東京ドームとは?

この項目ではドーム球場について記述しています。運営会社については東京ドーム (会社)をご覧ください。
東京ドーム(とうきょうドーム)は、日本の東京都文京区後楽にある、日本初のドーム型野球場。株式会社東京ドームが運営している。愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)であるが、近年はあまり使用されない。
老朽化した後楽園球場に代わり、1988年に開場した。日本プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)の本拠地、北海道日本ハムファイターズの準本拠地。ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド(2006年)やアジアシリーズなどの国際試合、日米野球などの親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・都市対抗野球大会が毎年開催されている。野球のほかにも格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われる多目的ドームである。天井が高いため音の反射が悪く、遅れて耳に届くので、コンサートには不向きな会場である。こけら落とし公演は美空ひばりあるいはミック・ジャガーが行ったと誤って伝えられる事が多いが、下述のとおり世界各国のマーチングバンドとTHE ALFEEによるコンサートである。
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%(3ヘクトパスカル)だけ高くして膨らませている。圧力差を維持するために出入り口に手動式回転ドアやエアロックが設置されている(ドア開放は空気が抜けてしまうので出来ない)。ドームから外に出る際、回転ドアで気圧のため外に吸い出されるような感じになる。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。
2002年から「フィールドターフ」と呼ばれる新型人工芝を、日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らした。
ドームの広さは約216メートル四方で、日本(特に東日本)では建物・場所などの面積や大量の物の体積を表現する際に「東京ドーム何個分」という表現が使われることもある。
2007年の大改修で喫煙コーナーを廃止し、完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全分煙を実現した。
両翼100メートル・中堅122メートル。国際基準に適合した広さで設計されているものの、敷地面積の都合で左中間・右中間(110メートル)が狭く、日本での一般的な野球場のイメージである「扇型」よりは、アメリカのリグレーフィールドやUSセルラー・フィールドのようにむしろ「矩形」に近い。同じドーム球場でも、扇形のフィールドを持つナゴヤドームと比べると、中堅・両翼までの距離はほぼ同じだが左中間・右中間がほぼ直線状であるため6〜8メートルほど狭く、フェンスが低いこともあってホームランが出やすい。外野フェアゾーン側の客席が極端に少ないため、ホームランが最上段の看板へ直撃した時点では「特大ホームランの放物線の下りはじめ」程度であり直線距離でみれば短い部分も存在する、ただし看板位置は他球場で着弾する客席などの位置と比べて非常に高い位置にあるため、同じ直線距離であってもホームランの推定飛距離は全く異なる。
フィールドには人工芝を採用している。2002年からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるハイテク人工芝「フィールドターフ」を導入したものの、イベントなどで踏み荒らされるなど数年で踏み固められてしまったため、2006年に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷とむしろ逆効果となった。滝鼻卓雄読売ジャイアンツオーナーは低迷の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い若干の改善が見られた。
2007年3月には最新型人工芝「フィールドターフ」を耐久性、衝撃吸収力が向上した改良型へ総張り替えを実施する。滝鼻オーナーは「ドームの屋根を取って天然芝にしたい」とも語っている。
ホームランの出やすさの理由は、左中間・右中間の狭さ以外にも空気膜構造の屋根だとの声は根強い。しかし同じく空気膜構造屋根を持つメトロドーム(アメリカ合衆国ミネソタ州)もホームランが出やすい球場と言われたり、「ホームチームに有利になるよう空調を操作していた」と元球場職員が発言した事があるが、同球場の2001年から2006年までのパークファクターが1点を上回ったのは6年間で2度しかなく、同球場はホームランのでにくい球場であるとの結果が出ている。同タイプの野球場がこの2球場のみで比較対象が少ないが、空気膜構造屋根をホームランが出やすい理由とするだけのデータは出ていない。
巨人について説明すると、原辰徳など中距離バッターを並べた当時の巨人のバッターは1988年以降は軒並み本塁打数を落とし、1990年代前半までは極端な投手力のチームとなっていた。1990年代中盤、巨人が主軸に成長した松井秀喜など大型選手をオーダーに並べたこととボールの進化等で、東京ドームは巨人にとって相対的に「特に広いわけではない」球場になり、看板直撃弾が試合の華となった。2005年は2004年とほぼ同じメンバーにも関わらず看板直撃弾が激減しているため、1990年代終盤〜2004年までNPBで採用されていたいわゆる飛ぶボールの影響も指摘されている。
グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている(後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため)。年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。
完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄が「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と話したが、開場した1988年の7月4日に阪急ブレーブスのダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、読売ジャイアンツの原辰徳や松井秀喜、西武のアレックス・カブレラらが、天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。建設の際には打球が屋根に当たらないようにこの高さに設定された(天井に当たった打球の扱いは後述)。
天井にはテレビカメラが備え付けられている。その映像は、野球中継だけでなくNHK・民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の中継では、あまり頻繁に使用されることはないが、巨人優勝時の胴上げの際には必ず使用されている。
ドームの屋根の間には少々の隙間があり、隙間に入れるとエンタイトルツーベースとなる。2002年に松井秀喜が「幻のドーム場外」を記録した。このボールは2日後に見つかり、現在、野球体育博物館に保存されている。
2005年7月30日の中日ドラゴンズ戦で、通算350号本塁打まで残り1本と迫っていた江藤智が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の左翼手・英智に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。
1990年6月6日の日本ハムファイターズ対近鉄バファローズ戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から打った打球をセンター守備位置上空にあるメインスピーカーに直撃させ、認定ホームラン第1号を記録した。その後この認定ホームランを打った選手は現れていない。これをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)。
基本的に座席の色は青。左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト側巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの絶対数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト側巨人応援席」は設定されていない。 社会人野球の都市対抗、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。
2005年から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を228席開設した。
プロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球や他のイベントでは使用されない(ただし、アマチュア野球の試合であってもシートの撤去はしない)。
利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
巨人主催ゲームについては年間予約席(108席)と一般指定席(120席)の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる。
車椅子を利用する観客のために、三塁側立見席の一部を「車椅子席」としている。車椅子だけではなく、介護ベッドを利用する観客も利用できるようになっており、介護ベットを設置し、介護ベットで横になりながら試合を観戦している観客もいる。エキサイトシート同様、発売方法は通常の発売方法と異なるので注意が必要。
バックネットのフェンス広告は2004年から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターのスポンサーである三洋電機の広告になっていたが、2006年シーズン終了後、三洋電機がスポンサーを降りたため、2007年からは、中古車販売業大手のガリバーインターナショナルに決定した。東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002、2007年に開催されたことがある。
外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。開設当初は9枚…左翼5枚、右翼4枚)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当する商品(自動車など)が贈呈される。巨人が出場した際の日本シリーズでは、ポストシーズン・ゲームのため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない(詳しくは東京ドームHP・ビッグボードホームラン賞一覧参照)。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年にこの制度が廃止。広告が撤去された。
東京ドームでは現在、消費者金融の会社の広告を一切出していない。以前、近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサーの契約を新たにを結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、巨人の渡邉恒雄(当時)オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。実際には、その発言をした時には東京ドームでも消費者金融の広告は出されていた[要出典]。その後ペナントリーグが終了し、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームより広告を出していた消費者金融の会社へ、「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と言い更新を行なわない旨を通達。広告を出していた会社も了承し、消費者金融の広告は一切排除された。
バックスクリーンは会場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分にプリズムビジョンと呼ばれる回転板が張られるようになった。
室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15~20分間に無人飛行船が飛ぶ。巨人軍勝利の際にはヒーローインタビューのTVのカメラフレームに入り込むようにフライトする。 この飛行船にはカメラが備え付けられており、ビッグヴィジョンへの生中継が出来る。また、この飛行船にはサンプル商品などを投下できる小型気球を3つ取り付けられる。(飛行船に関する詳細[1])
1988年の完成時、スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。2002年ごろから通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」・「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、2004年にはニックネームに戻された(2002年以降の文字はゴシック体。ニックネームに戻されたのは「北海道日本ハム」が漢字の文字数が多すぎて表示しにくかったためと思われる)。
オーロラビジョンは1990年にハイビジョンサイズへ変更、1999年に全面改修された。2001年にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の打率(AV)、ホームラン(HR)表示に打点(RBI)が加わった。球速表示も単位がkmからkm/hに変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(西武と大阪近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、大阪近鉄は太字の「Bu」が使用された)。2004年のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率(AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。フォントがCanonの角ゴシックCaに変わり、また従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字からメジャースタイルになった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。スペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じに尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。
2006年から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響で一列に入るのが9人までとなったため、DH制の試合時は、5番打者の名前の横に投手名が表示されている。
2007年より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示がメジャースタイルから日本人になじみのあるアラビア数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ(16:9)になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に。また、緑地のスコアボードだったが、黒に白が基調になり、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される(参考新・スコアボード)。前年開催されたワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用しはじめた。
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。2003年の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。2007年からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(ベイスターズもバファローズも「B」と表示される)。
ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク、ニッポン放送、ラジオ日本、日本テレビ、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送、中部日本放送、日経ラジオ社、RKB毎日放送、朝日放送、毎日放送)となっている。
放送席に入るためには一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、混乱が発生する。
2007年より、コンコースで設置されていた喫煙ブースを廃止し、新たにゲート外、及び1階内野コンコース1塁側、3塁側に設置された喫煙ルームにて喫煙を行なう「分煙化」を行なっている。
エアドーム - 28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に貼り、その間をガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングした素材で貼り合わせてある。素材は耐候性、耐熱性、非粘着性に優れ不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。
エアドームを膨らませておくために気圧を外気圧より0.3%高くする。そのため送風ファンを合計36台設置している。ドア開閉がある場合は10台から18台を稼働させ、ドア閉鎖時は2台で気圧を維持する。
公式戦ではじめてホームランを打ったのはヤクルトスワローズのダグ・デシンセイである。前述の?落としのオープン戦も含めると吉村禎章が打っている。初の公式戦勝利投手は尾花高夫、初の公式戦セーブは伊東昭光、初の公式戦敗戦投手は桑田真澄。
2002年の日テレG+(じーたす)開局からは日本テレビのニュース番組のスポーツコーナーでの放送と実況放送を分離する放送を開始。
2004年まで日本プロ野球は観客数を実数ではなく水増しした数字で発表していたが、東京ドームの場合も巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず55,000人(1988年から1994年までは56,000人と発表)と発表していた。2005年からはプロ野球全体で観客数の実数発表になったことに伴い、観客の発表も実際に入場した人数を元に行っている。
1988年10月7日朝日新聞22面に既に「東京ドームの定員は46,314人、そのうち立ち見2,976人」とあり、2005年4月13日の産経新聞に改修を得て現在の数字に落ち着いたとある。最多動員を記録(主催者発表70,000人)した1998年4月4日の新日本プロレス主催のアントニオ猪木引退試合のように、イベントではグラウンド部分をアリーナ席として使用することが多い。
2004年にストロングリーグによっておこなわれた全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの決勝戦では、草野球大会としてはじめて沖縄県のチームが来場し千葉県代表チームに勝利し優勝を飾り、胴上げをおこなった。
かつて外野ライトスタンド(一階レベル)から一塁側内野スタンドへ通じる広大なコンコースが存在していた。オープン当初は売店等が立ち並び、外野⇔内野へ行きかう人々で賑わっていたが、数年で閉鎖された。現在は外野側、内野側いずれもシャッターで閉ざされ中に入ることはできない。閉鎖後は倉庫として使用されている。
1988年の開場から2005年までの間、東京ドームにおいて巨人の対戦相手が公式戦・日本シリーズを通して巨人の目の前で優勝を決め胴上げをしたということはなかったが、2006年10月10日の読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦で中日が優勝を決め、落合博満監督の胴上げが行われたことでこのジンクスは破れた(巨人の本拠地で最後に胴上げした巨人以外の球団は、後楽園球場時代の1975年、広島東洋カープだった)。東京ドームで胴上げを経験したことがある巨人の監督は現在は藤田元司(1990年)、長嶋茂雄(2000年)の両元監督と(奇しくも二度とも背番号7をつけた巨人の選手(1990年−吉村禎章、2000年−二岡智宏)がサヨナラホームランで優勝を決めている)、2007年の原辰徳の3人である。なおこの3名の共通点はいずれもサヨナラ勝ちで優勝を決めている。また、長嶋は1994年、2000年と日本シリーズで優勝しており、そのときも東京ドームで胴上げをしている。日本ハムファイターズは東京ドーム時代は優勝がなかった(2006年のアジアシリーズでは、本拠地としてではないが初めて優勝を決めた。これが日本ハムにとって東京ドームで初優勝となる)。
東京ドームは、巨人軍の本拠地だけに読売新聞グループ本社の子会社であると捉えられる場合があるが、グループ本社との資本関係は無い。ただし企業としての株式会社東京ドームはよみうりランドの大株主の一社であることから、読売グループとは緩やかな繋がりがある。
東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べてとても高く、1試合あたり観客数に関係なく1,750万円だといわれている。高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(札幌ドームの球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加→最大1600万円強」)。なお、日本ハムは現在も準本拠地として引き続き年間数試合で東京ドームを使用している。
この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば数十万で貸し切ることが出来る。
日本ハム北海道移転前のマスコットキャラクター・ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により、東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして2005年まで存続し、2006年以降は重大イベント限定で登場となった(例えばファイターズが優勝したときに登場などが想定される)。また、ファイターズ戦においては日本ハムの商品マスコットであるハムリンズも2005年以降登場している。
大きさは新聞紙1枚広げた分の半分まで。必ず1人で持てる物(2人以上で持つものは、横断幕とみなされ、持込不可)。
日本ハム主催ゲームについては、移転前・北海道移転後も太鼓を使用せず、笛とトランペット、メガホンのみの応援になっている(理由は一説によると、東京ドームオープン時に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペットを選択したと言われる)。2007年の公式戦からは日本ハム主催ゲームでも、太鼓の使用が解禁された。
球場内へは、グラウンド等への投げ込み防止の為、ビン・カン・ペットボトルの持ち込みは禁止されていおり、各ゲート入り口にて、中身を指定の紙コップに移し替えをしなければならない(紙パックのものは、持込可)。クーラーボックスやベビーカーなど、観戦の妨げになる恐れのある物の持ち込みも出来ない(ベビーカーは、入場ゲートにて預かりとなる)。入場時には、厳しい持ち物検査が実施されている。
球場内では、1階から2階まで自由に行き来出来(バルコニー席のチケットを持たない人は、バルコニー席には行けない)、各階の色々な売店にて買い物が出来る。
東京ドームでは、一部のイベントで一旦東京ドームの外へ出た人も再入場が出来る。イベントにより再入場の手続き方法が異なる。巨人戦の場合は21ゲート、23ゲートで手に再入場を証明するスタンプを押され再入場券が発行される。再入場時にチケットの半券とスタンプ、再入場券が確認できれば、再入場が出来る。
東京ドームは野球以外にも、新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていることもある。
1990年代前半までは多目的ホールとしても首都圏最大級の規模であり、東京の一大ランドマークとして存在感も大きかった事から、主に関東域外の地方自治体や観光協会が開催する地方物産展、富士通グループなど大手企業の新製品展示会など、いわゆる見本市会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。バブル崩壊後の経済の低迷や、施設の規模に対する施設使用料の高さ、元々が野球場であるがゆえの見本市会場としての構造的な不便さなどがネックとなり、東京ドームで開催されるこれらイベントの多くは終了したり、あるいは規模によってプリズムホールや東京ビッグサイトなど他のイベントホールや見本市会場へ開催地の移転が行われた。現在では見本市会場といった用途での使用は大幅に減少している。
コンサートで利用する場合、消防法と警視庁からの指導、及び観客の転落防止の為、2階席と外野席の最前列は、緩衝地域となり、客席として利用出来ない。
東京ドームでコンサートをする場合、音がかなり篭るために、スピーカーの設置などには気を使わなくてはならない。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
東京ドームで初めてコンサートを行ったのはTHE ALFEEであり、東京ドームオープニングイベントで各国代表のマーチングバンドと共に柿落としコンサートを行った。本稿冒頭にあるように美空ひばりによるものと誤って伝えられる事が多いが、1988年4月11日開催の日本人アーティストによる初の単独コンサートがいわゆる「不死鳥コンサート」であったことによる。外野に卵形の巨大なセットを設置。通常観客を入れる内野もステージとして捉えた演出を行ったので、観客はスタンド席のみだった。ドームでの初の本格的な邦楽アーティストのコンサートであったため、音が反射してしまいワンテンポ遅れて音が響いていた。それに先駆け3月22日及び3月23日に開催されたミック・ジャガー・ソロコンサートでは、残響音対策としてバックステージ(外野壁沿い)に黒いカーテンを吊す等の対策が施されていた。
1988年4月4日・5日にBOOWYがバンドとして最後のコンサート「LAST GIGS」を行った。チケットは発売開始から僅か10分で完売されたと一般紙でも報じられた。
1989年11月30日、渡辺美里が同年7月に行われた西武球場公演が集中豪雨により公演途中で中止になった振り替えの意味で「SUPER Flower bed BALL 89秋 史上最大の学園祭」と題して開催された。
1992年には、X JAPANが日本人アーティストとしては史上初の東京ドーム3日間公演を成功させた。その後もX JAPANは、毎年東京ドームにて年末コンサートを行い、1997年の解散までのドームコンサートの回数は、通算13回を数える。
1998年10月9日にはSPEEDのコンサートが行われ、単独アーティストによるコンサートとしては史上最年少記録となっている。
2005年の9月にB'zが、サブステージではなくメインステージをセンターに設置しコンサートを行った。音響は非常に良く、他アーティストでの使用も期待されるが、外野席も開放するため、空席が出来てしまい格好が付かないという理由などから、実現されていない。
2005年のGacktのライブは総制作費5億円をかけて行われた。開始時に下手からGacktら5人が馬に乗って疾走、ラストでは天井に宙吊りになったGacktが観客の頭上を舞うなど様々な演出を行った。
2007年7月22日、KinKi Kidsデビュー10周年の公演では、観客動員数67,000人を記録し、現在の最高観客動員数となっている。
東京ドームにてコンサートを行ったミュージシャンに関しては東京ドームコンサートを開催したミュージシャンの一覧も参照
1988年〜1992年、1998年には、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第一次予選にも使用されていた。
1989年からは新日本プロレスが毎年プロレス興行を行っている。1992年からは毎年1月4日に行われるようになり、2007年も全日本プロレスと共同で1月4日に東京ドーム大会を実施した。
1999年8月、コナミが遊☆戯☆王のイベントでドームを使用。来場者数についての予測の甘さや人員誘導スタッフの絶対的な不足など、開催側の不備が原因でドーム内外で大混乱が発生、マスコミのニュースでも取り上げられた。[2]
2003年にはハロー!プロジェクト(モーニング娘。や松浦亜弥など)による「Hello!Project スポーツフェスティバル」を開催した。
立正大学が入学試験会場としてグラウンドを使用したことでも話題になった。ただし、これは校舎建て替えに伴うものであり、使用には非常に多くの不便が生じたといわれる。
興行の内容(特にジャニーズ事務所系)によっては、主催者の意向により、球場内の売店でのアルコール類の販売が行なわれない場合がある(バーガーショップ等の球場外にある売店では、販売されている)。
オリックス・バファローズ - 親会社オリックスの本社が東京にある関係で2004年以降年間数試合ホームゲームを行っている。
スーパー戦隊シリーズ - 同番組に協賛し、キャラクターショー開催。未来戦隊タイムレンジャーでは東京ドームの天井が時間移動の出入口になっていて、ここからタイムロボが飛来する。激走戦隊カーレンジャーではVRVマシンの格納庫が東京ドームの地下にある。
ドリーム☆アゲイン - 2007年、巨人軍を題材にしたTVドラマで撮影に協力。試合などのシーンに使われている。
東京ドーム - 明治神宮野球場 - 横浜スタジアム - ナゴヤドーム - 阪神甲子園球場 - 広島市民球場
札幌ドーム - 宮城球場 - グッドウィルドーム - 千葉マリンスタジアム - 京セラドーム大阪 - 福岡Yahoo! JAPANドーム
日本 - キューバ - 韓国 - ドミニカ共和国 - アメリカ合衆国 - メキシコ - プエルトリコ - ベネズエラ
東京ドーム - チェイス・フィールド - スコッツデール・スタジアム - ヒラム・ビソーン・スタジアム
クラッカー・ジャック・スタジアム - エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム - ペトコ・パーク
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[ 156] 東京ドーム - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0



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