定めとは?

「知盛殿は、母君にあたる二位の尼様と妹君にあたる徳子様に対して、お覚悟をあらためて確認しに行かれたのだ。幼き帝は二位の尼様の膝にちょこんと腰掛けていたそうな。知盛殿は、深く頷くお二人を見て、微笑を返し、そして、自ら入水のお手本を見せようと船縁に立った。ところが、まさに海に飛び込もうとしたところ、源氏の舟が一艘、押し寄せてきて、甲板に四人の武者がはい上がってきたのだ。知盛殿は入水をやめて、この四人の武者に対峙した。武者たちは、舟に掲げらている帝の旗印に気がついていたらしく、帝のお命はともかく、三種の神器を確保すべしとささやきあっていたという。それを耳にした知盛殿は見る見るうちに顔を上気させ、刀を抜くや、先頭の武者の甲にたたきつけたのだった。甲こそ割れはしなかったが、武者は気を失いその場に倒れ込んでしまったという。また、もう一人の侍は、それを見て、すかさず知盛殿に襲いかかってきたが、返す刀で、知盛殿はその侍の足を払ったのだ。その侍は両足に深手をおって、悶絶しながら甲板の上を転げ回っていたという。そうした光景を二位の尼様はしっかりと目をあけて見ていたそうだ。ただし、帝には見せたくはなかったのだろう、その手で帝の目を覆っていたそうな。その後、知盛殿は、刀を捨てて、両手を大きく開いて、源氏の二人の侍に立ち向かって言った。刀を捨てた知盛殿に源氏の侍たちは一気に襲いかかってきた。振り下ろされた刀は知盛殿の鎧で跳ね返され、姿勢を崩した侍たちの首根っこを今度は知盛殿がつかんだ。強力(ごうりき)とはこのようなことを言うのだと私は思った。首根っこをつかんだ知盛殿は、後ろを振り向いた。そこには、母と妹、そして、帝がいた。知盛殿は、このお三方を見て、大きく頷いたそうだ。そして、押し寄せる源氏の舟に向かって、このように叫んだそうだ。<この世の良きこと、悪しきこと、すべて見た。何の悔いあらんぞ>そう言って、源氏の武者を連れて入水したのだ。泡が三つごぼごぼとあがって、そのうち大きな渦が起きたそうだ。」
「それを見届けた二位の尼様は、徳子様に目で合図を送って、共に船縁に立ったそうだ。側に仕える女房が泣きながら、それぞれの腰に碇を結びつけたそうだ。徳子様の碇にはもう一つ帝の印である三種の神器が入った箱がくくりつけられていた。そして、帝は二位の尼様の腕の中にあった。陽はいくぶん西に傾き欠け、きらきらと海が輝くそんな昼下がりであった。その時、帝が言葉をおだしになった。ばば君、次はどこへまいるのかとな。」
「二位の尼様は、それに対して、竜宮ですと答えたそうな。これが最後の旅です。竜宮でこのばばと母君と楽しく暮らしましょうと言葉をかけて、帝ののど元に短刀を突き刺し、同時に海に飛び込んだのだ。女房がそれにあわせて碇を海に放り投げた。うっすらとした血潮が海面に漂い、二位の尼様の白装束がすーと海の底に吸い込まれていった。次は徳子様の番だ。ところが、三種の神器の箱が思ったより重く、女房たちはうまく碇を放り投げることができなかった。徳子様は海に浮き上がってしまい、結び方も緩かったのだろう、腰に結いつけられた縄がほどけてしまった。遅れて放り投げられた碇と三種の神器はそのまま沈んだが、徳子様は海に浮かび上がったままになってしまったのだ。」
実氏が言った。それに対して、光盛は小さく頷いただけであった。そして、無言のまま、流れる涙を拭おうともせず、その場に方を小刻みに揺すって座ったままであった。
風を避けるため、宿舎にもどった二人は、しばらく休みをとって、その日の夕方近くから話の続きを始めた。
「徳子様は源氏の侍たちに引き上げられ、ついに母と子と旅を共にすることはできなくなってしまったのだ。しかし、徳子様は、なぜかほっとしたというのだ。それは、自分の命が助かったからではなく、これも定めだったのだろうという思いがそうさせたと語っておられた。」
「知盛殿は、ご子息を一の谷で失った。目の前で命をとられる様を見せられることは、親としてこの上ない辛さであろう。しかし、これも定めなのだと徳子様はおっしゃるのだ。赤間関の海で、入水できなかった兄宗盛殿に対しても、西海へ共に行かなかった我が池の一族に対しても、それが定めだとおっしゃるのだ。そして、自分が生き残ったのは、この戦さで亡くなった方々を一生かけて弔うことが定めなのだとな。」
「そうかもしれん。泳ぎが得意だから、沈むこともできなかったという話も伝わっている。今、世間では、宗盛殿のことを悪く言う風潮ができあがっているが、私はそうは思わない。一門を率いて、あそこまでやってきた男だ。心を鬼にして、一門の面々に対してきたこともあろう。赤間の海の中から平家の赤旗が焼かれ、海に漂う姿を見て、あのまま死ねなかったのだろうと私は思っている。生きながらえて、源氏の面々に己が主張を述べて死んでも遅くはないと思ったに違いない、そう私は思っているのだ。だから、それもまた定めだと私は考えている。」
「定めとは、あらかじめ決まっていることなのでしょうか。つまり、平家は滅びる一門としてそこにあり、源氏は生き残る一門としてそこにあったと。」
「そう短絡的なことではない。平家一門でも生き残った我らのような一族もある。また、生き残ったかにみえた頼朝殿の嫡流は実朝殿の暗殺で絶えてしまった。人間は、己の前に提示される定めをどのように見定めるかだ。定めはそこにあるが、それを受け取る人間次第でいかようにも変化するものだといえる。あの戦さで亡くなったものは己の定めを受け入れたし、あの戦さで生き残ったものも己の定めを受け入れたのだ。わが一門が、大きな定めの元にあったことは確かだ。そのために、大きな試練を受けたのも事実だ。もし、平家一門として、我らが誇りを持てるなら、それは実行者としての誇りだと思っている。時代の流れを真正面から受け止め、一時代を築き、次の時代に申し送りをしたという点での実行者だ。その過程で、栄華もあったし、没落もあった。一門の団結もあったし、分裂もあった。そして、生き残ったものもあったし、亡くなったものもあった。それこそが定めだと思っている。」

[ 157] 定め
[引用サイト]  http://www5a.biglobe.ne.jp/~nkgw/i-204.htm

政府、使用者団体、主要労組は、1997年4月雇用安定のための協定(AIEE)に調印した。この協定は期間の定めのない雇用創出のてこ入れをはかることで、雇用の不安定にともなう様々な悪影響に対応しようというものである。協定当時、賃金労働者の3人に1人は期限付き雇用労働者だったが、協定によってこうした傾向に変化があらわれることが期待された。しかしこれから2年以上たった現在も、ごくわずかな改善が見られたものの状況はほとんどかわっていない。
職業訓練契約・実習契約の期間の定めのない雇用契約への転換に対する法的インセンティブを設定
工事あるいは特定のサービスのための雇用契約・通常の企業活動の中で、この雇用契約によって実行することができる仕事を特定する
生産状況による一時的雇用契約:この雇用契約形態の最長期限を「12カ月間で6カ月まで」から「契約の理由となった特殊な生産状況の続く期間の4分の3(最長18カ月まで)」に修正する。
パートタイム労働契約・パートタイム労働者の社会保障枠を、一般労働者のそれと同等にする
若年失業者・高齢の失業者・長期失業者・障害者・期限付き雇用労働者を対象とする。対策の施行後1年を経過したら、集団交渉にて期間の定めのない雇用への転換を交渉する
AIEE 調印後の2年間では、直前の2年間(1995年5月〜1997年4月)と比較して雇用契約が580万増加した(+35%)。このうち期間の定めのない雇用の増加は160%にも達し、協定の目的が十分達成されているといえよう。一方期限付き雇用も69%増えた。だが期限付き雇用契約の全体に対する割合は非常に高く、したがって期間の定めのない雇用が目覚しい伸びを示したといっても、雇用全体の成長の中では20%余りを占めるにすぎない。
期間の定めのない雇用契約および期限付き雇用契約の伸びを説明する要因は、少なくとも3つある。まず現在のスペイン経済が好況局面にある点が、雇用増大の最も大きな理由である。実際、ここ数年は、かつてなかったほど経済成長が雇用増大に即座に反映している。次に大きいのが労働力の回転による影響である。次々と期限付き雇用契約の更新を繰り返す労働者が多数おり、これが現在問題となっている不安定雇用の背景を作り出している。最後に、AIEE
とこれから派生する様々な法的措置が、期間の定めのない雇用の創出に与えた影響をあげることができる。しかし、全体としてみると期間の定めのない雇用の割合が非常に低いというジレンマは残る。前述したように、雇用増大にしめる期間の定めのない雇用の増加の割合は20%強にとどまっている。
それでも、AIEE 直前の2年間は期間の定めのない雇用契約が雇用全体の4〜5%まで落ち込んだことを考えれば、その傾向に変化があらわれたのは確かである。AIEE
の1カ月後にはこの割合は3倍に跳ね上がり、協定の効果を物語っていた。その後現在まで期間の定めのない雇用契約は全体の8〜10%程度の水準を保っている。
期間の定めのない雇用契約について、新規の期間の定めのない雇用と期限付き雇用契約からの転換で期間の定めのない雇用になったものと比べてみると、後者ではどのような変化が見られるかがわかる。AIEE
直後に行われた期限付き雇用からの転換は、期間の定めのない雇用創出全体の70%から80%を占めていたが、その後徐々に減り、現在では50%前後になっている。AIEE
後の2年間を通じてみると、期間の定めのない雇用創出の55%が期限付き雇用からの転換、残り45%が最初から期間の定めのない雇用として創出されたものである。期限付き雇用からの転換がこれほど多いのは、実は一時的でなく恒常的な仕事を行うために、使用者が同一の労働者を期限付き雇用契約の更新を繰り返させつつ雇うケースが多かったためで、これらの労働者を大量に期間の定めのない雇用契約に切り替えたものと考えられる。
過去2年間で終身雇用に転換した期限付き雇用を形態別に見ると、一時的雇用が30%、新規活動開始にともなう一時雇用が25%をしめている。なお後者は
AIEE によって廃止になったため、そのまま期間の定めのない雇用に転換するケースが増えたのもうなずける。一方、転換の15%は工事・特定サービスのための一時契約であった。
期限付き雇用から期間の定めのない雇用への転換には、2つの異なったケースがあると言える。一方では、企業が長期間にわたり期限付き雇用で働いている労働者の安定化をはかるよう、政府が
AIEE に基づいて助成を行った場合である。他方、この助成の一種の「詐取」と呼べなくもないケースも発生している。つまり企業は労働者を雇用する際、まず試験的に一時雇用し、その後期間の定めのない雇用に転換して助成を受けるというやり方である。
性別で見ると、期間の定めのない雇用創出の66%が男性で、女性は残り34%となっている。特に期限付き雇用からの転換でない新規の場合は男女格差が大きく、雇用促進の対象となる失業者(30歳以下、45歳以上、長期失業者)のほぼ半数が女性であるのに、実際に創出された雇用のうち女性は34%にすぎない。期限付き雇用からの転換では、女性は
新規の期間の定めのない雇用創出のうち障害者のしめる割合はわずかに1.5%である。データは1998年1月以降のものだけだが、いずれにせよ今後も大きく増える見込みはない。一方雇用促進の恩恵が最も大きかったのは30歳以下の失業者で、新規の期間の定めのない雇用10人のうち7人までがこのグループの労働者である。失業および不安定雇用の問題が特に顕著な若年層の状況改善という点では、協定がそれなりの効果を発揮したことがわかる。一方45歳以上のグループは新規期間の定めのない雇用の25%を占めている。
しかし長期失業者について見ると、協定の効果はあまりあがっていない。政府による経済的助成もむなしく、長期失業者で新たに期間の定めのない雇用契約労働者として雇用されたのは全体の4.3%のみにとどまった。AIEE
によって一時雇用労働者の中でも比較的条件の良かった労働者の状況が更に安定し、結果として労働市場の二極化が強められたとも言える。現時点では失業者の2人に1人が長期失業者(1年以上)である。
企業の規模別に見ると、AIEE の期間の定めのない雇用創出策を最大に利用したのは最も規模の小さい企業だったといえる。新規の期間の定めのない雇用の3人に2人は、労働者1人〜10人の企業で創出されたものである。これら小企業では政府の助成が相対的にかなり大きかったこと、また
AIEE 前の段階で不安定雇用が集中的に見られたのが小企業だったことなどが、理由としてあげられる。
このように、相対的に見ると期間の定めのない雇用創出が最も多いのは小企業である。1997年5月から1999年3月の期間、従業員1人〜50人の企業(賃金労働者全体の54.3%を占める)で結ばれた期間の定めのない雇用契約は、全体の70%近くにのぼる。従業員数100人をこえる中企業・大企業(賃金労働者全体の37.7%を占める)ではこれとまったく逆で、全ての期間の定めのない雇用の15%余りとなっている。結論として、AIEE

[ 158] 海外労働トピックス スペイン
[引用サイト]  http://www.jil.go.jp/kaigaitopic/2000_04/supeinP01.htm

2010(平成22)年に、第三次世界大戦が勃発するとか、天変地異が襲ってくるとか、宇宙人が襲来するとか、そういう類の内容ではありません。
特に「心(こころ)」という物質を持っている「人間」に顕著に作用してきます。
『人生秘中の奥義書』(理論編と実践編)と『定めの時』の販売は2009(平成21)年で終了します。
『人生秘中の奥義書』を購入しているので、すぐに「定めの時」を読まれたいという方は次をクリック!
『人生秘中の奥義書』(理論編と実践編)の販売サイトをご覧になられず、直接このホームページ『定めの時』に来られた方は、少しお付き合いください。
Top|HOME | お申し込み | プロフィール | 問合せ | お客様の声 | 特定商取引の表示
1985(昭和60)年26歳のとき大学院を中退した私は、人生の先行きに対する目的喪失感から、現実逃避していました。
1986(昭和61)年27歳の暮れ、麻雀荘で仲良くなったある人物が私によく次のようにいっていました。
「競馬の枠順を作っているヤツラはどの馬が1着でどの馬が2着になるか知ってんだよ、そのデーターを暗号表にして、地下で活動しているスパイに送っているんだよ」
子年生まれの騎手が1枠に入るとよく馬券に絡んでくる、そういう暗号の基本をきちんと押さえれば的中馬券を簡単に手にすることが出来る、というものでした。
ミスターシービーやシンボリルドルフが活躍しているころに競馬をやり始めていましたので、普通の競馬のことはよく知っていました。
その人の理解している馬券理論のとおり、競馬新聞の1レースから12レースまでの全ての枠順に目を通し、そして、絞り込んだレースの予想をしました。
枠順から導き出された結果は、1番人気と2番人気、まぎれて3番人気の配置でした。私の予想は的中し、人気どおり決まりました。
しばらくしてその人物は、大井競馬の第7レースが荒れそうで暗号がありそうな気がする、悪いけどこの間のように予想してくれ、と言ってきました。
競馬新聞の1レースから12レースまでの全ての枠順に目を通し、導き出されてきた第7レースの買い目は「5−5」と「5−7」の2点予想です。12頭立てで5枠と7枠の馬は全て人気薄です。こんなんで決まるもんか、という買目です。その人の理論に基づいて考えるとこの2点が導き出される、というものでした。
この人の理論に基づいて、私が予想した買目は2点でした。そしてそれは的中しました。150倍くらいだったといいます。
もし未来が定められていて、この人のいうとおりであれば、今年1987(昭和62)年12月27日の有馬記念はミホシンザンが優勝する予定だったに違いない。
ミホシンザンが1985(昭和60)年の菊花賞を制した年の有馬記念は、シンボリルドルフの2着に屈し、翌年1986(昭和61)年の有馬記念はその年のダービー馬ダイナガリバーの3着でした。ミホシンザンは1987(昭和62)年春の天皇賞を制した後、故障を発生し隠退してしまったのです。
ミホシンザンが隠退という記事を見たとき、今年の有馬記念の勝ち馬はメジロデュレンしかいないと思ったのです。
もし未来が定められているとしたら、1985(昭和60)年菊花賞馬であるミホシンザンの位置を継承できるのは翌年の菊花賞馬しかいないはずなのです。
その人物が言うように、結果は決まっていて、その結果が枠順構成に現われてくるのなら、メジロデュレンが勝つ場合の枠順構成を示せると思ったのです。
残念ながら、その当時私が作成した枠順は持っていませんが、発表された1987(昭和62)年12月27日の有馬記念の枠順配置は16頭中14頭が私の予想のとおりになっていました。
もうこうなったら、秋からコツコツ貯めた10万円を握り締めて中山競馬場にいくしかありません。
枠連4-4を除いた理由は、前売り260倍というとんでもない配当をつけており、そういうオッズの馬券にならないだろう、と思ったからでした。
しかし結果は枠連4-4、16,300円という当時のGI最高配当を記録する大波乱馬券に終わったのでした。ちなみにメジロデュレンの単勝2,410円、複勝800円です。
的中馬券を手に出来なかった悔しさもありましたが、こうも見事にメジロデュレンが優勝してしまったことに、ただただ不思議な感覚を覚えるだけだったのです。
翌年の1988(昭和63)年29歳のときにかけて、競馬の枠順を本格的に研究した年です。
でなければ、1987(昭和62)年の夏にメジロデュレンの有馬記念優勝を予想できませんし、有馬記念の出走枠順を1週前には16頭中14頭までいい当てることもできません。
1986(昭和61)年の菊花賞は明確な主役不在で「乱菊」と呼ばれたが、メジロデュレンは嵐山特別で菊花賞と同距離を克服している割に6番人気と低評価であった。
レースは、逃げるレジェンドテイオーが作り出すスローペースの中、好位をキープし、直線ではダイナガリバーとの叩き合いから2分の1馬身抜け出し、優勝した。その後、1986(昭和61)年の有馬記念(ダイナガリバーが優勝)は回避。
メジロデュレンは、年が明けて1987(昭和62)年の日経新春杯から始動し、3着に入る。1987年春は、天皇賞(ミホシンザンが優勝)を最大の目標として調整が進められたが、骨折のため断念。
1987(昭和62)年秋になってメジロデュレンは復帰したものの、カシオペアステークス5着、鳴尾記念では初めて掲示板を外す10着と大敗する。この敗戦にオーナーサイドは、翌年の天皇賞に向けての休養を主張するが、池江調教師の意向で有馬記念出走に踏み切る。 多くの競馬ファンも有馬記念を勝てる状態にないと判断し、当日は10番人気と前年の菊花賞馬としては不人気だった。 レースは、メリーナイスの落馬、サクラスターオーの競争中止と波乱の展開。その中で、メジロデュレンは中団を追走して脚をため、直線で外から一気に抜け出した。 2着には同枠のユーワジェームスが入ったため、枠連4-4は16,300円と当時のGI最高配当を記録するという馬券的にも大波乱に終わった。単勝2,410円複勝800円。
私が競馬で行ったことを、地域や国や人類の行く末に対して発表されたものが予言なのでしょう。
オカルト的競馬予想を成功させてきた私にとって、「予言」として残されているものは無条件でまずは信じてかかるべき性質のものになりました。
私でさえ、メジロデュレンが有馬記念に出走してくるかどうかも分からないうちに、有馬記念の優勝を予想できたのです。しかも、16頭中14頭の枠順配置も予想できていました。
私が競馬に向合ったのとは比べ物にならないくらい精力を傾けて、真剣に人類の行く末に向合った人物がいても何ら不思議ではないのです。
1989(昭和64/平成元)年30歳のとき競馬を離れ、世間一般の仕事に入り込めた私は、こういう不思議な感覚を忘れるようになりました。
1995(平成7)年5月12日、私が36歳(亥の年)の時、私の父が亡くなってから、こういう問題に再び取組む機会がまたやってきたのです。
1995年から2006年まで追求してきたことのなかで、個人の幸福追求に応用できる部分を『人生秘中の奥義書』として発表しました。
『定めの時』では、そのうちの「人類の行く末」の急所どころと思われる部分を論理的に説明しました。
いろんな予言の書が示しているかもしれない「時」を明示する文書です。言い方が大げさであれば、予言の書が示しているかもしれない「時」を予想する文書と言い換えても差し支えありません。
「時」を明示するにあたって、いろんな予言書の中でも出口王仁三郎『霊界物語』(八幡書店)のある記述、岡本天明『ひふみ神示』のある記述に触れています。
『人生秘中の奥義書』理論編で説明している部分はかなり省いていますので『人生秘中の奥義書』を購入されることをお勧めします。
地球や太陽系の「行く末」は、そういう関心がある方にお任せして、あなたは金儲けだけにお励みください。
『旧訳聖書』は予言の宝庫ですが、『旧訳聖書』の予言の解説はほとんどしていません。
「定めの時」は予言の書ではありませんが、いろんな予言の書が示しているかもしれない「時」を明示する文書です。
「時」を明示するにあたって、いろんな予言書の中から出口王仁三郎『霊界物語』(八幡書店)のある記述、岡本天明『ひふみ神示』のある記述には触れています。
こういうことから、「予言」を取り上げるものは宗教的色彩が強くなっていく傾向にあります。
「定めの時」は物理学理論を適用しようとしていますので、宗教書ではありません。しかし、ストレートに宗教理論にも読み替え可能なので、私の「定めの時」を使って一宗一派を興そうという企てを持っている方はご遠慮願います。
(※)日本各地の神社を周ってきた関係上、『古事記』に対する絵本風の知識はあったほうがいいと思います。『古事記』の物語はインターネットでいくらでも検索できますのでそちらを御覧になられてください。
絵本風の知識とは、幼稚園や保育園に通われているお子様に読み聞かせるような知識のことです。
例えば、イザナギとイザナミが喧嘩別れしたこと(千引の岩戸閉め)、アマテラスやスサノオの物語(天の岩戸開きとスサノオの追放)があったことです。
2010(平成22)年に、第三次世界大戦が勃発するとか、天変地異が襲ってくるとか、宇宙人が襲来するとか、そういう類の内容ではありません。
『定めの時』と『人生秘中の奥義書』(理論編と実践編)の販売は2009(平成21)年で終了します。

[ 159] 『定めの時〜物理学者W・パウリの宇宙時計』
[引用サイト]  http://www.sadamenotoki.com/index.html



お気に入り



  • track feed
    • seo