片岡とは?
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片岡 篤史(かたおか あつし、1969年6月27日-)は、元プロ野球選手。京都府久世郡久御山町出身。右投げ左打ちで、ポジションは三塁手・一塁手。チーム内での愛称はツル、あっちゃん。 PL学園高校から同志社大学に入学し、1991年ドラフト2位指名で日本ハムに入団すると、一年目からレギュラーポジションを奪取。その後は独特の打法から繰り出されるヒット・走り打ちと呼ばれる外角球の捌きでビッグバン打線のクリーンナップ(不動の3番打者)として活躍。ホームラン数は21本が自己最多であるものの、東京ドームの二階席まで飛ばすほどの飛距離を秘めた長打もあり、最多四球を2回記録する(その内1回はリーグ最高数)など選球眼の良さは抜群で、リーグでも随一だった。 以後、最高出塁率のタイトルを獲得するなどチームには欠かせない存在となるが、2002年FA宣言し生まれ育った関西の球団である阪神に入団する。移籍した年は不振に陥ったが、翌2003年には勝負強い打撃で復活し、阪神の優勝に貢献した。2004年以降は相次ぐ故障で代打での出場が多くなったものの、2005年には代打で6打席連続安打を記録するなど、「ここぞという時の切り札」として活躍し、この年のリーグ優勝に貢献した。 2006年は関本健太郎らにポジションを奪われ、更に本塁打がわずか1本にとどまる等、相次ぐ故障から打撃不振に陥り、体力的な限界から現役引退を表明した。2007年度からは関西テレビ放送・スポーツニッポンのプロ野球解説者になるほか、日本ハムOBということで、STVファイターズスタジアム解説者として北海道のラジオでも解説を行う(2007年9月29日の千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテ対北海道日本ハム戦は日本ハムのリーグ優勝がかかっていたためSTV製作として片岡が解説を務めて千葉から放送を行い、文化放送を通じてNRN系列で全国放送された)。 PL学園高時代、甲子園1987年春・夏連覇。同期に立浪和義(現中日)、橋本清(元ダイエー)、野村弘(元横浜)ら、1学年下には宮本慎也(現ヤクルト)、2学年上には清原和博(現オリックス)、桑田真澄(現パイレーツ)らがいた。 日本ハム時代から選手会長として、チームメイトを引っ張る立場だった。岩本勉はテレビ番組で「マウンド上でくじけそうになったときも、片岡さんが後ろから励ましてくれて有り難かった」という話を披露している。現在でも東京時代からの日本ハムの選手に慕われている。 今や日本を代表する名打者となった小笠原道大がまだルーキーだった頃、その才能を逸早く見抜いて熱心に指導を行ったのは有名な話で、小笠原本人も「いつも片岡さんの背中を追いかけていた」と語っている。良き兄貴分・弟分としての関係は現在も続いており、小笠原が2006年のシーズンオフにFA宣言し、日本ハムに残留するか巨人に移籍するか迷ったときに、最初に相談した相手は片岡であった。 1999年4月7日の西武戦で、プロ初先発の松坂大輔(現・ボストン・レッドソックス)が155km/hの直球を披露したが、その時打席に立っていた片岡の豪快な空振りは今も有名である。後年、片岡は「松坂は僕の空振りを見て自分のボールに自信がついたんだろう」と冗談交じりに語った。また、この空振りの際に足を痛めたことも、後年になって明かしている。それ以後片岡は松坂を得意としており、2000年6月30日の東京ドームで西武戦の9回裏に松坂のノーヒットノーランを阻止するヒットを打っている。打ったボールは前年空振りを喫した高めのストレートであった。 FA宣言中だった2001年オフ、大阪で通りがかった阪神ファンに「片岡さん、阪神に来てください!」と土下座されて懇願される様子が放送された。 2002年3月17日、甲子園球場で行われた巨人とのオープン戦で、PL学園の先輩である桑田真澄から決勝タイムリーを放ち「こういう舞台で野球がやりたかった」と語った。 ヒッティングマーチの前に演奏されていた日本ハムファイターズ時代から続く「片岡篤史のファンファーレ」があったが、阪神入団後、片岡の実家が紹介されたテレビ番組を見て誤解したファンが、野球とは何の関係もないフレーズに変えて歌っていたことに対し、集中力が萎えるとの理由で演奏されなくなってしまった。(真面目に応援していたファンも、これを公式な歌詞とみなしていたため、誰もが何のおかしさも感じずに真剣に歌っていた。そのため、2003年オフの契約更改の際、片岡自身が初めて公式の場でこの歌詞について不快感を示すまでは、ファンの間でもこの歌詞について何ら問題提起されることすらなかった) 2002年は極度の不振だったが2003年に持ち前の打撃が爆発し、優勝決定戦では同点ソロホームランを放つなど優勝に貢献した。 2006年10月12日の中日戦が引退試合として用意された。この試合に6番サードでスタメン出場し、盟友の立浪が守るレフトを越えるツーベースヒットを放つなど2安打で有終の美を飾った。胴上げには阪神選手の他、中日から立浪和義、谷繁元信、井上一樹、PLの後輩である福留孝介、日本ハム時代のチームメイトである奈良原浩、上田佳範が加わった[1]。立浪、福留は涙を流しており、片岡の人柄が窺える場面でもあった。引退セレモニーでは立浪が花束を贈呈し、片岡と熱く抱擁を交しながら立浪は号泣した[2]。ちなみに落合博満監督や森繁和投手コーチも日本ハム時代に同じユニフォームを着ていた。 関西のテレビ番組ぶったま!では、2007年2月より阪神タイガースの一軍打撃コーチに就任した広澤克実に代わりレギュラーコメンテーターを務めている。 日本ハム入団の際に大学の卒業単位が不足していたが、入団を決意。大学は一年留年し、一年目のシーズンオフに残存単位を取得し卒業した。 1位:上田佳範 / 2位:片岡篤史 / 3位:徳田吉成 / 4位:島崎毅 / 5位:仲光秀記 / 6位:根本隆輝 / 7位:金子貴博 / 8位:高野慎哉 カテゴリ: 日本の野球選手 | 関西学生野球連盟の選手 | 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 | 阪神タイガース及びその前身球団の選手 | 京都府出身のスポーツ選手 | 1969年生 | 久御山町 |
[ 161] 片岡篤史 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B2%A1%E7%AF%A4%E5%8F%B2
