世間とは?
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ひできさんのアーティクルを読みつつ、コメントを付ける形で、ニュースや時事を追っていく中で感じるある種の憂鬱感覚の正体に向かって書いてみました。 そしてまた、ゴーログで提起されている、匿名性によるコミュニティ破壊行為でも同様に、憂鬱な話が出てきています。不寛容、無知、不勉強な匿名存在が、破壊的行動をとる傾向についてです。ここで提起されている話題も、最終的には以下の議論と大きな接点を持ってきます。 目の前の戦争、国益、テロ、拷問、戦死、殺戮と、こうした現実に、実は強く結びついている石油。私たちの仕事も生活も、ガソリンが高いとか安いとか、セルフのあそこは、プレートに書いた価格では105円なのに実は98円/1リットルだとか、売る方も買う方もみんなそれなりに必死にやっていたりします。原油価格高騰で電気代上がるとか、石油価格に連動したガスもこれから上がる可能性があるという形で全部むすびついていますし、持ち直しつつある景気も、原油価格高騰で一気に元の不景気に逆戻りである、ということが言われています。 変化の時代の中で、2ちゃんねるやblogやbbsなどのいろいろな表現ツールを手にした多くの人々が、自分の目の前にある道具でいろいろなことを書いていくようになりました。その多くが匿名である点が重要です。 この勢いは止めることができないもので、毒、皮肉、冷笑、無知が自然に混ざったものになります。非常にぼんやりとした実体のない形なのですが、数が集まると圧倒的な力でもあって、空中から突然、実体化して、場合によってはマスコミをコントロールし、政治家さえもコントロールする勢いを見せるもの。 古い日本のとなり近所にも、「世間」というものはありました。しかし一方で、こうした地縁的な「旧世代の世間」(クラシカル世間)には、直接相手に対して自分の思いを伝えることには遠慮があったりして、遠回しの表現が使われたり「かげ口(かげぐち)」や「世間話」で間接的に人々の間にわき出てくる、空気のような存在でした。その性質上、寛容でもあったり(「世の中、いろいろ」)、ときには涙を見せたりすることもある(「世間の涙を誘う」)のが旧世代の世間だったりします。 ところが、ネットワークなどのデジタル世界を中心に急速に発達しつつあるのは「ネオ世間(Neo-Seken)」とでもいったような横文字で書いたほうがいいような異質のもので、旧世代の世間とも多くの共通点を持っていますが、以下のような、いままでにない特別な性質を持つものです。 8.Neo-Sekenは基本的に個人事象では損得勘定で動くが、大きな枠組みでの損得勘定では動かない。あえて言うとそういう大きな枠組みは理解できないからである(組織の損得、会社の損得、国家の損得、日本の損得、では動かない) 12.Neo-Sekenは、自由、民主主義、個人、責任、さらには権利や義務といった近代的な概念とは関係ない存在であるし、たぶん、本質的にその理解もできない 石油という視点を捨て、国益という視点も捨てて、「Neo-Seken」という概念を実体的なものとして想定すると、日本という国のある側面が非常によくわかるような気がしました。インターネットで「世間」を引いてみて驚いたことに、同じように「世間」が気になって、分析の対象にしはじめている趣味人たちがいました。 「Neo-Seken」というキーワードを念頭においていろいろな事象をみると、少なくともネットワーク内で起きているある種の事態はすんなりと理解できます。 ううん、「Neo世間」の人って、やっぱり私の言葉でいえば、「最後の人間」ってことなのか、「ネット認知貨幣のデフレ」なのか、どうかまだ迷っています。 これではまるで、「マトリックス」に描かれた人間がシステムの電池と化した状態ではないか。すると自分は「電波系」ならぬ「電池系」か。 うーむ、面白い。唸らざるを得ない。 やっぱ頭のいい人は違うわぁ〜。 CNET Japan Blog梅田望夫・英語で読むITトレンドに登場し livedoorのニュースメディア事業の野望を分析する⇒ はじめよう!快適ネット生活 (01/29) |
[ 92] Think positive, act positive | 「世間」と「ネオ世間」その1
[引用サイト] http://miyakoda.jugem.cc/?eid=24
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世間(せけん)とは、仏教用語であり、出世間(しゅっせけん)とあわせてこの世を二分して見る言葉である。移り変り、破壊を免れない迷いの世界という意味である。 さらに、日本ではこの用語は一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語として使われている。転じて歴史学者の阿部謹也は、日本社会が Society の訳語としての「社会」に当てはまらない性質があるとして、旧来の「世間」の呼称を採用し、西欧的「社会」との比較研究としての「世間論」を展開した。また、「世間」と書いて「よのなか」と読むこともある。 世間の原語であるサンスクリット語のローカ「loka」は、「砕く」という意味の動詞「luj」から派生して「滅すべきもの」の意味である。 このローカに界 (dhaatu) を加えて、ローカ・ダートゥ (loka-dhaatu) といい、世間界の意味である。ダートゥは一般に構成要素の意味であるが、ここでは範囲とか領域と解釈すべきである。このローカ・ダートゥは、「世界」といわれ、サンスクリット語では「クシェートラ」(kSetra) ともいわれる。この場合は、所有するという意味のクシ (kSi) から派生してクシェートラとなるから、所有地・領地の意味の国土である。 世間(ローカ)からラウキカ (laukika)、すなわち「世俗」の語がつくられた。ローカ自身には別に悪い意味はないが、迷いの世界として世間を意味する場合が多い。 この場合、世間の「世」とは「遷流」(せんる)の意味で移り変わること、「破壊」の意味で壊れること、「覆真」(ふしん)の意味で真実を覆っていることなどと解釈される。また「間」は「間隔」の意味で、ものが個々別々に差別化されてみられることと解釈される。 このように世間とは、本来一味平等であるものに区別を作って、それにこだわって生活しているから、真実がおおわれ、無常であり、破滅すべきものと説かれる。このように一般に世間といわれている使い方とは違って、仏教では、深い人間的反省が込められている。 このような壊れてゆく世界に対して、仏や菩薩のような世界は、出世間 (loka-uttara) といわれ、世間をこえた境界といわれる。この意味で、仏教でいう世間は、単に物質的なものではなく、精神的な境界の意味が、その根本的な立場である。 三種世間ともいい、移ろいゆくこの世の現象世界、つまり世間を3種類に分類したもの。これらの境界が、いわゆる物質的なものを含めて、環境一般をも意味するようになると、以下の三世間が説かれる。 五蘊世間(ごうん)とは、人間を構成し、世界を構成している構成要素をいう。これらも五蘊(ごうん)が色受想行識であることから考えると、単なる物質的要素でなく、精神的なものを主としている。 この迷いの世界や悟りの世界について、インド古来の須弥山世界説がもちこまれて解釈がなされるようになると、元来、精神的存在であったものが、物質的存在と解釈されるようになり、欲界・色界・無色界の三界を立て、また、地獄などの六道をたてることになる。 ところで、仏教もこの世界を物質的世界として説くが、本意は精神的なものが中心である。よって三界説も、欲界から色界へ、色界から無色界へと、人びとの精神生活の純化の段階を示したものと受け取られる。 欲界は淫欲、食欲の二欲を中心として生活する者の住むところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道があり、この天界を六欲天という。 色界は二欲をはなれたものの世界で、衆生の肉体が殊妙であるから色界といい、物質的な世界だが、実は精神的なものが中心となるから、四禅天がそれである。 無色界とは物質的なものを超えた世界で、それをいとい離れて四無色定を修めた者の世界で、高い精神的立場をあたえ、無色界の最高のところを有頂天という。世間において「有頂天になる」といって、得意の絶頂にあることをあらわすのは、この意味で、迷いの世界での最高処にあることからいわれたものである。 なお、大乗仏教では、この三界を離れ、さらにその上に声聞、縁覚や菩薩、そして仏国土や浄土があると位置付ける。また天台宗などでは、迷悟両界をあわせて十界があるとする。 |
[ 93] 世間 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%96%93
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世間という言葉は誰もが使っているが、何かをきちんと答えられる人はいない。社会とは違う。世間は明治以降文章から消えたが会話の中ではしばしば使われ具体的である。他方、社会は明治以降文章では使われるが抽象的である。 西欧では、社会は尊厳を持った個人が集まったものと見なされている。日本では個人の尊厳は認められず、世間は個人の意思によって作られたものでなく所与と見なされる。 世間がなくなれば、日本人は世間を基準に生きていて、世間も個人の位置に気を配ってきたので、行動の指針を失って困惑するだろう。世間の中では長幼の序が支配していて競争が排除されているので、有能でない人も世間の掟を守っていれば排除されないが、有能な人がそれなりの地位を得るわけではない。 私たちが人間関係を選べても、相手がどのような世間に属しているか(出身校・出身地・会社・地位)を問題にして、気心の知れない人とは付き合わない。 日本人は、競争社会で個性がせめぎ合う関係の中で生きるより、与えられた位置を保ち心安らかに生きたいと思いながらも、周囲を気にする。 日本人は、自分以外の権威としての世間に依存して生きている。皆と共に行動する時は皆と合わせようとするし、意見を聞かれた時は他人の意見を聞きながら自分の意見をそれに合わせたりする。 世間を構成する原理として贈与と互酬がある。互酬の具体例として、借金を返せないと世間から排除されるのではないかという恐怖や贈答儀礼がある。 逆に、宝くじが当たったりした時に名前を公表しないのも、世間の中で世間の評価を気にすることから起こる事態である。 「坊ちゃん」は西欧の個人の位置を見た漱石が日本の個人の問題を学校という世間の中で描こうとした作品である。学校という世間のしきたりに従えという赤シャツの忠告に対して、世間は人が悪くなることを奨励し、正直手純粋な人を軽蔑すると反論する。 「非言語系の知」の集積である世間を顕在化し対象化すれば、世間の持つ負の側面と正の側面が見えて来、新しい社会関係を生み出す可能性がある。 明治の中頃に社会や個人という訳語が通用する以前は、社会や個人という言葉も概念もなかったが、世間という言葉が社会に近い意味で用いられていた。 社会という言葉が通用するようになってから、社会という言葉が持っていた概念とわが国の実状の乖離が無視されてきた。 わが国で欧米の意味での個人が生まれていないのに社会はという言葉が通用するようになって、欧米流の社会があるかのような幻想が生まれ、わが国の社会の未成熟や特異性が隠されるという事態になった。しかし、一般の人は日常会話の中で社会より世間という言葉を使い続けた。 日本の個人は、世間との関係の中で形成される。しかし、世間は人間関係の世界なので曖昧なものであり、したがって、その曖昧な世間との間で形成される日本の個人は曖昧なものである。人権が守られないのも世間の枠の中で許容されてきたからである。 1世間=人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。人々との交わり。また、その交わりの範囲。 人々が生活している、現実の世の中。世間。ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。 意思=何かをしようとするときの元となる心持ち。(意志=あることを行いたい、または行いたくないという考え。) ・世間=人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。人々との交わり。また、その交わりの範囲。 人々が生活している、現実の世の中。世間。ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。 ・類語=世、世の中、天下、世上、世俗、俗世、人世、人間、俗間、民間、巷間、巷市井、浮き世、娑婆、塵界、世界 1世間=人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。人々との交わり。また、その交わりの範囲。 人々が生活している、現実の世の中。世間。ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。 意思=何かをしようとするときの元となる心持ち。(意志=あることを行いたい、または行いたくないという考え。) ・世間=人が集まり、生活している場。自分がそこで日常生活を送っている社会。世の中。人々との交わり。また、その交わりの範囲。 人々が生活している、現実の世の中。世間。ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。 ・類語=世、世の中、天下、世上、世俗、俗世、人世、人間、俗間、民間、巷間、巷、市井、浮き世、娑婆、塵界、世界 7権威主義=権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度。 ・近代的自由の一面には、個人の孤独化と無力化があり、それから逃避するために権威 主義、破壊性、機械的画一性などが現れ、こうした危機から脱するには「〜への自由」という積極的自由を獲得するための努力が必要である。 7権威主義=権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度。 ・近代的自由の一面には、個人の孤独化と無力化があり、それから逃避するために権威主義、破壊性、機械的画一性などが現れ、こうした危機から脱するには「〜への自由」という積極的自由を獲得するための努力が必要である。 ・昭和五九年銀座を走っていたトラック運転手が道路脇に置いてあった一億円を包んだ風呂敷包みを発見し、落とし主が現れず、六カ月後に拾い主のものになった。 ・校長は狸(薄髭のある、色の黒い、目の大きな狸のような男。やにもったいぶっている)、教頭は赤シャツ(文学士、赤は体に良いから赤シャツを着ている)、英語の教師はうらなり(古賀、顔色が悪く蒼く膨れている)、数学は山嵐(堀田、毬栗坊主で叡山の悪僧という面構え)、画学はのだいこ(吉川、芸人風で江戸っ子と言っている。) ・天婦羅を食ったことをからかわれた、宿直で布団の中にバッタを入れられた、床板を踏み荒されうるさくされたなど生徒のいたずらの話。 ・下宿のおばさんから遠藤家の娘(マドンナ)がうらなりと結婚する予定だったが、赤シャツが横取りしようとしていると聞き義憤を感じる。 ・赤シャツからうらなりが本人の希望で九州に転任になるから、君の給料を揚げてやれるかもしれないと聞かされる。しかし、下宿のおばさんから実は赤シャツ等のさしがねで追い出されるのだという話を聞き、昇給を強引に辞退する。 ・うらなりの送別会で赤シャツやのだいこが偽善に満ちた挨拶を送るが、山嵐と意気投合し、あいつらをなぐってやろうと語り合う。 ・日露戦争祝勝会で、わが中学と師範学校の生徒が大喧嘩、翌日の新聞で山嵐と坊っちゃんの責任のような書きぶり、そしてしばらくすると山嵐は辞表をだせ、と言われたと言う。どうやら赤シャツの陰謀と気づいた。赤シャツがのだいこと芸者小屋にはいるところを目撃した。出てきたところを待ち伏せ、袂にあった卵をぶつけ、ポカリ、ポカリと殴り付けてやった。辞表は郵送で送り、坊ちゃんは清のいる東京へ戻ることになった。 ・「「非言語系の知」を〜なかったからである」⇔「今私たちは〜段階に来ている」 16)dそこ(744)の指示内容は。 94)宝くじの当籤者や一億円拾った人が公表されないのはどんな事態が起こっているからか。 176)欧米の意味での個人が生まれていないのに社会という言葉が通用するようになってから何が生まれたか。 |
[ 94] * 「世間」とは何か
[引用サイト] http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nobu-nisi/kokugo/seken.htm
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第18回研究発表大会は、2007年11月17日(土)、岩波セミナールーム(神保町)にて開催です。 次回大会開催日は未定です。会員で研究発表を希望する方は、メールにてお問い合わせください。レジュメを提出していただいた後、審査の上決定いたします。 日本が「封建制」を脱し「近代化」がはじまってから、およそ100年以上がすぎた。わが国においては、もともとSocietyの翻訳語であった「社会」という言葉がふつうにつかわれるようになった。 しかし依然としていまでも、なにか不祥事があった場合のお詫びの言葉は、「社会に迷惑をかけて申し訳ない」ではなく、「世間に迷惑をかけて申し訳ない」である。阿部謹也さんが鋭く指摘するように、わが国には世間は存在しても「社会」は存在しない。 「社会」を対象化し、学問として語ることはできても、年賀状を出したり、お中元やお歳暮をすることの意味に思いを馳せる人間がどれほどいるだろうか。 考えなければならないことは、わが国の「社会」の解明にとって、世間の解明が前提であるということである。世間はわが国では「隠された構造」としてあるが、しかし、それは依然として「謎」のままになっている。 この不思議さは、学問がもともと西欧からの輸入品としてのみ展開されてきた事情を考えあわせても、世間をきちんと対象化し、それを冷静に論じてゆくことがたいへんむずかしいことを意味している。 この「隠された構造」に光をあてるのが、この学会のさしあたりの目標である。大事なことは、それが同時に、自らが存在する「基盤」(実存)をゆりうごかすことになるということである。 学会のさしあたりの目的を最大公約数的にいえば、以下のようになろう。もちろん、このような方向は固定的なものではなく、ひとつの暫定的な「網打ち」にすぎないし、各自さまざまな読みかえが可能であるし、読みかえてほしい。 哲学、法学、言語学、歴史学、経済学、経営学、精神医学、文化人類学などあらゆる西欧 から輪入された学問領域を、世間という観点から批判的に見直す学会をめざす。 細分化されタコツボ化された学問領域や、(学会という世間の)つまらぬしきたりなどといった、いわゆる「アカデミズム」にとらわれない「出入り自由」な学会をめざす。つまりゆるやかであたらしい「知のネットワーク」をめざす。 なによりも大事なことは、「隠された構造」である世間を対象化すること。つまり自らの存在(実存)を対象化しうるような内容をめざす。 精神医学における「世間」論の可能性−阿部謹也・木村敏『「世間」「社会」のあいだ』をきっかけとして 発表者 尾崎芳彦/杉本守男/田中史郎/佐藤直樹/山本陽史/上原利夫/瀬田川昌裕 入会申込書をご希望の方は、お名前、ご住所、電話番号、推薦者がいる場合は推薦者を明記の上、事務局あてに、メールまたは郵送にてお知らせください。 また、研究発表大会の見学は随時受け付けております。詳しくはお問い合わせください。(見学後、その場でご入会もできます。) 日本世間学会のホームページは、もともと会員である堀込(ユニカイエ代表:ひるます)が事務局を引き受けた事から、ユニカイエ内に置いております。事務局の運営とともに、このホームページ作成に関しても、基本的に無報酬です。会員の皆様からの情報や、最新情報を随時掲載できるよう更新して参ります。ご意見・ご要望がありましたら、メールにてお送りください。よろしくお願いいたします。 |
[ 95] 日本世間学会
[引用サイト] http://www.unicahier.com/SEKEN/seken.html
