沙都子とは?

――そんなこんなで沙都子と一緒に暮らすことになった。懸念していたことがまるで馬鹿みたいに、話はこともなくとんとん拍子に進んだ。両親は「娘が欲しかった」なんて言って沙都子にベタ甘。最初は沙都子も戸惑っていたみたいだけど、二人が本質的に俺と同じタイプの人間であるとわかったためか今ではすっかり打ち解けている。
そして今日は沙都子と一緒に暮らすようになって初めての二人きりの夜。東京で打ち合わせがあるとかで両親は揃って出かけていて、帰ってくるのは明日の昼頃。本当に二人きりだ。
本心からの言葉なので淀みなく口から出る。実際沙都子の料理の腕はかなりのものだった。引っ越してきたばかりの頃の腕でもなかなかだったのに、俺の母親からの手ほどきと自己研鑽により今では目を見張るものになっている。それこそ、レナと比べても遜色ないと言ってよい。沙都子の歳からすれば十分な腕前だ。
ほんの冗談のつもりだったけど、その言葉に対する沙都子の反応は予想以上だった。箸を止めると顔を赤らめうつむいてしまう。
顔をあげ、その大きな瞳で見つめてくる沙都子。上気した頬が桜色に染まっている。そんな真剣な眼差しを向けられたら更に鼓動が高まってしまう。
色素の薄いサラサラの髪に大きな瞳。長い睫。あどけないながらも整った顔立ち。チャームポイントの八重歯。小柄で華奢な体躯。耳障りのいい声。そのどれをとっても俺にとっては心地よいものだった。一緒に住むようになってから一ヶ月しか経ってないとはいえ、もう沙都子のいない生活は考えられない。一緒の登下校、一緒の食事、そのすべてがかけがえのない時間だ。
唐突な問いかけ。家に二人きりということもあって大胆になっているのだろうか。俺にとってこの展開は非常に嬉しい…いやいや、嬉しい…じゃなくて嬉しい……まあ正直そんな展開だ。しかしながら流石に婚約は早すぎると思う。俺にとってもだが、何より沙都子にとってだ。沙都子はこれから色々な人と出会うことになる。それこそ俺なんかよりかっこいい男なんていくらでもいるんだ。現時点で相手を決めるってのはそれこそ早計ってもんだ。
その時の沙都子の顔といったら、ホントまぶしかった。これだけ喜んでもらえるなんて掛け値なしに嬉しい。男冥利に尽きる。
「けど、もし沙都子の気が変わったら一方的に婚約破棄してくれていいからな。俺なんかよりいい男なんていくらでもいるんだし」
「確かに圭一さんより容姿が優れていて、頭が良くて、運動神経が良くて、お金持ちな人はいくらでもいるでしょうね」
「私が好きなのは目の前にいる、この世界でたった一人の『圭一さん』ですもの。私から婚約解消を切り出すなんてありえませんわ。圭一さんこそ、婚約解消がしたくなったらいつでも言ってくださいね」
「バカやろ、そこまで想ってくれる女の子をみすみす手放すかよ。それに俺が好きなのだってこの世界にたった一人、『沙都子』だけなんだからな!」
顔から火が出る思いをなんとかこらえながら沙都子に想いの丈を告げる。今が夕食時じゃなかったら抱きしめていたところだ。幸いなのか、不幸なのか。
このままでは一向に夕食が終わらないので再び箸を持つ。なんかもう胸がいっぱいだけど、沙都子のつくってくれた飯を残すという選択肢は俺にはない。
柔らかく微笑みながら食事を再開する沙都子。その様子を眺めつつ箸を運ぶ。幾分冷めてしまっている。けど最初に口に運んだときよりも美味く感じるのは沙都子との婚約のせいか。いわゆる愛の隠し味……なんだろな、きっと。
互いの想いを確認しあい婚約成立したことで俺達の仲が劇的に変化……はしなかった。これが結婚適齢期の男女だったらもっと違うんだろうけど、なにぶん沙都子はお子チャマだ。そりゃ梨花ちゃんと比べたら、というか学年平均から比べれば沙都子はトランジスタグラマーなわけで、小悪魔バディというか見かけによらずというか身長によらずというか……まあそんな感じだけど中身の方はさっぱりだ。相変わらずイタズラばっかだし、あんまり女の子らしい趣味みたいなものはない。まあ安堵半分落胆半分といったところか。
風呂から上がり布団に寝転がりながら思いを馳せる。時刻は11時過ぎ。既に家中の戸締り、消灯は終わっているから後は部屋の灯りを消して寝るだけだ。若干早い気もするけどもう寝るとしますか。立ち上がり電灯の紐を下ろそうとしたところで、
引き戸の向こうから声。誰でもない沙都子の声だ。もう寝てしまったものだろうと思っていたけど、どうやらまだ起きていたらしい。ちなみに沙都子の部屋は廊下を挟んだ向かいにある。以前は親父の書斎として使われていた部屋だ。お袋と同じく沙都子にベタ甘な親父は沙都子に部屋を引き渡すことを快く了承し、自分はアトリエに荷物を全て運んでしまった。沙都子の部屋はこの家の一等地とも言える場所で、陽あたり良好の上とても広い。
そそくさと入ってきた沙都子はパジャマ姿だった。パンダを象った色使いで可愛らしいフードもついている。サイズは大きめで袖からのぞく手は第二関節から先という程度。親父はサイズを間違って買ってしまったと言っていたがその真偽は定かではない。というかとある観点からみればベストサイズだ。その胸元には枕を抱えている。
落ちつかなげに視線をさまよわせる沙都子。その顔の火照りは単に風呂上がりだからというわけではないだろう。腕に抱えた枕。そわそわした様子。そこから導き出される結論は一つ。その結論に達した途端俺の心臓も高鳴りだす。
言われてみて初めて気づく。両親がいないというだけでこの家はこんなに静かなものなのか。寝ようとしている時に階下からテレビを見て馬鹿笑いをあげる両親をうとましく思うことは多々あったが、かといって全くの無音というのもそれはそれで落ち着かないものだ。ともすれば耳鳴りがしそうなほどの静寂。この中で、しかも一年も過ごしていない家で寝るというのはなかなか難しいだろう。やっぱり沙都子はまだまだお子チャマだな。
自分の枕を真ん中の位置から左にずらす。別の布団に寝るというのもなんか過剰に意識しているみたいで嫌だし、なにより面倒くさい。沙都子は嬉しそうに目を輝かせると枕を右側に置き身を横たえた。電気を消す。今宵は満月らしくほの白い月明かりが部屋の中を柔らかく照らしていた。沙都子の隣に寝転がり布団をかぶる。ちゃんと沙都子の方までかかるように自分の分は最小限にした。幸い沙都子は小柄なので両者ともにはみ出すということはないだろう。
目ざとくはみ出している俺の足を見つける沙都子。身を寄せてくる。密着したおかげで布団にすっぽり収まることができたが、この距離はいかがなものか。沙都子の心音さえ聞こえてくる。
においというやつはとかく自己判断が難しいものだ。自分ではそれほどではないと思っていても他者にとってそうでないということは多々ある。特に体臭は個人差が激しいし。
とりあえず無理してる様子もないのでほっとする。流石に体臭がくさいとかそういうのは直接言われるのは例え事実であろうとこたえるからな。
緊張した面持ちで身を固くする沙都子。月明かりの下でもはっきりとわかるくらい、その柔らかな頬は朱に染まっている。勇気を振り絞っての提案を無下に断ることなどできやしない。いや、なにより俺が沙都子の匂いをかぐというあまりにも魅力的な提案に心を躍らせていた。しかしながら一口に匂いをかぐといっても一体どこの匂いをかいだらいいものか。とりあえず目前にありなおかつ一番近いところにある髪の毛に顔をうずめる。柔らかな髪を鼻先で感じながら旋毛の辺りでおもいきり鼻から吸気する。途端に鼻孔に広がる甘くとろけるような匂い。一家共同で使っているお世辞にも良品とは言えないシャンプーの匂いだけど、沙都子から香る匂いはそれが同じものであるとは思えないほど甘美なものになっていた。いい匂い過ぎるあまり思わず頭がくらくらしてくる。
拒絶の声音ではないことに安堵しつつ再び鼻から吸気。今度は髪の匂いよりも鮮明に匂いを感じることができた。石鹸の匂いだけではない、他の何かが含まれたいい匂い。沙都子自身の匂い。これが好きか嫌いかと問われればもちろん好きだ。それこそ、他の何物にも勝るほど。
はにかみながら恐縮する沙都子。本当ならこのままずっとこうしていたいところだけど、なくなく身を戻す。流石にこれ以上すると変な気になりかねない。

[ 31] 沙都子話
[引用サイト]  http://www.h3.dion.ne.jp/~mizuka.n/satoko.htm

「まったく。何をぼーっとしてましたの?今日はお肉の特売の日ですから早く行かないとなくなってしまいますのよ。」
笑って怯える沙都子の頭を撫でてやる。ここのところ毎日学校へ行く前に沙都子にお弁当を作って届けにいくのが私の日課となっている。野菜ばかりのメニューなので、沙都子も最初は残してばかりいたが、最近は完食してくれるようになって、酷く嬉しい。
沙都子の表情がぱっと明るくなる。今ではよくわかる。これが、悟史くんが守りたかったもの。そして今、私が守るべきものだ。
「ところで詩音さん。よかったら今日私の…梨花の家に泊まりに来てくださいまし。その…いつもお弁当を作ってきてくださるお礼をしたいのですわ。」
「ちょっ…何勝手なこと言ってるんですか!!私は授業ありますから、もう戻ります!!戻りますからね!!それじゃ、沙都子!また後で!!」
沙都子がいなかったら悟史くんはあんなに苦しまなかったのに。それなのに、その沙都子が今では………今では、何だ?
それどころか沙都子にしては上出来だ。簡単な野菜炒めとほうれん草のお浸しに味噌汁。だけど、私でも、この子くらいの年でこんなに上手くは作れなかったと思う。
「沙都子はこの日のためにいっぱいいっぱい練習したのです。ちょっとは誉めてあげても罰は当たらないと思うのですよ。」
最初は恋に恋してるだけのつもりだったのに。いつ戻ってくるかも知れない悟史くんのために、こんなお飯事みたいなことに付き合って。
怖い鬼婆に脅されたって、けじめと称して爪を剥がされたって、やっと本当の私を知ってもらえたと思った矢先に当の本人が失踪したって。
「夢の中では悟史くんが帰ってきていて、沙都子と一緒に買い物に言ったりするんです。でも、目が覚めても悟史くんはいない。」
「っそんな夢なら、見ないほうがマシです!!………でも、夢で良いから会いたい。会いたいよぅ…悟史くん………。」
「家出だなんて嘘。にーにーはあんな風に消える人じゃありませんわ。ならどうして消えたんですの?そもそも生きてるんですの?生きてたとしたらどうして帰ってきませんの!?」
「でも、でもっ…にーにーは、帰ってきますわ。絶対に!そうやって、私に断言したのは詩音さんじゃないですの!!」
私がお弁当を届けて、野菜を嫌がる沙都子に、『悟史くんは絶対に帰ってきます!だから、悟史くんが帰ってきたら目の前でかぼちゃを食べて驚かせてやりましょう』って。そう、言ったじゃないか。
「詩音さんが、私に構ってくださるのは、にーにーのためだって知ってますわ。本当は詩音さんは今でも私を恨んでいて、でもにーにーに頼まれたから、だから私に毎日お弁当を作ってくれるって。」
「でも、それでも。私は嬉しかったんですの。にーにーがいなくなって寂しかった。哀しかった。だけど、梨花やレナさんや魅音さんがいて、圭一さんがいて、詩音さんが私を可愛がって下さるから、だから私こうして笑っていられるんですのよ!!」
「詩音さん、今度は私が言ってあげますわ。にーには、絶対に帰ってきますの。今は帰れなくても、いつか必ず帰ってきますわ。だから、だから…。」
沙都子は泣いていた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも私にわかってもらおうと、一生懸命一言一言を紡いでいた。
沙都子だって、悟史くんに会いたいという気持ちは変わらないはずだ。なのに私は泣きじゃくって、沙都子に心配かけて。
「そう呼んでも…構いませんこと?だ、だって、いつか詩音さんはにーにーと結婚するんでございましょう?だったら名実ともに私のねーねーですもの。」
や、確かに、私は悟史くんが好きですけど…結婚!?まだそこまでいってないというかそもそも始まってさえいないのに。
「ねーねー…じゃあ、あの、できたら…トイレまでついてきてほしいんですの。私、さっきからずっと我慢してて…。」
「沙都子…実は最初からそのつもりでしたね?私の寝てる部屋のぞいたの、トイレについてきてほしかったからなんでしょう?」
「へーふーんほー?では私はついていかなくてもいいですね?さー一人でいってらっしゃい?私はもう寝ますから。」

[ 32] 5 妹
[引用サイト]  http://cabin.jp/uyatei/title5.html



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