虚偽とは?

虚偽報道(きょぎほうどう)は、マスコミ等において故意に事実と異なる情報を報道すること。虚報、捏造報道とも。
従来、誤報の文脈で語られることが多かったが、誤報が過失によるものであるのに対し、虚偽報道ないし虚報は故意に行われるものである。
新聞における虚偽報道の事例をいくつか挙げる。新聞などの活字系メディアは、いわゆる「筆先三寸」(「舌先三寸」の洒落)で虚偽報道が可能なので、テレビの出演者を巻き込んでの大掛かりな「やらせ」を伴う虚偽報道に対し、比較的単純である。ここでは代表的な虚偽報道事件をあげるが、過去に多くの新聞社で虚偽報道事件が発生している。各社での事件は各社の「疑義が持たれた報道、スキャンダル」の項目を参考にすること。
昭和25年(1950年)9月27日付け朝日新聞夕刊に、当時レッドパージにより地下に潜伏中だった日本共産党幹部伊藤律と宝塚市の山林で会見したとする記事が載った。書いたのは神戸支局の中堅記者。
掲載前に大阪本社通信部のデスクから真偽を疑う声が出たが、編集局長は現場の声に押されて掲載を決める。東京本社ではさらに共産党担当記者から伊藤がインタビューに応じる必然性がないなどの声が出たが、「大阪がそこまでがんばるなら」という声に押されて報道に踏み切った。
当時伊藤を追っていた法務府特別審査局の聴取に対し、取材記者の供述に矛盾が出、ついにこの記事が完全な虚偽であったことを自白した。朝日新聞は3日後社告で謝罪し、縮刷版には掲載しなかった(現在もこのページのみ白紙で「お断り」告知になっている)。担当記者は退社、神戸支局長は依願退社、大阪本社編集局長は解任となった。
1980年9月28日、アメリカ・ワシントン・ポスト紙はジャネット・クック(Janet Cooke)記者(詳細英語版参照)の署名の入ったジミーの世界という長文の記事を報じた。それはワシントン市に住む8歳のヘロイン常習患者について描くもので、彼の母はヘロイン常習者がたむろする食堂を経営し、その愛人は麻薬の密売人。ジミーの腕には注射のあとが残っているなど、生々しい2256語にのぼるルポルタージュであった。当時ヘロインはワシントンの深刻な問題になっており、関心が高まっていた。
記事は市民に衝撃を与え、大きな反響があった。ワシントンの警察もジミーを保護するために大捜索を行った。しかし、そのような少年は見つからなかった。市長や警察はワシントンポストの記事に対する疑念を抱くようになっていた。
しかし、やがてAP通信がクック記者の経歴を報道すると、その中に多くの嘘があることが明らかになった。不審を抱いたポスト紙編集幹部はクックを追及し、彼女は功名心にかられてすべて嘘の記事を書いたことを認めた。「ジミー」は架空の少年だった。クック記者は「人に漏らせば自分の生命に危険が及ぶ」という理由で、当事者の身元も情報源も自社の編集責任者にすら明らかにしていなかった。ワシントン・ポスト紙はピューリッツァー賞を辞退し、同紙におかれているオンブズマン(外部の大学教授がその任にあった)による調査を実施した。調査結果は5面にわたって紙上に詳細に公表された。調査結果は捏造の経過と社内の問題点について明らかにし、次のような点を指摘している。
などである。一度は地に落ちたワシントン・ポストの評判は、この調査とその公表によって挽回されたという。
1989年4月20日の朝日新聞夕刊に、「沖縄県西表島のサンゴに『K・Y』の落書きがされている」という記事が載った。 しかしその後、これを不審に思った地元の沖縄県竹富町ダイビング組合が「サンゴに書かれた落書きは、取材者によるものではないか」との指摘を行った。これに対して朝日新聞は当初、「撮影効果をあげるため、うっすらと残っていた部分をストロボの柄でこすった」としていたが、その後の継続的な調査を経て「当該カメラマンが無傷の状態であったサンゴに文字を刻み付けた」との判断を発表し、虚偽報道であったことを認め、謝罪した。担当記者は退社もしくは停職処分となった。
この時期の新聞は急速に台頭してきたテレビニュースとの競争にさらされ、写真報道に力が入れられていた。この虚偽報道の特殊性は写真にからむ捏造であり、新聞の虚偽報道としてはやや複雑な様相を呈している。
2005年4月15日付け産経新聞社会面で、秋篠宮文仁親王が第14回地球環境大賞の授賞式に関連して、「お言葉」の中で「フジサンケイグループの主催」に言及したとする記事を掲載したが、実際にはそのような事実はなかった(皇族が私企業の活動を讃えたりする事は絶対にない。発言が利用されるのを防ぐ為である)。担当記者の愛社精神の余りの勇み足と見られる。産経は後日誤りを認め、該当部分の撤回を行なった。
2005年8月21日の朝日新聞で当時田中康夫長野県知事が新党を結成すると噂されていたが、長野総局記者の取材による記事を掲載したが、田中康夫本人から取材を受けた事実は無いと指摘され判明した、記者は懲戒解雇、8月30日に謝罪文を発表した。
テレビにおける虚偽報道はいわゆるやらせと密接な関係を持つことが多い。映像・音声を伴う(カメラ、マイク、場合によっては照明などを必要とする)テレビにおいては新聞、雑誌のような活字メディアより複雑で手の込んだ手段、いわゆるやらせ(出演者による演技)を伴う場合が多く、状況が複雑である。『NHKスペシャル』「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」の事例を元に、テレビにおける虚偽報道について考えてみたい。
まず新聞や雑誌などと同様な単純な虚偽報道として「虚偽コメント」「虚偽テロップ」がある。これはいわゆる「やらせ」にはあたらない。例えば取材中、少年僧が雨乞いの祈りをするのだが、わずかな量の雨が降ったにもかかわらず、「少年僧の願いもむなしく、雨は一滴も降らなかった」とコメント(ナレーションでの解説)を付けている。これは明らかに虚偽報道であり、視聴者に対する背信である。また映像に虚偽情報をテロップで表示するケースの存在も考えられる。
これとは別に、NHKの「ムスタン調査報告書」では問題が無いとされていたが、番組であたかも「ムスタン」が独立王国であるかのようにコメントされていたが、実際は「ネパール王国」の一部であったという件がある。これも虚偽コメントという見方もありうるであろう。
元テレビ朝日ディレクターのばばこういちは「やらせ」を分類し、「単純再現」「悪質再現」「捏造」を挙げている。ばばは「単純再現」は許され、「悪質再現」は許されないとのスタンスを取っているが、実はその線引きは難しい。日常繰り返される事実を、当事者によって、誇張や歪曲することなく、合法的に再現するのが「単純再現」ということができるだろう。それでも、単純再現が虚偽報道に当たるか当たらないかは意見の分かれるところであろう。また、「単純再現」と「悪質再現」の線引きは極めて難しい。
「ムスタン」では高山病にかかったスタッフが回復後にディレクターの指示で高山病の演技をしたが、ディレクターはスタッフにもっと大げさに苦しむ演技を要求したという。これは「単純再現」と見る見方もあるかもしれないが、事実を出来るだけ正確に再現しようとする意識に欠けており、その意味で「悪質再現」の範疇に入ると見ることも出来る。
また、故意に流砂現象を引き起こしたとされる件もあったが、これは厳密に言うとやらせを伴わない再現行為であり、許されるかどうか微妙なところである。
「捏造」を伴うやらせが虚偽報道であることは論を待たない。「ムスタン」で言えば小学校の理科の授業として山羊の解剖を行なったケースがそれである。この小学校では日常的にそのようなことは行なわれておらず、再現行為には当たらず、「捏造」であることが明らかになっている。
テレビでは映像をそのまま放送するわけではない。撮影してきた映像の中から必要な部分だけ切り取り、他の多くの映像とつないで編集する。例えばインタビューの場合、前提条件の部分をカットし、結論の部分だけ放送するなども行なわれ、発言者の真意が歪曲され、時には反対の意味で報道されることがある。これもテレビなど、映像、音声を伴う虚偽報道の特性である。
また、インタビューでなくても、関係のない映像を編集してつなぐことにより視聴者に一定の意味を伝えることができる(モンタージュ)ので、非言語的な虚偽報道も可能である。
ドキュメンタリー映画やビデオにおいてもテレビと同様に映像と音声の問題を抱えている。例えば初期のドキュメンタリー映画の名作とされるフラハティー監督の『アラン』はアイルランドのアラン島に生きる人々の過酷な生活を記録したものだが、撮影時より50年も前の島の生活の再現が入っているという。これを悪質再現と捉える向きもある。テレビのやらせの原点はドキュメンタリー映画にあると主張する者もいる。
レニ・リーフェンシュタール監督のベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア(邦題「民族の祭典」)』や、市川崑監督の『東京オリンピック』にも再現映像があるという。芸術的な映像を追求するために事実性を犠牲にしたわけである(今野勉『テレビの嘘を見破る』を参照)[1]。
ラジオで虚偽報道が表面化することは必ずしも多くはないが、音声を扱っていることから、単純な虚偽コメントだけでなく、出演者を巻き込んで演技させるいわゆる「やらせ」による虚偽報道が行なわれている可能性を指摘する者もいる。音声は映像よりはるかに加工しやすく、また擬音を用いることもできる。映像の拘束を受けずに細かい編集も簡単なので、編集による虚偽報道も容易である。
^ 例えば、『オリンピア』での西田修平と大江季雄の棒高跳びの対決(俗に「友情のメダル」と称す)は再現映像である。
虚偽報道が後を絶たないことに様々な理由が挙げられる。根本的な理由としては、記者が取材をする以前に記事に対する自分なりの見通しを立てていることがある。特にドキュメンタリー番組・映画などでは撮影以前に企画者がシナリオを作成している事が当たり前である。取材・撮影によって予想外の事態が発生したり、判明することは当然多々ある。取材者・企画者がそれを受け入れて、自分の見通し、シナリオを修正すれば虚偽にはならないが、当初のままで進めると虚偽報道に陥る。
また、報道機関により、虚偽報道をした社員に対する処分に差がみられる。解雇という厳罰で臨む社もあれば、厳重注意程度ですませる社もあり、その企業体質も強く関連すると見られる。
伊藤律会見報道、「ジミーの世界」報道、皇族スピーチ報道などはいずれも組織内の個人が功名心などに駆られて行なった虚偽報道であり、組織全体からすれば一種の誤報と見られなくもない。
かつての日本の大本営発表や現在の北朝鮮のメディア、またイラク戦争におけるアメリカの対外発表のように、国家レベルで虚偽報道や事実の隠蔽がなされる例もある。
後藤文康『誤報 新聞報道の死角』(岩波新書、1996年) ISBN 4004304466 著者は新聞協会審査委員
藤田博司『アメリカのジャーナリズム』(岩波新書、1991年) ISBN 4004301831 著者は元共同通信記者、現在早稲田大学客員教授
今野 勉『テレビの嘘を見破る』(新潮新書、2004年) ISBN 4106100886 著者はテレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学教授
大塚将司『新聞の時代錯誤 朽ちる第四権力』(東洋経済新報社、2007年) ISBN 9784492222775 著者は元日本経済新聞記者(ベンチャー市場部長)。社内の不正経理問題を告発し懲戒解雇されるも裁判の結果、和解復職。

[ 83] 虚偽報道 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E5%81%BD%E5%A0%B1%E9%81%93

虚偽記憶(きょぎきおく、英:False Memory)とは、誤った催眠療法の誘導によって捏造された、実際には起っていない筈の出来事に関する記憶(エピソード記憶)のこと。斎藤学は「過誤記憶」と訳している。
1980年代以降、心的外傷が精神疾患を引き起こすというフロイトの初期の理論を安易に援用し、抑圧された性的虐待の記憶を引き出せば精神疾患は治ると考えた一部のカウンセラーが催眠療法(アミタールなど催眠系の薬物を利用したものもあった)を行い始める。
1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの著書『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)が出版される。この書物は虐待されたと感じているなら虐待されていると主張し、読み方によってはあらゆる「生きにくさ」は幼少期の性的虐待記憶にあるというように読めるものであった。このために、多くの人が有るのか無いのか分からない記憶を思い出したがるようになった。
精神科医ジュディス・ハーマンも催眠療法は勧めていた。彼女は記憶を忘却しているケースが多い為に、取り戻す事が必要ではないかと考えたが、同時に彼女は裁判に持ち込んだからといって司法の場では冷たいかもしれないと述べていた。
こういった動きに対し多くの人は賛同し、所謂抑圧された記憶の概念が流行するが、メディア的あるいはファッション的な考えが混ざっており、批判も存在した。なかなか多くの人はバッシングを受ける事が必至であるので言いにくかったのだが、殺人罪で起訴される以前のテッド・バンディの弁護を行ったり、イラン・コントラ事件においてオリバー・ノースの弁護を行ったりするなどエキセントリックな行動で知られていた認知心理学者エリザベス・ロフタスが、この問題にメスを当てた。
ロフタスは外傷的事件の不確かさを確かめる実験を行い、偽りの記憶が作り出されることがあることを証明した。彼女の実験「ショッピングモールの迷子」では家族から聞いた本当のエピソード3つに、「ショッピングモールで迷子になった」という嘘の話を加える事で記憶が作られるかどうかを確かめた。この結果4分の1の被験者が、「ショッピングモールで迷子になった」という嘘の記憶を作った。また、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、後でこれが偽りであった事を知った被験者は皆驚いたという。アメリカでは「偽記憶症候群(False Memoly Syndrome)論争」としてこの問題は社会問題化し、メモリー・ウォー(Memory war)と呼ばれる大論争が繰り広げられた。
こういった偽りの記憶現象のことを、団体は偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん、False Memory Symdrome)と呼んだ。斎藤学は「過誤記憶症候群」と訳している。ただし、衝撃的な出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。
1990年代初頭はマクマーティン幼稚園裁判に見られるように悪魔的儀式虐待及び警察官らによる保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖は根拠が無いという見方が強まっていた。この頃は「虚偽記憶」の可能性が重視されマスメディアも多くこの話題を取り上げ、1990年代半ばに入り無罪の親がさらに脚光を浴びることになった。ロフタスを売春婦などとけなす人も数多く脅迫なども受けたが、ハーマンが勧めた催眠療法は様々な問題点があるとされ、1995年からこれを医療事故とみなし訴訟が始まった。
この後1997年にはカウンセラーが催眠により性的虐待の記憶を呼び戻す治療法(すなわち、すべての記憶を取り戻さなくては健康は回復できないという考え)はアメリカ心理学会ではほとんど支持を失った。この後2000年ごろまでこの問題はくすぶり続けたが回復記憶セラピー(RMT=en:Recovered memory therapy)が非常にまれなものとなった事でこの論争は大体決着がついた。こうしたセラピーを通じて思い出したが後に性的虐待をされていなかったと認識した人は何百人にも上った[1]。
1993年のマイケル・ジャクソンの訴訟なども、自白剤のアミタールを用いた虚偽記憶だったのではないかとマイケルのファンからは言われている。
虚偽記憶に関しては批判も少なくない。まず、ロフタスの研究は通常の記憶(例えば、「ショッピングモールで迷子になった」という嘘の話)に関する実験であって、トラウマ記憶には必ずしも当てはまらないことが指摘された。トラウマ記憶、すなわちフラッシュバックは幼児期の記憶に類似しているが、自動車の形式や番号などの記憶は小学児童の方が優れている。記憶形式が違うのにそれを全部一緒にしてその不確かさを述べるのは間違いと批判者らは述べる。
また、ロフタスの実験である「ショッピングモールの迷子」では4分の1の被験者が記憶を作ったが、ハーマンはこれに対し逆に4分の3は作っていない事を証明した実験だと反論した。ロフタスは、これに対し4分の1でも十分と言い、またブリティッシュ・コロンビア大学にいたスティーブ・ポーターは約半数の被験者に猛獣に襲われたと思い込ませる事に成功したという事実もあると反論している。
一方、臨床においてはほとんどのクライアントは自発的に回想していることや、周囲の事実確認を得られるケースも多い事、むしろ実際にあったことを認めていないケースの方が多い事、そもそもFMSを主張する団体の資金源は加害者側のものであり加害者側の一方的な自己正当化に過ぎない可能性が高いことなど実際の現場に即していない研究との批判も有る。
また、グリーン博士という悪魔教カルトの指導者は、第二次世界大戦の際にはユダヤ人としてナチス・ドイツの強制収容所に入れられ、そこでグリーンバウムという名前でナチス・ドイツの医師から洗脳技術をカバラと結びつけた洗脳技術を開発していた。彼がアメリカに来たのは、アメリカ中央情報局(CIA)によってアメリカ合衆国に連行されたためである。反対に、悪魔教カルトではなくCIAが1940年代から子供を使用して洗脳実験を繰り返していたという話もある。このため証拠はなく憶測の域を出ないが、アメリカ合衆国の陰謀説も存在する。
また、司法の場での反論も有る。2006年8月にエリザベス・ロフタスはイラク戦争のプレイム・ゲート事件のルイス・リビーの件で呼ばれたが、彼女はほとんどの陪審員がトラウマ記憶をビデオテープのように思っていたと著書で述べたが、実際には彼女の研究では潜在的陪審員の46%しかそうは思っていなかったと検事パトリック・フィッツジェラルドは指摘した[2]。つまり、「当たり前のことを強調しているに過ぎない」という批判は免れ得ない。
性的虐待の証言自体が嘘であるということはあまり無いとは見られるが、ビデオのように精緻な証言とは言いがたい。だが、それは発達早期の為のあくまで見かけ上の誤認であり、中立的に見てもそのように見えるだろうと言われている。信じていいのは自分というものを無視された行動をとられ、それがはっきりと性的な行為であり、それを行った人物はしばしば本来信用できる人であったという点である。
また、被害を誇張する人が存在したりもする。むしろ、自分を可愛そうな被害者にしようとする事は、感情的に良くあることとも言える。この場合、実際に被害が起こっているため見分けるのは難しいが、ある程度すると誇張は無くなる傾向がある。稀ではあるものの「過剰記憶」、「作話」の現象が起こることもある。ただし、この場合意識が変化するのでよく知っていれば見分けやすい。
子供の性的虐待の訴えについては2-7%の子供が嘘を述べている可能性があるという[3]。だが、それらは本人が望んだものではないことがほとんどである。大抵は両親の離婚訴訟などで親に「言わされた」場合である。ちなみに、本人が被害の状況を話す場合も混乱が起こる場合があるが、これに関しては事件があまりにも本人にとってショッキングであるために話しにくくなっている場合が多いと見られており、司法面接などの技術が警察に求められている。
抑圧された記憶は実際にあるのかもしれない。可能性を示す研究自体は複数存在しており、事例も多くある。しかし、現在のところその記憶の信憑性を確かめる術もほとんどなく、実際に回復記憶セラピーで冤罪が作られたというのも事実なので慎重論が強い。
この概念はUFOが宇宙人の乗り物説において人間をアブダクション(誘拐)しているという事件の批判に使われる事がある。心理学者ステファン・ジェイ・リンはそれに関して催眠実験を1994年に行なった。明るい光を見たイメージや、時間を喪失したイメージを想像させた後に示唆を行ったところ、91%の被験者がそれと宇宙人との相互作用を考えたという。[4]
両方が混乱した話もあり、ニューヨークのフェミニストでUFO研究家、かつ心理学者でもあるナオミ・ウルフバーグは「アメリカ女性の10人に1人が、過去UFOに誘拐され、その半分つまり600万人が何らかの性的虐待を受けているのです」と語る[5]。勿論、殆どの人は信じてはいない。
(百科事典)「False Memory」 - スカラーペディアにある「虚偽記憶」についての項目。(英語)

[ 84] 虚偽記憶 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E5%81%BD%E8%A8%98%E6%86%B6

世の中には、病気になりたがる人たちがいます。境界例の人は、こういう気持ちを理解できる人が多いのではないかと思います。なぜなら、病気になれば周囲の人が心配してくれて、身の回りの世話をしてくれるからです。そうすれば、分離不安や見捨てられ感が癒されるからです。たとえ、誰からも相手にされないような孤独な人であっても、入院さえすれば治療のためにいろいろな人が話しかけてくれますし、面倒を見てくれます。しかし、体がどこも悪くないようなときどうするか。こういうとき、世の中には、孤独感や寂しさを癒すために、嘘をついて病気のふりをする人がいるのです。これが虚偽性障害と言われている人たちです。要するに仮病なのですが、虚偽性障害と言われるものになりますと、単なる仮病とはレベルが全然違うのです。「お前、そこまでやるのか」というような凄いことを、平気でやってのけるのです。そして、彼等が嘘の病気を演ずるがゆえに、騙す者と騙される者との間で、非常に面白いというか、あるいは、あまりにも哀しいというか、そういう虚々実々の駆け引きが展開するのです。面白いとは言っても、これは傍観者の視点であって、医療スタッフにしてみればたまったものではありません。騙されていたとわかったときの失望感と怒りは相当なものでしょう。しかし、騙す方にしても、本人は必死の思いなのです。嘘をつくという反社会的な面はあるにしても、心の空洞を埋めるために、やむにやまれず嘘をつくのです。これは実に哀しい嘘です。しかし、こういう世話をしてもらいたいという心理は、私たち境界例と共通するものがあります。実際に、虚偽性障害とされる人たちのほとんどが境界例なのです。
病院の入院患者の中に、どれくらい虚偽性障害の患者がいるのかという事については、研究者によって数字にばらつきがありますが、ある人の研究では、全入院患者の3%、別の研究では9%が虚偽性障害だったそうです。また、ある精神病院の調査では、相談連絡課に回されてきた患者1288人のうち、10人が虚偽性障害だったそうです。
まず最初に普通の仮病があります。学校へ行きたくないときの口実として、お腹が痛いとかいうような、ちょっとした嘘をつくことで、嫌なことを回避しようとする場合です。これは、嘘ではあっても、精神的に病的なものではありませんので、もちろん虚偽性障害には該当しません。
次に、詐病(さびょう)と言われるものがあります。これは経済的な利益を得るために嘘をついて病気になる場合です。たとえば生活保護を受けるためとか、保険金をだまし取るためとかいうケースがあります。あるいは経済的な理由以外にも、警察から逃げるためとか、裁判で心神喪失状態にしてもらうためとかで、病気を装うケースもあります。こういった、本人にとって実利的な目的のために病気になるケースは詐病として扱い、虚偽性障害とは区別されます。しかし、嘘をつくという点から言って、人格障害の可能性が視野に入ってきます。
そして、虚偽性障害ですが、これは世話をしてもらいたいという精神的な欲求から嘘をついたり、あるいは自分を傷付けたりして症状をねつ造して病気を装うことを言います。中でも重症なケースを、ミュンヒハウゼン症候群と呼ぶこともあります。特徴としては、奇想天外な経歴をまことしやかに語り、入院するためにわざと症状を作りだし、バレるとすぐに逃げ出し、病院を次々と渡り歩いたりします。この病名は、病名の元となったミュンヒハウゼン男爵の風変わりな生き方に似ていることから命名されました。男爵の正式な名前は実に長ったらしいのですが、カール・フリードリッヒ・ヒエロニムス・フォン・ミュンヒハウゼン(1720-1791)といい、別名ほら吹き男爵とも呼ばれました。戦争での手柄話や自慢話をしながら国中を旅して歩いたのですが、これがちょうど嘘をつきながら病院を渡り歩く重症の虚偽性障害の人とよく似ていることから、1951年にイギリスのリチャード・アッシャー博士が命名しました。ところが男爵は、実際にはそれほどホラを吹いていたわけではないらしいのです。もしそうであるならば、自分の名前を勝手に病名に使われて、いい迷惑です。しかし、おかげで後世に名前が残り、いまこうやって日本人の私がインターネットで男爵のことを書いているわけです。
では、こういう虚偽性障害の人たちはどんな手口を使って医者を騙すのかということについて書いてみましょう。まず騙しの手口として一番ポピュラーなのが、発熱です。検温の前に、熱い飲み物を大量に飲んで体温を上げておくのです。そうすれば実際に熱があるわけですから、騙すのは簡単です。他にも、体温計をこすって摩擦熱で温度を上げるという手口もよく使われるようです。看護婦さんの目を盗んで服やシーツで一生懸命シコシコとやるんでしょうね。あるいは、冬であれば暖房器具などを使って温度を上げる人もいます。しかし、医学知識がないと温度を上げすぎてしまい、50度とか60度とかいう、とんでもない体温が出現して、失笑をかうケースもあるようです。もし体温が60度もあったらどうなるでしょうか。自分の体温で自分が火傷してしまいますし、自分の目玉が目玉焼きになってしまい、なんにも見えなくなってしまいます。ですから、こんなへまをやってボロを出さないようにするために、ある程度の医学の知識が必要となります。実際、虚偽性障害の人たちは、元看護婦さんとか、身近に病気の人がいて、その病気について良く知っているとかいう人が多いのです。
他にはどんな手口があるのかと言いますと、尿検査の時に尿の中に砂糖を入れて糖尿病になる。あるいは尿に卵白を混ぜて腎臓病になるという方法があります。医療に詳しい人ですと、カテーテルを使って卵白を膀胱に注入するという、手の込んだことをやる人もいるようです。さらに、大便を注射器で自分の血管に注入する。インシュリンを注射して低血糖症を装う。抗凝血剤を使って出血しやすくする。血を抜いてひどい貧血になる。抜いた血をカテーテルで膀胱に入れて血尿を装う。金具などを肛門から入れ、腸の内部を傷付けて出血させる。下剤を使って慢性的な下痢になるなど、入院するためなら何でもやります。自分の身を危険にさらしてでも病気になろうとするのです。こういうことを平気でやるのが虚偽性障害なのです。しかし、平気で、とは言っても、本人は心の寂しさを埋めるために必死なのです。誰かにかまってもらいたい。誰かから世話をしてもらいたい。そういう痛々しいほどの寂しさや孤独感からこういうことをするのです。看護婦さんの目を盗んで、ウンコを自分に注射している姿などを想像しますと、あまりにも愚かで浅ましく、また哀れな姿であります。しかし、彼等はそうせざるを得ないのです。他には誰も彼らをかまってくれる人がいないのです。誰も彼等を本気で心配してくれる人がいないのです。彼等にとっては病院の人たちだけが頼りなのです。そして、病気になりさえすれば、医者や看護婦さんが自分の世話をしてくれるのです。優しい声をかけてくれたりもするのです。彼等の日常生活では起こり得ないようなことが、病気になりさえすれば、あっと言う間に実現するのです。これは幼児期に得られなかった愛情を、病気になることで取り戻そうとしているようにも見えます。そして、入院さえすれば、赤ん坊に戻ったかのような世界が実現するのです。赤ん坊のような、自分を中心とした世界を実現することが出来るのです。ですから、彼らがいったん入院すると、世話を焼いてもらいたいという気持ちから、非常に要求がましい態度を取ったりして、扱いにくい患者になります。
さらに彼等はもっと凄いこともやるのです。手術マニアとでもいったような人たちです。自分が手術される事に対する嗜癖と言いますか、精神的な依存が形成されている人たちです。こういう人たちは頻回手術者と言われる一群の人たちともだぶってきます。ただ、嗜癖があるとは言っても、自分で自分を手術することは出来ませんので、紛らわしい症状を訴えながら、言葉巧みに医者を誘導して、手術をする方向へと持っていくのです。普通の人は、検査のための開腹手術など嫌がるものですが、彼等は積極的にそれを望みます。臓器の一部摘出など大歓迎と言ったところです。その結果、身体のあちこちに手術の痕が残ることになります。これは患者のマゾヒズム性をも表わしています。無意識的な深いレベルでの罪悪感があり、手術を受けることで、自分で自分を処罰しようとしているのです。そして、手術を受けることで、医療スタッフから自分の面倒を見てもらい、幼いころに剥奪された愛情を、なんとか取り戻そうとしているのです。その結果、必要のない手術を繰り返すこととなり、自らの寿命を縮めてしまいます。しかし、それでも彼等はかまってもらいたいのです。それほどまでに孤独であり、見捨てられ感が強いのです。自分の命を削ってでも、必死になって医療スタッフに、しがみつこうとするのです。
しかし、いくら嘘をつくのがうまいと言っても、所詮は嘘です。元々が本当の病気ではありませんので、検査や治療を続けるうちに、どうしても不自然な事や、矛盾した検査結果が出て来るのです。そして、医師も次第に疑いの目で患者を見るようになっていきます。そこで、患者を問いただしたりするのですが、患者は逆に医師の無能さをなじったりします。しかし、病院側の方でもスタッフを集めたりして、患者の症状の出方をチェックしてみますと、どういうわけかスタッフが目を離している間に急に発熱したり、血圧が異常に低下したり、あるいは突然血糖値が下がったりしていることが明らかになっていきます。もうこうなると、患者が嘘をついているとしか考えられません。そこで、検査をするからという口実を作って、患者をベッドから離し、その間にベッドの周囲を捜索してみます。するとベッドの下から注射器やら薬品やらといった、おぞましい品物がゾロゾロと出て来るのです。医者にとっては、ついに正体を暴いてやったという気持ちよりも、今まで患者を救おうとして努力してきたことがすべて踏みにじられてしまったということへの、やるせない気持ちで一杯になります。そして、患者に事実を突き付ける時がやってきます。患者は、騙していたことを認める人もいれば、それでも否定し続ける人もいます。否定し続ける人でも、嘘がバレたあとは症状が出なくなります。いずれにしても、嘘が通用しなくなると患者はすぐに他の病院に行きます。そして、同じことを繰り返すのです。このようにして病院を渡り歩く患者の行動が、そのまま、ホラ吹き男爵とも呼ばれたミュンヒハウゼン男爵とよく似ていることから、ミュンヒハウゼン症候群とも呼ばれるのです。患者にとっては、病気のふりをする事が生活そのものになっているのです。つまり、別な言い方をすれば、病人を演ずることで、かろうじて精神的なバランスを保っているとも言えます。ですから、嘘だとわかったときに患者を激しく責めたりしますと、それが引き金になって心のバランスが崩れ、精神病を発病するケースもあるようです。ですから、このような虚偽性障害の人たちへの対応は、精神科医との連携が必要となってきます。
それにしても、これは膨大な浪費です。医療費の浪費であり、スタッフたちの努力や情熱の浪費であります。それだけではなくて、患者本人の寿命さえも縮めてしまいます。そして、これらのすべてが、無駄に費やされてしまうのです。排水口に流れ込む水が渦を作るように、虚偽性障害の人が作り出す嘘によって、周囲の人が渦の中に巻き込まれ、吸い込まれてゆくのです。この嘘は、あまりにも浅ましく、また、あまりにも卑劣なものであります。本人の見捨てられ感などに焦点を当てて見れば、たしかに非常に可哀想な人たちではありますが、人を平気で騙してしまうという反社会性に対しては、実に腹立たしい思いがします。おそらく、本人はちょっとした嘘をついたときや、病気のまねごとをしたとき、周囲の人たちがそれに敏感に反応することから、いつの間にか病みつきになっていくのでしょう。
このような虚偽の病気は、精神科でも発生します。うつ病や分裂病を装うのです。このような場合は、自分に関心を持ってもらうために、誇張された経歴が披露されることもあります。たとえば、次に引用したのは、自殺未遂のまねごとのようなことをして入院した患者の過去です。
彼の父親は有名な外科医で、一人の女性を手術で死なせてしまい、その後その女性の夫に殺されてしまった。それから患者は父を殺した相手を秘かに追跡しアメリカ中を何千マイルも歩いた。相手を見つけて殺そうとしたときに、彼はその男の94歳の祖父に妨げられてしまった……
こういう、とりとめもないような話は、どこまでが本当なのかわからなくなってきます。いわゆる空想虚言というやつで、話を聞いてくれる人がいると、どんどん内容がエスカレートしていって、誇大なものになっていきます。しかも、話をしているうちに自分も嘘の世界にのめり込んでしまって、どこまでが嘘なのか分からなくなってしまいます。
さらに精神医学の知識があると、声が聞こえるとか、だれかに操られているとか、もっともらしいような症状を訴えたりします。しかし、異常がないのに異常を訴えていると、ついついボロが出たりします。たとえば、物忘れがひどくて何も覚えていないはずの患者が、「昨日も申し上げましたように、私は何も覚えていないのです」などと、ついつい言ってしまうのです。医者の方でも患者の不自然さから、虚偽性障害の疑いが出てきたときには、いろいろなトリックを使ったりして、本当の病気かどうか試したりするようです。
しかし、患者の中には最初は嘘のつもりだったのに、嘘を演じているうちに、自分が本当の病気になってしまったというケースもあるようです。たとえば、周囲の人の関心を集めるために、わざと拒食症を演じていたのに、途中から自分をコントロールできなくなってしまい、本当の拒食症になってしまったというようなこともあるようです。ミイラ取りがミイラになったようなものです。意識的にやり始めたことが、その人の無意識レベルに潜んでいた引き金を引いてしまい、自分でもどうしようもなくなったのでしょう。
虚偽性障害の人の騙しは、何も医療関係者だけを対象とするのではなくて、その人の人間関係の中でも発生します。たとえば職場などで、自分がガンにかかっていることが分かった、などというような事を告白するのです。すると、その瞬間から人間関係がガラリと変わります。今まで冷たかった人も、急に優しい声をかけてくれたりします。仕事の面でも、周囲の人が何かと気を遣って、優しく扱ってくれます。しかし、一度ガンであると嘘をついてしまうと、その後もずっとガン患者を演じ続けなければなりません。そこで、鏡を見ながら自分で髪の毛を抜いたりして、抗ガン剤の副作用が出ているかのような演出をしたりします。このように目に見える形で症状が出てくれば、周囲の同情も、いやが上にも高まっていきます。そして、本人はますます調子に乗って演技に熱が入っていきます。やがてガンが進行して、仕事が続けられなくなり、みんなから暖かい同情と励ましの言葉を受けながら職場を去ります。その後は近所の人たちなどから、暖かい慰めの言葉を得るために、積極的に地域の集まりなどに出たりします。そして、もっとたくさんの励ましの言葉を得るために、ガンと闘う気丈な患者を演じます。すると、そのうわさが広がっていって、地元の新聞社が取材に来たり、テレビ局が取材に来たりします。あるいは、福祉関係の大学から講演の依頼が来たりします。そして、講演で聴衆の涙を誘いながら「私の最後の願いは熱気球に乗ることです」などと言おうものなら、たちまちのうちにカンパが集まり、熱気球に乗る夢が実現して、患者にとっては、まさにしてやったりと言った状況が出現します。しかし、患者は自分の嘘の行き着く果てがどうなるかについて、おそらく予想は出来ているのでしょう。しかし、予想は出来ても、そのことには目をつぶって、バレる日が来るまで演技を続けているのでしょう。そして、バレる時がやってくるのです。ガンの演技が世間の注目を集めるようになれば、当然治療している医者は誰なのかとかいったことにも関心が集まりますし、患者の経歴とか家族のこととかも、みんなの興味を引くようになります。患者はなんとか今の状態を少しでも長く続けようとして、嘘を付き続けるのですが、もうここまで来ると限界です。不信感を抱いた人たちが調べてみると、患者を治療しているはずの医者が、実際には患者のことをまったく知らなかったり、あるいは患者を尾行してみたら、なんと、自殺したはずの母親が生きていることが分かったりします。こうなると、もう逃げ出すしかありません。あとは野となれ山となれでトンズラして、また他の街に行って同じようなことを始めるのです。こうやって他人の善意を食い物にしながら生きてゆくのです。
今まで書いてきたような、自分が病人を演ずるというパターンの他に、自分ではなくて赤ん坊などの他人を病人に仕立てることで、間接的に周囲の人の関心を集めようとする人がいます。これはまだ正式な診断基準にはなっていないのですが、「代理人による虚偽性障害」という、研究用の基準案が提示されています。ここでも、自分で病気を作り出すのと同じような手口が使われます。たとえば、赤ん坊の尿に砂糖を混ぜて糖尿病を装ったり、母親が自分の生理の血を混ぜて血尿に見せかけたり、大便を赤ん坊に注射したり、下剤を飲ませ続けたりするのです。そして、もし普通の母親であれば検査のための手術などは嫌がるものですが、こういう母親は手術する事には積極的です。しかし、この場合も、赤ん坊の症状が不自然なことから、やがて疑いの目で見られるようになります。さまざまな症状で苦しんでいる赤ん坊が、母親から離すと、どういうわけか回復するのです。そこで隠しカメラなどを設置しておくと、母親が赤ん坊に注射する場面が映っていたりするのです。これは幼児虐待でもあります。もし、医師などが母親の嘘を見抜けなかったような場合には、時には赤ん坊が母親の手で死に追いやられてしまうこともあります。こういう母親にとって、赤ん坊の存在とは、嘘をつくための道具にしか過ぎないのです。つまり、自分さえ良ければいいのです。
このような虚偽性障害の人には、境界性人格障害という診断の他にも、病的に嘘をつき続けるという点から、反社会性人格障害が併せて存在します。また、症状を演ずるという点から演技性人格障害も考えられますが、必ずしも派手な演技をするわけではなくて、引きこもりがちの、おとなしいようなタイプの人も多いようです。虚偽性障害の人たちの症状の経過については、バレるとすぐに他の病院に行ったりしますので、その実態もつかみにくいものになっています。おそらく、不必要な投薬や手術を繰り返して死んでゆくケースもあるのではないかと思われますが、こういうことに関しては、まだ数字的な資料はありません。
ここで注意しなければならないのは、身体表現性障害との区別です。虚偽性障害の人たちは、意図的に嘘をついて症状を演じたり症状をねつ造したりしているのですが、この一連のプロセスが無意識レベルで行なわれると、身体表現性障害などの症状となります。これは意図的にやっているわけではないので、自分で自分の症状をコントロールできませんし、なぜそういう症状が出るのかも分かりません。たとえば疼痛性障害というのがありますが、患者は痛みがあるふりをしているのではなくて、本当に激しい痛みを感じているのです。そして、そういう激痛に本当に苦しんでいるのですが、不思議なことに、どんなに強い鎮痛剤を投与しても、まったく効果がありません。なぜなら心理的に作り出された痛みだからです。そして、本人は、演技ではなくて本当に痛がっているのです。たとえば、夏樹静子という推理小説の作家がいますが、彼女が苦しんだ原因不明の腰痛も、治療を進めてゆくに従って、実は「もう書きたくない」という無意識的な願望が原因であることが明らかになりました。また、私が体験した慢性疲労症候群のような症状も、「私の分析体験」に書きましたように、心の底に埋もれていた感情が原因でした。このような無意識レベルの葛藤が症状を形成している場合は、疾病利得と言って、病気になることで、何らかの問題を回避できるという利得があるわけです。これを一次利得と言います。さらに、病気になることで周囲の人間関係を操作するようになると、これを二次利得と言います。二次利得になりますと、虚偽性障害のように、周囲の人から世話を焼いてもらいたいという願望などが出てくるのですが、このプロセスが無意識レベルで行なわれるため、本人は自分の意志では症状をどうすることも出来ません。また、周囲の人から心理的なことが原因だと言われたりすると、深く傷ついたりします。診断上は、患者が意識的にやっているわけではないので、身体表現性障害となり、虚偽性障害とは区別されなければなりません。しかし、このように意図的なものと無意識的なものとが、すべて明確に区別できるかというと、患者によっては、意識的な症状と無意識的な症状が連続したような状態の人もいるようです。
この文章を読んで、もし、みなさんが虚偽性障害に興味を持たれたましたら、面白い(?)症例をたくさん集めた本がありますので、読んでみてください。下の参考文献の所に書きました「病気志願者」と言う本です。私も、この本から、いつくかの話をここで使わせてもらいましたが、この本にはもっと凄い話が紹介されています。
消化器外科では、腹痛などの訴えから腹部のいろいろな部分を何回も手術します。整形外科では腰痛や下肢の痛みを訴えることなどから手術を繰り返します。美容外科では醜形恐怖などから、耳鼻科では副鼻腔炎などから、歯科では噛み合わせの不全などから手術を繰り返します。いずれも具体的な症状が乏しいままに、患者の訴える紛らわしい症状に惑わされて、不必要な手術が繰り返されます。本当は身体の病気ではなくて、患者の抱えている精神的な問題が原因となっています。
ミュンヒハウゼン症候群は、英語読みにするとマンチョウゼン症候群になります。この症候群の他の呼び方としては「病院嗜癖者」「病院放浪者」「さまよえるユダヤ人症候群」「職業的患者症候群」などがあります。
「カプラン臨床精神医学テキスト」 ハロルド・I・カプラン他 医学書院 1996.12.10 \15,000-
C.行動の外的動機(詐病のような、経済的利得、法的責任の回避、または身体的健康の向上)が欠如している。
300.19心理的および身体的徴候と症状を併せ持つもの:心理的および身体的徴候または症状がともに存在しているが、いずれも臨床像で優位ではない場合
このカテゴリーは、虚偽性障害の基準を満たさない虚偽性症状を持つ障害を含む。例えば、代理人による虚偽性障害、つまり病者の役割を間接的に演じるという目的で、そのことの世話を受けている別の人に身体的または心理的徴候または症状を意図的に作り出す、またはねつ造する。

[ 85] 虚偽性障害
[引用サイト]  http://homepage1.nifty.com/eggs/syuhen/kyogi.html



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