自衛隊とは?
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自衛隊(じえいたい、英語:Japan Self-Defense Forces(JSDF))は、1954年7月1日に設立された日本の防衛組織。法令上では国軍(軍隊)と位置付けられていないが、戦力を世界的に展開する戦力投射能力以外では実質その能力を備えている。「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」(自衛隊法第3条第1項)ことを任務とする。 防衛大臣以下防衛省本省の内部部局、施設等機関、特別の機関および陸・海・空の三自衛隊を含んだものであり、防衛省とほぼ同一の組織を指す(自衛隊法第2条第1項)。行政組織を指すときは「防衛省」、活動や人員など軍事面を指すときは「自衛隊」と呼ぶのが一般的である。一般には実力部隊としての陸・海・空の三自衛隊の全体またはいずれかを指すことが多い。 内閣総理大臣が最高指揮監督権を有し、防衛大臣が隊務を統括する。陸・海・空三自衛隊を一体的に運用するための統括組織として統合幕僚監部が置かれ、防衛大臣は統合幕僚長を通じて三自衛隊に命令を発する。専守防衛に基づき国民の生命と財産を守ることを基本理念とする。 陸上自衛隊は1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊はいくつかの省庁を渡り歩き海上警備隊として再編。1952年8月1日にはその2つの機関を管理運営のための総理府外局として保安庁が設置された。同年10月15日、警察予備隊は保安隊に改組。そして1954年7月1日「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、新たに領空警備を行う組織も新設。3つの自衛隊が成立した。また同日付で防衛庁設置法も施行されている。 1954年には陸・海・空三自衛隊の統合運用時のため統合幕僚会議も設置され統合幕僚会議議長がこれを統括したが、2006年にはより広範な権限を持つ統合幕僚監部に組織替えとなり統合幕僚長がこれを統括することとなった。 冷戦期は専守防衛の枠内で日米安全保障条約に従って在日米軍の日本防衛機能を補完する役割を負った。1990年代からは国際協力の目的で、海外派遣が行われはじめている。 シビリアン・コントロール(文民統制)の原則の下、国会が定員・予算・組織などの重要事項を議決し、防衛出動に承認を与える。自衛隊を統括する内閣は憲法の規定により文民で構成されているため、最高指揮監督権をもつ内閣総理大臣と自衛隊の隊務を統括する防衛大臣は文民である。また、内閣に安全保障会議がおかれ、防衛に関する事項を審議する。 陸海空三自衛隊を統合運用するための機関として、統合幕僚監部が置かれ、服務等監督、防衛大臣補佐、命令執行を行う。 最高指揮監督権をもつ内閣総理大臣は統合幕僚長を通じて陸上幕僚長(陸上自衛隊)、海上幕僚長(海上自衛隊)及び航空幕僚長(航空自衛隊)に命令を発する。 なお、内閣総理大臣の立場について、自衛隊法第7条は「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」と表現し、また自衛官の心がまえでは「その最高指揮官は内閣の代表としての内閣総理大臣」と表現している。 2007年現在、軍事裁判所(軍法会議)と特別裁判所は憲法で禁止されているため置かれておらず、また海兵隊に相当する部隊を攻撃的な印象を持つとの政治的な理由から組織されていない。 陸上自衛隊は諸外国の陸軍にあたる組織である。日本に対する海外勢力による上陸作戦を防止し、上陸された場合にはこれに対処することを主な任務とする。戦車、装甲車、榴弾砲、対戦車ロケット弾、対戦車ミサイル、ヘリコプターなどを保有する。英訳は、JGSDF: Japan Ground Self-Defense Force。 海上自衛隊は諸外国の海軍に当たる組織である。海上からの侵略を防止し、また海上交通の脅威となる艦船、航空機、特に潜水艦の脅威を取り除き海上交通の安全を確保することを主な任務とする。護衛艦、潜水艦、機雷戦艦艇、哨戒艦艇、輸送艦、対潜哨戒機、ヘリコプターなどを保有する。英訳は、JMSDF: Japan Maritime Self-Defense Force。 航空自衛隊は諸外国の空軍に当たる組織である。平時においては日本周辺の空域を警戒監視し、領空内に不法に侵入しようとする航空機に対して対領空侵犯措置をとる(空の警察行動)ほか災害派遣、国際緊急援助隊業務等を行っている。また、有事においては、防空(航空優勢の確保)、航空阻止(侵入してくる陸海戦力の阻止)と近接航空支援(海上自衛隊や陸上自衛隊の空からの支援)を主な任務とする。戦闘機、支援戦闘機、偵察機、輸送機、早期警戒機、地対空誘導弾ペトリオットなどを保有し、今後空中給油機についても配備予定。英訳は、JASDF: Japan Air Self-Defense Force。 日本を軍事大国と呼ぶかどうか否かには議論の余地があるが、日本が軍事費大国であることは間違いない。自衛隊は、近年の日本周辺諸国の急進的な軍備拡大に対しても、これまで通りほぼ一定の規模と能力を有している。 現在自衛隊の中で、最も精強を誇るのは、まぎれもなく海上自衛隊である。特に、対潜水艦戦能力と対機雷戦能力は、アメリカをも凌ぐ世界トップレベルである。これには、日本が海洋国であるという理由もあるが、近年では緊急災害援助を理由に、後方支援活動の面での能力も高めてもいる。 陸上自衛隊は、比較的貧弱ではあるが、あらゆる防衛対策と、軍用車輌と軍用ヘリコプターの国内開発による高い防衛技術を持っている。最近は無人偵察機を、アメリカなどと並ぶ早い段階で実用化に成功した。しかし陸上自衛隊は、実質的な海外への侵攻能力は保持していない。あくまでも、国内防衛の強化を図っているまでである。 航空自衛隊は、世界トップクラスの高い防空能力を保持している。これは早期警戒管制機、パトリオットミサイルの導入により、一層顕著となった。また航空自衛隊は、対地対艦攻撃能力を保持している。しかし、海外の空軍と比較するほどの戦略爆撃能力は有していない。 陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊は、同じ自衛隊でも気質は大きく違っており、それを例えて「陸自はおにぎりを食べ、海自はカレーを食べ、空自はハンバーガーを食べる」と言われる。 陸上自衛隊は、隊員数が約16万人と最も多く、地元出身者が地元の駐屯地に配属されることが比較的多い。ただし北海道には、陸上自衛隊の約4分の1の人員が集中配置されており、各地方出身者の混成である場合が多い。 野山を駆け回って厳しい訓練に励むほか、地元との交流行事に参加することも多い。また、災害派遣や復興支援等の任務にあたるの場合もある。 海上自衛隊は、「陸上自衛隊とは違い、古き良き日本海軍の伝統が受け継がれている」と一般的には解釈されている。 日本海軍の伝統を継承する象徴としては、海上自衛隊の基地そのものが旧海軍の施設を継承しており、海軍旗と同様の旭日旗の自衛艦旗や、海軍記念日の掃海殉職者慰霊祭、自衛艦の命名基準、軍艦マーチの演奏、海軍カレー、US-1飛行艇などに現れている。 航空自衛隊は、戦後新たに誕生した新しい組織である。旧日本軍には空軍が存在しなかったためか、その創立からマニュアルまでアメリカ空軍を手本としている。その為、陸上自衛隊のような強烈な仲間意識・愛郷心、海上自衛隊のような伝統を重んじる気質は希薄である。隊員の気質としては、陸自海自と異なり、思考回路にしがらみがないため、前向きで調子がいい。 諸外国の軍隊の階級制度とほぼ同じ位置づけであるが、憲法9条との兼ね合いから軍隊色を薄める目的で、旧日本軍のそれから名称を変えている。 「将」は中将に相当するが、各幕僚長および統合幕僚長たる将は階級章が異なり、諸外国では大将として扱われる。 現在自衛隊には准将に相当する階級は存在しないが、平成20年度をめどに准将の階級を新設する方向で検討されている。 「1佐」の俸給等の格付けは、その役職により「一佐(一)」「一佐(二)」「一佐(三)」のように区別されている。 「曹長」「1曹」「2曹」「3曹」は、曹長、軍曹、伍長、いわゆる下士官に相当する。以上、曹までが職業自衛官、つまり定年制である。 「士長」「1士」「2士」はそれぞれ上等兵、一等兵、二等兵の兵に相当する。陸士は2年(一部の技術系は3年、以後2年)、海士と空士は3年(以後2年)の任期制と、採用後2年で曹へ昇任する一般曹候補学生と、採用後3年以後おおむね7年以内に曹へ昇任する曹候補士の非任期制に別れ、任期制隊員は任期中に曹への昇任試験に合格すると3曹となる。 なお、一般曹候補学生と曹候補士は平成19年度分の採用を最後に、平成20年度から一般曹候補生制度が始まり、採用後2年9月以後おおむね7年以内に曹へ昇任する。 「3士」は、自衛隊法上、自衛隊生徒に限定はしていないが、現在、自衛隊生徒に採用された者の階級としてのみ運用されており、一般隊員として入隊した者には「2士」の階級が指定されている。今後、生徒制度改編が予定されており、生徒の身分が自衛官でなくなるため、「3士」の階級は事実上廃止される。 自衛隊は、外国の諸軍隊と防衛交流を強化してきている。防衛省高官の訪問、外国国防省高官の招待などを繰り返している。また、自衛官と外交官の身分を併有する防衛駐在官(駐在武官に相当する。)を関係の深い主要国に派遣している。海上自衛隊の初任幹部を乗せた練習艦隊の派遣もこれに貢献している。 自衛隊は日米安全保障条約と同条約に基づいて駐留している在日アメリカ軍の存在を前提にして組織されている。自衛隊は現在のところ防衛に限った兵器しか導入していないため敵国への直接的な攻撃は米軍に頼ることとなるが、作戦の連携を保つために定期的に共同演習を行なっている。1997年日米両政府により締結された「SACO合意」(Special Action Committee on Okinawa、沖縄に関する特別行動委員会)により、日本の国防については日本が主に対処し、米軍は補助であるという原則が、文書の上でも確認された。 2007年4月11日に安倍晋三首相と温家宝首相が合意した日中共同プレス発表では、防衛交流として「両国の防衛当局間の連絡メカニズムを整備し、海上における不測の事態の発生を防止する。[1]」と述べられている。同年4月16日、日本政府は自衛隊と中国人民解放軍の間にホットラインを創設する方針を表明した。近年自衛隊と中国人民解放軍の交流が進んでいる。 一方、中国人民解放軍第二砲兵部隊は吉林省通化基地の中距離弾道ミサイルを配備していて、日本に対して核ミサイルの照準を合わせていると見られている[要出典]。 1996年(平成8年)に海上自衛隊艦艇がウラジオストクを訪問して以来、毎年艦艇の相互訪問を行っている。1998年(平成10年)以降は捜索・救難共同訓練を行っている。2002年(平成14年)10月には、ソ連海軍時代を含めて初めてロシア海軍の潜水艦の日本寄港があった。 海上自衛隊と韓国海軍との間では、1994年(平成6年)年から艦艇の相互訪問が開始された。更に1999年(平成11年)年には初の捜索・救難共同訓練を行った。 2000年以降、隔年で韓国で開催されている韓国国際軍楽祭には、2002年(陸自中央音楽隊が参加。)・2004年(陸自中央音楽隊が参加。)・2006年(空自航空中央音楽隊が参加。)に参加している。 近年韓国は、巡航ミサイルの開発・配備を進め、ミサイル司令部を新設した。射程1500kmとみられるタイプの巡航ミサイルの開発もかなりの段階まで進んでおり、実戦配備されれば、日本のほぼ全域が射程に入る。1500kmの射程は明確に対北朝鮮用ではなく、日本の防衛関係者からは強い懸念が寄せられている[要出典]。 インド海軍艦艇の訪日は1969年(昭和44年)が初である。また、2007年(平成19年)4月16日には、日米印3ヶ国間訓練が初めて実施された。房総南方海域で行われ、海上自衛隊からは第1護衛隊群司令の指揮する護衛艦4隻、米海軍からは第5空母打撃群司令の指揮する駆逐艦2隻、インド海軍からは東部方面艦隊司令官(R・K・ドワン海軍少将)の指揮する駆逐艦2隻(駆逐艦「マイソール」、ミサイルコルベット艦「クタール」)・補給艦1隻(「ジョティ」)が参加し、通信訓練、近接運動、戦術運動等が行われた。 自衛隊の活動は防衛出動、災害派遣、治安維持、広報などの多岐にわたっており、それらの出動命令などは自衛隊法によって定められている。主なものを下に挙げる。 自衛隊の防衛出動は自衛隊法第76条によって定められており、日本が他国からの侵略を受けた時、または侵略を受ける恐れがある時に、国会の承認を受けた上で内閣総理大臣の命令により出動する。この命令が出された場合、他国からの侵略を受けている時に限り自衛隊は武力の行使が可能となる。この命令が出された場合、日本は事実上戦争状態にあるといえる。 自衛隊の災害派遣は自衛隊法第83条によって定められており、天災人災を問わず災害時に各都道府県知事、災害対策本部長などの要請によって防衛大臣やその指定するもの部隊等に出動を命令し、救済活動を行う。災害に際し、要請を待ついとまがない緊急事態と考えられる場合(震度5弱以上など)は要請を待たないで情報収集や救助のため部隊を派遣することができる。災害派遣には大規模災害派遣、原子力災害派遣が含まれている。 なお、震災直後の市街地における消火任務は自衛隊に課されていない為に、林野火災において中核的役割を果たしてきた自衛隊大型ヘリコプターによる空中消火体制は整備されておらず、首都直下地震(経済被害112兆円余り)等において、地上消防力不足によって阪神・淡路大震災の二の舞を演ずることが懸念されている。災害派遣は地震、台風などの大雨の際、また三宅島や大島の噴火の際などにも出動しておりニュースでも伝えられるため、一般的によく知られている。また地下鉄サリン事件や日本航空123便墜落事故など消防のみでは対処が困難な大きな事件、事故の際にも出動している。それ以外にニュースとして伝えられることは少ないが離島からの急患輸送や遭難者の捜索も災害派遣である。 上記の命令系統と異なる災害派遣として防衛省施設などの近傍における火災(災害)がある。近傍火災は自衛隊法第83条第3項に定められており、近傍において火災その他の災害が発生した場合、部隊長が必要に応じて部隊の派遣を行うことができる。 災害派遣の件数は毎年約800回前後で、平成16年度では急患輸送が年616回、次いで消火支援が102回(うち近傍火災が92件)で、その他すべてをあわせ自衛隊全体で884回出動している。過去最大の災害派遣は1995年の阪神・淡路大震災で、のべ約225万人が派遣されている。 自衛隊の治安出動は自衛隊法第78条および第81条によって定められており、第78条では命令による治安維持を定めている。内乱や騒擾状態など何らかの理由により警察力のみでの治安維持が不可能となった場合に内閣総理大臣の命令により出動する。国会の承認は命令出動後20日以内に付議される。 第81条では都道府県知事からの要請を受けた場合の治安維持を定めており、国会の承認は必要なく内閣総理大臣の命令によって出動を行う。基本的に治安維持活動の場合警察官職務執行法を準用する。この治安出動は、1960年代の安保闘争の際、発動が検討されたが、結局実際には出動しなかった。 国民保護法並びに自衛隊法の一部を改正する法律により、改正されたいわゆる改正自衛隊法第75条には、自衛隊の新たな出動体制として国民保護等派遣の業務が加わることとなった。 いわゆる武力攻撃災害やテロなどが発生した際、都道府県知事の要請に基づき、防衛大臣の命で国民保護のための措置をとることができるとされた。国民保護派遣ではなく、国民保護「等」派遣として規定されているのは、国民保護法が想定する事態として武力攻撃のみならず、テロに際しても武力攻撃事態に準じた措置がとれるように柔軟な表現になっている。 この国民保護等派遣において自衛隊が果たす役割とは、武力攻撃事態等又は緊急対処事態において、避難住民の誘導をはじめ、集合場所での人員整理、避難状況の把握などの他、避難住民などの救援つまり、食料品及び飲料水の供給、物資の供給、医療活動、捜索及び救出などの活動が主に期待されている。その他にも、武力攻撃災害などへの対処、即ち被災状況の把握や人命救助活動、消防及び水防活動、NBC汚染対処などが期待され、また、武力攻撃災害などの応急の復旧において危険な瓦礫の除去、施設などの応急復旧、汚染の除去などの活動など様々な活動での期待がされている。 しかし、外国からの侵略や攻撃といった、いわゆる武力攻撃事態に際して自衛隊における最優先の任務は敵の防除にある(防衛出動)。特に防衛出動に際しては、武力攻撃の規模の大きさに応じて自衛隊の国民保護等派遣のための人員は制限せざるを得ず、いわゆる警察・消防・国民による民間防衛によって、なるべく地域や国民による自己救済能力を確保していくことが求められる。 改正自衛隊法では、第75条において即応予備自衛官、予備自衛官の国民保護等派遣が可能となり、予備自衛官の活躍も期待される。 国民保護等派遣における自衛隊の権限は、警察官職務執行法の避難等の措置、犯罪の予防及び制止、立入、武器の使用の権限を行使することができるいわゆる警察官としての権限を行使できる他、市町村長などがその場にいない場合に限り、自衛官は退避の指示、応急公用負担、警戒区域の設定、住民などに対する協力要請などの権限を行使することができるとされている(警察官#警察官職務執行法参照)。 領空侵犯に関しては、自衛隊法第84条により防衛大臣は他国の航空機が国際法などに違反して日本の領空に侵入した場合、若しくは領空侵犯の畏れがある場合にこれを阻止する措置を行うことが出来る。領空侵犯に対する措置では領空侵犯機を日本の空港に着陸させるか日本の領空から退去させるために必要な無線による警告、誘導、武器による威嚇や攻撃などの措置をとることができる。 スクランブルは冷戦期には最高で年1,000回近く行なわれていたが、冷戦後は比較的少なくなりおおよそ年100回〜200回程度となっている。飛行機は高速で移動するので、単純に領空侵犯が行なわれた時点でスクランブル発進するのではなく、防空識別圏(ADIZ:air defense identification zone)に入った時点で発進し、実際に領空侵犯が起きるのは年数回程度である。2004年現在、領空侵犯機に対して威嚇射撃を行なったのは1987年に起きた沖縄本島上空におけるソ連機侵犯事案の1回のみである。スクランブルは、領空侵犯の恐れのある機に対する発進のほか、ハイジャックなど非常事態が起こった民間機のエスコート(護衛・誘導)などにも行われる。 1980年代までは、専守防衛論議とのからみで、部隊の海外派遣は行われなかった。冷戦終結に伴う、国際政治環境の変化を受けて、湾岸戦争後の1992年のペルシャ湾への掃海艇派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)を皮切りに、それ以降PKO協力法に基づくカンボジアや東ティモールなどへのPKO業務、国際緊急援助隊業務を行っている。 その他に、自衛隊はアメリカ同時多発テロ事件を受けテロ対策特別措置法によりインド洋周辺にて補給艦による他国の艦船への燃料や物資の補給や輸送機による物資の輸送を行なっている。インド洋に派遣する船舶は補給艦2隻および護衛艦3隻以内と定められている。また輸送機においては輸送を行う航空自衛隊の部隊の自衛官の数に相応する数量の拳銃等の所持が認められている。また、イラク戦争後のイラク復興援助のために、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊を中心とする部隊のイラク派遣を行っていた(航空自衛隊の輸送活動は継続中)。 不発弾処理に関しては自衛隊法附則第14項に記載されている。この不発弾処理に関しては自衛隊法上では防衛大臣の命令で出動するという旨のみが記載されているだけで、その他の細かい規定はない。出動回数は災害派遣より多く、2003年度までに113,703回出動しており計5,444tの不発弾を処理している。なお自衛隊は今日まで国内での不発弾処理において失敗した例はない。欧州では不発弾処理の失敗により毎年数人の犠牲者が出ている。自衛隊の処理技術は諸外国から「ゴールドフィンガー」「ゴッドフィンガー」と呼ばれている。 海上警備行動は自衛隊法第82条に定められており、海上における人命、財産、治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛大臣が自衛隊に必要な行動をとるよう命じ、内閣総理大臣の承認を受ける。 海上警備行動は1999年3月23日から24日にかけて不審船(北朝鮮の工作船)が日本の領海内に侵入した事件(能登半島沖不審船事件)の際初めて発動され、この命令に基づき威嚇として護衛艦が計25回の射撃、対潜哨戒機P-3Cが計12発の対潜爆弾投下を実施した。また2004年11月10日に沖縄県先島諸島周辺で中国海軍の潜水艦が潜航状態で領海侵犯した事件の際にも発動され、哨戒機P-3C、対潜ヘリSH-60J、護衛艦「ゆうだち」「くらま」による追跡が行われた。 2004年の中国原子力潜水艦による領海内沈没航行事案を受け、政府は以後国籍不明の潜水艦が潜航状態で領海内に進入した場合、原則として海上警備行動を発令し、自衛隊が追跡を行うこととした。 弾道ミサイル防衛(BMD)に関しては自衛隊法第82条の2に定められている。この条項は2003年に弾道ミサイル防衛システム導入が決定されたことを受け、2005年の法改正で整備された。2006年3月31日までには施行される予定である。 弾道ミサイル等の落下により人命または財産に対して重大な被害が生じると認められる事態に対して適用される条項で、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が部隊に必要な措置をとることを命ずる。ただし、内閣総理大臣の承認を受ける暇がない緊急の場合にはあらかじめ作成された緊急対処要領に従って部隊に出動を命ずる。同条による措置がとられた場合、内閣総理大臣はその結果を国会に報告する必要がある。 各自衛隊は弾道ミサイル防衛に関する装備の整備を進めており、弾道ミサイルの探知手段としてイージス艦の改修と新型地上配備型レーダーの配備と既存レーダーの改修が行われる。また迎撃ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3とパトリオットミサイル PAC-3の配備を決定している。 自衛隊は他国に侵攻せず防衛に徹するという専守防衛を基本戦略として組織されている組織であるため、攻撃能力よりも防衛能力に特化した兵器を開発・調達する傾向にある。過去にはアメリカの戦闘機を輸入、ライセンス生産する場合にわざわざ対地攻撃能力や空中給油装置を取り外したりする場合もあった。 装備兵器の能力は世界最高クラスの水準であり、通常型潜水艦に至っては潜航能力など世界一の技術であると言われている[要出典]。 自衛隊装備の兵器は、基本はすべて日本製とされている。日本に製造技術のないものであっても、既製品を輸入することは稀で、科学技術の維持のためにもライセンス生産と言う形で国産されている。 国産兵器の一部(90式戦車、潜水艦など)は諸外国とも肩を並べる性能であるといわれているが、武器輸出三原則および武器輸出に関する政府統一見解による武器輸出規制のため、外国に輸出できず、結果として少数生産になり高価になった装備品も多い。 輸入すれば安く調達できるという意見も一部にあるが、実際には自力開発を放棄した場合には足元を見られ、より高額な対価を払わされることも多い。ライセンス生産をした場合にも調達価格が上がる傾向があるが、技術を取得して兵器の保守を国内で完結して行えるメリットは、兵器の少々の性能差を埋めて余りあるため、ライセンス生産が悪いとは一概にはいえない。 憲法解釈上、攻撃型空母・戦略爆撃機・大陸間弾道ミサイルなどの攻撃用兵器の配備は難しいと考えられている。また、たびたび取り沙汰される核武装について、日本政府は一貫して“防御用の小型核兵器であれば憲法解釈上は装備可能であるが非核三原則にもとづき装備はしない”としている。 空中給油機については、以前はその配備は困難とされてきたが、近年の海外派遣によって航空機の航続距離の大幅な延長のためにも配備が決定している。 また航空母艦については以前は、同様にその配備は困難とされてきたが、近年の海外派遣によって航空機による輸送能力には限界があるとして輸送艦の必要性が高まり、輸送能力が大きくヘリコプターが離発着可能なヘリ空母の配備が先日、決定された。 自衛隊に限らず、ほとんどの国の軍隊の基本は自国への侵攻を阻止できる能力を備えることである。 日本へ侵攻するには艦船で海を越えなければならないため、自衛隊の対艦攻撃能力は高い。 一方、巡航ミサイル等の長距離攻撃兵器を全く保有していないため、侵略軍の本土の補給拠点・出撃拠点を攻撃する能力は無い。また長距離攻撃兵器がないため、上陸部隊の後方の補給線を叩く能力は低く、航空機の航続距離の範囲で攻撃する能力しかない。 また侵略軍に上陸されてしまうということは、根本的に制空権を有していないということであり、制空権がない上、長距離攻撃能力も無いため、敵上陸部隊に充分な打撃を与えられず、補給線分断もなかなかできない苦しい戦闘になると推測される。 自衛隊の性質に関しては、争いがあるが、「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと考える。 また、自衛隊が国際法上『軍隊』として取り扱われるか否かは、個々の国際法の趣旨に照らして判断されるべきものであると考える。[2] 」というのが政府見解の一貫するところである。 但し、「国際法上の軍隊」として取り扱われるか否かについては、外務大臣の国会答弁において、「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします。[3]」と述べられ、肯定されることが多い。 もっとも、「軍隊」という語は多義的なので、防衛庁長官の国会答弁においても、「近代戦を有効に遂行し得る意味の軍隊ではないのでございます。ただ、防衛的の、防衛力を発揮できるという意味におきまして、もし軍隊とおっしゃるならば、おっしゃってもよろしいというのが従来の防衛庁、政府の発言でございます。[4]」と述べられ、「自衛隊は軍隊か」という問題は、軍隊の定義如何の問題に帰結するのであって、さほど重要な問題ではないとしている。 自衛隊が日本国憲法第9条にてその保持が禁じられている「陸海空軍その他の戦力」に当たるか否かに関しては長らく議論が交わされてきた。現在の通説では戦力を”軍隊および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊”と解釈し、目的と実体の二つの側面から「軍隊」と「警察力」を区別する。後者を越えるものが「戦力」に該当すると考える者もいる。現在自衛隊が保持している戦艦や戦車、ミサイルなどの武力を考えれば、有事の際に軍隊に転化しうる戦力に該当するといわざるを得ず、自衛隊は日本国憲法9条2項の戦力に該当し、違憲であると主張する者もいる。一方で政府見解では戦力を「自衛のために必要な最小限度の実力」と解釈しており、自衛隊は憲法9条2項の戦力に該当せず合憲と考えている。政府の一般的な理解としては、条文中の「国際紛争を解決する手段としては、」の文言を根拠として日本国は自衛戦争の放棄をしておらず、従って自衛戦争を行使するための実力を持つことを合憲と解釈している。そのため、外国からの急迫不正な侵略行為に対抗する手段までを放棄していないので、「専守防衛」に関する防衛力を保持することが出来るとしている。しかし、自衛戦争が放棄されておらず、そのための戦力を保持することを肯定すれば、自衛のための戦力と侵略のための戦力は実際上区別することは不可能であるから、結局戦力一般を肯定することになり憲法9条2項の規定が無意味となってしまうという考え方から、憲法9条2項では「前項の目的(正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する目的)を達するため」に戦力の保持が一切禁止され、交戦権も認めないとする趣旨から自衛戦争もまた放棄されていると主張する者もいる。この問題に関する最高裁判所の判断はまだ行われておらず、自衛隊自体が合憲であるか違憲であるかの憲法判断は下されていないが、「憲法9条は自衛権を否定してはいない」という判例はある。 一方で、憲法第9条については現在までにさまざまな政府解釈が施されており、かつてよりもはるかに広い運用が可能となっている。ただし現在の政府解釈においても占領地域へ占領行政に参加するために派遣する行為は違憲と考えられている。他方、憲法を厳密に解釈して自衛隊の軍備を放棄すべきだとする意見も存在している。 自衛隊の身分がこうした「憲法の解釈」によって保証されているというあやふやな状態に対して、憲法を改正して自衛隊保持を明記すべきという意見もある(憲法改正論議)。 このような議論は日本語の問題であって、諸外国から見た場合には実態ばかりでなく名称からも紛れもない軍隊であるといえる。自衛隊の英語表記はarmyやnavy、air forceなどの直接的な語を避けSelf-Defense Forceと称しているものの、この語は自衛軍とも訳しうる。事実、諸外国の報道機関で自衛隊が報道される場合、「Japanese Army」「Japanese Navy」「Japanese Air Force」などと報じられることも多い。 用語についても一般的な軍事用語とは異なり、独特の用語を用いて、軍事色を薄めているものがある(自衛隊用語)。言葉遣いなどの問題よりも、むしろ、軍事力について、日本国憲法の実質をなす立憲主義からの考察が求められるだろう。平和主義との関係も立憲主義からなされることになる。 自由民主党は自衛隊の名称を「国軍」(日本国国軍)もしくは「自衛軍」(日本国自衛軍)に変更すべきと主張している。 民主党は国連軍に参加するために「自衛隊」とは別組織の「国連待機部隊」(憲法前文の平和主義と憲法9条の第一項と第二項は保持)を設置すべきと主張している。 公明党はかつては自衛隊を憲法違反として廃止を主張、共産党などを「自衛隊批判が甘く、軍国主義につながる」と批判していたが、現在は自民党とほぼ同じ主張を行なっている。但し、海外派遣や防衛費増額などは自民党に比べやや消極的である。 社会民主党は政権を担当していた時代を除き「違憲合法論」を唱えている。これは「自衛隊は法的には容認しうるが、現状は違憲状態にある」という認識である。 日本共産党は憲法違反と認識しており、廃止を主張している。但し、廃止までの間は大規模災害や急迫不正の主権侵害など必要な場合においては活用すべきとの立場をとる。この「自衛隊必要時活用論」は、自衛隊全面廃止を主張する新社会党や新左翼などから「妥協的であり、軍国主義につながる」と批判されている。 上記のような憲法上の問題や旧軍との連続性への懸念などから、自衛隊は一部の左派から、平和主義の敵として存在自体が憎悪されることとなった。そして、実際に自衛隊員の子供の学校入学拒否[5][6]、教師による自衛隊員の子供へのいじめや差別(これらは警察官の子供に対しても行われることがあった)[7]、自衛隊の公共施設使用に対する妨害や抗議[8]などのような、自衛隊員や関係者の人権をあからさまに否定するような事件が起こっている。また、自衛隊という組織を犯罪者集団、自衛隊員という職業を賤しいものとみなす偏見や風潮が創設以来根強く残っており、平成7年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件における活躍で下火になるまで長く続いた。中でも自衛隊員の配偶者や子供の中には差別を恐れ、配偶者や親の職業を隠さざるを得なかった問題は極めて深刻であった。 災害地への派遣において、派遣先自治体の対応が遅れた事例を一部新聞が「(市長個人)のイデオロギーのために」「自衛隊を活用する気がなかったとしか思えない」と指摘したことがある[9]。 上記の様な左派の自衛隊への敵意と合わせ鏡のように自衛隊の中にも左派に対して不信感・対立意識が存在している。九州・日出生台演習場では共同演習中止要求・抗議集会を行なった市民グループに、西部方面総監が副官の制止を振り切って“なぜ反対するのか”“演習は北朝鮮の脅威に備えたもの。概要が敵に洩れたらどうするつもりだ”などと抗議する騒ぎも起きている[10](本件に関する石破防衛庁長官の国会答弁[11])。 また2007年6月7日には陸上自衛隊の情報保全隊が反戦運動などの集会を監視し、参加者の発言などを記録していたことが判明した[12]。尚、これについては、情報保全隊の市民活動監視問題も参照されたし。 防衛省 / 防衛施設庁(2007年9月1日付で解体し機能の一部を装備施設本部へ移管) / 防衛大学校 ^ “内閣参質一〇三第五号 参議院議員秦豊君提出自衛隊の統合運用等に関する質問に対する答弁書” 1985.11.5. 2007年7月26日閲覧. ^ 昭和42年03月31日参議院予算委員会における増田甲子七国務大臣の答弁。これは、昭和29年4月1日衆議院内閣委員会における木村篤太郎国務大臣の発言等を前提としたものである。 ^ 1972年1月、当時の外相福田赳夫は関東地区の米軍基地を3年後に横田基地へ統合することを発表。1973年1月に日米安保協議会は立川基地を1976年に完全返還する決定を行った。これに先立ち、1972年12月に陸上自衛隊東部方面航空隊が移駐した際、立川市は自衛官(及び家族)の住民登録を拒否した(後に受諾)。住民登録が行えなかったため自衛官の子息は学校に入学することが出来なくなり、事実上の入学拒否(日本国憲法第26条に抵触する行為)となった。(→参考:第3 自衛隊のイラク派兵に反対するテント村の活動) ^ 1972年、沖縄返還とともに自衛隊が移駐した沖縄では、那覇市をはじめとする革新自治体が住民登録の一時保留などを行った。これにより、立川基地と同様に事実上の入学拒否となった。(→参考:沖縄タイムス社説 2004年9月22日) ^ “市民会館使用許可で抗議 自衛隊音楽会で九条の会 【八重山毎日オンライン】” 2005.10.29. 2007年7月26日閲覧. ^ 平成11年6月23日から7月3日まで、九州から東北南部までを襲った集中豪雨災害。最も被害の大きかった広島県では、土砂崩れや土石流が多発して死者・行方不明者が31人に上った。6月29日の夕方から被害が拡大しはじめ、死者・行方不明者が続々と確認される中、20時の時点で自衛隊から広島県に対して災害派遣要請の必要性の確認が行われた。これを受け広島県は広島市の意向を確認したが、広島市は自衛隊の派遣は必要ないとして断った。しかし一夜明けた30日、被害はさらに拡大。結果、6月30日午前4時に至って広島市は県へ災害派遣要請を行った。産経新聞は平成11年7月1日の記事で『秋葉忠利・広島市長は「何かできなかったかという思いはある。教訓として生かしたい」と述べたそうだが、冗談ではない。その能力を十分に持っている自衛隊を活用する気がなかったとしか思えない。自分のイデオロギーのために広島市民の生命をないがしろにした、重大なる「人災」と言っても過言ではないだろう』と批判した。但しこの件では広島市が対策に忙殺されており、広島県も災害対策本部の設置が遅れ、情報を消防庁に送ることが遅滞した。このため、国土庁や官邸に連絡することが出来ないまま時間が経過しており、一概に広島市に責任があるとは言えなかった(仮に情報が上がっていれば、上からの指示で早期に出動できた可能性はある)。実際、災害派遣要請の決め手となる被害地域の航空写真が広島市消防局長の手元に届いたのは30日午前零時であり、その4時間後には県知事に対して自衛隊派遣要請の要求を行っていることから、この件をもってして「(市長個人)のイデオロギーのために」「自衛隊を活用する気がなかった」とするのは少々乱暴な指摘だと言えよう。(→平成11年6月23日から7月3日までの大雨による被害状況について(第47報)消防庁)(→県・広島市 遅れた判断 1999年7月1日 中国新聞朝刊)(→第145回国会 災害対策特別委員会 第6号 平成11年7月22日(木曜日)) |
[ 78] 自衛隊 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A
