知らとは?

渋さ知らズとは 1989年、劇団「発見の会」の公演の劇中音楽を不破大輔(ダンドリスト&ベース)が担当したことを機に結成。
彼らは、ここ数年のフジロックやライジングサン、また世界中の名だたるフェスに精力的に参加し、聴衆を引き込む圧倒的なパフォーマンスで音楽ファンのみならず、演劇や舞踏ファンまで多種多様な人々を魅了しつづけてきた。
このライブ番組では、その解き放たれたパフォーマンスを、ダイナミックにとらえていく。音楽ってこんなに自由で、楽しいんだ。しかも、そうすることによって、こんなにグルーブが生まれ、聴いたこともない魅力的な音ができていくんだ、ということを伝えたい。
また、彼らのライブに加えて、メンバーの素顔や、リーダー不破大輔氏の存在、ステージ作りの模様、ヒストリー、バックステージドキュメントなどを織り込んでいく。渋さ知らズのファンはもちろんのこと、彼らのことをまったく知らない方にも是非ご覧いただきたい。
音楽を奏でることは、人間の本能に近い部分で、気持ちと身体が一体となり、決まりごとなどなく、なされていくことのような・・・
ただ、今の世の中、なかなかそんな風にできるミュージシャンはいないし、環境もない。周りのスタッフのためにも、段取りは事前に決めておく必要があるし、お客が落胆しないように演奏しなくてはいけない曲はあるし、何よりもミュージシャン自身がそうはいかない。
そんな中、渋さ知らズは、出演する人数も曲順もライブ当日にならないと決まらない。ライブが始まったら始まったで、お互いの呼吸で如何様にも変わっていく。ステージ上のミュージシャン、パフォーマーは、本当に生き生きと動く。まるで、解き放たれたかのように・・・
渋さ知らズとは 1989年、劇団「発見の会」の公演の劇中音楽を不破大輔(ダンドリスト&ベース)が担当したことを機に結成。その後、メンバーの増殖、拡散を繰り返し、90年代も後半には、渋さ知らズオーケストラ名義では楽器演奏者だけで40名を超す人数が舞台上に上がる。さらには舞踏集団、踊り子、お囃子、パフォーマー、野次馬、外国人、隣人など、多種多様な人類人種が入り乱れ、現在に至る。
1998年、ドイツにて毎年開催されている「メールスインターナショナルジャズフェスティバル」、2001年には「フジロックフェスティバル」に登場。アンダーグラウンドな存在からメジャーな存在へと変身しつつある。2002年にはイギリスのグラストンベリー・フェスティバルに出演、また2005年、ヨーロッパで約5か月にわたり東欧・西欧29ヶ所45公演を含むツアーを果たした。 
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[ 103] 広報ページ:渋さ知らズ 2006年渋旅始め@Shibuya O-EAST
[引用サイト]  http://www.fujitv.co.jp/cs/program/7211_241.html

1989年結成。当初から大型バンドを指向し、同年にダンサーチームも表れ、多様な表現を確立。代々木を中心にライブ活動に明け暮れ、多くのジャズミュージシャン等が出入りする。1993年初音源を発表、同年には公演の場を西日本まで拡大する。アンダーグラウンド・シーンで注目を浴び、海外公演も行いながら、2001年のフジ・ロック・フェスティバルへの参加とライブアルバム「渋旗」の発表で知名度が一気に向上。2006年にはベストアルバム「渋全」にてエイベックスよりメジャーデビューを果たし、現在も活動中。
1989年8月、アングラ創造集団「発見の会」の公演「リズム」の劇伴を依頼された不破大輔が、「客席が空席だらけでみっともないので、バンドマンをたくさん集めて埋めてほしい」との提案を受け、結成に至る。同年9月18日、吉祥寺曼荼羅にて初ライブ。ダンサーチーム「乳房知らズ」も結成され、ジャズ、ロック、ダンスミュージックなど多彩な音楽性を内包する。翌年から代々木を中心に「代々木地下活動」と呼ばれるライブ活動を活発に行う。メンバーの離合集散(物故者も含む)を繰り返しながら1993年4月1日に初音源を発表。同年に舞台美術家も加わり、巨大なオブジェがステージに表れるようになる。関西方面へも活動の場を広げたのもこの年である。また、同年末に不破が競艇での配当金を資本金に自主レーベル「地底レコード」を設立、渋さは以後同レーベルより作品を発表することとなる。ステージ上での爆発や過激なパフォーマンスで勇名を轟かせ、知名度を向上させていく。京都大学、法政大学、同志社大学、大阪芸術大学、和光大学等大学での公演も積極的に行う。1994年以降、「天幕渋さ」と呼ばれるテント公演も実施する。1995年には初のスタジオ音源「Be Cool」発売。1997年以降、「第2世代」と呼ばれる若手ミュージシャンの参加が活発となる。また同年寿町フリーコンサートにも初出演。1998年に初のワールドツアーを実施、日本はもとより欧州を中心とした各国でも公演を行う(ドイツ、ノルウェー、チェコ、オーストリア、韓国等)。2001年にフジ・ロック・フェスティバルに初出演、絶賛を浴び同年発売のライブアルバム「渋旗」がロングセラーとなる。同作はジャケット画をしりあがり寿が担当したことも話題となった。2002年以降、動員数を着実に上昇させ公演会場も数百人単位のライブハウスに拡大していく。2005年にはテント公演を収録した「天幕〜宇宙を駆ける〜」等映像作品のリリースが活発となる。翌2006年、ベストアルバム「渋全」をエイベックスから発売し、メジャーデビューを果たした。現在もライブ活動を中心に、精力的に活動中。
渋さは、中心人物の不破大輔がジャズベーシストとしても活動していることから判断される通り、ジャズバンドにカテゴライズされることが多い。数十名に及ぶ管楽器隊を中心にサウンドを構成していることからもその傾向は伺えるが、管楽器の中にもジャズに留まらない前衛音楽的アプローチやちんどん演奏があり、ギターやキーボード等にロックへのアプローチも見られ、十名近いダンサーがステージに上がりリズミカルな旋律を奏でることからダンスミュージックであるとも言える。さらにそのダンスにおいてもキャバレーダンサー、暗黒舞踏家、サンバダンサー等幾種類ものダンスが表現されている。果ては巨大な龍を始めとするオブジェをステージに上げたり、炎を燃え上がらせたりといった舞台装置も用いられる。多種多様なアプローチが渾然一体となって表現され、最早「音楽」としての定義を遥かに凌駕したところに存在するといえる、他に類似を見出しにくい極めてユニークなバンドである。
渋さの楽曲は大半が器楽曲(インストゥルメンタル)であり、基本的にはシンプルなフレーズを徐々に音圧を上げながら延々と繰り返すことで構成される楽曲が多いが、カオティックなサウンドで何を演奏しているのか理解できないものも多々ある。またタイトルにユニークで意味不明なものが多いのも特徴である。インストとはいえそのメロディーラインは口ずさめる程度に単純なものが多く、オーディエンスを交えた大合唱(歌詞のないものは「ラララ」で歌われる)はライブにおける一つのハイライトである。こうした楽曲構成には、不破と親交のあったサックスプレーヤーの篠田昌已(JAGATARA等)が語った「ユニゾンは深いんだよ」という言葉が大きく影響している。なお不破はJAGATARAについて「宇宙一好きなバンド」と発言している。
渋さのライブ会場で客席を見渡しても、渋さの陣容に目を奪われる者、音楽鑑賞に専念する者、共に歌う者、共に踊る者、冷静に見守る者等鑑賞法はさまざまで、また渋さ側もそれを制限することはなく、オーディエンスそれぞれの楽しみ方でライブを満喫できるよう工夫されている。音源や映像作品は多数発表されているが、渋さの渋さたる由縁はライブにこそあり、その醍醐味もやはりライブで味わえるといえる。そこでは圧倒的な音圧、目にも鮮やかなダンス、腰に迫り来るリズム、MCの扇動に乗せた大合唱、爆発物を用いた危険な舞台装置といったパフォーマンスに加え管楽器隊やダンサーが客席に乱入したり、メンバーが酔い潰れて破天荒な演奏を聴かせたりといった自由で非日常的、開放的な空間が存在している。
渋さはメンバーが多数存在し、それぞれが多くのプロジェクトにも関わっていることから、バンド内バンドと呼べる変則的な編成で活動を行うこともある。代表的なバンド内バンドは以下の通り。
渋さにおいては、一度参加したメンバーは以後永久にメンバーであるとしている。また対バン相手を自身の演奏に参加させることも多いため、歴代の全メンバーは100名以上に及ぶ。ここでは結成に寄与したメンバー、現在中心となっているメンバー等を列記する(順不同)。
なお、不破は小編成(=チビズ)・中編成ではベースを演奏することが多いが、大編成(=オーケストラ)においては指揮(=ダンドリ)に専念している。
ここでは他のプロジェクトでも著名であるが、上記定義によって渋さの一員でもあるメンバーを列記する(順不同)。
この「渋さ知らズ」は、歌手に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(P:音楽/PJ芸能人)

[ 104] 渋さ知らズ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E3%81%95%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%BA



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