見るとは?

「しし座流星群」を見るポイントは? 見る向きや姿勢など、肉眼で流星を見るときのポイントを紹介する。
天文現象の観測というと「望遠鏡が必要なのでは……」と思いがちだが、結論から言うと、流星を見るためには肉眼がもっとも適している。
望遠鏡はまったく必要ない。望遠鏡は、天体像を拡大して見るものであって、流星のように、広い範囲の現象を見るには適していないからだ。
放射点近くでは、経路の短い流星が見られるので、6度から7度の視野を持つ双眼鏡の視野の範囲内でも、多くの流星を見ることができる。肉眼で4等ほどしか見えていない都市近郊の空でも、7×50や10×40といった双眼鏡なら、7等星あたりまで見え、それだけ暗い流星を見ることができるからだ。
もうひとつの使いみちは、流星痕(りゅせいこん)の観測だ。しし座流星群に属する流星は明るいものが比較的多く、その中には、流星が飛んだ跡に、細長くボヤッと光る痕が見られることがある。この痕を双眼鏡で見ると、上空の大気の流れによって、形が徐々に変化していくようすを見ることができる。
『流星痕』:流星の流れた後に、ボンヤリ光る「流星痕」が見られることがある。明るい流星では、数分間も消えない「永続痕」となり、上空の風で拡散していき形が変化していく。
肉眼での観測だが、流星を見るための特別の方法というものはない。ただ、眼を『暗さ』に充分に慣れさせて眼の感度を上げておくことと、いつ流れるかわからない流星に備えて、長時間夜空を眺め続けられるような楽な姿勢をとることが必要になる。
眼が暗さに慣れるには、最低でも5分ほどかかる。理想的な状態に持っていくには、なお20分ほど、暗い夜空を見続けなければならない。
もしも、明るい部屋からときどき外に出て夜空を少し眺めて、流星が流れないからといってまた明るい部屋の中に入る、といったことを繰り返していると、眼の感度アップが起こらないので、せっかく流れた流星も見逃すことになってしまう。
ここは、17日の夜半から朝まで、じっくりと腰を据えて流星の出現を待つことにしよう。そのための楽な姿勢とは、椅子に座るか、寝転がってしまうかのどちらかだ。
18日の3時ごろまでは、東の中天を中心に広い範囲を見ることになるので、椅子があれば楽だ。寝転がって首を横に向ける、もしくは枕を用意して頭の角度を調整するといった方法もある。
4時から夜明けまでは、放射点も高く昇り、天頂付近に流星が飛ぶことが多くなるので、寝転がってしまうのがいちばんいい。地面に直接寝ると体が冷えてしまうので、マットを敷いた上で寝袋に入るか、毛布を用意しよう。
いずれにせよ、季節は11月で、夜間はかなり冷えるので防寒に注意し、長時間の観測に備えてほしい。
また、暖を取るために火を炊くのは、許可されている場所だけにしてほしい。そもそも、せっかく暗さに慣れた眼がまたもとに戻ってしまうので、たき火は流星観測には逆効果だ。
流星の明るさや経路を記録するといった「観測」は、現象の正確な記録という意味では有用なことだが、ただ単に「多くの流星を見たい」という場合には、大上段に構えず、もっと気楽に楽しめばよい。
出現数のごく簡単な記録方法は、10分刻みぐらいで、何個の流星を見ることができたかを記録していくことだ。この観測結果から、あとで出現のピークが何時ごろであったかを知ることができる。翌日の話題にも「〜時頃がピークでしたね」と自慢できるかもしれない。
もちろん、1分間に何十個もの流星が乱舞するという状況になった時には、出現数など数えていられないだろう。そのときは、流れのままに身を任せ、天空の一大スペクタクルを全身をもって感じ取るしかない。

[ 153] しし座流星群2001
[引用サイト]  http://www.astroarts.co.jp/special/leo2001/leoguide03-j.html

と、突然問いかけられても読者の方には意味が全く分からないと思うが、今これを書いている筆者自身にも、正直なところあまり意味が分かっていない。
見る人を見る、一体それは何なんだろうか。ひとつだけ確かなのは、人は目の前になにかある時、とりあえずそれを見ずにはいられないという、極めて単純な事実である。
見る人を見る。それが一体どういう結論をもたらすのかは分からないが、見る人を収めた写真をみながら考えていきたい。
まずは手始めに、ケータイ電話を見ている人を見てみることにしよう。ケータイを見る人はいまや探すまでもなくどこにでもいるし、気がつけば自分がケータイを見る人になっている場合も多々ある。
そんな時、人はいったいどんな顔をしているのだろう。今回は、電車やバスなどの車中でケータイを見ている人に照準を合わせ、見てみることにしよう。
以上が「ケータイを見る人」たちの顔だ。左下の写真の男性に思いっきり見返されているのはご愛敬としても、これを読んでいる貴方は、
という二点がどの人たちにも共通していることにお気付きだろうか。それがどうした、と云われたらそれまでだが、なんだか少し寂しい気がするのは恐らく筆者だけではあるまい。だってどの人もうつむいて無表情に小さい画面を見つめているだけなんだぜ!?
「私はもっとエモーショナルな見る人が見たい」。そんな衝動に駆られ、筆者は自身が住んでいる埼玉から大阪・京都に飛び、より感情を露わにした見る人を見る旅に出掛けることになる。
ということで、京都・銀閣寺にやってきた。銀閣寺は正式名称を慈照寺といい、足利義政が1482年に建立した山荘。ここから様々な文化が育まれたというが、今では観光名所としても知られている(修学旅行で足を運んだという方も多いのではないでしょうか)。
結論をひとことで言えば、観光名所はダメである。みんな、ろくすっぽ見ないですぐにカメラ構えちゃうんだもの。
冒頭の二枚の写 真の人物のように、茫然とただ対象をみつめる視点が、「銀閣寺を見る人」には欠けているような気がするが、その顔をケータイを見る人たちと比べてみると、エモーショナルな部分に少しは近づけたのではないだろうか。
しかしエモーショナルとは、筆者は一体なにを言っているのだろう? 微妙に着地点を誤りそうな予感が頭を掠めつつも、とりあえず原稿を進めていこう。
続いて、京都・嵯峨嵐山までトロッコ列車に乗りにきた。7.3キロをひた走るこのあまりメジャーでない乗り物からは、保津川のとても見事な渓谷が見られるという。「大自然&トロッコ」という合わせ技を前に、人はどのようなまなざしを持ってそれと向き合うのだろうか。
これである。この9枚の写真を、もう一度よく見てみていただきたい。この中に君のパパやママが写っていないかな!?
もし写っていたとすれば、それはとても素敵なことだといえる。ここまで目の前に広がる風景に向かって愉しそうにみることが出来るなんて、そうそうあることではないのだから。
ほとんどの人が満面の笑みを浮かべていて、みているこちらの方が嬉しくなってくるくらいだ。これでこそ見る人を見る甲斐もある。
最後は大阪のギャラリーで行われた、筆者が大ファンであるシンガー・二階堂和美の、観客限定40名というライブにいってみた。
二階堂和美についての詳しい説明はここでは省くが、検索すればすぐ試聴できるページも見つかるので、興味を持たれた方は各自探して頂きたい。
さて、「限定40名」というある意味で選ばれた人たちは、いったいどのようにアーティストを見つめるのだろう。
薄暗く、人数も限られた密な空間を共有しているということもあり、その表情には信仰にも近いような、不思議な陶酔が表れているような気がする。
二階堂さんの歌声を聞き逃すまいと集中して聞き入る人が殆どだったが、すでに目を閉じて「聴く人」になっており、目をつむってしまっている人も中には見られた。憧れと陶酔が入り交じったその「見る人」の顔は、しかしなかなか素敵ではある。
ということで、様々なものを見る、4組の「見る人」を見てきた訳だが、お楽しみいただけただろうか? 筆者としては、見る人の特徴がなんとなくでも分かったような気がする。
見る人の表情がエモーショナルなものを感じさせる時、その人は心から対象を受け入れているし、その方が見る人を見ていても愉しい気分になる。
等といった、言われてみればなんてことのない事実に過ぎない。しかしなんてことのない事実の中にも大切なものが隠れている気がするから、世の中って本当に不思議なところだ。
さて、これを読み終わった後の貴方の顔は、いったいどんな表情になっているのだろう? 願わくば、少しでも愉しげな表情をしていますように。

[ 154] @nifty:デイリーポータルZ:見る人を見る
[引用サイト]  http://portal.nifty.com/koneta04/09/29/02/



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