中川とは?
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中川 秀直(なかがわ ひでなお、1944年2月2日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。元自由民主党幹事長。岳父の中川俊思も衆議院議員を務めた。 2000年10月:愛人通いや右翼との会食などスキャンダルが報道され、実力を発揮できないまま就任3ヶ月で辞任に追い込まれる。この辞任劇が支持率低下に悩んでいた森内閣に追い討ちをかけ、同年末の加藤の乱発生に少なからず影響を与えた 2002年10月:自民党国会対策委員長に就任して復帰。小泉純一郎総理の信任も厚く側近中の側近として知られる。その政治手腕も買われて異例の長期留任となり、2005年7月に国対委員長在職期間最長記録(村岡兼造元衆議院議員の1023日)を更新し、1127日までのばす。 2007年7月:参院選での自民大惨敗の責任をとり、幹事長辞職願を安倍晋三総裁へ提出。同年8月27日の内閣改造・党役員人事において幹事長を退く。 2007年10月:幹事長就任以来離脱していた清和政策研究会(町村派)に復帰。町村信孝が内閣官房長官就任のため同派会長職を退き、集団指導体制に移行したのに伴い、清和政策研究会代表世話人に就任。 中選挙区時代は全国でも有数の激戦区である旧広島2区(必ず前職の誰かが落選する激戦区で主に同じ自民党の池田行彦・谷川和穂・増岡博之、社会党の森井忠良等と定数4議席を争っていた)から立候補しており、落選経験もあるが、小選挙区(広島4区)になってからは、地元が近いが高齢だった谷川和穂を比例単独候補にして以来、無敗を誇る。 自由民主党新聞販売懇話会会長代行であり、新聞の特殊指定、再販制度維持を主張。日本新聞販売協会の顧問でもあった。その分身でもある日販協政治連盟から多額の政治献金を受けている。事実上新聞族のドンである。 新聞記者出身らしく、自らのホームページ[1]のコラム連載を一日も欠かしたことがない。各紙社説や論説記事のほぼ全文を引用(コピー&ペースト)して叩き台とし、自らの所見を「中川の眼」と題し展開するスタイルが多い。 古賀誠、二階俊博らとともに、人権擁護法案(ネット上でその問題点が厳しく指摘されている)の積極推進派としても知られている。 2000年衆議院議員選挙において、自由民主党総裁(内閣総理大臣)森喜朗の指示を受け、中川が塩川正十郎に引退を要請しに行き、塩川に灰皿を投げつけられ「帰れ!」と叱責された。 2006年の自民党総裁選挙では、津島派や伊吹派の候補擁立を阻止し、また積極的な多数派工作をすすめ、安倍晋三優位の流れを作った。一部ではキングメーカーの地位を狙っているとの声もある。 2006年の安倍政権では総裁派閥と同じ中川が自民党幹事長に選出され、総幹分離の原則を崩したことで注目された。 2006年7月、参議院議員世耕弘成、和歌山県知事木村良樹とともに競売入札妨害容疑で逮捕された容疑者からゴルフの接待を受けていたことが発覚。ゴルフにかかった費用は全て容疑者が負担した。 2006年11月、郵政造反組復党問題に絡み、党幹事長の立場として党内や世論の反発と首相の意向に考慮する形で、平沼赳夫ら造反議員に対し復党において厳しい条件を提示した。 2006年11月、「会社のためと称して会社にぶら下がっている正社員はたくさんいる。企業の生産性をいうとき、ホワイトカラーが最大の問題ではないか」と、企業の立場に立ち、ホワイトカラーのあり方に疑問を投げかける発言をした。 「上げ潮政策」という、高めの名目経済成長率を目指す方針を主張している。そのため、日本銀行に対しては金融緩和ぎみの政策を期待している。 2007年2月18日、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、党内外にて大きな反響を呼ぶ。詳細は#「忠誠心」発言を参照されたい。 2007年2月22日、中川の自宅や後援会事務所が、財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。財団法人は公益法人であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。詳細は#財団法人自宅提供問題を参照されたい。 2007年の自民党総裁選挙では、麻生太郎幹事長が安倍晋三首相(いずれも当時)の辞意を聞きながら、翻意せず逆に政権獲得に動いたとされる、いわゆる「麻生クーデター説」を流布したとされる。 閣僚の問題発言(「産む機械」「米軍沖縄基地」)などが目立つ中、内閣官房長官塩崎恭久を呼びつけて叱責した。党の幹事長が内閣官房長官を叱責するのは異例であり、産経新聞では「党高官低」を印象付けたと報じられた。 2000年、写真週刊誌等に中川が愛人(とされる女性)と一緒に撮影した写真やビデオが掲載され、内閣官房長官辞任に追い込まれた。 2000年10月、東京放送、フジテレビジョン、テレビ東京など主要テレビ局は、中川が愛人(とされる女性)に捜査情報を漏らす会話の録音テープを公開した[1]。 この録音テープの内容は、「警視庁保安課が内偵捜査している」ことを女性(捜査対象者本人)に漏洩しているやり取りであった。さらに、当該女性は覚醒剤取締法違反容疑で家宅捜索を受けた経験があった。 中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し、一連の愛人騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任を発表した。 職務上知り得た秘密を捜査対象者に漏らす行為は国家公務員法違反、捜査妨害容疑に該当する可能性があり、野党から追及された。 2007年2月18日に行なった宮城県仙台市での講演で、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、安倍内閣閣僚の緊張感が欠けていることを嘆いた。 中川の発言が報道されると、2月20日の毎週火曜日の定例閣議で、閣僚たちは内閣総理大臣が入室するやいなや一斉に起立して「おはようございます」とあいさつするなど、これまでと打って変わった態度をとるようになった。 当該発言に対し、厚生労働大臣柳沢伯夫からは「お互いに意見交換してるだけだ」、外務大臣麻生太郎からは「中川さんの言いたいことがよく分からない」、さらに、内閣総理大臣安倍晋三から「こういうのまでおしゃべりととらわれちゃうんだね」と反発を受けた。2月22日には派閥領袖からも批判が相次ぎ、津島雄二は「一部に忠誠心を持ってほしいという方がいるが、我々に大事なことは国家、国民に対して責任を果たすことに尽きる」との正論を表明し、高村正彦も、小泉純一郎が「『鈍感力』が大事だ」と発言したことを踏まえ「閣僚の一挙手一投足には相当鈍感であったほうがいい」と皮肉交じりの批判を行った。 2月22日、自由民主党本部にて安倍に面会した中川は「ちょっと言い過ぎました」と陳謝した。安倍も「(安倍内閣の閣僚は)ちゃんとやっていますからどうぞご心配なく」と返答した。だが「必要ならまた言います」との中川の言葉には安倍は沈黙を保ったままだった。 3月23日、朝日ニュースターの番組にて、自由民主党参議院幹事長片山虎之助は、中川の忠誠心発言に触れ「いい過ぎだ。国務大臣の任免の権限は自由民主党幹事長ではなく(内閣)総理(大臣)の権限だ」と指摘した上で、「たかだか与党の幹事長がいうことではない。分をわきまえないと」と中川を厳しく指弾した。 この発言により中川自身が、党内調整が難航していた公務員改革関連法案を、首相の意向通りに扱わねばならなくなった。中川は、ひたすら低姿勢で調整に当たらねばならず、結果として自らの首を絞める格好となった。 2007年2月22日、民主党代表代行菅直人により、広島県東広島市の中川の自宅や後援会事務所が財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。 財団法人は公益法人(税制上も優遇されている)であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。また、菅は、財団法人設立の経緯から、中川の義父が亡くなった際に相続税を支払っているのか疑問を呈した。 中川自身は、財団法人所有地に自宅や後援会事務所を建設した事実は全面的に認めている。また、当該の土地は義父が1961年に財団法人に寄附し設立したと説明している。違法性については、家賃を財団法人に支払っており、中川は法的にも問題ないとしている。 2007年9月12日、安倍晋三首相は突如辞任を発表。参議院選挙で歴史的敗北を喫した後もその職に留まり、政策遂行への意欲を示し続けていただけに、突然とも言うべき辞任宣言には様々な憶測が乱れ飛んだ。その決定的な理由とされたのが所謂・「麻生クーデター説」である。つまり、インドなどアジア諸国外遊を終え帰国後発足した安倍改造内閣で安倍はまったく人事権を行使できず、幹事長に就任した麻生太郎と官房長官の地位に就いた与謝野馨が完全に人事の主導権を握り、最も信頼していた麻生に裏切られたと感じた安倍が絶望の極地に達し、辞任へとつながった。これがクーデター説と言われるもので、安倍首相辞任の同日に放送されたNEWS ZEROで流布され始める。これにより、清和政策研究会内で麻生擁立論が急速にしぼむなど、安倍後任に当初絶対的有利とされていた麻生は一夜にして失速、翌日出馬表明した福田康夫元官房長官に為公会を除く全派閥幹部や小泉純一郎前首相が支持を表明し、福田総裁への流れが作られることになる。だが、このクーデター説は後に、デマであることが明らかになる。週刊新潮、週刊文春両9月27日号はクーデター説は悪質なデマであり、この件をマスコミに流したのが中川秀直であると断じている。また、「クーデター説」定着に一役かったとされる片山さつき・衆議院議員とはかねてから近しい関係にあり、郵政選挙の際、中川は応援に出向いている。 田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 高橋光威 -三土忠造 - 宮田光雄 - 樺山資英 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 林譲治 林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 井出一太郎 - 二階堂進 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久 - 与謝野馨 - 町村信孝 岸信介 - 三木武夫 - 川島正次郎 - 福田赳夫 - 川島正次郎 - 益谷秀次 - 前尾繁三郎 - 三木武夫 - 田中角栄 - 福田赳夫 - 田中角栄 - 保利茂 - 橋本登美三郎 - 二階堂進 - 中曽根康弘 - 内田常雄 - 大平正芳 - 斎藤邦吉 - 櫻内義雄 - 二階堂進 - 田中六助 - 金丸信 - 竹下登 - 安倍晋太郎 - 橋本龍太郎 - 小沢一郎 - 小渕恵三 - 綿貫民輔 - 梶山静六 - 森喜朗 - 三塚博 - 加藤紘一 - 森喜朗 - 野中広務 - 古賀誠 - 山崎拓 - 安倍晋三 - 武部勤 - 中川秀直 - 麻生太郎 - 伊吹文明 水田三喜男 - 塚田十一郎 - 三木武夫 - 福田赳夫 - 中村梅吉 - 船田中 - 椎名悦三郎 - 福田赳夫 - 田中角栄 - 賀屋興宣 - 三木武夫 - 周東英雄 - 赤城宗徳 - 水田三喜男 - 西村直己 - 大平正芳 - 根本龍太郎 - 水田三喜男 - 小坂善太郎 - 櫻内義雄 - 倉石忠雄 - 水田三喜男 - 山中貞則 - 松野頼三 - 櫻内義雄 - 河本敏夫 - 江崎真澄 - 河本敏夫 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 藤尾正行 - 伊東正義 - 渡辺美智雄 - 村田敬次郎 - 三塚博 - 加藤六月 - 森喜朗 - 三塚博 - 橋本龍太郎 - 加藤紘一 - 山崎拓 - 池田行彦 - 亀井静香 - 麻生太郎 - 額賀福志郎 - 与謝野馨 - 中川秀直 - 中川昭一 - 石原伸晃 - 谷垣禎一 |
[ 49] 中川秀直 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E7%A7%80%E7%9B%B4
