差別とは?
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この項目または節は主として日本国内のものを扱った記述になっており、世界的な観点からの説明がされていません。この項目を日本中心にならないように加筆、訂正 するか、この項目のノートでこの問題について議論をしてください。 仏教世界において、全ての物が一如平等であることに対する、高下、善悪などを持つ特殊相のこと(しゃべつ)。 ある物と別の物の間の差異のこと。または取り扱いにおいて他と差をつけること。倫理的には善でも悪でも無いか、あるいは明確に良い意味を持つ。漢語由来の言葉であり、現代の北京語では「差異」の意味で用いられる。 正当な理由によらず、偏見や先入観に基づいて、あるいは無関係な理由によって、特定の人物や集団に対して不利益・不平等な扱いをすることを指す。 日本でもかつて「差別」は主に上記2の「区別」「差異」と同義で使われていたが、戦後民主主義の普及と共に3の意味でより頻繁に使用されるようになった。3の意味での差別は人間の扱いに不当な差をつけることが良くないとする平等思想が含意されているため、「差別」と言えばイコール悪、不当という認識が一般的になっている。以下、3の意味での用法を詳述する。 この記事や節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。 日本においては特に、日本共産党員及び共鳴者に対し、企業内での各種差別(業務に就かせない、不当に昇進昇給させない、転向を強要する)が公然と行なわれ、“憲法が定める思想・良心の自由に対する侵害だ”として訴訟に発展・党員側が勝訴する例も多い(→ブラック企業#社風)。 日本においては特に性風俗産業(アダルトビデオ、ストリップ、風俗店等)の従事者に対する差別が公然と行われている。これは日本以外の国々でも見られ、イスラム諸国のように性風俗や水商売の営業自体が禁止されている国もある。詳しくは性風俗産業に対する差別を参照のこと。 アメリカ合衆国のテレビプロデューサーで日本滞在経験を持つセオドア・レジー・ライフは、日本の人種差別の状況について、『日本人は日本人以外を“ガイジン”として見下すが、そこに白人や黒人という区別はない』と分析し、「良い意味で人種に無頓着」と結論付けている。[1] アメリカでは年齢差別が厳しく規制されているが、日本では年齢差別にもとづく就職差別が合理的なものと見なされている。 日本においてはアジア・中東系在日外国人、特に在日韓国・朝鮮人、イラン・イラク・中国人への蔑視が根強いなどと主張されることがある。また民族差別の一種として先住民族差別もあり、日本では北海道旧土人保護法などによって行われたアイヌへの差別がみられた。 また日本では比較的稀だが、海外における信仰による差別、身分差別、カーストによる差別などもよく見られる。 従来差別を受けていたグループに対して優遇政策がとられることがあるが、これに対して「過剰な優遇となっている」などの批判がなされることがある。 言論や創作活動において、差別を受けているグループを取り上げる際に、その用語や言葉遣いが問題化されることがある。 現代においては、多くの国で憲法などにより人権の保障と平等が謳われている。より直接的に、差別をした者を処罰する法令がドイツやアメリカ合衆国などでは整備されつつある。日本でも障害者差別禁止法などの制定を求める声があるが、「かえって差別を固定する結果を招き適切でない」との反対意見もある。これらの規定にもかかわらず、依然として差別は存在しており、いまだ対応が十分とはいえないのが現状である。 日本国憲法では、憲法14条1項において「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定している。この規定を受けて、戦前には認められていなかった女性参政権が認められ、また男女雇用機会均等法などの法令が制定されている。2002年3月には人権擁護法案が国会に提出された。男女平等の観点から夫婦別姓や強姦罪や売春防止法の位置づけなどについても現在議論がなされている。 「すべて国民」との記述は日本国民が対象とされるため、日本国民と同様に納税している日本在住外国人いわゆる在日外国人が含まれないのは民族差別だという見方もある。永住権と市民権の格差は他国にもみられるが日本ではそれが顕著に大きい。(憲法の規定(原案は英文)が人民ではなく国民と訳されたのは、この差別を正当化するためだ、との論が一部にある) カテゴリ: 日本中心の項目 | 出典を必要とする記事 | 心 | 心理学 | 社会学 | 差別 |
[ 306] 差別 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%88%A5
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国連の定める人種差別撤廃条約では、人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定めている。 これらの差別では、一方の人種を貶める事で、大々的にそれらの人種から搾取を行うケースが多く、不当搾取の前駆として、今日では人道上、忌み嫌われる行為となっているが、根強く差別が続いた地域で育った人や、悪意を持って差別をする事で何等かの利益を得ている人も少なからずあり、それら差別を行う側の存在が問題視されている。 ユネスコは1951年に「人種の優劣には根拠がない。」 「人種混交が生物学的に不利な結果をもたらすという証拠もない。」という「人種と人種差別の本質に関する声明」を出している。 日本でも人種に絡む差別問題や民族差別、外国人恐怖症などの問題が存在しているが(日本の民族問題)、他の先進国と比較すると国内に居住する白人や黒人の割合が少ないこともあり、「人種差別は外国間の話」とする考え方をする者や、人種差別を忌み嫌うものとする意識に乏しい者が少なくない(日本ではしばしば身体的に顕著な違い(膚・眼・髪の色、容貌の違い)がある場合のみ「人種差別」とし、民族差別と区別する事が多い)。 白人が有色人種を差別したことが歴史上では顕著である。アフリカ系黒人、ネイティブアメリカ人(いわゆるアメリカインディアン)やアジア人などが差別された。又、同じ白人間でも英米におけるアイルランド人(アイル人)など差別を受けた歴史をもつ民族も多い。風説などにより、一方の人種が生物学的に原始的であるとしたり、知能が劣る・野蛮であるとして、野生動物のように考えていた時代もある。 白人の文明はその発生過程に於いて、他に類を見ない程の侵略と略奪を繰り返してきた。たとえば大英博物館は世界中から貴重な歴史遺産が集められた有意義な博物館だが、これを称して強盗博物館と自嘲する声もある。白人の文明は大航海時代から帝国主義時代が終わるまでの時期、その迷いのない思想と、発達した科学技術・武力によって、他人種の文明圏に到達するとほぼ一方的にこれを虐殺・征服してきた。この優位性は、「白人こそが最も進化した人類である」という価値観さえ生む結果となった(ラドヤード・キップリング「白人の責務」、セシル・ローズの“神に愛でられし国・イギリス”思想など)。この考え方は次第に肥大し、学術分野に於いても各人種間に特徴的な差異を「一方の人種が劣っている証拠」とする説が発表され、優生学の名で正当化された。この中にあって進化論は大いに捻じ曲げられ、後の文化人類学発達を大きく妨げたと考えられる。ヨーロッパ人は、奴隷貿易や植民地化を「優等人種である白人が、劣等人種である有色人種に文明を与えるのは義務である」という主張で正当化していた。 大航海時代以降、ヨーロッパ人はアフリカ南部地域に住む黒人を暴力によって捕らえ、奴隷として使役してきた。アフリカには多数の部族があり、中には他の黒人部族の者を捕らえ、白人の奴隷商人に引き渡して利益を得ている部族もあった。捕らえられた黒人は奴隷船の船倉に積み込まれ、貨物として市場へ運ばれた。奴隷市では商品として台の上に陳列され、売買された。彼ら黒人奴隷は人格を否定され、死ぬまで家畜のように働かされた。こうしたヨーロッパ人による黒人奴隷の制度は、1862年にアメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンによって奴隷解放宣言が発せられ、1864年に南北戦争が終結するまで続いた。 ヨーロッパ人は、アメリカ・インディアンやマヤ、アステカなどの征服地、植民地支配における先住民を差別し、虐待・大量虐殺などを行った。 異人種に対する差別・偏見は一度強固な社会基盤を得ると払拭し難く、強い影響力を発する。このため、黄色人種が白人に習って黒人を偏見で見る傾向も生まれた。その一例として在米韓国人に広まった黒人蔑視が挙げられ、黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」は「記者は生まれてこのかた、韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、働き過ぎ、社会的貢献ゼロ、黒人蔑視を手厳しく批判した。(但しこれらについてもやはり黒人側からの偏見混じりの意見であることには注意しなければいけない。)また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。 (『THIS IS 読売』(1992年8月号)「コリアンはなぜ嫌われたのかロス暴動と核疑惑の狭間」高浜 賛)日本でも戦後の進駐軍との間に生まれた混血児達の中で、特に黒人との間に生まれた子供は黒ん坊などと呼ばれて差別の対象になったことがある。現在の日本でも微妙な黒人蔑視は存続していると見る声がある。 その一方で、黄色人種は白人社会との関係を築く上で武力で負けたり、実利のために「損して得取れ」と卑屈になる事すら辞さなかった民族もあった事から、白人社会からは卑屈で劣った人種だと思われながらも、確実に白人社会に食い込んでいった事もあり、一方的な搾取を受ける事態には至っていないケースが多い。しかしそれでも20世紀前半のアメリカやカナダでの日系移民の境遇をみると、黄禍論を背景とした排斥の動きがあったし、それが太平洋戦争の原因になったという主張もある。また戦中は枢軸国の中で日系人のみが強制収容所に入れられている。(日系人の強制収容 参照) 日本人は古くから白人や黒人を見慣れておらず、これらを奇異の目で見る傾向があった。特に白人のことは「紅毛」「毛唐」「南蛮」などの蔑称で呼んでいた。その一方で、安土桃山時代には、日本人もポルトガル商人によって奴隷として輸出されることがあった。豊臣秀吉によるバテレン追放・キリスト教禁教は、純粋な宗教の禁止・宗教への迫害ではなく、そうした情勢・趨勢への対応であった(サン・フェリペ号事件)とする見方もある。 鎖国をやめて文明開化をなしたあとでは、白人は差別する対象というよりは崇拝するべき対象へと転じた時期を経た。しかし黒人はなおも人種差別の対象となった。こういう差別感情は、二十世紀後半になってもまだ続いていた。黒人への差別感情が薄らいだのは、プロ野球選手のウォーレン・クロマティがテレビに登場して、親しみやすいキャラクターで愛されるようになってからであると言われている。 日本における黒人差別の特徴は、攻撃的な言動よりむしろ具体的な存在を無視することにあると言える。メディアや一般の人の会話でも、白色人種や黄色人種がアメリカ人やイギリス人、中国人や韓国人など「国籍+人」という形で呼ばれることが多いのに対し、黒色人種はあくまで「黒人」と呼ばれることが多く、具体的な国籍まで言及されることは少ない。また、黒色人種の文化が国や地域、歴史によって多様であるにもかかわらず、しばしば「黒人文化」という一つの文化が存在しているかのように言われる。これは欧米文化やアジア文化といった用法とは異なっている。 現在でも、日本は他の国と比べて国内に居住する異人種の割合が少なく、人種差別問題はあまり大きく扱われない。だがその裏で差別そのものは増えたとする指摘もある。日本は外国人雇用者を不当に扱う主要な国として挙げられ、労働者を募る際の人身売買や、労働環境における人権侵害も問題視される(→外国人労働者)。また、最近では、日本において水商売や性風俗業に従事する外国人女性の存在を指して、日本では人身売買などが横行しているとの批判を海外からなされることが多くなっている。その背後には、“反日”活動や、日本のフェミニストによる自国への誹謗などがあるとの指摘が右派・保守派を中心としてあるが、事実だと仮定してもそれは日本における黄色・白色・黒色問わず日本人ではない外国人の地位の著しい低さについて反証するものではない。 なお、日本には近代以降、中国人や朝鮮人に対する差別意識が根強く存在するが、これは民族差別の問題であり、人種差別の範疇ではないとされる。しかし、国際法上や英語圏などでは日本で民族差別と呼んでいるものは「racism(人種差別)」と同義として扱われており、民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない。 人種差別撤廃の試みは繰り返し行われてきた。アメリカの南北戦争は奴隷解放戦争としての性格を帯びていた。多くの黒人奴隷に経済基盤を支えられ、奴隷解放に反対していた南部の各州が敗れると、事実上アメリカの奴隷制度は撤廃された。第二次世界大戦後の世界では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による公民権運動が多くのアメリカ市民に影響を残した。 遡って、第一次世界大戦の講和会議であるパリ講和会議では、日本が人種差別撤廃条項を提案している。イギリスとオーストラリアが強く反対する中、採決が行われ、結果11対5で賛成多数となった。しかし、議長のアメリカ大統領・ウィルソンが例外的に全会一致を求めた為、否決された。ただし、よく誤解されているが、この提案は拘束力の無い連盟憲章に加えることが目的であった。だが、現地の日本側代表団はあいまいな態度をとった。また、何について、もしくは何をもって「平等」とするのかの内容があいまいだった。これをもって植民地の独立を考えていたと言われるが、自国の植民地については言及していない。外務省はイギリスは賛成してくれると考えていたが、根回しはしていなかった。南アフリカとオーストラリアという人種差別国家を抱えたイギリスには、反対する以外の道は無かった。ウイルソン大統領も、移民政策が拘束されると言う国内の反対論を無視できなかった。また、提案の内容が訓示的で無意味であると考えていたようである。そして、ウィルソン大統領が山東半島の利権問題に関して日本を支持する意志を示すと日本側は提案を引っ込めたし、その後も同種の提案を行わなかった。提案そのものは画期的であるが、単にゴネただけか判断が難しいところがある。 |
[ 307] 人種差別 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5
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よく知られた「ウソをつくとエンマ様に舌をぬかれる」という言い習わしによって、「ウソをつくことはいけないことだ」という規範だけを獲得すればよい問題が、「エンマ様」を利用したばかりに、その存在を脳裏に刻み込む結果(親や周りから刷り込まれた)になっている人は少なくないと思います。(注:閻魔大王のことは「十王経」というものの中に登場します。) 差別すること、されることが日常化している中では、その行動のしかた、様式を学習するだけではありません。人間の歴史を、「差別からの解放の歴史」ではなく、「差別の歴史」だとする歴史観も獲得することになっています。 私たちの生活の中では、このような意図せざる学習の結果や教育の結果は多いものです。部落差別をなくす行動力を獲得するためには、私たちの日々の生活の中で偏見や差別意識を正す営みが当たり前になっていることが必要ではないでしょうか。 女性差別、障害者差別、人種差別など、多くの被差別の立場にある人々は、被差別の立場にあることを示す「しるし」が、他者によって見えます。しかし、被差別部落の人々は、「自らあかす」か、「宣言する」か、それとも「あばかれる」かということによってしか、被差別の立場にあることが見えない存在です。それゆえに、その祖先は「穢多身分」とされ、それとわかる「しるし」を強制されたのです。(着物の制限、帯の制限、毛皮片の着用など) 「しるし」を拒否し、同時に解放を実規するために、どれほど勇気をもってその不合理な扱いに、果敢に闘いを続けたかは、既によく知られているところです。 見てわかる「しるし」を強制された状態から解放され、すでに120年以上も経ているにかかわらず、今もまだ一部には、被差別部落に居住していることで、差別というレッテルを貼り、結婚、交際を回避する、あるいは拒否するなどの状況が見られます。「被差別部落民との結婚には反対だ」とあらかじめ親が宣言し、子どもたちの自由な交際を制約しているばかりか、尊い命までも奪い去っている状況もあります。そしてそれは、より巧妙な身元調査に差別者を走らせている一因になっていますし、就職に対しての「地名総鑑」などの就職差別事象が再発していることでも否定できません。 そこには、「昔から、みんなが、今も」そうしているから身元調査をするのだと、「ならわし、しきたり」に、無自覚に従っている人々の存在が認められます。「被差別部落の人たちは穢れているから、差別されるようになった」とも言われ続けています。このように、誰かが言ったとき、その間違いを説明できると言えないばかりか、憶してしまう私たちです。 この憶してしまう私たちは、お葬式の後、「清めの塩」をまく慣習を生み広げ、浄穢という差別的観念を温存しているのです。いつも自分が「浄」の立場にいるためには、「穢れ」を祓う必要が生じて来るのです。「ならわし、しきたり」に潜在する差別・偏見、そして合理的な根拠のないことを私たちが見抜き、これを「なくす」力を身につけることがなくては、部落差別を、そして、部落差別を支えている他の諸々の差別をなくす行動も、期待するほどには前進しないのではないでしょうか。 そのためにこそ、「差別をする習わし、しきたり」、「差別的観念やイデオロギー」、「偏見を根付かせる習わし、しきたり」をなくすこと、それを、人間関係が絡み合い、しっかりと結び合っている家庭や、職場、地域の中で自分の事として一人一人が地道に確実に進めなければならないいうことです。 手帳やカレンダーには、未だに堂々と「六曜迷信」が記載されているものがほとんどです。結婚式やおめでたいことだというと「大安」、お葬式だというと「友引はだめだ」、事故を起こすと「仏滅」だと、至極当然のことのように、判断の基準となっているものは、根拠のない「六曜」です。老若男女を問わず広がっていて、「信じない」とは言いながらも、それに従っているのが「六曜」占いという迷信です。事実、結婚式は圧倒的に「大安」、それも「大安」+「日曜日」が重宝がられ、斎場の休日は「友引」とされている例は枚挙にいとまがありません。 旧暦の慣習を新暦に改めるという改暦が正式に決定されたのは、(1872年)明治5年11月9日、「太政官布告(第337号)」という法律の布告によりました。法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていましたが、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまいました。 しかし、これには政府の裏の事情もあったようで、明治新政府が改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったともいわれています。従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月となっていたのです。役人の給与は年棒制から月給制に改められた後なので、明治6年には13回給与を支払わなければなりません。これは、財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。ちょうどこの時、太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は新旧の差から、2日しかありませんので、この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。 しかし、だからといって、旧暦に「六曜」が付随して生き残ってきたと言うことは全く別の問題なのです。いかに日本人が迷信を信じ、数字の語呂合わせに一喜一憂するという精神文化の低俗な国民であるかということにほかなりません。 「六曜占い」を暦から追放する企ては、1979年、福岡からはじまり、広島県能美町で運動として取り組まれてから、少しずつですが、確実に広がりを見てきました。 そのような中で、JA丹波はカレンダーから差別を温存助長する片棒を担いでいる「六曜」を削除して来ましたし、今年四月一日(2002年4月1日は旧暦の2月19日に当たり、「友引」) 友引にオープンする篠山市斎場、横浜市斎場は、いずれも四月一日が「友引」である事にこだわりを持たない変革であると言うことができるでしょう。 この解説のどこに合理的な根拠があるのでしょうか。根拠のない、事実に基づかない意味づけは、人心を惑わし、正しく物事を判断する力を削いでいく何ものでもないのです。「友引」をはじめとして、「六曜占い・迷信」にこだわることを、信仰とかかわりのない、信仰の妨げとして否定する寺院や僧侶の人たちが増加している現状ですが、そのような例はまだ少ない状況です。そして、「六曜」を否定すればするほど「変人扱い」にされる場合が見受けられます。 「六曜」は旧暦の1月1日を先勝とし、2月1日は友引、3月1日は先負と順次配していく一方、1月1日に先勝、2日友引、3日先負、4日仏滅、5日大安、6日赤口と一巡すると、7日は先勝と繰り返し、月の末日でその循環は打ち切られ、2月は1日友引、2日先負と循環するやりかたが主流です。(計算式は後述) 現在流布している「六曜」は、・中国から室町時代に伝来したものとは似て非なるもので、江戸中期・享保の頃に作られたものだとされています。「結婚式の日」としてこだわられている「大安」は、中国では「大安」、享保の頃は「奉安」と言われていました。「友引」は「先負」と「先勝」の間で「ひきわけ」(共引)ということだったようですが、「留連」あるいは「流連」とも表現されていました。また、「仏滅」は「物滅」とも言われた時期もあったようですし、「空亡」、「虚亡」とも表現され、何の意味かもわからず、字の感じから、或いは明治期に意図的に「仏滅」というものに占い書の発行者が改めたとも言われる、いいかげんなものの最たる代表格です。時間という観念・概念、暦を生み出した人間の歩みとは裏腹に、時間、日にいいかげんなレッテルを張り付けたものにすぎません。 それゆえ、(1872年)明治5年の「改暦の詔書」、「大政官布告」などによる禁止にもかかわらず、また、科学の時代といわれる現在でも、人々の不安をエネルギーにして「六曜占い・迷信」は生き続けています。そればかりか、あるべき信仰の基礎、科学的・合理的思考の基礎を掘り崩し続け、差別を温存・助長している根性に巣くう亡霊として私達を支配しているのです。 部落差別をはじめ、「生まれによる差別」は、運命的に与えられた個人の変更不可能な条件をもってする差別であるがゆえに、野蛮で、乱暴で、狭隘で、停滞した精神的、知的世界の所産以外の何ものでもないでしょう。部落差別を存在させている私たちは、また、「六曜」をはじめとする「血液型」、「方角」、「家相」、「墓相」などの占い・迷信を存在させている私たちです。部落差別をはじめすべての「生まれによる差別」をなくし、「人権の時代」を切り開く具体的な行動を、日々の生活の中で実行しようとするとき、「六曜」をはじめとする占い・迷信をなくす取り組みは避けられないと考えます。これは私たちが、「差別をしない」から「差別をなくす」という行動への転換ということにつながっていくのです。「六曜を信じない」、「占いによって行動判断をしない」ということは、一人からでも容易に実行できることであり、同時に、迷信を支持する人に対して「根拠のないこと」と説得するにはそれほど難しいことではない「差別根絶」への誰にでもできる実践なのです。 昭和24年発行の「迷信の実態・日本の俗信」(文部省迷信調査協議会)によると、「孔明六曜星などというと、さも諸葛孔明の発明であるかの如く思われるが・・・・元来これは、中国の「小六壬」という迷信を日本で作り替えた上、箔をつけるため、名将孔明の名を冠するという小細工をしたものと思われる。・・・・・・しかし、乾隆36年にできた「通徳類情」という有名な迷信書にも「毫も深義もなし、むろんその義は取るに足らず、いずくんぞ拠となすべけんや、人を欺くものなり」と罵倒して、暦書から抹殺されたものなのです。寛政・文化・嘉永と流行した「暦略注」等にも、孔明六曜星が全く省略されており、当時はさほど重要視されていなかったのです。 「暦略注」の最後の部分に「闇の曙」(新井白我)の一文を抜粋しているものに、「曰く、世間に愚俗を惑わす道具のあらまし次の如し。家相・人相・墨色・字画の占い・金神及び仏神のたたり・剣相・日取り・星繰り・憑きもの・呪禁・不成就日・辻占・死霊・生霊。・・・・・家屋敷を買う人には吉日なれど売る人の身には凶日なり。物拾い、或は金もうけせし人には吉日。物落し、金銭にても損せし人には悪日なり。この類推して知るべし。」とあるのです。 日本における「六曜」は、中国の「小六壬」からはずいぶん変化したものです。また、「神宮館家庭暦」のごときも、皇太神宮とは無関係なものであり、神宮館と称する一営利業者の発行する印刷物に過ぎず、これを後生大事に盲信している人々のあり方こそ、日本社会における精神文化の停滞を意味するものと言わざるを得ません。 妖怪学の井上円了は「吉日凶日を談ずるがごときは、・・・・・・特にかくの如き説を信ずる者あるがため、之を専門とする徒は人民の愚に乗じ、種々の怪談・妄説を附会して、以て自ら私利を営まんとするの弊あり。この故にいやしくも今日の教育を受けたる者は、かくの如き妄説を排し且つその惑いを解かんことに従事せざるべからず」と強調しています。 (1872年)明治5年11月9日、太政官布告337号において「今般改暦之儀別紙詔書写の通り仰せ出され候條、此の旨相達し候事」と太陰暦を太陽暦に改めるにあたって、次のような「改暦詔書写」を掲げています。 「朕惟うに我国通行の暦たる、太陰の朔望を以て月を立て太陽の躔度に合す。故に2,3年間必ず閏月をおかざるを得ず、置閏の前後、時に季節の早晩あり、終に推歩の差を生ずるに至る。殊に中下段に掲る所の如きはおおむね亡誕無稽に属し、人智の開発を妨ぐるもの少しとせず・・・・・」と論告し、同年11月24日、太政官布告を続いて発し「今般太陽暦御頒布に付、来明治6年限り略暦は歳徳・金神・日の善悪を始め、中下段掲載候不稽の説等増補致候儀一切相成らず候」と厳しく達しています。 「六曜」を始めとする「三隣亡」や「血液型」などの迷信が、実生活の中で慣習として生き残っていることと、「慣習としての差別」の存在は共通するものがあります。そしてこの「慣習」というものは、知的な形として形成されていくものではなく、「刷り込み」という形で形成されていくものなのです。生活の中での繰り返しによって刷り込まれていく感覚的なもので、「理屈ではわかるが、どうも気持ちの上で・・・・」と言われることとなってしまうのです。 「六曜」や「三隣亡」、「血液型」など、根拠に乏しい迷信が、現在の科学技術の進歩した日本社会に現存することは、反対の立場から見ると、それが存在することによって「利益」を得る者が存在し、その者が巧みにこのことを利用しているのではないかと言えるです。迷信を信じ、或いは捨てきれずにいる精神文化は、まさにあらゆる差別を温存助長していることに密接につながっているのです。 六曜は一日ずつ、神秘的な或いは根拠の説明できる方法で決められているのではなく、単に旧暦の月日の数字で割り振られているに過ぎないのです。また、いわゆる自然の摂理とも全く異なることなのです。 六日に一度必ず巡ってくるとは限りません。三日目に「大安」が配される場合がありますが、それは、その三日間の内に、計算式の分子となっている月の数字が変わっている、つまり、旧暦では月が変わっているのですから、当然、上の式で完全に説明がつくことなのです。 |
[ 308] 六曜迷信と差別解消への行動
[引用サイト] http://www.pure.ne.jp/~jinken/keihatsu12.htm
