球場とは?
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広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、日本の広島県広島市中区基町にある野球場。日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地としている。施設は広島市が所有及び運営管理を行っている。但し球場内の売店などは広島球団側に営業権が認められている。 広島東洋カープのホームゲームの他、アマチュア野球の試合にも広く開放され、夏季甲子園大会の広島県予選・決勝戦や都市対抗野球の広島県予選なども市民球場で開催される。カープの試合がある日でも、午前中は市民に貸し出しを行っていることがある。 1950年代、日本各地の野球場にナイター設備が搭載されていくなかで、当時の広島の本拠地・広島総合球場には照明灯がなく、広島市民・ファンから新球場を求める声が挙がっていた。これを受け広島市へ地元財界などから寄付金が集まり、1957年1月31日に新球場建設が決定。同年2月22日に起工式が行われ、5ヶ月後の7月22日にはファン15,000人を集めて完工式・照明点灯式が行われ、2日後に中国地方初のナイター設備設置球場として開場した。 阪神甲子園球場やスカイマークスタジアムと並び、プロ球団の本拠地球場としては現在では少なくなった天然芝球場(ファウルゾーンを除く)である。両翼91.4メートル、中堅115.8メートルという外野は、プロ球団の本拠地球場の中では一番狭い。内野スタンドは二層式で収容人員約20,000人、外野は収容人員約12,000人、計32,000人ほどを収容できるとされている。また、内野の上層スタンドがかかる同下層スタンドの一部を除き、屋根は設置されていない。 1985年8月12日の日本航空123便墜落事故で犠牲になった阪神タイガース球団社長の中埜肇もこの球場の建築に携わった一人であり、偶然にも同社長の死亡が確認された同年8月17日は同球場で対阪神戦があったため、広島・阪神両チームの選手や首脳陣らが試合開始前に同球場建設への貢献に対する感謝と、哀悼の意を込めて黙祷した。また、当日はスコアボード上にある広島・阪神両チームの球団旗を半旗の状態にして試合を行った。 施設の老朽化が進んでいることなどから、2000年代に入り当球場に代わる新しい球場の建設が検討され始め、新球場(後述)が完成する2009年3月31日をもって閉場することが内定している。 開場当時から1992年までの35年間使われた初代のスコアボード(右中間に設置)は手書き式だった。両サイドにそれぞれのチームの出場メンバー(選手が出塁中の場合は打順ランプ外側のネオン管が点灯する)を表示。内部は3層構造でクーラーも無く、夏場は涼むためスコアボードのパネルを空けて係員が涼をとっていた(のちにスパイ容疑が掛かることになる)。中央に得点掲示板、審判団、カウント表示、下段には他球場(セ・リーグのみ)のスコア、さらに次回試合日程が出ていた。手書き時代のスコアボードは最大16回までと合計得点、安打、エラーを書き記すことが可能だったが、スコアが見づらくなるという理由から晩年は合計得点を表す「R」部分には表示をしていなかった。 1994年のアジア競技大会開催に合わせて1992年オフに改修を行い、1993年からスコアボードは中堅バックスクリーン上に移設され電光式に。松下電器産業製の大型映像装置「アストロビジョン」も設置された。しかし旧来の電球式であったため保守部品の消耗が早く、設置から10年を経過してそれらの入れ替えもままならなくなる[1]などしたことから、2005年に発光ダイオード式に改装され、ポジションの数字が大きくなり、ネーム部分は幅がやや狭くなった。表示部配置は1993年の設置時から変わっておらず、横スクロールで左翼側に映像装置、右翼側に得点(10回まで)と出場メンバー表示が出来るようになっている。打者はもちろん、塁に出た走者に対しても白地の文字が黄緑色で表示されるという他球場にはない特徴も、先代のものを踏襲している。当初、スコアボードの得点版は、青地に白い文字だったが、2000年代から黒地に白い文字、そして発光ダイオード式に改装と同時に青地に白い文字に再び変更された。 電光化された後のスコアボードの球団名は「〜ズ」といったチーム名表記ではなく、頭の地名などを使用している。そのためセ・パ交流戦では「北海道」(北海道日本ハムファイターズ)、「千葉」(千葉ロッテマリーンズ)、「福岡」(福岡ソフトバンクホークス)など、マスコミが多用する企業名表記とは違うために違和感を感じさせる表示になっていた。2006年からは北海道日本ハムファイターズは「日本ハム」、東北楽天ゴールデンイーグルスは「楽天」の表記になった。東京ヤクルトスワローズはこれまで通り「ヤクルト」だった。 本塁を南南東に置く構造のため、西側の左翼スタンド背後に沈む太陽の直射日光が打者や捕手のプレーを妨げたり、特に三塁側から一塁手への送球や一塁ベンチ(ホームチーム側)を直撃するようになっていた。そのため太陽が完全に沈むまで試合を開始しない措置がとられることもあった。現在では左翼スタンド最上段に西日避けの可動式大型広告板が存在し、このような心配はなくなっている。 場内アナウンスは投手交代時、名前・背番号のみならず、その投手のシーズン成績(その時点まで)を「○○投手は□試合目の登板、○勝△敗セーブ□でございます」のように読み上げる(広島・相手球団とも)。これはかつて市民球場に大型映像装置など情報を表示するための設備がなかった頃から続けられているもので、その名残りといわれている。 広島・相手の選手に関わらずホームランが出たときには球場独特のファンファーレが鳴る。ほぼ10年周期で曲は変わる。ただ、2005年以降は鳴らなくなった模様。 また試合開始のプレイボールがかかると、フランツ・フォン・スッペ作曲の「軽騎兵序曲」が流れる。広島市民球場での1回裏の広島の攻撃が始まるとき、そしてビジター球場でも1回表の広島の攻撃が始まるときにも広島応援団のトランペットでこの曲が演奏され、それが応援開始の合図となっているほどこの曲はファンの間で定着している。 放送ブースはバックネット裏(グラウンドの最前列)と、1階席と2階席の中間の2箇所に設置されている。テレビの中継でも頻繁に映っているバックネット裏のブースはラジオ放送用に使われ、選手のプレイを間近で見る形で放送することとなる。なお、RCCの一柳信行アナウンサーは座高が高いので、彼がラジオブースに座った様子がテレビの画面でもすぐわかる。 1950年 広島カープ(1968年シーズンから広島東洋カープ)が広島総合球場(現広島県総合グランド野球場)をフランチャイズとしてセントラル・リーグに加盟。 その後、ナイター設備がないことや、観客の収容能力が少ないことなどから近代的な球場の建設が求められた。 1957年7月20日 地元財界の建設資金寄付を受けた広島市が、中国地方初のナイター設備付き野球場としてこの球場を開設。 1957年7月24日 広島対阪神戦で球場開き(ナイター)。選手はみな固くなり当時の二枚看板、長谷川良平と備前喜夫が共に阪神打線の猛攻を許し、1 - 15で大敗した。 1964年6月30日 この日広島市民球場で開催された広島 - 阪神戦で、阿南準郎のプレーをめぐる抗議で2時間30分の中断の末中止となり、この決定に怒ったファンが防球ネットや放送ブースなど場内の施設を破壊。修理を要するため、翌日と翌々日に予定されていた試合が中止となった。 1987年 1985年以来の内野席二層化工事が完成(1986年のシーズンは三塁側のみに2階席を増築。1987年に残った一塁側とネット裏の2階席が増築され全面竣工した。またこの際、内野の照明塔は鉄塔式からポール式となった)。 2004年10月30日 奥田民生のアコースティックライブ「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」が行われ、初めて球場がコンサートに使用された。 2006年5月5日 中日ドラゴンズ戦で30,151人の観客を動員し、2005年からの実数発表以来初の観客動員30,000人を超えた。 2006年6月 広島市に常石造船(現ツネイシホールディングス)が市民球場の命名権購入を申し出た(希望額は年間2億円)。この他イズミ、章栄不動産も市民球場の命名権の購入を申し出た他、7月に広島郷心会がマツダに対して命名権購入の提案を行うなどの動きがあった。市は命名権の売却を進めるか否か、市議会や市民の意見などを聴いた上で検討する方針を明らかにした。 2007年6月 市は市民球場の命名権売却を同年後半に実施する方向で検討していたが、広島市長秋葉忠利は同月8日の記者会見で「市民球場は今年が開場50周年であり、歴史の重みと市民の愛着の強さを感じる。“市民球場”という名称に愛着が深く、市民の関心が想像以上に盛り上がっている中で命名権を導入するのは難しい。また導入しても、契約期間は(新球場完成までの)2年間弱に限られる」として、売却を見送る考えを明らかにした。 原爆ドームや広島平和記念公園に近く、原子爆弾が広島市に投下された8月6日は市民球場の定休日とされている。これは、球場を所有する広島市の業務が休みとなるためである。カープはこの日に主催試合がある場合は福山市の福山市民球場や尾道市のしまなみ球場などで行う。ただ、被爆60周年にあたる2005年頃より、「原爆記念日に市民球場で公式戦をして欲しい。試合を行う事で原爆で亡くなった方が市民球場へ野球を見に来るかもしれない」という意見も出てきている。そのためなのか、最終年の2008年には1958年以来となる公式戦開催が計画されている。なお、実施する場合、その日は鳴り物応援は禁止となる。 屋根がないために雨天順延の可能性があり、日米野球など日程の詰まっている大会では市民球場の使用が敬遠される傾向にある。また1995年を最後に市民球場でのオールスターゲームは行われなくなっていたが、2009年に新球場で開催されることが内定した(2002年の広島主管試合は松山坊っちゃんスタジアムで開催された)。 1986年の日本シリーズ第1戦では、相手チーム西武のロゴの作成が間に合わなかったのか、スコアボードの表記は「西武」「C」となっていた。また、そのシリーズ後半では、西武側もアルファベット表記になったが、筆記体の「L」ではなくブロック体の「L」となっていた。 山本浩二の現役時は、当初は他に同じ山本姓の山本一義が在籍していたために場内アナウンスではフルネームで呼んでいたが、一義が引退してコーチに就任して山本姓が浩二一人になった後も、その多大な貢献を称えるために「山本浩二」とコールしていた(山本姓ではその後、山本和男投手が在籍した)。 先述のように、本塁を南南東に置く構造のため、西側の左翼スタンド背後に沈む太陽の直射日光が一塁ベンチを直撃する。そのため、可動式大型広告板(先述)が完成するまでのデイゲームでは、ホームチームの広島が三塁側のベンチを使用することがあった(ルール上、どちらのベンチを使用するかはホームチームに決定権がある)。 1964年6月30日の阪神タイガースとの対戦において、阿南準郎選手のプレーをめぐって、阪神側が抗議。試合の続行を求めたものの審判が選手の健康管理上の問題やファンの交通移動などの問題などから試合を打ち切った。しかしこれに怒ったファンが抗議し、グラウンドに乱入し球場施設を壊したため、7月1日、2日に開催する予定だった残りの2試合を含む3連戦の開催は取りやめとなった。 1975年9月10日に行われた中日ドラゴンズ戦でも、試合中のプレーをめぐる乱闘などの影響でファンが球場に乱入。やはり球場の施設が破壊され、中日の選手・コーチが負傷する事態が起きた影響で9月11日の試合も取り消しとなった。その日、9月10日は当時中学生であったタレント風見しんごもグラウンドに乱入し、星野仙一に砂をかけるなどしている。その後、風見が「僕、笑っちゃいます」で「ザ・ベストテン」(TBS)に出演した時に、その時のお詫びをしたいとスタジオから電話で星野仙一に詫びたというエピソードがあり、星野も「何か小僧に砂をかけられたことは覚えている」と語った。 2007年9月24日対東京ヤクルト第20回戦。この日は降雨の為試合開始時間が1時間29分遅れの19時29分の試合開始となった(本来は18時から)。また、次の遅延記録も同じく同球場の1994年8月20日の対巨人第21回戦の1時間27分遅れで試合が開始されている。 2007年9月27日の東京ヤクルト戦(上記の4連戦の最後の試合)。この日は、古田敦也選手兼任監督が代打で登場。両軍のファンからエールを送られ(広島の応援団は古田の応援歌をトランペットで演奏。広島ファンは恒例のスクワット応援を行った)第一打席は今シーズン初安打となるセンター前ヒット。第二打席はセンターオーバーのツーベースヒットだった(対戦投手は先発投手の黒田博樹)。試合終了後、敵地では異例のお別れセレモニーだった。セレモニー終了後、古田はグランド一周し、サインボールを36球投げ入れ、両軍ファンは、古田の引退を惜しんだ。 騒音問題などを理由に、他の野球場では行われている大規模コンサートは当球場では開催を認められていなかった。広島市出身で大のカープファンとしても知られている奥田民生は、「ギター一本のアコースティックライブ」という自らのスタイルを主張して説得を続け、初の市民球場コンサート開催にこぎ着けた。このコンサートを行なうにあたり、 2007年8月9日には、球場開設50周年記念としてさだまさしが昨年終了した平和祈念コンサート『夏 長崎から さだまさし』の広島版『広島市民球場開設50周年記念「2007 夏 広島から さだまさし」』を開催した。さだは奥田と違い通常のバンド構成でコンサートを行ったが、翌日球場長へ挨拶に行ったところ、平和祈念コンサートだったということもあってか「音の苦情は一件もありませんでした」と言われたという。(TV Station掲載のさだのエッセイ「もう愛の唄なんて歌えない」より) 広島市の中心部にあり、旧太田川の左岸(東側)、広島中央公園の敷地内にある。原爆ドームとは道路を挟んで向かい合っており、また、広島県庁や広島平和記念公園、基町クレド、そごう広島店、繁華街の紙屋町にも近く、日本の屋外球技施設の中では数少ない都心に立地する球場である。 市内の中心部でネットワークを作る広島電鉄の路面電車や、市北西部の住宅地まで延びるアストラムラインでの来場は便利である。また、高速バスをはじめ、市の内外に路線が延びる広島バスセンターからもほど近い。一方、広島駅からは少し離れているため、JR西日本を利用した郊外からの観戦には若干不便である。広島駅からの交通手段は路面電車で本線・宮島線系統(宮島口・広電西広島方面行き)と、バス、タクシーがある。 この節には、予定されている事象が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。 この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。 広島市民球場は開場から約半世紀が経過し、外野フェンスに穴が開いていた時期があった、大ビジョンは1万1000時間オーバーと耐用限度の8000時間を軽く超えている、プラスチック座席は3連戦で3,40席は壊れるなど老朽化が著しい。そのため、広島市では広島市民球場に替わる施設として、広島市土地開発公社が先行取得していた広島市南区東駅町の東広島貨物駅貨物ヤード移転跡地(広島駅の約800m東方・山陽本線沿い)に新球場の建設を核とした再開発事業を計画した。2002年に行われたコンペの結果、一旦は米国の商業デベロッパーであるサイモン・プロパティ・グループと広島東洋カープ、鹿島建設などの共同企業体が提案した、PFI方式によるオープン型球場建設を核にした再開発計画が決定。2004年度着手、2007年度オープンと計画されたが、2003年12月になってサイモン・プロパティの投資方針の変更に伴い計画が白紙化し、頓挫した。 その後、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併問題を契機とした球界再編問題が起きた際に、広島球団の生き残りに危機感を覚えた地元経済界を中心に新球場の(貨物ヤード跡地への)単独建設や現行の広島市民球場の改築などの案が検討されはじめた。これと並行するように、中国新聞、中国放送などの地元マスメディアは「樽基金」と題して新球場建設のための費用捻出のための市民募金を実施することを発表、最終的に約1億2000万円の募金を集めた。 現位置での改築を行う場合、近接している建物との干渉がないかどうか、さらには広島東洋カープのホームゲームを進めながらの改築が可能かどうか、不可能であればホームゲームをどこで行うかの検討が必要になる。一方、貨物ヤード跡地に移転した場合、球場を中心とした大規模な再開発が可能である。その分、事業費用も増大するものと考えられる(大阪ドーム、福岡ドーム等の前例あり)。 また、交通アクセスの問題がある。貨物ヤード跡地の場合駐車場用地の確保が容易になるため自動車で来場するには便利でも、公共交通機関が現状では市民球場ほどには整備されておらず、酒類をたしなむ観客には問題がある。ただし、これは予定地の真横を走るJR西日本山陽本線に新駅を設置することである程度の対応が可能であり、JR西日本も地元自治体からの資金提供さえあればいつでも駅設置に応じる構えではある。 さらには、球場周辺の商店においては、街と一体化している球場が移転すると顧客の流れが変わってしまう。現地で立て替え又は改修の場合、用地の制限がある。ドーム球場にするか否か、事業主体をどうするか、何より、資金調達の問題など、両者のメリット・デメリットはさまざまであった。 2005年7月に入り、広島市長の秋葉忠利が、現在地での建設困難を理由に貨物ヤード跡地に建設する方針を示す。経済界や一部ファンの強い反発もあったが、その後、経済界はその方針を追認。新球場の方向性が固まったこともあり、2009年に新球場でのオールスターゲームの開催が内定した。 しかし2006年3月に実施された設計・施工コンペの際に防衛施設庁談合事件に絡んで、多数のゼネコンがコンペに参加できない事態となり、唯一参加資格を得たグループの案も、「(この設計案では)興行していく自信がない」と酷評されるほど広島球団との見解の相違が大きく、また市民やファンの間でも結果として一グループだけのコンペになったことへの不満・反発が強く、不採用となった。2006年4月には建設予定地の土壌から基準値を超える砒素が検出され、プレーする選手、ならびに観客の安全性を問題視する報道がなされた(その後、新球場建設に先行する形で2006年12月から始まった「地下貯溜池工事」の過程で、汚染土壌の調査・除去が行われた結果、広島市は「問題ない」としている)。 また、広島市が球場本体の建設予算を90億円に設定したことは、100億円以上の建設費を費やした他球場の例[2]をしばしば引き合いに出される結果となり、広島市民やファンの間に、「プロ用なのに貧弱な設備しか持たない球場が出来るのではないか?」という憶測が流れた。2006年6月には、先の設計・施工コンペに参加したものの選考前に辞退したアラップスポーツ[3]が広島市の方針に異を唱える記者会見を行い、建設費用を190億円(球場本体にオフィス等、複合施設を組み込む)に設定した独自の球場プランを公開する事態まで発生した。 このように新球場を巡る混沌とした状況に加えて、現球場の跡地利用策が遅々として進展しなかったため、広島市民やカープファンからは「広島市は本当に新球場を作る気があるのか」「広島でオールスターゲームが行われる2009年までに新球場が本当に建設されるのか」と言った厳しい意見も出始めていた。 上記のような厳しい見方があった中、2006年8月になって、駅東町地区インフラ整備として(新球場予定地も含めた)排水路工事が始まったほか、2006年9月には、設計のみを対象としたコンペが新たに実施され、最優秀案として東京辰巳国際水泳場や兵庫県立但馬ドームなどを設計した環境デザイン研究所(東京都港区)の作品が選ばれ、広島市は2006年10月26日にこの案を元にした基本・実施設計契約を同社と締結した。 設計案では、球場を北側のJR側へ大きく開く形態とすることで、平行する山陽新幹線などJR車窓からグラウンドが見えるように配慮され、そのグラウンドも右翼100m、左翼101m、中堅122mの左右非対称とするなど、従来の日本の球場にあまり見られないものとなっている。 さらに熱烈なファン向けの「パフォーマンスシート」や「砂かぶり席」、多様な観戦スタイルを提案する「ボックスフロア」「パーティフロア」「ブルペンレストラン」なども用意されている。スタンドの勾配はメジャーリーグのスタジアム並に傾斜が緩やかであり、1階観客席の最後部には、幅が広く、段差のないコンコースが配置され、グラウンドを眺めながら周回しつつ、多数配置された売店で飲食を楽しむことができる。 ゆったりとしたスペース(横幅50cm・奥行85cm)を用意された観客席は全て内野方向を向いて設置され、加えてファールゾーンをルールの範囲内で可能な限り小さくすることで、選手をより身近に見ることができるように配慮するなど、このように観客にとって観戦しやすい球場を目指して、さまざまな工夫がこらされているのが大きな特徴である。 広島球団の強い要望により予定される内外野天然芝についても、ポップアップ式の自動散水装置が導入されるなど、設計案は規模・設備の双方において、国内の開放型球場としては屈指のものになっている。 一方、本体建設予算90億円の一部については、前述の「樽基金」や国土交通省のまちづくり交付金の他、新球場の年間使用料8億8500万円のうち、6億5500万円が充当されることが決まっている。広島球団は現市民球場の年間使用料5億6000万円から、1900万円増額された5億7900万円を新球場の年間使用料として負担することとされている(これについては「市民球場より快適な環境を提供するため」とされ、広島球団からも異議は出ていない)。残る3億円の年間使用料の負担については、従来のアマチュア・マスメディアからの使用料徴収、さらに広島市、広島県で負担するとされている。 こうした要因を加えると、残る実質負担額は46億円となる見込みであり、2007年6月4日、広島市・広島県・地元経済界の3者で、広島市が23億、広島県と地元経済界が11億5千万円(うちマツダ、中国電力、広島銀行の3社で半額程度)ずつを負担することで合意した。 新球場設計案、建設費用の負担が正式決定したことを受け、本体建築工事については2007年8月30日に一般競争入札を実施した結果、唯一応札した五洋建設と増岡組、鴻治組の広島にゆかりのある三社[4]による共同企業体 (JV) が予定価格の99.99%[5]で落札。電気設備工事を落札した中電工、日本電設工業、長沼電業社のJVと共に、2007年9月28日、市議会の工事請負契約の議決を受け、同年11月26日、2009年3月の完成を目指して建設工事は着工した。 なお上記の入札に引き続いて、空調設備、衛生設備、スコアボード等の工事についても入札が行われており、その結果、トータルの落札額が予定価格より2億9000万円安くなったため、広島市は「差額分」を、完成後に追加予定だった設備(エレベーターなど)の発注や観客席のグレードアップ[6]に充てる方針である。 このように球場本体が完成に向けて進む一方で課題も残されている。特に交通手段としては広島駅からの徒歩が主力になることが予想されるため、球場西側に建設される大型スロープ[7]に加えて、歩道整備などが検討されている。駐車場・駐輪場の確保も課題である。 球場本体周辺には「賑わい施設」が設置される予定であり、広島市がこれらを建設・運営する民間事業予定者を募集した結果、2007年11月中旬までに13社(施設の開発事業に8社、テナントに5社)の応募があった。これら応募者から12月中旬までに事業計画の概要案、2008年3月下旬までに詳細案の提出を求め、4月下旬に事業予定者を決定する方針である。これらの「賑わい施設」の着工は、資材置き場など工事スペースの関係上、新球場本体が完成に近づく2008年9月になる見通しである。 この土地は、広島平和記念公園・原爆ドームの平和祈願地区、広島そごう・基町クレドなどの商業地区、中央公園の三つが接する広島の中心地で、現球場の集客人員に匹敵する年間150万人の集客が見込める土地利用とすることとした。ただし都市公園法の制限を受け、建てられるのは文化施設、スポーツ施設、防災施設などに限定された。 その中で、公園、サッカー専用スタジアムに改修しサンフレッチェ広島のホームスタジアム化する計画、水族館、観覧車などさまざまな計画が挙がったが、世界遺産である原爆ドームに隣接しており、危機遺産への登録を回避するため、大型施設の建設は回避されるようになった。まず2007年4月に「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」「多目的広場を中心とした都市公園」の3案から最優秀案を選ぶことが発表され、その後2007年8月23日に広島市は、「平和祈念堂」「ビオトープ型水族園」の2案を優秀案としたものの最優秀案は「該当なし」とし、各優秀案を提案した事業者に対して、「周辺商業施設や商店街と連携したにぎわい創出などを求める」として計画案の一部修正を要望、2案を軸に跡地利用案を決定したいとしている。 一方で、地元経済界には「優秀案では集客力が不足している」として不満が残っており、2007年8月22日には広島市中央部商店街振興組合連合会が広島市に対して、「(跡地に)広島市が選考対象とした3案はいずれもふさわしくない」とする自ら実施したアンケート結果を提出した。 また完成後の新球場使用と並行し、「戦後の広島復興の象徴」として現広島市民球場の保存・活用を希望する声も一部であがっている。 ^ 例えば2004年、グレッグ・ラロッカ選手が打撃練習した際、メンバー表の表示画面にボールが直撃、3週間以上そこの部分だけ何も表示されず、例として緒方の表示が「緒_」、または木村拓が「木村_」となっていた(“_”は空白)。 ^ 近年建設された球場として、松山坊っちゃんスタジアムの総工費は118億円とされる。一方で90億円に近い予算で球場本体が建設された例として、サンマリンスタジアム宮崎等がある。 ^ イギリスの建設コンサルタントであるアラップの運動施設部門。ヘルツォーク&ド・ムーロンとの共同でアリアンツ・アレナや北京国家体育場を手がけた実績を持つ。 ^ 五洋建設・増岡組は広島県呉市が発祥の地、加えて増岡組は現市民球場の建設にも携わっており、鴻治組は広島に本社を置く。 東京ドーム - 明治神宮野球場 - 横浜スタジアム - ナゴヤドーム - 阪神甲子園球場 - 広島市民球場 札幌ドーム - 宮城球場 - グッドウィルドーム - 千葉マリンスタジアム - 京セラドーム大阪 - 福岡Yahoo! 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[ 30] 広島市民球場 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%90%83%E5%A0%B4
