監督とは?
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映画監督(えいがかんとく)とは、映画の映像作成を統括する責任者で、ディレクターとも呼ぶ。一般に、製作を担当する製作者(プロデューサー)と並んで、その映画のトップ2となる。 テレビ番組やビデオ作品などについても「監督」「ディレクター」という言葉が用いられるが、「映画監督」は、劇場用映画(劇映画)や、フィルムで撮影されたまとまったドキュメンタリー作品の監督のみを意味する事が多い。一般に、テレビ番組やビデオ作品の監督よりは映画監督の方が格上であるというようなイメージがあるようだ。ただし、「映画監督」と「(テレビ番組やビデオ作品の)監督」の職務内容には、規模の違いこそあれ大きな差はないため、本稿では両者をまとめて扱う。 映画監督の基本的な責任範囲は「映画作品としての品質管理」である。監督を担当する者が「企画(どういう映画を作るかという案を策定する)」「製作(制作費の調達や管理、作品の売り出しなどを決定する」などを兼ねる場合もあるが、それらは基本的に別職種であり、監督という職種の責任範囲ではない(同一人物が作品を作り上げる上で複数の職務を担当するという事は、よくある事である。例えば、ジョン・カーペンター監督などは、自分の作品で音楽家を兼任していたりもする)。ただし、諸々の経済的事情を始めとする理由によって、監督が理想とする映画が作れる事はほとんどない。少しでも理想に近づけるための交渉術なども、監督にとって重要な資質であるといえる。 又、映像作品を作り上げるためには、多くのスタッフが関係する事がある。それぞれの専門的なスタッフのアイディアをくみ上げ、アイディア1つ1つについて吟味し、採用したり却下したりという判断を下す事も、監督の重要な仕事である。 なお、番組制作会社に正社員入社した映画監督の場合、基本的に作りたい映画を作れない。どういう映画を作るかは、番組制作会社の社長の決裁事項であり、正社員の映画監督は、それに従うしかないからである。どういう映画を企画するかについて、番組制作会社は、事前に市場調査を行なう。その結果、視聴者が好みそうな映画が制作されることになる。例えば、劇中の敵役は「政治家」「官僚」「東大生」など「エリート」を意識させるキャラクターであることが少なくない。 監督の仕事は、完成した脚本を受け取ってから始まる(それ以前にも脚本を完成させるための議論に参加するなどの仕事が発生するが、脚本が完成するまでは、基本的に脚本家の仕事である。ただし近時では伊丹十三のように監督自らが脚本を書く場合も少なくない)。 配役。どういう役に、どういう俳優を割り当てるかを決定する。主役級の俳優は、プロデューサ等によって決定済の場合もあるし、専門のキャスティング・プロデューサが置かれる場合もあり、監督がすべての配役を決定するわけではないが、決定に際しては、何らかの意見を求められるのが普通である。 衣裳合わせ。各シーンごとに、それぞれの俳優が着用する衣裳や、手に持つ小道具等を決めていく。監督の美意識がストレートに反映される部分であるため、最終決定権は監督にある。また、各人の衣裳により、カメラの位置、照明の方法、セットの組み方等も変わってくるため、各部門のチーフ級のスタッフも参加する。よって、これが俳優と各スタッフの、事実上の「初顔合わせ」の場になることが多い。 撮影。撮影現場を管理する。カメラポジション(撮影場所)や画角、カメラの動き方を決め、絵柄を確定する。役者への演技指導を行う。撮影中の動きなどを把握した上で、OK/NGの判断をする(NGの場合は更に同じカットを繰り返して撮影する)。テレビの場合は本番に入る際にディレクターが3、2、1キューと合図するのが普通だが撮影所製作の映画では「よーい、はい。」と助監督が合図をして本番に入るのが慣例となっている。 編集。撮れている映像から必要なものを抜き出してつなぐ。映像と映像のつなぎ方などを決定する。音楽や効果音をつけるかどうか、つけるとした場合はそのつけ方を決定する。 ドキュメンタリー映画の場合は、劇映画ほど職務分担の違いが明らかではない(明らかにならない・明らかに出来ない)。 多くの場合低予算でスタッフの人数が少ない事や、その場その場で判断しなければならない事が多いなどの理由から、一般にドキュメンタリー映画の監督は、監督としての職務のほかに、「企画」「調査(リサーチ)」「取材(インタビュアー)」などを兼務せざるを得ない(「撮影」を兼任する場合も多く、それどころか「荷物運び」なども当然に監督が分担すべき職務と考えられている現場もある)。ドキュメンタリー映画の監督の場合は、権限が広いというよりは、不可分ないくつかの職域を横断し監督一人が総合的に責任を負う事になるという、構造的な違いがある。 なお、監督の仕事のスタイルは、人によって様々である。又、撮影現場には、国や文化圏によって異なる様々な慣習があり、そういった意味でも違いは大きい。最終的に「(条件の範囲内で)良い作品を作る事」のみが監督の職務であり、監督の仕事の進め方については、(無難な仕事の進め方というものは、もちろん存在するものの)定石と呼べるようなものはない。最近では映画のメイキング映像なども比較的入手しやすくなっているが、実に千差万別に各人が工夫をして作品の映像を作り上げている事が分かる。それらを見比べるのも、映画の楽しみの1つであるといえる。 |
[ 90] 映画監督 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%9B%A3%E7%9D%A3
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終わって、勝てて終わって、ほっとした、今はほっとしたという気分だけだ。そして選手、コーチ、裏方のみんなにありがとう、ありがとう、本当にありがとうと、何度でもくり返していいたいという、そういう気持ちだけだ。 昨日の韓国戦も忘れられんだろうと思う、いつまでも。へとへとになってホテルに帰ってからは食事をとる気力もわいてこなくて、食堂からおにぎりひとつだけもらって部屋に行った。田渕も「おれもおにぎり一個で」といっていたけれど、わたしの方はああいう試合だったし、興奮と、感激というかそういう気持ちで神経が高ぶってほとんど眠れなかった。そしてきょうの台湾戦も。サブローの同点スクイズ、宮本の走塁…、1点を全員で守る、1点を全員で取る、「守り」と「つなぎ」の野球のあのシーン、このシーン。一丸になって、ひとつになって命懸けになって戦ってくれたみんなの顔が目にも心にも焼きついて、今夜もきっと眠れないと思う。 これまで何百、何千という試合の采配をふるってきたつもりだけれど、昨日と今日の試合は生涯、絶対に忘れんでいると思う、選手やスタッフの顔と名前と一緒に。みんなが「日本のプロ野球のために」「日本中の野球ファンのために」という心からの気持ちで、信じられんくらいの“底力”をしぼり出してくれた。これが日本の野球だ、これが日本の代表選手のたましいのプレーだと、その底力をひとつひとつのプレー、1イニング、1イニングのなかでしっかり示してくれた。出来うれば来年の北京もこの同じメンバーで戦いたいと思う。 そして、このアジア予選での日本代表の試合を見て、野球というスポーツの面白味、醍醐味、その深さや不思議な魅力を改めて感じて味わってもらえていたら、もうなにもいうことはない。ひさしぶりに、60になってもひさしぶりに、わたし自身も重圧と責任感から一転した感激と興奮とで胸がつまった。 「星野仙一のオンラインレポート」へのメールは、全て“事務局(WebMaster)”留め、と、なっております。 月はじめに入会されても、その月の下旬に入会された場合でも支払う料金は同じく300円となりますのでご了承ください。 「入会結果のお知らせ」がお手元に届いていない方は、お手数ですが事務局宛に次の項目をご連絡ください。 上記内容でご本人様確認を取らせていただきます。確認が取れ次第登録を修正してご連絡いたしますので、よろしくお願いします。 最近事務局からのメールが、携帯電話のメールアドレスをユーザ登録などにご利用になっている方へ(迷惑メール対策等の関係で)届かないことが増えてまいりました。 ご質問やご依頼などを事務局宛へ連絡されて、まだ事務局から返信がない方は、お手数ですが確実にご連絡のつくメールアドレスで、再度ご連絡ください。 文字の大きさは“中”(Internet Explorer)、または“標準サイズ”(Netscape)で作成しています。それ以外の大きさですとレイアウトが崩れることがあります。 |
[ 91] Sen'ichi Hoshino Official Site「星野仙一のオンラインレポート」
[引用サイト] http://hoshino.ntciis.ne.jp/
