およびとは?
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鼻は,鼻腔を2つの通路に分ける鼻中隔軟骨を含めて,骨と軟骨でできている。前頭洞,上顎洞,篩骨洞および蝶形骨洞からなる副鼻腔が,鼻腔へ開口している。 鼻骨は,他の顔面骨より骨折しやすい部位である。鼻骨骨折には,上顎骨の前頭突起および鼻中隔も含まれ,鼻粘膜の裂傷により鼻出血が起こる。軟部組織がすぐ腫脹し,裂傷を覆う。鼻中隔血腫が軟骨膜と鼻中隔軟骨の間に生じ,感染を伴うことがある;膿瘍が形成されることにより,鼻中隔軟骨が無血管性腐敗性に壊死し,鞍鼻となる。 鈍的な外傷により鼻から出血があった場合は,骨折を疑うべきである。変形,不安定,捻髪音および部分的圧痛は,鼻背(鼻梁)を軽く触診することで一般に診断できるが,X線により確認できる。最もよくみられる変形は,鼻背の一方への偏位と,対側における鼻骨および上顎骨前頭突起の陥凹である。 成人の鼻骨骨折は局所麻酔下で整復する;小児の場合は全身麻酔が必要である。鼻骨骨折は内および外牽引により正常な位置へ固定する:鈍い挺子を陥凹した鼻骨下に置き,鼻背が正中線にくるように鼻の対側に圧力をかけながら,陥凹した鼻骨を前外側へ持ち上げる。鼻の位置は内部を充填し,外部から副子をすることで固定する。鼻中隔血腫は直ちに切開・排液して,感染および軟骨壊死を防がなくてはならない。鼻中隔骨折は,位置の維持が難しく,後になって鼻中隔手術が必要となることがしばしばである。 発生段階における異常あるいは外傷から生じる鼻中隔弯曲症はよくみられるが,多くの場合無症候であり治療を必要としない。鼻中隔弯曲症は様々な程度の鼻閉を来し患者は副鼻腔炎(特に弯曲により副鼻腔開口部が閉塞した場合)や乾燥した気流の通る結果,鼻出血を起こしやすくなる。症候のある鼻中隔弯曲症は,鼻中隔矯正術(鼻中隔再建術)により治療する。 鼻中隔潰瘍および穿孔は,鼻手術;鼻をほじるなどの外傷の繰り返し;コカインの使用;および結核,梅毒,らい,ヴェーゲナー肉芽腫症のような肉芽腫性感染に続いて起こりうる。その周縁には痂皮が形成されたり,繰り返し鼻出血を起こすことがある。小さな穿孔の場合,笛音がすることがある。ワセリンを基剤としたバシトラミン500U/gの塗布により痂皮形成は減少する。鼻中隔穿孔は,頬あるいは鼻中隔の粘膜皮弁を用いることにより閉鎖できるが;シリコン製中隔ボタンにより穿孔を閉鎖するのも信頼できる方法である。 鼻からの出血は,以下のような局所感染に続いて二次的に生じる。鼻前庭炎,鼻炎,副鼻腔炎などの局所感染;猩紅熱,マラリア,腸チフスなどの全身感染;鼻粘膜の乾燥;外傷(鼻をほじるなど指による場合,あるいは鼻骨骨折などの鈍的な外傷);動脈硬化;高血圧;副鼻腔または上咽頭の腫瘍;鼻中隔穿孔;および,再生不良性貧血や白血病,血小板減少,肝疾患,遺伝性凝固障害,ランデュ-オースラー-ウェーバー症候群(134章の「遺伝性出血性毛細血管拡張症」参照)による出血しやすい状態。 鼻出血はほとんどの場合,鼻中隔前下方部(キーゼルバッハ部位)の血管叢から生じる。出血は5〜10分間,両鼻翼を一緒につまむことにより止血されることがある。この方法で止血できなかった場合には,出血部位を見つけなければならない。一時的には,0.25%フェニレフリンのような血管収縮薬と2%リドカインのような局所麻酔薬をしみ込ませたガーゼにより,出血部位が麻酔されるまで圧迫をかけることで止血できる。出血部位に対する電気焼灼,あるいは5%硝酸銀を綿棒で塗布することで,粘膜を深く焼灼することなく止血できる。 出血傾向による鼻出血については,ワセリンガーゼを用いて,できるだけ外傷を与えないように出血部位を圧迫する。焼灼部分の辺縁から出血する恐れがあるので焼灼は用いない。可能ならば,出血性疾患の同定とその治療に注意を払う。 動脈硬化および高血圧の場合,出血は下鼻道のかなり後部で起こりやすく,止血が難しいことがある。止血するためには,内上顎動脈およびその分岐の結紮,あるいは鼻腔後部の充填が必要である。この動脈の結紮は,上顎洞経由の外科的アプローチを用いて,顕微鏡下においてクリップで行えばよい。鼻腔後部を充填するときは,ベロックタンポンにより後鼻腔を閉塞する。これは10cmの正方形のガーゼを折りたたみ巻いて固い束にし,2本の太い絹糸でしばったものである。出血のある鼻腔から口の方へと導出したカテーテルに1本の縫合糸の一端をつなぐ。カテーテルを鼻から引くと,ベロックタンポンが軟口蓋の後ろから上咽頭に入るようになる。2本目の縫合糸は軟口蓋より下で切り,ベロックタンポンをはずすときに使えるようにしておく(あるいは上咽頭でフォーリーカテーテルのバルーンをふくらませて,後鼻孔を閉塞してもよい)。鼻腔,特に下鼻道後部をワセリンガーゼでしっかり充填し,ベロックタンポンを安定させるため1本目の縫合糸を一巻きのガーゼに結んでおく。充填は4日間この定位置のままにしておく。アンピシリンなどの抗生物質を投与して,副鼻腔炎および中耳炎を防ぐ。理想的には,局所に分布する細菌の型と,抗生物質耐性株に関する知識に基づいて,抗生物質を選択する。ベロックタンポンにより動脈血酸素分圧PO2が低下するので,タンポンをしている間は,酸素の補充を行わなければならない。 ランデュ-オースラー-ウェーバー症候群の場合には,粘膜の動静脈瘤から多量の激しい鼻出血が起こることがあり,鉄投与では容易に補正のきかない強い持続性貧血になる。中間層植皮(鼻中隔皮膚形成)により鼻出血の回数を減らし,貧血を補正することができる。 激しい鼻出血は,肝疾患が原因であることがしばしばである。血液を大量に飲み込んでいる可能性があり,浣腸および下剤によりできる限り迅速に除去しなければならない;さらに血液の分解およびアンモニアの吸収を防ぐためには,消化管を非吸収性抗生物質(例,ネオマイシン1gを1日4回経口投与)により滅菌しなければならない。 軽度の感染および毛嚢炎は,やっかいな痂皮を形成し,痂皮が取れると,鼻出血が起こる。バシトラシン軟膏500U/gを1日2回,14日間局所適用すると効果的である。 鼻前庭のせつは普通ブドウ球菌性であり,鼻の先端の蜂窩織炎となることがある。患部の温浴とともに抗生物質を投与すべきであり,その領域に抗生物質耐性の菌が存在するとわかっている場合以外は,ペニシリンVが選択薬である。鼻とその周辺の組織のせつは自然に排膿させるべきである。切開および排膿は,退行性血栓動脈炎や続発性の海綿動脈洞血栓症の危険を増加させるため,禁忌である。 急性鼻炎は感冒の通常の徴候である(162章「感冒」参照);レンサ球菌性,肺炎球菌性あるいはブドウ球菌性感染によっても鼻炎を発症する。慢性鼻炎は,一般に亜急性炎症性または感染性鼻炎の長引いたものだが,梅毒,結核,鼻硬化症,リノスポリジウム症,リーシュマニア症,ブラストミセス症,ヒストプラスマ症およびらいにおいても発症する。どの状態も肉芽腫形成と,軟部組織や軟骨,骨の破壊により特徴づけられる。これらの状態は鼻閉,化膿性鼻漏,および頻発する鼻出血をもたらす。鼻硬化症は,固有層の硬化した炎症性組織により進行性の鼻閉となる。リノスポリジウム症は出血性鼻茸により特徴づけられる。 急性細菌性鼻炎の診断と治療は,病原体同定とその抗生物質感受性に基づく。交感神経作用アミン(例えばフェニレフリン0.25%)の長くても7日間,3〜4時間毎の投与による局所的血管収縮は症状軽減をもたらし,シュードエフェドリンといった全身性交感神経作用アミンの4〜6時間毎の30mg経口投与も,同様の効果をもたらす。 慢性鼻炎の診断は,培養あるいは生検による病原微生物の同定に基づく。治療には適切な抗菌薬を使用する。 原因は不明だが,細菌性感染によることがしばしばである。粘膜は線毛多列円柱上皮から重層扁平上皮へと変化し,固有層の量および血管分布は減少する。無嗅症となり,反復する重篤な鼻出血を来すことがある。萎縮性鼻炎は,固有層の血管および漿液腺の萎縮による鼻腔の異常開存により,他の型の慢性鼻炎と区別される。 治療は痂皮形成の減少および除臭が中心となる。外用抗生物質(ワセリン基剤にバシトラシン500U/gなど),局所または全身性エストロゲン,もしくはビタミンA,Dの投与が効果的なことがある。鼻腔を外科的に,あるいは子羊の毛の外科用綿撤糸を用いて閉塞あるいは狭くすることで,萎縮性粘膜上を流れる空気の乾燥により発生する痂皮形成は減少する。 病因は不明確で,アレルギーは認められない。腫脹した粘膜は鮮赤色から紫色へと変わる。病態上は寛解期および増悪期を認める。乾燥した空気によりさらに悪化するとみられる。血管運動性鼻炎は,膿汁および痂皮形成がないことで,鼻の特異的なウイルス性および細菌性感染と鑑別される。またアレルゲンが同定されないことで,アレルギー性鼻炎と鑑別される。 治療は経験的なもので,必ずしも満足な結果は得られない。居室および寝室の加湿,例えば給湿機能のあるセントラルヒーティングや加湿器の使用により,患者の状態は改善される。全身性交感神経作用アミン(例,成人の場合,シュードエフェドリン30mgの経口投与を必要に応じて4〜6時間毎に)は症状軽減になるが,規則的な長期使用は推奨されない。局所性血管収縮薬は避けるべきである。なぜならば,鼻粘膜の血管系はこうした薬により,血管収縮をもたらすような刺激,例えば,吸気の湿度および温度に対する感受性を失うからである。局所性交感神経作用アミンのような強い刺激を与えた後以外は,結果的に血管拡張が起こる。 アレルギー性鼻炎があると,鼻茸(ポリープ)を形成しやすくなる。鼻茸は急性および慢性感染や嚢胞性線維症においても発症することがある(267章参照);急性感染の場合は,感染治癒後には鼻茸は小さくなることがある。鼻茸は,粘膜固有層由来の大きな水腫の場合,通常上顎洞開口部の周囲に形成される。発達段階の鼻茸は涙のしずく型をしており;成熟すると皮をむいた種なしブドウに似た形となる。リノスポリジウム症の場合は出血性鼻茸が生じる。鼻腔あるいは副鼻腔の良性または悪性腫瘍として,あるいはそれに関連して片側性の鼻茸が生じることが時々ある。鼻茸のある人は,アスピリンにアレルギーをもつ可能性が高い。 ジプロピオン酸ベクロメタゾン(42μg/1回噴霧)あるいはフルニソリド(25μg/1回噴霧)のようなコルチコステロイドのエアロゾルを,1日2回各鼻腔に1,2回噴霧することにより,ときに鼻茸が治癒することがあるが,さらに外科手術による切除を必要とすることがしばしばである。良性か悪性腫瘍かはっきりしない鼻茸や,気道を閉塞したり副鼻腔炎を増悪させるような鼻茸は切除すべきである。しかし,根底にあるアレルギーあるいは感染を制御しないかぎり,鼻茸は再発しやすい。鼻茸の除去に続いて行うベクロメタゾン,フルニソリドあるいはクロモリンによる局所治療は,再発を遅らせる傾向がある。何度も再発する重篤な場合には,上顎洞根治術あるいは,篩骨洞開放術を適用してもよい。 鼻と肺の肉芽腫および糸球体炎を特徴とする,原因不明の脈管炎であり;50章にて詳述する。鼻と副鼻腔の骨,軟骨および軟部組織のほとんどの破壊性病変は,生検を行うと,リンパ腫あるいは癌のような悪性腫瘍であることが確認される。 個別の風味は,嗅覚化学受容体を刺激する芳香によって認識されるので,味覚と嗅覚は生理学上,互いに依存しており,一方が機能不全に陥れば,他方も影響を受ける。嗅覚と味覚の障害が人の生活や生命を脅かすことはまれなので,詳しい医学的注意が払われないことが多い。しかしガスのような特定の嗅気を探知する能力の欠如は,危険をもたらす場合もあり,こうした症状を無害なものとみなす前に,いくつかの全身性および頭蓋内疾患の可能性を排除すべきである。脳幹の疾患(孤束神経核の関与)が,嗅覚と味覚の障害を引き起こすかどうかは不明である。なぜならば,通常は他の神経性の発現がそれらを覆い隠しているからである。 おそらく最も一般的な異常は,無嗅症(嗅覚の消失)である(後述参照)。嗅覚過敏(嗅覚の感受性増大)は通常,神経症的またはヒステリー性人格を反映している。嗅覚不全(不快または歪んだ嗅覚)は,鼻腔の感染,嗅球の部分的損傷,心理的うつ状態により起こる場合がある。不快な味覚を伴う一部の症例は,歯の衛生状態の悪さに起因する。鉤状回てんかんにより,短期的に鮮明で不快な幻嗅が生じることもある。嗅覚鈍麻(嗅覚の低下)と味覚鈍麻(味覚の低下)は,急性インフルエンザに続いて発症することがあり,通常は一過性である。 タバコの吸いすぎ,シェーグレン症候群,頭頸部の放射線療法,舌の落屑などに由来する口腔粘膜の乾燥は,味覚を損ない,様々な薬物(例,アミトリプチリン,ビンクリスチン)が味覚を変えてしまうことがある。どの場合にも,味覚受容体が広く関与している。味覚消失(味覚の喪失)が舌の片側に限定される場合(例,ベル麻痺)は,めったに気づかれない。 無嗅症の場合には,鼻腔内および頭蓋内の疾患について徹底した評価が必要である。嗅覚障害は次のような場合に生じる。鼻腔内腫脹あるいはその他の閉塞により臭気が嗅部へ接近できないとき;ウイルス性感染,萎縮性鼻炎あるいは肉芽腫症および腫瘍からの慢性鼻炎の場合のように,嗅上皮が破壊されているとき;頭部外傷,頭蓋内手術,感染あるいは腫瘍による場合など,嗅神経系,嗅球,嗅索といった中枢神経路が破壊されているとき。若年成人では,頭部外傷が無嗅症の主要因である:高齢者の場合は,ウイルス性感染が主要因である。無嗅症は性腺機能低下症(カルマン症候群)の場合,先天的に生じる。ほとんどの無嗅症の患者は,塩辛い物質,甘い物質,酸っぱい物質,苦い物質に対しては正常な知覚があるが,嗅覚に大きく依存した風味の識別能力が欠けている;そのため,患者はしばしば味覚の欠如(味覚消失)を訴える。片側性の無嗅症は,しばしば自覚されない。 診断の評価には,脳神経(165章の「神経学的診察」参照)および上気道(特に鼻および上咽頭)の検査,においと味の同定および閾値検出に対する精神生理学的評価,さらに前頭蓋底の腫瘍と予期していない骨折を除外するための造影CTが必要である。 アレルギー性あるいは細菌性鼻炎や副鼻腔炎に対する治療と,鼻茸や良性腫瘍の除去により,嗅覚が回復することがある。嗅上皮あるいはその中枢神経の破壊を効果的に治療する方法はないが,これらの組織の再生に続き自然回復がみられることがある。 急性副鼻腔炎はレンサ球菌属,肺炎球菌,インフルエンザ菌あるいはブドウ球菌属により発症し,通常,急性ウイルス性気道感染により促進される。慢性副鼻腔炎は,グラム陰性桿菌あるいは嫌気性菌により病状の再燃をみることがある。少数の症例では,慢性上顎洞炎は歯の感染に続いて二次的に起こる。 上気道感染に伴って腫脹した鼻粘膜は,副鼻腔の開口部を閉塞し,副鼻腔中の酸素が粘膜の血管に吸収される。その結果,副鼻腔内は相対的に陰圧になり(真空副鼻腔炎),痛みを伴う。真空が維持される場合には,粘膜からの漏出液が副鼻腔に充満し;副鼻腔開口部あるいは粘膜固有層に広がる蜂巣炎または血栓性静脈炎を通じて侵入してきた細菌にとって,この漏出液は副鼻腔内で培地として働く。その結果,感染を防ぐための血清や白血球が流出することになり,閉塞された副鼻腔内が陽圧となり痛みをもたらす。粘膜は充血し浮腫状になる。 急性および慢性副鼻腔炎の症状と徴候は類似している。障害部位は敏感となりかつ腫脹する。上顎洞炎は上顎部痛,歯痛,および前頭部痛をもたらす。前頭洞炎では前額部や前頭部痛が生じる。篩骨洞炎は眼の後方,眼の間の部位の痛みや,しばしば「割れるような」と表現される前頭部痛をもたらす。蝶形骨洞炎による痛みは,他と比べて局在性はないが,前頭および後頭部に放散する。倦怠感が生じることもある。発熱および悪寒は,感染が副鼻腔を越えて広がっていることを示唆している。 鼻粘膜は赤く腫脹し;黄色あるいは緑色の化膿性鼻漏が生じることがある。上顎洞炎,前篩骨洞炎および前頭洞炎の場合,中鼻道に漿液膿性あるいは粘液膿性の滲出液がみられることがあり,後篩骨洞炎および蝶形骨洞炎の場合に同様に中鼻甲介の内側部にみられる(図86-1参照)。 急性および慢性副鼻腔炎の場合,腫脹した粘膜および持続する滲出液により,患部の副鼻腔はX線撮影において不透明となる。副鼻腔炎の範囲および程度についてのより正確な情報は,CTにより得られる。慢性上顎洞炎の場合,歯尖部周囲膿瘍を除外するために,歯根尖のX線像が必要である。 排膿による改善と感染の制御が,急性副鼻腔炎の治療の目的である。蒸気吸入は,効果的に鼻の血管収縮を促し排膿を促進する。塩水による鼻の洗浄で,排膿が促進されることもある。局所性血管収縮薬,例えば0.25%フェニレフリンの噴霧を3時間毎に行うことは有効だが,使用は最大7日間とすべきである;それに比べて,全身性血管収縮薬,例えばシュードエフェドリン30mgの4〜6時間毎の経口投与(成人の場合)は,効果が薄い。 急性および慢性副鼻腔炎の場合はともに,抗生物質を少なくとも10〜12日間投与しなければならない。急性副鼻腔炎の場合はペニシリンV,6時間毎250mgの経口投与が第一選択抗生物質であり,エリスロマイシン6時間毎250mgの経口投与が第二選択抗生物質である。慢性副鼻腔炎の再燃の場合,広域抗菌スペクトルの抗生物質,例えば,アンピシリン250mgか500mg,またはテトラサイクリン250mgを,6時間毎経口投与する方がよい。慢性副鼻腔炎の場合は,4〜6週間の抗生物質治療の延長により,完全に消失することがしばしばある。副鼻腔滲出液から分離された菌の感受性および患者の反応により,次の治療を決める。抗生物質治療に対して反応しない副鼻腔炎については,換気および排膿を改善し粘液性膿汁や上皮性の落屑および肥厚した粘膜を除去するための手術(上顎洞開放術,篩骨洞開放術,および蝶形骨洞開放術)が必要となる。これらの手術は通常,内視鏡を使って鼻腔の中で行う(機能的内視鏡副鼻腔手術)。慢性前頭洞炎は前頭洞の骨形成性閉塞を行うが,一部の患者については,内視鏡で治療可能である。 不十分な治療しか受けていない糖尿病あるいは免疫不全の患者で,より激しく,場合によっては致死的な真菌性または細菌性副鼻腔炎が発生することがある。 ムコール菌症(フィコミコーシス)――ケカビ属,アブシディア属,およびクモノスカビ属の種を含むムコラレス目の真菌による真菌症が,不十分な治療しか受けていない糖尿病患者に発生することがある。ムコール菌症は,鼻腔内の黒色壊死組織,および頸動脈系の退行性血栓動脈炎に続く二次的な神経学的徴候により特徴づけられる。診断は無血管化した組織内の菌糸の組織病理学的所見によりなされ,治療は,糖尿病の治療およびアムホテリシンBの静注が必要である。 副鼻腔のアスペルギルス症およびカンジダ症は,細胞毒性薬による治療の結果,あるいは白血病,リンパ腫,多発性骨髄腫,AIDS,およびその他の免疫抑制性疾患において基礎疾患の経過によって,免疫不全状態となった患者に発生することがある。アスペルギルス症は,鼻および副鼻腔内のポリープ状組織により特徴づけられる。診断にはこのポリープ状組織の生検および培養が必要である;しばしば致死的なこれらの感染の治療としては,積極的な副鼻腔手術およびアムホテリシンB静注が提唱されている。 一側性の血性鼻漏と鼻閉,顔面腫脹,しびれがある場合,他の診断がつくまでは,鼻あるいは副鼻腔の癌が示唆される。 外方発育型乳頭腫は,表面に指状突起のある,分岐した血管性結合組織茎をもつ扁平上皮性乳頭腫である。鼻腔内では繰り返し切除を要することがしばしばあるが,良性の経過をとる。内方発育型乳頭腫は,上皮が血管性結合組織間質中へ陥入した,扁平上皮性乳頭腫である。この乳頭腫は浸潤性で局所的に悪性の経過をとる;切除は鼻側切開術により,鼻腔外側壁の骨を含む,辺縁の正常組織を大きく含めて切除しなければならない。 鼻腔内で発生する他の良性腫瘍には,線維腫,血管腫,および神経線維腫がある。副鼻腔には,線維腫,神経鞘腫,および骨化性線維腫が生じる。 扁平上皮癌は,鼻および鼻腔における最も多い悪性腫瘍である。他には,腺様嚢胞癌,粘膜類表皮癌,悪性混合腫瘍,腺癌,リンパ腫,線維肉腫,骨肉腫,軟骨肉腫,および黒色腫がある。副腎腫は副鼻腔における最も多い転移性腫瘍である。放射線照射および根治手術を組み合わせた方法により,原発腫瘍の患者においては最もよい生存率が得られている。 |
[ 75] 鼻および副鼻腔
[引用サイト] http://merckmanual.banyu.co.jp/07/s086.html
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日ソ漁業問題に関しては、一九五七年二月から四月まで東京において、また翌五八年一月から五月までモスクワにおいて、北西太平洋日ソ漁業委員会の第一回および第二回会議が開催されたが、昨年一月十二日から再び東京で、同委員会第三回会議が開催された。 この第三回会議には日本側からは、藤田、坂村、新関の三委員の外、二十二名の随員が出席し、ソ連側からは、モイセーエフ、パーニン、フレストフの三委員の外、八名の随員が参加し、本会議を開催すること三十九回、科学技術小委員会を開催すること二十九回におよんで、諸問題に関する論議を重ねた。その間、両国委員間にしばしば非公式会談を開き、また会議末期においては、藤山外務大臣とフェドレンコ大使、および岸総理大臣とフェドレンコ大使の間で、またモスクワにおいては門脇大使とイシコフ大臣の間で、最も重要な問題であるさけ(、、)・ます(、、)の総漁獲量につき交渉を重ねた上で漸く双方妥結に達し、五月十三日百二十二日にわたる会議を終えた。 この会議においては、下記(1)に述べられているとおり、さけ(、、)・ます(、、)の年間総漁獲量を八万五千トンと決定した外、その他の諸問題についてもそれぞれ決定を採択したが、そのうち主要な問題の審議経過および結果は、概要下記のとおりである。 さけ(、、)・ます(、、)総漁獲量の決定は、さけ(、、)・ます(、、)の資源状態に関する評価とその年におけるさけ(、、)・ます(、、)の来遊に関する判断とを前提として審議されるので、まずその問題から始められたが、日本側では、一九五九年におけるさけ(、、)・ます(、、)の資源状態について、同年は豊漁年たる一九五七年程度あるいはそれを上廻るものと評価し、規制区域における日本側の漁獲量は十六万五千トンが適当であるとの見解を表明した。これにたいしソ連側は、一九五八年におけるソ連側の漁業実績が甚だ減少し、産卵河川への親魚の湖上および稚魚の降下が低下した点等からみて、一九五九年の資源状態は、比較的豊漁年であつた一九五七年に比し著しく悪化しており、一九五九年は低位豊漁年であるとなし、またこの資源の減少は日本の沖取漁業のためであるとの見解をとり、総魚獲量の決定は各種の問題を審議した後に行なわれるべきであるという態度を示した。この双方の態度に関連して、委員会は資源状態に関する審議を科学技術小委員会に付託し,小委員会は二十八回にわたる会議を重ねたが、双方の見解はほとんど一致するにいたらなかつた。 さらにその直後ソ連側は、次項に述べるような一定の水面と漁期を示した三つの操業可能区域の設定を提案したため、漁獲量の決定はいよいよ遅延したが、三月二十六日にいたつてソ連側は、一九五九年の規制区域内の漁獲量を五万トンと定めることを提議して来た。日本側は強くこれに反対し、委員会の非公式会談において、十三万トンとすることを提案したが、ソ連側は、日本側から規制措置に関し具体的提案があれば、漁獲量について修正提案を出す用意があるという態度を示して容易に譲らず、四月十四日にいたつて、わずかに六万トン案を提示した。日本側は、これを拒否するとともに、委員会の枠外においても交渉する必要を認め、藤山外務大臣からフェドレンコ大使にたいし、またモスクワにおいては門脇大使からイシコフ漁業部長にたいし、さらにまた岸総理大臣からもフェドレンコ大使にたいし、日本側の主張を申し入れて日ソ双方の提案の接近を図ることに務めた。ことに最終段階の五月十日には、日本側は九万トン案を提示したが、その後ソ連側は八万五千トン案をもつてこれに応え、結局五月十三日、八万五千トンで妥結した。 ソ連側は第三回会議においては、沿岸に禁漁区域を年々協議設定するという従来の方式とは著しく趣を異にし、三月六日、カムチャツカ東海岸および千島諸島の東方海上にさけ(、、)・ます(、、)漁業を行ないうる三区域を設定し、かつ、その区域ごとに漁業の始期および終期を定めるという趣旨の極端な制限案を提示してきた。 同案の範囲は、第一区については千島諸島(捉択島以北)の沿岸(相当の距岸距離をとつた上)から東方海上東経一六五度におよぶ水面を、第二区についてはカムチャツカ半島南半(北緯五一度−五四度間)の沿岸(距岸距離同上)から東方海上東経一七〇度に及ぶ水面を、また第三区はカムチャツカ北半(北緯五六度−五九度間)の沿岸(距岸距離同上)から東方海上東経一六九度におよぶ水面を定めるものであつた。 これにたいして日本側は、ソ連側の本件提案は従来沿岸に接近した場所に禁止区域が設けられてきた趣旨に矛盾すること、ソ連側指摘区域によればさけ(、、)・ます(、、)規制区域面積の八〇%以上が禁止区域となり、公海漁業自由の原則に反し、条約上の禁止区域設定の規定と合致せず、わが国の沖取漁業の存在を無視するものであること、およびソ連側提案の科学的基礎が納得できないことなどをあげて強く反対するとともに、日本側として認めうるものとしてカムチャツカ東北岸沖および北千島東海岸沖における距岸二〇海里の禁止区域および漁業終期を八月十五日とすることなどを提案した。 しかしソ連側は、前記三区域を若干拡大するとともに、右三区域の東方にさらに一区域を加えることおよび漁業の始期を定めないこと等を認める以外には、なんら譲歩の色を示さなかつた。これにたいし日本側は、北千島方面で魚群の通過する重要な海峡部につき従来の禁止区域の外にさらに拡大した区域を設けうべく、この部分は距岸五〇−六〇海里とすることも可能であることを示して種々交渉したが、ソ連側はその後、コマンドルスキー群島をはさむ南北約百海里の幅の魚類の通路と北千島東方沖の三角形をなす禁止区域の付加を最後案として主張し、その区域を緯度経度によつて示し、日本側がこれを考慮するならば、さけ(、、)・ます(、、)総漁獲量についても再考の余地があることを述べた。このような経緯を経て、漸く最終段階にいたり、双方は大体前年と同様の禁止区域を認めるとともに、その外さらに東経一七〇度以西でコマンドルスキー群島をはさみ、沿岸禁止区域におよぶ水帯と、東経一六〇度線と北緯四八度線をもつて東および南から区画される北千島東方海域とを同様禁止区域とすることにより妥結することとなつた。 べにざけ(、、、、)の漁獲上考慮すべき保存措置としては、これまで一定区域における漁期の制限、網目の大きさの増大、若年魚の混獲制限などが問題とされたが、ソ連側は第三回会議においては、前項で述べたように、まずさけ(、、)・ます(、、)の操業可能区域を特定し、その各区域における漁業の始期と終期とを定める案において、すでにべにざけ(、、、、)の漁獲制限をも考慮したのであつた。さらに三月七日その審議に際しては、ソ連側はべにざけ(、、、、)の漁獲量を一万トンとし、東経一六五度以東でその七五%を漁獲すれば直ちにその線以西に移動する案を提示した。またその後においては、母船の操業区域における使用網の網目につき、一九五九年の漁期始めから七月十日まで、七二ミリ・メートル未満の網目の網の使用を禁じ、その以後漁期の終りまで東経一六五度以西において、六〇ミリ・メートルの網を五〇%認めること、ならびにべにざけ(、、、、)については、体重一・八キロ未満のもの(なおしろざけ(、、、、)については二キロ未満とする)の漁獲を許容しないこととし、その未満のものの混獲は、一揚網ごとに尾数で一〇%以下を許容することなどの提案を行なつて来た。 以上の諸点につき、日本側としては、漁業の実状から種々反対を表明して交渉を続けたが、漸く五月八日左記の諸点について合意が成立した。 (イ) 網目については、日本側は声明により、日本政府は一九五九年において、母船付属漁船に六五ミリ・メートルの網目の流網を総数で千反以上使用せしめる方針をとること、一九六〇年において、規制区域の東半部(区域の西側の境界線は、一九五九年度調査研究の結果を考慮して定められる)の区域で、使用する流網の総数の二五%以上が六五ミリ・メートル以上の新らしい網目のものに取りかえられるべきことを明らかにした。 また一九六〇年以降四年以内に、以上の漁船によつて使用されている網を、より大きい網目のもの、すなわち六五ミリ・メートル以上のものをもつて、毎年総数の二五%ずつ取りかえらるべきことを明らかにした。 (ロ) べにざけ(、、、、)漁獲量については、日本側は声明により、一九五九年においてべにざけ(、、、、)漁獲制限に関し、漁業上および科学上の試験を実施すること、ならびに試験の実施に当り、べにざけ(、、、、)の総漁獲量を八百万尾とし、このうち二百五十万尾を東経一六五度以西、北緯四八度以北の区域で漁獲する方針であることなどを明らかにした。 (ハ) べにざけ(、、、、)未成熟魚の混獲許容限度については、一九五九年にこの限度を定める問題につき、科学上および漁業上の調査を行ない、その結果を次回定例会議に審議のため提出することとした。 いわゆるはえ縄と称せられる釣漁具による漁業については、ソ連側は、これが大量の未成熟魚を漁獲し、多くの損傷魚を発生する漁具であるとして、かねてその使用の禁止を主張しており、また流網の細い糸が魚体を損傷するとして、これを太くする必要があることをも主張してきたが、第三回会議においてもソ連側は同様の主張をもつてそれぞれ案を提示して来た。 (イ) 釣漁具については、日本側は一九五九年においても規制区域内で釣漁業を行なわず、また規制区域外においては、主として沿岸零細漁民にこの漁業を許可する方針であり、かつこの漁業の拡大は望ましくないという立場をとる。なおこの漁具による損傷を少なくする目的で、業者および団体にたいし、必要な措置をとるようにしょうようする。 (ロ) 網糸の太さについては、委員会の決定によつて、現在使用されているもの(〇・五八九−〇・八二二ミリ・メートル)より太くすることが望ましいことを認め、また具体的太さの問題について漁業上および科学上の追加的調査研究を行なう必要があることを認めた。 にしん(、、、)群の減少にかんがみ、ソ連側は第三回会議において、一九五九−一九六三年までの五カ年間、樺太、北海道にしん(、、、)の分布区域、すなわち北海道沿岸、樺太南西岸および西岸、国後島近辺でのにしん(、、、)の全面禁漁を提案し、日本側はこれに反対して審議を続けたが、結局、日ソ双方が自国のとるべき措置について、それぞれ次の趣旨の声明をすることとなつた。 (イ) 日本側は一九五九年以降三年間、北海道のオホーツク海沿岸および日本海沿岸における五カ所の代表的にしん(、、、)産卵区域(海岸線総延長約五〇−七五キロ)に調査区域を設け、精密調査を行ない、漁獲の行なわれる区域と行なわれない区域とについて、産卵密度、産卵量および卵の死亡率、その他の調査、考察を行なう。 (ロ) ソ連側は樺太西岸(ゴルノザウォドスクーネウェリスク間五〇−六〇キロ)において、一九五九年以降全長一五キロにわたり、産卵にしん(、、、)の禁漁区を設定し、かつ産卵にしん(、、、)の分布、数量、産卵条件、各年級群の再生産などにつき調査研究する。 かに(、、)漁業の規制については、前年の第二回会議において、禁止区域、かに(、、)移動のための貫通路設定、母船数および製造凾数の制限、網の沈設期間および反数の制限など委員会の決定ないし声明によつてそれぞれ措置したが、第三回会議においては、ソ連側はさらに別の水域にも禁止区域を設定すること、操業区域を日本側とソ連側船団のために両分すること、許容漁獲量をさらに制限すること、その他詳細にわたり提案を行なつた。これにたいし、日本側は対案を示して交渉した結果、前会議におけると同様委員会の決定ないし声明によつて、諸種の措置についてソ連側と合意した。そのうち重要な措置は次のとおりである。 (イ) 一九五九年において、カムチャツカ西海岸の北緯五六度二〇分以北、五六度五五分以南を禁止区域とする。 (ロ) 母船数は日本側四隻、ソ連側六隻、漁獲量は日本側二八万凾(一凾半ポンド罐四八個)ソ連側二一万凾(一凾半ポンド罐九六個)とする。 (ハ) 操業区域は、日本側とソ連側とが相互に並行して操業し得るようそれぞれ緯度によつて区画を示した。 第三回会議においては以上の諸問題の外にも、さけ(、、)・ます(、、)の魚種別規制、害魚の影響、漁獲管理および漁業監視に関連する手続、学識経験者の交換などについて審議し、そのうち二、三の問題について決定ないし勧告案を採択した。かくて会議は前述のとおり五月十三日、両国の委員によつて議事録に署名を了した。 日ソ漁業委員会第三回会議においては、前回の会議と同様漁業に関する学識経験者の交換を行なうことについて勧告が採択されたので、両国政府間で、昨年六月末以来具体的な視察計画につき打合せを行なつた。ソ連側は八月一日、日本側学識経験者四名が八月十日から三週間の期間をもつてウスチ・ボリシェレツクおよびオゼルナヤ両コンビナートの河川流域における操業状況およびさけ(、、)・ます(、、)の産卵遡河条件の視察をすることに同意してきた。そこで日本側は相川水産庁調査研究部長の他外務省員一名、水産研究所および業界の専門家各一名より成る視察団を送ることとし、右の一行は八月九日第十五興南丸で函館発ナホトカに向かつた。翌十日ナホトカ到着後はソ連側の配慮により、八月三十一日まで予定どおりの視察を行ない、九月二日函館に帰着した。 他方、ソ連側からは、コルネイチューク・カムチャツカ魚類保護局長外三名からなる視察団が十一月十九日に来日し、北海道各地、長崎、大津、焼津、清水、東京その他の漁業施設、研究機関などを三週間にわたつて視察した上、十二月十二日帰国の途についた。 日ソ間に領土問題が未だ解決されず、南千島、歯舞、色丹がソ連の事実上の占領下にあるため、わが国の漁撈操業水域が戦前に比して著しく狭められたこと、本州北海道の沿岸および沖合の水産資源が近年とみに減少しつつあることなどの結果、北海道や本州の漁船は、漁業資源の多い樺太、千島、歯舞、色丹の岸(水産資源は陸岸に接近する程多くなる)に接近して操業せざるをえなくなつている。他方ソ連は一貫して領海十二海里説をとり、距岸十二海里周辺の海域で多数のわが国漁船を拿捕し、その乗組員を抑留するという措置に出ている。 領海三海里説を堅持するわが国としては、ソ連の十二海里説を承認するものではないが、事実上ソ連側との紛議を避けるため、わが国の漁業者にたいし十二海里以内に立入らぬよう国内指導を行なう一方、ソ連側にたいしては累次にわたり、拿捕漁船の返還、抑留漁夫の釈放を強く要求してきた。 ソ連は、わが国の漁船を拿捕した場合、これを千島、色丹島、樺太あるいは沿海州の基地に連行して取調べの上、領海侵犯、不法漁撈の容疑で起訴し、裁判の結果多くの漁船に対して船体、漁具、漁獲物の没収、船長または漁撈長に対して普通一年ないし三年の禁固刑を課している。起訴されない他の乗組員については通常わが海上保安庁巡視船の派遣を求めて洋上引渡しを行なつている。昨年中にソ連側に拿捕されたわが国漁船の数は、後掲の表のとおり一昨年に比して増加の傾向にある。 またソ連外務省は、一昨年十二月末口上書をもつて、わが国漁船の計画的かつ組織的なソ連領海侵犯の数が増加していると称し、今後拿捕漁船の乗組員および拿捕船舶の維持に要した経費補填のため、わが政府に請求書を提示し、また刑法上の責任を船長のみならず拿捕の際同乗の船主および漁撈長にもおよぼす旨を申し越した。これにたいしてわが政府は、在ソ門脇大使を通じ、昨年三月二十七日口上書をもつてソ連外務省にたいし、領海の範囲については、一九五八年ジュネーヴで開催された海洋法国際会議でなんら新らしい合意が得られなかつた現在、三海里が依然国際法上認められた規則であつて、三海里を越える海域をも領海とするソ連側の主張が有効でないのは当然であるが、日本政府としては、今回ソ連がとろうとしている措置は、たとえ国際法上認められた領海内における措置としても直ちに有効なものとは認めえない旨を通告した。 なおわが政府は、同時に右口上書の中でソ連による日本漁船拿捕事件に関する日ソ両国間の紛争の解決を国際司法裁判所に求める用意がある旨を述べ、また拿捕事件の発生を防止するため、かねてわが政府が行なつてきた北海道近海漁業に関する提案(その経緯については第三号一〇九頁近海漁業問題の項参照)をソ連側が検討し、すみやかに交渉開始に同意するよう要請した。その後ソ連側は、わが在ソ大使館を通じ、数回にわたり拿捕漁船乗組員の抑留経費を請求してきたが、わが政府はこれに応じていない。 終戦以来昨年末までソ連側に拿捕されたものは、海上保安庁の資料によれば、漁船八二九隻、乗組員七、二〇三名に上つており、そのうち六二八隻、七、一六一名(うち一名は遺骨)が帰還している。したがつて、二〇一隻、四二名が未帰還であるが、右二〇一隻のうち一四隻は沈没または大破のため船体が放棄されており、結局一八七隻が今日なお抑留されている。また未帰還者四二名のうち一一名は死亡しているので、生存残留者は三一名である。 日ソ国交回復後再開された樺太よりの邦人引揚は、一九五七年同五八年の両年度に第十二次ないし第十六次に至る五回の配船が行なわれ、計二、〇〇〇人余(家族たる朝鮮人を含む)が帰国したが、昨年に入つてからは一月二十八日に一七二名(同上)九月二十五日五八名(同上)引取りのためそれぞれ真岡(ホルムスク港)へ配船した。 日ソ共同宣言第五項に基づいて、ソ連政府へ調査方を依頼してある消息不明の邦人は一昨年二月現在で七七六九名となつていた。その後わが政府が入手した資料によつてこれを整理した結果、右のうち二、〇八九名については状況が判明したのでこれを削除し、また新たに三六二名がソ連領に連行されていることが明らかになつたので、これらの人々の氏名を追加した。かくして差引調査依頼の対象は六、〇四二名となつたので、六月十二日わが国の在ソ大使館を通じて関係資料をソ連側へ提供し、調査結果の通報方を依頼した。これにたいしてソ連赤十字社より、ソ連領内で死亡した邦人として十一月二日に六〇二名、十二月三十日に一二八〇名の名簿がそれぞれ提供された。 日ソ国交回復以来、ソ連政府は日ソ両国間の直接航空路の開設に関し、折にふれわが国の態度を非公式に打診してきたが、昨年三月二十二日に至り、在京ソ連大使館アディルハーエフ参事官は金山欧亜局長を来訪して正式に本件の申入れを行なつて来た。しかし航空路を東京−モスクワ間とするわが国の主張と、これを日本の一地点とハバロフスク間とするソ連側の主張が対立したので、わが国は、その後同年十月二日付口上書をもつて、再度東京−モスクワ間に航空路を開設することにつきソ連側の同意を求めたが、以来なんら正式回答に接しなかつた。 なおこれとは別にソ連航空機の本邦不定期乗入れに関しては、わが政府は一昨年度航行の安全と技術援助のため邦人誘導員が同乗することを条件としてこれを許可したので、レニングラード交響楽団員の往復の輸送およびモスクワ芸術座員の往路の輸送計三回の乗入れが行なわれた。 昨年度においては、まず右モスクワ芸術座員の帰国のためTU一〇四A機が前回と同一の条件で一月十一日乗入れを行ない、即日出発した。さらに本邦公演のモイセイエフ・ソ連国立舞踊団員の輸送のため同一の条件でソ連TU一〇四ジェット機二機の乗入れが許可されたので、団員の本邦入国のために九月十三日乗入れを行なつて即日出発し、ついで同団員帰国のために十一月四日乗入れを行ない、翌五日出発した。 ソ連政府は軍縮、核兵器の不使用および実験の停止、核武装禁止地帯の設定等重要国際問題に関し、一九五七年末のいわゆるブルガーニン書簡以来、各国にたいして積極的にその主張の実現方を呼び掛けてきた。昨年においてその警告外交の一環として在京ソ連大使館スズダレフ公使参事官が五月四日、金山欧亜局長を来訪し、わが国内における核武装問題、極東非原水兵器武装地帯の設置、中立問題等を含む次のとおりの長文の口上書を提出し、わが政府の説明を要請した。 ソヴィエト政府は、一九五八年五月十五日付および六月十六日付大使館口上書において日本国政府に対し、核兵器および同兵器の目的地への輸送手段(飛行機、ロケットおよびその他)の日本領域への持込みに関する日本の新聞および政治家の発言が事実に適応するや否やにつき説明を要請した。 遺憾ながら、現在まで日本国政府は、上記の口上書において提起した諸問題に対して明確な回答を与えていない。しかしながら、日本国領域内に核兵器の存することは、極東における戦争の危険の新たな源泉となるが故に、日本国内における核兵器の配置は、ソヴィエト連邦において不安を招来せざるをえず、ソヴィエト連邦がこれを看過することができないことは判りきつたことである。 次に、日本国政府が日本国内米軍基地への核兵器および同兵器の目的地への輸送手段持込みの事実に関する多数の報道の打消を差控えていることが注意を惹く。それどころか、日本の公的人物は国会および公衆の面前における発言中において、日本に駐留する米国軍隊の原子および水素兵器による装備を正当化しようと試みている。それのみならず、近来、日本国為政者は日本国軍隊の核・ロケット兵器装備を事前に決定し、日本の原子装備の合法化をかちえようとする試みとしかみられない言明を行なつている。 日本国首相岸氏は、最近国会において発言し、日本の原子武装計画になんらかの法律的裏付の外観を与えんとして、日本国憲法を引合にさえだすにいたつた。日本国防衛庁長官伊能氏は、参議院予算委員会において、日本国軍隊は小口径の核兵器、たとえば核弾頭をもつ「オネスト・ジョン」ロケットのごときものをもつ意図がある旨を述べた。 かくして、以前の言明、とくにソ連政府あての一九五八年五月十七日付日本国政府口上書に述べられている言明、すなわち「日本国政府自身は、核兵器による装備を行なつておらず、また、日本国内への核兵器持込みを認めていない」との言明に反し、今や多数の事実は、日本国政府が、第一に、日本国領域に駐留する米国軍隊の核兵器による装備を奨励し、また第二に、日本国軍隊をかかる兵器で装備せしめようとする措置をとつていることを物語つている。 ソヴィエト政府は、もちろん、日本国政府にたいして、憲法をいかに解釈するか、または日本を第三国、すなわち現在の場合では米国と結びつけるいかなる義務を負うべきかという忠告を与えようなどとは決して考えていない。しかしながら、事一度日本国の領域内における核・ロケット兵器の配置およびこの種の兵器による日本国軍の装備に関する以上、前記の諸措置は、日本と隣接する諸国家の安全上の利益に抵触せざるをえない。日本の原子装備は、世界のさらにまた一つの地域、すなわち極東における核武装競争を誘致することとなるべく、それは「戦争瀬戸際」政策を実施する諸国家によつて、危機を設けるために利用されるであろう。また、日本の核兵器装備およびその領域内における外国の原子・ロケット基地の設置は、ソヴィエト政府にたいし、ソ連極東の安全上の利益が命ずる一切の措置をとることを必要ならしめるであろう。われわれは、日本と隣接する他の諸国も、日本の島々が米国の原子基地化する事実および日本国軍の諸種の大量殺戮兵器による装備にたいして無関心のままでいるわけにはゆかないであろう。 ソヴィエト政府は、日本国政府において、日本の原子装備が日本の国家とその国民自身のためにもたらす極めて重大な結果を、妥当に考慮するよう期待したい。人類史上最初に原子兵器の破壊的作用の悲劇を自ら体験した日本国民は、比較的小さな領土と高度の人口密度をもつ日本の原子・ロケット装備競争に参加することが何を意味するかを明確に知つているはずである。世界の諸地域における軍事ブロックの主たる組織者である国家のロケット・熱核兵器基地を日本国領域内に設置することは、国民の意志に反して、日本をロケット・原子戦争へ自動的に引きこむ結果となりうる。 日ソ間に今日まで平和条約が締結されていないこと、および、日本の無条件降伏文書に署名した大国としてのソ連邦は、日本の発展が極東および全世界における平和の確保を脅威するがごときことのないように配慮する特別の理由をもつていることを考慮し、ソヴィエト政府は、原子戦争準備へ日本を引きいれんとする日本国民にとつてゆゆしい結果を内蔵する措置について、日本国政府にたいし適時に警告することを自己の義務と考える。 ソヴィエト政府は、日本国の安全の確保は、日本の原子武装化の道にあるのではなく、その領域内の外国軍事基地を撤廃する道、また日本国が中立政策を実施する道にあるとの自己の確信をすでに繰りかえし表明してきた。 ソヴィエト政府は、日本国の永世中立の尊重と遵守とを保障する用意があることをすでに声明してきたが、今ここに重ねてこれを確認する。この目的のために、ソヴィエト連邦と日本国との間に、あるいはソヴィエト連邦、中華人民共和国および日本国との間に適当な条約を締結する問題について日本国政府と討議することができよう。またソヴィエト連邦、中華人民共和国、日本国、米国ならびにアジアおよび太平洋地域のその他の関係諸国を加盟せしめて、日本国中立の集団保障に関する多数国条約の締結問題を討議することもできよう。もし日本国においてその中立が国際連合によつて保障されるべき旨の希望を表明するならば、ソヴィエト政府としては、本問題のこのような解決をも歓迎するだろう。 右とともに、ソヴィエト政府は、極東および全太平洋地域に平和地帯、まず第一に非原水兵器武装地帯を設置することが極東における平和強化上の利益に、したがつて日本国自身および極東のその他諸国の安全強化上の利益に合致するものと考える。ソヴィエト連邦政府は、極東および全太平洋地域にこのような平和地帯を設置することに極力協力する用意がある。平和地帯の設置に日本が参加することは、極東および全世界における平和強化の事業に立派な貢献となるべきことは疑いがない。 ソヴィエト政府は、日本国政府がこの口上書に記述されている見解を慎重に研究され、日本国軍の原水兵器装備問題ならびに日本国領域内米国軍事基地への核兵器持込問題に関する自己の立場について必要な説明を与えられるべきことを期待する。 ソ連政府の右口上書にたいするわが政府の回答として、五月十五日山田外務次官は、フェドレンコ在京ソ連大使を招致し、次のとおりの口上書を手交してわが政府の立場を明らかにした。 一国の国防問題は、その国が自主的に決定すべきものであつて、他国の介入が許さるべきものではない。ソ連の口上書は、在日米軍の核兵器持込みおよび日本国自衛隊の核武装を問題としているが、日本国政府は、周知のとおり独自の立場からその政策として自ら核武装せず、また核兵器の国内持込みを認めないとの態度をとつているのであつて、日本国政府としては、この態度に関連しソヴィエト連邦政府の容喙ないし警告を受くべき筋合ではないと考えている。 口上書において、ソヴィエト連邦政府は極東および全太平洋地域に非核武装地帯を設置すべしとの提案をしているが、核兵器問題は軍縮全般に関連する問題であり、かつこの問題の解決に最大にして直接の責任を有しているのは、核兵器を所有する大国であることにつきソヴィエト連邦政府の注意を喚起したい。過去において原爆の惨禍を体験した日本国民は、世界の平和と安全のため、関係国間の合意により軍縮全般に関連しすみやかに核兵器の全面的禁止が実現せられることを衷心より念願し、国際連合等を通じてこれに関するあらゆる努力を続けてきた。今、ソヴィエト連邦政府が自国の強大なる核武装を維持しつつ、非核武装地帯を設置すべしとの提案を行なつていることは、この大国の責任を他に転嫁する態度といわざるを得ない。もし核兵器全面禁止に至る道程としてなすべきことがあるとすれば、まず査察制度を伴う実験禁止を手始めとし、漸次大国がかかる大量殺人兵器の生産、貯蔵および使用を不可能ならしめるよう努力することこそ肝要である。 客年十二月二日ソヴィエト連邦外務大臣より門脇駐ソ大使に手交された覚書は、随所において、現在行なわれている日米安全保障条約の改定に関する交渉は、日本の「侵略的軍事ブロック」への参加、日本の武装兵力の海外への派遣、日本国憲法の破壊等を目的とするものであるとしている。かくの如きは、日米安全保障条約が全く防禦的な内容と性格のものである事実を故意に無視したものといわざるを得ない。改めて申すまでもなく、日米安全保障条約は、日本国がその有する固有の自衛権に基づき自らの安全を守ろうとする自主的かつ純粋に防衛的性格のものであり、他国よりの侵略のない限り、第三国にたいして発動され得ず、したがつて如何なる意味においても他国に脅威を与える如きものではあり得ない。 世界恒久平和のため民主主義による秩序の維持とその確立を国是とするわが国は、窮局において世界の平和と安全が国際連合の手により全面的に確保されることを衷心希望し、これが強化のために全幅の協力を約するものである。しかしながら国際連合が完全にその機能と責任を果し得るに至るまでの間、わが国としては、国際連合憲章の下においてまず自らの安全を図る道を求め、かつ平和維持に寄与するための措置を講ぜんとすることは当然である。 ソヴィエト連邦政府は、また口上書において、日本国が自国の安全を求める手段として中立政策に転移すべきことを勧奨している。すでに指摘せるごとく自国がその安全を保持する手段として如何なる外交政策をとるべきやは、その国民が自主的に決定すべき問題である。ソヴィエト連邦の勧奨する中立の諸方策は、日本が自らの安全保障のため選んだ基本的立場と背馳するものであり、日本国の受け入れ難いところである。ソヴィエト連邦は一方において他国に中立を勧奨しながら、他方において独自の中立政策を堅持せんとする国を強く非難している。さらにわれわれはソヴィエト連邦を当事者とする不侵略条約ないし中立条約が過去において如何なる結末になつたかという歴史的な事実にも無関心たり得ない。 また口上書において、ソヴィエト連邦政府は、日ソ間に今日まで平和条約が締結されていないことおよびソヴィエト連邦が降伏文書に署名したことを口実として、あたかも日本国が自ら決定すべき問題につき警告を発する特別の立場にあるが如きことを述べている。不幸にして平和条約は領土問題未解決のために締結されていないがすでに日ソ共同宣言により戦争状態は終結し、日ソ両国が平和的にして正常な国交関係にあることは周知の事実である。しかるに今日、この明らかなる事実を無視し、あたかも内政干渉を正当化せんとするが如き見解がソヴィエト連邦政府により示されたことは甚だ遺憾であつて、日本国民は、かくの如き態度を容認し得るものでないことを明らかにしたい。 わが国とハンガリー、ルーマニアおよびブルガリアとの外交関係は、今次大戦後杜絶していたが、わが国は、昨年八月ハンガリーと、同年九月ルーマニアおよびブルガリアとそれぞれ国交を回復した。 ハンガリー、ルーマニアおよびブルガリアの三国は、第二次大戦に際して枢軸側に立つたが、大戦末期ハンガリーの敗戦によつてわが国と同国との外交関係は杜絶し、またルーマニアは一九四四年九月連合国と休戦して翌十月わが国との国交を断絶し、ブルガリアも同年十月連合国と休戦して、翌十一月わが国との国交を断絶した。 一九五六年五月、ハンガリー側よりユーゴースラヴィア駐在広瀬公使を通じて、国交回復に関するわが国の態度を打診して来たのをはじめとし、ルーマニアおよびブルガリアよりもわが国の在外公館を通じ国交回復の申入れがあり、さらに一昨年二月、ハンガリーより重ねて復交申入れがあつた。 わが国はすでにソヴィエト連邦、ポーランドおよびチェッコスロヴァキア等と国交を回復しており、またわが国の外交方針としてもできるだけ多くの国と外交関係を結ぶことが望ましいので、政府はハンガリー、ルーマニアおよびブルガリアとの外交関係を回復することに決定し、昨年三月チェッコスロヴァキア駐在木村大使をしてハンガリーと、同年四月ポーランド駐在太田大使をしてルーマニアおよびブルガリアと、それぞれ下交渉を行なわしめた後、プラーグおよびワルシャワで正式にこれら三国との国交回復交渉を開始した。 ハンガリーとの交渉は、同年七月末からプラーグにおいて木村大使とチェッコスロヴァキア駐在のハンガリー大使との間で行なわれたが、わが国とハンガリーとの間には外交関係回復に先立つて特に解決を要するような問題もなかつたので、交渉は短期間で妥結し、八月二十九日プラーグにおいて木村大使とマリヤイ・ハンガリー大使との間で、公文交換の日から両国の外交関係を回復し相互に遅滞なく公使を交換するという趣旨の公文が交換された。また同時に、戦前両国間に締結された条約および協定はすべて失効したことを確認し、かつ、両国は両国間の通商に関する協定締結の交渉を行なう用意がある旨を述べた公文が交換された。 ルーマニアおよびブルガリアとの交渉は、同じく七月末からワルシャワにおいて太田大使とポーランド駐在のルーマニア大使およびブルガリア大使との間で、それぞれ交渉が行なわれたが、ハンガリーと同じくこれら二国とわが国との間に外交関係を回復するに際してとくに解決を要する問題もなく、交渉は短期間に妥結した。かくてルーマニアについては九月一日太田大使とプラポルゲスク・ルーマニア大使との間で、ブルガリアについては同月十二日太田大使とボエフ・ブルガリア大使との間で、それぞれ、公文交換の日から外交関係を回復し相互に遅滞なく公使を交換するという趣旨の公文、および、戦前両国間に締結された条約および協定はすべて失効したことを確認するという趣旨の公文が交換された。 |
[ 76] ソ連および東欧関係
[引用サイト] http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1960/s35-2-2-6.htm
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北西太平洋の広大な公海上で、わが国の漁船が日ソ漁業条約に基いて漁獲する水差物が、年々莫大な量にのぼり、その全生産物が価格に見積つて年間三百億円を下らないことは周知のところである。この漁業に関しては、ソ連とわが国との間でさけ(、、)・ます(、、)の年間総漁獲量およびその他の諸問題について、年々審議決定する必要があるので、昨年度も、前記条約に基いて設置された北西太平洋日ソ漁業委員会の第二回会議がモスクワで開催された。 これより先、右会議に対して日本側は、在ソ門脇大使を代表に任命し、さらに平塚委員をも代表に加え、委員会会議には藤田、坂村、都村三委員の他、顧問六名、随員十五名を列席せしめたが、ソ連側からもこれに相当する顧問および専門家の参加があり、会議は予定どおり一月十三日から開始された。同会議に上程された問題のうちには、困難な交渉を必要とするものが多かつたので、会議は意外にながびく結果になつた。ことにさけ(、、)・ます(、、)の年間総漁獲量の決定問題は、第一回会議の場合と同様、委員会の論議だけでは結論を出しえなかつたので、結局政府代表間の交渉に移されることとなつた。しかし日本側では平塚代表が中途帰国したので、その後をうけて赤城農林大臣が代表として三月二十日にモスクワに到着し、続いて到着した高碕代表とともに、ソ連ゴスプランのイシコフ大臣を相手に交渉を続けねばならなかつた。 諸問題の中で、最も重要なさけ(、、)・ます(、、)の年間総漁獲量の決定については、委員会において前年度の漁業に関する諸報告および資料の交換などがすみ、本質的問題の審議に入ることとなつた一月二十日の第五回本会議の席上、双方よりまず漁獲許容量とその他の規制措置に関するそれぞれの見解を述べた。その際日本側は昨年度の総漁獲量を十四万五千トンに決定すべきことを提案し、ソ連側からも対案の提示を期待したが、ソ連側はこの問題を決定する前に審議する必要ありとして、昨年度のさけ(、、)・ます(、、)の豊凶性の評価について長い声明を行つた。ソ連側は右声明の中で各魚種別の資源状態から見て一九五八年が不漁であるとの判断を下し、爾後さけ(、、)・ます(、、)資源の維持を確保するためには、その漁獲の規制につき幾多の追加措置を講ずる必要のあることを強調した。このようなソ連側の態度にかんがみ、まず資源状態についての検討から始めることになり、一月二十四日以来、科学技術小委員会を開き、資源状態の審議とともに、総漁獲量の決定に必要な資料をも審議し、さらにさけ(、、)・ます(、、)漁獲規制に必要な措置について審議を続けたが、双方の見解は容易に一致しなかつた。 他方平塚代表は二月十一日よりイシコフ大臣と会談を開始したが、回を重ねるに及んで同大臣は、日本側がオホーツク海の公海におけるさけ(、、)・ます(、、)漁業の全面的禁止を受諾すれば、漁獲量問題も解決されることを示唆するに至つた。また平塚代表の帰国後、ソ連側は三月三日の第十一回本会議で、一九五八年は不漁年であり、総漁獲量は不漁年に関して規定された八万トンを超えるべきではないとの見解を明らかにした。このような事情にかんがみ、新たに到着した赤城農林大臣は高碕代表および門脇大使等と共にイシコフ大臣との間に種々折衝を重ねたが、結局(1)一九五八年のさけ(、、)・ます(、、)総漁獲量は同年を不漁年と認め、例外として十一万トンとすること、(2)オホーツク海の一九五八における漁獲量は母船一隻により六、五〇〇トンとすること、(3)一九五九年一月一日以降オホーツク海の公海におけるさけ(、、)・ます(、、)漁業を停止することなどによつて妥結した。 漁獲規制についてはさけ(、、)・ます(、、)ばかりでなく、かに(、、)およびにしん(にしん)漁業に関する各種の事項がすでに会議の議事日程中にかかげられたが、その中重要なさけ(、、)・ます(、、)の漁業禁止区域については、わが国側も大体前年のラインに近いものでソ連側と妥結した。だたしさけ(、、)・ます(、、)漁獲の新しい管理方法の設定および漁期の短縮問題に関しては、強くこれに反対した。また流網および釣漁具によつて生ずるさけ(、、)・ます(、、)の損傷を少くする措置およびさけ(、、)・ます(、、)の魚種別規制については、わが国側はこれに反対しながらも、調査研究することに同意し、べにざけ(、、、、)の資源保存に関しては前年程度の措置を認めることに同意した。なおかに(、、)およびにしん(にしん)漁業については、ある程度ソ連側の要望をも容れて若干の規制措置をとることとした。 このような経過の後、四月二十一日に至つてさけ(、、)・ます(、、)の年間総漁獲量決定につき最後的交渉が成立したので、同日夜半第二回会議の議事録に両国委員の署名を了した。 モスクワにおける昨年の漁業交渉の際、日・ソ漁業条約第五条の規定に基く漁業視察団の相互交換に関して、日ソ漁業委員会の両締約国政府に対する勧告が行われたが、その後漁期の開始とともに、両国政府間にその具体的な視察計画の実行につき交渉が進められ、七月に至つて話合が成立した。その結果、わが国からは藤永水産庁調査研究部長を団長とし、外務省員三名をも加えた一行十三名が七月十七日東光丸で函館湾よりナホトカ港に到着、一カ月に亘つてソ連の極東漁業を視察した後、八月十七日帰国した。 またソ連側は、ヴァニヤーエフ・カムチャツカ地方経済会議々長を団長とする視察団一行十三名が、八月七日リオン号でウラジオより函館港に到着し、同じく一カ月に亘つて日本漁業を視察した後、九月七日新潟港より日離した。 昨年春のモスクワにおける日ソ漁業交渉の際、日本側赤城代表(農相)からイシコフ漁業部長に訪日を要請した経緯があつたので、三浦農相はソ連側漁業視察団がわが国に滞在している頃を見計らい、約一週間の予定で同部長を招待することに定めた。イシコフ部長は、わが国の招待を受諾し、八月二十七日随員ジュイコフ氏を伴つて来日、政府要路と会見を行うとともに、東京、塩釜、清水、焼津等各地の漁業を視察した後、九月七日前述のヴァニヤーエフ氏ら漁業視団察一行とともに新潟港より離日した。 なお同部長は、八月二十八日藤山外務大臣の招きによつて同大臣と会談した。その際藤山外務大臣は、近海漁業問題につきソ連側が再考慮すべきことを求めたが、イシコフ部長は、「近海操業の問題は領海の問題とも関連しており、従つて日ソ平和条約と切離しえない関係にある。日本側が平和条約締結の決意を固め、平和条約が結ばれれば日ソ間の友好的な雰囲気も高まり、近海操業問題の解決も容易になるのではないか」と答えた。 一昨年以来、日ソ間の重要懸案の一となつている近海漁業問題の解決が、昨年に至つてソ連側が問題を日ソ平和条約締結問題にからませてきた結果、難航するに至つた。その経緯は前号(第二号)に詳述したところであるが、わが政府は、その後あらゆる機会をとらえて忍耐強くソ連側と折衝し、ソ連側が再考の上、誠意ある態度を表明するよう要望した。しかし昨年中には、わが政府の努力は遺憾ながら実を結ばず、問題は本年に持越されるに至つた。ソ連側との折衝の経緯は、おおよそ次の通りである。 第二号に述べた如く、二月五日、イシコフ・ゴスプラン漁業部長が突然在ソ門脇大使にたいし、「日本政府は、日ソ共同宣言の署名より相当の時日を経過したにもかかわらず、今なお平和条約を締結する用意を表明しないことにかんがみ、ソ連政府は、近海漁業問題を審議する条件がまだ熟していないと認める」旨の回答を行い、また二月七日、フェドレンコ・ソ連外務次官も門脇大使に対し、イシコフ部長の回答がソ連政府の意向であることを確認した。そこで門脇大使は直ちにこれを反駁したが、二月十八日、わが政府は、同大使を通じソ連政府に対して覚書を送り、ソ連の回答に遺憾の意を表明するとともに、従来の交渉の経緯に照し、ソ連側の態度が首尾一貫しないものである点を指摘した。右覚書は、日ソ平和条約問題にも言及し、ソ連がわが国の正当な要求に理解ある態度を示す場合は、わが国はいつでも具体的交渉に入る用意があること、わが国は日・ソ共同宣言以来両国間の友好善隣関係増進に努力してきたのであるが、わが国としては平和条約締結のため具体的交渉が行われるまでの間においても、両国間の友好関係を阻害する頻々たる雰細漁民の漁船拿捕事件を未然に防ぐことが両国の利益に合致することを確信するが故に、なんらかの実際的措置をとることが緊要であると考えて協定案を提出したのであること、しかるにソ連政府がこの態度を急変して平和条約問題を持出したため、問題が停滞を見るに至つたことは遺憾であり、またわが国民の失望にたえないところである。わが政府は、ソ連政府が本問題を再検討の上、平和条約締結までの暫定的措置として、この際平和条約交渉と切離して速かに交渉に応ずるよう要望して熄まない、という趣旨を述べたものであつた。 ところがソ連側は、依然としてその態度を変えず、三月十八日門脇駐ソ大使に対し、右の二月十八日付のわが国側の申入れに対して、日本政府がソ連との平和条約締結の用意を表明していないので、近海漁業問題を審議する条件はいまだ熟していないと考えるという紋切型の主張を繰返えすとともに、領土問題は解決済であつて日本側のいかなる要求にも応じられないと述べた回答を伝達してきた。 このようにして、近海漁業問題は、日ソ両国の態度が鋭く対立したため難航状態に陥つたが、わが政府は、漁期を控えてこのような状態を打開する必要に迫られ、五月十九日再び門脇大使を通じ、前述三月十八日付のソ連政府の回答に対し、わが国の見解を明らかにし、わが国側は近海漁業問題の実際的解決の方法を見出すことにつき、ソ連政府と協議することが本旨であり、その形式の如何にこだわるものではないことを述べ、ソ連側としても日ソ友好善隣関係促進の大乗的見地に立ち、交渉を開始するため本問題を再検討するよう要請した。 ソ連政府は、その後久しきにわたりこの要請に対する回答を渋つたので、わが政府は、十月十一日門脇大使をしてソ連外務省を督促せしめた。しかし遺憾ながら年末に至るまでには、わが方の満足しうるような回答に接することができなかつた。 日ソ間に領土問題が未だ解決されず、樺太、千島、歯舞、色丹がソ連の事実上の占領下にあるためわが国の漁業操業水域が戦前に比して著しく狭められたこと、本州、北海道の沿岸および沖合の水産資源が近年とみに減少しつつあること、その結果として北海道、本州の漁船は、漁業資源の多い樺太、千島、歯舞、色丹の岸(水産資源は陸岸に接近するほど多くなる)に接近して操業をせざるをえなくなつているが、一方ソ連は、領海十二海里説を採り、距岸十二海里周辺の海域で多数のわが国漁船を拿捕し、その乗組員を抑留するという措置に出ている。 領海三海里説を堅持するわが国としてはソ連の十二海里説を承認するものではないが、事実上ソ連側との紛議を避けるため、わが国漁業者に対し十二海里以内に立入らぬよう国内指導を行う一方、ソ連側に対しては、累次にわたり拿捕漁船の返還、抑留漁夫の釈放を強く要求してきた。 ソ連はわが国の漁船を拿捕した場合、これを志発島、国後島、樺太あるいは沿海州の基地に連行して取調べの上、領海の侵犯領海内における不法漁撈、時にはスパイ行為の容疑をもつて起訴し、裁判の結果多くの漁船には船体、漁具、漁獲物の没収、船長または漁撈長には一年ないし三年の禁錮刑を科している。船長または漁撈長以外の乗組員については、容疑の晴れた他の漁船を釈放する際に同乗させて送還するか、時にはわが海上保安庁巡視船の派遣を求めて洋上引渡しを行つている。 昨年中にソ連側により拿捕されたわが国漁船の数は、後掲の表のとおり一昨年に比して幾分減少している。これら、拿捕事件に関し、わが政府は、同年中に在ソ大使館を通じて数次にわたつてこれら拿捕漁船の返還と抑留漁夫の釈放を要求した。 終戦以来昨年末までにソ連側によつて拿捕されたものは、海上保安庁の資料によれば漁船七三七隻、乗組員六四一九名に上つており、そのうち五八四隻、六三七二名が帰還している。したがつて、一五三隻、四七名が未帰還であるが、右一五三隻のうち一一隻は沈没または大破のため船体を放棄しており、結局一四二隻が今日なお抑留されている。また、未帰還者四七名のうち一一名は死亡しており、生存残留者は三六名である。 一昨年七月に開始された第十二次より第十五次に至る四回の引揚は昨年一月に終了したが、八月十四日にいたつてソ連側より在留日本人およびその家族たち朝鮮人三六六名を送還すると通告してきたので、政府は九月二日白山丸を真岡港へ派船し、邦人とその家族の朝鮮人計四六四名、他に抑留漁夫八名を引取つた。 わが国は日ソ共同宣言第五項に基き、ソ連政府に対しソ連邦内で消息不明となつている邦人一一、一七七人の調査方を依頼してあるが、その後わが政府の調査および一昨年十二月二十五日ソ連側から通報のあつた調査結果の一部を整理し、削除、追加等の補正を行つた結果七、七六九名となつた。よつてわが政府は、昨年八月四日在ソ大使館を通じて必要な訂正資料をソ側へ提供し、調査結果の通報方を督促した。 なお留守家族援護法改正に関連し、未帰還者に関する特別措置についての昭和三十三年八月一日付閣議了解事項の方針に基き状況不明者の調査究明を推進する諸方策が講ぜられることゝなつたので、わが政府は、十一月二十二日在ソ大使を通じソ連政府に対し引揚問題に関する総括的な申入れを行い、調査結果の通報、死亡資料、邦人墓地、埋葬状況等に関する資料等の提供につきソ連側の協力を要請した。また、政府は在ソ邦人の実体を明らかにするため、政府保有の資料によつて地点別の残留者リストを作成し、これを住所の判明している未帰還者約五百名に送付し、回答を求める措置を講じた。 日ソ間の国交回復以来、ソ連側は、折にふれて非公式に、日ソ両国間の直接航空路の開設につき、わが国の態度を打診してきた。その後昨年三月二十二日にいたり、在京ソ連大使館は正式に外務省に対し、ハバロフスクと東京、もしくは日本領土内のその他の地点との間に、相互主義の原則に基いて、両国間の直接航空路を設定する交渉を、東京またはモスクワで行うことを提案してきた。 わが政府は、これに対し六月十八日、(一)日ソ両国間の直通航空路が、東京−モスクワ間、もしくはそれ以遠の間であること、(二)同時乗入れの実施についてあらかじめソ連側の同意が得られるならば、わが国側においても協定交渉に応ずる用意があることを回答した。 この回答に対してソ連側は、八月二十七日わが政府にたいし前述のソ連提案を再び検討するよう求めるとともに、「ハバロフスク・モスクワ間には国際的路線がなく、この方面では外国航空機は飛行を行うことはできないが、ソ連領内で行われている国際路線(例えばコペンハーゲン=モスクワ、ベルリン=モスクワ)の飛行を日本の航空会社に許可するようにとの提案があれば、これを検討する用意がある」と申入れてきた。 このソ連側の申入れに対して、わが政府は十月二日、東京=モスクワ間、または東京=モスクワ以遠の路線を開設することが相互主義の原則に即しもつとも妥当なものであると思われるし、また、ハバロフスク・モスクワ間に国際路線がないという理由で、同地域に新な国際航空路線を設定するための交渉を行いえないとすることは理解し難いと反論し、ソ連側が、六月十八日のわが国の提案を重ねて検討し、これを採用するように希望する旨を回答した。これに対してソ連側からは年末に至るまで回答がなかつた。 以上は日ソ間定期航空路の開設に関する交渉であるが、これとは別に昨年二月十七日、ソ連側はわが政府にたいし、公演のため来日するレニングラード国立交響楽団員一二五名を輸送するために、TU-一〇四A型機二機の本邦乗入れ許可を求めてきた。わが政府はこれに対し、航行の安全と技術援助のため、日本側誘導員を各機二名あて(航空士一、無線士一)同乗させることを条件として許可する旨を回答したところ、ソ連側はこれを応諾した。よつて政府は、運輸省および防衛庁より、それぞれ二名計四名の同乗員を派遣した。これによりソ連機は、四月十二日羽田に到着し、即日出発した。 ついで五月二十一日、レニングラード交響楽団員の本国送還のため、同じくTU-一〇四A型機二機が同一条件で羽田に到着し、即日出発した。 さらに十二月二日、ソ連TU-一〇四A型機二機が、本邦で公演する「モスクワ芸術座員」輸送のため、同様の条件で第三回目の羽田乗入れを行つた。 ブルガーニン・ソ連首相は、一昨年十二月十日北大西洋同盟理事会を前にして、長文の書簡(いわゆる「ブルガーニン書簡」)を米、英、仏その他のNATO加盟諸国首脳に送つたが、同日ソ連政府は、わが国をも含む国連加盟国にあてて前述ブルガーニン書簡と同趣旨の「国際緊張緩和と首脳会談開催に関する口上書」を送付した。さらにソ連政府は、昨年一月八日NATO加盟国に対し、大体において前回と同趣旨の「国際緊張緩和に関するソ連政府の提案」を送付し、翌九日在ソ日本大使館にも前述の「提案」を送付してきた。 これらソ連政府の見解および提案は、いずれも米国をはじめNATO諸国の軍事態勢の強化と西独の軍国化の進行に警告を発するとともに、国際緊張の緩和、平和の維持のために、軍備拡張の停止、核兵器の不使用と実験の禁止、東西不可侵協定の締結、中欧における核武装禁止地帯の設定、東西首脳会談の開催等を呼掛けたものであつた。これにたいしわが政府は、昨年二月二十四日、在ソ大使館を通じてソ連外務省に口上書を送り、ソ連政府が一昨年十二月十日付の口上書に述べた意見および提案に関して、わが政府の見解を示すとともに、領土問題、漁業問題等の日ソ関係諸問題についても、その見解を表明した。その要旨は次の通りであつた。 「日本政府は、一九五七年十二月十日付口上書に述べられたソ連邦政府の意見および提案を至大の関心をもつて検討し、若干の論点についての日本政府の見解を次のように披瀝する。 まず第一に、新たな戦争発生の危険を防止し、平和を強化し、かつ国際間の友好的協力を増進する問題について述べれば、日本政府は、とくに平和の維持に主たる責任を分担する諸国が国連においてその責務に応じて認められた特権を濫用することなく、国連の公正な精神を実現するため真摯な努力を払うならば、現在の世界の不安が国連の手によつて除去されるに至るものと信ずる。しかし日本政府は、緊張の増大しつつある現下の国際情勢においては、緊張緩和に役立つものならばいかなる方法でもただちに試みらるべきものであると考え、主たる責任を分つ諸国の最高水準の代表者が、そのため会談を行うことには賛成である。しかしこのような会談は、深い思慮と慎重な外交的準備の後に開催されるべきものであると信ずる。 第二に、前記の口上書においてソ連政府が言及した核兵器の完全禁止の提案については、日本政府は、世界に卒先してその必要を提唱しきたり、第十二回国連総会においても核実験の停止を提唱し、核兵器の禁止をも含む軍縮問題の打開を計つた。しかるに五七年十一月四日国連総会第一委員会においてソ連代表が軍縮委員会および同小委員会への不参加を表明して以来、軍縮問題はその討議の場を失つたままになつた。この事態は、世界諸国民の眼に軍縮問題自身のソ連によるボイコットと映ずる結果を招いており、ソ連政府の意図に反する結果となつているといわざるをえない。軍縮協定成否の鍵は、少数の関係大国間の折衝にかかつている事実にかんがみ、ソ連政府が一日も早く軍縮委員会を通ずる討議の再開に応ぜられんことを希望する。 第三に、前記口上書においては、NATOその他の集団安全保障機構に非難が集中されているが、日本政府は、これらの機構が侵略または攻撃を目的としているものではないと了解しており、従つてそれらの存在が国連憲章の精神に反するものとは考えない。 第四に、日本政府は、前記口上書において外国への依存とその抑圧からの解效のため、アジア、中近東の若い民族国家が独自の法則と自国民の意思に従つて成長し、発展して行く努力の正当性が強調されている点については、賛意を表するものであり、これら友邦諸国の平和的発展のため今後とも国連の内外において最大の努力を傾ける決意を有する。他面ソ連政府においても東欧諸国民の現状に関する多くの批判に耳を傾けられんことを希望する。また日本政府は、ドイツ国民が自由に表明する意思に基き単一の国家を形成することは、ヨーロッパの安定ひいては世界平和のために不可欠の要件であると考える。 第五に、日ソ両国の関係は、一九五六年十二月、日ソ共同宣言に基く外交関係の復活により正常化され、五七年始めには日ソ漁業委員会が開かれ、同年十二月には通商条約および貿易支払協定が署名されるに至つた。 しかしながら日本政府は、領土問題に関する見解の不一致のため両国間に平和条約の締結が遅延していることを遺憾とするものであり、この機会に、ソ連政府が日本国民一致の願望を容れて日本の固有の領土である島嶼の不当な占有を中止し、すみやかに両国関係の一層の正常化のための措置をとられることを希望する。 次に日ソ間の重要な懸案の一つである漁業問題に言及すれば、漁業は日本国民にとり死活の問題であり、とくに北洋漁業は日本国民の重大関心事である。ソ連政府においても日本国民にとつての漁業資源の重要性を考慮して、本問題に関して友好的協力を示すよう希望する。 さらにまた日本政府は、戦争終了直後ソ連内に移送されたと認められる日本人の所在および死亡者の氏名に関し、ソ連政府が人道的見地より今後とも誠意ある協力を供与されることを切望する。 第六に、日本政府は、ソ連政府が現下の対立する二つの世界の一方の中心にして、他の主要国と共に世界の平和維持に至大の責任を有していることを改めて指摘するとともに、誠意をもつて平和を希求するいかなる国家に対しても、その誠意が事実によつて立証されるかぎり、全幅の協力を惜しまないものであることをここに重ねて表明するものである。」 ソ連政府は、昭和三十三年度において、わが国民の重大関心事である核兵器の持込みに関する問題、台湾海峡の情勢に関する問題および日米安全保障条約改定の問題に関連して、「よき隣邦としての立場から警告する」と称して、再三にわたりわが政府に対する申入れを行つてきたが、その経緯は大要左のとおりである。 昨年五月十五日、ザブロージン在京ソ連代理大使は、山田外務次官に対して外務省あて口上書を手交し、わが国に核兵器の持込みが行われているという趣旨の新聞報道やわが国政治家の発言があるが、果してこれは事実であるかと質問してきた。 これに対し外務省は、五月十七日ソ連大使館あて口上書をもつて、「わが国が核兵器の国内持込みを認めていないことは周知の事実であり、核兵器の持込みに関するソ連側の非難が全く無根拠なものであることは国会における質疑応答によつて明白である。日本政府はこの際改めて関係国が核兵器の禁止に関しすみやかに全面的な合意に達するよう要望する」との趣旨の反駁を行つた。 さらに六月十六日、ザブロージンソ代理大使は山田外務次官に対し、五月十七日付のわが外務省の口上書に対する回答として再び口上書を手交した。ソ連政府は、この口上書の中で、「日本政府が前にソ連政府に送つた上書は五月十五日付のソ連大使館口上書が提起した質問に対する回答を含んでいない、日本政府は、米国の核兵器の国内持込みに関する報道を否定していないのみならず、二月十一日の衆議院予算委員会における今澄議員の質問に対する岸総理大臣の答弁および三月二十七日の衆議院内閣委員会における石橋議員の質問に対する藤山外務大臣の答弁は、このような可能性を認めている。ソ連に近接する日本への核兵器の持込みは極東の平和と安全を脅威するに足るものというべく、ソ連は日本のよい隣邦として本問題の重要性について再び日本政府の注意を喚起するものである」との趣旨を述べてきた。 よつて外務省は、この六月十六日のソ連側口上書に対する正式回答として、八月二十三日ソ連大使館あて口上書をもつて、「日本国政府はいやしくも隣国に対して脅威を与えるがごとき意図は有しない。従つてソ連国民およびその友好国民の間に生じた不安感というものは全く根拠がない。ソ連が核兵器を含む強大な軍備を有しておる事実、および近接する諸地域に有力なる軍隊が配備せられている事実は、ソ連側の説明にもかかわらず、現実の問題として日本国民を脅威している。日本国政府は、ソ連側口上書が"それぞれの国家の国防問題が当該国家の排他的権限に属するものである"と述べていることをテーク・ノートする」と申入れて、前回と同様ソ連側の主張を反駁した。 昨年九月十六日在京ソ連大使館はわが外務省に対し、台湾海峡の情勢に関する次の如き要旨の口上書を送つてきた。 「最近米国は、台湾方面において中華人民共和国にたいして向けられた一連の挑戦的な危険な行動を起した。そのため極東の事態は尖鋭化し、平和にとつて重大な危険をはらむ状態がつくられた。 右に関連して米国および日本の新聞、ラジオには、米軍当局が日本の領域内に配置されている米軍部隊をも準戦体制に置いたとの報道が現れたが、右報道は、米国武装兵力がその挑発的な侵略行為を実施するため日本の領土を直接的に使用していることを証明するものである。 ソ連政府は、右報道が事案ならば、日本が中華人民共和国に対する米国の侵略行為の参加者となるが如き状態が生ずべきことにつき日本国政府の注意を喚起し、日本政府が米国武装兵力の侵略的行動に利用される可能性を阻止するため適宜の措置を講ずべきことを希望するものである。」 このソ連大使館の口上書に対し、外務省は、即日非公式見解として、「わが国の外交方針は一切の紛争は平和的に解決さるべきであるとの立場に基いており、いかなる意味でも侵略行為を自ら行わず、またこれに加担することはありえない。台湾海峡の情勢については武力により現状を変更せんとする試みは、その政治的主張のいかんにかかわらず、世界平和に対する重大な脅威に通ずるものである」と述べた。 ついで十月二日、政府は九月十六日付ソ連側口上書に対する正式回答として、要旨次のような口上書をソ連大使館にあてて送付した。 「本年九月十六日付ソ連大使館口上書において、ソ連政府は、台湾海峡における米国の行動が侵略行為であると主張し、日本国領土が米国軍隊のために利用される可能性を指摘しているが、日本政府は、世界平和の維持をその外交の出発点としているので、他国に対し自ら侵略を行い、あるいは侵略行為に加担するようなことは到底ありえない。 台湾峡海方面における米国の行動が侵略行為であるという断定は、今回の危機が中共軍の武力行使によつて招来されたという現実の事態よりみて根拠を欠くものである。 現国際情勢下においては、たとえ当事者の政治的主張がいかなるものであるにせよ、武力により現状を変更し、あるいは暴力的手段に訴えて紛争の解決をはからんとすることは、戦争の危機を増大し、世界平和に対する重大な脅威を与える惧れがある。 従つて日本政府は、ワルソーで行われている米中大使会談の如き平和的話合によりまず当事者間で武力を用いないことが合意され、ついで将来にわたり平和と安定を確保する解決が斉らされることを強く希望するものである。 さらに十一月二十七日、フェドレンコ駐日ソ連大使は、藤山外務大臣に対してわが外務省あての口上書を手交するとともに、「十月二日の日本外務省の回答においては重大な問題が回避されており、中華人民共和国に対する侵略行為のために日本の領土が米国の武装兵力によつて利用される結果が、平和のため、また日本自体のためにも重大であることにたいし、改めて日本政府の注意を喚起する」と申入れてきた。これに対して藤山外務大臣は、「日本政府の見解は十月二日の回答に尽されており、何らつけ加えることはない。国際関係についての日本の立場は、日本政府自身の決定すべきことであり、他国がこれに容喙すべきものでない」と反駁した。 十二月二日、グロムイコ・ソ連外相は、門脇在ソ大使に対して日米安全保障条約改訂問題に関するソ連政府の覚書を手交し、「日本は中立政策の実施によつて極東における平和と安全に重要な建設的寄与をなすものであると考える。ソ連は日本の中立を尊重する旨の厳粛な誓約をする」と通告してきた。 「本年十月四日東京において、一九五一年九月米国および日本の間に調印されたいわゆる安保条約の改定に関する日米交渉が開始された。 安保条約は、日本国民の意思に反し、またその民族的利益に背いて締約されたものである。その結果米国は、現在日本領土上に多数の軍事基地を保有している。 合衆国の対中華人民共和国侵略行動の実施に当つては、アメリカの武装兵力が日本領城から台湾島および台湾海峡水城に投入されている。これらはいずれも日本領土上に存する合衆国の軍事基地がアジアの平和を愛する諸国民に脅威を与え、ソヴィエト連邦および人華人民共和国を直接目標とするものであることを物語つている。 日本とソヴィエト連邦、中華人民共和国および米国を含む他の諸国との友好関係の発展は、今日欠除している極東諸国家間における必要なる信頼を確立するに役立つであろう。その故に日米関係がますます米国の指導下に侵略的軍事ブロックの性格を帯びつつある事実は、ソヴィエト国民を悩まさずにおかないのである。 合衆国と日本との間の軍事条約締結に関する交渉について、当事国間の権利および義務の平等を謳う偽りの宣伝が随伴している。これらの宣伝は、危険な計画と日本領土における米国軍事基地を確保し、日本の武装兵力を日本国民の民族的利益と相容れない侵略計画の実現のために使用することを予定する押しつけの義務が、日本民族にとつて片務的である性格を陰蔽ぜんとするにある。 日本には、一九五〇年二月十四日のソヴィエト連邦、中華人民共和国間の友好、同盟および相互援助に関する条約が日本を脅かすかの如く述べて、日本領土における米国軍事基地の存在を擁護せんと試みる分子が存在する。この条約は、明らかに両国に対する侵略の場合に対する防禦的性格の手段を予想するものであり、いかなる程度にもせよ、日本またはいずれかの他の国家に向けられたものでない。ソヴィエト連邦および中華人民共和国は常に平和共存の政策を推進しており、いかなる国に対してもなんら侵略的意図を有するものでない。 日米軍事条約の締結は、ただ単に日本における米国の軍事基地の保持のみでなく、帝国主義的政策と東洋民族の解放運動弾圧の機関であるSEATOのような軍事集団に日本を引き込み、それを通じて米国の庇護の下につくられた侵略ブロックの全組織の中へ引き込むこととなるであろう。 前記ブロックの指導者の計画実施に参加するために日本国外に自己の軍隊を派遣することを日本が約束することは、極東における平和の利益と全然相反し、さらに日本国家の安全のためにも相反することである。新日米軍事条約の締結は、極東の情勢をより一層複雑化し、この地域における軍事衝突の危険をさらに深めるだけである。原子、水素およびロケット兵器のごとき大量殺りく兵器は、比較的小さい領土に密度の大きな人口と物質的およびその他の資源の集中度の大きい国家にとつては、とくに生死の危険となるものである。 日本の安全は、再軍備と戦争を拒否し、中立を守る可能性を日本に与える日本自身の憲法の規定を厳格に遵守することによつてもつとよく保障せられるであろう。日本の自主的な平和愛好の政策のこの道-中立の道-こそ、国家の真実の独立と真の安全保障の確立をもたらすものである。 ソ連政府は、日本が中立政策の実施によつて、極東における平和と安全および国際協力の増進に重要な建設的寄与をなすものであると考える。ソ政邦が日本の中立を尊重する旨の厳粛な誓約をすることはいうを俟たない。」 「わが国は憲法に定められた自由民主主義と平和主義の原則をその国策の基本としており、それ故に日本政府は、国連憲章の原則と精神に基き、世界の平和と安全のためあらゆる努力をしてきたし、今後もその立場を堅持する。したがつてわが国の政策は、他のいかなる国をも脅威するものでない。 現行安全保障条約は、純粋に自衛的性格のものである。ソ連は、中ソ同盟条約は防衛的であるといいながら、日米安全保障条約を攻撃的であるとつている言が、これはおかしなことであり、承服できない。 ソ連は、現行条約は日本国民の意思に反して結ばれたものであると云つているが、現行条約は、当時日本国民の間で論議をつくし、国会の承認を得て結ばれたものである。しかし現行条約を現状に沿うよう合理的に改正しようのと日本国民の要望が強くなつたので、政府は、この国民的要望に応じて、改正のため米国と交渉を始めたものである。 わが国が自らの安全を守るためにいかなる道を選ぶかは、日本国民自らが決定するところである。現在の改正交渉の目的は、安全保障条約の防衛的性格を変えようとするものではない。従つてソ連の非難は、日本国民からみればはなはだ的外れである。 ソ連は声明の中で、日本に中立をとれといつている。しかしながら自由民主主義を信奉する日本としては、志を同じくする他の自由諸国と協力し、世界平和に貢献することを基本的方針としている。日本を無力化し、孤立化せしめようとするいかなる企図にも、日本国民の大多数が反対するであろう。 わが国は、自由諸国との協調を基本的方針としているが、同時に、社会体制の異なる国との善隣関係を維持することを希望している。しかしながら他国の外交政策に対して容かいするが如き今回のソ連政府の声明は、善隣関係の促進に役立つものとは考えられない。」 |
[ 77] ソ連および東欧関係
[引用サイト] http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1959/s34-2-2-6.htm
