に飛び入学や飛び級が適用されるようになった場合、「人よりも先に進む手段」として潜在的な希望者は多いのではないだろうか。
すでに現在、日本の高校生は学力別に序列化された高校へ振り分けられており、学力の低い高校では、多くの生徒が「どうせ自分は」という挫折感を抱いている。さらなる競争の過熱化は、敗者には挫折感と社会への不満をもたらし、勝者には次は負けるかもしれないという不安からさらなる競争をもたらす。いましていることを楽しむことができず、常に「○○のため」に備えねばならない状況は、この社会では一生続いていくことになる。こうした競争のプレッシャーが強い社会では、勝った者も負けた者も自分のことで精一杯で利己的になり、共に社会を支えていこうという意識が失われてしまうのではないだろうか。たしかに、活発な競争は産業の発展には効率的かもしれないが、競争原理だけでは、ひとりひとりがより良く生きていくことは難しいのではないだろうか。
文部省は、現在は数学と物理に限定している高校2年生対象の「飛び入学」制度を、スポーツや芸術をはじめその他の教科にも広げる方針を固めた。首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が提言している「大学入学年齢制限の撤廃」を受けたもので、「特異な才能」を幅広く見いだすのが目的。学校教育法施行規則などの改正も含めて検討し、早ければ2002年度からの入学生を対象に大学の判断で実施できるようにする。年内にも中央教育審議会(中教審)に諮る考えだ。……中略……このため、文部省は「千葉大での実績を見ても、特に問題はない」(同省幹部)として、分野を広げることにした。具体的には、美術などの芸術分野やスポーツ分野。さらに生物や化学など理科系科目や将来的には国語や歴史など全分野の幅広い科目を想定している。対象年齢は、当面、高校2年を維持するが、段階的に引き下げていく方針だ。教育改革国民会議は、9月22日に公表した中間報告の中で、一人一人の資質や才能を生かすために、これまでの一律的な教育を改める必要があるとし、現在、原則として18歳以上とされている大学入学年齢制限の撤廃を提言。義務教育終了後に、優れた才能がある生徒を大学に入学させることができるよう求めている。
文部科学省は、高卒者や大学入学資格検定(大検)の合格者らに限って認めてきた大学入学資格の要件を撤廃する方針を固めた。外国人学校の卒業者の進学機会拡大を求めた総合規制改革会議の答申を受けた措置で、早ければ来年度入試から、各大学が個別に入学出願書類などから資格の有無を判断する形に改める。これにより高校中退者や外国人学校の卒業者が、大検を受けなくても大学を受験できるようになり、進学の道が大きく広がることになる。
大学入学資格は現在、文部省令によって、高校卒業者のほか、海外で12年の学校教育を受けた者や大検合格者などに認められている。しかし、インターナショナルスクールや朝鮮人学校など国内の外国人学校は日本の「学校」として認められていないため、卒業しても大検に合格しないと大学入学資格を得られなかった。
総合規制改革会議は昨年12月、国内に長期滞在する外国人の子供らの進学機会を拡大する必要があるとして、インターナショナルスクールで一定水準の教育を受けた者に大学入学資格を認めるよう答申した。答申を受け文科省は、大学入学資格の緩和を検討。「大学が独自の入学資格審査で高卒と同等以上の学力があると認めた18歳以上の者」に対し入学資格を与えることになり、省令を改正する。これによって年間数百人のインターナショナルスクールの卒業者、約1000人の朝鮮人学校高等部卒業者のほか、年間11万人に上る高校中退者や、不登校などで高校に入学できなかった中卒者らも、大検を受けずに大学を受験できる道が開かれる。特に高校中退者は大検出願者の6割(約2万人)を占めており、9〜10科目に合格する必要がある大検の免除は、大幅な負担軽減となる。
外国人学校卒業生については、これまでも公私立大の多くが独自の判断で受験を認めていたが、今後はこれが正式に認められ、国立大でも受験を認めるところが増えるとみられる。大学院についてはすでに99年から、大学を卒業していなくても入学できることになっている。 【澤圭一郎】
高校三年を飛ばして大学に入学する「飛び入学」を千葉大が導入して七年。当初は「導入例が相次ぐ」との観測も流れたが、現時点で追随したのは名古屋にある名城大だけだ。学生からは「専門研究が早く始められる」など支持する声もあるが、そのための特別な教育プログラムを組む大学の負担は大きく、今後も急速には広がりそうもない。
名城大では名古屋市天白区のキャンパスにある「総合数理教育センター」が飛び入学で入った学生を担当する。百円ショップの品ぞろえの変化を中国の経済発展と関連づける、言葉を略す若者の四文字言葉を関数に置き換える……。毎週土曜の午後には飛び入学生向けの特別ゼミがある。
時には民間企業の役員やアフリカの駐日大使を招き、流通業界の現状、国際協力などをテーマに講義してもらう。分子の解析などに威力を発揮する世界最大の放射光施設SPring―8(兵庫県)なども見学に行った。
センター長の四方義啓教授は「数式が解けるだけの学生にはなってほしくない。受験偏重で過ごす三年生の一年間を有効に使い、なぜ数学を学ぶか考え、様々な分野の人と交流して新たな考えに触れる機会にしたい」が持論。数学から物理学、言語学、心理学などまで、互いに関連づける特別な教育プログラムを採用している。
千葉大も受け入れ窓口の「先進科学教育センター」を設置、飛び入学生のためのゼミなどを開いている。各学年に担任を二人置き、授業の選択方法から私生活まで学生の相談に乗る。
両大学とも「常に教員が身近にいて疑問を解消してくれる」特別態勢を組むが、その分、大学への負担は大きい。高三の一年分が抜け落ちたために英単語や数学などの一部が不足、ギャップに苦しみ体調を崩す学生が出たこともある。
第一号の千葉大には、多くの大学関係者が見学に来た。だが「高校との連携や大学全体での支援など様々なケアが必要なことを説明すると急速に興味を失う」と担当の大高一雄教授は打ち明ける。大学教員は研究成果を求められるため「教育に時間を取られ過ぎることが二の足を踏ませる」というのだ。
欧米では単純に早く入学させるだけで特別な教育は施さないが、日本ではどうしても「エリート養成」と受け取られ、大学にも学生にも無言のプレッシャーがのしかかる。
米国留学中のあるOBは「自分をできるだけ伸ばそうと周囲が手助けしてくれた」と受け入れ態勢を評価するが、大学院に進学した男子学生は「常に監視され居心地が悪かった」と振り返る。社会人となった卒業生は「ぶざまな成績は残せないと思った。今も『飛び入学のくせに』と言われない努力はしている」といい、「期待し過ぎない環境づくりも大切」と指摘した。
様々な課題を抱えながら、飛び入学経験者は年々増えていく。スタートして四年の名城大は十五人が在学。現在四年の一期生には東大大学院からもお呼びが掛かる。千葉大には今まで計二十六人が入学。OBは米マサチューセッツ工科大、東大、京大など国内外の大学院に進学したほか、一部は社会に出始めている。
二〇〇五年度には成城大(東京)が英文学科に飛び入学を導入。広島大(広島県)と長岡技術科学大(新潟県)は中期計画に導入の検討を盛り込んでいる。
しかし「あくまで選択肢の一つというコンセンサスが本人や周囲にあればいいが、広がればまた序列化が始まり混乱を生む」と、飛び入学生を送り出したことがある麻布高校(東京)の増子寛教諭。一挙に広がる土壌はできていない。
飛び入学に当初から反対の立場だった数学者の一人、藤原正彦・お茶の水女子大教授に大学入試の課題などを聞いた。
自然科学で最も重要なのは美しいものに感動する「情緒力」で、数学的なテクニックじゃない。幼いころの砂場遊び、野山を走り回る、小説に涙する、失恋するなど、あらゆる経験がそれを培う。国は効率的に育てようというが、スキップして数学だけ学んでもうまくいかない。
もし東京大、京都大など主要大学が飛び入学を導入すると、逆に新たな競争を生み、情緒力を養成する初等中等教育がズタズタになる。
高校三年の受験勉強は確かに情緒力養成には役に立たないが、だから摩耗しないよう飛び入学で救うというのは論理のすり替えだ。重要なのは高校三年の教育の改善。くだらない受験勉強を強いる大学入試改革が必要で、責任は大学にある。才能ある一部を救って、多くが犠牲では済まない。
今春の入学者は10人で、制度開始から10年たった現在までの累計でも72人。当初は「大学改革の起爆剤」と期待されたが、制度を導入した大学も6校にとどまる。高校2年生に限定している対象を拡大するかどうか検討していた文部科学省は、こうした状況を受け、拡大を見送る方針を決めた。
今春、飛び入学での入学者がゼロだった昭和女子大(東京都世田谷区)。2005年度に飛び入学を導入して以降、志願者はいない。「門戸を開けておけば、いつか入ってきてくれると思うのですが」と担当者は話す。
エリザベト音楽大(広島市)は、導入から3年目の今春、初めて1人が入学した。「優秀な人は東京に行ってしまう。飛び入学は、才能のある人を早く確保できる制度で、地方の大学にとって生き残り策の側面もある」と説明する。
飛び入学は1997年、「横並び教育を脱却し、子供の個性、能力に応じた教育を行う」という理念の下で始まった。導入当時は、「優秀な生徒の青田買いにつながる」などの懸念もあったが、大学間の競争が激化するにつれて、「大学のアピールポイントになる」として注目された。
しかし、飛び入学での入学者はここ数年、10人前後で横ばいが続く。累計の入学者数も、98年度に制度を導入した千葉大(千葉市)は47人、01年度に導入した名城大(名古屋市)は21人だが、05〜06年度に導入した会津大(福島県会津若松市)では2人、成城大(世田谷区)、エリザベト音楽大は各1人にとどまっている。今春の入学者も、千葉大が6人だった以外は1〜0人だった。
文科省の調査によると、飛び入学の導入を検討している大学は04年度には29校あったが、06年度は5校に減ってしまった。
同省は飛び入学制度が普及しない要因として、〈1〉個人や大学へのメリットが明確でない〈2〉条件の「特に優れた資質」の判定が困難〈3〉飛び入学で大学に進むと高卒の資格が得られず、大学を中退した場合、中卒資格になってしまう――などを挙げる。そして、「飛び入学制度はまだ評価できる段階にない」として、当面、対象を拡大しないことにした。
千葉大で制度の導入にかかわった上野信雄・同大教授は「飛び入学は、国を担う人材を育てるために必要な制度。早く専門分野を学ばせることで、才能が開花する生徒がいることを知ってほしい」と話している。
経済協力開発機構(OECD)が昨年実施した国際的な学習到達度調査の結果が7日、世界同時に公表された。41カ国・地域の計約27万6000人の15歳を対象に、知識や技能の実生活への応用力をみるテストが行われた。日本は、前回(00年)8位だった「読解力」がOECD平均レベルの14位まで低下。「数学的リテラシー(応用力)」は前回の1位から6位になった。文部科学省は日本の学力について初めて「世界のトップレベルとはいえない」との表現を使い、厳しい現状認識を示した。
「科学的リテラシー」は前回同様2位で、今回から実施した「問題解決能力」は4位だった。文科省は今回の結果について「日本の学力は上位にある」としつつも、特に落ち込みの目立った「読解力」に対応するため「読解力向上プログラム」を来夏までに策定すると表明した。
読解力は、文章や図表を理解して利用し、熟考する能力と位置づけられ、設問は計28題。1位のフィンランドの平均点が543点で、日本は498点。前回に続いて参加した国の中では、前回に比べ最悪となる24点の減になった。習熟度レベルの高い(得点の高い)グループは前回並みだったものの、習熟度レベルの低いグループで落ち込みが大きく、学力格差が広がった形だ。
今回、数学は重点的に調べた分野で、85問を出題した。1位香港の550点に対して日本は534点(前回比23点減)だったが、同省は「誤差を考慮すると統計的には香港と差がない」と説明している。
テストにあわせて行ったアンケートの結果、数学について「授業が楽しみか」「内容に興味があるか」など関心を聞いた質問項目すべてで、日本の生徒は肯定的な答えがOECDの平均以下だった。「数学を日常生活にどう応用できるか考えている」と答えた生徒はわずか12.5%で、平均の53%にはるか及ばなかった。
〈経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査〉 アジア・欧州・北米・中南米・オセアニアにまたがる加盟国を中心に、四つの非加盟国を含む32カ国が参加し、00年から始めた。2回目となる今回は、トルコなどが新たに加わった。知識量ではなく、将来、社会生活で直面する課題にその知識を活用する力があるかどうかをはかる。各分野の得点は、OECD加盟国の生徒の平均得点が500点になるよう換算してはじき出す。日本では、無作為に選ばれた約4700人が約2時間のペーパーテストを昨年7月に受けた。 (12/07)
昨年12月に公表された国際学力調査(PISA2003)でクローズアップされた日本の学力低下問題。その調査で上位になったフィンランドの教育庁が今月10、11の両日、「フィンランドが好成績を修めた要因」と題する国際セミナーをヘルシンキで開催した。セミナーで成功の要因として強調された「現場への思い切った権限移譲」は、日本も教育改革のゴールに据える。一方で、学力テストの方法などは日本と正反対の路線だ。セミナーを紹介しつつ、フィンランドと日本の教育システムを比較してみた。
30カ国以上から集まった約130人の参加者に、フィンランド教育庁のリッタ・ランポーラ氏は同国の教育システムが「地方自治体と学校への信頼」で成り立っていることを強調した。
フィンランドで教育の分権化が始まったのは85年ごろから。日本の学習指導要領にあたる国のカリキュラムは、70年には義務教育段階で約650ページの厚さがあったが、94年には100ページほどまで削られてガイドライン的なものになった。自治体と学校は、このカリキュラムに基づいて、自前の「指導要領」をそれぞれ作っている。
4年生を受け持つミッコ・アウティオ先生が見せてくれた1週間の時間割りには、教科が書き込まれていない「×」印が11カ所もある。週間授業時数の約4割を占める。「この×印のコマは、児童の理解状況に応じてやりたい教科を弾力的にはめ込む。明日は、英語を3時間連続でやることになると思う」とアウティオ先生は話した。最近は、こうした柔軟な時間割りを導入する教師が急速に増えているという。
また、80年代後半には今も英国で行われているような学校査察制度を廃止した。その代わりに、学校の状況を把握するために全国学力テストを導入している。ただ、日本が来年度以降に導入するような学年全員を対象とするものではなく、一定数を抽出して実施し、その結果も全国平均を公表するだけだ。全数調査をしない理由について、ランポーラ氏は「地区によっては教育困難校もある。条件が違うのに学校をランク付けしたくない」と、過度な学校間競争を避けていると説明した。
PISA2003で特に日本が振るわなかったのが「読解力」。日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均並みの14位で、フィンランドは1位だった。国語だけでなく、他の教科の記述式問題の弱さも課題となっており、文部科学省は、フィンランドが進めた国家プロジェクトを手本に「読解力向上プログラム」を策定中だ。
フィンランド政府が01〜04年に実施したプロジェクトは、「ルク・スオミ(読み書きするフィンランド)」。この中では、すべての教科を通じた読解力の改善や、学校と公共図書館の連携などが掲げられた。
フィンランドで読解力が重視される背景には、大学入試の内容も影響しているようだ。大学に進学するための「資格試験」で必修の国語の試験で課されるのは2本の小論文。数学や一般教養の問題でも知識だけを問うのではなく、自分の考えをまとめて表現することが重視される。
「アラビア基礎学校」でアウティオ先生が作った生物のテストを見せてもらうと、穴埋め問題はほとんどなく、記述式の問題が大半だ。「児童は書くのをおっくうがるが、どれだけ理解したかを知るには書くことが一番だ」と話す。
中学1年生に国語を教えるマルケッタ・マケラ先生も月に一度は近くの図書館に生徒を連れて行く。「読むこと、書くことがすべての教科の基礎。創造的な内容や論理的な文章を繰り返し書かせている」という。
文科省もフィンランドの成功を踏まえ、教科を超えて読解力の向上を目指そうとしている。そこで、策定中のプログラムの原案では、対象は国語だけでなく、理科や社会、美術、音楽まで及ぶ。
例えば、中3の社会。テキストは、「社員募集」「男性社員募集」と書かれた二つの社員募集広告を並べて、どちらが新しい広告かを生徒に考えさせる内容だ。男女雇用機会均等法という言葉を教えるのではなく、資料からその意義を探る狙いになっている。
昨年末に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)でトップの成績をあげたフィンランドに、日本から注目が集まっている。しかし、その反響に戸惑っているという内容の電子メールが現地の日本人女性教師から朝日新聞へ寄せられた。「フィンランドは日本で言うような意味での教育熱心な国ではない」。調査結果の見方についても、専門家から「正しい分析を」という指摘がある。【忠鉢信一】
最近、男子生徒に「フィンランドはPISAで世界一だったのよね」と聞いた。どの生徒も一様に「特別なことは何もしてない。どうしてだろう」と、不思議な顔をした。子どもたちの学習態度はどうか。たとえば、学校が出す宿題について、子どもの受け止め方は日本とは違う。
一方的に、これをやってきなさいと言っても、なかなかやってこない。しかし、「もっと勉強したい人は、この問題を解いてみたら」などと投げかけると、ほとんどの生徒が取り組むという。
菊川さんの話では、日本のような塾や予備校はない。高校進学は中学卒業時の成績で決まり、自分で卒業成績が低いと思えば、もう一年余計に中学へ通うことも可能だ。その場合、「落ちこぼれ」と言われるどころか、むしろ「長い期間、勉強した」というとらえ方をされる。日本のような受験競争とは無縁だ。
「他人と比較して上か下か、という考え方をしない。私自身、初めてこの国に住んだ中学生のころは、意識の違いの大きさに戸惑った。個人主義が徹底された社会が背景にあるのだと思う」
PISAの発表があった昨年末、菊川さんは日本へ一時帰国していた。外国語として日本語を教える教師のための研修に参加し、日本の教育事情を調べるためにある教育系大学を訪れた。
ある研究者は、フィンランドの学校について「各学校が互いに競い合って特色を打ち出している。現場に裁量を与える手法」という見方をしていた。
00年のPISAでフィンランドが総合的にトップとされて以来、日本から数え切れないほどの視察があった。菊川さんは何度も通訳を務めた。そこでも、特色を出すことが競争につながっていると誤解している人が少なからずいた。
菊川さんは「国はカリキュラムの大枠で目標を定めるだけで、達成方法は各学校の校長に委ねられている」という基本概念を教育省や国家教育委員会で何度も説明され、通訳した。現場への裁量は与えられているが、他の学校と比べて意識的に競い合ってはいない。
フィンランドのヘルシンキ大で講師を務めたこともあり、現地の教育事情に詳しい中嶋博早大名誉教授(81)はOECDが主催した1月の講演で「義務教育世界一と言われるフィンランドは授業時間が日本より少ない。今年の総合カリキュラム見直しでは日本で言う『ゆとりの時間』が増やされる」と指摘し、PISAの結果を受けた「総合的学習」の見直し議論に疑問を投げかけた。
中嶋名誉教授は、PISAが00年に始まった経緯にも触れ、「PISAの調査結果には、これからの教育をどうしていくべきかという処方箋(せん)が書かれている。だからこそ正しく分析しなければ」。これまでの反応を見た限り、誤解があると感じるという。
「日本や韓国が高得点をあげていた従来の国際調査は、詰め込まれた知識量をみるものだった。それを見直して、生涯にわたって学習する能力を身につけているかどうかをみるための指標として始まったのがPISA。だから、暗記や暗唱が中心の教育に戻したり、授業時間を増やしたりする方法では、日本の教育が抱えている課題は解決できない」
授業の組み立て方や教科書の選定など教育内容の大部分を現場の裁量に任せたのがフィンランドの教育制度。中嶋名誉教授は「落ちこぼれをつくらない、というだけでなく、楽しんで学ぶことがフィンランドの教育の特徴」と強調した。
この秋、フィンランドとその隣国ロシアの学校を訪ねた。経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で世界トップクラスを誇るフィンランドでは、子どもたちが自らカリキュラムを作っていた。ロシアでは、ソ連崩壊後、再評価されている文豪トルストイの教育理念が息づいていた。風土や制度は違う両国だが、くしくも同じ一つのことを日本の教育に問いかけているように、私は思う。
現地でまず驚かされたのは、授業が多彩で、教師の指導がきめ細かいことだ。フィンランドの首都ヘルシンキ郊外のイエベンペーン高校には、16〜20歳の約900人が学ぶ。語学はスウェーデン語、フランス語といった欧州言語だけでなく、中国語、日本語にいたるまで12カ国語から選べる。他の選択科目も哲学、心理学など豊富だ。単位制で、習熟レベルに合わせて自分でカリキュラムを作る。年齢による学年分けはない。こうしたシステムを55%の高校が取り入れているという。ある生徒は「自分のやりたい勉強ができるし、宿題に3時間かかっても何とも思わない」と話した。
小学校低学年には、担任のほか、アシスタント教師がつき、語学や算数では習熟度別の少人数授業をしている。「落第」や補習もあるが、マイナスイメージはない。むしろ「勉強熱心な頑張る子」と評価されるのだという。
手厚い教育の背景は何なのか。イエベンペーン高校のアットサー・タイパル校長は「数百年間、他国(スウェーデンなど)の支配下にあった苦しみから、自分たちの文化や言葉を守り続けるには、教育しかないことを国民全体が理解している」と熱っぽく語った。
一方、ロシアでは91年のソ連崩壊後、「教育は教師と子どもの共同作業であり、生きる道を子ども自身に考えさせるものだ」というトルストイの教育理念が再評価されている。その本家本元の学校がモスクワから200キロのヤースナヤ・ポリャーナにあるヤースナポリャンスカヤ学校だ。6〜17歳の187人が通う。
小3の文学の授業。「なぜなのか」「自分の意見はどうか」と教師が子どもたちに矢継ぎ早に問いかけていた。「悲しい気持ちの主人公を幸せにするために、物語の続きを考えよう」という課題では、「人を愛することで自分も愛されるようになった」「大好きな人と結婚して、幸せな気持ちになった」と、子どもたちから豊かな表現が飛び出す。「好きな色と、その理由は」と尋ねられると「バラ色。柔らかくて優しいから」「空色。静かで落ち着いているから」。言葉の豊かさに圧倒された。
その一方で、日本で4年生の私の息子がもらった誕生祝いの寄せ書きを思い出した。クラス全員が書いてくれたが、多くは息子を「おもしろい」「元気」と評していた。息子の読書記録はさらに象徴的で「この本を友だちにすすめる理由」は「おもしろい」の一言。トルストイ学校の子どもとの表現力の差が気になる。
両国の教育から感じたのは「自分で考える力をつける」ということだ。人口が日本の20分の1の520万人しかいない小国フィンランド。ソ連崩壊から14年を経たロシアでは、モスクワの目抜き通りに高級ブティックなどが並ぶ一方で、駅やレストランの公共トイレは便座がなく、物ごいをするお年寄りの姿も目につく。こうしたハンディや混乱からの脱却には「教育あるのみ」という強い意志が伝わってくる。
フィンランドの多彩な選択科目、トルストイ学校の教師たちの問いかけ。子どもたちはこれらのトレーニングを積み重ねることで、自分を理解し、表現する力を養える。「フィンランドでは教師のレベルは非常に高く熱心。社会的にもとても尊敬されている」とはタイパル校長の言葉だ。生徒と教師の真剣なコミュニケーションを通じて、教師は生徒から尊敬の念も勝ち得ているように思う。
日本の出生率は過去最低を更新し続け、人口減が既に始まったと言われる。「子は未来への財産」という言葉はこれまで以上に重く、切実だ。宿題が終わると「次は何をしたらいいかな?」と聞いてくる子どもがいる。親や教師から勧められればするが、自分で見つけることができないのだとすれば、教育がすべきことは何なのか。
「学力低下」への懸念に押され、「ゆとり教育」から再び基礎学力重視へとかじが切られようとしている今、私たちはほんのちょっと立ち止まって、自問してみても損はない。「考える努力」を子どもたちに日々させているかと。まず大人が自ら考える姿を、子どもたちに示したい。(月刊Newsがわかる編集室)
勉強ができてもできなくてもとにかく3年間学校へ来るという考え方は、意味がないと思うからです。勉強ができる人は飛び入学や飛び級をして自分の持っている才能を伸ばしていった方がいいし、逆に、勉強が苦手な人はわからないまま卒業してしまうのではなく、わかるようになるまで留年した方がいいと思います。
飛び入学や飛び級が一般的になったら、勉強はできるけど社会常識がない人が増えるという問題が授業で紹介されていたけど、それは飛び入学の試験を工夫して、「社会のことを考えさせる問題」なんかを出題すれば解決することだ。友達も同じ歳の友達ばかりでなく、飛び級をして違う歳の友達ができるのは良いと思う。日本もアメリカのやり方に学べばいいと思います。
●はじめ、飛び級・飛び入学はやめた方がいいと思っていました。同じクラスに年下の同級生がいるなんて、むしゃくしゃした気分になりそうだからです。
でも、才能のある者がその才能を発揮できるようにすることはすばらしいことです。人間には得意・不得意があります。すべてのことを得意にすることはできません。1つの分野に優れた才能があるなら、それを伸ばすのは良いことだと思います。たとえ「専門バカ」でも、ひとつのことでも誰にも負けないものを持っているというのはすごいことだと思います。
特に数学や物理は若いときに才能を発揮するというのなら、そういう若いときに才能を伸ばした方がいいと思います。飛び級や飛び入学がそのために役立つのならいいんじゃないかと思います。
自分の専門しか知らない専門バカがふえたり、受験競争が激しくなったりするのは嫌だけど、才能のある人がふつうの授業は退屈だというのなら、楽しく勉強できるようにしてあげたいなと思います。
ただ、そういう人たちの学校は別にした方がいいです。飛び入学のできる学校とそうでない学校とをわけて、えらべるようにすればいいと思います。飛び級専門の学校だと、みんな年齢も違うから、飛び級の人たちも孤立することもなくて、やりやすいんじゃないかと思います。
飛び級を目指してがんばることははげみになるし、たとえ失敗してもいい経験になる。そうしたら、みんなもっと勉強するようになると思う。
人には良いところも悪いところもある。勉強が得意な人はそれを伸ばせばいいし、そうでない人は別なところを伸ばせばいい。自分の良いところを伸ばせれば、それが成功なのだと思う。
千葉大学での飛び入学の入試問題に小論文があった。これはいいと思う。暗記ばかりでなく、いろいろ考え、その考えが正しいのか、どうしてそう考えるのかを示すことは大切なことだ。
ただ、飛び入学をはじめる理由が、日本の数学や物理が世界におくれるからというのだとしたらやめてほしい。そういうことよりも、飛び入学・飛び級をはじめることで、どのように私たちに役立つかを考えてほしい。
●優れた才能を持っているのに、年齢にとらわれて退屈な勉強をするのだとしたらかわいそうだと思います。信じられないことに、勉強がすごくできて、勉強するのが楽しい、好き、もっとやりたい、なんて人が世の中にはひとにぎりでもいるのです。私には考えられないことですが、そういう人は飛び級でも飛び入学でもすればいいと思います。
多くの学生は「勉強は嫌いだけど、将来のためにしないわけに行かない」くらいにしか考えていないと思います。普通、そうです。だから、嫌いでもせめてテスト勉強だけはしなきゃやばいという状況で、それはしかたのないことだと思います。
そんな中で自分から学びたいという意欲のある人は貴重な存在です。ひとにぎりでもそういう人がいるのなら、その意欲や才能を伸ばしてあげた方がいいと思います。
人はそれぞれ能力の違いがあります。できる人は速く、できない人はゆっくりと、自分のペースに合わせて進んでいけばいいと思います。
わかってもわからなくても同じペースで先へ進んでいってしまうような学校の授業は間違っています。みんながそれぞれ自分のペースや能力に合わせてしっかり教育を受けられるのが、本当の教育だと思います。
●日本の学校では、「みんな同じ」を考え方の基本にしているけど、これでは一人一人違った才能は伸ばせません。一人一人違う才能や個性を認めずに、無理にみんな同じにしようとするから、いじめもおきるのだと思うんです。みんな人それぞれでいいと思います。
日本はまだまだ考え方がかたい。そういう日本のやり方を変えるために、飛び級は必要だと思います。数学・物理だけでなく、もっと様々な分野へも広げていった方がいいと思います。その方が自分の好きな仕事にはやくつけるし、生きがいも見つけやすくなると思うんです。
もし、飛び級をはじめて社会常識のない専門バカが増えたとしたら、そのときに対応を考えればいい。それに社会常識がないとしても、そういう専門知識のある人たちによって、新発見や進歩がもたらされるとしたら利益の方が大きいと思います。
ひとにぎりのエリートを伸ばすのは学校ではなく、塾や専門学校がやれば良いという批判がありましたが、優れた才能を伸ばすのにわざわざお金を払って塾へ行かなければならないというのは間違っています。そういうことこそ学校の役割だと思います。
同時に、勉強がわからないまま進級していくというやり方も良くないと思います。大人になってから大変だし、先へ進んでますます授業もわからなくなって本人もつらいだろうし。だから、留年も取り入れていいと思う。ひとクラスに色々な年齢の子がいたら、それだけ色々な見方や考え方ができるだろうから、かえって学校も良くなると思う。同じクラスにおじいちゃんがいたら、授業中に戦争の体験談とかも聞けるだろうし、結構おもしろいと思います。
慎重になるのはいいけど、なりすぎると何も新しいことはできません。とりあえず、飛び級・飛び入学をやってみて、そこからまた考えていけばいいと思います。そのとき、また違った日本が見えてくるかも知れません。
才能は一人一人違うし、誰もが持っているものではありません。そういう貴重のものなのだから、どんどん伸ばしていくべきだと思います。
現在、日本の小中学生の学習能力は、昔とくらべて明らかに下がっていると聞きました。昔より塾へ通っている子が多いにもかかわらず、学習能力が下がってきているのはやっぱり学校に原因があるのかなと思います。このまま今までのようなやり方をつづけていれば、ますます下がっていくはずです。そのためにも、飛び級や飛び入学のような学習方法を取り入れるのは良いことだと思います。
ただ、専門知識だけあって常識のない人が増えるのはこまる。だから、専門分野だけでなく、バランス良く幅広い能力があれば飛び級ができるというしくみにするといいと思う。それに、飛び入学した人はまだ子供の部分があるだろうから、予備校や予備学年で慣らしておいてから入学すればいい。
また、飛び入学のものをまわりが特別扱いしたり、仲間外れにしたりするとノイローゼになってしまうかも知れない。この問題は難しい。まわりと自然に仲良くしていくしかないと思う。そのためにもカウンセリングルームはあった方がいい。悩みを相談できるところがなくなってしまうと、どんなに能力のあるものでもつぶれてしまう。
ただ、小中学校は必ずきちんと卒業して、それからなら、高校をとばして大学へ行ってもいいと思います。そうやって自分の得意な分野を伸ばしていって専門家になる……そういうしくみがあっても悪くないと思います。
これからの社会は「サラリーマン」とか「銀行員」ではなくて、専門知識があって資格を持っている人が必要とされるはずです。
それに、未来の社会では公害や汚染物質の問題もひどくなっているだろうし、そういうことを解決して豊かな未来をつくっていくためにも、若くて優秀な科学者が大勢必要になるはずです。
●日本の学校は画一的な教育で、みんなを同じにしようとするから、どんなにその人が優れていたとしてもその才能を伸ばすことができない。その人その人にあったことを教えていけば、勉強ができる人もできない人も授業に退屈しなくなると思う。
あと、勉強ができなくてもとにかく3年間学校に通えば卒業させてしまうという日本のやり方はあまりいいことではないと思う。わからないまま卒業してしまえば、後々、社会に出て働くときや自分の子供に教えるときなど困ることになる。そういうことにならないよう、ゆっくりとでもいいから自分のペースでマスターしていってほしい。そうやってやりとげれば、とてもいい気持ちになるだろうし、心も成長すると思う。そういう中で友達や教師との交流も深まっていくはずだ。
●アメリカの学校とくらべると、ぜんぜん向こうの方が進んでいて、けっこういいなーとか思ったりした。向こうの学校みたいに、悩みを聞いてくれる人がいたらいいと思う。ただ、自分のまわりに飛び級の人がいっぱいいたとしたら、自分だけ取り残されていく感じがして、嫌だなとも思う。
●授業の時、先生に「もし同じクラスに年下の子が飛び級で入ってきたらどうする?」ときかれたとき、私は嫌だなと思う方に手をあげました。理由は、そういう子に「むかつく」「生意気」と感じたからです。私も含めて、勉強が得意でない多くの子はそう思うはずです。それに、そういう多くの子は飛び級の子が入ってくれば、勉強に対する意欲をなくしてしまうと思います。
飛び級が一般化すれば、できる子とできない子の差が広がり、いじめをはじめとしたいろいろな問題が起きると思います。ひとにぎりの頭のいい子だけ特別扱いっていうのも良くないと思います。日本の学校は「みんな同じ」で、個性が育たないかも知れないけど、それで今までやってきたのだから、アメリカのまねをすることはないと思います。
今のように高二から大学へ行けるというところまではまだいいと思いますが、これが小学校や中学校に広がってしまったら、小さい子への受験競争も激しくなるだろうし、友達関係もうまく行かないと思います。
だから、ひとにぎりのエリートを育てるのであれば、塾や専門学校にまかせればいいことで、学校でやる必要はないと思います。
そんなにあせらずにみんなと一緒に勉強すればいいと思います。自分の夢に一直線というのはいいと思いますが、飛び級はやりすぎです。自己中心的な人になってしまうと思います。それに、年下の子がクラスに入ってくればまわりも面白くないだろうから、いじめなどの問題もでてくると思います。
高校時代も中学時代も人生に一度しかないことです。私は飛び入学をするより、今を大事にすごしたいです。飛び入学なんてする必要ないと思います。
色々な人と知り合ったり、色々なことをやったり、クラスで協力したりすることも、大切な学校の役割だし、個性を育てることにもなる。
「画一的な授業では個性が育たない」というが、そういう中でも色々な性格がでてくる。これも個性だと思う。(それに個性はいいことばかりではない。悪いことも個性だ。)
それに、飛び級が一般化されると、親の勝手な英才教育がエスカレートして、幅広いことを学ばなければならない大事な時期が失われてしまい、ゆがんだ子供になってしまう。理数系ばかり勉強して、コミュニケーションができない人間になる可能性もある。
誰にだって得意不得意はある。それが役に立つかどうかは別にして、誰にでも取り柄はある。ひとつの分野が得意なひとにぎりの人たちを特別扱いするというのは差別だと思う。飛び級が一般化すれば、「ばか」と「秀才」とをはっきり分けることになる。今でも受験競争は激しいのに、ますます激しくなって、ストレスが大きくなる。
それに有名な物理学者は、飛び級で才能を育てられて天才になったわけではない。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力を発見したように、ふだんの生活の中で不思議だと思う心を育ててきたのだ。そういう心は、色々な分野を学んだり、興味を持ったりして育つものだ。
アメリカ人にノーベル物理学賞受賞者が多いのは、単純に飛び級のせいではなく、アメリカならではの自由があるからだと思う。
日本は日本ならではの平等な社会を大事にするべきだ。アメリカのまねばかりしないで、日本らしい文化を大切にした方がいい。
みんな同じにしっかり高校3年までやってから、大学へ行った方がいい。いそいで大学へはいる必要はない。ひとつの科目だけできても、他はだめで社会常識もなかったら何にもならないと思う。
それに、違う年齢の人たちと一緒に授業を受けるのはプレッシャーもあるだろうから、才能を伸ばして新発見をする前にプレッシャーに負けてつぶされてしまう可能性もある。そうなったら何にもならない。
●日本の画一的な教育は変えた方がいい。でも、飛び入学や飛び級をすれば本当に変えられるのかといえば、そうではないと思う。
確かに、飛び級や飛び入学によって優れた才能を持った人は育つかも知れない。ノーベル賞を取るほどの学者も育つかも知れない。しかし、だからといってみんなが生き生きとして、学校や授業を楽しめるようになるとは思えない。それは別の問題だ。学校は勉強だけをするところではないという基本的なことを大人は忘れているのではないか。
千葉大学の飛び入学の学生一人につき、二人の個人指導の教官をつけるというのはいいことだ。しかし、そういう指導は飛び入学の学生だけでなく、すべての学生にするべきだ。
●もし自分のクラスに小学生いたら嫌だし、年下の子がいっしょの勉強をしていたら僕はやる気をなくしてしまいます。
逆に、もし自分が飛び入学することになったとしても、友達関係もくずれるし、いじめられたりしそうだから、飛び入学しないで自分にあった歳の学年にいたいです。
だって、高校時代って一番楽しい時期なんだから、勉強ばっかやってないでもっと遊びたいって思う。遊んでばっかりっていうのも良くないけど、勉強しすぎっていうのも良くない。いろんなことをして学ぶことだってあるんだから。
勉強ができるというだけで上の学年へ進んでしまったら、その人は自分よりできない人たちを見下してしまうのではないでしょうか。
たとえ勉強ができても、オウム真理教に信者みたいに社会常識がなくて、変な人が増えたら困るからです。学校は勉強もやるけど、人と人との接し方とか、社会常識とかも大切なことだから、そういうことができないのに勉強ができるというだけで飛び級させるのはだめだと思う。
●飛び入学には良いところも悪いところもあると思います。だから、やっても良いという気もするし、やめた方がいいとも思います。こういう問題は、政府の人だけで決めるのではなくて、日本は国民主権の国なのだから、国民全体で賛成・反対の投票をするのが良いと思います。政府が飛び入学の良い点や問題点、それに外国での状況といった資料を国民に見せて、話し合ったりして、そのうえで投票で決めればいいと思います。

[ 93] 飛び入学と飛び級
[引用サイト]  http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/tobikyu.htm



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