取材とは?

取材のときに起こったあんなこと、こんなこと……。記事にはできない!? アーティストのキャラもちょっぴり見えてくる、そんな取材の裏話を過去のものから最近のものまで一挙公開! 楽しんで読んでねー。
半年振りのチェッカーズ特集ということで、久々に都内のスタジオにメンバー7人とライター7人、カメラマン、スタイリスト、事務所スタッフ、編集者……総勢24名が集合した。ちなみにこの日、約二時間の間に注文したコーヒーの数はなんと70杯! (ヒエ〜)取材時間に前後しながら、眠そうなメンバーが散々後々やって来た。とにかくスタジオに入った順に、カメラの前に強制連行して、「何も考えないでいいからねー」などと、悪いおじさんが子供を騙すようなことを言いながら、個人カットを撮影。メンバーがハッと我に返るころには、熱いコーヒーを手渡して、「ハイ、インタビューの新しいパートナーです」と、ライターを紹介、早速インタビューが開始される……と、こんな、寝込みを襲うような取材が展開されるのだった。それでも、チェッカーズの取材現場はすっごく楽しい。
今月から、パーソナル・インタビューの担当者が変わりました。いわゆるライターの人事異動です。藤井弟のパートナーに“顔が似てる”森田恭子さんが決定し、この顔合わせがみんなのもっぱらの話題。兄のパートナー宇都宮美穂さんが、早速大声を出す。
「よろしくお願いします」深々と頭を下げて挨拶するマサハルくんの相手は佐野郷子さん。前のパートナーだった藤井弟も「マサハルをよろしく」ってボソッとひと言。いいなぁ。それと、クロベエについて発見、テレ屋です。ひとりのカットのとき、機材の都合で一時撮影がストップ。モジモジした彼は「できるまで、(カメラの前で)座ってなくていいっちゃね」と、スタッフのいる側に。うん、うん、いいっちゃ。いいっちゃ。
皆さん表紙なんですけど気に入っていただけましたか? やー、今回の表紙・巻頭特集の撮影でUNICORNさんの暴れたこと、暴れたこと、写真選ぶのに苦労したよ、まったく。「これは表紙用なんですから、普通の顔してください」と編集Yが声をからして叫んでも、次から次へと繰り出す、変な顔、顔、顔。「だーから、使えないから、ムダなんです」それでもあらゆる表情をしてみせるボーカルの人。しかもぜーーーーーんぶ変な顔。わかったっ、百面相が得意なのはわかった、デビュー3ヵ月後ぐらいから、それは知ってる。(思い出した、さすがに最初の4、5回の取材はマジメな顔だったぞ)そんなに遊ばんでもええやんけーーっっ。撮影のためにカメラマンの三浦憲治さんが持ってきてくれた蝶などとともに、木彫りのカメがあったんですよ。
いきなり、その首から先だけを“社会の窓”からのぞかせるボーカルの人と、キーボードの人。「オッ、コレはカメか、それとも」(←嬉々と)「オッ、その角度はかなりアブナイ(笑)」(好きなミュージシャン7位に選ばれている)『anan』読者に見せたいよ、その姿。かと思えば、28ページで皆さんにも御覧いただいたあの写真。テーマは“夏の子供たち”だったんです。だから、用意したんですけど、網や虫カゴ。撮影用に。UNICORNさんをよっっく御存知の読者の皆さまなら、アレが撮影用の演技などではないことは百も承知だと思いますが、そのとおりです。ただひたすらに、本気で遊んでたんですよ。フィルム11本、計110枚の写真中99%、誰かがどっかに虫取り網かぶってんですよ〜〜。(泣)「タマにはフツーにして」と嘆願する編集Yに、「フツーのシチュエーションじゃないのにフツーにできるか」とボーカルの人。そりゃそうかもしれないけどよ、そこまでやらんでもえーでしょうが、と思いつつ、大笑いさせてもらったんですがね。
スタイリストの原さんも笑い転げながら、「よくこれだけ長時間ノリが持続しますね」と半ばあきれたようにおっしゃいました。そしていよいよ最後のカット、ベースの人とボーカルの人のソロ撮影です。ヤヤ? ボーカルの人がいないぞ。ふとスタジオの隅を見るとイビキかいて寝ている彼が。「さっき暴れ過ぎて疲れたよ」……“元気なUNICORNにオモチャは持たせるな”──今回の撮影で得た教訓でした。
♪あなたが噛んだ〜小指が痛い♪ ってなわけで、大ちゃんの噛んだHIROの小耳は真っ赤に。ゴメンゴメンと大ちゃん。こんな無体な撮影をお願いしてスミマセンでした。でもいいんだなっ、accessは。私はスタッフも含む彼らの“やってみますか!”(または“これはやるしかないですね!!”)という姿勢が大好きです。今回の特集はシングル3部作の“純粋な感情”をもとにした“妖しさ”や純粋であるがゆえの“異常性”などの雰囲気を出したいと思って取り組んでみました。
でもシルバーのスカーフで首を締め合うシーンでHIROは舌出して目をむいてみんなを笑わせるし。せーのせっ、で首締めポーズをとるのですが、大ちゃんは笑いをこらえるのが大変そうでした。それにしてもHIROは現場のテンションを上げるのが本当にうまい。カメラマンの山内さんもその盛り上がりを外すことなくスピーディーに撮っていってくれます。ハード・スケジュールに慣れてるaccessとそのスタッフは実にうまく流れを作ってくれます。決してピリピリせず、ニコニコ雑談しつつ和やかな感じでいながら、“お願いします”のタイミングには準備も済んでてきちんと次のことへ入っていける、という感じ。ヘアメイクさんの横原さんやスタイリングのアシストをしてくれる中堤さんの手際のよさにうまく二人も乗っかってくれます。(関係ないですが、取材の空き時間、二人が出来たての単行本『SYNC-TRUTH』を熱心に読んでくれて、恥ずかしいやらうれしいやら。口笛魔のHIROが口笛も吹かずに読み入ってくれてびっくり)
別の日にも行われたインタビューはテレビの収録直後。その後はレコーディングというスケジュール。ヘロヘロで当然なはずなのに、笑いが何度も巻き起こる。ライターの三浦さんの手腕により短時間でもメリハリのついたインタビューが行われていきます。(関係ないですが、このとき食べた中華のデザートが大ちゃんは大好きみたいで幸せ〜って顔をして食べていた。大ちゃんはそういう感情表現が素直でいつも気持を和ませてくれます)
accessを担当してから二年になりますが、取材現場でも噂でも、accessの人たち「忙しくて休みがない。つらい。もうダメ」なんて言っているのを聞いたことがありません。なんでも面白がってやってくれるし、きっとこれはこういう意味で必要なんだ、という本人たちもスタッフも、みんなが理解してるんだろうなと思います。頭が下がります。“なんとかなると思って”は大ちゃんがよく言う言葉。ギリギリで自分でも知らないような力が出てくることを彼らはよく知っていて、そんな自分自身も楽しんでいるのかもしれません。目一杯やれることをやれるだけやる。今の状況に不平を言うより、楽しむ。当たり前のことだけどなかなか気付けないことをaccessは見せてくれます。(お世辞じゃなく。こんなにお世辞言ったら歯が抜ける)とりあえず私も、ブスッとするよりいろんなことにニヤニヤしよう。と心に誓ってみるのでした。
えー、西川くんのスタイリンングに関しては、肌の露出を希望するオーダーが圧倒的に多いらしいのです。何を隠そう、パチ・パチがまずリクエストしたのも“ナマ足”。スタイリストの田中さんがひざ小僧丸出しになるナイスなデザインのジーンズと、前から見るとプレーンだけど、後ろはパックリ背中が開いているという、妖しいシャツも探し出してきてくれました。それを着てみた西川くん、冒頭の発言となるわけです。そういえばなんででしょう? 脱ぎと部数は関係ないと思うんですけど……。
「ホント今日はハムスター顔だ。ハムスターが、鳩が豆鉄砲くらったような顔してるわ。アハハハハッ(自分大ウケ)」
「そんなこと言ったって、中にはおっさんが入っとんのやでぇ〜。マイホーム買ったばっかりでローンが大変だから、キツいけどテレタビーやめれないってこぼしとったわ」
違うわ違うわ、テレタビーズは“丘の向こうの遠い国”に住んでるのよ〜。乙女の夢を壊すのは禁止!! ミッキーだってディズニーランドで暮らしてるわけじゃないですか!
あれ、もっと凛々しいお姿を描写する予定が筆がすべってしまいました。ともあれ、歌と同じくらいに、歌う人自身が魅力的であるというのは、実際はめずらしいことです。その全人格をさらけ出す覚悟で回るという、今夏からの大ツアー。これは絶対、見たい。見つくしたい! 思うに、みんなが西川くんを脱がせたがるのは、もっと過激に、極限までいかせてみたいという、かなりTMR的欲求なんじゃないでしょうか。……次は限界まで着込んでみます?
ビバ! 午年! ビバ! リップスライム!! ってな気分でお送りしたリップスライム初の表紙&巻頭特集(もちろん馬も初表紙!)はいかがでしたか? カッコよさとコミカルさの両方を兼ね備えた彼らならではの企画だったと思うのですが、楽しんでもらえたでしょうか? 馬と共演してしっくりくるアーティストなんてなかなかいるもんじゃありません。撮影当日、スタジオ入りしたメンバーは、到着するなり「馬どこ?」と真っ先に本日の撮影相手の所に駆けよって「うぉ、でけー!」「カッコイー!」と口々に大喜び。というか、その場にいたスタッフも含めて、なんだかちょっとテンション高かったのが通常の撮影では見られない光景で面白かったです。出てくる会話も馬にちなんだギャグが多くて、SU「やっぱ馬並なのかなー」、PES「ウマ、合うかな?」なんて言葉が終始飛び交ってました。
今回お世話になった馬の名前はアルトマリー(♂)。最初はみんなちょっとビビリながらの接近でしたが(PESのみ全然平気)、撮影が進むにつれ和気あいあいのムードに。後半は息の合う場面まで見せちゃって、カメラマン今元さんの「じゃあ、カメラ目線で」のひと言に、5人と一匹そろって目線を送ってましたからね。しかもすっかり気が緩んだのか、大量のウ○コまでリリースしてくれちゃって。コレがまた臭いんだ! モワーッとスタジオ中に広がって撮影が一時中断になる始末。でもみんな「やったー! これぞ動物!」ってこの騒ぎを喜んでました。
なんかね、ライブやテレビで見るまんまの楽しい5人なんですよ。ホント、今回の取材はずーっと笑ってた気がします。撮影終了後、ライターの伊藤さんとご飯を食べながら、リップの5人の絶妙なバランスに、エラク感心していたのでした。
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[ 204] PATi PATi WEB - 取材裏話
[引用サイト]  http://www.musicnet.co.jp/patipati/20th/syuzai.html

日本新聞協会編集委員会が決めた「航空取材に関する方針」に基づき、報道の役割と責任を自覚しつつ、航空法の精神に従ってすべての取材・報道が安全かつ円滑に行われるよう、航空取材要領を定める。
取材および往復路の飛行に際しては、空中衝突事故を回避するため、見張り要員の搭乗を基本として見張りに万全を期すとともに、他機からの機体の視認性を高める措置を講じるよう努力する。
取材空域内においては、必ず航空機相互間通話用周波数(122.6メガヘルツ)を聴取するとともに、自機の位置及び行動等の情報を他機に提供する。
航空機の騒音によって取材対象の行事や作業ならびに一般の日常生活に支障を与えないよう、また地上の人または物件に危険を及ぼさないよう、必要な高度及び速度の維持に十分注意する。
同一対象を複数機で取材する場合、以下の原則に従って整然と飛行し、空中衝突の防止に万全を期す。
取材空域に進入するとき及び同空域から離脱するとき、また他機の後ろにつく場合や追い越し・経路変更などを行うときは、航空機相互間通話用周波数でその旨を通報する。
他機と一定の間隔を保つとともに、追い越しや経路変更などに際して、急激な操作を行わない。
空中に停止して特定の位置を独占したり、停止に近い速度で他機の取材を妨げたりするような行動をしない。
やむを得ずこれらの原則によらない場合及び速度の異なる航空機で取材する場合は、他機の経路・高度と交錯しないよう、取材群の一番外側を飛行する。また、これらの取材機にも取材の機会を与えるよう、各機は互譲の精神をもって行動する。
予定される行事などで多数の航空機が集まることが予想される場合は、取材方法または飛行のルールなどについて、必要に応じ関係者間で事前協議を行う。
航空取材に関する問題については日本新聞協会に申し出があれば同協会編集委員会で審議する。
航空取材要領について、その実効性を高め、理解を深めるためのガイドラインとして、以下の点に留意しつつ、広く報道航空関係者への周知徹底を図る。
見張り要員に対しては、パイロットの死角を補う方法など、効果的な見張りができるよう、研修・教育などに努める。
着陸灯を飛行中可能な限り点灯し、昼間においても正面からの視認性向上に努める。
空域内では、他機の死角に入って飛行し、かつ距離が近い場合は「相手社名、社名、機種、位置、意図」を通報する。対象機は応答する。
(例)「△△テレビさん、○○新聞365、現在左後方やや高め、これから左前方に行きます」
(注1)右記の例はいずれも、交信に際し定められた連絡設定を行うことを前提とする。
他機の状況および飛行に必要な情報を入手するため、管制機関等を有効に活用する。
騒音への配慮と安全確保のため、最低安全高度等に留意しつつ、必要な高度・速度の維持に努める。
複数機で取材する場合の原則でいう空中停止またはそれに近い速度とは、おおむね30ノット以下を目安とする。
自主取材・各社取材を原則とするが、飛行の安全確保と騒音防止等を考慮し、予定される行事等で多数の取材機の飛行が予想される場合は代表取材・共同取材等の方策を講じることもある。
本要領の実効性を高める上で地域間の情報交換や連携が重要であることを認識し、その具体化に努める。
本要領の趣旨について、運航担当者のみならず航空取材にかかわるすべての関係者に理解を得られるよう努める。

[ 205] 航空取材要領
[引用サイト]  http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/shuzai/0502kokuyoryo.htm

取材は2006年の春、宮崎さんのアトリエで始まりました。「ハウルの動く城」から2年、宮崎さんはアトリエで穏やかな日々を過ごしておられました。
10時過ぎに出勤され、アトリエの窓を開けて、一杯のコーヒーをいれ、道にベンチを出す。日中はロバート・ウェストールさんというイギリスの児童文学作家が書かれた小説を紹介する漫画を心静かに描いていました。時折、雑談を交えながら、僕は宮崎さんと1対1で向き合ったのでした。
宮崎さんのもとには、たくさんの取材依頼などが寄せられているようでした。しかし、そのほとんど全てを断っていました。それは「風の谷のナウシカ」以来、映画がヒットし、その規模が大きくなるほどに、宮崎駿監督個人に注目が集まるようになり、かえって宮崎さんには世間に出づらい状況が生まれていたからです。例えば、見知らぬ人に声をかけられたり、畑で車に追いかけられたり…。恥ずかしがり屋だという宮崎さんにとって、どれほど耐え難いことだったか。
「しばらくテレビにも出なかったから、また静かになった」と穏やかに話される宮崎さんと接しながら、僕はこの番組によって、またつらい目に合わせる取材をしているんだと、この仕事の意味を考えたりしました。
外界との接触を避けている宮崎さんはいわば「鎖国」状態にあり、僕はそこにやってきた「宣教師」というわけです。僕はできる限り、「取材」を忘れて、融け込むことを心がけました。ひとつのヒントとなったのは、記念碑的なノンフィクション「自動車絶望工場」です。著者が工場に潜入し、実際に体験したことをつづったもので、取材を始める際に、以前、雑誌記者をしていたスタジオジブリの鈴木敏夫さんから心構えとして教えていただいたものです。
アトリエの窓開け、そしてベンチの出し入れなどを手伝ったり、仕事を忘れて雑談にふけったり…。それは取材者としての距離の保ち方というものからはひょっとしたら逸脱していたのかもしれません。でも、この方法によってしか、世間的には「神格化」されつつあった素顔の宮崎さんに迫ることができないと考えたし、それが何よりも自分にとっても刺激的であり、楽しい日々だったのです。
僕は宮崎さんのことを聞くだけでなく、自分の内面も隠さず打ち明けるようになりました。ちょうど取材中に自らの「結婚」という一大事が重なったこともあり、宮崎さんに色んな相談にも乗っていただきました。例えば家探し。宮崎さんから「子育てするならば、どんなに狭くても土が見えるところがいい」と諭され、都心でアパートを探していた僕は本気で怒られ、「荒川君を見損なったからもう来なくていい」と言われたりもしました。(結局、土が見える家を探しました)
取材者と取材対象者の密接な距離。取材はいつしか、3か月を過ぎ、新作「崖の上のポニョ」のイメージボード作りも佳境を迎えていました。そんなある日、宮崎さんからこんなことを言われました。
次回作の準備を始める宮崎駿監督に取材を申し込むため、スタジオジブリの社長を務める鈴木敏夫さんと、宮崎さんのアトリエを訪ねたのは、去年4月初めのことでした。穏やかな陽気に包まれた春らしい日でした。2か月ぶりにお会いした宮崎さん。第一声はいつもの「ああ、どうも」でした。僕は正直、「覚えていてくださったんだ」と嬉しい気持ちになりました。
席につくなり、鈴木さんが切り出しました。「荒川君が宮さんの新作の準備作業を取材したいって言うんですよ」。カメラ嫌いで知られる宮崎さん、すぐさま「いやぁ…僕は」と笑ってお茶をにごす。何度お願いしても、宮崎さんは首を振ってはくれません。僕は頭を下げながら、「千と千尋の神隠し」で、千尋が湯婆婆に「ここで働かせてください」と言い続けるシーンを思い出していました。
やがて宮崎さんから、意味深な言葉が漏らされました。「仕事に来るつもりで来られたら困りますよ」。それを見逃さず、鈴木さんが「じゃあ、書生として置いたらどうですか?」。僕もすかさず「書生として置かせてください」。とにかく中に入れさせてもらえれば何とかなると思ったからこそ出た言葉でした。
宮崎さんから出された条件はひとつ。それは、取材者はひとりのみということ。複数の人間がアトリエに出入りすることを宮崎さんが嫌ったからです。かくして、取材は僕が小型ビデオカメラにて行うことになりました。通常、ロケはカメラマン・音声マン・ディレクターの3人1組で行われます。しかし、今回はカメラを自分でふるだけでなく、現場で迷ったとき、ともに悩み、考えてくれる心強い仲間がいないわけです。宮崎さんと相対し、何を撮るかも1人で決めていかねばなりません。しかも相手は巨匠・宮崎駿さん。どんなことになるか、想像もつきません。「ちゃんと番組になるのかな」。それが正直な思いでした。
しかも、鈴木さんの話では、いつ宮崎さんが機嫌を損ねて取材ができなくなるか、分からないとのこと。それは大きな恐怖として、僕につきまとうことになりました。
3月27日(火)放送の宮崎駿さんの回を担当したディレクター、荒川と申します。僕は去年4月から3か月半、宮崎さんのアトリエに通って、新作映画「崖の上のポニョ」の準備作業を取材しました。「イメージボード」と呼ばれる作品の鍵となるシーンやキャラクターなどを描く現場にカメラが入るのは今回が初めてのことです。なぜ、この取材が可能になったのか。そして、どのように行われたのか。今日から数回に分けてご紹介していきたいと思います。
すべては1つの出会いから始まりました。それは去年初めに「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取材したスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー。ジブリは当時、宮崎吾朗監督「ゲド戦記」の制作真っ最中。宮崎駿さんの姿は見えなかったのですが、番組としては鈴木プロデューサーと宮崎駿監督のツーショットのシーンをぜひとも撮りたい…。僕は正直に鈴木さんに打ち明けました。すると鈴木さん、連日の密着取材に飽きていたところに渡りに舟!とばかりに「いいよ」とのこと。
早速、鈴木さんと一緒に宮崎さんのアトリエを訪ねることになりました。思えば、子どものころに「天空の城ラピュタ」を見て以来、宮崎さんははるか彼方の雲の上の存在でした。そんな宮崎さんに会える…。僕は極度に緊張していました。初めてお会いした宮崎さん、その第一声は「あぁ、どうも」でした。その印象は話好きなおじさんでした。1つ質問すれば、その20倍の量と密度で答えが返ってきます。
例えば「鈴木さんはどんな存在ですか?」と問えば、第一印象から始まり、この30年間の歩み、そして鈴木さんの生い立ち(メンコが強かったらしいとか)まで、怒どうのように話が続きます。もはや、インタビューとしてではなく、話をすること自体が楽しくなり、僕は毎日のようにアトリエに通うようになりました。そのうち宮崎さんからこんな話を聞かされました。
そのとき僕は、宮崎さんが次回作の構想を練っていること、そして、舞台が海であることを知りました。その後、鈴木さんとの話し合いのなかで、宮崎さんの次回作の準備作業を取材するという話が浮上してきました。
当時、宮崎さんは65歳。まだまだ健在とはいえ、次回作が「引退作」になる可能性も少なからずありました。ありのままを取材して、宮崎さんの映画作りの現場を記録する。その覚悟をもって、鈴木さんの番組の編集作業が終わった去年4月、宮崎さん本人から取材許可をいただくために、初めて訪ねたときと同じように、アトリエに向かったのでした。
「壁は乗り越えることで成長する」とは分かっているんですが、そうは言ってもつらい。そんな時、南場さんに勇気づけられた明確な言葉がありました。
今年初め、南場さんの会社に撮影に入った直後、全社をあげて提案を募集する新規事業制度が始まりました。本来は役員たちが企画書だけで審査するところを、南場さんは事前にひとりひとりから直接話を聞きたいと、忙しい時間を縫っては次々と社員の方にお話を聞いていきます。30分から1時間以上、17の提案ほぼすべてにそれぐらいの時間をかけるわけです。しかも、内容も技術的なものから専門的なサービスまで多岐にわたるうえ、それぞれが実に難解。横で聞いているだけで、軽く気が遠くなりました。
その中で、南場さんが特に強い反応をみせたのが、VTRで取り上げた坂東さんでした。確かに分かりやすく、どんな質問がきてもすぐに答えを準備しているという周到さです。ただ、南場さんがどことなくうれしそうにしていることに、何か理由があるような気がしました。聞くと、「これはリベンジなんです。坂ちゃんは2年前に事業を失敗しちゃって、それを取り返そうとしてるんですよ」とのこと。
「仕事は、自分ができることをすべてやりきり、それが成功して正しかったと証明された時、初めて自信となって返ってくる。その次の一歩は、たとえ小さなものでも、力強い確かな一歩になるんです。坂ちゃんには、あと成功が必要なだけ」。
苦労(壁)だけではダメ、失敗だけではダメ、成功だけではダメ、その全部がそろった時に初めて、成長できる。必ず成功しなくてはいけないというのが、いかにも経営者らしい。深いです。
非常にアクティブで元気な南場さん、その裏にはとても冷静に状況を判断・分析する経営者としての顔がありました。でもやっぱり、南場さんの軸となるのは、社員のことを思う、温かい気持ちだと思うのです。南場さんが前のめりなのは、地にしっかり足がついているからだと。
結果がすべてではないと言いますが、仕事に対して、とてもすがすがしい気持ちで頑張りたいと思うことができた、一言でした。
そもそも大野さんは、幼いころ、ベートーベンの交響曲「英雄」を聞き、「崇高さ」を感じ取ってしまったらしい。小学校のころのヒーローはベートーベン。
音楽家の家に生まれた訳ではない。しかし大野さんは、小さなころに自分の目指すべき道を見いだした。そしてピアノを習い、指揮を学び、東京芸大に進み、ドイツへ留学し、国際コンクールで優勝、そしてヨーロッパで指揮者として活躍し続ける。
その陰には人知れず血のにじむ努力があるはずである。気の遠くなるような膨大な時間を音楽のためだけに費やし、そしてこれからも費やしていくのだろう。
お久しぶりです、デスクの細田です。番組は作っておりましたが、このスタッフノート、とんとご無沙汰してしまっていました。
ここ最近では、昨年12月のりんご農家・木村さん、そして昨日の浦沢さんをデスクとして担当しました。木村さんの場合は、1年以上前から、私自身が木村さんの人柄にノックアウトされ、「どうしても木村さんを番組でやりたい」という情熱を燃やし続けていましたから、その放送には並々ならぬ思いがありました。そして、浦沢さんの場合は、とにかく熱烈な浦沢ファンでもあるプロデューサーに「お前は、浦沢さんの漫画を読まずにいろ。俺が入り込みすぎてる分、お前は、全く知らない第三者の観点でやってくれ」と言われて、木村さんの番組とは全く違うスタンスでのぞみました。番組が始まって1年。毎回、違った気持ちで向かい、毎回、自分の番組制作能力の至らなさに落ち込んだり、「ちょっとは進歩したかな」とほくそ笑んだり…
なあんて、なんかしんみり振り返ってしまいましたが、実は、この度、私、産休に入ります。来月の出産です。このスタッフノートを読んでいただいてる方ならおわかりかもしれませんが、3人目の出産となります。8月放送の夏スペシャルのディレクターとして番組制作中に、身ごもりました。もう40歳にもなろうという今、既に2人の子供も授かっている中で、また、デスクとしてがむしゃらに番組を支えていかねばならない立場で、まさか妊娠するとは考えてもいない出来事でした。しかし、「人生何がおこるかわからない」―
人生設計とか計算とか、自分なりに「自分の人生はこんな感じ」と思っていた像など、吹っ飛んでしまうものなんですね。何の意志なのか、何の啓示なのか、自分というちっぽけな存在を超えた何か自然の大きな流れを感じます。
とはいえ、今年秋には復帰しますので…。この番組が、視聴者の皆さんに支持され、続いていたら、またデスクとして。その間、皆様、何とぞ「プロフェッショナル」をよろしくお願いします。復帰した時、「番組がなくなってる!」なんて寂しすぎます。もちろん、我がプロフェッショナルチームの面々にも、更なる鍛錬を積み、魅力ある番組を制作するよう、お茶の間の肝っ玉母さんデスクとして突っ込みを入れ続け、支え続けますので。
今後、このHPも更にパワーアップしていく予定です。今年が、視聴者の皆様にとっても、「プロフェッショナル」にとっても、大きな飛躍の年になりますように…
東海大学の陸上競技場。選手たちがウォーミングアップをしている間に、高野さんは突然スタートダッシュの練習をし始めました。その姿を見つめながら、僕の頭の中では、“いったい、この人はいくつの顔をもっているんだ”という疑問が、ぐるんぐるんと回っていました。
申し遅れました。11月16日放送・陸上コーチの高野進さんを取材しました、イシダと申します。8月にNHK福岡局から転勤して参りまして、班内で最も若手となります。と言っても三十路目前です。
さて、撮影に入ってとりわけ驚いたのは、高野さんの活躍の場があまりに多岐にわたることでした。中学生たちと富士山を猛烈な勢いで駆け下りたと思えば(本当です)、翌日はびしっとスーツに身を包み、学会で発表。日本を代表する選手に厳しく指導をしながら、スポーツジムで一般の方々へ細やかに走り方を教授。その時々でがらりと変わる高野さんの表情に、正直、番組としてどうまとめるのか、悩みました。それ以前に、生まれてこのかた、ほとんど触れる機会のなかった陸上の世界。しかも日本最高峰。今自分が50mを何秒で走れるかすら知らない僕が果たしてどこまで迫れるのか、そんな弱気にかられていた、ある日のことです。
9月3日。国立競技場で、東京マスターズ選手権が開かれました。30歳から90歳以上のアスリートたちが集まる大会です。高野さんは、そこに、14年ぶりの公式試合として、45歳以上の100mに出場することになっていました。朝、ホテルを出るときから、アップ、そしてスタートラインに着く・・ここにいることが嬉しくてたまらない、その気持ちが押さえきれない様子がありありと分かりました。
残念ながら、大会の様子は番組内で使うことができませんでしたが、この瞬間、高野さんの流儀『選手に乗り移る』が、僕の中で血が通ったんだと思っています。自分が走ることを大切にし、それを使命と考えるからこそ、あれほど生き生きと、たくさんの人に通じ合っていけるのだと。
短い番組の中で描けなかったことはたくさんあろうかとは思いますが、ディレクターとして、確かな一歩となる、大切なことを教えて頂きました。僕も、自分の中でチラチラと燃えている使命感を、逃れられないくらい大きなものにできたらと思います。高野さん、東海大陸上部の皆さん、広報・荻野さんをはじめスタッフや教室の皆さん、本当に、ありがとうございました。あと、番組のサブタイトル、「ゴールにいるのは、新しい自分」は、ほぼ自分自身を励ますために考えました!すみません!
「キララ」が急激にやせ始めたのは、9月末のことでした。岐阜に出張していた勝俣さんも急遽、鴨川に戻り、緊急処置が始まりました。何しろカマイルカの子どもは国内では13カ月以上生きたことがありません。現場には沈鬱な空気が流れていました。そこへ勝俣さんが魚を丸ごと与える「さし餌」を提案。思い切った決断で、突破口を開いたのでした。
あれから2カ月。当初、飼育係が総動員で「キララ」を捕獲し、強制的に口を開けて、魚を押し込んでいたのですが、今では「キララ」から飼育係のもとに近寄ってきて、口を開けるようになったということです。まだ、自力で魚を食べるまでには至ってないようですが、体重は毎日100gずつ増えて、今では28kgになったそうです(9月末は約20kg)。勝俣さん曰く、「半歩半歩、しっかり歩んでいますよ」とのことでした。
正直に打ち明けさせていただきますと、取材中、「キララ」がここまで回復するとは想像していませんでした。それほど「キララ」は危ない状況にありました。それが、自ら飼育係のもとに寄ってきて、餌を食べるようになるとは…。早朝から深夜まで「キララ」の様子を見守りつづけた飼育係の皆さんの真摯な姿勢には本当に心を打たれました。そして、勝俣さんの決断力、行動力。追い込まれたときこそ、思い切って前に打って出る勇気。それに応えた「キララ」の生命力。一生懸命な現場が、そこにはありました。
初めての海外取材で、タジキスタンというそれまでまったく知らなかった国に行ってきました。番組のモットー「倒れる時は前のめり」を胸に、気合い十分! しかしかの地には、いささか変わったルールがあり困惑すること数知れず。その一つをご紹介いたしましょう。
それは、杢尾さんの取材の合間に、タジキスタンの景色を撮りに郊外に行った帰り道。次の撮影時間が迫り、スタッフ一同に少し焦りの色が見え始めた時に起きました。運転手が突然、「これから洗車をしに行きます」と言い出しました。いやいやご冗談を、撮影に間に合わなくなってしまいますよ、と笑いながら返した私。しかし彼の顔は笑っていません。「汚れた車で町なかに入ると罰金を科せられます。これは法律なんです。」とおっしゃる運転手さん。でも、町の中には汚い車はたくさんあるではないか、と食い下がる私。そう、町の中には30年はゆうに使っていそうな車がたくさん走っているではないですか。しかし運転手、「あれはただ古いだけ。汚れた車は罰金です。」と厳格にルールを主張します。
「しかたないなぁ」という顔をした運転手が向かったのは、すぐ近くにあったレストランの駐車場でした。そこの入り口にたむろしていた子どもに声をかける運転手。すると、バケツとぞうきんがどこからともなく出てきました。子どもたちは、駐車場の番をしながら、洗車を請け負うことでチップを稼いでいました。ムムム、へんてこな法律とそれによって稼ぐ子どもたち。「車をきれいにするより、他にやることがあるんじゃないか?」と運転手に問いかけたものの、昔からそういうものだとのお答え。彼らの「常識」の前に、我らクルーの主張は、虫けらのごとく隅に追いやられてしまいます。
たまたま杢尾さんの側のスケジュールがずれ、次の取材には間に合い、事なきを得ましたが、ことほどさように、こうした、現地の人にとっての「常識」と日々格闘するということは、簡単なことではありません。
後日、この話を杢尾さんに話したところ、「地元の人が当たり前だと思っていることを変えるのが一番難しいのよねぇ。」とのお答え。杢尾さんの仕事の難しさが肌感覚として少し分かるような気がしたスタッフ一同でした。
杢尾さんのタジキスタンでの仕事は、すでに6年目を迎えています。これは、国際機関ユニセフの職員としては、異例のこと。通常、タジキスタンのように生活するのが困難な地域での勤務は、3年と決まっています。そこを杢尾さんは、自らのたっての希望で延長し続けています。
理由を尋ねると、「中途半端なまま離れられないでしょう。」ときっぱり。組織の「常識」に流されない、強い信念と責任感を感じました。
いつも私服で、出勤は昼過ぎ、誰と話すときも常にマイペース。人に何を言われてもあまり気にせず、我が道を行く。「自分に素直に、「素」のまま生きていてうらやましい」私が横井昭裕さんに会うたびに感じていたことです。取材者というよりは、一人の人間として「うらやましい」と感じました。私自身、自分に素直に生きることはとても難しいと思っているからです。
なぜ、自分に素直に生きるのが難しいのか。それは「結果」が出なかったときが怖いからです。周囲に合わせずマイペースに動く人は、結果が出なければ、たちまちやり玉にあげられます。取材に入って2週間たった日の夕方、聞いてみました。
「企画マンに求められるのは、良い企画を一つでも多く出すこと。その「結果」さえ出して いれば、誰からも文句は言われない」
確かに、ネクタイや就業時間帯は、いい企画を出すという「結果」には関係ないのですが、分かっていても、普通の人はそう簡単に割り切れない。首をひねる私に、さらに横井さんは続けました。
確かに横井さんは企画マンとして結果を出し続けていました。定例の企画会議では自ら新たなアイディアをしぼり出し、部下の何気ない一言を拾い、新企画に仕立てあげる。経営者でありながら、会社のエース企画マンでした。
横井さんも大手玩具メーカーの社員時代は、「企画の1000本ノック」といって、自らにノルマを課し、企画をたてる訓練をしていたそうです。最初の頃は、つまらないと破り捨てられるものがほとんど。独立してからも会社を軌道に乗せようと、クライアントにはねられても、常に新しい企画を探していた・・・そうして蓄えた力がヒットの連発につながっていると横井さんは考えているようでした。これまでの人生で、企画に命をささげたと言えるほど努力をしてきた・・・その絶対的な達成感が、自信をもたらしているのだと感じました。
一つ一つ、経験を積み重ねていけば、いつか自分に自信を持てるようになる・・・仕事を忘れて話す中で、横井さんが私にかけてくれた言葉です。
9月14日放送の脳神経外科医・上山博康さんの回を担当した、ディレクターの“おとふけ”と申します。
編集のために東京入りしてはや40日。当初は渋谷のスクランブル交差点に魂を抜かれ気味でしたが、徐々に大都会になじんできました。今や、肩で風を切りながらセンター街をかっ歩しています。
診察室が明るい!悩みの相談にきた患者さんもいつのまにか笑顔になっていました。その原因は上山さんの“おしゃべり”。診察中、上山さんの口からは世間話がとめどなく飛び出します。「しゅうとめとうまくいってる?」、「孫は何人いるの?」、「子供は家の仕事を手伝ってくれる?」、「熟年離婚されないための対応策は・・・」、「細木数子の番組がドウノコウノ・・・」。さらにこの間、上山さんのダジャレ&ジョークが散発的に織り交ぜられます。
上山さんは、患者さんと打ち解けることで、その人の『素』を見出しているようでした。実際、患者さんの性格・悩み・境遇・家庭環境などをよく把握していらっしゃいました。
外来はとにかく食材が豊富なんです。目についただけでも、トマト・きゅうり・生卵・エビなどを発見しました。術後の患者さんが持ってきてくれるらしいです。「無農薬だから」って。尋常でない量の食材が、机の上にざっくばらんに置かれていました。上山さんによれば、「自分は、こんなに(野菜が作れるまでに)元気になったんだ」というメッセージだそうです。私もおすそ分けいただき、“産みたて生卵”を食べました(外来にしょうゆがなかったのでソースでしたが)。・・・めちゃくちゃおいしかったです。
診察室の扉には『ただいま5時間待ち』のプレートがかかっています。なぜ、そんなに待ち時間が長いかと言うと、一人あたりの診察に20分〜1時間もかけているんです。(※取材した患者さんの中には「2時間」という方もいました)。診察がすべて終わるのは夜10時を超えることも珍しくありません。しかし、待っている患者さんたちも、スタッフの看護師さんたちも、皆さん“慣れっこ”という感じでした。一方の上山さんは、「患者さんに納得してもらうには時間がかかるから」とだけおっしゃっていました。
一日の睡眠は4時間、土日は出張手術。その生活は限りなく不眠不休に近いものがあります。さすがに、「体がきしむ」と漏らしていることもありました。しかし、上山さんはどんな場合においても、『患者さんの利益』になることを最優先します。診察に限らず、そういうシーンは何度もかいま見みました。
ただ、信念を通そうという時には必ず障壁も現れます。「自身の疲労」だけでなく、時には、「制度の壁」・「周囲の批判」・「組織の圧力」もあります。ですが、上山さんは一切妥協しません。その論理はいたって明快です。<『患者さんの利益』になることの方が絶対に正しい。だって、患者さんは人生がかかっているんだもん。>
『“いい番組”を作ることに殉ずる』。口では簡単に言えるのですが・・・・。理想はわかっていても、現実の自分は「言い訳」や「逃げ口上」のオンパレードです。
ただ、今回の番組は自分にとってもよい勉強になりました。先輩ディレクターたちのオーラに萎縮(いしゅく)しつつも、目まぐるしい忙しさに容量オーバーしつつも、スネをかじってばかりで何にもしていない自分にふがいなさを感じつつも、「もっと頑張りたい」という気持ちを強く実感することができました。番組作りをいっそう好きになることができたと思います。
脳科学で読み解く“逆境克服法”。しかし、「これをやれば、壁を乗り越えられます!」なんて簡単な話ではないわけです。逆境は、二重三重の原因が複雑に絡み合い、乗り越え方もクリッとしてないことばかりです。しかし、この番組で、壁にぶつかり、もがき苦しんでいる自分の状況を、少し俯瞰(ふかん)して見られれば、と思います。番組中、茂木さんもおっしゃっていましたが、自分を少し離れて見ることで、壁を乗り越えるスタートラインに立てるということですね。少しでも、悩んでいる皆さんの何かの足しになれば、制作者としてこんな幸せはありません。
前のスタッフノートでも書きましたが、この番組を制作した私自身が、長くて厚くてつかみどころのない壁の前で悶々として数年。実は、この私自身が壁を乗り越えたいというモチベーションで番組を作り始めたわけですが、さて、番組を作り終えて、壁は乗り越えられたのか…
ただ、ちょっとだけ強くなっているのではないかなと思います。壁にぶつかっている自分を情けないと思いがちだったのが、「壁にぶつかって、いいんだ、悩んで悩んで悩むのは、それでいいんだ」と、自分の頭を少しなでてあげようと思いました。きっと、生きていく以上、日々、壁の連続で、逆に、壁を感じなければ、成長もないんですよね。茂木さんもおっしゃってました。逆境に直面した時こそ、脳は活発に働くって。壁にぶつかる経験が多いほど、年取らない!?アンチエイジング!?そう思うと、少し楽になりませんか?
これから自分自身が実践しようと思った逆境克服法があります。それは、苦しくなったら、「その場から逃げる」です。「逃げる」って、脳科学用語でいうところの「メタ認知」と言って、自分自身を客観的に見るということにつながるんですって。そうかあ、私は、逃げずに、向き合おう向き合おうとし過ぎてたかも。もう少し、さぼってみるか?…と言うと、どこかの上司が「お前は充分さぼっている」とまたまゆをひそめそうなので、まあ、適当に…
番組の制作が一段落した週末、久しぶりに家族と過ごしました。梅雨明けの真夏の太陽、子供をプールに連れて行く車の中。夫がおもむろに、「新しいCD買ってきたんだ」と言って、流れてきたのが、発売されたばかりの「Progress」でした。もうすぐ3歳の娘が「あ、お母さんのお仕事!」と目を見張り、7歳になったばかりの息子が、もうすっかり覚えているといわんばかりに、歌詞の出だしから歌い出し、家族全員での大合唱となりました。「ああ、Progressを、車の中で家族と聞けるなんて…」感慨深いひとときでした。
そして、スガ シカオさんにロケでインタビューした時のこと、スタジオ収録でのトーク、まるで夢の中の出来事のように思い出されました。ほんの少し、ここでご紹介したいと思います。
番組で紹介した通り、会社を辞めて、プロを目指そうと志した、30歳目前のころのスガさんは、「根拠のない自信」にみなぎって、突き進みました。しかし、デビュー後、曲作りをする上での“心構え”としたのは、「根拠のない自信」とは全く逆のタイプの言葉だったのです。
サラリーマン時代のスガさんは、企画会社でやり手企画マンとして、相当仕事のできる方だったそうです。しかし、ある夜、企画の書き直しが深夜まで及んだ時、女性の上司にこう言われました。「スガくん、自分の企画やアイデアをかわいがりすぎではダメよ」その言葉は、スガさんにとって、大変ショックだったそうです。クリエイティブな仕事をする人たちは、「俺が一番」「どうだ、俺の作品だあ」って思ってやってるものだと思っていたからです。自分の作った作品にこだわりすぎると、新しいものは生み出せない。次、次、と振り切って行かなければいけない。そして何よりも、自分は無能だと思って頑張るしか、次々とモノを生み出し続けることはできない…今も、曲作りをする上で、常に自分自身に向かって「お前は無能だ、お前ぐらいの才能はどこにでもいる」と思うそうです。「根拠のない自信」と「無能な自分」。一見相矛盾する言葉が、一人の人間の中に共存していることこそが、壁を乗り越え、プロフェッショナルとしての道を歩み続ける秘けつなのだと思いました。そして、ふと思うのです。それは、きっと、誰もが持ってる。だから、皆、なんとかこの世の中を生き抜いていけてるのではないか。誰もが、それぞれの人生のプロフェッショナル…きっと、そうなんだと思います。そう、自分を励ましちゃいましょうよ。
8月10日放送の夏スペシャル「ひるまず 壁に立ち向かえ〜プロフェッショナルの逆境克服法〜」を担当した、“ほそだ”です。このスタッフノートの一番初めに書き込みしてる者です。ふだんはデスクという仕事をしていますが、今回、担当ディレクターをやりました。久しぶりのディレクター…久しぶりということで、なまっていた筋肉をほぐすことから始まって、まさに番組のテーマそのもの「壁」との格闘の日々でありました。
今、壁にぶつかっているあなたへ…という言葉から始まる番組。プロフェッショナルたちが壁を乗り越えたストーリーを、キャスターの茂木さんが最新の脳科学の見地から読み解くという番組。しかし!実は、何を隠そう、30代に入って、家庭を持ち、子供を持ち、仕事をし、というなかで、ずっと長くて厚くてつかみどころのない「壁」の前で悩み続けている自分自身に向けた番組です。入局して17年経っても、ディレクターとしてほとんど成長していない自分…母親として妻として全然やれてない自分…自分の至らなさに、毎日のようにへこんでいるけれども、そんな私も、この番組を作ることで、壁を乗り越えたい!そういうモチベーションで制作しました。
今回、何故、テーマを逆境にしたのか…キャスターの茂木さんとのブレーンストーミングがきっかけでした。今、脳科学の最先端でどんなことが注目されているのか、とお聞きすると、すぐに、「逆境を乗り越えるのに、脳の感情のシステムが重要な働きをする」という話が出てきて、スタッフ一同、身を乗り出したわけです。これまで、番組でやってきたVTR(2)(真ん中のVで、過去の転機などを紹介するVTR)は、すごく大きな意味があったんだ!と皆、ひざを打ったわけです。今回、茂木さんがいつも以上に前面に出てきて、茂木“脳”トークをさく裂しています。「へー」「なるほど」と思う内容になってます。明日を乞うご期待!
と言いながら、さて、壁に悩む自分自身に向けて作り始めたこの番組、作ってみて、その壁を乗り越えることができたのか…それは、明日の放送後のこのページで…
「カーデザイナー」の番組を担当したディレクターのスナフキンです。遅ればせながら、奥山清行さんを取材していて感じたことを書いてみました。
最初の印象は「スーパーマン」。4か国語を話し、世界トップレベルのカーデザインスタジオで、各国から集まったエリートデザイナーたちをビシビシと仕切る。番組でも再三にわたり紹介したシーンです。そして、そんな激務の中でもわたしたちのインタビューに笑顔で答えます。失敗談など、普通の人なら言いたがらないことも話してくれました。
しかし、私はあせっていました。完ぺきすぎて、自分とは違う世界に住む遠い人のような印象を持ってしまったからです。視聴者の方にも同じような印象を持たれてしまえば、番組として完全に失敗作です。「なるべく早く近付きたい・・・」しかし、他のプロジェクトも忙しく、ゆっくり話ができません。たまの休日もなかなか取材に付き合ってもらえず、もんもんとした日々が続きました。
イタリアに渡って3週目の週末、「1時間でいいなら・・・」という条件付きで撮影におつきあいいただけることになりました。
驚きました。歩くスピードは会社にいるときの半分。目じりは少し下がっているように見えました。彼の周りをやわらかな空気が包んでいるような・・・会社とはまるで雰囲気の違う奥山さんがそこにいました。その時初めて、「虚勢を張りまくって生きている」という、奥山さんの言葉が、自分の中にすーっと入ってくるのが分かりました。虚勢を張り、苦悩しながら戦っている彼の姿は、「スーパーマン」より、何百倍も魅力的に思えました。
自分の住む世界とは違う人を見るとき、誰でも、ちょっとひいて見てしまいます。その人が社会的に認められている方であればなおさらです。でも、それは、構えているこちら側の問題なのかもしれません。素直に向き合えば、素朴で人間的な側面は自然と見えてくるのだなと思いました。
その後、私は、奥山さんにすっかり心酔してしまいました。海外生活25年。でも日本人の「根っこ」をしっかりともっていらっしゃる素敵な方です。
5月18日放送のライティングデザイナー・内原智史さんの回を担当しました、ディレクターのユーリと申します。
今回は、内原さんのお人柄についてのお話を少々。1か月以上に及ぶ取材を通して、最も内原さんらしいと感じた出来事は、ロケの最終日、番組の後半に登場する、島根県の玉造温泉でのことです。内原さんとの撮影を終え、番組制作スタッフだけで夜の景色を撮影するために外に残っていました。
カメラマンはカメラを、音声マンは音声機材を、ディレクターは三脚を持っているので、撮影スタッフ3人は、通常、撮影中は傘を差しません。
なんだろう? 何か言い足りなかったことがあったのかな、と激しくなる雨のなかで撮影を続けていると、内原さんがやってきた。自ら傘を差し、さらに、手には撮影スタッフのための傘が3本。
なんと優しい人なんだろう。撮影スタッフなんかのために、わざわざ旅館に戻り、雨の中、傘を届けに来てくれる。実は正直に言うと、やっぱり、撮影機材を持ちながら傘を3本も持つのは・・・ちょっと邪魔だったんですが・・・。でも、内原さんはそんな人です。気配りの人。思いやりの人。
密着取材でカメラを向けられるのは、ある意味、ストレスを感じることだろうと思います。日常の生活にはないカメラという異物と、赤の他人が3人ほど常に付きまとうわけですから。しかも、一か月以上に及ぶロケで、その最終日。さんざんご無理をお願いし、ご迷惑をおかけしてきた、その撮影スタッフからようやく開放されたと思われるのに、内原さんはそんなときでも、われわれのことを気にかけてくれていた。ささいなことですが、私はいたく感動しました。
取材相手の一流のプロが、一瞬見せる、何気ないしぐさや人間味あふれる行動。本当はそれこそを番組の中でとらえたいのですが、残念ながら、今回の「傘事件」は、撮影していませんでした・・・。でも、内原さんのライティングそのものにも、その思いやりは表れていると思います。使う人の立場に立った優しいまなざしと、決して押しつけがましくない、浴びて心地良いあかり。そんな内原さんの「思いやりの光」を少しでも番組から感じていただければ幸いです。
4月27日放送のベンチャー企業経営者、秋山咲恵さんの回を担当したディレクターの堤田と申します。この原稿を書いているのは、放送の2日前。実は番組はまだ完成していませんが、裏話をご紹介します。
「成長途上にある会社のありのままの姿を見てもらいたい。だから、カメラの前で隠し事は一切しません。まな板の鯉(こい)の心境で挑みます」。撮影前の打ち合わせの席、秋山さんはこうおっしゃいました。企業モノの取材では、とってもありがたいお言葉。こちらも気合いが入りました。
実際、秋山さんはカメラが回っていようといまいと全力疾走。取引先との駆け引きに苦しむ営業マンに秘策を授けたり、クレームの対応が遅れた技術者に雷を落としたり。経営者として、撮影されたくない現場も多々あったかと思いますが、撮影を拒むことは全くありませんでした。
そんな秋山さんの姿勢が、社員の皆さんにも伝わったのでしょう。次第にカメラを意識しなくなり、ロケも終盤になると、社員同士の激しいけんかも堂々と撮影させていただきました。
その中でクローズアップしたのが、西田謙治さん。撮影中、たまたま大きな仕事に失敗し、仲間から責められるなど厳しい状況に置かれました。それでも、カメラの前で苦しい胸の内を語って下さいました。ある日の撮影終了後、居酒屋で西田さんはこう言いました。「正直言うと、カメラから逃げたい気持ちもあるんです。でも、良い番組ができるのなら、ご協力したいと思っています」。西田さんの男気が、番組のラストシーン、秋山さんと西田さんの「対決」へと結実しました。
撮影を続ける中、秋山さんが何気なく語った言葉が、強く印象に残っています。「テレビを通して毎日たくさんの情報に触れることができますが、私は自分の目と耳で現場を確かめたい。ベンチャー企業の経営は、常にリアリティとの戦いです」。この信念が、取材を受ける上での姿勢となって現れたのでしょう。
テレビがどこまでリアリティを伝えられるか。秋山さんの言葉を胸に、今後も「プロフェッショナル 仕事の流儀」の制作に取り組んで参りますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
実は、ここまで到達するまでが本当に長かった、というのが正直な気持ちです。なにしろ、初めて佐藤さんにお会いしてから放送日まで約半年近くたっています。通常の倍、と思っていただいてかまわないと思います。
今回の番組は、局内的にもかなり踏み込んだ挑戦的な作りになっています。通常、企業モノといえば、プロジェクトXのような過去の商品やエピソードを取り上げることが多く、現在進行形の(しかも、新商品)開発プロジェクトとなれば、ほぼ「ご法度」といえます。もちろん企業側も開発中の機密情報がたくさんある現場にカメラが入ることに、慎重である場合がほとんどです。
カメラマンである私自身、今回のような取材は過去に経験もなく、取材当初は不安が募るばかりでした。いかに商品そのものに触れずに番組主題を明確にできるのか。企業宣伝にならずに、人間佐藤章にどれだけ迫れるのか。考えれば考えるほど、針の穴を通すほど難しい課題だと思われたからです。
しかし、その不安は、佐藤さんとお会いし、程なく全くの杞憂(きゆう)だと気づかされました。本物に出会ったという感動がありました。何度か訪れた危機的状況にも、自信を持って「この人なら絶対大丈夫」とプロデューサーに(根拠もなく)言えました。それはカメラマン独特の習性かもしれませんが、理由なく撮影していて「心地よい」と感じるときがあります。取材対象と妙に気が合う、タイミングが合う、こちらの動きを察知しているかと勘ぐってしまうほど、絶妙な間でしぐさや表情が撮れていく。不思議な感覚があったからです。
そこには、佐藤さんの恐ろしいほどの自信(本当は非常に繊細で不安だらけなのかもしれませんが)があるからなのだと思います。本音で生きる、丸裸で勝負する。そんな哲学が彼を支えているようでした。企業戦士と揶揄(やゆ)されがちなサラリーマンでありながら、人間佐藤章であろうとする姿勢からは、企業と個人とを分け隔てて考える事の無意味さを教えられた気がします。「企業内の人間を取り上げることが宣伝」であるかないか、そんなことは本気で社会に立ち向かっている人の前では、些末(さまつ)な問いかもしれません。
さまざまな壁を乗り越え、放送に至るまでに多くの時間を要しましたが、プロデューサーはじめスタッフ全員、放送できるという揺るぎない確信がありました。それはきっと佐藤さんの自信が伝染したものなのかもしれません。こちらは根拠のない自信ですが・・・。掟(おきて)破りのプロフェッショナルチームならではの番組になったと思っております。企業内でくすぶっている30代40代のサラリーマン(私もそうですが)には絶対おすすめの内容です。一番大切なことは「○○」を持つこと語る佐藤さん。本当に多くのことを学ぶ事のできた取材でした。○○はぜひ番組で!
温かな人柄、こまやかな心配り、そして何よりも、人を楽しませることが好き、いたずら好き、それが私の中村さんの印象です。
申し遅れました。私、中村さんの回を担当しましたディレクターの河瀬と申します。班内では「カワ坊」と呼ばれています。30代も後半にさしかかり、「カワ坊」って年でもないのですが、まあそれはさておき・・・。
プレゼンの際、模型にリボンをかけたり、子どものために色鉛筆で手書きの図面を用意したりと、番組の中でも人を楽しませる中村さんの遊び心をいくつか紹介しましたが、私たち、撮影スタッフとのつきあい方も中村流だったのでした。
中村さんは、ずーっとロケの最中、音声担当が音を録るために長ーい棒を持っている姿をおもしろい格好だなぁと思っていたのだと思います。移動中、中村さんは、音声担当に、「その音声セットを宴会用お酌セットにしたら面白いよねぇ」なんて言ってました。
その時は、それで終わったのですが、ある朝、待ち合わせの場所に現れた中村さんは、おもむろに、このイラストを手渡したのです。
ここに窓があったら毎日、楽しいだろうなぁ、とか、家族がそろって本が読めたら温かな気持ちになれるだろうなぁ、とか。
4月6日放送のスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーを取材したディレクター、荒川と申します。3ヶ月にわたる取材のこぼれ話を紹介させていただきます。
思い出せば、この取材を始めたのは去年暮れのことでした。子どものころ、大好きだった映画が「天空の城ラピュタ」で、ジブリ作品はほとんど見てきたので、初めは、ロケで毎日、ジブリに通えることが楽しみで仕方ありませんでした。
が、ロケが始まって間もなく、出演交渉の際に、鈴木さんが何気なく口にしていた「僕を取材しても何にもならないと思うよ〜♪」という言葉が、ズシーンと、のしかかってきました。
というのも、“プロデューサー”という職業は、自らの手で何かを作り出すという職人さんとは違って、スタッフをやる気にさせて、最大限の力を引き出すということが最大の仕事なので、毎日べったり張りついていても、目に見える「秘技」「奥義」はなかなか見つけられません。あるのは毎日、打ち合わせばかり。いつ重要な話が出るかも知れず、ただテープだけが回っていきました。
そんなとき、鈴木さんが声をかけてきました。「荒川君、今日はいっしょに電車で帰ろうか」。僕はふだん、カメラマンや音声マンと一緒に、ロケ機材を車に乗せて、渋谷のNHK放送センターまで帰っていましたが、この日は鈴木さんと電車で帰ることにしました。
鈴木さんは開口一番、「最近、忙しくてなかなか話せなかったからねえ。悩んでいるんじゃないの?」。さすがは、プロデューサー、いきなり核心を突いてきました。僕は、思いきって悩みを全て打ち明けました。鈴木さんはそんな若造に、日々の仕事の秘密をていねいに教えてくれました。実は、今回の番組の骨格は、このJR中央線のなかで生まれました。
鈴木さんが僕に最後に言ったのは、「番組のテーマとか考え過ぎているから分からなくなるんだよ。とにかく目の前の面白そうなことに飛びつけばいいんだよ」ということでした。それを聞いたとき、「とにかく一生懸命やってみよう」と、肩の荷が下りて、気がとても楽になりました。
鈴木さんの周りに人がなぜか集まるのは、こうした何気ない“気遣い”なのだと、そのときふと気づきました。カメラで切り取る鈴木さんは、実はオモテの姿でしかないのかもしれません。ロケの間、鈴木さんのウラのほんとの姿を伝えられたらと考えてきましたが、番組でそれがどこまで伝えられたか…。そんな反省の念も込めて、ここに書かせていただきました。
1月からスタートしたこの番組。4月の放送曜日・時間の変更という新たなスタートに伴い、スタッフノートに初めての書き込みです!
自己紹介させていただきますと、私は、「ほそだ」と申します。ディレクターですが、「デスク」という立場になります。「デスク」とは、ディレクターたちのいわば兄さん・姉さん的な立場。プロデューサーと担当ディレクターの間に立って、番組の面倒を見る、というか、ケアをするというか、まあもろもろをやる人間です。この番組には3人のデスクがいて、その最年長で、紅一点であります。
さらにちょっとプライベートを話させていただきますと、この春小学生になる息子と、2歳半の娘を持つ母親でもあります。家庭と仕事の両立(できてませんが)のこともあり、なかなかしんどい日々です。レギュラー放送スタート直前の大みそかには、「そんなに仕事が好きなら、もう家に帰ってくるなー!」と、夫が爆発しました。6歳の長男は、休日出勤をする私に「お母さんが仕事に行くのはホントは寂しいけど、“行かないで”って言わないよ。だって、お母さんがカイシャに行かないと、ありよしさん(番組のプロデューサー)に怒られるんでしょう」(そんなに怒られてるわけでもないのですが、人のせいにしておくと、何かと便利かと思ったズルい私が、よくそういうことを口走ってたのですね。すみません。)そして、2歳の娘は、「プロフェッショナル」の番組を見て、キャスターの住吉美紀を指さし「お母さん!お母さん!」と叫ぶ始末。もう、番組の制作もそうですが、家庭も、前のめり。いっぱいいっぱい。みんな、これ以上ないっていうくらい頑張ってます。(この場を借りて、家族に感謝!)
すさまじい家の様子をちょっとご紹介しましたが、それでも、家族みな、「プロフェッショナル」が好きなのです。(と思っています、勝手に)夫と息子が一番口ずさむ歌が、主題歌の「Progress」ですもの。大人のための番組ですが、家族みんなで「プロフェッショナル」です。2月にご出演いただいたWHOの進藤さんではないですが、大変だけど、母のなりふりかまわない一生懸命な姿が、我が家の育児なのだと、涙をこらえて(自分に都合良く)思っています。
というわけで、このスタッフノートは、制作スタッフのリアルな空気をお伝えしたいと思っています。今回のようなプライベートの話もあれば、現在進行形の取材記もあると思います。私たちスタッフも、視聴者の皆さんと同じ、一仕事人であり、一家庭人であるわけで、この番組に対して、さらなる共感を持っていただけたらと願っています。
この番組は、カメラマンを始めとする技術陣の驚異的な技と情熱、そして制作陣でいえば、プロデューサーの極限まであきらめないこだわりと、ディレクターたちの不屈のふんばりで、ハーハー言いながらやっているのですが、視聴者の方からの「プロフェッショナル、おもしろい!」という声が何よりの元気の源です。今後とも、番組とともに、このホームページ、どうぞよろしくお願いします。
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[ 206] スタッフノート | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
[引用サイト]  http://www.nhk.or.jp/professional/note/index.html



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