獅子とは?

開基は役小角(えんのおづぬ)と伝えられ、本尊薬師如来座像は 弘仁期(平安時代、西暦900年頃)のものとされ国宝である。
この尊像は行基菩薩が一刀三礼のもとに三年と三ヶ月を費やして刻まれた像で、授乳の霊験が著しいと伝えられている。榧の木(かやのき)の一本刻りで高さ92cm、相貌の眉、切目、口唇的に漂う特徴と衣文の鋭い翻波様式は平安の初期の代表作である。
昔は、全山12院(吉祥院、松宝院、薬師院、華蔵院、愛染院、溪月院、井上院、杉本院、文殊院、日光院、普賢院、西院)があった。
先日、御仏様をお祈りした時、国宝薬師如来御真言は「オン・コロコロセンダリマ、トウギ・ソハカ」ですと教わった。
この碑は、胎蔵界大日如来の真言「アビラウンケン」を蓮華座の上に表わしたもので、永禄6年(1563)3月12日に一結衆が逆修供養(死んで極楽に行けるように、生前仏事を修め冥福を祈ること)の為建立したことが一結衆11名の名が刻まれている。
その宇宙そのものが大日如来である。つまり、大日如来の力で生きさせてもらっているのである。
弘法大師空海が開いた真言密教の本尊である大日如来、その大日の真言が真言宗高野山派に属する
獅子窟寺の山は全山花崗岩質の山である。梵字の碑の大岩を上にあがると、東から西側に突き出した巨石はまさしく男の石である。つけ根から先まで四メートル五十センチである。
嵯峨天皇(弘仁年間 810〜824年)のころ、弘法大師が交野地方に来られた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れて落ちたと言われている。
獅子窟寺の参道の中ほどの山側に室町時代の作と思われる丈52センチの首なし地蔵がおられる。
昔、臨月になると、妊婦がここまで上がってきて、「元気な子どもを産まして下さいますように。子どもが出きたら、いいお乳(母乳)が出ますように」と祈ったという。明治のはじめ排仏毀釈の運動が起こった時、この石仏の上部を飛ばしたのではないかといわれている。
誰が言うともなしに、この谷(男石と女石)から出る水を弘法大師の水と言われてきた。
獅子窟寺への山道を登って行くと寺の約150M手前、少し開けた所に仁王門跡の石組みがあり、左へ山道を下り、六体地蔵の前を抜けると、湾曲に突き出した所に、亀山上皇と皇后の供養塔・王の墓が重厚なたたずまいを見せている。
この付近は、見晴らしの良い所から百重が原と呼ばれ、亀山院の分骨陵とか、後亀山天皇陵などと言われていた。辺りには古木が多く、かって王の墓の上のシイの大木の枝を切り落とそうとしたところ、「キイキイ」と泣き、木に触れただけで腹痛を起こしたといういわれがある。
(ぼんもんこうみょうしんごんこくめいがしつどき)(室町時代)出土地 獅子窟寺(裏山)
器高16.9cm、口径21.0cmの瓦質土器。器の表面には、細かい錐状の工具で浄土変真言や光明真言等の有り難いお経が、2行1単位で21回も書かれています。もとは土砂加持かじの際に使用される容器と考えられますが、後に蔵骨器に転用された可能性の高い土器です。平成12年、交野市指定文化財に指定された。
公開日 水曜から日曜 午前10時から午後5時(入室は4時30分) 交野市立歴史民俗資料室に展示してあります。

[ 77] 獅子窟寺
[引用サイト]  http://murata35.cool.ne.jp/meisho/sisikutuji/sisikutuji.htm



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