デンマークとは?
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デンマーク王国(デンマークおうこく)、通称デンマークは、バルト海と北海に挟まれたユトランド半島と、その周辺の多くの島々からなる、北欧諸国のひとつである。首都はコペンハーゲン。 北には海を挟んでスカンジナビア半島諸国、南にはドイツと国境を接する。大陸部分を領有していながら、首都は島にあるという珍しい国である[1]。グリーンランドとフェロー諸島はデンマーク領であるが、自治権をもっている。 日本語の表記は、デンマーク王国。通称、デンマーク。古くは、デンマルクと表記された。漢字による当て字は、丁抹で、丁と略される。英語の表記は"Kingdom of Denmark"。 デンマークには有史以前から人が住んでいた。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年ころから人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年ころ始まったようだ。 ヴァイキングとして知られるノルマン人が8世紀から11世紀にかけて住んでいた。彼等は複雑な社会構造を持ち、他のヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行ったことで有名である。この時期デンマークはユトランド半島を基盤にして、シェラン島やスウェーデン南部に影響力を持っていた。11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。中世はカルマル同盟を築き大国として存在した。 1523年にスウェーデンがカルマル同盟を脱し独立。スウェーデンとの300年にわたる抗争が開始される。1626年にドイツ三十年戦争に介入、敗退し、衰退が始まる。そして、1645年のスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。北方戦争に敗れたスウェーデンとともに、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。 近代に至りプロイセン王国との戦争により南部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州などを失い、またナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北。1814年のキール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた。(ただノルウェー領であったアイスランドやグリーンランドなどはデンマーク領として残された。)417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのである。デンマークの経済は危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によってこの危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の『デンマルク国の話』で紹介され、広く親しまれた。苦難の時代ではあったが、デンマーク王室は、王女たちがヨーロッパ諸国に嫁いだり、ギリシャ王国やノルウェー独立時に王族がデンマーク王家の分家として迎えられるなど、デンマーク王家は、当時のヨーロッパ君主国の「ヨーロッパの義父」となった。 第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では1940年ナチス・ドイツ軍に占領された。デンマーク王は亡命せず、占領中もコペンハーゲンの王宮に滞在した。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチス派を保護したりした。その後、ナチスに抵抗運動なども起こった。終戦後には連合国の一員に加えられた。戦後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、1973年にはヨーロッパ共同体にも加盟した。しかし後に対NATO関連でNATOと対立(デンマーク化)。とは言え、ノルディックバランスを守り抜き、冷戦期を乗り切った。現在においては、安定した先進国の一つであり、EUの一員、国連の非常任理事国も担当したデンマークであったが、2005年にムハンマド風刺漫画掲載問題が起こり、イスラム諸国との国際問題に揺れている。 デンマーク憲法(en:Constitution of Denmark)は1849年6月5日に制定され、最後の改正は1953年に行なわれた。この改正では上院が廃止され、女性も王位を継承できるようになった。この改正で現女王、マルグレーテ2世が王位継承者となり、1972年に即位した。 詳細は、デンマークの地方行政区画を参照。1970年から2006年までの区分については、デンマークの県を参照。 デンマークは5つの地域(デンマーク語:regioner、単数形region)に分かれ、98の基礎自治体がある。地域は、伝統的な13の県を置き換えるもので、2007年1月1日に「2007デンマーク自治体改革」の一環として設立された。同時に基礎自治体は統合され、270から98に減らされた。 新しい地域にとっての重要な仕事は、公的な医療サービスである。以前の県とは異なり、地域には徴税権はなく、医療サービスはおもに国の8%の税金(政府と自治体からの基金による)でまかなわれる。各地域の議会は、2005年の地方選挙で選ばれた41人の議員で構成される。 その他、デンマークの海外領土としてグリーンランドとフェロー諸島があり、これらは自治領となっている。住民は、デンマーク国籍を有し、また、デンマーク議会の議員として各々2名の代表を選出することが認められている。他州と比べ、この両自治領は独立性を強めている。 デンマークはユトランド半島と443の島(そのうち76に人が住む)。中でも重要なのは古都オーデンセのあるフュン島と現在の首都があるシェラン島。また、シェラン島の南にはファルスター島、ロラン島が、フュン島の南にはエーレ島などがある。多くの島が橋で結ばれていて、コペンハーゲンのあるシェラン島とスウェーデンもエーレスンド橋で繋がっている。そのエーレスンド橋とスウェーデンの陸地を経由してさらにフェリーに乗るとコペンハーゲンから東南東に150km離れたボーンホルム島に辿り着く。この島は位置的にも歴史的にもデンマークの多くの島とは際立って異なる。デンマークの国土はおおむね平坦である。最高地点は173mであるが、これは青銅器時代に形成された人工的な地形である。本来の最高地点は171m(ミョレホイ Mollehoj)。北大西洋海流の影響で気候は穏やかで、温暖な冬と涼しい夏がある。 高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコーシューズ、ミニバラの世界的ナーセリー,ポールセンローズなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。また農業輸出国としても有名であり、日本との貿易では日本の輸入の約半分を豚肉が占める。イギリスでは、デニッシュという単語がベーコンの代名詞となった。日本では、デニッシュといえば、デンマーク風のパンを指す。デンマークはEU加盟国であるが、2000年9月の国民投票において、反対53.1%、賛成46.9%でユーロ参加を否決し、現在ユーロには参加していない。 デンマーク本土の鉱業は、北海油田に由来する有機鉱物資源が中核となる。2003年時点の産出量は、原油1814万トン、天然ガス335千兆ジュールである[2]。石油自給率は100%を超えており、デンマークの輸出額のうち10.7%を原油、精製燃料、天然ガスが占める。 1960年代に到るまでデンマーク鉱業は、石灰石や砂利の生産を主体としていた。最も東に位置するボルンホルム島のカオリンは陶器の原材料として現在でも重用されている。その後、1966年、ユトランド半島で大規模な岩塩鉱床が発見される。 北海油田の鉱区は2007年時点で、イギリス、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェーの5カ国に分かれている。北海油田自体が発見されたのは1960年代初頭であった。デンマークに割り当てられた鉱区においても、1971年にはユトランド半島から西に200km離れた北海上のダン油田のほか、後に同国最大の油田であることが確認されたゴルム油田 (GORM) が発見された。しかしながら、デンマーク憲法ではすべての地下資源が国家に帰属すると定められており、探査、生産には国会の承認が必要であった。非効率な制度に阻まれ、北海油田発見後、20年が経過してもデンマーク鉱区の1/4しか探査できず、採掘規模も伸び悩んでいた。このため、1981年、ほぼ全ての油田を国有化した[3]。ゴルム油田における原油と天然ガスの採掘も1981年に始まり、5年後の1986年時点では全油田を合わせ、年間362万トンの原油を採掘するに到る。2007年時点では19の油田において採掘が進んでいる。 一方、グリーンランドは豊富な金属鉱床に恵まれている。ただし、中央部は最大厚さ3400mの氷床にはばまれているため、探査、採掘活動は沿岸部に限られる。南端に近いイヴィットゥートは世界最大の氷晶石鉱山が位置していたが、1987年に鉱石が枯渇してしまった。北緯70度の西岸に位置するブラックエンジェルでは銀、亜鉛、鉛の採掘が続いている。グリーンランドは石炭を産出するが、国際価格の変動の影響を受けやすく、生産が安定していない。 子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園も、それを模したものが岡山県の倉敷市に倉敷チボリ公園として国内にもできたので、より身近なものになってきた。 今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。日本の東海大学も、その出発点はこのフォルケホイスコーレをモデルにして発足している。 徴兵制がある。18才から32才までの男子のみが対象。兵役期間は8-9ヵ月。但し、歩兵は10ヵ月、騎兵は12ヵ月。女子は一律免除されている。陸海空軍および郷土防衛軍の4軍体制である。 アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア イタリア | ギリシャ | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ イギリス:ガーンジー島 - ジブラルタル - ジャージー島 - マン島 | セルビア:コソボ | デンマーク:フェロー諸島 | ノルウェー:スヴァールバル諸島 | フィンランド:オーランド諸島 バチカンは国際連合非加盟。「その他」は国家の承認を得る国が少ない、又は無い国であり、国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。 アイルランド | イギリス | イタリア | エストニア | オーストリア | オランダ | キプロス | ギリシャ | スウェーデン | スペイン | スロバキア | スロベニア | チェコ | デンマーク | ドイツ | ハンガリー | フィンランド | フランス | ブルガリア | ベルギー | ポーランド | ポルトガル | マルタ | ラトビア | リトアニア | ルクセンブルク | ルーマニア オーストリア | ベルギー | カナダ | デンマーク | フランス | ドイツ | ギリシャ | アイスランド | アイルランド | イタリア | ルクセンブルク | オランダ | ノルウェー | ポルトガル | スペイン | スウェーデン | スイス | トルコ | イギリス | アメリカ合衆国 | 日本 | フィンランド | オーストラリア | ニュージーランド | メキシコ | チェコ | ハンガリー | ポーランド | 韓国 | スロバキア この「デンマーク」は、国に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:地理/PJ国) |
[ 99] デンマーク - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF
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EUに加盟しているデンマークですが2000年9月のユーロ参加を巡る国民投票では、ユーロ反対派が多数を占め、スウェーデン同様ユーロには参加せず、現在も自国通貨を使用しています。 近隣国でユーロが流通するのに合わせ、デンマークは偽造防止の目的で紙幣の全面改良を行いました。新札はデザインを一新し、比較的新しい時代の文化人を描いています。また裏面はすべて中世の教会にあるレリーフで統一されています。 デンマークはイギリスと同じく女王が国家元首ですが、紙幣には一切描かれず、20クローネ、10クローネコインにのみ、その肖像が描かれています。 マルグレーテ2世女王(72年1月即位)が治めているデンマーク王室は”世界一開放的”と言われています。 例えば女王はロイヤルシアターのコスチュームや舞台道具を制作したり、タペストリーデザイナーとしても有名です。 また、住居であるアメリエンボー宮殿は、中庭まで誰でも入っていけます。また、一部が公開されており、現住居を公開しているのは世界の王室でも希です。 世界的に有名な童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、1805年にデンマーク第2の島、フュン島のオーデンセで貧しい靴屋の子として生まれました。首都コペンハーゲンから列車で1時間半の所にあるオーデンセは、今も昔ながらの街並みがそのまま残る童話の世界のような街です。 アンデルセンは俳優を目指してわずか14歳でコペンハーゲンに出ますが、失敗に終わります。30歳の時、留学先のイタリアでインスピレーションを得て書き上げた最初の小説『即興詩人』が評価され、後の『子どものために語って聞かせるお話』によって童話作家としての地位を確立しました。 アンデルセン童話は、子供や社会的弱者に目を向けた心に訴えかける内容で、世界中で翻訳されて子供たちに読まれています。代表作に『みにくいアヒルの子』、『マッチ売りの少女』、『人魚姫』など。 デンマークでは毎年6月中旬 〜 7月頃にアンデルセン・パレードが行われます。パレードにはアンデルセン童話の中でも特に有名な35のキャラクターが登場します。 デンマークの通貨単位は「クローネ」(複数形はクローナ)。紙幣で5種類、硬貨で7種類が流通しています。 アンナ・アンカーは1880年にミハエルと結婚。デンマークで最も偉大な画家の1人であり、文字装飾やカラーニストでもありました。 ミハエル・アンカーは人生の大半を芸術家の街、スケーエンで過ごしました。彼の古典的な画風は今でも人気があります。 アンカー夫妻の作品はスケーエン美術館等で観ることができます。スケーエン美術館にはアンカー夫妻が住んでいた家も保存されています。 ニールズ・ボアはコペンハーゲンの学術的に伝統のある家系に生まれた。18歳の時、物理学・天文学・化学・数学を学ぶ為、コペンハーゲン大学に進学した。 その後、イギリスのケンブリッジに渡り、原子核の発見に基づく原子の構造に関する研究に没頭する。原子構造に関する彼の基礎的な研究は原子物理学者の発展に大きな意味を持ち新しい見地を開いた。 彼はさらに核物理学に関するいくつかの原理を発表。核分裂に関する理論は原子エネルギー解放基盤の一つになった。 ジョアン・ルイーズ・ハイベルグは9人兄弟の8番目の子としてカトリックを信仰するユダヤ人家庭に生まれた。子供の頃からダンスを習い8歳で王立デンマーク劇場のバレエ学校に入学した。その後も多くの作品に出演し、北欧人でもっとも偉大なステージパフォーマーと称された。 カール・ニールセンは、フィンランドのシベリウスと並んで、北欧クラシック音楽界を代表する存在。『交響曲第4番「不滅」 』は最も有名。 6歳の頃バイオリンと出合い、14歳で軍楽隊に入隊。その後、19歳の時にコペンハーゲン音楽院で作曲を学んだ。 現在でもカール・ニールセン国際音楽コンクールや国際ヴァイオリンコンクールなど彼の名を冠したものがある。 メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード主演の映画『愛と哀しみの果て』の原作者。 デンマークの貴族の家に生まれたカレン・ブリクセンは、27歳の時にケニアに移住し、ブリクセン男爵と結婚。コーヒー農園を経営した。 しかし、結婚7年めに破局。カレンは1人でコーヒー農場を続けたが、経営難に陥り、1931年にデンマークに帰国した。 『愛と哀しみの果て』の原作『Out of Africa』は1937年に発表。アフリカでの17年の回想をまとめたもの。アフリカの大地やそこで暮らす人々への想いがつづられている。 現在のコインシリーズのデザインは互いのコインを識別することが容易でなければならない為、厚さ、重さがそれぞれ異なり、更に3つの金属色に分けられました。 昔はコインの値がそれらが鋳造された金属の値と等価でした。したがって金は最も高い額のコインに使用され、その次は銀・銅と続きます。 20クローネ・10クローネはコインシリーズの中で高額な為、伝統に則り女王の肖像を採用しています。 現女王の肖像が描かれたコインは過去に2回(1989〜1993年と1994〜1999年)発行しており、2001年に3回目の新コインが発行されました。 表面に女王の肖像があり、周囲を囲むように国名とマルグレーテ2世と刻まれ、発行年が記されています。 裏面は国家の紋章が描かれています。王冠の下に3頭のライオンと9つのハートが描かれています。 表面は3つの王冠の間にマルグレーテ2世女王の頭文字”M”を装飾的に連結させたデザイン。3つずつ描くことはデンマークのコインの伝統です。 中央の穴はデンマーク造幣局が1924年に初めて作りました。現在もごく少数の国が採用しています。 1671年以来、クリスチャン5世の王冠(ローゼンボー宮殿で保管されています)がデンマーク王家の王冠です。 スウェーデン同様にデンマークも福祉先進国です。日本は見習うべきところが多いでしょう。しかし、その福祉を支える元となるのが国民が収める税金。これは西欧諸国で最も高く、物価も日本と同じくらい高いと言われています。 まずは付加価値税(消費税に該当)が25%。自動車を買うと自動車税が180%加算されます。一般市民の平均所得税は58.95%、平均市民税は31.7%・・・。 例えば大学を含めた教育機関の学費は無料で、しかも学生は全員政府から奨学金が給付されます。医療費は手術代も含めて無料で受ける事ができ、福祉機器は必要がある人にはほとんど無料で貸与されます。 ただ税率が高いだけでなく、税金の恩恵を皆が享受できる社会ということが”福祉先進国”と言われる所以なのでしょう。 |
[ 100] デンマーク
[引用サイト] http://www.tradition-net.co.jp/door/door_money/den.htm
