ギリシャとは?

ギリシャ共和国(ギリシャきょうわこく)、通称ギリシャはヨーロッパの南東、バルカン半島最南端部に位置する国である。半島南部およびペロポネソス半島に加えエーゲ海を中心に存在するおよそ3000もの島によって構成される。北は西からアルバニア、マケドニア、ブルガリアと、東はトルコと国境を接している。本土の周囲は東にはエーゲ海、西はイオニア海、南は地中海に囲まれている。
ギリシャは地中海文明のルーツの一つであり、複数の文明の接点に位置する国としてヨーロッパ、アフリカ、アジアの歴史に大きな影響を与えた。
現在のギリシャは国連、EUおよびNATOの加盟国である。1896年と2004年には首都のアテネで近代オリンピックが開催された。
日本語による表記はギリシャ共和国。通称ギリシャ。歴史・地理・人文系ではギリシアという表記もされるが、国会の制定法や外務省、およびギリシャの在日大使館のサイトではギリシャと表記される。漢字では「ヘラス」の音訳として「希臘」と表記され「希」と略される(例えば、ギリシャ語を希語と書くなど)。ギリシャ、ギリシアという名称は、ラテン語名のGraecia(グラエキア)がポルトガル語でGrecia(グレシア)となり、これが宣教師によって日本にもたらされ変容したとされる。
また、中東の諸言語での呼称「??????? ユーナーン」(アラビア語)、「Yunanistan ユナニスタン」(トルコ語)などは、イオニアに由来する。
古代のギリシャはアテナイ、コリントス、テーバイなどの多数のポリス(都市国家)が並び立っており、言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体であった。政治的に独立していた各ポリス間では戦争が絶え間なく繰り返された。紀元前5世紀にペルシア帝国が地中海世界に進出してくると、各ポリスは同盟を結び、これに勝利した(ペルシア戦争)。しかしその後アテナイを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟とでペロポネソス戦争が勃発し、ギリシャ全体が荒廃し勢力を失った。紀元前4世紀にはギリシャ北部に興ったマケドニア王国の支配を受け、紀元前2世紀には共和政ローマの属州とされた。古代ギリシアは民主主義の原点であった。
但し、現在のギリシャ人は後世に主にバルカン半島北部から南下してきた人々との混血が進んでいるため、現在と当時ではその人種的な構成等は異なっていると言われることもある。しかし、民族の移動の激しいヨーロッパにおいて古代から純粋な血統を保持している民族などというものはなく、ギリシャ人もまたその例に漏れないだけである。
この時代のギリシャについて、日本では「東ローマ帝国の支配」と表現する書籍が多いが、7世紀以降の東ローマ帝国はギリシャ語を公用語とし、皇帝をはじめとする支配階層もギリシャ人が中心となっていったため、そうした表現はじつは妥当性を欠いている。現代ギリシャにおいても、東ローマ帝国はギリシャ民族の歴史の一部と捉えられている。 (ギリシャでは自らを「ローマ人」と呼ぶことがあるという)
1204年に第4回十字軍がコンスタンティノポリスを占領して東ローマ帝国が崩壊すると、現在のギリシャの地には東ローマの亡命政権であるエピロス専制侯国やブルガリア帝国、セルビア王国、アテネ公国などの十字軍に参加した西欧人諸侯国、また都市国家ヴェネツィアなどが割拠するようになった。
1261年に東ローマ帝国は復活したが、国力が弱体化していたためにギリシャ全土を奪回できず、諸勢力の割拠状態が続き、その隙をついて14世紀以降はイスラム王朝のオスマン帝国が勢力を伸張させていった。1453年、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された。以後400年近くオスマン帝国の統治が続いた。
オデッサにおいて創設された秘密組織フィリキ・エテリアを中心として、1821年オスマン帝国に対する反乱が企てられた。3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、ギリシャ独立戦争が始まった。エジプトの助けを得てこれを鎮圧しようとしたオスマン帝国に対し、英・仏・露が介入、1829年、アドリアノープル条約によってギリシャの独立が承認された。翌1830年、バイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王に据えギリシャ王国として独立し、東ローマ帝国滅亡以来約380年ぶりにギリシャ人の国家が復活した。
1897年に希土戦争、1912年から1913年にバルカン戦争、1919年〜1922年に再度希土戦争が勃発。1924年にクーデターにより共和制がしかれるが、1935年には王政が復活した。第二次世界大戦ではドイツおよびイタリア、ブルガリアの侵攻にあい王室と政府はイギリスに亡命し、ギリシャ本土は独伊勃3国によって1945年まで分割占領状態に置かれた。
大戦中には占領軍に対するレジスタンス活動が行われたが、活動を主導した共産主義左派とイギリスの亡命政府に支援された右派の対立が激しく、第2次世界大戦が終結し亡命政府が帰還した後も対立は続いた。 1946年にはソビエトと隣国ユーゴスラビアに支援された共産勢力が「共産主義者民主主義軍」というゲリラ部隊を組織するが、戦後の財政難に苦しむイギリスに替わってアメリカが保守右派政府の全面的な支援に乗り出したことと、1948年以降ユーゴスラビアとソビエトが対立し、ギリシャの共産勢力はソビエトを支持したために国外からの支援の大半を占めるユーゴスラビアからの援助が失われ、1949年まで続いた内戦は共産主義勢力の敗北によって終結した。
1950年に行われた総選挙の結果保守連立政権が発足するが政局は安定せず、翌年1951年に選挙制度を最大与党に有利に改正して行われた選挙によってようやく政局は安定し、1952年にはNATO加盟を果たし、1953年には隣国のユーゴスラビア及びトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、外交的にもようやくの安定をみた。
1950年代の後半になると、キプロスを巡ってトルコとの対立が激化するが、ギリシャ自体は順調な経済成長を続け、1951年から1964年の間に国民平均所得はほぼ4倍になるというという急速な成長を成し遂げる。
1963年、国王と対立したカラマンリス首相の辞任をきっかけに総選挙が行われ、中道勢力と左派勢力が躍進、一旦は中道連合(EK)を率いるパパンドレウが首相に任命されるが、他党との連立を拒んだパパンドレウは再び総選挙を行い、1964年、中道連合(EK)は過半数を獲得した。 パパンドレウ政権は教育制度改革等の内政面で功績を挙げるが、軍の制度改革に失敗してパパンドレウ首相は国王コンスタンティノス2世によって辞任を要求され、国王はアメリカ合衆国の支援の元に中道諸派の連合による新政権を確立させるべく、1967年、総選挙を準備した。 しかし、選挙の結果中道派政権が確立されることによる発言権の低下を恐れた軍部が陸軍将校を中心としてクーデターを起こし、結局アメリカが軍部の独裁体制を容認したため、国王の反クーデター行動も失敗、コンスタンティノス2世は国外に亡命した。
1968年には憲法が改正され軍事独裁政権が確立する。軍部は国内の批判勢力に対して激しい弾圧を行い、前首相パパンドレウを始めとして多数の著名人を国外に追放した。欧州各国からは軍部独裁政権に対して厳しい批判が向けられたが、ギリシャは地勢的にNATOの要であるとしてアメリカが軍事独裁政権を擁護・支援したため、ギリシャに対して実行性のある圧力が加えられることはなかった。
1970年代に入ってギリシャの国内経済が悪化すると、軍部の独裁政権に対する国民の不満が増大し、学生により大規模なデモなどの抗議行動が活発化する。 軍事独裁政権の首班であったゲオルギオス・パパドプロスは大統領制を導入するなどの政策を行うが、国内経済が回復しないこともあって国民の抗議行動は収まらず、1973年、学生デモ隊による大学占拠に対して実力鎮圧を行った結果多数の死傷者を出したことで独裁政権の基盤が揺らぎ、パパドプロスの腹心で秘密警察長官であるディミトリス・イオニアデスがクーデターを起こし、パパドプロス大統領は失脚した。
その後、パパドプロス政権の閣僚であったフェドン・キジキスが名目上の大統領に選ばれて軍部の独裁体制は続くが、1974年にギリシャが支援したキプロスでのクーデターが失敗に終わり、海軍と空軍が陸軍と秘密警察に対して態度を硬化させる。結果、軍事政権の中核を占めていた陸軍と秘密警察は孤立し軍部の独裁体制は崩壊、キジキス大統領は国内の諸政治勢力と協議してフランスへ亡命していた元首相カラマンリスに帰国を要請、帰国したカラマンリスを首相に指名した。
1974年11月に行われた軍事政権崩壊後初の選挙の結果カラマンリス率いる新民主主義党が多数の議席を獲得して与党となり、次いで行われた国民投票により君主制は廃止され共和制となることが決まった(ギリシャにおける民主主義の回復については、活動的な役割を担ったアレクサンドロス・パナグリスも参照)。
1975年には憲法が再改正され、1977年の選挙の結果左派勢力の伸長があったものの政局の混乱は発生せず、ギリシャの政局は以後安定化する。1981年に欧州共同体 (EC) の10番目の加盟国となった。
1980年代にはNATOと欧州共同体 (EC) への加盟に批判的だった野党、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が選挙の結果過半数を確保して与党となり、社会主義政権が誕生したが、大きな外交政策の変更は行われず、NATOとECへの加盟は続行されたままギリシャは引き続き西側諸国の一員として冷戦の終結を迎える。
2004年には1896年以来108年ぶりに首都アテネにおいて2回目の夏季オリンピック(第28回アテネ大会)が開催された。
2007年8月22日には、170ヵ所以上の地点において山林火災が発生、猛暑で40度に達する気温と乾燥、強風のため被害が拡大し、少なくとも63人が死亡した。
共和制をとっており、大統領が国家元首として儀礼的な責務にあたる。大統領は任期5年で議会により選出される。現大統領は2005年3月12日に就任したカロロス・パプーリアス。
行政府の長である首相は議会によって選出され大統領により任命される。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。
議会は一院制でVouli ton Ellinon と呼ばれており、300議席、任期4年、直接選挙で選出される。政党は中道左派の全ギリシャ社会主義運動 (PASOK) と中道右派の新民主主義党 (ND) の二大政党が中心。1996年以来PASOKのコンスタンティノス・シミティス政権が続いていたが、2004年3月7日の総選挙でコスタス・カラマンリス率いる新民主主義党が議席の過半数を獲得し、政権が交代した。 周辺国との関係では、キプロスの帰属問題でトルコとは対立関係にある。ギリシャ民族の国家であったマケドニア王国と同じ名を名乗るスラヴ系のマケドニア共和国とも対立状態にある。
13地方(ペリフェリエス)とその下位区分の51の県(ノモス)、ギリシャ正教の聖地アトス山にあるアトス自治修道士共和国(アヨンオロス)で構成される。
ギリシャの国土は4つの地方に分かれる。まず、国土の約2割を占めるエーゲ海を中心とした島嶼である。最大の島はエーゲ海南方に浮かぶクレタ島 (8336km2)、次いでエーゲ海西部と本土の間に横たわるエヴィア島 (4167km2) である。次にコリンティアコス湾とコリントス運河によって他の地域と区別できる南部のペロポネソス半島である。国土の西海岸線に沿った形で南北に伸びるギリシャ最大の山脈ピンドス山脈は湿潤な西部と乾燥した東部を分つ。最後に、古代の都市国家を含む中央ギリシャである。
ギリシャの国土は山がちである。ピンドス山脈には2000mを超える峰がいくつもあり、北東のブルガリア国境にはロドピ山脈が東西に伸びる。ギリシャの最高峰オリンポス山 (2917m) はどちらの山脈にも属さず、東西、南北とも15kmにわたってひろがる独立した山塊となっている。平原から立ち上り山頂に雪を帯びたオリンポス山の姿は古代から神聖視されてきた。
ほぼ全土がケッペンの気候区分でいう地中海性気候 (Cs) に区分される。従って、温暖で湿潤な冬季と乾燥し高温の夏季にはっきり分かれる。首都アテネの平均気温は、冬季の1月が10.1℃、夏季の7月では28.0℃である。年平均降水量は383.8mm。これは同じ地中海性気候に分類されるローマの約1/2と少ない。なお、最北部は山岳地帯であり、冬季に気温が下がる温暖湿潤気候 (Cfa) に分類される。
鉱業では石炭が有力。石炭の統計は品位別に分かれており、低品位で主に燃料に用いる亜炭・褐炭では世界第4位(6,600万トン)である。マグネシウム鉱にも富み、生産量は世界第6位である。鉄、ニッケル、ボーキサイト、原油、天然ガスなど、生産量は少ないながら10種類以上の主要鉱物が見られる。
工業は食品加工業や繊維業などが盛んだったが、造船業、製鉄、石油化学工業も発達している。世界第3位のオリーブ油生産が突出している。
土地柄のせいかオナシス家、ニアルコス家、ラティス家、マルチノス家、ロス家、クルクンディス家、リバノス家と海運王が多く、輸送業の中心は船舶であり、船舶保有量は世界第4位の2,870万総トンに及ぶ。一般貨物船は船舶保有量(総トン)の3%と少なく、オイルタンカー、鉱石や穀物用のばら積み船が80%以上を占める。このような比率は船舶保有量上位10カ国には見られない特異な傾向である。ギリシャ人船主はパナマ(世界第1位)やキプロス(世界第6位)など税制優遇措置を利用できる国に自らの船を登録することも多く、実態を反映していない可能性がある。
100億ドルの輸出に対し、輸入は300億ドルであり、慢性的な貿易赤字が続いている。しかしながら、輸送業、観光業、移民の送金などによって貿易赤字をほぼ充当できている。
主要輸出品目は、衣料、果実、石油製品である。これらにつぎ、アルミニウムの輸出が多いことが特徴である。主要輸出相手国は、ドイツ、イタリア、イギリス。主要輸入品目は、原油、機械類、電気機械である。主要輸入相手国はドイツ、イタリア、フランス。
日本との貿易関係は、日本に対してナフサ、葉タバコ、貴金属製品を輸出し、乗用車、タンカー、貨物船を輸入するというものである。このことから、ギリシャの石油化学工業や軽工業が機能しており、輸送業に必要な船舶を自前で調達していることが分かる。なお大理石の輸出も日本への輸出額の4.2%を占めている。
主たる宗教は、正教会に属するギリシャ正教会。ただし、クレタ島とアトス山だけはコンスタンティノポリス総主教庁の管轄下にある。
紀元前からギリシャは哲学や文化、芸術に様々な影響を与えてきた。その影響力の大きさから、ギリシャはヨーロッパ文化のゆりかごと称されることもある。詳細はギリシャの文化およびビザンティン文化を参照。
ギリシャ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が14件、複合遺産が2件ある。詳細は、ギリシャの世界遺産を参照。
国民に人気があるスポーツはサッカー。2004年のサッカー欧州選手権2004でギリシャ代表は初優勝を成し遂げたが、2006年にドイツで開催されたFIFAワールドカップの出場は果たせなかった。ドイツではテオファニス・ゲカスが2006-07シーズンの得点王となる活躍をみせた。サッカーギリシャ代表はEURO2004で番狂わせを起こし、優勝した。
アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク
アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア
イタリア | ギリシャ | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ
イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 | セルビア:コソボ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島
バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、又は無い国であり、国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
アイルランド | イギリス | イタリア | エストニア | オーストリア | オランダ | キプロス | ギリシャ | スウェーデン | スペイン | スロバキア | スロベニア | チェコ | デンマーク | ドイツ | ハンガリー | フィンランド | フランス | ブルガリア | ベルギー | ポーランド | ポルトガル | マルタ | ラトビア | リトアニア | ルクセンブルク | ルーマニア
オーストリア | ベルギー | カナダ | デンマーク | フランス | ドイツ | ギリシャ | アイスランド | アイルランド | イタリア | ルクセンブルク | オランダ | ノルウェー | ポルトガル | スペイン | スウェーデン | スイス | トルコ | イギリス | アメリカ合衆国 | 日本 | フィンランド | オーストラリア | ニュージーランド | メキシコ | チェコ | ハンガリー | ポーランド | 韓国 | スロバキア

[ 107] ギリシャ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3

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ヨーロッパの東部、バルカン半島の先端に位置するギリシアは、面積約13万2000km2、日本の約3分の1の大きさの国。世界的に見れば小さい国の部類に入るが、この地で生まれた文化が世界中に及ぼした影響は計り知れないほど大きい。英語やフランス語、スペイン語など、世界中で広く用いられている言語で使われているアルファベットや単語の多くは、古代ギリシア語からきたものだ。さらに西洋哲学や歴史学などの学問や、政治でいえば民主主義、演劇、彫刻といった文化、芸術などの基礎を築いたのも、みんな古代ギリシア人たちだった。ギリシアといえば、アクロポリスをはじめとする数々の遺跡を思い浮かべるだろうが、観光客が目当てとするのはそれだけではない。エーゲ海やイオニア海に浮かぶ数知れぬ美しい島々の存在も忘れてはならない。透きとおるブルーの海、照りつける太陽、そして黄金に輝くビーチが人々を虜にする。特にミコノス島、サントリーニ(ティラ)島、ロドス島では、夏になるとヨーロッパ各国からのツアー客であふれ、島の人口は一気に数倍に膨れ上がる。町は無国籍化し、夜も眠らない。ギリシアの人々は底抜けに明るい。町を歩けば見知らぬ観光客にも気軽に声をかけてくる。彼らの生活の基本は人生を楽しむこと。昼間はカフェニオン(カフェ)で、夜はタベルナ(ギリシア式食堂)に集い、夜遅くまで食べ、飲み、歌い、そして踊る。我々が忘れていた、本来あるべき人生の楽しみ方を、彼らは思い出させてくれる。ギリシアへ出発する前には、ギリシア神話の神々の世界をうたったホメロスの『オデッセイ』などをめくってみるのもいい。天空を司るゼウス、海神ポセイドン、美の神アフロディテ・・・・・・数々の神々が、遺跡が、きっと何かを語りかけてくれるはずだ。神話と歴史、古代と現代が溶け合う聖なる国、太陽神アポロンが微笑むギリシアへ、一歩足を踏み入れてみよう。彼らはきっと優しく迎え入れてくれるだろう。〔 写真:エーゲ海に浮かぶサントリーニ島 〕
13万1957km2(日本の約3分の1強。北海道と九州を足したぐらい)。アテネのあるアッティカ地方、イオニア海に浮かぶ島々とそこに面した中西部、テッサロニキを中心としたマケドニア・トラキア地方、ペロポネソス半島と、国土の約20%を占めるエーゲ海の島々からなっている。一番大きい島はクレタ島で、8336km2(兵庫県とほぼ同じ)。
総人口は約1070万人(2007年)。人口の3分の1弱、319万人あまりがアテネの首都圏に集中している。そのほかのおもな都市の人口は、テッサロニキ100万人、パトラ21万人、イラクリオン15万人、ヴォロス15万人。
2008年(2009年)1月1日 元日1月6日 主顕現祭3月10日 ※聖灰月曜日(3月2日)3月25日 独立記念日4月25日 ※聖金曜日(4月17日)4月26日 ※聖土曜日(4月18日)4月27日 ※復活祭(4月19日)4月28日 ※復活祭翌月曜日(4月20日)5月1日 メーデー6月16日 ※聖神降臨祭翌月曜日(6月8日)8月15日 聖母被昇天祭10月28日 国家記念日12月25日 クリスマス12月26日 ボクシングデー※の宗教祝日は毎年日にちが異なる。()内は西暦2009年の日にち。・祝祭日は商店、銀行、郵便局などは休みとなる。遺跡や博物館も休館となることが多い。・祝祭日ではないが、四旬節に入る前に3週間行われるカーニバルの最終土曜には、遺跡や博物館が12:30で閉まるので注意。
日本国内では、円からユーロへの両替は簡単にできる。ギリシア国内では、銀行、両替商、一部の郵便局、一部の旅行会社、ホテルなどで両替できるが、一般に両替手数料がかかる。両替商のレートがよく、Euro ChangeやK(カッパ)ビューローといった両替商では手数料なしの支店もある。また、24時間利用できるATM(自動現金引き出し機)がほとんどの銀行に設置されていて、クレジットカードや国際キャッシュカードで現金(ユーロ)を引き出すことができる。アテネの空港には24時間営業の両替商があり、AEM(自動現金両替機)も設置されているので、早朝や深夜の到着でも安心だ。
地中海性気候に属し、全体的には温和で過ごしやすい。夏(6〜9月)は晴天が続き、日中の気温が30℃を超え、日差しもきつい。ただ湿度は低いので、日本のような蒸し暑さはない。冬(12〜3月)は、1年の間で一番雨の多い季節となる。最も気温が下がるのは1月で、アテネの月平均気温は10.1℃、北部のテッサロニキでは5.0℃となる。山間部では降雪もある。年間の平気気温はアテネが18.4℃、テッサロニキが15.6℃。
日本より7時間遅い。つまり、日本が12:00のとき、ギリシアは5:00。3月最終日曜から10月最終土曜はサマータイムになるため、日本の6時間遅れとなる。日本が12:00のとき、ギリシアは6:00。
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[ 108] ギリシア旅行 基本情報 - 地球の歩き方
[引用サイト]  http://www.arukikata.co.jp/country/greece.html

一般的に、古代ローマ支配下以前のギリシアを古代ギリシア(こだいギリシア)と呼ぶ。短期間に文明が発達し、東西の文明に大きな影響を与えた。
紀元前2600年ころ、小アジアのトロイア周辺に青銅器文明を持つトロイア文明が栄え、紀元前2000年ころには線文字Aを持つクレタ文明がクレタ島のクノッソスを中心に興る。さらに紀元前1500年ころに線文字Bを持つミケーネ文明がペロポネソス半島のミケーネ・ティリンスを中心に栄えた。
その後、3派のギリシア人が北方から南下した。紀元前2000年ころイオニア人がエーゲ海北部や小アジア西岸に住み着き、紀元前1400年ころアカイア人がペロポネソス半島からエーゲ海に進出しクレタ文明やミケーネ文明を滅ぼした。さらに紀元前1200年ころにドーリア人がペロポネソス半島北方から南下しアカイア人の領域に侵入した。
ギリシアの都市国家群(ポリス)は、紀元前800年末には現在のギリシャ西南部、クレタ島を含むエーゲ海の島々、アナトリア半島の西海岸に広がっていた。ギリシア人は人口の増加、交易、貴族集団同士の対立などが要因となって地中海世界全体に植民を進めた。紀元前500年末までには西から現在のスペインアンダルシア州のマイケケ、同バレンシア州のヘメロスコペウム(現在のデニア)、カタルーニャ州のエンポリオン、フランスではエロー県のアガテ、ブーシュ=デュ=ローヌ県のマッシリア(マルセイユ)、ヴァール県のアテノポリス、アルプ=マリティーム県のニカイア(ニース)に広がっていた。
第二の本拠地と言えるほどの規模に達していたのはイタリア南部とシチリア島である。イタリア南部のギリシヤ植民都市の一部は19世紀に至るまでコムーネとして残り、ギリシア語を話す住民による生活が続いていた。
このほか、チュニジアのキュニプス、リビアのキュレネとアポロニア、エジプトのナウクラティス、クレタ島北部のほか、アナトリア半島北岸を含む黒海沿岸全域に植民市を築いていた。例えば現在のグルジアに位置するトリグリト(ガグラ)がある。
スペインのマイケケは周囲をフェニキアの入植地に囲まれ、キニュプスやシチリア島、キプロス島でもフェニキアと隣接しているものの、それ以外の土地では他のどのような勢力とも競合していなかった。
しばらく暗黒時代と呼ばれる文化的には不毛の時代が続いたが、紀元前8世紀ころに古代ギリシア文明が急速に開花し ポリス (都市国家)が成立するようになった。ポリスは大小さまざまで、一般的に1500から2500平方キロメートルの領土を持ち、市民と呼ばれる自由民男子とその家族3万から10万人と、奴隷など5万から10万人の人口を抱えていた。諸ポリスは、古代マケドニアによる覇権が確立する紀元前338年まで統一されることはなく、互いに同盟を結んだり戦ったりして分立した。また天災や人口の増加、交通の要地の確保などのためから、ポリスから殖民団を作って新たに植民市を建てることも行われた。天災でポリスが滅び、住民全部が移民して新たなポリスを築いたマッシリアやエレアの例もある。
地域や風土によってポリスの政体は多様であり、王政、貴族を中心とする寡頭政、全市民参加の直接民主政を採用するポリスがあった。また正統な王の家系以外から出た個人が権力を握って世襲する場合があり、これは僭主政と呼ばれた。有力なポリスであったアテナイ、スパルタ、コリントス、テーバイは、自分たちの政体を他に押しつけようともした。
ペルシア戦争の状況 ペルシャのマルドニウスによる侵攻(オレンジ線、紀元前492年)、ダティスの侵攻(緑線、紀元前490年)、クセルクセス1世の侵攻(黄線、紀元前480年)
丘陵地帯の多いギリシアでは重装歩兵による密集戦術が発達していた。ポリス間の抗争が続くにつれ徐々に戦術が洗練され、さらに重装歩兵の担い手である市民の政治的地位が向上し、市民共同体としての意識が高まったことで、戦術面のみならず精神的にも強力な軍隊となった。
こうした中で発生したペルシャ戦争でその戦力の真価が遺憾なく発揮された。アテナイとスパルタを中心とする古代ギリシアの連合軍は、20万とも50万とも言われるペルシャ軍を撃退する。このペルシャ戦争の過程で、アテナイが強大化してギリシアの覇権を握る。
紀元前5世紀中ころから紀元前4世紀中ころまで、ペロポネソス戦争やレウクトラの戦いなどポリス間の攻防が繰り返され、アテナイに代わってスパルタ、テーバイへとポリス内での覇権は移行していった。
紀元前4世紀中ころになると、辺境にあって半ば他民族扱いされていた古代マケドニア王国が優勢になり、紀元前338年、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ってギリシアの覇権を握るとポリスは独自性をなくしていった。
古代マケドニア王国はフィリッポス2世の暗殺の跡を継いでアレクサンドロス大王がダリウス3世のアケメネス朝ペルシャを征服してインド西北部まで侵入し、ヨーロッパ・アフリカ・アジアに至る大帝国をうち立てた。
大王の急逝の後ディアドコイたちがその遺産を継承し、2世紀に渡って古代ギリシア文明と古代オリエント文明を融合したヘレニズム文明が各地に拡散して、後にギリシアを征服した古代ローマをも含めて影響を与えた。
また、7世紀以降の東ローマ帝国ではギリシア人居住地域が領土の大半を占めるようになったために、帝国自体が徐々にギリシア化。中世末期までヘレニズム文明を受け継ぐこととなった。
古代ギリシア人はそれぞれポリスを成立させて互いに対立する関係にあったが、ともに自らをヘレネス、他民族をバルバロイ(意味の分からない言葉を話す者)と呼んで区別した。ヘレネスとは神話中のデウカリオーンの子ヘレーンの子孫であり、ギリシア人は共通の祖先を持ち、共通の言葉を話すものと考えられたのである。
古代ギリシア人はギリシア神話 を共有しゼウスを頂点とするオリュンポス十二神・デルポイの神託を信じ、 オリンピア・イストモス・メネア・デルポイで開催された祭典には全ギリシア人が参加して競技を行った。祭典は運動競技のほかに演劇や音楽も競演された。
戦士であり政治家でもある古代ギリシア人は労働を蔑み女性や奴隷に任せて、体力の鍛錬と政治談義に日々を過ごし、その中でギリシア哲学や科学が発達した。また年長者が精神的・肉体的に年少者を一人前に教育することが理想とされ、少年愛が公然と行われ軍隊の中に「同性愛隊」も存在した。
古代ギリシアの社会では古代ローマ同様に多くの奴隷が使用されて国家を支えた。アリストテレスも「奴隷は言葉を喋る道具であり、牛馬と同様に人間に貢献する」と言って憚らなかった。戦争でも奴隷の獲得が重要な目的のひとつであった。
ギリシアは地中海性気候でなおかつ土地がやせていて大河川も少なかったためにいわゆる二圃式の乾燥農業(一年ごとに休閑期を挟む)が行われていた。
穀物類は大麦・小麦が主であり、特に前者の生産が圧倒的であった(古代ギリシアが植民地を必要とした背景には小麦の需要を賄いたいという思惑があった。また、黍の栽培はごく一部でしか行われず、稲に至っては存在自体は知られていたものの栽培はされていなかったようである)。
一方、果実や野菜栽培は盛んに行われており、特にオリーブやブドウの栽培は多くの地域で行われていた。クレタ島やミケーネ文明の遺跡からはオリーブ油の倉庫跡が発見され、紀元前8世紀には葡萄酒の輸出記事が見られることからも分かる。
また農業専門書ではないものの、ヘシオドスの『仕事と日』は世界最初の農事暦とされており、クセノポンも『家政論』において農園経営論を説いている(ただし、後世の農学者・経済学者からは前者の内容の評価は高いものの、後者は実際の農業を理解していないと厳しい評価されている(特にマックス・ウェーバーからは酷評されている))。

[ 109] 古代ギリシア - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2



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