下さるとは?
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「ボールペンはどこ?」、「あの書類は?」などとあちこちと自分の身の回りをさがしまくっても見つけるのに時間がかかり、人に頼んでさがしてもらったら「なんだこんなところにあるじゃないの!」と。「今はずした補聴器はどこ?」とさがしていたら「なんだちゃんと耳につけているではないか。」、すぐ目の前のコップに気づかず手を出して「ガチャーン!」。消しゴムなのにガムだと思って口にして「ゲ〜!」。 人と会っても誰だか気づかず声をかけられても知らぬ顔(なんと失礼なやつだ!)特に、うるさくて薄暗いところでは、話し掛けられても顔がよく見えず聞こえにくく、人と会うのがこわい。 これが日々私の味わっている生活の一部である。ともかく最初は聞こえの障害だけで苦労していたのに中学校ぐらいになってから夜での歩行に苦労がともなうようになった。「まあ単なる鳥目だろう。」と八目鰻を飲んだりトマトをいっぱい食べていた時期があったけどあまり効き目がなかった。 高校、大学と進んできて、そんなに不自由を感じるほどでもなく、夜でも自転車をこげたぐらいであった。大学卒業後、恵那の山村、上矢作町の障害者小規模作業所の指導員としての生活が始まり、車での移動が不可欠のものとなった。作業所の障害をもつ仲間達の送り迎え、作業所製品の訪問販売、ちょっとした買い物、友人とのドライブなどなど、車は私にとって生きがいでさえあったぐらいだ。 ところがだんだん視野が狭くなってきて車での移動もじわじわとむつかしくなってきた。手話サークルのある人のすすめで、思い切って休暇をもらってM大学病院の眼科へ足を運んで精密検査を受けた。そこで初めて「網膜色素変性症」という病名を知った。医師から「車の運転をしているとはなんて無謀なことを。即刻運転はやめろ!」とこっぴどくしかられ、私は頭の中が真白になってしまった。 あれから10年余りが経ったこの頃。今は、毎日、人の肩や腕を借りたり白杖を使っての歩行、会議や講演会での通訳・介助を受けたりして、自分の生活を送っている。 私のように聴覚と視覚の二重の障害をもった人達のことを盲ろう者(児)と呼ばれるが、一人ずつ障害の状況が違い、コミュニケーションのとりかたもそれぞれ違う。私の場合は補聴器で聞き取れるので音声通訳が今のところ一番合った方法だが、その他にも指点字、触手話、指文字、筆談、手のひら書きなどのコミュニケーション方法がある。 平成13年度現在、岐阜県下で、聴覚と視覚の二重の障害をもった方や子どもが259人いると明らかにされている。 ちょうど、テレビの電源が切れて、音も聞こえない画面もみえない状態が毎日24時間続くのだ。ずっと情報からも遮断され、人との関わりも切れてしまった状態。このような方がまだまだ県下のあちらこちらに埋もれている。 全国では30か所余りの県に盲ろう者の会ができていて、情報交換、交流会、通訳・介助者の養成などを行っている。また、社会福祉法人全国盲ろう者協会があってPRや相談援助活動を行っている。岐阜でも全国や他県の組織とつながりながら、平成8年に、岐阜県盲ろう者友の会設立準備会を発足させ、平成12年の4月23日に、岐阜盲ろう者友の会を正式に設立した。 毎月1回の定例交流会、盲ろう者の掘り起こしなどを主に活動している。平成13年度より盲ろう者向け通訳・介助者養成事業を、平成15年度より盲ろう者通訳・介助者派遣事業を岐阜県の委託で岐阜盲ろう者友の会が実施している。 岐阜ろう学校には盲ろう児が3人いるが、その子らには学校だけでなく、日常生活の中でいろんな人と関わったり、多くの経験をさせたい。この子らの家族がゆとりのある生活が送れるよう、この子らの外出やコミュニケーションをサポートしてほしい。 盲ろう者はいろんな人とお話しがしたい。自分の知りたい情報がほしいし、自分の行きたいところに誰に気兼ねすることなく自由に動きたい。 盲ろう者を身内にもつ家族は、どうしたらよいか途方にくれている。安心してサポートしてくれるところがほしい。 こういった願いをもった盲ろう児・者やその家族の願いに耳を傾け、私どもといっしょに取り組んで下さる方を求めています。 指点字、触手話、指文字、筆談、手のひら書き、音声通訳のコミュニケーション方法のうちひとつだけでもいいのです。盲ろう児といっしょに遊んで下さる方、盲ろう者の外出サポートや通訳をして下さる方を求めています。 |
[ 174] 求む!盲ろう児・者と共に歩んで下さる方を!
[引用サイト] http://gifudeafblind.hp.infoseek.co.jp/massage/motomu.html
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ダビデは晩年近くになって、長男アブサロムの反逆を受けた。アブサロムはヘブロンへ行き、そこでイスラエルの王位に付いたことを宣言した。民衆の中の多くの不満分子がヘブロンに集結していた。それを聞いたダビデは危険を覚え、王宮から逃れることにし、忠実な家臣や外国人が彼に従った。 この時、ダビデは神の箱について信仰の決断をしている。神の箱は祭司ツァドクとレビ人全員によって担がれ王のあとに従っていたが、王はそれを都に戻すよう命じた。というのは、神の箱のあるところに主のご意志が表わされるのであるから、主がダビデを御心に適う者として下さるならば、再び都に連れ戻して下さるはずだ。彼は自分の思いではなく、主の御心がなるようにと決断したのである。 主の御心がなければ王として生き続けられないのだ、という信仰が彼の義を支えている。こうして、ダビデは荒野の渡し場へと進み、神の箱はツァドクとアビアタルによって都に戻され神の時を待つことになった。 ところが、その途中、サウル王家の一族の出で、ダビデを恨んでいたシムイという男がダビデを呪いながら出て来た。「出て行け、このならず者、犯罪人」と。これは二節の「彼には神の助けがない」と同じこと。同じ主を信じている者も立場が異なると全く逆の信仰となる。シムイはダビデを神に見放されたならず者、罪人であると確信している。 ダビデはこの時、その呪いを受けとめた。「主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだ」と。自分に敵する者、逆らう者の存在、またそこから出て来る呪いの言葉もみな、主が備えたもうことであると受けとめている。ここに信仰の真骨頂がある。この信仰がわからない人はすぐに、「もうやめた、こんな教会は出て行く」と結論してしまう。 ダビデがこのように敵の呪いの言葉を受けいれる信仰があったればこそ、彼はまた主に信頼することができた。「主よ、あなたは私を取り囲む盾、わが栄光です」と。「取り囲む」は「代って」という意味がある。主は私に代って敵の矛先を受けて私を守って下さるというのである。また、主の栄光こそわが名誉を回復して下さり、その方がわが頭を御手をもって高く持ち上げて下さる。 シムイの呪いを主の呪いとして受けとめなければならず、失意のうちにうなだれていたダビデであるが、主の救いを信じて前進する勇気と平安な眠りを得た。 父よ、挫折にうなだれるわが頭を御手をもって高くあげて下さる恵みを確信し、困難をも感謝して受ける者となります。 |
[ 175] Ps3・4 「私の頭を高くあげて下さる」 90
[引用サイト] http://www7.ocn.ne.jp/~bereshit/ps34.htm
