誇りとは?

十七日の衆院教育再生特別委員会で、日本共産党の石井郁子議員が取り上げた日本青年会議所作製のDVDアニメ「誇り」。文部科学省が委託研究事業としているその内容は、日本の侵略戦争と植民地支配を正当化する言葉があふれています。
「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい。日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあった気がする」。靖国神社の鳥居の前で、過去から来た青年がこう語ります。「戦後その思いは打ち消され『悪いのは日本』という教育がおとなにも子どもにも施され、しょく罪意識だけが日本人の心に強く焼き付けられてしまった」
DVDでは青年の語りを通して、「日本は自国を守るためにやむをえず戦争した」「アジアを解放するための戦争だった」との主張が繰り返されます。朝鮮半島や台湾については「植民地支配」という言葉はなく、「日本はこれらの国を近代化するために道路を整備したり、学校を建設した」と述べています。「従軍慰安婦」や強制連行などの加害の事実にはいっさい触れていません。
DVD「誇り」は日本青年会議所が地方青年会議所との「協働運動」として進めている「近現代史教育プログラム」の教材です。同プログラムでは学校の総合学習などで中学生にこのDVDを見せたあと、会議所のメンバーがコーディネーターになって詳しい説明を加えながら討論。子どもたちから「日本を守るためには戦争をするしかなかったのではないか」「日本が自分の国を守るために戦争したなんて初めて知りました」などの感想を引き出しています。
この内容には、当の青年会議所の関係者からも疑問の声が出ています。同会議所のホームページで内容を知った地方青年会議所の関係者は「子どもたちを洗脳するようなもので、ひどいと思った。やめるべきだと思う」と語っています。
(写真)「近現代史教育プログラム」が文科省の委託研究事業に採択されたことを伝える日本青年会議所のホームページ
文部科学省はこのDVDを使った教育プログラムを今年度の「新教育システム開発プログラム」の委託事業として採用しました。同会議所はさっそく「協働運動が文部科学省の研究事業に採択」と宣伝。学校の総合学習などの時間に、青年会議所のメンバーが教室に「誇り」のDVDを持ち込んで実践するよう全国的に呼びかけています。
「新教育システム開発プログラム」は、「あるべき新しい教育システムを提言するための調査研究をおこなう」として文科省が二〇〇六年度から実施。研究内容を公募し、採択された団体に委託費を提供します。今年度は青年会議所のほか地方教育委員会や大学などの七十六件が採択され、計約十五億円の予算が計上されています。
採択にあたって研究内容の審査をする文科省の有識者会議のメンバーには、青年会議所の池田佳隆前会頭が加わっています。
池田氏は、昨年六月に衆議院の教育基本法特別委員会で参考人として意見陳述をし、「戦後植え付けられたしょく罪国家意識を払しょくするために、近現代史教育プログラムを作成している」「いまの教科書では自虐的すぎる。そこのところを教育現場が放棄するのであれば我々が買って出る」と述べています。
DVDアニメ「誇り」は、過去の戦争をめぐって高校生「こころ」が、過去から来た青年「雄太」から話を聞くかたちで進行します。2人は靖国神社へも出かけます。雄太が語る戦争の歴史とは―。
「領土拡大戦略として南下してきたロシアと、そのロシアから自分たちの国を守りたかった日本。その後、それぞれの思惑とは別に周囲を巻き込みながら、その後の大東亜戦争にまで発展していくんだ」
「ロシアは、中国大陸における覇権争いをしていた国民党や共産党をたくみに操り、さまざまな謀略を日本にしかけはじめた。そうとは知らない日本は中国大陸で抜けるに抜け出せない、泥沼のような戦いを繰り広げていくことになっていく」
「日本対アメリカを含む連合国軍との戦いを、当時、日本では東アジアの白人からの解放を大義目的にそう(大東亜戦争と)呼んでいたんだ」
「日本は亡国の道を歩むか、戦争に突入するか―二つに一つの決断を迫られ、アメリカをはじめとする連合国軍との戦争という苦渋の決断を強いられた」
「(GHQは)戦争で残虐行為を働いた凶悪な日本兵というイメージを日本国民に植え付け、洗脳していった」
靖国神社で、雄太は「愛する自分の国を守りたい、そしてアジアの人々を白人から解放したい―日本の戦いには、いつも、その気持ちが根底にあったような気がする」と語ります。
「私が今ここにいるのは、過去に日本という礎を築いてくれたたくさんの人たちがいたから…。そして大事なことは、正しい事実をきちんと知ること」
安倍首相は日本青年会議所の広報誌『We Believe』昨年十二月号で、当時の池田会頭と対談し、DVD「誇り」を受けとっています。
池田氏が、日本青年会議所が「美しき日本」をスローガンにしていることを紹介。安倍首相が「美しい日本」という同じ理念を掲げたことに期待を表明しています。
受け取った安倍首相は「教育再生の参考にぜひ拝見させていただきましょう」と話し、池田会頭は「美しい国づくりに生かしていただければ幸いです」とのべています。

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[ 134] 侵略正当化へ“洗脳”/文科省採用の“靖国DVD”
[引用サイト]  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-18/2007051803_01_0.html

名誉とは、ある人が特定の時代の特定の社会のなかで、他人や世間や社会から受けている評価のことである。これに対して、ある人が、自分の内的な規範に照らして恥じることのない生き方をしているとき、つまり醜くなく生きているとき、自然に生じてくる自尊の感情がすなわち誇りである。
従って、ある人の名誉を傷つけるのはたやすい。なぜなら、名誉を与えるのはその人の周囲にいる他人たちだからであり、そして他人たちとか世間とかいうものほど、人を理解せず、理解してもいないのに評価したり裁いたりしたがるものはないからであって、しかもその評価たるやその時の情勢次第でどうにでも変わりうるという甚だ無責任なものであるからだ。だから名誉を欲する人はついに一生のあいだ不安を免れることはないであろう。そのような人は一生のあいだ、自分の評判を、自分の社会的立場を気にしながら、気まぐれな他人たちのご機嫌をうかがって生きていくほかはないであろう。
いっぽう、ある人の誇りを損なうことは他人には決してできない。誇りは、他人を拠り所にしているのではないからだ。たとえ私がその人の財産をすべて取りあげる権力を持ち、それを行使したとしても、その人が誇りを失うまいとする限り、その誇りはまったく傷つくことがない。他人にはたとえ貧しく、みじめに見えるとしても、そのときその人はなんら醜いふるまいをしてはいないからである。だが他方、もしその人が、理由はどうあれ自分のたてた最も大切な規範に背いたならば、それを他の誰も見てはいず、その人の評判はまったく変わらなかったとしても、その人の誇りは致命的な打撃を受けるに違いない。
現代の、と言って悪ければ現代日本の、非常に大きな病理は、誇りと名誉とが混同されていること、それどころか、人々が誇りという言葉のもとにも実は名誉をしか考えることができないでいる、というところにあるのだと私は思う。自分の人生に誇りをもつ、ということが、他人の賞賛と好意とをありったけかき集める、という目標へとたやすくすり替わり、自尊感情が勝利、成功、出世、卓越、安定した生活、といったものと結びついてしか考えられない社会、それは実は人間の誇りを知らない、名誉をしか知らない人々の社会なのである。
現代に特有のあらゆる精神的病理が、誇りの喪失と名誉への固執、というその一点へとまっすぐに収斂していくように私には見える。……受験競争は、受験技術がないだけで自分がダメな人間だと思いこむみじめな劣等生と、常にエリート意識を顕示して自分の勝利を再確認することでしか不安を免れることのできない哀れな優等生とを大量に産み出した。……疲労で死んでしまうほど働かねばならぬ理由が、会社というちんけな組織のどこにあったというのか。家庭という、あなたの目の前、あなたの足元にあって、ほかならぬ「あなた」の力をこそ本当に必要としている場で、「あなた」の力によってしか救われない苦しみと痛みとにきちんと直面することもせずにあなたは平気でいられたのか。……登校拒否も拒食症もアダルト・チルドレンも幼児虐待も出社拒否症も熟年離婚も、すべてはそこに関係している。つまり、人々がみな他人の目を一番に気にして生活することしかできなくなっていることに、だ。
だって仕方ないではないか、とあなたは言うだろうか。この社会の制約の前で、一人の人間にいったい何ほどのことができるというのか、自分だってなにもかも喜んでこの社会に賛成し参加しているのではない、問題があることは百も承知だが、かといってすべてを拒否して意地を張っているわけにもいかないではないか、いったいそれならどうしろというのか、と、半ば憤慨して問い返すだろうか。それとも、人生を感得したあの「大人の微笑」を浮かべて、そんなこと言ったってね、きみ、と、肩に手をかけて説得にかかろうとするのだろうか。きみの気持ちはよくわかるけれど、現実の社会がそうなっている以上、ある程度それに合わせてやっていくしかないわけだよ、人生とはそういうものじゃないかね、と。
もちろん、あなたの言うとおりである! だれもそのことに文句を言うことなどできない。そのように言ったからといって、あなたが非難されることはないし、あなたの名誉に傷がつくこともない。独裁者ではない一人の個人としては、そうして世の中に妥協するよりほかに道はなかったのだし、あなたは人並み以上に卑怯なことをしたわけではないのだから。あなたはただみんながそうであるのと同じ程度に卑怯で、同じ程度に無力であったにすぎないのだから、それをとがめることのできる者など、どこにもいない。安心するがいい、あなたの名誉は安泰である。
しかしそのとき、あなたは、自分が名誉をなくさないために、代わりに何かをなくしてしまったのではないか、と、少しでも考えてみようという気はないだろうか。妥協したことを否定はしないが、しかし妥協したことによって何を失ってしまったのか、それをただ「考えてみる」だけの気さえ、あなたにはないのだろうか。なぜあなたは、人間の誇りという、本当はなくしてはならないものをなくしてきてしまったことに気づき、それほどまでに理不尽な妥協を強いたこの愚かしい時代と社会とに、無力でちっぽけな一人の個人のありったけの怒りをせめてたたきつけてやろうと思わないのか? どうしてあなたはそれほどまでに「無欲」でいられるのだ? 誰だって本当は、人間の誇りをなくしたりなどしたくはなかったはずではないのか。誰だって本当は、もっと自由に、生き生きと、誇りと感謝に満ちて、世間体だの他人の評判だのに縛られずに生きてゆきたかったはずではないのか。誰だって、本当は、もっと、もっと。
無力な個人のままこの社会に絶望的な反抗を企てよと言っているのではない。社会を変革するための運動を起こさねばならぬと言っているのでもない。だが、私たちが妥協を強いられたこと、そしてその妥協が私たちにとって決して満足のゆくものではなかったこと、しかし私たちがそのように無力であったのは私たちの責任ではないのだということ、そういうことどもを、私たちが決してごまかしたり忘れたりせずに覚えていること、それこそが、この理不尽で圧倒的な私たちの運命の前に、はかなく弱い存在である私たち個人がつきつけることのできる最後の抵抗であるはずではなかったのか。いかなる圧政の前にも屈することのない、それが私たちの最後の拠り所であり、人間の誇りというものではなかったのか。あなたは、誇りの代わりに、名誉などというちゃちな代用品をみんなからあてがってもらって、たかがこの時代の、この社会の中でうまくやっていければ満足できるほどにまで、あなたの心をなくしてしまったのか? そんな者に、自分を語り、他人を語り、人間を語り、世界を語り、友情や平和や教育や人権や祖国や、そのほかたくさんの大事な事がらを語る資格があるのだろうか。自分をごまかさない、という人間の心の最後の砦さえ明け渡してしまった者が、絶望的な戦況のなかでそれでも誇りを失うまいとして立ちつくす人々に石を投げたり、それを愚かなことと蔑んだりするというのか。
名誉を守るために誇りを捨てる人はたくさんいる。けれども、誇りを守るために名誉を捨てる人はあまりいない。

[ 135] 誇りと名誉について
[引用サイト]  http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~hrsk/kisoen/asakura/st_es_hokori.html



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