持っとは?

産業廃棄物の収集運搬免許を持っているB社と処分の免許を持っているC社がジョイント ベンチャー(JV)Dを作って、排出事業者Aと産業廃棄物の収集運搬及び処分の契約を1つの契約書で締結することは適法でしょうか。当然、収集運搬業者に支払われる費用と処分業者に支払らわれる費用は契約書にそれぞれ明記し、B社とC社はジョイント ベンチャーDとして契約書に署名するものとします。
(3種類の契約書のサンプルがあることは知っています。又なぜこんなJVで遠回りをしようとするのかとの御質問があるのを承知で上記の契約方法が適法かどうか質問させていただいています。)
また、ジョイント ベンチャー(JV) が法律上どのような意味/義務/権利等があるのか教えていただけると幸いです。
JVがいわゆる通常の「合弁」のことを指しているのであれば、法律上Dはれっきとしたひとつの会社であり、B・CはDの出資者に過ぎないので、DはBともCとも別の法人格を持つことになります。
ですから、Dが廃棄物処理委託契約の当事者となるには、D自身に収集運搬+処分業の許可が必要になると思われますし、両方の許可を持っているならひとつの契約書ですることに問題はないと思います。ただ、実際に作業をするのがB・Cになるなら、DからB・Cへの再委託が必要となるでしょう。
回答有難うございます。もしD社自身は収集運搬又は処分業の免許を持たずB社とC社にそれぞれ実作業を行わせるとA,B,C,D社はどのような違反に問われる可能性がありますか?
>もしD社自身は収集運搬又は処分業の免許を持たずB社とC社にそれぞれ実作業を行わせるとA,B,C,D社はどのような違反に問われる可能性がありますか?
再度の回答ありがとうございます。廃棄法を考える時、JV自身は完全にB社/C社とは別会社と考えて対応すべきことのようですね。
ご質問のジョイントベンチャー(JV)とは、一般的には、建設業法絡みの造語です。共同企業体と言われています。
これは、一般論ですが、JV=合弁ではありません。JVとは、建設工事の際に技術力のある大手と地域の中小の工事会社を組み合わせて、中小企業への発注の機会を与え、且つ、技術の伝承が主たる目的の工事案件毎の共同の事業体(JV)です。
回答有難うお座います。廃棄物処理でJVを作って運営しているケースは皆無なのでしょうか? もしご存知じのケースがあればお教え下さい。もしくは廃棄物処理でJVを考えること自身が無意味な事なのでしょうか?
廃棄物関連事業で一時的な「JV」を結成する意味を理解出来ません。私の知る限りでは、JVは皆無です。
再度の回答有難うございます。JVに拘る理由について詳細をお伝えできないことを私自身もはがゆく思っているしだいです。

[ 20] EICネット[環境Q&A - 「収集運搬免許業者と処分の免許を持っ業者のJV」]
[引用サイト]  http://www.eic.or.jp/qa/?act=view&serial=12146

連続殺人事件(老夫婦を向かい合わせの椅子に縛り、ナイフで狂気のごとき惨殺を行い、暗黙のうちに宗教的意味もたせながら、一定期間おきに7夫婦を殺害)を、『ヨハネ黙示録』を手がかりに解決に導いたことから、その業績などが評価され、41歳で、大学から招聘を受け、その面接の際、神学校で研究してきたその『比較宗教学者』<「ドクター=博士」でもあった。著書中では、学位論文は『文明社会における宗教の進化」』>であった者としてその信念を語る場面〜
では本題に入りましょう。あなたをここにお呼びした理由です。近ごろの大学生の大部分は、経営学、医学、法学、工学といった陽の当たる分野しか目を向けません。しかしわたしは若い人たちに比較宗教学の価値を学んでもらいたいのです。さまざまな宗教が、人々が生きている時代、それぞれの年齢層と社会的階層の物の考え方、彼らの恐れと希望と喜びについて、多くを〜紋切り型の歴史よりもはるかに多くを語っています。人々が意識的無意識的に恐れているもの〜そのリストのトップは常に死が占めている、とか、死の先になにがあるのか、それとも単なる忘却かといったこと、おそらくこれが人間にとって最大の恐れでしょう。〜ドクター・エインズリー?』
ドクター・アラーダイス、あなたに知っておいていただかなくてはならないということのは、わたしは比較宗教学の魅力にとりつかれているし、昔からずっとそうでしたが、どの宗教も信じていないということです。信仰そのものはずっと前に捨てました。』
最後にもう一つだけうかがいます。〜比較宗教学をどう教えるかについて少し考えを聞かせてもらえませんか?』〜中略〜。
わたしが教えるのは事実ーーー既知の事実です。あなたがさっきおっしゃったように、過去二十年間<*今昔注記:この時点からだと、1977〜1997年の二十年間>に、宗教に関する多くの新知識が出現し、それらは検証を必要としています。わたしは判断を避けるつもりです。学生たちは望むなら自分ですればよいのです。とりわけわたしは学生たちを宗教に誘い込むつもりはまったくありません。
それから、より広い意味での教育体系〜当大学の目標〜のなかに、比較宗教学をどのように位置ずけますか?』
そうですね。疑いもなく重要な歴史〜ほぼ五千年にわたる人類の歴史として位置ずけます。その長い期間を通じて、宗教はさまざまな変化を〜革新と破壊、戦争と平和、正義と独裁を引き起こしてきました。ほとんどどの宗教にも聖人と悪人がつきものでした。権力者たち〜皇帝、政治家、軍隊、傭兵などは、権力を手に入れるために宗教を利用してきたのです。』
もちろん宗教にはプラス面もあればマイナス面もたくさんあります。あなたはそのバランスをどうとりますか?。プラスとマイナスのどちらがより大きいか、その判断が必要なのではないですか?』
だとしてもわたしは判定をくだしたくありません。おそらくだれでもそうでしょう。わたしに言えるのは、われわれが歴史のなかの宗教の記録をどう考えるにせよ、人間行動のなかで宗教ほど広く普及し、永続的なものはほかになかったということです。』〜エインズリーは小さく笑って言った。『そのことだけでも今日の生活と教育に占める比較宗教学の重要性は明らかではないでしょうか』
たいへん結構です!ありがとう、ドクター・エインズリー、あなたの講義が始まったらわたしがまっ先に拝聴しにいきますよ』〜以下、省略。
*アーサー・ヘイリーは1920年イギリス生。イギリス空軍パイロット、カナダの出版社の編集者を経て作家。1965年『ホテル』が大ベストセラーになり、『大空港』、『マネーチェンジャー』、『自動車』及び『ニュースキャスター』などの著書で著名。 1997著『殺人刑事課』の原題は[Detective=刑事]、この時、78歳。
〜最後のところで語られている内容は、かって宗教を巡り歴史的な大規模な戦争があり、また今でも世界各地でその後遺症的な争いもあり、日本でもそうですが、社会を惑わす、まやかし的な新興宗教も絶えない世界の現状をみてきた、アーサー・ヘイリーの遺言でもありうるものだと思います。
日本人には、教育の場でも、『宗教を比較したり、宗教とは何なのか、なぜ必要だったのか、死とは?』、などということは、タブー視されてきていましたから、ここでの問答は、まったく理解できないと思いますが、出身民族も宗教も多様な国家であるアメリカ人や世界のなかで宗教戦争などを経験してきた国々の人々には、大いに参考になるはずです。ここにあえて、掲示しておきます。
なお、『オウム真理教』などの問題も発生し、今、日本でも『教育の場』で、『宗教をどう教えたらいいのか』〜議論されているようですが、世界の国々を広く理解できるように、早く、具体的な内容や位置ずけをはっきりさせてほしいものです。

[ 21] 「神父でもあった比較宗教学の学位を持っ刑事に語らせる『宗教の本質』!
[引用サイト]  http://www5e.biglobe.ne.jp/~konjak-1/konjakmo/517866514696838.html



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