パルコとは?

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この項目では大手ファッションビル業者について記述しています。小型車のミラパルコについてはダイハツ・ミラをご覧ください。
パルコ(PARCO)は、ファッション専門店ビルである。1号店である池袋パルコと渋谷パルコを両雄に、国内外で22店舗を展開。運営会社は、旧セゾングループ企業で都市型商業ディベロッパーの株式会社パルコ。
かつて堤清二が支配した西武百貨店を中核としたセゾングループの一角を成したが、パルコについては直接関与せず、全面的に増田通二に託し自由を与えた経緯から、独特の個性が出来上がった。セゾン系本流とは別にパルコ独自の劇場や出版を持ち、広告手法も異なる。こうして、大人の西武百貨店と若者のパルコといった具合に異分子を並列し、あえて衝突させることで発展を促す戦略が伺える。
旧国鉄池袋駅の駅ビル開発を目的に設立された「池袋ステーションビル」が前身。当初はホテルを核テナントとする予定だったが、途中で方針を転換。京都の百貨店丸物(現:近鉄百貨店)から出資を受け入れ、1957年「東京丸物」の店名でオープンした。しかし業績は低迷し、1969年にはわずか十数年で丸物は撤退、西武百貨店の資本参加を仰ぐことになった。
なお、似たように、丸物傘下から西武百貨店の傘下になった百貨店として豊橋丸物(豊橋市)があるが、業績低迷が原因でないため、パルコのように業態は変えていない。
「東京丸物」撤退後、西武百貨店の資本参加により、パルコ開設準備に入る。1969年に池袋で1号店を開店。これ以降がパルコとしての歴史の始まりである。なお、現在売上が最も多いのは名古屋パルコであるが、イメージ的には今でも池袋パルコ、池袋P´パルコ、渋谷パルコ(part1~part4)が中心となっている。
パルコが頭角を現すのは渋谷進出からだといわれる。1960年代以降、セゾン系は拠点を渋谷に求めた。だが、当時の繁華街といえば銀座であり、異質な文化を求める若者は六本木に集った。渋谷は坂に囲まれた複雑な地形にあり、当時としては商業集積地に適さないと予想され、渋谷進出を危惧する声は根強かった。そうした予測に反し、パルコは若者カルチャーやアートとクロスオーバーさせた斬新な展開で挑み、たいへん大きな反響を受けた。セゾングループ時代の独特のテレビ広告はしばしば話題になった。ちなみに、全国的に有名な渋谷公園通りの名は、パルコ(イタリア語で公園の意)に通じる道から。
セゾングループの解体後は森トラストグループが資本参加し、筆頭株主となり、旧セゾングループではクレディセゾンが主要株主になっている。
また、同社は子会社であったCDショップ運営会社のWAVE(ウェイヴ)をタワーレコードに売却(その後転売され現在はノジマ傘下)、書店チェーンのLIBRO(リブロ)を日本出版販売株式会社に売却し、各事業から撤退している。森トラスト傘下後はリニューアルを強化、売り場のテーマ性を明確にし、収益性は高まりつつある。
現在、「中期経営5カ年計画」を推進中であり、政令指定都市への連続出店を展開している。その第1弾として、2007年3月15日に新規出店としては10年ぶりとなる「静岡パルコ」を西武百貨店静岡店跡に開店した。以後、同年10月10日にさいたま市に「浦和パルコ」を開店した。2008年初秋には仙台市への出店を予定している。
渋谷PARCO PART2(渋谷区、1975年12月)※賃貸ビルの耐震補強問題を理由に2007年末をめどに営業休止予定。
名古屋PARCO東館・西館(名古屋市中区、1989年6月)※パルコ系列内で店舗面積、売上共にトップ。
浦和PARCO(さいたま市浦和区、2007年10月)※単体ビルとしてはパルコ最大の規模。同社初の公共施設を併設した店舗でもある。
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[ 1] パルコ - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B3



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